NO258:善水寺の霊水「善水元水」

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前回の「山比古湧水」の愛荘町には湖東三山という有名なお寺が三ヶ寺在りますが、紅葉が綺麗なトコらしいのでそれらのお寺の訪問はお預けという事にして、湖南市にあるお寺で、湧水がお寺の名前になったという善水寺へ
カーナビで距離を調べると30キロ以上あったので、再度湖東三山スマートICから名神へ入り竜王ICで下りて善水寺へ向けて車を走らせた。最近スマートICが増えてきている。「ETCカード」があれば出入りできるというICであります。
この辺は初めて走る土地なので、土地勘がものを云わず、活きよいカーナビにたよってしまい、曲らなければならない所を曲れなく真直ぐ行ったり、住宅街の狭い道に入ったりと苦労?しながら、善水寺の車の参道を見つけた。
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善水寺のしおりから)
参道から歩いて上がろうかと思ったが、車で登れる道を見つけたのでそちらから、バスも上がって来るそうで大きな駐車場でした。
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受付で「善水元水」の事を尋ねると、「水だけ汲むのですか」と尋ねられ、本堂にもと答えると、それなら拝観料をと・・・支払って境内に入場。
まずは立派な鐘楼
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この前を進み、右の奥にある湧水を見ながら、まずは本堂へ参拝
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国宝の本堂であるが、屋根に目をやるとシートがかぶせてあるようである。チョイトみすぼらしい国宝である。
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国宝建造物  善水寺本堂  善水寺
 善水寺(天台宗)は、和銅年中(710年頃)の開基で、和銅寺と号した。その後、延暦9年(790)に伝教大師が中興して善水寺と改めたという。しかし、延文5年(1360)3月に火災にあい、記録などが焼失した。貞治3年(1364)5月に延海が再建し、天和2年(1682)に東叡山輪王寺より医王院の号が下がり、岩根山医王院善水寺と号した。
 明治32年(1899)に本堂が特別保護建造物に指定されて大修理が行われている。
 本殿は天台仏殿で、南北朝時代の再建である。7間×5間の入母屋造、桧皮葺の大きく優雅な仏堂で、全面に向拝がないところに古風を感じさせ、建具に蔀戸を用いるので宮殿風である。
 外陣で注目されるのが左右に梁をかけて中央の柱列を省略する手法で、周囲の組物から木鼻が出ている。
明治32年5月指定
薬師如来坐像(重要)を安置する内陣仏壇上の厨子(国宝)も入母屋造、こけら葺、本堂と同時期のものである。
                湖南市教育委員会
で、堂内に
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ここから上がって行き入っていたのは好かったのですが、入口に撮影禁止・帽子は脱帽してください・・・と、結局堂内の仏像を撮影する事ができませんでした。
本尊は秘仏で見られなかったが、芸術的な多くの仏像を拝観する事ができました。また、仏像の中から出て来た籾を田植えすると実際に芽が出て稲穂になったと、その稲穂も展示してありました。詳しくはココを見て下され。
好きな仏像は、文殊菩薩坐像です。
この本堂の入口の後ろの方に「閼伽水」昔からの湧水の出ているところが、帰ってからじっくり見た栞に書いてあったが、実際水が汲める所に行った。
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元三大師堂の左奥に
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その手前に
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水が出ていましたが・・・・
    善水寺と善水の由来
 傳教大師最澄上人がこの寺へ来られた時、京で病んでおられた恒武天皇に、境内百伝の池水を汲んで医王善逝の秘法によって加持された香水を、献上されたところ忽ち病が快癒され、その喜びを縁として、「岩根山 善水寺」と号されました。
 このたび縁あってこの境内に湧き出る由緒ある善水の元水を汲み、あたりを清浄處として欲せられる有縁の方々に施し甘露の水の一つとして戴いてもらおうということになりました。
 この水は百伝の池前、50メートル下の岩石ばかりの中を三か月の月日をかけ堀削し汲み上げた清浄水です。
 ご参拝の方々、どうぞ遠慮なくお汲みとりください。
            岩根山  善水寺
    平成四年三月吉日    堀削寄進   園田武夫
   霊水をここまでひきて参られし
              善男善女のみなにほどこす
・・・・・と、真っ当な湧水ではないが、この気持ちを有り難く頂いて帰る事にしました。
尚、「善水元水」を汲むだけなら、拝観料はいらないようです?
その「百伝の池」
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そして、
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なぜか浄財の箱の前に金槌が置いて有りました。
もっと見る所がありましたが、先を急ぐ為この辺で境内を後にしました。

独断と偏見の「善水元水」の評価は
軟水で、口当たりと喉越しが清らかな清々しさを感じる飲み口でありました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆でした
詳しい場所


NO257:平成の名水百選「山比古湧水」

  湖東・湖南5,6日 021-1q
連休の有る日、相方さんは娘と東京見物、一人残った吾輩は水汲みしか行くところがなく物色し、以前から滋賀県の狸の里「信楽」に行きたいと思っていたのだが、午前中は以前行けなかったオイル交換の予約が取れ、時間的に無理があるという事で、あまり行けていない湖南地域を探して見る事にした。
情報元を探していると、湖東三山(有名な三つのお寺)で有名な愛荘町に平成の名水「山比古湧水」がある事が分り、その周辺の湧水も探して汲んでくることにした。
名神の湖東三山PAに最近できた湖東三山スマートIC
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から降りて、宇曾川の上流にあると情報元には書いてありそちらの方へ、
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崩れかけた前方後円墳を横目で見ながら、標識の方向へ
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宇曾川ダムの上に
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ロック・フィールドダム
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ではなく、中央コアー型フィルダムとの事、ここからの見晴らしもイイ
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ダムの上も立ち入り自由
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ダムの上流は
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更に上流に向かい
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たどり着いたところが
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宇曾川渓谷の公園の様で、
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三組のデイキャンプを楽しんでおられた。その縁の方に「山比古湧水」が整備されて
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3~4ヶ所から湧水が出ていた。一番勢いが良い所
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ここで二本と、湧き方が少ない所
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で1本汲んで比較をしてみようと、計3本汲んできた。
「山比古湧水」のイワレガ
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 この湧水は、山比古地蔵にあやかり、「山比古湧水」と命名された。昔から地元の人達に親しまれてきました。
昔、大変信心深い老夫婦が、この湧水を山比古地蔵にお供えしたところ、息子にとっても気立てのいいお嫁さんを迎える事ができました。また、その息子も、この湧水をお供えたところ、たいへん喜んだお地蔵さまは「願いごとを一つ叶えてやろう」と言われ、若者は「この付近に住み着いて、村に降りて来ては子供をさらい、村人を苦しめている山姥を退治してください」とお願いしました。お地蔵さんは願いどおり山姥を退治してくださり、村には平和が訪れました。この若者のやさしい気持ちに気づいておられたお地蔵さまは、その後若者に、かわいい赤ちゃんを授けてくださり、幸せに暮らしたといわれています。
 湧水の向かい側にある遊歩道に、その山姥の足跡と言われる岩がありますので、御覧になってください。
と言う昔話の伝説です。
ちなみに、現場の看板は太陽の光により読みにくく、足跡は見ずに帰ってきました。
また、この近辺にはこの話し以外にもイイ話が残っているようです。
宇曾川の源流であるこの地は泰川山の一帯で、江戸時代末期には「住民の米びつ」と言われ、住民は山から薪を切り出し生活の糧としていた。その結果山は痩せ、水は枯れて、山は荒れ果ててしまい、2~3日の雨で川は溢れ、下流の堤防も豪雨の時など何度となく決壊したそうな。
明治を迎えようとしていたころ、西川作平という人物が山に植栽を30年以上も施し、総面積60町歩にも及ぶ一大事業を成し遂げ、洪水はいちじるしく減少したと言われ、明治27年からは県営の砂防工事が、明治44年から大正元年には水路工事も行われ、併せて自然環境を守る取り組みも進む中で、今では緑豊かな渓谷美を堪能する事ができるという事です。
先人の努力により、この「山比古湧水」も守り続けられてきたとの事です。

独断と偏見の水評価は、吾輩的には四つのVでしたが、先人の思いを汲み取り
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vにさせて頂きました。ご意見は受け付けませんので、あ し か ら ず
詳しい場所は


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