NO228:有馬温泉の「炭酸泉」

 2017・4・22有馬 036-1q
今回は相方さんの要望で有馬温泉へ行く事に、「金の湯」か「銀の湯」のどちらに入るかは行って決めるとゆうことで出発。
吾輩は、以前から気になっていた「炭酸泉」を汲みに、それと「有馬三名水①高塚の清水」の時に又の機会に行ってみたいと思っていた、ロープウエイから見えた山頂のお寺「妙見寺」にも御参りしてくることでした。
2017・4・22有馬 037-1w
妙見寺へ向かう参道へ向かっていると、猿まわしの幟がはためいていた。これは見て行かなくっちゃ・・・と
行くと「ゆう」君と言う猿君が座っていた。
  2017・4・22有馬 002-1e
それでは猿回し曲芸団の始まり、始まり~ \(^o^)/まずは、お客さんへ挨拶
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本来の猿の姿から
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 成長した姿デス
 2017・4・22有馬 007-1y
最初の曲芸・・・高跳び…①です
  2017・4・22有馬 010-1i
さらに、さらに高くしての高跳び・・・③デス
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おみごと!(^^)!
次なる曲芸なるもの、竹馬による
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ハードル越えでござ~い パチパチパチ
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さらに「ゆう君」張り切って
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五段越えでアリ~ンス・・・無事着地
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次なる曲芸、「ゆう君」の何倍も高い竹馬乗り・・・いかに
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まずは低いところから、そして
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「ゆう君」の背丈の三倍は有ろうかと思われる高さ・・・人間様よりご立派お見事\(^o^)/
ところが
  2017・4・22有馬 025-1h
下りるのは苦手だそうで、手を差し伸べてもらい着地・・・そしてドヤ顔
  2017・4・22有馬 026-1j
そして最後の演目は跳び箱、このタイミングで観衆のみなさんへ「おひねい」のお願い
 2017・4・22有馬 027-1k
それが一通り終わり、次なる曲芸に気持の統一
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まずは狭いところから
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エイ
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さらに、さらに時間がないので長~くしての跳び箱 エイ  ヤア
  2017・4・22有馬 031-1m
猿も木から落ちる・・・ではないが、あわや失敗の巻
 2017・4・22有馬 032-1x
再度の挑戦、最後尾からの助走で、エイ、エイ、ヤア・・・・・・と着地成功
吾輩の写真にも皆様の拍手・・・・・・(*^_^*)
おひねり、ありがと~
 2017・4・22有馬 035-1
吾輩も、二人分お札(金額は言わない)をエイとかごに入れて、思いもよらない余興に出逢い満足の気持ちで妙見寺の参道へと登り始めた
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少し登ると、西国三十三ヶ所と書いた石柱
  2017・4・22有馬 061-2w
その横には、第一番札所「那智山・青岸渡寺」の石像
  2017・4・22有馬 060-2e
その上の脇道の入口には
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有馬グランドホテル・雅中庵の字が掘られた柱で、これ以上は我が敷地内との標識・・・が写真を写した目的は
  2017・4・22有馬 040-2t
柱の上に自生するキノコのかわいさ余って・・・(*^_^*)
 2017・4・22有馬 045-2y
途中の石仏は省き、このような道を歩いて行くと
  2017・4・22有馬 058-2i
赤や白の石楠花が民家の庭に咲き誇る綺麗な花を見ながら
  2017・4・22有馬 059-2o
道も開け
  2017・4・22有馬 046-2u
間もなく妙見寺の参道・・石段に差し掛かった
 2017・4・22有馬 047-2i
妙見寺:日蓮宗
鎌倉時代、元真言宗金杖山金剛寺を法ヶ宗(現日蓮宗)に改宗されました。本尊の福徳開運北辰妙見大菩薩尊像は後小松天皇の勅願にて、三代将軍足利義満公が棒持。有馬の鎮護にと祀られ、明治39年愛宕山の麓より落葉山の山頂に移したお寺です。
2017・4・22有馬 048-2p
石段の次はこのような参道を、途中身近な成相寺の石造
   2017・4・22有馬 049-2f
さらに登って行くと
  2017・4・22有馬 056-2d
石の鳥居、明神鳥居と言われている棟にあたる「島木・笠木」の部分がなくなっているが柱は立ったままの鳥居、おそらく阪神淡路大震災の時に割れて落ちたのではと推測・・・そこからの展望は
  2017・4・22有馬 057-2s
温泉街を一望、頂上の景色360度想像して気持は急ぐ
石像33番最後の札所「谷汲山・華厳寺」
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そこから最後の石段を上り詰めると
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落葉山の頂上
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・・・・・が、周りを見渡しても木々が生い茂ってなぁ~にも見えやしねェ・・・・・ガク
しかし、妙見寺のお堂は立派でした
  2017・4・22有馬 054-2h
されど、人1人っ子いない寂し~い お寺   周りの木々を手入れして360度見渡せる展望台を整備して宣伝すれば、今人気のハイカー達が登って来ること間違いナシ・・・とアドバイスしておこう・・・余り当てにはならないが(?_?)
先程の展望の良い所で食事をしていたら、若いカップルが登って来たが、出会った人はそれだけであった。
温泉街へ下りて、温泉寺へ
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石段の下に
  2017・4・22有馬 063-2l
温泉寺から念仏寺に向かう坂道は、古くから「願い坂」と呼ばれていますが、有馬の昔話によると、次のような言い伝えがあります。
1589年に太閤秀吉が有馬を訪れた時のことです。清涼院から西南の方向にある高台に登り、杖でとんとんと地面をたたいて祈りました。
「もし、この地に温泉が湧き出したら、海の彼方までわしの土地になるだろう。湯よ、湧き出せー!」
すると、足元から少しずつ湯が湧き出し、温泉場になりました。人々は、この温泉を「上之湯」とか「願の湯(ねがいのゆ)」と呼びましたが、秀吉が亡くなると湯も湧き出なくなってしまいました。
(有馬ナビ・有馬の昔話からおかれしました) 
温泉寺
  2017・4・22有馬 064-2z
く炭酸源泉公園までの道すがら寄り道をしながら行く事に
  2017・4・22有馬 068-2x
温泉寺:禅宗黄檗派
 この寺は、有馬温泉の歴史と共に盛衰を同じくしており、奈良時代僧行基が開基、鎌倉時代仁西上人再興、桃山時代北の政所が復興、そして元禄時代黄檗派になっています。明治維新の神仏分離以後衰徴し、清涼院以外の寺院は廃絶しました。
 以後略
本尊様は薬師如来坐像
  2017・4・22有馬 069-2c
その周りに有る十二神将のどれかが波夷羅大将立像(はいら)は国の重要文化財との事
その横に極楽寺
  2017・4・22有馬 073-2v
極楽寺:浄土宗
594年、聖徳太子によって創建されました。1996年、庫裏再建のため解体、発掘の結果、豊臣秀吉の湯山御殿跡の遺講が発見され、1997年神戸市の指定史跡、第二号(伝太閤閣湯山御殿跡)に指定されました。
  2017・4・22有馬 074-2b
更に路地を進むと、ねねの別邸と伝えられる念仏寺が
 2017・4・22有馬 076-2n
路地を歩いていると、そこ彼処に源泉が有ります
妬(うわなり)泉源
  2017・4・22有馬 079-2m
二つ目極楽泉源
  2017・4・22有馬 081-3q
三つ目金泉源
  2017・4・22有馬 097-3w
と、辺りを見ながら歩いていると、足元にも
 2017・4・22有馬 083-3e
有馬温泉:寺町界隈
時代と共の変貌してきた有馬温泉にあって、この寺町界隈は寺社が集まっており、古くからのサンクチュアリ(聖域)の佇まいを保っています。
そして、この界隈は古くなった寺院の鬼瓦が魔除け・邪気払いの意をもって、町内各所に配置されています。
温泉で身体の疲れを癒し、この界隈を散策し心の静まりを得た後は、、有機凛々と世の中に打って出ましょう。
城崎温泉の観光地を案内する看板の所に鬼瓦が設置されていました。
そして目的の炭酸泉源広場へ到着
  2017・4・22有馬 085-3t
登って行くと社が立っていた
  2017・4・22有馬 086-3y
この中には
  2017・4・22有馬 090-3u
炭酸泉が出ているはずだが・・・・・枯れていた((+_+))
  2017・4・22有馬 087-3o
炭酸泉について
 左に有る碑(写真は無い)には、炭酸泉の発見の経緯や発見者の功労について帰されています。
 要約すると、明治6年に湯山町戸長の梶木源次郎が横浜の平野留七という人から湯山町杉ヶ谷に炭酸ガスを含む泉が湧くところがあることを聞き、毒水と呼ばれ、人が近づかなかったこの泉を思い出し、その後、兵庫県庁に要請し、内務省司薬場の検定を経て、炭酸泉を開いたということです。
 また梶木源次郎は、道路の改修や地租改正などにも尽力し、地元の人々がその功績を讃えて、この碑を建てたことも記されています。
【元文略】
  2017・4・22有馬 091-3i
社の左横には、炭酸泉が汲めるように蛇口が設置されて、そこから一筋の炭酸泉が流れていました。蛇口を開けようとしても開かず、このの雫を観光客と入れ代わり立ち代わり二本入れたのだが、所要時間、な!なんと!30分付かれた~
という訳で、無事炭酸泉をゲット
帰りには
  2017・4・22有馬 092-3a
今回は銀泉の日帰り温泉へ。二回目の銀泉だったが、今回は思いがけなくお客が多かったデス。
「炭酸泉」の珈琲をたてた水評価は
まず「炭酸泉」を沸かすとウスキャラメル色に変色、これは炭酸泉の特徴らしい。次に、ペットボトルで保存していて蓋を開けるとポンと音がした。炭酸ガスが発生している証。しかし、日が経つにつれてウスキャラメル色へと変色、そしてオラオラの発生と御世辞にも進めれる代物ではなかった。
珈琲にして飲んでみると、今までに飲んだことのない味であったが、まぁ飲めました。
(^_^)v (^_^)v
詳しい場所


 

NO227:お姥様の水

 2017・4・9谷ク汲山 075-2z
「華厳寺」を後にした我々は、丁度、観光バスの後について出発。
おそらく観光バスも「淡墨桜」へ向かうであろうと勝手に思い込み、出発間もなくカーナビが道をそれるように指示を出したが無視して付いて行った。
道の分岐点でも方向が同じであった為安心して付いて行っていると、再度カーナビが道を外れの支持を出したが無視をしていこうとすると、我がかーなび(かーちゃんナビ)が曲がった方が良いのと違うかと連発コール・・・この圧力に「根性の弱い」吾輩は屈伏してしまい引き返す事にしてカーナビの指示する方向へ行く事にした。
進んで行くと、道が段々と狭くなり
  2017・4・9谷ク汲山 067-2c
こんな所に連れてきてしまった・・・が、元カヌー乗りの吾輩は、このような川を観るのは嫌いな方ではなく、楽しみながら誰も来ない道を走って行った。
2017・4・9谷ク汲山 068-2v
こんな瀬を見ると気持がゾクゾク、未だカヤッカーの気分は抜けきらず(^^)/
  2017・4・9谷ク汲山 069-2b
こんな所をのんびりと漕ぎながら雰囲気を楽しむ、急流を下った後はトロ場が待ち構え、一服の清涼感(*^_^*)
楽しみながら走っていると
「根尾谷断層」と言う看板が、なんでも1891年10月28日に襲った濃尾地震により上下に6m長さ1000mにも及ぶ隆起が起こった現場だそうで、その時はスルーをして通り過ぎたが、今思えば見ておくべきであったと悔やんでおります((+_+))
ソコから10分も走らずして、淡墨公園へ
  2017・4・9谷ク汲山 070-2n
観光バスも・・・駐車場も一杯、桜の現場へ
  2017・4・9谷ク汲山 072-2m
チョイト邪魔な人が写って雰囲気が判りませんが、ぞろぞろ皆坂道を登って行く様子は、華厳寺以上の人並みでした。
そして「淡墨桜」
  2017・4・9谷ク汲山 074-3q
我ながら自慢の一枚(*^^)v
 2017・4・9谷ク汲山 073-3w
ここで「根尾谷淡墨桜」のシオリから説明
1500年生きてきました!【なぜ?長生きできたのか】
①長寿の種類(エドヒガン桜)
②日当たりが大変良い(陽樹の代表)
③強風が当たりにくい(背後に山)
④地下水が豊富にある(ミネラルウォーター)
⑤一番の理由は、皆さんが関心を持ってくれている
淡墨桜の特徴
原種の一つで、つぼみの時はピンク色満開の時は白色、花の散り始めになると名称の特徴となる淡い墨を引いたような色となる
樹高:16,0m
幹周り:9,91m
枝張り:東西27,6m 南北25.0m
日本の三大桜
○山高神大桜(山梨県北杜市)
○根尾谷淡墨桜(岐阜県本巣市)
○三春滝桜(福島県三春町)
次の二本を加えて五大桜
○石戸蒲桜(埼玉県北本市)
○狩宿の下馬桜(静岡県富士見市)
いずれの桜も、1822年(大正11年)10月12日国の天然記念物指定1号となった。
理由:由緒ある桜の代表的巨樹
1500年前誰が植えたの?
昭和8年頃、愛知県一宮市の真済田神社にゆかりのある、土川家から「真済探當証」なる古記録が出現
その古記録によると・・・
第26代継体天皇(507~532)が幼少時迫害を逃れ根尾谷に住まわれた。
29歳でここを去る時名残を惜しまれ一首添えて記念に植えられたと記されている。
『身の代と遺す櫻は淡墨よ 千代に其名を栄盛へ止むる』
宇野千代さん桜保護の訴え
 1959年(昭和34年)9月26日この地方を襲った伊勢湾台風により、枝葉をもぎ取られる被害を受けました。
 その後、保護策を施したが樹勢は回復しなかったそのような時、宇野千代さんは昭和42年に訪れ痛々しい姿に心をうたれ、それにより保護運動が持ち上がり枯死を防いだ。
生きよ薄墨桜!
  238本の根継ぎ手術
○昭和23年国の調査
   判定は「あと3年待たずに枯れる」
○昭和24年3月10日~4月5日(27日間)
前田利行氏(78歳)歯科医師
大工の頭領 中島栄一と弟子2人
植木職人 藤井与一
看護婦 中島五百
村民 73人 小学校児童
昭和26年春  見事な花を付け生き返った
騒ぎなよ花咲く時の山嵐
     心して吹け淡墨の側
ちなみに上の写真は5分咲きの様子です。
写す場所が違えば
 2017・4・9谷ク汲山 086-3y
少々みすぼらしい花の付き具合・・・?
裏の山際にはお堂が
  2017・4・9谷ク汲山 081-3e
この場所から見るのも良いのかも・・・当日は5分咲きの為か今一の花の付け具合でしたので写真はナシ
  2017・4・9谷ク汲山 084-3r
淡墨観音の由来
ここにお祀りしてある御本尊は聖観世音菩薩であります。或る年妙心寺派高橋至道老師
花見の折に曰く、「此處に衆生に化縁深き観音菩薩を祀れば天下の名木と成らん」と、此の時宮脇畄之助氏は淡墨桜の護りの本尊として此處に堂宇を建立し観世音菩薩を祀ることを決意した次第です。
本尊は大正元年の暴風雨の際折損した淡墨桜を以て郡内七郷村(現在岐阜市)辻寿山氏に彫刻させたものであり、堂宇は本村大井西の谷の天然木を用い又幾多の御喜拾を仰ぎ大正12年5月18日に盛大な開眼供養が挙行され今日に至ったのであります。
天下の名木淡墨櫻を中心公園化の構想を持ったのも此の頃と同氏の記録に有ります。
  2017・4・9谷ク汲山 089-3t
名残惜しい「淡墨桜」ともお別れして、「お姥様の水」を探しにR157号を北上、案外早く見つかり
  2017・4・9谷ク汲山 090-3u
国道沿いに、看板も
  2017・4・9谷ク汲山 091-3i
名水「お姥様の水」の伝承
 今を去る約1500年の昔、大男迹王は皇位継承による迫害に遭い、生後50日の幼少の身で従者に護られ尾張より美濃路に入られ此の神所付近に仮住いされたと伝承されています。
 天皇に供奉された「おなみ」と申される姥は心優しく村人を教導され、又お産の手助けもされて村人に慕われ尊敬されました。
 大男迹王は第26代継体天皇として御即位の為、姥は天皇と共に都へ上がられた後、此の姥をお祭申し上げたのが姥ヶ神社であると伝えられています。
 この神社の下より湧き出る水は昔より涸れる事なく、又お姥様の「安産の水」とも言われて有名な清水であります。
 渾々と湧出る霊水は、岐阜県の名水100選(昭和61年)に指定されております。
                        本巣市
階段を降りて行くと「姥ヶ神社」が
  2017・4・9谷ク汲山 095-3a
その下へ
  2017・4・9谷ク汲山 094-3s
降りて行くと「お姥様の水」の湧水池が
  2017・4・9谷ク汲山 096-3d
車で降りて行こうとするも狭く、道が田圃の方へつながっていたのでそちらから上がって行く事にして、野良仕事をしているオジサンに道を尋ねると、「その水なら、墓地の横までパイプで来ているでぇ」と、そこへ行く道を教えてもらい行く事に
  2017・4・9谷ク汲山 099-3g
墓地は在ったものの、その横に煙突のたった小屋が・・・・どうも火葬場の雰囲気が・・・田舎では未だにこのような簡易火葬場が有るそうだ。あまり気持のよい場所ではなかったが、ちょうど地元の方が水汲みに来られ
 2017・4・9谷ク汲山 092-3f
その方曰く、これでご飯やお茶を飲むと美味いとか・・・3日に一度は汲みに来るという事で、期待をそそられながら残りのペットボトルに水を注ぎ、親父さんにお礼と何がしかの小銭を賽銭箱に入れて帰宅の途に着きました。

「お姥様の水」の水評価は、見事に期待を裏切られてしまい、軟水の普通の水に吾輩は思えた。
独断と偏見の水評価は
strong>(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vですた。
詳しい場所は


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