NO322:垂水神社の「垂水の瀧」

今回は大阪に、それも大都会の中に行ってきました。内心は人口密集地は嫌いなんですけど(>_<)
・・・との思いで出発。今回は手軽に行ける場所を選んで実行したというところでした。
「垂水神社」は吹田市にあることから、吹田市の見どころを探っていたら万博公園が吹田市であることが分かった。
テレビで、太陽の塔の中に入り顔の辺まで登れると聞いていたので、とりあえず万博公園に行ってから「垂水神社」に行くことにした。
中国自動車道で吹田ジャンクションまで行き(いつも通っている場所で、万博遊園地が横にあると思いながら通っていたのだが・・・吹田市と万博公園が結びつかなかった。不覚であった)そこから公園内にある駐車場へ
駐車場へはいると、コロナのせいか駐車場もがら空き、降りてふと見るとカラスが車の後ろのほうにいて逃げない

カメラを構えると、うまく撮ってくれとと言わんばかりにポーズをとり

人懐っこいカラスである。しかしながら、近づくと、トントントンと跳ね上がり一定の間隔を保って止まっている。よ~く見ると

何かを加えている。どうも木の実をとってきてゆっくり駐車場で食べようとしていたのかも(*´v`)太陽の塔へ向かって

歩いていくと、池がありその中に水の上をスワニーの船が

お祭り広場だったと思いますが、そこで車のイベントらしきものをやっている様子

面白そうなので見ていくことにした。
イベントをやってるのは三菱自動車、吾輩も乗っていたので大きな声で言えないが、欠陥自動車もとい欠陥会社である。今ではイロイロと改善されているのか知れないが、現実いまだ何十年たっても言われる大きな過ちであり、死ななくてもよい人までなくなったりしている。吾輩はパジェロに乗っていた関係で、この間三菱自動車の改善策を見ていたが、どうも表面的な綺麗ごとを並べる内容で終始していた様に思う。その結果、二度三度とユザーを欺く内容の報道がなされていた。現在はあまりマスコミをにぎわせなくなったので、少しは改善されているのだろうが、乗っていたものとして「ユーザー目線に立った車造り」をしてほしいものである。
それはさておき、イベントを見ていると、イベント参加者を載せての体験会のようである。それでは順次案内いたします。

まずはキャンバー走行、車のよじれのボディー剛性の体感

階段走行の登りかけ

登りきるところ

モーグル走行、窪みのある地形を模して四輪のタイヤが接地するサスペンションのストロークの長さを体験、ちょいと写真では分かり難いです。
そして、最後に45度の坂道体験
ゆゅくりと助走

二輪駆動の場合、この場所ではスピードを出さなければ次にいけないが、四輪駆動の場合はゆっくりでも登れる体験

普通ここでスリップすると登れない

体験はしていないが、この辺でもシートに体が押さえつけるらしい?

の墓域ったところでは、空しか見えないらしい。運転手に身を任せるしか仕方がないそうだ((+_+))
ということで、三菱の4WDのすごさの宣伝でした~・・・おわり
他には、お子様相手のショーを

吾輩はこの横の階段を昇委太陽の塔のほうへ移動
当日も、コロナウイルスの感染はニュースで言われていたので塔の中の密閉状態の中に入るのは不安があったが、アル面それを上回る上りたい気持ちが打ち勝ち

太陽の塔の裏に入り口が

ここから入って行くようで

スロープになっており、車椅子やお年寄りに優しい作りとなっていた。ついてみると

ガラス窓に「本日の当日券は完売しました」の張り紙・・・(T_T)
諦めきれず、入り口から中の様子

というわけで、ここまで
で、正面から太陽の塔を撮りに

今やみんなスマホで撮影、我が輩は「相方さん」に送るためにガラケーでパチリ

こちらは、モノレールからの入場者なのか橋を渡って多くの人がぞろぞろと

というわけで、万博記念公園から目的地へ移動。着いたところは

「垂水神社」に着いた所。

周りはビル・ビル・ビル・・・
「垂水の瀧」という名水から、こんな都会の中でどんな滝が存在するのか楽しみで境内に入って行った。

一風変わった鳥居「対の石柱にしめ縄が飾られており、どのような意味合いがあるのか?

式内大社 垂水神社御由緒
当社は延喜式内大社にて、第十代崇神天皇の第一皇子にに当たらせられる、豊城入彦命を主祭神として仰ぎ奉り相殿に大巳
貴尊少彦名尊の神々を奉齊する社である。
新撰姓氏録右京皇別によれば、「孝徳天皇の御宇天下旱魃し河井涸絶せるに際し豊城入彦命の數世の御孫阿利眞公 高樋をつくりて 垂水基岡の水を長柄豊佐碕宮に通じ御膳に供すれば天皇その功を賞し垂水公の姓を賜いて本社を掌らしめ給えり」とある
これより この地方を垂水とよぶようになる
山頂には弥生式住居跡が數基埋蔵されていることからしても垂水氏はそれ以前よりこの地に祖神を祀り御神徳を輝かしめ一大勢力を保っていたと考えられる
以上まだ和歌も書いてあるが力尽きここまでで終わりとします。

由緒ある神社らしく古木も、そして整備された石段を

を上り詰めた広場に

立派な本殿が鎮座していた。
2020年4月5日
話はチョイと変更させて戴きます。
今年に入り、コロナウイルスの問題で日本国内騒然としています。
ダイヤモンドプリンセスでのコロナウイルス伝染病の件の問題、我が輩は持論としてコロナウイルス伝染病の伝染がどのような形態で行われているのが明確で無いときに、船内に発病容疑者と健常者を長期間とどめ置くことに疑念を呈し、常日頃相方さんと話をするときに言っていました。我が輩は、一日も早く上陸させて、健常者と容疑者と感染者と分けて二週間様子を見るべき事が感染者を増やさない最大の方法ではないか・・・な、と、しかしおそらく安部総理が決断したであろう?この事を替えるべくもなくにっちもさっちもいかなくなるまで置いておいた結果、多くの人々に感染をしていきました。ダイヤモンドプリンセスが寄港したときに、感染者の大部分の人はかかっていたかもしれませんが、我が輩は、そうでは無く待機していたときに感染が増えていった野では無いかと考えています。
その後、大阪のバスの運転手、屋形船でのタクシーの運転手等々が国内でコロナウイルスに感染が拡大して行っている時にも、容疑者の検査をいち早くしていき、軽傷者は、ホテル旅館の閑古鳥が鳴いている所を借り受けて隔離することが感染を増やさない方法であると話していた。しかし、マスコミから伝わってくる内容では、医療崩壊を起こさないために、確実な容疑者だけを検査するという手法をとっていた。医師の間では一刻も早く検査態勢を増やしてほしいという深刻な問題を提案され続けて板が、安倍内閣は、体制を整えると言いながら画期的に検査を増やす事はしなかった。その結果現在の東京になってきているのでは無かろうか。
それも東京オリンピックが延期となるやいなや、急激に感染者数が増えていった・・・このことを見ると「オリンピックを開催したいが為に、検査を控えていた」という凝った見方が出てくるのである。
我が輩は、容疑者全員を一刻も早く検査する事により、感染者が日常生活の中での他人との接触により感染を広げていくという「単純判りきったこと」をなぜしないのか、今だもって不思議である。
そんな折、次のような記事を読みましたのでお知らせしておきます。IWJ OFFICE
■はじめに~だからいわんこっちゃない!世界から、真っ先に同盟国・米国から不信を突きつけられた検査過少の日本! 米大使館が「日本政府はコロナ感染を広く検査しないと決定」したため「有病率の正確な評価困難」と、米市民に帰国呼びかけ!! 誰が、いつ、「検査しないと決定」!? 「国民全員のPCR検査は不要」主張してきた「有識者」は誰か!? その責任は!?
おはようございます。IWJ編集部です。
4月3日、在日米国大使館はホームページで、感染拡大を受けて、日本滞在中の米国人に即時帰国を呼びかけるとともに、感染について「日本政府が広く検査しないと決定したため」「有病率を正確に評価することは困難」であるとの見解を示しました。
※HealthAlert ? U.S. Embassy Tokyo (April 3, 2020)(在日米国大使館HP、2020年4月3日)
https://jp.usembassy.gov/health-alert-us-embassy-tokyo-april3-2020/?fbclid=IwAR2HAX0EUlmLaNwcmh4C_oajbqo8qJFsIxEk8HZg0xdwkNqLxg2owKNHE68
※米大使館、日本の感染「正確な把握困難」 帰国呼びかけ(朝日新聞、2020年4月4日)
https://digital.asahi.com/articles/ASN441BS7N43UHBI03D.html
この米国大使館の見解は、「健康アラート(警報)」と題して、英文のページだけに掲載されました。
同ページでは、「日本では過去72時間で650人以上が陽性反応を示し、1日あたり約200名増加。4月2日は過去最大に増加した」として、米国に帰国を検討している米国市民は「即時の帰国を手配する必要がある」と促しました。
その背景として、欧米の例と比較すると「日本で報告されたCOVID-19(新型コロナウイルス)の数は低いまま」であり、「広く検査しないという日本政府の決定」は「COVID-19有病率を正確に評価することを困難する」としています。
そのため、「症例が急増した場合、既往症のある米国市民は、COVID-19の大流行以前に、日本で慣れ親しんだ医療を受けられない可能性がある」と警告。
さらに、日本から米国への航空便が3日にはコロナ以前の11%に減少し、日本の入国規制によってさらに減少する可能性があると伝えています。
この「警報」の中で、特に問題なのは、日本政府がコロナ感染を「広く検査しない」と「決定」したとしている点です。
これまでも、日本の検査数が少ないことは国内外から大きな批判を浴びており、安倍総理も記者会見で「確かに少ない」と回答。批判に対して、厚生労働省は「検査能力を増やす」と言い続けてきました。検査数を抑えると「決定」したことは、少なくとも「表向き」にはないはずです。
にもかかわらず、米国大使館の「警報」は、日本政府の「表向き」の宣伝とは、完全に正反対の「事実」を語っています。たしかに「検査能力」と「検査数」は違います。「検査数」はほとんど増えていません。日本政府の誰が、いつ、検査数を抑えると「決定」し、米国に伝えたのでしょうか? それが事実であるなら、その「決定」はなぜ、日本国内では報道されないのでしょうか? 事実に反するなら、日本政府は米国大使館に抗議し、訂正を求めないのでしょうか?
この重大な疑問を抱いて、厚生労働省、外務省、内閣府、米国大使館に電話取材を試みましたが、いずれも土曜のため応答はありませんでした。この取材は、週明けに続ける予定です。
しかし、米国政府が日本の検査数の過少を明確に批判したことは事実です。これに対して日本政府は、米国政府に対し、そして国民に対してどうこたえるのでしょうか。
日本で「国民全員に対するPCR検査は不要だ」と主張してきた「有識者」の面々も、その言説の責任を問われます。
元大阪市長で弁護士の橋下徹氏は、テレビ番組や自身のツイッターを通して「全員PCR検査は必要ない」と繰り返し主張してきました。
橋下氏は2月29日に出演した関西テレビ「胸いっぱいサミット!」において、「PCRも重症化するような人を見つける為に必要で、一般の人がPCRをどんどんやる必要はないんですよ」と持論を展開。「はっきり言って10歳から40歳くらいの元気な人は、普通の風邪のような感じで家で寝とけって政府がバシっと言えばいいんですよ」と切り捨てました。
※橋下徹氏「10~40歳の元気な人は家で寝とけ」“全員PCR検査”は不要(サンスポ、2020年2月29日)
https://www.sanspo.com/geino/news/20200229/geo20022917280021-n1.html
また、橋下氏は自身のツイッターでも同様の持論を展開。3月17日には、WHOのテドロス事務局長が「すべての国に訴えたい。検査、検査、検査だ。疑わしい例すべてに対してだ」と述べたことに対して、「WHOはほんとダメだな」とした上で以下のようにツイートしました。
「無症状者・軽傷者(原文ママ)を入院させず、彼ら彼女らの濃厚接触者調査を止める法制度を整備し、無症状者・軽傷者(原文ママ)が病院に来ても自宅に帰せる応諾義務免除制度や自宅隔離の制度を整え、陽性者に対する何らかの治療法・治療薬が確立してから、検査!検査!検査!だ」。
※橋下徹氏 ツイッター(2020年3月17日)
https://twitter.com/hashimoto_lo/status/1239769633504149506
橋下氏は、無症状(感染者)、軽症者、重症者を最初から峻別していますが、表に出ている症状では、コロナ陽性か陰性かは判別できません。対応に区別をつけるといっても、その区別をつけるために検査が必要なのです。根本から、論理が間違っていると言わざるをえません。
さらに、「安倍応援団」とも揶揄される経済評論家・上念司氏も「全員PCR検査」不要論を展開していました。
上念氏は、自身が出演したDHCテレビのネット番組『真相深入り!虎ノ門ニュース』や、自身のYouTubeチャンネルで以下のように発言していました。
「PCR検査をやりまくったイタリアや韓国は医療崩壊。PCRは偽陽性が高いので全員にやる物でない。大量の偽陽性者を隔離したら重傷者のケア出来なくなる」。
※緊急動画:孫正義さんお願いします。その「やりましょう」だけはやめてください、マスクを作ってください。新型コロナウイルスで医療崩壊を起こします(YouTube:上念司チャンネル ニュースの虎側、2020年3月11日)https://youtu.be/IMZSSfE8C9E
さらに上念氏は、「有識者」として各局の番組に出演し、PCR検査の拡大を訴えていた大谷義夫医師(池袋大谷クリニック院長)、上昌広医師(医療ガバナンス研究所理事長)、岡田晴恵教授(白鴎大学)を「デマトリオ」呼ばわりし、以下のようにツイートしました。
「テレビが煽ったパニックで実際にトイレットペーパーが不足するとか実害蒙りました。政府がテレビの煽りに負けて大規模なPCR検査実施してたら、医療崩壊して多くの人が死んでたことでしょう。安倍政権はよく頑張った。国民の命を守りましたね。ただ、経済でも人死にますから、そっちにも対策を!!」
※上念司氏 ツイッター(2020年3月17日)
https://twitter.com/smith796000/status/1239724712017530881
一方、岩上安身は早くからPCR検査の拡大を訴えてきました。
「国は、行政検査の縛りを外し、民間の力を最大限借りて、国民が全員、速やかにこのコロナ検査を受けられるようにすべきだ。一度陰性が出ても、そのあと陽性になる人が続出している。感染の機会は日常のいたるところに転がっているのだから、国民が複数回受検できるようにするのは当然だ」。
※岩上安身 ツイッター(2020年2月25日)
https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/1232270609624621061
「恐れていたことが起きた。ここまで感染が広がる前に、兆候が見えた早期の段階で検査が行われないことが最大の問題。今日の会見でも検査の質問が出たが、安倍総理の回答は「専門家に聞いた」といいつつ、曖昧な回答に終始。結局、検査を拡大する、と言いきることはなかった。過少検査が続くのだろう」。
※岩上安身 ツイッター(2020年3月28日)
https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/1243876516217282560
岩上安身は、PCR検査の拡大を訴えてきた上昌広医師にインタビューを行っています。こちらも合わせてご覧ください。
※パンデミック前夜!? 日本人の間で感染爆発!? 2月13日からフェイズが変わった!「不要な」水際対策で「ダイヤモンド・プリンセス」が犠牲に!~岩上安身によるインタビュー 第983回 ゲスト 医療ガバナンス研究所理事長・上昌広氏 2020.2.16
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/467819
また、米国大使館が米国市民に帰国を促した現在、思い出されるのは、2011年3月の東日本大震災が起こった際に、米国務省が米政府関係者の国外退避のためにチャーター機を用意したことをはじめ、日本在住の外国人に、日本脱出の動きが早々に起こったことです。
※外国人「日本脱出」の動き拡大 米は政府関係者家族 ドイツは大使館機能を大阪に(日本経済新聞、2011/3/18付)
nikkei.com/article/DGXNASGM1701X_X10C11A3FF8000/
今回の米国大使館による帰国の呼びかけは、これらに匹敵する動きであり、それだけ緊急を要すると判断されています。
日本政府が検査数を増やすか増やさないかは、言うまでもなく、今後の感染拡大を阻止できるかどうかを左右する、非常に重要な問題です。米国に指摘された日本政府はどう対処するのでしょうか。
新型コロナウイルスの感染が都市部で拡大する中、厚生労働省の新型コロナクラスター対策班に所属する北海道大学の西浦博教授が「早急に欧米に近い外出制限をしなければ、爆発的な感染者の急増(オーバーシュート)を防げない」との試算をまとめました。
※「欧米に近い外出制限を」 北大教授、感染者試算で提言(日本経済新聞、2020年4月3日)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57610560T00C20A4MM0000/
※人と人との接触 8割削減で感染収束へ 専門家グループ(NHK NEWS WEB、2020年4月3日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200403/k10012366951000.html
東京では4日、新たに118人が新型コロナウイルスに感染したことが確認されました。感染経路が不明な患者が急増しており、4日に感染が確認された118人の中では、7割近くの81人が「感染経路不明」にあたります。1人の感染者から濃厚接触者を追跡して、クラスターを封じ込めるという、点と線を追うやり方では、もはや限界に来ているようです。
※東京都 新たに118人感染確認 うち81人感染経路不明 新型コロナ(NHK NEWS WEB、2020年4月4日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200404/k10012368431000.html
西浦教授は感染者数の予測を数理モデルで解析する専門家です。試算では、感染経路が不明の患者が急増している現状のまま何も対策を講じなければ、東京都の感染者は1日1000人を超え、さらに拡大する恐れがあると警鐘を鳴らしました。
西浦教授によると、3月上旬はイベントの自粛要請や休校要請によって人の往来が2割減少したといいます。しかし試算によると、2割程度の人の往来の減少では感染拡大は防げず、8割程度減少させなければ収束に向かわないとしています。そのためには、欧米各国のような、すべての人々の外出制限が必要となりそうです。
西浦教授をはじめとする厚生労働省の新型コロナクラスター対策班に所属する専門家が独自にツイッターを開設。感染の動向やデータの分析結果などを現場から分かりやすく解説・情報提供していく予定だといいます。
※新型コロナクラスター対策専門家 アカウント
https://twitter.com/ClusterJapan
なお、本日のこの日刊IWJガイドの記事の「■<新記事紹介>IWJ調査レポート!」でご紹介している、英国のインペリアル・カレッジ報告書は、英国のコロナ対応政策を、徹底した外出制限による社会隔離政策へと劇的に方向転換させた要因となったものです。ぜひ、あわせてご参照ください。西浦教授の試算の持つ重要性が、より一層ご理解いただけると思います。
話は変わり、我が町にも4月7日コロナウイルス感染者が出ました。その感染者と濃厚接触者1人が陽性と判明し合計2人になったことが発表されました。皆様も気をつけてください(^∇^)ノ
本殿の右側境内

結構広い敷地で、子供が遊べるような所です。そこに垂水神社の歴史の書いた看板がありましたので、分かり易く書いてありましたので再度書き出します。(コロナウイルスの為水くみに行けていませんので、意識的にゆ~くりと書いています)

垂水神社の歴史
弥生時代
本殿西側の後方の境内地には弥生時代の住居跡があります。昭和48年~51年に吹田教育委員会と関西大学が発掘し、典型的な高地集落であることが判明しました。この地が2000年前から人々が暮らす場所であったことがわかります。えびす社横に吹田市の立てた掲示板があります。
飛鳥~奈良時代
孝徳天皇(ご在位645~654年)の御代、この地の領主えある阿利真公(ありまのきみ)(ご祭神・豊城入彦命の子孫)が、干ばつに苦しむ難波長柄豊崎宮に懸け樋を作って当地の水を送り、その功績によって、垂水公の姓を賜り垂水神社を創設しました。
このことは「新撰姓氏録」(815年編集)の右京皇別の項に記されています。社殿西側にも現在も山から水が湧いて垂れ落ち「垂水の滝」と呼ばれています。
万葉集の志貴皇子(不明~716年)作の「いわばしる垂水の上の早萩の萌え出づる春になりにけるかも」という歌は、この滝を歌ったものといわれています。
平安~鎌倉時代
平城天皇(ご在位806~809年)の時、封戸の寄進を受けてご神領を賜りました。醍醐天皇(ご在位897~930年)のとき作られた延喜式では名神大社とされ、住吉大社などとともに祈雨を司りました。
祈雨のたびに朝廷から神階が授けられ、社格が従四位下まで上がりました。
さらに大嘗祭(天皇即位儀礼)にさきがけておこなわれたといわれる八十嶋祭(奈良時代~鎌倉時代)においても朝廷より奉幣があり、祭料布が下賜されていました。これを証明するかのように、神崎川畔の五反島遺跡から八十嶋祭に使用されたと思われる古銭(吹田市立博物館蔵)が発見されています。
室町時代
十五世紀初頭ごろの文書には、当社の燈油や神楽のための神領田の存在が記録され、これは戦国時代まで続いていました。その後、豊臣秀吉の毛利攻めの時にこのあたり一帯は兵火に見舞われ一時荒廃したと伝わっています。
江戸時代
天和三年(1683)年、本殿の造営が行われました。氏子と大阪の宮大工が取り交わした証文が神社に残っています。社殿には菊花紋と葵紋とが飾られていました。一の鳥居の建立もこの頃だ思われます。
「摂津名所図会(1796~1798年刊行)に当社について、社頭に冷泉があり、甘味で諸病に効き各地から人が求めてくると書かれています。
19世紀初頭には京都の門跡寺院、宝鏡寺宮から「垂水大明神」扁額を頂戴しました。これは自社の宝物として大切に所蔵されています。
明治~昭和
明治の廃仏毀釈によって境内西側に隣接していた裁松寺が廃寺となり、その後、不動明王をお祭りする不動社が建立されました。不動車社では現在も毎月8日に護摩炊き神事が行われています。
大正にかけて何度か社殿の修理が行われましたが、それでは維持できないほど老朽化が進んだので、氏子によって奉賛造営委員会が設立され、昭和49年(1974)年、社殿(本殿・幣殿・拝殿)の造営が行われました。昭和60年(1985)年には、末社建替・祭祀庫造営も行われています。
平成~令和
平成になると当社の鎮守の杜は、市街地では希少森林となり吹田風物百選や大阪ミュウジアム、大阪府クールスポットに選ばれています。
平成23年、境内東側の森を民間から購入した不動産業者が、本殿を見下ろすマンションの建設を計画しました、美しい森を子孫に残したい氏子崇敬者が「垂水の森を守る会」を結成し、一万三千余人の署名と奉賛金を集め、三年にわたる反対運動を展開し、神社が当核地を森のまま買い取るという形で解決に至りました。その経緯は「垂水の子孫たちへ」という記念石碑に刻まれています。
平成27年には境内の境内の北に隣接する日本生命グランドが不動産業者に売却されて宅地開発されることになりました。神社との隣接斜面地の森林部分が開発されないよう、また垂水の瀧の水脈が断たれることのないよう「垂水の森を守る会」が、粘り強く交渉を続け、平成28年11月に森林部分は開発されることなく神社に譲渡されました。
平成29年、古い木造社務所を建て替えるため奉賛建設委員会が設立され、氏子地域内外の奉賛により、令和元年5月に新社務所が竣工しました。
神様の森と滝はご神事とともに、神さまと氏子の力で昔も今も変わらず守られ、未来に受け継がれていきます。
その石碑がこれ

そして、垂水の森がこちら

ここから、森の中を参道が伸びています。
ちょいと垂水の森がどうなっているのか上がってみることに

周りは雑木林になって伸びていたが、終わりは鳥居が立っていたが

その先は

大都市近郊の住宅街でした。
周りは滝らしきものはなく、引き返して神社本堂の反対側を攻めることに

この本堂の向かって左側です。

こちらは参道のようなものが下に伸びている様子。降りていくと

石柱に「垂水の瀧・小滝・本滝」と書いてあります。その奥に小滝があるようで見てみることに
入り口には

磐座いわくら(石神)が祀ってある奥に「滝」だぁ~・・・・と思いきや

パイプから水が落ちてきている。・・・・W(`0`)W 滝と言えば滝だが・・・
小滝だからかと思い、気をとり直して少し離れた本滝へ

板塀の奥にあるようで、ここからは見えない。こちらは、板塀の手前にスリッパが置いてあり

「御滝の内側に入る際は、履き物をこちらに履き替えいち礼してお入りください」と書いてあり、我が輩も靴を脱いで履き替え

イザ滝へ・・・とその前に

垂水の瀧のイワレを頭にたたきつけてから厳かに
「孝徳天皇の時代(645~654年)干ばつにより水不足となった難波の宮まで懸け桶を通してこの水を献上しました。この功績により垂水と・・・・前に書いて置いたので割愛
で、厳かにペットボトルをもって、石組の合間を奥に入っていくとこちらからは見えないように板塀がしてあり上から水が流れ落ちていました・・・・・が

こちらも、やはりパイプから水が流れ出ていました。、その昔は湧き水が流れ落ちていたのだろうが、やはり近代化の波に飲み込まれ、裏山一帯が宅地に開発されたことにより水源が涸れたのではないかと想像しながら、それでもペットボトルに水を戴き

引き返すことに、しかし、板塀が作ってあると言うことは、信者さんが滝行をされるようになっているのかもです。この件は定かでありませんが・・・

引き返して再度靴を履き出てきました、本滝の入り口には

金網で囲った池の中には鯉が優雅に泳いでいましたが、この水を捨てるだけでは無く、二次利用されているようでした。

パイプの先にホースが惹かれていたので辿ってみると

ここに行き当たり、おそらくここに湧き水か、地下水をポンプでくみ上げた水を利用されているのではと思いながら垂水神社を後にしました。空には

4月29日、今日から巷では大型連休に入ったと、我が輩は関係ない話だが・・・(;д;)
しかし、緊急事態宣言も今では全国へ・・・と、「移さない、移らない、誰とも会わない」と「密集・密接・密閉」の三密を守る事で感染を無くしていくことが今叫ばれています。我が輩も、5月6日の緊急事態宣言が・・・判らないが、終わることに望みを持って自粛することに致しました。
読者の皆様も、くれぐれも気をつけてお過ごしください。
独断と偏見「垂水の瀧・御水」の評価は
硬水系に思える水でおいしく飲めましたが、周りに住宅街が広がっており進んでお薦めできる程ではありません
(*^_^*) (*^_^*) (*^_^*) (*^_^*)でした
詳しい場所は
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