NO318:笠形神社の霊泉(仮)
2020年明けましておめでそうございます
本年も皆様のご多幸を思いつつ、
ブログを書いてまいります。
引き続きよろしくお願い申しげます。
元旦

「笠形神社の夫婦杉」
「天邪鬼の力水」登山一週間後、登山の情報を検索していたら、笠形神社に兵庫県内の最大級の「大杉」が在ることを知り、巻きずしが買えなかったこととともに、再度ど押しても行きたい気持ちが抑えきれず、行く事に、それなら、近辺に湧水がないか検索すると、市川町側の笠形山に鹿ヶ原と言う場所があり、一面クマザサが生い茂り、そこを源流とする川内川が流れている。その川の水が伏流水となって中腹に「名水クマザサの水」が出て来ているという。今回も、三つの目的を以て出発したのでありました。
前回と同じコースで多可町八千代区まで走って来た。到着時間はAM10:30で早く到着

駐車場の三分の二ほど車が止まっていた。かれこれ10台ぐらい、雰囲気的にお客さんの流れがひと段落した様子で、交通整理員のおじさんも手持無沙汰の様子。

今回は入口には看板は出ていない・・・という事は、巻き寿司は残っている。店内に入ると質素な感じで、レジの前に「まつぶた」(丹後言葉カモ)に寿司が並べて置いてあった。吾輩は相方さんの注文もあり系5本買た。特徴としては具材に縦長のキュウリ二分の一切れが主に入った太巻きの「巻き寿司」であった。詳しくは「マイスター工房八千代」
我が家では、食べている最中に写真を撮って置くのを忘れ、食いかけ二切れをどうにか移すことができて・・・ホ(*^_^*)
と言う訳で、次の目的地「笠形神社」へ
笠形山林道を利用して行けば早いと思い、林道へ

以前クルミ谷の名水を汲みに行った時に道を尋ねた神社の綺麗な紅葉の下を通り過ぎて

笠形山登山道への分岐点を右に行かずに直進し

まさか二回も来るとは思っていなかった「クルミ谷の名水」汲み場所を通過

子授け地蔵「六本地蔵尊」の前も通り林道分岐点へ

ソコを左へ曲がり、再度分岐点を右に入り進んで行くと、山の中に地蔵尊の祠が出現。

こんな山奥になんで立派な祠が立っているのか?下りてみてみると

「林道笠形線:船越峠」と書かれた標識。昔の峠道であったもよう。現在はこの下の方に船越トンネルが開通して市川町から可多町へ行くのには、みんなそちらを利用している。さらに林道を進んで行くと

寺家集落が出てきた。この集落も笠形山の登山口の一つである

ここから笠形寺へ向けて車で行ける予定なので、そのまま進んで行くことに。

石の鳥居が見えてきたが、笠形寺があるはずなのだが

笠形神社の境内を知らせる石柱、笠形寺までは車で行けるはずと

織の中に入り進んで行くと

笠形神社の出張祠が横に在る。本殿は笠形山の中腹、参拝するのが大変なので下まで御神体を下ろしてきているのでは?と思いつつ上がって行くと

笠形寺の庫裡らしき建物、住職がおられるかどうか定かではなかったが、車を止めてその上に登って行くと鐘が無い鐘楼が寂しくお迎え

笠形寺の立派な本堂、後すがた

表すがた

石段の看板には、
笠形寺・蔵王堂 市川町指定重要文化財
絹本箸色不動明王 木造兜跋毘沙門天像 木造不動明王 木造聖観音立像 笠形寺の鬼面
塔が指定されているのだが、ここに有るかどうかは分からない

蔵王堂の裏から笠形神社へ行くのかと歩いて行くと、杉木立の間から砂防ダムが見えてきた。これなら工事車両が通った道が有るはずと、引き返し車で探してみると

上がって来るときは意識がなかった分かれ道が出てきたので、笠形寺は右へ、砂防ダムは直進へと車を乗り入れ行けるところまで参道を登って行った、途中ハイカー2人ずれの方が下りてこられたが、地蔵さんのそばに立てて在った標識には神社まで30分、車では?

で通り過ぎ

笠形神社まで15分のところに、八角堂と言う名の休憩場所で車も終点となった。

そこからは、参道と言うより登山道の様相に道もなってきた。笠形山の登山マップ

笠形神社まで400mで15分の道のりをヒーハァー、ヒーハァーと登って行くと登山をして降りてこられた初老の夫婦、笠形神社までの道のりを尋ねてみると、もう少しとの事、心臓の鼓動が波打つのを我慢しながらさらに登って行くと、

神社まであともうすこしの案内板が出てきた。目の前が開けてきた思いで上がって行くと

杉林の間から建物が見えてきた。やったーと心の中で叫んで、一人で登る寂しさが吹っ飛んだ。

拝殿であった。

笠形神社拝殿
五間四方 入母屋造 銅版葺き
彫刻としては、向拝と木鼻の麒麟・松に鶴・雲に天人・雲に鳳凰など、とくに精妙華麗です。
笠形寺の本堂を明治初期に拝殿に転用しました。
拝殿の一段後ろ上に構えていたのは

中宮

笠形神社中宮:三間二面・春日造・銅版葺き
祭神は須佐男之大神、大年神、迩迩芸命
彫刻としては、向拝の雲と麒麟・木鼻の獅子・脇障子の熊と天人などが見事です。
彫刻師は中井権次橘正貞、久須真助正美、中井清次良正用です。
そして、本堂との間の境内には

姫路城心柱跡が記念に残してありました。

笠形神社の御神木が国宝姫路城を支えています
昭和34年(1959)、御神木の大ヒノキがここから切り出され、姫路城へ運ばれていきました。
姫路城ではぁ飽和31年(191956)に大天守の解体修理が始まり、東西2本の心柱の内西側の柱を交換することになりました。
新しい心柱は、木曾産のヒノキと笠形神社の御神木のヒノキを継いで仕上げてあり、継いだ部分は大天守の3階で見ることができます。この切り株の模型は、当時の資料に基づいてその大きさを再現したものです。
平成24年3月 制作 市川町観光協会
写真左上:笠形山の御神木であった大ヒノキの立ち姿。写っている人々がとても小さく見える。切ろうとした時、激しい雷雨に見まわれたという。神罰だったのか、それとも祝福だったのか・・・。
写真左二段目:切り倒された大ヒノキは、全長42m、周囲4mあった。下部に鬆(す)が入っていたため取り除かれ14mに玉切にして運んだ。
写真三段目:笠形神社鳥居前にて、トラックに乗せられた。
写真その右:道中、多くの人に見送られ、祝いのお酒がたくさん振りかけられたという。
写真下段三列目:旧姫路市役所へ到着し、祝い曳きが始まるのを待つ大ヒノキ。
写真右側四段目:国鉄甘地駅。姫路での祝い曳きを見るために、(列車を待つ人たち?)
写真右三段目:姫路、大手前通りでの祝い曳の様子。当日は雨だった。
写真右二段目:姫路城の大手門をくぐる、大ヒノキ。この時、雨が止んだという。
写真右一段目:三の丸広場を進む大ヒノキ。写真右手奥に、素屋根に覆われた大天守が見える。
御神木が切られたときに植えられたであろうヒノキも大きく育っています。
そして、境内中宮の奥に本殿が見えます。

こちらが正面の笠形神社本殿です

市川町指定重要文化財
笠形神社 本殿
三間 二間 春日造 銅版葺き
祭神:大奈牟知命 磐戸別大神 菅原道真
彫刻としては、向拝の龍、木鼻の獏、欄間の雲に鶴、脇障子の獅子の滝落しなどが見事です。
彫刻氏は丹波柏原町の久須善兵衛政精、中井丈五郎正忠、中井丈吉です。
市川町教育委員会

そして、もうひとつ大木「笠形夫婦杉」は杉林の中にひっそりと、その巨木は包み込まれでいた。一見「オー」と言うような大きな杉には見えなかったが、近づいてみれば

市川町指定天然記念物「笠形夫婦杉」
高さ約50m、目通し、周囲約9,5mの杉で、現在、笠形神社の御神木となっています。境内周辺の杉や檜などの大木とともに、昔ながらの面影を今に伝えています。樹齢は約850年を超えるといわれており、兵庫県内でも屈指の巨樹・古木とされています。
大小二本の杉が寄り添い仲睦まじく佇んでいることから、いつの頃からか夫婦杉と呼ばれるようになりました。この夫婦杉に願いを込めることにより、夫婦相和しいつまでも仲良く暮らしていくことができるとされています。
空模様も心配になり、夫婦杉に「願いを込めて」後にすることにした。来るときは登ることで分からなかった大木が、帰りの余裕の中で発見しながら

名前は知らないがこんな木のこぶも、

そして、来られた登山客には

・・・と、周りを散策しながら車の所に降りて来て

何となく茂みの方を見てみると、パイプの中から水が流れ出て来ているような感じが・・・もしや・・・と、そちらの方に行ってみると

湧き水が出ているではないか!!・・・新たに発~見(^_^)v
さっそく入れ物を持ってきて

無事入れ終えて、今日の予定であった「クマザサの水」は次回に行く事にして、帰宅することにした。

ここにも「クリン草」を守る取り組みがなされている。

そうして里の村へと無事降りてこれました。この近辺にはこんな看板も

棚田の里:笠形山の麓にある棚田の風景です。澄んだ空気と、清流に恵まれたこの田は先祖から受け継いだ大切な棚田です。
たくさんの収穫は出来ませんが、一粒一粒に手間と苦労が詰まった、とてもおいしい自慢のお米がみのります。
上牛尾区
そして、最後のとどめ

「笠形神社の霊泉」(仮)の独断と偏見の水評価は
軟水のような水で、コーヒーを淹れて飲むとのど越しが良い水であった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は
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