NO279:岩間寺の「雷神霊泉」

つづき、受付の管理人さんいわく、「雷神霊泉」も今は出ていない。台風で山が崩れでなくなったとか、途中に在った「地蔵湧水」もそのときから出が悪くなったとの事。
入山料も払った後に聞いたので、岩間寺におまいりする事に、

この下の方に、以前出ていたという「雷神霊泉」が在るらしい、と歩きながら帰り寄ってみるかと、

本堂へ向かって歩いていると、まず目に入ったのが「ぼけ封じ観音」と鐘楼
その中に、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場めぐりの看板も

吾輩はもう少し時間の余裕がありそうなのでパス、そして、次に目に入っ多あらたかな石堂。「白姫竜神」


白姫(白山比咩)龍神
開山泰澄大師が加賀の白山で修業中白馬に乗った美女に会って尋ねられると「余は白山妙理大権現である。」と言われありがたく感じた。大師は当岩間山に白姫龍を勧請された。
女人がこの神を崇めると美女になるという伝承されている。
岩間山 正法寺
との事、相方さんを連れてくるのだった。と、悔やんでみたが、厚かましいと・・・聞こえて来そうであった。
そして、岩間寺には仁王門が無いので近代的な

仁王像のお出迎え、そして、岩間寺の縁起

岩間山 正法寺(通称 岩間寺)
宗派 真言宗
本尊 秘仏千手観世音菩薩立像
ご詠歌 みなかみは いづくなるらん いわまてら
きしうつなみは まつかぜのおと
創建は、養老6年(722)越前の生まれの泰澄大師が、時の女帝元正天皇(第44代)の三十三歳の厄年の際のご病気を自らの法力により治されたほうびに勅命により建立したことにはじまる。西国33所観音霊場第12番ぼけ封じ十楽観音霊場第4番である。
御本尊は泰澄大師が当地の桂の木より千手陀羅尼を感得し、自らその木で千手観音を刻み、胎内佛として元正天皇より賜った千手観音を込めたという。
現在の御本尊は、その元正天皇の御念事佛、千手観音立像で、御丈4寸8分(約15センチメートル)、三国伝来のエンブダゴン(印度エンブ川より採れる砂金)金銅佛で『通称汗かき観音』『雷除観音』『厄除け観音』と呼ばれている。
寺伝によれば、汗かき観音とは、御本尊は日没と共に御厨子を抜けだされ、毎夜136地獄をかけめぐり、苦しむ衆生を済度し、明け方お帰りになられた時には汗びっしょりになられていることに由来する。
また、大師が七堂伽藍建立の際、度々雷が落ち、堂宇をことごとく焼失した。困り果てた大師は、自らの法力で雷を捕らえ、佛弟子にしたところ、雷は大師に二つの約束をした。すなわち、当山へお参りする善男善女には雷の難を及ぼさないこと、岩間山に先年万古つきることのない水を湧かせることの二つである。これが、『雷除観音』と呼ばれる由来で、毎年春に行われる雷神祭には多くの参詣者で賑わう。
境内には、雷自らの爪で掘ったという「雷神爪堀の霊泉』があり、現在も絶えることなく豊かな水をたたえており、その霊泉には元正天皇御製の
湧き出づる 岩間の水は いつまでも
つきせぬ法の み佛のかげ
が伝えられている。
往昔は、後白河帝、後宇多帝、正親町帝等の歴代天皇の尊崇篤く、日本三霊場の一つとして隆盛していた。
ふむふむ、読んでみてやはり水は枯れていると言われても、古来から絶えることなく出ていた現場を見ておかなければとの思いが一層強く湧いてきた。
そう言えば、駐車場の管理人さんが本堂で霊泉を販売しているとの事であった。
さらに歩いて行くと、こんな石柱が

左 石山観音堂 38丁(約109m×38=41,42kmでマラソンで走る42、195kmに近い)、今でこそ車でスイスイと来れるが、昔の人は山道でもあり、一日仕事であったであろう(*_*;

本堂が近い雰囲気が見えてきた。右に見えるのは信者さんの集会所、その奥の左に

かっこいいお堂「大師堂」おそらく泰澄大師がまつってあるのだろう。撮影禁止の張り紙が無いので、恐るおそる

ズームでパチリと、その奥に

稲妻龍王社:稲妻龍王は当山護法善神でこの銀杏の大樹に住む、よく水を司り雷難火難を除き大魔から護り給う 岩間寺
だそうです。その後ろに見えるのが「不動堂」

こちらも、パチリと拡大。

そして、「不動堂」のイワレは

不動堂は、寛政、・文化・昭和年間に再建を繰り返しているが、虫害ひどく、現不動堂は平成5年に再建。
○不動明王・二童子(せいたか・こんから)像(平安中期・重文)
不動明王は、大日如来の使者または、大日如来が教化し難い衆生を救うために恐ろしい姿をとる。“教令輪身”であり、二大童子は、不動明王の使者八大童子の一つで、こんから童子は慈悲の化現で小心随順する意、せいたか童子は、こんから童子と共に不動明王の化身で、方便心行を司る。
○薬師如来坐像(藤原期・市重文)
○阿弥陀如来坐像(藤原期)
との事、あまりにも達筆な文字のため間違いがあるカモ(?_?)
そして本堂がこちら

こちらも拡大

・・・と写した後で、賽銭箱の後方下の方に撮影禁止・・・と、手遅れであった。
こちらは、長年の風雪にさらされ文字がかすれ読み取りにくく、内容的には岩間寺の縁起と同じだと思うのでパスさせて頂きますネ。
御霊木の由来
養老6年(722年)泰澄大師が元正天皇の勅を奉じて霊地を求めこの地に行脚された時傍らの桂の大樹内より千手陀羅尼経が聞こえた。そこで、その霊木を以て千手勧世音 吉祥天 婆蘇仙の三尊を刻まれ、その胎内に天皇の御念持佛を納め本尊と為し当山を開創されたと伝えられる
現存するこの桂は、その子孫に当る。
夫婦桂:第二室戸台風で二代目が倒れ時に残った、ひこばえて(切りかぶから出た芽)三代目霊木
それ以外にも境内には、西国三十三所観音堂、芭蕉の池等が在りますが、カメラに映ってませんでした。((+_+))
「古池や 蛙飛び込む 水の音」は、その池で詠んだと言われている。
その本堂で買った「ご霊水」がこちらである。

この「ご霊水」、NO265で書いた、岩間山の麓にある桜峠にほど近い「岩深水」のミネラルウォーターを製造する会社に委託されているとの事、岩間山の麓にある事から、「雷神霊泉」と同じと考えて良いのだろう。そこの社長さん、最近頓に話題になっている「ボランティアおじさん」ではないけれど、災害あれば自社の水をトラックに詰め込み現場にいち早く持って行かれるというボランティア精神旺盛な方らしい。岩間寺もその方を応援されて、「ご霊水」を委託されているという話を、駐車場の管理人さんから聞いたのである。この水かこの水で美味しい水であるが・・・
元来た道を引き返し、白姫竜神の石碑の後ろから

「雷神霊泉」へ行く通路があり、こちらから降りて行くと

さらに進むと

そして、小屋らしきものが見えてきた

そして下の方に池も見えてきた。

お堂に近づきパチリと

やはり、山が荒れてお堂も荒れ放題の様子、が横には

雷神霊泉 元正天皇 御製
わきいづる 岩間の水は い津までも つきせぬ法の み佛の影
で、どこか水が漏れてないかいな~と、周りを見回してみた。
・・・と、足元の斜面から
水が出て来ている

出ているのが判るかな~・・・この写真は水を汲んでから写したもの
で、このようなときにリックに入れてくる三種の神器(片手鍋・漏斗・ペットボトル)を取出し、しょんべん程の水量を根気よく片手鍋で受け取り、ペットボトルをいっぱいにするのに5分以上、、くたびれて1本で終りにした。まあ、地蔵湧水と合わせて2本取れたので良しとした。
カメラで当てずっぽうで出ている所を写したもの

「雷神霊泉」の独断と偏見の評価は
岩間山の「地蔵清水」と同じ飲み口で、硬水ポイ水で、こちらも見た目より美味しかった。ただ、上には境内が広がっている事から大腸菌には注意するべし!
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
場所はこちら
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