NO234:中山道・柏原宿の「白清水」

   2017,7,9柏木街道 047-2q
「子宝の水」を戴いてまだ時間に余裕があったので、二ヶ所目の「白清水」を探しに行く事にした。
その場所は、中山道・柏原宿のはずれにあるという。
柏原宿に入ると一里塚の史跡が目に入った。
   2017,7,9柏木街道 066-3w
その手前には
   2017,7,9柏木街道 065-3e
  柏原一里塚(復元)
 一里塚は、旅人の里標(みちのり)の目安・駕篭・馬の乗り賃銭の目安と旅人の休憩場所として造られた。

 慶長九年(1604)、徳川家康の命をうけ、秀忠はまず東海道と中山道・北陸道での一里塚築造に着手した。そして奉行には永井弥右衛門白元・本田佐太夫光重を任命、江戸は町年寄の樽屋藤左衛門・奈良屋市右衛門・街道沿いでは天領は代官、私領は領主に工事参加の沙汰が出された。工事現場の監督はすべて大久保長安が担当した。
 一里塚の規模は、五間(9メートル)四方に盛土して、一本又は複数本の木が植えられた。おもに榎が選ばれた。成長が早く根が深く広く張って塚が壊れにくい利点から採用された。
 柏原一里塚は、江戸日本橋からから数えて百十五番目で、柏原宿内の西見附近くに街道を挟んで北塚と、南塚があった。(両塚ともに現存しない。)
北塚は、街道沿い北側で、愛宕社参道の石段東側(現仲井町集会所)の場所にあった。
南塚は、街道を横切る接近した二筋の川のため、やむを得ず左側の川岸で街道より奥まった所に築かれた。(現在では、大幅な河川工事が行われたので、この時点の東よりの河床の位置になる。)
なお、江戸時代刊行道中記等を見ると、両塚とも三本の榎が描かれている。

そして街中に入って行くと
  2017,7,9柏木街道 055-3t
柏原宿は昔から「伊吹もぐさ」の商いが盛んな所だったそうで、街道沿いのいたる所に「やいと祭」の幟が立ててあった。 
   2017,7,9柏木街道 061-3y
訪れた時より約1ヶ月遅れの7月30日に祭は開催されているようです。
今でもモグサの商いをされているお店が「亀屋佐京商店」1軒残っているとの事です。
柏原宿は約1,5kmに亘ってほぼ直線の宿場町の面影が今でも残っていて
   2017,7,9柏木街道 053-3u
こんなモノも残っていた
   2017,7,9柏木街道 062-3i
「やくし道」道標
最澄が創立したと云う明星山明星輪寺泉明院への道しるべである。
宿内東に、同じ薬師仏を本尊とする長福寺があったので、明星山薬師道、西やくし道とも呼んだ。太平洋戦争までは、眼病に霊験ありと賑わったが、門前の明星村も消え、今は往年の面影がない。
 この道標は享保二年(1717)と古く、正面が漢文、横二面が平仮名・変体仮名を使った二つの和文体で刻まれている。
出町(小字)長沢にも、同型の道標がある。
昔の柏原宿
   2017,7,9柏木街道 043-3a
この宿場町の突き当りに「白清水」という湧水が出ていると情報元では書いてあった。ところが行ってみてもそれらしき物は見当たらない・・・・・・。
何時ものことながら地元の人に聞くのがいちばんと、柏原宿に引き返す。途中畑で作業されている80代後半ぐらいのお婆さんを見つけ尋ねる事に、お婆さん曰く「10年程前に移り住んだのでよう分らん」との事、情報元は米原市のHP必ずあるはずと、さらにしつこく尋ねると「JRの鉄橋を潜り抜けた所に、昔湧水が出ていたという所があるが、今では融雪用の地下水を汲み上げる場所に変わっている」との事、チョイト場所の位置が情報元と違うが行って見る事に
  2017,7,9柏木街道 034-3s
これをくぐるとすぐ
   2017,7,9柏木街道 035-3d
言われていた融雪用設備らしいものが在った。覗いて見ると
   2017,7,9柏木街道 033-3f
貯水槽もあったが汚く飲めたものではナイ(+o+)。どうしたものかと思案・・・・・と、設備の角を曲がった道が、柏原宿街道と並行して山手の方まで伸びていた。つまり街道の裏道の様だ、で、もう一度この道を情報元が出していた山裾まで行って見る事にした。
来るまで走ってカーブを曲がった・・・と、
   2017,7,9柏木街道 039-3f
奥から手前へ
   2017,7,9柏木街道 038-3g
曲がると左端に池らしきものをハッケ~ン(^_^)vもしやとと思い車を降りて池へ(水を汲み終えて写した写真)
  2017,7,9柏木街道 037-3g
よ~く見ると水は流れ出ている・・・という事は水が湧いて出て来ている証。
例の看板も
   2017,7,9柏木街道 036-3h
白清水(しらしょうず):古くから、白清水または玉ノ井と呼ばれています。中世の仏教説話「小栗判官照手姫」には、姫の白粉で清水が白く濁ったことから白清水と呼ばれるようになったとあります。また、伊吹山の神に打ち惑わされた日本武尊が、この水を飲んで正気づいたという伝説がのこっている場所の一つです。
『硬度12,5mg/L(軟水)』
しかし、池をよ~く見ると底には枯れ葉の堆積物やカエルも悠々自適に泳いでいたりして、汲んで帰るのをためらったが「自称、湧き水評論家」(何を評論してるんだよ~)は汲んで帰る事にした。
汲んでから思い立ったことが、おかしな場所を教えてくれたお婆さんへ「求めていた湧水が汲めたこと」を知らせとかなくっちゃあと、再度お婆さんの所へ寄り道をしたのであった。
で、お婆さんに此のことを言うと、「あ、白清水のことか」と、思い出したように言って「あそこの上に遭った地蔵さんを、家の近くに持ってきて祀ったる」といい出し、照手姫をお地蔵さんにして祀っているかもと、帰りぎわ云われたところに寄って見る事にした。
   2017,7,9柏木街道 046-3z
その横には
   2017,7,9柏木街道 051-3x
「照手姫笠掛地蔵・蘇生寺と由来記」(宗教説話、小栗判官・照手姫)
その由来記
   2017,7,9柏木街道 049-3c
照手姫笠掛地蔵と蘇生寺
 地蔵堂正面向かって右側(見出しの写真参照)、背の低い如何にも古い時代を偲ばせる石地蔵を「照手姫笠掛地蔵」と言う。
現在はここに祀られているか、元はここより東、JRの踏切を越え野瀬坂の上、神明神社鳥居東側平地(子宝の水の所ではナイ)に在った蘇生寺の本尊ということから「蘇生寺笠地蔵」ともいう。
 中世の仏教説話「小栗判官・照手姫」にまつわる伝承の地域である。常陸国(茨城県)小栗の城主小栗判官助重が毒酒のため落命の危機に逢いながらも我気阿弥(がきあみ)となり一命を取り止める。これを悲しんだ愛妾(あいしよう)照手姫は、夫助重を箱車に乗せ狂女のようになり懸命に車を引っ張ってここ野瀬まで辿りついた。そして野ざらしで路傍に佇む石地蔵を見つけ、自分の笠を掛けて一心に祈りを捧げたところ地蔵は次のお告げをしたと聞く。
  立ちかへり 見てだにゆかば 法の舟に
      のせ野が原の 契り朽ちせじ
 勇気をえた照手姫は、喜んで熊野に行き療養の甲斐あって夫助重は全快したことから再びこの地へ来たり、お礼にお寺を建て石地蔵を本尊として祀った。
 これを「蘇生寺」という。近くの長久寺(廃寺)の末寺として栄えたが慶長の兵火で焼失、その後再興されることなく石の地蔵のみ残り、「照手の笠掛地蔵」として親しまれてきた。この辺りには照手姫に関わる伝承地として道中の長久寺村に「狂女谷」が地名として残り、姫の白粉のため水が白く濁ったという、「白清水」などがある。
 以上が柏原に伝わる説話であるが、他所のそれは照手が夫と知らず供養のための車引きであり、青墓から大津までとなっている。
 この様に話は若干異なるが本筋で変わらず夫婦愛に基づき夫の車を引く照手の素朴で庶民的なここの伝承は、もっとも仏教説話に相応しい物語である。
 最近「小栗判官」と銘打って歌舞伎・演劇等上演され、且つ説教節の復活と相俟って、説話が勇名になってきた。
 美濃国青墓村(現大垣市)には照手姫にまつわる古井戸が残され、旧街道路傍には立派な五輪塔が、姫の墓として伝承されている。
 (付記)
江戸末期寛政年間(1789~1801)作図の「中山道分間延絵図」の野瀬の神明神社鳥居の東に「地蔵堂」と小さく描かれている。よってその場所を蘇生寺跡(現在、竹林)と推定される。
 この仏教説話は関東では、判官が主役であり青墓村(現、大垣市)以西では照手姫が主役をなしており、熊野湯の峰温泉、坪湯へと話は続いていく。
【参考文献】
一、中山道分間延絵図(寛政年間作図)
二、改定近江国坂田郡誌
三、皇室至宝御物
   堂内向かって背の高い地蔵由来
照手姫笠掛地蔵の本来の祭祀場所が余りにも人家から遠すぎたため、なんとか町の中へと願ったが仲々安住の地が見つからず、各所を転々とした後、昭和の初めころ現在地に定着されることになった。
 そのとき地蔵は一体であったが、、御覧の立派な背の高い地蔵が一古老から奉納され、笠掛地蔵と共に一堂に合祀されることとなった。この地蔵はみんなの安産を願って「安産地蔵」として寄進されたものと聞く。やさしい顔・立姿の美しい地蔵は庶民に好感を持って迎えられ今日に至っている。そしてこの地蔵は、小さい照手姫の笠掛地蔵を見おろすこともなく、むしろ引立役をなしている。
堂内右、自然石で作られた二体の地蔵由来
 ここより西300m、同町内に竜宝院と名乗る古刹があった。
 この寺は伊吹山弥高百坊の一つであったが天正の兵火で焼失、柏原の地へ転出して来たが昭和15年廃寺となった。残された自然石の二体の地蔵を当地が預かったものである。これで堂内がにぎやかになった。
 照手姫の笠掛地蔵の縁で年中近所の人々の供花が絶えず、八月の地蔵盆にはお供物の山で一杯になる。
おまけ:撮影mocchi
20170811umiyamahanabi-2-1q.jpg
先日与謝野町・阿蘇シーサイドパークからの花火

「白清水」の水評価は、汲んで帰って飲んだ時は「イマイチ」と思い、一緒に汲んできた「子宝の水」の方ばかり飲み、飲み終えてこちらを飲んでみると「うむ、飲めるぞ」と変わっていた。結局仁和飲んでしまった・・・が、池の底が・・・で
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所


 
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