NO213:亀岡・千手寺の「お香水(霊泉)」

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ちまたではアニメ「君の名は」で溢れ返っているが、吾輩は静かなブームとなっているアニメ「この世界の片隅に」を見に行ってきました。偶然その日に「舞台挨拶」がある事が分かり、能年玲奈(のん)が来るものとばかり思い込み、カメラを持ってイオンシネマ桂川へ、その折立ち寄った亀岡の「とこなげ山・千手寺のお香水(霊泉)」を頂きにお参りしてきました。

湧水もなくなり何処かイイとこがないかいな・・・と思いながらイロイロと情報元を探していた時、ふと昔、京都市内から帰って来るとき(その当時は、まだ縦貫道ができていなかった)亀岡市内を通りかかると、山の中腹に鳥居か山門が(どちらか忘れていた)照明で浮かび上がって、そこに続く外灯の光が点々と燈っていたのを思い出した(記憶は定かではないが)。その当時何が有るのか行ってみたい気持ちが有ったのを思い出し、亀岡付近の山腹にある社寺仏閣を探してみると、行者山の中腹に弘法大師が開山したという「とこなげ山・千手寺」がある事が判り行って見る事にした。
国道372号湯の花温泉へ行く道から入って行くのだが、我がカーナビには載っておらず、入口を見つけるのがタイヘンでした(?_?)
   亀岡、千手観音 062-1q
やっとの思いで、地図に載っていたクボタ貿易という会社が見つかり一安心(*^_^*)その先へ行くと
   亀岡、千手観音 061-1w
2K、とこなげ山千手寺 →の石柱が見つかりさらに登って行く
   亀岡、千手観音 059-1t
亀岡市内を見渡せる高台へ
    亀岡、千手観音 060-1r
その縁にはクボタ貿易の空き地が、意味心な廃棄物?を横目で見ながら
   亀岡、千手観音 058-1y
立派な石柱「獨鈷抛山千手寺」、情報元ではここからの参道狭いとの事であった。
参道に入って行くと
   亀岡、千手観音 057-1u
杉が林立する暗い中をさらに上へ
   亀岡、千手観音 054-1i
落ち葉により道幅も狭くなり、この辺りでは対向車とすれ違う広場も100mほどなく、気持ちも焦り気味で無事広場へ到着
    亀岡、千手観音 013-1o
参道の石段下の駐車場の様でしたが、傍らに
   亀岡、千手観音 052-1p
ハイキング用の標識か?千手寺→石段踊り場→左・行者山:右・奥条瑞厳寺→石段→上り口左へ参道→石段登り口直行とこなげ古道から薭田神社  これが「とこなげ古道」らしい
   亀岡、千手観音 012-1a
何時もの事で、さらに道が続いていたので行って見る事に
どうも住職家族の生活道路デス
   亀岡、千手観音 001-1l
盛りが終わったモミジの絨毯、その奥に水汲み場のような小屋が!
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オー!さては「お香水」かも?・・・と近寄って観ると
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石の水溜には何か字が掘ってあるが読めない(*_*;しかし水溜を覗いて見ると
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モミジの枯れ葉が一杯の中に湧水がチョロチョロと言うよりジャーと、情報元では石段を上がった手水舎で出ているとの事だったのでここで汲む事にして、あの石段を担いで降りなくてホッ(*^。^*)
亀岡、千手観音 008-1v
観音さんにお礼を言って本堂へ、このまま裏口から本堂へ行くか、それとも正面から攻めるか、思案した結果やはり参拝は正面から堂々と行くべきと
   亀岡、千手観音 015-1b
長い急な石段を上り、一段目を登り切った場所には
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裏口から続いている道が来ていました。さらに進めば行者山へ行くはず、ここに情報元の「お香水」が出ている手水舎がありました。
   亀岡、千手観音 021-2q
汲む気はさらさらなかったのでペットボトルは持ってこなかったが、水が出ている所を見てみると、どうも何処からかパイプで送ってきているような に・お・い がする・・・・・と自分自身に納得させようと思うのだが後ろ髪を引かれる思いで二段目の石段を上り出した。
   亀岡、千手観音 023-2w
山門に到着したが石段の関係でカメラに収まりきれなかった。素人カメラマンゆえの事で目をツブッテ頂こう\(^o^)/
  亀岡、千手観音 024-2r
門前に寺歴の書き込み
            獨鈷抛山 千手寺
 大同2年(807)弘法大師空海により開創された千手寺の縁起によると 、弘法大師が渡唐の途上、暴風雨で難破しそうになった時、観音菩薩に立願し、大望成就したならば尊像を刻すると誓い、無事唐に着きました。さらに恵果和尚から密教法儀の伝授を受けて帰朝にあたり「密教流布相応の勝地にとどまるべし」と言って独鈷杵を投げると、宙に消えました。帰朝後、奈良春日大社に参籠して独鈷の行方を尋ねたところ、春日明神が示現し、「丹波国山内荘の北峰、娑婆山の松の枝にある。道を教えるからその地に千手観音を造立せよ」と告げました。このお告げに従い大師が麓まで来ると、春日明神の使いである白鹿がこの地の松にかかっている所まで導き、谷に消えました。以後この谷を鹿谷、山号を獨鈷抛山と呼ぶようになりました。また、大師は、香木を用いて一刀三礼して千手観音を刻み、安置したことが千手寺の始まりです。
 その後、戦火により廃寺となりましたが、応永十年(1403)鎌倉建長寺の蘭渓道隆の法孫、止菴和尚が来住して、臨済宗寺院として中興されました。
 また、地元の猟師が霊場の峰に毎夜怪光が現れるのを、弧狸の仕業と疑いこれを射たところ手ごたえを感じ、翌朝血の跡をたどると矢は千手観音の左目に立っていました。
猟師は、罪を懺悔して末代まで弓矢を捨てる事を誓いました。以後この千手観音は、眼病に御利益があるとされ、四月十七日、七月十七日縁日には、多くの善男善女の参詣が絶えません。
以上、最後の項はどこかで聞いた話の内容(目と腕のちがい)と同じようでした\(^o^)/・・・三方石観音参照
情報元では、「お香水」にはホウ酸が含まれているとか?眼病にイイとか?
   亀岡、千手観音 025-2t
山門が仁王門になっていましたが、その説明では
         鐘楼門(旧愛宕大権現・白雲寺山門)
 山門は入母屋造り、桟瓦葺、一間一戸の楼門形式である。下層は、両脇塀の屋根を流し、間を造り、阿吽二躰の仁王像を安置する。又、正面三間・側面二間の上層には梵鐘を吊るし、鐘楼堂を兼ねた豪壮な造りの小楼門である。
 元来この鐘楼門は愛宕大権現・白雲寺(現京都愛宕神社)の山門であった。残されている江戸期の棟札には、天保十年(1839)六月に江州八幡(現近江八幡市)の町衆の尽力で、愛宕山において建立されたと記載されている。
 明治新政府の神仏分離政策により愛宕大権現は愛宕神社となり、仏様はすべて驪山、あるいは破却された。この鐘楼門も明治3年(1870)に千手寺へ移されることになり(尾崎家文書)、同五年(1872)三月に移築落慶法要が行われたことが、、明治期の棟札より推察される。
金剛力士像:阿形像
   亀岡、千手観音 045-2y
金剛力士像:吽形
   亀岡、千手観音 046-2u
珍しくガラスの枠で保存されているため写しにくかった。仁王門(山門)をくぐり本堂へ
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まずはお参り、
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賽銭を入れてお願い「全世界の人々に幸せを・・・とは、賽銭の金額からお願いが大きすぎるので、家内安全・商売繁盛」を念じて
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御本尊の千手観音さまも、はいパチリ・・・と、少しアップして
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手が沢山あるのが判ると思います。顔は恥ずかしいそうで総(ふさ)に御隠れになられております。
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仁王門方面の風景
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お香水が出ている方面の風景
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本堂の奥側左手に在る開基堂(弘法堂)
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開基堂改築趣意書
 当山・ 獨鈷抛山 千手寺では、傷みの激しいこの開基堂(弘法堂)を改築する事になりました。
 改築の時期は未定ですが、先人が心の安らぎと社会の平和を祈り、仏さまの教えを信じて心のよりどころとして、この獨鈷抛山 千手寺で手を合わせて来られた思いを忘れず、会い難き勝縁と受け止めてこの浄業を達成させたいと念願いたしております。つきましては、先「開基堂(弘法堂)の歴史」をご一読いただき、何とぞこの趣旨に賛同を受け賜り、浄財のご寄付を参拝の皆さまにお願い申し上げる次第です。
 備え付けの封筒によりお願いできますれば幸甚に存じます。    合掌
            獨鈷抛山 千手寺 住職・総代一同
開基堂(弘法堂)の歴史
 当山の最も古いお堂である開基堂は、開基の弘法大師像を安置おまつりしています。旧観音堂で、大正10年に現在の観音堂が建立されるまで千手観音菩薩坐像がこちらにおまつりされていました。
 ところで、このお堂は当山が臨済宗に属するようになった当時、開山の止菴和尚の時代に建てられたものと推定されます。止菴和尚は荒廃していた千手寺を再興しようと、観音堂(現開基堂)、山門(現山門は愛宕山より明治5年移築)、鐘楼(現虚空蔵堂)を次々と建立、伽藍を整えられたのです。止菴和尚が遷化されたのが応永16年6月6日、約600年前の事ですから、それから諸堂宇は600年以上の歴史を閲するわけです。何度か修復はなされてきました。古い物で、はその記録が次のように木札に記されて残っています。
1、観音修理堂再興菅沼織部正殿
    寛永15年戌寅年 霜月18日(1638年)
        堂再興大工 八左衛門
2、奉観音堂再興攸
   寛文5乙巳3月吉日  現住悦首座(1665年)
        棟花村大工久右衛門藤原重家
これらの修復後も幾度となく修理修復がなされ、現在に至っています。
   亀岡、千手観音 042-2h
こちらの堂内には弘法大師が祀られていました。
一通りの伽藍を紹介。アニメ「この世界の片隅で」の時間が迫って来ていたので山を後にした。
千手寺から降りてくると抗排水処理場施設が目に入った
    亀岡、千手観音 064-2j
なんでも近年までタングステンを採出していた大谷鉱山が有ったが鉱毒カドミュウムが農地から検出され、以後会社も倒産して亀岡市が引き継いで排水処理をしているとの事、詳しくは大谷鉱山でみて下さい。
さらに街中へ入って行くとユニークな車を発見
   亀岡、千手観音 065-2k
ナンバーからして軽自動車を改造したのだと思いますが、こんなので走っていたら目立ちすぎてハズカシーイ・・・ないのかな(?_?)
で、無事イオンシネマ桂川へ到着、そうで入場開始になったので改札口?で舞台挨拶を写しても良いかと尋ねると、事務所に問い合わせてくれたがダメとの事((+_+))
のん(能年玲奈)さんが写せると期待をしていたのだが・・・ところが
映画も終わり、いよいよ舞台挨拶になると写真撮影OKのアナウンスしめたと思った・・・が、のんさんは来ておらず監督だけの舞台挨拶。
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舞台挨拶後、パンフレットを買うとサインと握手をしてくれると・・・・・1時間以上並んでもらったのが見出しの写真です。
ところで、「この世界の片隅に」実に良かった!!!。我が人生の哲学、人間賛歌の内容であった\(^o^)/
勿論反戦アニメなのだが、それでも未来へ向かって生きてい・・・・
観に行く計画をして京都府内の劇場を探した時は桂川一館だけの上映でしたが、今や数館に増えており「君の名は」には追いつけないが多くの人達の支持を得たようである。

千手寺の「お香水(霊泉)」の水の評価は、適度なコクと、適度なマロヤカサの飲み味である非常に満足をしました。しかし、鉱山跡からカドミュウムの廃水が出ているという、でも千手寺で長年飲んでおられると思うので大丈夫だと思います。
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆でした
詳しい場所は



   

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