NO209:弁天岬大師堂の「湧泉水」

天気の良い日を狙って行ってきました、福井県の三方五湖。その海側の弁天岬の洞窟に湧水が湧いている・・・との情報をもとにレインボーラインと弁天岬を目指して・・・というのも、レインボーライン9月1日~11月31日の期間通行料金半額キャンペーン、500円+消費税(普通車)と安くなっていたこともあり計画を実行したのでありました。
若狭道の若狭三方ICで下りるのですが、その手前に三方五湖パーキングエリアが有ります。
ここのPA、上りと下りが同じ三方五湖が見える方に駐車場が作られています。
上り駐車場

下り駐車場

で、この通路で行き来できるようになっていました。

しかし、未だコンビニだけのお店、それも上り駐車場にしかありません。寂しい~
今から行く三方五湖

三方五湖の周りを観光しながら走っていると、水神公園なるものの広場に着いた。チョイト寄ってみる事に

この公園内に、おそらく水神が祀ってあるであろう立派な鳥居が

お詣りに行くと、水神様の祠が

思っていたより質素な祠でした。三方五湖の中でこの辺が海に近く、弁天岬が有るならこの辺だろうと、情報源に出ていた参道入口の写真を思い出し探すことにした。カーナビを見ると旧道が海側にある事が判り、そちらの方へ行ってみると
たしかホテルらしき横を路地が走っていた筈

雰囲気が似ている場所であった


たしか弘法大師が見つけたとか、修業をしていた場所とか書かれていたので間違いないと思いペットボトルをリュックに入れて歩いて路地に入って行った。

ホテルの屋敷の中に有るような道で申し訳なさそうに歩いて行くと、

コンクリートの標識が

ホテルの後ろはキレイな砂浜になっていた。この日は天候も最高、風景は晴天に限る(^_^)v
ホテルの関係者らしきオジサンにあいさつすると、話が弾んで、オジサンの親も難病に罹った折そこの水を飲み続け病が治ったとか、有り難い水だと説明してくれた。こちらも話を聞くと期待が膨らんできてさらに半島の先をめがけて歩いて行った。
途中参道らしく地蔵さんも

こんなんも迎えてくれました

そしてここを曲がると

それらしきものが見えてきました

ソコには

片方がお寺らしい本堂風な建物、方や佛用語で庫裡、民家風の建物、この時はマジマジと建物を見ていなかったので、関係者の住いかと思いさらに半島へ向けて進んだ。

海側の岩場には、小さな祠が祀ってありました

左の地図を見れば、この半島が弁天岬、そのの神社は「宗像神社」と呼ばれています。
この神社の云われは後程に、地学的な説明が次の通りです
*海蝕洞:波の浸食作用によりできた洞窟が海面上に露出しているものです。貫通して両側に開口したものが、海蝕洞門になります
こちらです

海蝕洞門の向こうに赤い鳥居が見えますか

目的が湧水ですから、洞窟の中に湧き出ているという水を探しにさらに進んで行くと、

弘法大師像が立っていた。この辺にあるはずだと後の山肌を探してみると小さな洞窟を見つけた

覗いてみたがそれらしきものは無く、もう少し岬の方へ行くと

扉が設置されていた大きな洞窟が見えた。近寄って扉を開けると

暗い洞窟内は

誰が書いたのか「岩屋山」という看板が置いて在った。気持ちの悪い中洞窟内を探すも湧き水らしきものは見当たらない(?_?)
扉を閉めてさらに御崎の先へ

すると、御崎の反対側の集落が見えてきた

こりゃ行き過ぎた」と思い、引き返す事にした。海では

天気が好いのでプレジャーボートも楽しそうです。で、吾輩は途方に暮れて大師堂を訪ねた。対応して下さった老婆はこちらですよと、親切に案内してくれた。

本堂と思われる入口には岩屋山の額が掛けてあります。こちらが本物でしょう
トコロがまさかの展開・・・・・大師堂の戸を開けると

この場所をどう呼ぶのか、本堂?祭壇?仏壇?・・・・・何時も見ているのだが、説明しようとすると分からない(?_?)調べてみると、どうも本堂の内陣と言うようです。そして、参拝者が座る場所を外陣と言うようです。
入った所に在りました。その左側の通路を進むと

ソコは岩屋つまり洞窟の中に入って行った。外観からは判らなかったが、本堂と洞窟が上手く合体されている様子でした。
ホテルの関係者の方が言っていた、御大師様の衣を洗ったとされる水溜が

この手前にありました。

残念ながら、この水は使えませんと書かれてあり、片方の木版に「お水はこの奥のを、お使いください」と書かれてありました。

弘法大師石像が見守る下には

やっとたどり着いた「湧泉水」有り難い水を頂きました。
本堂を後にしようとすると、三宝の上に五鈷杵

悪いところをさすれば御利益ありと書いてあり、吾輩はそれで頭をさすって大師堂を後にした。尚、当山開祖は「徳浄上人」様です
大師堂と宗像神社の云われ
太古の昔、久々子海岸の西端に位置している弁天岬の端の蛇洞に一頭の女蛇が棲んでいました。 一方、対岸の和田岬の蛇洞には男蛇が棲んでおり、互いに行き来していました。 その龍蛇が出て来て遊びまわるために度々海が荒れ、村人たちは困り果てていました。 延暦の頃、弘法大師が若狭を順錫されていたとき、たまたま久々子の地に錫を止められました。 その時、村人等の話しを聞き、一人で岬へ行き現在の大師堂内にある巌窟に立てこもり行を成された後、 蛇洞の巌頭まで行き女蛇に仏戒を授けられました。すると龍蛇はたちまち苦患を脱して昇天しました。 そこでこれを弁財天として祠におまつりされたと言います。現在境内の東の宗像神社がそれです。 以後、海上安泰・庶民福寿の守護として村人たちに大切にまつられ、 また大師禅定の洞窟には後年大師の徳を慕う人々により大師堂が建てられ今日まで広く信仰を集めています。
毎年7月中旬には3日間村をあげて盛大に弁天祭が行われており、 御神体をお神輿で村の若衆がかつぎ、船にのって海を渡り村のお仮屋に安置され、 二夜おまつりされます。 3日目はそのお神輿で村中を練り歩き、再び船で海を渡り戻され祭りが終了します。 2艘の船を合わせ5色の吹流しを幾本もなびかせ御神体が海を渡るとき、 白装束に赤はちまきの若衆が、御神体を楽しませるため次々に海に飛び込む姿は勇壮で、 優美さにもあふれる風景です。
御詠歌
『空海の 法(のり)の験(しるし)は 荒磯(あらいそ)の 龍女(りゅうにょ)も和(な)ぎて 仏となりぬ』
(美浜町観光協会、若狭美浜HPより)
で、その後通行料金が半額520円となっているレインボーラインの山頂公園へ向けて出発。走る間もなく

久々子の水が海へ出る早瀬水道が在り、そこに

水無月神社の境内には

放射能のモリタリングポストが設置されていました。『この装置は、この周辺の1時間当たりの放射能の量を連続で測定しています。測定データは美浜発電所に伝送され常時監視しています』現在は今稼働停止中です。原発がなければこんな心配もせずに良いのだが(~_~メ)
さらに進むと、三方五湖レイクサイト遊覧船(ジェットクルーズ)乗り場が出て来ました

紀伊半島の瀞峡観光に乗る船と似ています。もちろんパスして

曲がればすぐに在るかと思いきや、ちょっくら走らなければ出てこなかった料金所

サテサテここからがレインボーライン\(^o^)/まずは

日向湖、天気が好いと景色も気持ちいい~~~(^_^)v
日向料金所から上ると、第三駐車場となる。

第三駐車場からの展望、

昇るにつれて視界も開けてきました。

三方五湖のご案内
名勝三方五湖国指定:昭和12年6月15日
若狭湾国定公園指定:昭和30年6月1日
この三方五湖は、南から若狭湾へのびる三方断層にに当る古生代の山脈が沈降して形成された陥没湖であるとされています。
この湖(水月・日向・久々子・管・三方)にまたがる”虹の架け橋”ことレインボーラインの中程にそびえる梅丈岳(海抜400メートル)山頂から見下ろす若狭湾の男性的な日本海と対照に、乙女のようなロマンチックな五胡の壮大にして優雅な風光美はまさに天下の絶景であり、若狭湾国定公園の白眉となっています。
<水月湖>
五湖の内最大の周囲18キロメートル、最大水深34メートルあり、三方五湖とは瀬戸口で菅湖を通して堀切川で結ばれ、久々子湖には浦見川により、日向湖とは嵯峨トンネルでつながっている。深い海底から強い匂いのする硫化水素がわき、海水と真水が半々の汽水湖であることが特色で、湖水にはコイ、フナ、ボラ、ハセなど淡水魚がいる。
<日向湖>
元来、湖口が海とつながっている外は他の四つのどの湖にも自然にはつながっていなかったが、寛政11年に嵯峨疎水トンネル
開通して水月湖とつながったもので、周囲6キロメートル、水深は五胡中で一番深く四十メートルあり、クロダイ、ボラ、スズキ、カレイ、サバ
など海水漁が生息し、また、ハマチ、フグ、マダイの養殖もされています。
<菅湖>
水月湖と同じ汽水湖で五胡の内最小で周囲四キロメートル、水深14メートルで湖岸に自生する「ヒトモトススキ」は珍しい植物です。
<久々子湖>
南北に長い周囲八キロメートル、水深二メートルで、元来は砂州によって海とへだてられた潟湖で、満潮時には海水が逆流するので塩水湖であり、魚類もハゼ、ボラ、クロダイなどが生息しておる。寛文六年に偉大な治水の先覚者、行方久兵衛により切り開かれた浦見川水道によって結ばれている。
<三方湖>
完全淡水湖で周囲12キロメートル、水深25メートル、魚の生息に最適とされ、コイ、フナ、モロコ、エビ、ワカサギ、ウナギが生息し、この湖へ流入するハス川河口には鳥浜貝塚遺跡(縄文時代)があり、数多くの遺物が出土しており三方町郷土資料館に一部展示されています。
いよいよ山頂第一駐車場へ登って行きます

山頂駐車場につきました。

山頂公園にはリフトか簡易ケーブルで登れるようで、吾輩も登る事に

ケーブルに乗り遅れリフトで行く事に、観光バスがちょうど着いた時であったのでこの混雑ぶり、予想では閑散としているのではと思っていたが、この盛況ぶり!リフトに乗るために10分ほど並びました。

頂上についてまず目に入るのは、地元出身五木ひろしの五木の園、
手を置けば、五木ひろしの名曲「ふるさと」が流れてきました。

その奥に見える展望台へ

こちらから見た展望で~ス

右の湖が三方湖・真ん中の大きい湖が水月湖・その奥の半島の湾内が菅湖のようです。

手前左に見えている湖は日向湖・その奥に外海の手前小さく見えているのが区々子湖のようです。

山の中腹にたなびく雲イイ眺めです。そして山頂(梅丈岳)に迫ってきた雲並

海抜400mでも今回は天空の気分(*^^)v さらに反対側の展望台にも行って見る事に

こちらはイロイロと志向を凝らした設備が並んでいます
和合神社

神社前で知り合い結ばれた「仙吉とみつ」のロマンスを記念して創建、両方からお参りするそうです。
友好の鐘

その心は

縄文の響き:幸福の鐘
この鐘は(編鐘)、幸福を呼ぶ鐘として中国古鐘研究会から友好の証しとして寄贈されました。
編鐘は中国湖北省で1977年に初めて発掘され、紀元前五世紀にすでに楽器が演奏されていたことを示す歴史的発見として注目を集めたものです。
その後に陰陽の思想として確立されるに至る1つの物の中に存在する2つの力を音と結う形で表す大変珍しい鐘です。
日本における縄文時代にすでにこのような技術を有した事実に驚くと共に、2400年前の人間が社会生活に音楽を取り入れていたことに感動すら覚えます。
その音色は思想と幸福を次々にもたらしたと言われております。
すばらしい文化を保有した中国古代に、そして時を同じくして日本に在った縄文時代に思いを馳せつつ、21世紀に向け世界平和とこの地に訪れた方々に幸福をもたらす鐘となるよう願いを込め、ここに設置します。
中国湖北省博物館の貴重な文化遺産を中国で複製されました
2000年8月吉日
天狗堂

かわらけ投げ

【かわらけの由来:その昔、梅丈岳に大きな天狗がいてこの地を支配していました。天狗は剛力の持ち主で村人から大変恐れられている反面、情け深く、弱い者や困っている人の願いを良く聞いてくれたものです。ある時、村人が天狗を尋ねるとその姿が見当たりません。どこか高いところに居るのではないかと、かわらけにお酒を注ぎ空高く投げると願いが叶ったと伝えられています。】
かわらけは、土を乾燥させて作られていますので、かわらけは自然に帰ります。 との事です(*^_^*)
こちらからの展望、外海ススキとのコラボ

と言いたいところだが、写真撮るのにススキが邪魔をしているダケ
他にもイロイロと有りますので、来たことのない方は天気の良い日に来園して下さいねm(__)m
帰りはケーブルカーで帰ろうとしたが、下で止まったままでしたので

下りてくると「大名たぬき角兵ヱ」がお出迎え、地元の民話をもとに造られた「かっちゃん家族」で~す。
そうゆうことでレインボーラインともお別れ、

海山料金所を出て行きました。・・・・・ところで、帰りの時間に余裕があったので、三方石観世音にある「観音霊水」を頂きに回る事にした。
「湧泉水」の水評価は、
海に突き出た弁天岬に湧いて出ている水ですが、塩分は感じられず「普通」に美味しく飲めました
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は
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