NO207:別宮(べっくう)の大カツラの清水

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NO202の記事を書いていく中聖長鉱山を調べていると、付近に日本でも第六位ぐらいの金山が有った事を知り、今でもその製錬所が稼働しているという養父市関ノ宮町中瀬に以前から行ってみたく構想を練っていた。
今回天気が好ければ、福井県の三方五湖付近にある海側の弁天岬の一角に湧水が湧いているところが在るという場所を計画していたのですが、天候が悪く三方五湖のレインボーラインに登っても意味がないとの思いから、天気が悪くても絵になる金山跡の史跡を巡り鉢伏スキー場高原に湧水が出ているという所まで足を延ばしてくることにして、今回も一人さびしく出発したのでした。
鳥取方面へ向かう9号線のループ橋手前から左折して、鉢伏高原並びに氷ノ山方面に入って行きます。まもなく中瀬地区に到着。
そこには中瀬金山関所資料館が
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入口は仰々しく関所風にこしらえてあるが、建物は現代的な公民館、その横には
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バッテリーロコとナベトロという坑道内で使っていた蓄電池式機関車と手押しのトロッコ(形状が鍋に似ているので通称ナベトロと呼ばれた)
資料館へ入ろうとしたが鍵がかかっており入れない、実はここに到着するまでに2回ほど資料館の前を素通りしていたが(もっと立派な建物だろうと思い)分からず、田圃の稲刈りをされていた若夫婦に尋ねて分かったのであるが、その人曰く「先週砂金採りの実演をする金山祭りがあったところで、普段は見れないのとチガウカ」との事であったので、やはり見る事は出来ないのか(=_=)
と諦めかかっていた所に、一人の男性(館長)が車で来られた。
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てっきり尋ねた農作業夫婦の方が連絡付けてくれたものとばかり思って、館長に尋ねてみると、偶然用事があって来たのだと、なんと今回は運がツイテいるかも(^_^)v
資料館に入っての説明
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中瀬金山:40年の歴史を持つ近畿最大の金山『兵庫県養父市にある中瀬金山は、天正元年(1533)に発見され、江戸時代前期に幕府直轄の金山として繁栄しました。昭和初期には金とアンチモンを産出する国内無二の鉱山として我が国の発展を支えました。』
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日本一美しい自然金:一般に金鉱石に含まれる金は微細で肉眼で見る事はできません。ところが中瀬金山では、鉢状・樹枝状・花弁状などの美しい結晶体の金が多く産出しました。この自然金は世界的にも知られており、アメリカのスミソニアン博物館にも展示されています。
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中瀬では、写真の「臼」により金鉱石を細かく砕き、竹で作ったトユに水と細かく砕いた金鉱石を流すことにより、金は重く竹の節で止まりそれを集めて金塊にした。
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日本一のアンチモン鉱山:中瀬金山におけるアンチモンの産出量と稼働期間は日本一でした。閉山後(昭和44年)も生産設備は現役で、日本精鉱(株)中瀬精錬所は日本一のアンチモン加工工場として活躍しています。
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近世鉱山都市の遺構に暮らす:中瀬金山町は江戸時代、金山奉行の手により城下町と同じ都市構造で整備されました。町割りや寺院などは、江戸時代の絵図と比べても大きく変わることなく残っています。また、町中のいたるところには、かって鉱石を挽いた石臼が転がっています。住民はこれを石垣や庭石、漬物石などとして今も利用しています。
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図に出ている山なみです。金鉱は露天掘りから立坑堀へと進んだが湧水により十分掘り切れず、次に横に坑道を掘り湧水を排出し易くして金鉱を掘り出していくと言う水との戦いの歴史だったそうで、明治以降ポンプの発達で産出量が飛躍的に増えたとの説明でした。水の事が出たので、あるいはと思い湧水の出ているところが近隣にないですか?と尋ねると、ペットボトルを持ってきて、「この水は氷ノ山の有るところで出ている美味しい水」と・・・・知る人ぞ知る湧水だとの事、詳しく場所を教えてもらい丁寧にお礼を言って次へと進んだ。
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日本精鉱(株)  中瀬製錬所   その工場
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金山の遺跡を見せてもらおうと事務所へ寄ってみた
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日曜日で残念ながらドアが開かず職員さんは不在であったので諦め、湧き水を取りに別宮の大ケヤキに向経て出発。
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地図で現地東鉢伏を確認・・・と、横に石碑が
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鬼塚女子挺身隊員殉難之地と彫ってあり、戦時中乗っていたバスが災害に巻き込まれて転落したようなことを館長さんが言っておられたが、記憶が薄く定かではアリマセン(?_?)
看板の地図によれば右端の三叉路が現在地で、右の道は狭く一方通行に協力してほしいとの事が書いてあったので、左の道から東八伏へ行く事になった。途中あまりにも道が良いので、カーナビの指示を無視して進んでしまったが、あまりにもカーナビが引き返せとうるさいので、道を間違えたことに気付き無事三叉路から延びて来ていた右の道と合流して無事東八伏へ向かう事ができた。
道なりに走って葛畑集落を通過しようとすると、道路標識に「葛畑農村歌舞伎舞台」国指定重要有形民俗文化財と書かれていたので寄り道をしてみる事に
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村中の車一台が通れるぐらいの道を200mほど行くと
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神社の境内に茅葺の小屋が建っていた。
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天文13年(1544)に荒御霊神社境内に建てられた舞台を、本格的な歌舞伎舞台にするため、明治25年に改修された芝居堂です。

民家型入母屋造りの茅葺きとなっており、地下で舞台を回す独楽廻式で、背景を天井から上げ下げする「ブドウ棚」、背景移動装置「田楽がえし」など、農村歌舞伎舞台で大切な7つの機構をすべて備えています。
と、養父市のHPに書いてありました。
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横から眺めてみると、近代的な防災設備が付いていました。さすが国指定重要文化財デス。
そして再び東鉢伏向けて進んでいると、手入れの行き届いた
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棚田も
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そういえば、別宮の棚田が美しいとHPに出ていたのを思い出し、早速ハイ・パチリと写しておいた・・・ところが後程分かったのだが、それはこの場所ではなかったのだ・・・(~_~;)

東鉢伏高原に着いた。入口に大きな地区の看板が立っていました。
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養父市のHPを見ていたら、別宮(べっくう)という地名の起源が出ていたので抜粋させて頂きました。

別宮という地名には「別の宮」という特別な意味があります。それは、京都府八幡市にある石清水八幡宮の別の宮という意味です。別宮の八幡神社は、熊次別宮と言いました。

石清水八幡宮は、貞観元年(858)に九州の宇佐八幡宮を勧請した神社で、朝廷から伊勢神宮に次ぐ高い崇拝を受けました。全国に広大な荘園をもち、荘園には石清水八幡神の別宮を置きました。また武家の厚い信仰を集めました。

保元3年(1158)の史料によると石清水八幡宮は、但馬国内に安良別宮、伊福別宮、室尾別宮、熊次別宮など7カ所の別宮を置いています。しかし別宮という地名を受け継いでいる集落は、熊次別宮だけなのです。

別宮の八幡神社本殿は、明治5年の建築です。祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命です。本殿は正面4.5m、側面2.4mの大きな神社建築です。境内には延宝9年(1681)建築の旧本殿が古御殿として保存されています。

阿弥陀如来座像は、平安時代後期に栄えた教海寺の本尊であったと言います。つまり別宮では、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、別宮八幡宮や教海寺を中心として、石清水八幡宮との交流によって京都文化が華開いたと思われます。

別宮という地名は、平安時代から始まった石清水八幡宮との特別な由緒を伝える歴史的にも重要な地名なのです。
その神社はこちらです
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その本殿
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歴史ある神社の様で、大木もそれを物語っていました。
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大木と言えば、集落を散策しているとケヤキの大木2本にぶち当たった
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近づいてみると
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太い縄が垂れ下がっているではないか、どうも二本のケヤキにしめ縄のように渡っていたようでもある、後にWebで探していると、元旦の九日に、その年の豊作を祈る行事として毎年行われているそうで、詳しくは「巨樹・巨木巡礼」のブログを見てください 
で、吾輩の本来の目的である「別宮の大かつら」へ向かった。東鉢伏高原案内図の左上に黒い丸で囲ったところがそこです。
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別宮の大かつら公園のハウスで、休憩とトイレが完備されています。このエリア内に『大かつら・大かつらの清水・別宮の棚田』が見れます。
公園に着いたとき、目の前一面に棚田が広がっていたが、あいにくの小雨により霧が出ていたため
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まずは「別宮の大かつら」を探索へ、
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駐車場から階段を上がって行くと
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遠くにカツラの木が見えた。近づいていくと
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余りに大きすぎて根元ぐらいしか写せませんでした(~_~;)
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県指定文化財:別宮の大カツラ
指定年月日:昭和40年3月16日
所有者:別宮地区
樹高:27,32メートル 幹周り:15,50メートル 枝張り:東西約24メートル 南北約26メートル
 この大かつらは雌株で、主幹を中心に大小100本近くの幹が・・・うむ~読めねえ~
という訳で、養父市のHPの方が詳しく書いてありましたのでそちらを採用~ 

  但馬の深山には多くのカツラの木が生育し、国や兵庫県の天然記念物に指定されています。カツラの木は但馬を代表する樹木の一つです。

国指定は朝来市糸井の大カツラ、県指定は養父市別宮の大カツラ・香美町村岡区和池の大カツラ・兎和野の大カツラ、市指定は養父市轟の大カツラ・豊岡市万劫の大カツラがあります。国指定文化財になっている糸井の大カツラは、株廻りが19mもあります。

カツラは、湧水や渓流に近い水の豊富な場所に繁ります。幹は株のように増えて中心が腐っても外側に新しい幹を増やします。

別宮の大カツラは標高730mの高原に生育します。樹高27m、株の周囲は14m、枝張りは直径24mあります。昭和40年3月に兵庫県指定文化財になりました。

このカツラの根元から豊富な清水がこんこんと涌いており、下流に広がる多くの棚田を養っています。春に水をはった水田には氷ノ山の姿が逆さまに映り、本物の氷ノ山とあわせて写真撮影の名所となっています。

カツラは雌雄異株の樹木です。別宮のカツラは雌木であることから実がなり、付近には実生苗が多く育ちます。また幹にねじれをもつ「捻幹カツラ」で、幹が左巻きにねじれているのがこのカツラの特徴です。

平成16年10月の23号台風で外側の幹が1本、上の方で折れて落下しました。貴重な資料として年輪を調べたところ直径は39cmで、年輪は245年もありました。大変な古木です。株の中心にある幹は腐っていますので、この場所で千年をこえて生育していると想像しています。中心の幹がないのは、腐ったからではなくて、昔の木地師が材料として利用したからないという説もあります。

平成17年度に鉢伏高原に向かう市道にそって駐車場やトイレ、親水池やベンチをおいた別宮の大カツラ公園が整備され、気軽に立ち寄れるようになりました。清水の冷たい夏もいいですが、秋にも美しい氷ノ山がみえです。

そして後ろから撮った大カツラ
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その下には湧水の源流が見えます(*^^)v
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水が湧いている所にタンクの様なコンクリートの水槽からパイプが出て来て雑菌が入らないように立派な設備が施されていました。
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「大カツラの木」を取り巻くようにホースが延びて
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水汲み場まで下りて来ていました。
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黒いホースから水が出ていたのを汲みました。無料です\(^o^)/その付近の風景
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ここからは、「別宮の大カツラ」はどこに在るのか分かりにくかった。そして霧も晴れて正真正銘「別宮の棚田」がこちらです。
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さてさて、時間ももう少し余裕があったので、中瀬金山関所の館長さん?が言っておられた、知る人ぞ知る(アタリマエ(~o~))氷ノ山の湧水探しに行く事にした。
現在の9号線の但馬トンネルができるまでは、9号線は葛畑集落から村岡へ抜けていたのです。そのような事から昔は多くの人々がこの界隈を行き来していたものと思われます。

独断と偏見の水評価は、「耀子の清水」に似ていて、爽やかな味わい、悪く言えば水臭い味わい、しかし冷めたものを飲むとその良さを実感するという湧水であった。←少し大げさに書いた(*^_^*)
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした

詳しい場所です




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