NO187:建礼門院ご使用の清水

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駐車場に着くとPM3:30、レストランのオープン時刻 PM5:00にはまだ時間にゆとりがあるとゆうことで、近くの『聖徳太子の御父・用明天皇と平清盛の娘・健礼門院』ゆかりの寺、寂光院まで足を延ばすことにした。(^_^)/  
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三千院から続く大原の里の小道を歩いて寂光院へ、途中
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大原の里の風景を
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落合の滝を見て寂光院に着きます。
受付で、境内に湧水が出ている場所はありませんか・・・と尋ねてみると、受付嬢は、裏方に聞きに行かれて「そのようなものはありません」との返事でした。・・・・・ガク(+o+)
趣のある石段を登って行くと
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この門を入ると
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本堂が正面に
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ここで、寂光院の案内
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 当院は推古天皇二年に聖徳太子が用明天皇御菩提のためと普く天下安穏のためにお建てになったのを開創とする
 本尊六万躰地蔵菩薩(重文)は太子が御父用明天皇の御菩提のためと天下万民平和安穏のためにお作りになったものである
     寂光院御詠歌
  浪速より小原の里にしたひきて寂光院のみ仏にぞなむ
     願えひと六万躰の地蔵尊わけてたまはる信の深きに
 初代の住職は聖徳太子の御乳人玉照姫である その後文治元年九月に高倉天皇の皇后建礼門院がお住まいになった それ以来御閑居御所とも高倉后大原宮とも称してやはり代々貴族の姫等が静かに清らかに法燈を伝えてきた 文治二年四月に後白河方法が御幸あそばされた平家物語や謡曲で有名な小原御幸である 後世小原を大原と書いた
 本堂は飛鳥、藤原、桃山の三時代の様式からなり内陣及び柱は飛鳥、藤原、及び平家物語当時の物で 外陣は慶長八年に豊臣秀頼卿が片桐其元を工事奉行として修理されたものである また内陣の床は秀頼卿がおはりになりそれ以前は支那式(中国)の土間であった
 これら歴史的貴重な文化財が平成12年5月九日未明放火全焼その貴重な美しい姿は永遠に忘れることなく惜しまれるものである
 本堂前西側の庭は古びた池、千年の古松、苔むした石、汀の桜等後白河法皇が「池水に汀の桜散りしきて波の花こそさかりなり」と御製をお詠みになった平家物語当時のままである 北庭園は回遊式四方正面の庭で林水 木立 清浄の池等古き幽翠な名作の庭で特に石清水を引いた三段の滝は玉だれの泉と言って一段一段高さと角度が異なり三つの滝のそれぞれ異なる音色が一つに合奏するようにできている
 本堂前右側にある大きな南蛮鉄の雪見灯篭は太閤秀吉の桃山城にあったものである 書院前方の茂った山は平家物語に建礼門院が大納言佐局を供にみ仏にお供えになる花を摘んでお帰りになるところが書かれている翆黛山である
                          寂光院
本堂西側の庭
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四方正面の池
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西側の庭を通り「かって門」?を抜けると
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建礼門院御庵室跡である。そこに古びた井戸跡が
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その石碑には、御使用清水と書かれていた・・・やった~(*^_^*)
どこか汲む所がないかな~と探していたら
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井戸から流れている右の溝古をたどって行くと、水汲み場が作ってありました(^_^)v
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水を汲んでいると、だれかが盗撮をしていた・・・((+_+)) アップの写真もあったのだが、はずかし~ので、小さめの写真にしておきました。
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例によって、書き出しておきます。
        建礼門院御庵室跡
 ここは建礼門院御庵室跡と伝えられるところです。右手にある御使用の清水は、今もこんこんと湧き水をたたえています。
 『平家物語』のなかの悲劇のヒロイン建礼門院徳子。権勢を誇った平相国入道清盛の二女に生まれ、高倉天皇の中宮となって御子安徳天皇を生みました。絶頂の日々もつかの間のことでした。源平争乱が勃発するや、6歳の安徳天皇を奉じて平家一門とともに西国に赴くこととなり、ついに文治元年(1185)3月長戸壇ノ浦での合戦に義経軍に敗れました。女院は安徳天皇とともに入水しましたが、一人敵に助けられて生きながらえて京都に送還され落飾されました。秋も押しせまった9月末になって憂きことの多い都を遠く離れた洛北の地大原寂光院に閑居し、昼夜絶える事なく念仏を唱えて夫高倉天皇とわが子安徳天皇、および平家一門の菩提を弔う日々を送りました。
 文治2年(1186)の春、大原寂光院に閑居する建礼門院のもとを後白河法皇が訪れた話が『平家物語』の最終をかざる「潅頂の卷」に載っています。法皇が見た御庵室の様子は「軒には蔦槿(つたあさがお)這ひかかり、信夫まじりの忘草」「杉の葺き目もまばらにて、五月雨も霜もおく露も、もる月影にあらそひて、たまるべしも見えざりけり、後ろは山、前は野辺」という有様で「、「来る人まれなる所」でした。
 突然の法皇の行幸に、女院は翠黛山に女房らと花摘みに行って留守でした。待女の老尼阿波内待に案内を請うて御庵室の中を御覧になった法皇は、一丈四方の仏間と寝所だけという昔の栄華に比べて余りの簡素な生活にただただ落涙するばかりでした。いばらくして花摘みから帰ってきた女帝は、はじめ逢うことを拒みますが、阿波内侍に説得されて涙ながらに法皇と対面します。先帝や御子や平家一門を弔ながらの今の苦境は後世菩提のための喜びであると述べ、六道になぞらえて己が半生を語る女院に、法皇はじめ供の者も涙するばかりでした。
 建久2年(1191)2月中旬のころ、女院はこの地で往生の時を迎え、侍たちに看取られてその生涯をそっと閉じました。
はい、おわりました。

という万葉の時代から止まることなき湧き出ている水を汲めた事は、至宝の賜物である。・・・・・と書いてみた(・.・;)
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帰りに、建礼門院徳子の大原西陵の前を時間の都合上素通りして、また来た道を引き返して行った。

独断と偏見の水評価は、華麗なる水の漂いが感じられました…と書きたいところですが、残念なことに井戸の水でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした

詳しい場所は 




    
   
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