NO183:幻の水「千提寺の湧水」

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府道6号線から、「泉源の清水」を目指して大阪府43号線に行く途中、ヘンテコリンなものを見た。
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煙突から煙が出ていて、喫茶店の様であったが先を急いでいたので写真だけで過ぎて行った。後から思えば寄っておけばよかったと後悔、こんなところにネタが転がっているのである。
府道43号線を走っていると、キリシタン遺物資料館の標識が見えた。以前「マリアの泉」を汲みに来た時に、隠れキリシタンの墓地を見学に行ったが、その時の事がよみがえり寄ってみることに、
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府道43号線からそれて、さらに後ろの細い道を
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600mほど進んで行くと集落にでた。
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{この写真は、帰り際に写したものです。車は別の駐車場に置いて、資料館へ}
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この路地を登った所にあるのですが、土塀に見出しの看板が掛かっており、読んでみると『幻の水「千提寺の湧水」で当店のコーヒーは点てています。と書いてある(^_-)-☆、これは言って千提寺がどこにあるか聞いてこなくっちゃ(^_^)v・・・とそそる気持ちを落ち着かせて、とりあえず資料館へ
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残念ながら資料館は内は撮影禁止^_^;・・・でもって、シオリから抜粋
 永禄6年(1563)キリシタン大名として有名な高山右近の父で、大和国沢城主であった高山飛騨守はキリスト教の教えに感銘を受け、ビィエラから洗礼を受けました。また、自分の城に伊留満ロレンソを招きました。その際、右近は洗礼を受け「ジェスト」と命名されました。永禄7年(1564)、12歳の時です。
 その後、右近は天正元年(1573)高槻城主となり、在城の間、三島地域はキリシタン宗の一大中心地でありました。
 しかし、豊臣秀吉は天正15年(1587)にキリシタン宗の布教を禁止し、伴天連・伊留満は即刻20日以内に日本から退去を命じました
 さらに、慶長18年(1613)には德川家康もキリシタン禁教令を発布し、右近は慶長19年(1614)にルソン島のマニラへ他の信者たちとともに追放され、他の信者たちは、その縁者までも含めて死罪・流罪等の厳科に処せられました。
 こうしたことから、信者たちは表面は仏教を信仰しているように見せ、山奥深く隠れるようにして信仰していたもので、大正8年(1919)2月、キリシタン研究科の藤波大超氏千提寺の山林(通称寺山)の中腹からキリシタン墓碑を発見するまで、この辺りがキリシタン宗に関係あるという確証がありませんでした。

館内を一通り見学して、はやる心で(この時点では千提寺はお寺だと思ってた)喫茶ポピーへと向かった。
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店内に入って、とりあえずコーヒーと昼時でしたのでトーストをお願いして、おもむろに
「幻の水・千提寺の湧水は何処にあるのですか」と尋ねると
「店の前のホースから出ていますよ」との返事
・・・?・・・頂いても宜しいでしょうか・・・好きなだけ汲んで下さい・・・
コーヒーとトーストが来て飲んでいると
「ホースではなんですので、入れ物を持ってこられたらここで入れてあげますよ」
とありがたいお言葉・・・?
「ところで、幻の水と書いてある千提寺は何処にあるのでしょうか?今はないのですか」
と尋ねると、
「千提寺というのはこの地名です。幻の水「千提寺の湧水」というのは誰かが書いたものですのよ」
・・・・心の中でガク(*_*;・・・しかし、水は井戸の水で水道水ではないとの事、もらって帰ることにして後にペットボトル2本に『幻の水』を頂いて帰ってきました。

3か所の水の中で、一番安定をしていた水で、日持ちが良かった事と味もクセのないのど越しの良い水でありました。
独断と偏見の水ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ
千提寺の詳しい場所は

喫茶ポピーです。


   
   
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