NO146:帰り山観音の「延命大乗水」

帰り山観音に着いたのはPM4時5分であった。
早速お店を覗いてみると帰り支度を始めていらっしゃった様子、事情を説明するまでもなく「そこに置いて在ります」とのお言葉、この「延命大乗水」を汲む場合、ペットボトル1本分は無料、それ以上汲む場合は、お店で容器を買い求め次回からは其の容器で汲みに来てくださいとの事でした。
お水は、写真に写っているおば様の横に蛇口が有り、そこから頂きます。吾輩はペットボトル1本と一番小さい容器一つ買い「延命大乗水」を頂きました。
その水の由来は

見出しには『戦時中に観音菩薩のおかげで九死に一生を得た益す舛野健治さん(70)。観音信仰に精進していたが、昭和47年、夢枕に立った観音様のお告げに従って梅の木のほとりを掘ると、地下30mから清水が湧き出した。糖尿病、リユマチ、痛風、脳梗塞、がん、アトピー性皮膚炎などに効能をあらわす霊水である。』(以下略)
との事が日刊ゲンダイ・平成11年1月25日 に記事として出ていたもの。(CMとしてこのような記事が書いてある場合もある)
そして、地名「帰り山」の由来は

無縁塔縁起のの碑
当地は敦賀市街より北へ7キロメートル程の地点、江良 五幡両区のほぼ中間、江良は帰り山地籍に位する。
往時より地域住民はこの地を首取りと呼び、往来の静なる夜間は通行さえ恐れ敬遠していたものである。
この地名の由来につては、古代より語り継がれてきたつぎのような伝説がある。
頃は奈良朝、人皇45代聖武帝の時世。
天平20年も霜月(748)この敦賀の浦に蒙古の軍船が攻め来たったと言う。我が将兵の奮戦に首領鉄輪他多数の兵士をこの地に処刑し、その首と胸をそれぞれ分かち埋めたと伝承される。
また、近く五幡海岸には近年までおおぐり石、またの名を追い岩と呼称された岩があった。かの鉄輪が上陸の際武内刀甫なるものに追われ、この岩を回ぐり逃げたとの口伝も残る。五幡の地名の起原も、蒙古襲来の折区の西南高き山頂に不思議なる哉五色五流のみ幡が毅然と現われ、大いに将兵の士気を奮起したことに因んだと聞く。
顧みるに今日迄の千数百星霜、誰をして遠き古代異国の地に果てた、蒙古軍船無名戦士の霊に香華を手向けた者がいたのであろうか。
今、この延命大乗水の恩愛を受けている善男善女普く10方にその数知れず。現世へ垂れ給うところの甘露の法水に、併せて数多くの古代異国殉難無名戦士諸精霊の菩提を圓にせんことこそ、この観世音菩薩の深き大乗のみ心であろう。
依って観世音菩薩の慈恩に酬いがため茲に無縁の供養塔建立の発願に到ったのである。
冀わくは、南無延命大乗水聖観世音菩薩、10方の諸国土において、永く昏衛の夜を照らし給へ。
昭和65年十月吉日 帰り山観音堂
堂主 舛野健治識
との事らしい、で、その観世音菩薩像は

御利益があったのか沢山のお供え物が有る様です。
そして再度「延命大浄水」を汲む処の写真です、ポンプアップの為PM4:00には止まるそうです。

朝日が後光のように、もしくは水が地下から噴出しているように映っていましたのでUPしておきました。
という訳で、無事お水も持ち帰る事ができ、連れ合いが待ちにまった温泉「敦賀きらめき温泉:リラ・ポート」へ

温質はぬるぬるする「温泉らしい」湯でした。敦賀の近郊には石灰岩の山がある事からもそれが窺えます。
温泉からは敦賀市街が一望

場所は、敦賀インター山手に在ります。
ところで、独断と偏見の水の評価は、このおば様、くれぐれも沸かさず真水で飲んでくれとの事、ゆえにコーヒで飲んでみましたがランクを付けるのは遠慮しておきます。
真水を飲んだ感想は、五臓六腑に染み渡る感じでした。(*^^)v
詳しい場所は
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