NO141:木彫仏像の原郷・達身寺の「たるみ山・自然水」

   達身寺 012-a
中山寺・奥の院、亀岡の出雲大神宮と天然水をもらってきたのですが、どちらもじゅうぶんな量を得る事ができず、近場でどこかないかな~と探していたら、上の写真の本堂がある達身寺というお寺が目に留まり行って見る事に。
この本堂を観たいあまり行ったのだが、行ってみてビックリ!パンフレットの説明文を引用すると
「丹波の正倉院と呼ばれている。その歴史は不明な点が多いが、8世紀ごろの建立とみられ、市内では最も古い時代に開けた寺の一つである。」

・・・と、まぁこうである。行は福知山市街から国道429号を通り兵庫県の丹波市青垣町に入り氷上町まで下るルートで、途中カーナビがストライキを起こし、自車位置が動かなくなり一時はどうしようかと((+_+)) なだめすかして、なんとか動くようになり、チョイト遠回りの気もしないではないルートを走らされ何とか近辺まで、「三方の大かつら」の案内板が、寄ってみる事に
   達身寺 027-a
カツラの多くは根元から枝分かれしているものが多く
   達身寺 025-a
大木と言われても、このように枝分かれしていると感動する部分も半減してしまう。やはり大木は一本もんがイイ
こんな面白いものが
    達身寺 029-a
古来より、幹の空洞をくくると神護があると伝えられ、神木としてあがめられている。
樹齢:約350年    
全部の幹廻り:12m 内主幹の目通り幹は2,8m   
高さ:26m
   達身寺 031-a
入ってみようと思ったが、よそ行きの服が汚れるのでや~めた^_^;・・・と言うことで建身寺へ向かった。
達身寺 006-a
上の写真が達身寺の正面から見た全体の建物です。その手前が道路でその手前の白線が駐車場になっていました。
もっとひっそりとしたお寺かなと思っていたのですが、駐車場が20台前後駐車できる白線が引いてある広さです。
知る人ぞ知る観光地になっているようです。吾が目的である自然水は一目で場所が判り、とりあえず頂いてからお参りする事に。
   達身寺 008-a
正門の左側にあり、水はホースから出てきておりホースの口には藻の様なものが下がっていたので、連れ合いは気持ち悪がって入れるのをためらっていたので、それを取り払って入れてもらう事に
   達身寺 009-a
最近は、彼女は入れ役、吾輩はスナップ撮影と分担して合理的にやっております(*^^)v
水は柄杓が掛けてある真ん中から水道水のように出ていますが、後程聞いた話によりますと、裏山(たるみ山?)から水を引いているそうで、それが湧水なのか沢水なのか、はたまた地下水なのか分からなかった。しかし、三週間過ぎた今でも水は綺麗な透明で、浮遊物は見当たらない!という事は、湧き水か地下水をポンプで汲み上げているのかどちらかであろう(?_?)
水も汲み終え、拝観へ石段を登って行った。
この茅葺の本堂は、昔十九山にあった達身堂(たるみどう)をこの地に移し達身寺(たっしんじ)という寺名になったとの事
本堂の入口右手には、重要文化財の仏像の数々が明記してあり、来た人の気持ちを高ぶらせている
   達身寺 013-a
本堂に入ると右側に受付があり拝観料お一人様400円を払い、説明の順番を待っていると一行5人ぐらいの人を引き連れて案内係であろうおば様が帰ってこられた。そういえば石段を上がって来る時も4人の女友達風な人たちとすれ違った。チョコチョコ観光客も来ている様である。で、我々2人ともう一組2人計4人で案内してもらう事になった。本堂内部からは写真撮影禁止の為、拝観のしおりから抜き出した写真で案内いたします。
   達身寺 014-a
ここには、国重要文化財12躯、県指定文化財34躯、市指定文化財33躯、破片134片
達身堂の本堂を突き抜け、裏手にある第一宝物殿へ
達身寺の前身は、よく解ってないが、寺伝によると織田信長の丹波平定の命を受けて明智光秀が丹波攻めをし、篠山城や保月城などが攻められた。達身寺は当時、僧兵を抱え山岳仏教の強権を張るような大寺院であったと言い伝えられている。その僧兵が保月城に加勢をしたという事で保月城を落とすまでに寺が焼かれたと言われている。寺を焼かれる前に、仏像を守ろうと僧侶達が谷へ運び下した。仏像だけがそのまま長い年月置き去りになってしまったと伝えられている。
   img112-a.jpg
第一宝物殿に入って行くと、部屋いっぱいに仏像が置かれていた。総ての仏像が「しらき」のままで、というより流木が長い年月が経った雰囲気の仏像であった。朽ち果てた仏像も大切に保存し展示されていた。

元禄8年(1695)、この村に疫病がはやり、多くの人々が亡くなった為に、占い師に占ってもらった結果、「三宝を犯した仏罰である」と言われ、村人達は山に登り放置された仏像を集めて、破損していた達身堂をこの地に下ろし、修復し、仏像を安置し奉った。

第一宝物殿から、文化庁によぅて建てられたという第二宝物殿へ案内された。
   達身寺 015-a
写真もこの角度しか撮る事ができませんでしたが、災害に強い立派な建物でした。
中に入って正面には達身寺の本尊、阿弥陀如来坐像が
   img113-e.jpg
正面に展示されていた仏像は保存の良いモノでした。
 img113-b.jpg
達身寺の仏像は木彫仏であって、大半が一本造りである。寄木造りも数多く作られたはずだが、長い間放置された為、寄木では仏像の姿で今の世に残る事ができず、破片化してしまった。(その破片も大切に保存展示されていた)
  img113-d.jpg
又、一寺に一躯奉ればよいと言われている兜跋毘沙門天が十六躯もあると言うこと、本尊仏になる仏像が多いこと、未完の仏像がある事
郷土史家船越氏の説と古文書
 達身寺に言い伝えているのは事実とは少し違うのではないか、大寺院で山岳仏教の強権を張ったと言うよりは、お堂を多く持った工房であったのではないか、そこに丹波仏師がいて造仏していたのではないかと言うのが船越氏のせつである。
 達身寺では丹波仏師がいたことを認めれば昔からの疑問はいくつか解る(未完の仏像、本尊仏が多い、同名の仏像が多い等)。
 奈良の東大寺の古文書の中に丹波講師快慶と記されている、「私は丹波仏師である。もしくは丹波の地とつながりの深い仏師です。」と言っているのである。とすれば鎌倉時代の有名な仏師快慶は、達身寺から出た仏師もしくは、達身寺とつながりの深い仏師であるといる。ところが残念ながら達身寺には、古文書が何もない為はっきりしたことはわからない。鎌倉初期から平安弘仁期の古い仏像が沢山おられると言うことだけははっきりしている事実である。
案内のおば様が、戦前は此の仏像群は国宝に指定されていたのだが、戦後再度見直され、実証されるものが無いという音で取り消され、現在は重要文化財で終わっているとの説明でした。 
そして達身寺様式と言われている仏像
img113-c.jpg
今仏像ではチョイt判りにくいが、お腹がポッコリ出ている仏像、それも観音系に多いいのですが、案内のおば様に冗談で先日行った中山寺のように安産のお寺と銘打ったらお参りが多くなるのではと言うと、実は中山寺にそのポッコリ仏像が秘仏として祀られていうそうな・・・とお参りの人から聞いtことがあり、その後中山寺の門前に住んでいる人が、帰って聞いてみて連絡してやると言ったまま、今だに連絡してくれないとの事、事実は定かではない・・・(?_?)

一通り見る物は見たし、もらうモノももらえたし帰る事に、しかし達身寺のさらに奥に行ったところには、やすら樹苑なるものが、地図には達身寺は載っていなくても「やすら樹苑」は載っていた。まさか介護施設ではないだろうなと言いながら寄ってみると
達身寺 022-a 達身寺 023-b
公営の宿泊施設でした。食堂もあると言うことでしたのでコーヒーを飲んで帰ってきました。チャンチャン(^_^)v

たるみ山・自然水の評価は、良くも悪くも普通で地下水を汲み上げている水カナ・・・と思えました
で、独断と偏見の水ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v デスタ
詳しい場所は

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