NO102:水分れ公園の「いそべの湧水」

今回は日本一低い分水界(本当は千歳空港内・本州一)、兵庫県丹波市氷上町石生(いそう)の水分れ公園内に在る「いそべの湧水」をご案内いたします。
日本一低い谷中中央分水界
ここは、日本列島の背骨にあたる中央分水界が通っているところです。
ここに落ちた雨粒は、二方に分かれて、一つは瀬戸内海(太平洋)側へ、一つは日本海側へ流れて行きます。
水分れ公園奥向山の尾根が平地におりたところから、だいたい高谷川右岸(北側)を通り新町(行者山東端)まで、約1250メートルの間
海抜、100メートル前後で分水界を形作っており、日本一低い分水界として、有名です。
最も低いところは、新町交差点で標高95,45m、水分れ橋では102,04mです。
(平地で水が分かれる場合は分水界、山で水が分かれる場合は分水嶺という)
水分れ公園の中にいそべ神社があるのか、神社の周りに水分れ公園が在るのか判んないが、ソコの名前を取って「いそべの湧水」と言われているようです。

水分れ公園の前を流れる高谷川の右の道が分水界の境界線になっているそうです。
この上流には、おそらく人工的に作ったと思われる

高谷川の水は、瀬戸内海へ約70km・日本海へ約70kmの標識の下で分けられて、それぞれ別の海まで旅に出ます。
高谷川は


左の川筋を下って右の写真の加古川へ合流して瀬戸内海へ
もう一方の別れた水は


左の写真黒井川が竹田川に合流して、右の写真土師川へ合流して由良川へ入り日本海へ流れて行きます。
といっても、
大昔の由良川の流れは瀬戸内海へ流れていたという説があります。
大きな声で言えない「裏話」
水分れ資料館が公園内に有ります。入館料200円で職員さんが説明案内をしてくれたので、先ほど見てきた高谷川の分けられた水は何処を通って流れて行っているのか?(この時点で、分けられた川の水が道路の下へ入って行くのだが、どこに出でているのか判らなかった)質問したら、職員曰く、あの水は元の高谷川に帰っているとの答え!、という事はあの分けられた所は や・ら・せ なのか^_^;
という訳で、再度探求しに行った、分かれて道路の下に入った水は、だいぶ下流の集落の
左の側溝に勢いよく流れ出ていた。そして田を潤し


石灯籠が在る少し大きな側溝へ流れ込んで、市街へと流れて行っていた。

事実は、分かれた水は二度と会うことなく海へと行くようでありました。(^_^)v
水分れ資料館の展示品から
石生周辺はもともと沼地であり、そこに高谷川の土砂が扇状地を造って二つに区切られたという写真

中国山地と丹波山地の境界線が加古川・由良川水系となっている

で、「いそべの湧水」は何処に出ているのか・・・
いそべ神社

その前に立ちはだかる「夫婦スギ」

太陽の加減で薄くなっています・・・と言って太陽のセイにしておく。

いそべの神
剣爾山は、三角形の美しい形をしています。
こういう山を昔の人は「神奈備山(神様の山)」と言いました。
山上近くにある大岩は、神様が天から降りてこられる拠り所と考えて、こういう岩を「磐座」(いわくら)と言いました。
その山の前に建てられたのが、いそべ神社です。
このあたりのご先祖は、いそべの民は、大きな岩を使って、古墳を造ったり、たんぼを造ったり(後には条里制水田造りもした)する土木工事が得意な人達でした。
そのいそべの人達の祖先、奇日方命(くすひがたのみこと)をおまつりしたのがいそべ神社、の始まりは(和鋼三年、今から約1300年前頃)です。
後に八幡宮を勧請(神様のおいでを願う)して、八幡さんとなりました。
なお、この八幡さんは、柏原の八幡さんより歴史が古く、昔から、このいそべ神社のお祭りをして、その次の日に神様を、柏原の八幡様へお送りする事になっておりました。
その後、礒部神社には、いろいろな神様をお招きして、たくさんの神様がおまつりされて、石生の人達の守り神様としてお祭りされています。
で神社の手水舎に水が出ていたのですが

情報では水分れ公園内に有るとの事、とりあえずそちらの方も覗いて見る事に

水のカーテンから

公園内を一巡した水が川に流れず、どうも再循環利用されている感じで、どうも汲むに値しない水みたいだと感じつつ滝の縁の方を見ると

水のカーテンの水系から離されて一角に「幸運の泉」と書いてある場所が目に入り、これに違いないと例のペットボトルに汲んで帰宅の途に就いた。ここで、資料館によって見学をして行こうと先に書いた事を見聞きしてから、職員さんと雑談の中で、「幸運の泉」に流れて来ている水は「いそべの湧き水」ではないと言われ、案内してやると連れて行ってくださいました。それがコレです。

で、これは間違いないと、先ほど入れた水を捨てて、再度入れ替えをして頂いて帰りました。しかし、引いているパイプを見る限り、滝の方から来ているようですが、職員さん曰くただ今公園内でも水が汲めるよう工事をする予定であるとの事でした。ただし、山水か湧水か定かではない、あやふやな返事でした。
今回の水汲みはこれで終わりですが、由良川水系を地図で調べていたら、どうしても行って確認したい場所を見つけ、帰りに寄る事にしていたので、そちらの方へ車を向けた。その地図がココです。栗柄峠付近です
大きな地図で見る
下の川が宮田川で篠山川に入り、加古川を経て瀬戸内海へ。上の川が杉谷川で、滝の尻川から竹田川に入り由良川を経て日本海へと流れて行きます。
水分れ公園の後ろにあたる谷合を行き

これが、美しい三角形の剣爾山か?県道69号線を進んで行くと栗柄峠へと入って行きます

谷の下には、滝の川尻川が流れています。峠を超す少し手前で、道を煙が覆っていたので、対岸を見てみると

お宮さんのお掃除をされている様子、道から覗いてみると

滝のようなものも見え、これは取材に行って来なくっチャ・・・と参道を探してそちらの方へ、

これが観音堂

で、そのイワレ

手にむすぶ滝の白糸 くりからの くりかえしつつ祈る観音
栗柄観音堂
本尊 聖観世音菩薩
創建 平安時代
もと 御嶽山養福寺と称したが後廃寺となり、今の観音堂が再建された、聖観音のほか栗柄部落内の仏像を集めまつってある。
栗柄不動尊
現存の石仏不動尊は明暦二年(1656)建立された。
倶利伽羅明王ともいい栗柄の地名はこれより出たといわれる、〇福徳貴寺の祐盛法印(ゆうじょうほういん)が滝壷に住む竜女を成佛させたという。
この竜が法印に謝し残したという鱗が今も福徳貴寺の寺宝となっている。
俗に「腹痛なおしの北向き不動尊」として多くの尊信をうけている。
西紀町郷土史を考える会
という看板の前を通り過ぎ、歩いていくと

←不動の滝 蛇の枕→ という看板にあたった。

竜女が使っていたと言われる枕デス?
その他にも、横の方に


ただ今調査中(?_?) 不動の滝へ

宮掃除が終わり、滝の横で「綺麗にできた」と 地元の方が雑談中

滝の横に在る赤いお堂の中に有るのか、それとも滝の右側に鎮座していた写真の石仏が「倶利伽羅明王」なのか確認できずじまいで、先へ急ぎました。それから、峠を登りきると三叉路へでた。
左の写真が栗柄峠方面 右の写真が篠山市街方面


二つの川が流れる川上の峠方面

そして三叉路の看板の後ろの白いモノが、杉谷川(左の谷)を堰止める不釣り合いなダム(兵庫県はこのような物がお好きなようで)

右の谷を流れる宮田川

この狭い谷合から、二つの川が奇遇にも別々の海へ

くりから谷中分水界
河川争奪の見える不思議な水分(みくまり)の里
栗柄は、三方を山で抱かれた山間盆地の狭い平地で水田が開けていますが、この付近は、たいへん珍しい谷中分水界の地形を形成しています。
右側の県道(丹南三和線)を2㎞ほど進むと、鼓(つづみ)峠の頂上に至ります。この鼓峠も日本海と瀬戸内海への分水界で、鼓峠から瀬戸内海側へ分かれた水は「宮田川」(右側の河川)となり、篠山川、加古川をへて瀬戸内海へ注ぎます。
正面の谷から流れる「杉ヶ谷川」は、この辺りで宮田川合流するのがごく自然な形と思われますが、前方観音堂横で、突如西へそれ倶利伽羅不動の滝で4m近く落下し、滝の川尻、竹田川、由良川を経て日本海へ注ぐ不思議な谷中分水の地形となっています。
約2万年前、河川争奪によって形成されたと言われるこの二つの川が谷中の平地内で百数十米まで相寄り、しばらくは同じ方向に流れながら、突如方向を転じる地形は実に珍しく、しかも、二つの川が見通せる位置で、中央分水界の形状が目のあたりに観察できる希少な地形です。一つの地区に二つの分水界があるというのも、またきわめて珍しいことです。 兵庫県多紀郡西紀町
・・・という事でした。
肝心な「いそべの湧水」のコーヒーを沸かして飲んだ評価は、4つか5つ、どちらにしようか迷った結果、資料館のおば様、水分れ茶屋のおば様が親切でしたので、独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vにシマスタ
詳しい場所は
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