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NO381:祈りの滝の湧水

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2024年に入り初めての水汲みに奈良県御所市に行ってきました。
奈良県と大阪府の県境、葛城山と金剛山が接する国道309号線の旧道水越峠の近くにあるという。
夕方用事が入っていたのでそれまでに帰宅できる範囲、また、この峠の奈良県側に「葛城水分神社」大阪府側に「建水分神社(たけみくまり神社)」という峠の両側に水分神社がある事に興味を持ったこと!で計画を立てました。
行は縦貫道か京奈和自動車道一部24号で行き、帰りは近畿道から中国道を経て舞鶴若狭道福知山周りで帰宅をするというモノです。
本来なら御所市側に水汲み場所があるので、コチラの何かを見て回って来るのですが、今回は神社を中心に時間の関係上コース場から外れないところにあれば寄ってくる・・・ぐらいの簡単行き当たりばったりの思いで出発しました。
御所市の309号線までの所要時間約2時間30分で到着。思いのほか早く着いた感じで国道309号へ向きを変え峠を目指し走り出しました。309号今は葛城山のトンネルを経て大阪へは行きやすくなっていましたが、今回は旧道を上ることに
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前方に葛城山と思しき山をパチリと、そこから旧道に入り葛城山の麓にある関屋集落に「葛城水分神社」をみつけ参拝へと
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関屋集落の雰囲気を、そして神社へ
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下記神社の謂れが書いてある看板を撮してきたのですが、長年の風雨により読みにくくなっていました
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で、ウィキペディアに乗っていましたので、そこから引用しました。
葛木水分神社

本殿
所在地 奈良県御所市関屋248
位置 北緯34度26分23.54秒 東経135度41分52.46秒座標: 北緯34度26分23.54秒 東経135度41分52.46秒
主祭神 天水分神
国水分神
社格等 式内社(名神大)
旧村社
創建 不詳
例祭 12月20日
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葛木水分神社(かつらぎみくまりじんじゃ、葛城水分神社)は、奈良県御所市関屋にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は村社。

祭神
祭神は次の2柱[1]。

天水分神(あまのみくまりのかみ/あめのみくまりのかみ)
国水分神(くにのみくまりのかみ)
『延喜式』神名帳での祭神は1座。「水分」は「水配」の意で、祭神は金剛山・葛城山の灌漑用水を司る神(水分神)になる[1][2]。『延喜式』祈年祭祝詞では、吉野水分神社・宇太水分神社・都祁水分神社とともに大和国の水分四社の1つとして数えられているが、特に当社のみは名神大社に列している[3]。山城国に水分神社は見えず、水分四社は大和の主要な水系に位置することから、平安京遷都以前の時代に朝廷の政治的意図によって配されたと考えられている[3]。

なお葛城・金剛山系の反対側には、河内国の水分神として建水分神社(大阪府南河内郡千早赤阪村)が鎮座する[3]。

歴史
概史
創建は不詳。

国史では、承和7年(840年)に「水分神」の神階が無位から従五位下に昇叙された旨の記載がある[1]。また天安3年(859年)1月には「葛木水分神」の神階が従五位下から正五位下に昇叙された旨のほか、同年(貞観元年)9月に葛木水分神ほか諸神に対して風雨祈願の奉幣の遣使があったと見える[1]。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国葛上郡に「葛木水分神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・新嘗祭に際しては幣帛に預かった旨が記載されている[1]。『延喜式』では祈年祭条・祈雨祭条においても当社の記載があり、祈年祭では官幣に加え馬1匹を加える旨が定められているが[3]、名神祭条に記載はない[4]。また『延喜式』祈年祭祝詞等では、上述の水分四社の1つとして記載されている[4]。

その後の変遷は不詳。江戸時代の元禄年間(1688年-1704年)には大和国・河内国間で境水論争があり、元禄15年5月銘の石灯籠は勝訴祈念で奉納されたものと伝えるほか、現在の例祭日は勝訴決裁日(元禄15年12月20日)に因んだものと推測される[4][1]。

明治維新後、近代社格制度では村社に列している[4]。

読んでみると大和朝廷との関係もあり、結構水に関して重要な神社であった様子です
神門に上る石段があり
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更に本殿に行くには一段高いところに行く石段設置され小さいながらも格式を感じる神社が安置されていました。
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我が輩は単に金剛・葛城山系の水分神社ぐらいにしか思っていませんでしたが、どうも違っていたようです(-_-;)
まぁ今は氏神サマの神社ですね。
さて、さらに峠を進んで行くことに
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九十九折の峠道を上っていくと、中腹ぐらいに広い場所(駐車場)に到着。
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先着2台停まっていたので、待っている間に「祈りの滝」周辺を散策
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「祈りの滝」の下に「やまとの水」の説明が
奈良県では、自然環境に恵まれ、古くから地域の人々の生活と深く関わり守られてきた清涼な水を「やまとの水」として選定しました。との事です
で、祈りの滝の謂(いわれ)れとはコチラに書いてありました。
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役行者(えんのぎょうじゃ)が茅原(ちわら)の地に生まれ、葛城山で行をしたが、その行者たちや峠を超える旅人が祈った滝で、修験道の霊場である。  御所市観光協会
今でこそ道も広く車で手軽に来れますが、当時は・・・
で、滝には車の右側に散策路があり、歩いて1分・・・かな?イヤイヤ30秒ぐらいかな・・というぐらいすぐです。
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・・・と、立派な滝でした(@_@)高さ5m位あるかも?
滝から帰ってくると、水汲みの人は帰られたようで我が輩の番に
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右側に「この水、は祈りの滝の上流より湧水しています。水質検査の結果、水質基準に適合しています。吐田郷生産森林組合
左には水質検査結果通知書も貼られており、安心して飲める水であると(^_^)v
で、水を汲み出したのですが
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勢いよく出ておりコレは早いこと汲めるとルンルン気分で汲んでいると
突如
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水が止まったのでした。がぁ~ん、運が悪いのぉ・・・・溢れた水が溜めてある排水パイプから出ていたのでコレでも汲んで帰ろうと
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で、ペットボトルに入れていると、再度水が出だし急遽元の蛇口へ・・・無事8本組を得て無事終了、一時はどうなることやら・・・と焦ったが・・・
帰り際看板に書いてある
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志をお供えして帰った・・・・?・・・思い出せない(-_-;)
で、目的の一つは無事終了。もう一つ大阪側にある水分神社へと峠を登っていきました。
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峠を越える辺りに来ると、路上駐車している車が多く何事か・・・と
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どうも葛城山への登り口のようです。峠を越えてからも駐車場だけではたらず路上駐車が延々と・・・とは言い過ぎかも
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を見ながら降りてきて、千早赤阪村へと入ってきました
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この地点より少し下ったところに「大阪側の水分神社:建水分神社」がありました。309号線から
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この様な参道を上っていくと境内の駐車場に着きます。そこから参拝に行くのですが、葛木水分神社とは規模・風格が違い境内も広かった。
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石段を上がって行くと本殿に着きます。写真は拝殿の正面です
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コチラは境内にある摂社:南木神社(楠木公を奉る)
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境内には「建水分神社」の御由緒が書かれた看板
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コレを書き写そうかと思いましたが、チョイと大変な作業になりますので神社のHP「建水分神社」を見て下さい。
葛木水分神社は葛城山を、建水分神社は金剛山を奉っているようで、神社の場所もそれぞれの麓に鎮座しています。
今回水分神社に行ってみたいと思い立ったのは、水との関わりがいかにや・・・と、ブログを書きながら、さてここを流れる川の名前はと調べて見たところ、大阪、奈良とも「水越川」というらしい、また昔には水取合戦があったそうな、
歴史(Wikipediaより)
水越峠の名からも察せられるが、江戸時代には峠を挟んだ大和国側と河内国側で水争いがあったという。土嚢をいくつか積むだけで河内へ落ちる水が大和に流れることに気付き最初に実行したのは名柄の上田角之進というその時はまだ12、3歳の少年だったのだが、結果このことがその後の大和側の水利権を確立することになった。

1580年(天正8年)頃には河内の農民3名がこの堰を壊し磔になる。1700年(元禄13年)にも河内の農民が堰を壊したがその時は誰であるかわからなかった。翌1701年(元禄14年)旧暦5月6日には大勢の河内の農民が手に手に棒を持ち法螺貝を吹いて集まり、葛城山側の「万乳ヶ滝行者の水」と「越口行者の水」を同時に河内側に切り落とした。翌日には大和側が取り戻すが、8日には河内の農民1020人が一揆をなして両方の水を切り落とす。大和側が奉行に提出した訴状には「田植えのさ中というのに一滴の水も大和へもらさなかった」とある。旧暦12月21日に京都所司代から「大和側古くよりこの水を使っていたにより大和のものなり」と判決が出た[1]。

御所市名柄の本久寺で7月18日に行われる「角之進祭り」は上田角之進に対する報恩と五穀豊穣を祈願する行事である[2]。また御所市立名柄小学校の校庭には上田角之進の功績をたたえる顕彰碑がある[1]

で、帰りがけに「日本で一番小さな道の駅」の標識を見つけ寄ってみることにした。
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この地図で場所の雰囲気が分かると思いますが、楠木正成公生誕の地ということで記念碑や資料館、その他けやきホールという図書館兼集会場の大きな建物の周りに駐車場があり、そこに車を停めての散策
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楠木公の記念碑と説明板
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楠公(なんこう)誕生地遺跡
ここは楠木正成公が生誕したという伝承の残る地です。
現在この地に残る石碑は、明治8年(1875)2月8日に大阪会議で来阪していた大久保利通が、楠木公に関係する史跡を巡った際に、同行してい堺県令・税所篤へ整備を命じて建てられたものです。
それ以前にも、文禄年間に豊臣秀吉が増田長盛へ整備を命じて土壇を築き、建武以後の楠木邸に有った百日紅(さるすべり)を移植したという記録や、元禄年間に領主石川総茂が保護を加えたという記録が残っています。
くすのきホール建設に伴い発掘調査を行った際には、二重の堀を周囲にめぐらせる建物跡を検出、出土遺物も14世紀のものが認められ、周囲の中世山城群とあわせて考えると、楠木氏との関連も推定することが可能です。また付近には楠公産湯の井戸の伝承地も残ります。   千早赤坂村
といった場所です。
で、道の駅へと
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行ってみると、小さい駅だけに所狭しと地元の方々が出店されて
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余り写真にはお客さんが写っていませんが、結構賑わっており、我が輩も残ったイチゴを買って帰りの徒に就きました。

で、「祈りの滝の湧水」の独断と偏見の水評価は
湧き水では無く地下水であるとこが残念ですが、多くの人たちが汲みに来られているだけあって、ほどよい硬水で二週間経っても美味しく飲めました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は(地図を少し大きく)


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