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NO376:大山水紀行(長谷の銘水)

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大山山麓水紀行第二弾に11月の三連休を利用して行ってきました・・・と言っても日帰り強硬スケジュールですが、
裏大山の四ヶ所を巡って汲んで参りました。先ずは「長谷の名水」からお送りいたします。
裏大山といっても蒜山の方も含んでの四ヶ所です。
11月4日の天気予報を一週間前から気にして見ていたのですが、3日までは晴天の日が続いて4日に入り曇り時々晴れでしたが、
前日になり午前中は晴れから曇りに変わり午後になり雨が降り出す予報と変わってきた。昼間で天気が持つなら午前中に大山を一周して紅葉狩りを楽しみ、午後からは水を汲みに回る予定の計画を立てました。
午前中に大山一周をしようと思えば、どうしても朝の9時までには着いていたいと思い、逆算すると朝の4時には出発しなければならないとの計算になった。何時ものパターンで出発の予定より30分遅れとなるのである。
早い目に寝床に入り3時過ぎに起床、なんだかんだでやはり出発は4時15分となってしまった。与謝野町から大山まで高速で走ると距離にすると遠回りにはなるのですが時間にすると一番早く着くルートであったのでそのコースで走ったのでありました・・・が、途中で眠気が襲いサービスエリアで仮眠をしての見出しの写真である蒜山高原SAについたのが7時50分ごろ、さらに走り溝口ICで降りて
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大山寺へ向けて大山環状道路へ向けて走り出した。桝水高原についたのが8時30分ごろ
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まぁ予定どおりに到着したので心に余裕を持たしてノンビリ一周していこうと車を走らせた。
午後から雨になるとの予報からおそらく大山の頂は見えないだろうなと思っていたのだが、実際に見えないと気分的にショックであった。
大山寺エリアに着いてみると大山登山者の車で駐車場は埋まっていた
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ここから先の大山環状道路を通るのは初めてである、大山寺周辺を過ぎた辺りに大山スキー場が出てきました。
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それを横目で見ながら進んで行くと木立のアーチの中を走っている気分の道路を通過
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何気に紅葉が思わしくないように感じながらさらに走ると、香取展望所に到着。きれいな色づきのモミジ
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その道端にお地蔵さんが、おそらく道路工事中に出土したのでは?と思われる
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どんどん走り、一息坂展望所532mに到着
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車から降りて石段を登っていくと
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遠く日本海が・・・空はは曇りがちの展望、これは早く回らねば、曇が迫ってくると・・・さらに車を進めていくと
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岩壁がむき出しの山が目の前に舟上山と言うらしい。舟上山展望駐車場から見る景色は
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見るからに、もっこりした山が地震か、今はやりの線状降水帯による大雨により斜面が崩落して山中の岩肌が露呈した結果では?
岩壁の下崩落した山土が積もりなだらかな斜面となった・・・と考察したのでしたが、Wikipediaを見たら

『船上山は大山山系の一つで、古期大山火山の活動によって噴出した溶岩流が、長い間の浸食によって削られ、特異な山容を形成したと考えられている。あるいは古期大山の活動によって生じたカルデラの外輪山とする説もある[要出典]。頂部は広くなだらかだが、その周囲は急峻な斜面となっていて、特に東側斜面には溶岩が冷え固まって形成された険しい断崖が数キロにわたって連なり、「屏風岩」と呼ばれている。この山容が船底の形に似ていることから船上山と名付けられた[要出典]。
屏風岩
屏風岩には千丈滝(雄滝・雌滝)という滝がある。屏風岩の南の勝田川には鱒返滝(ますがえしたき)という滝があり、その上流には一枚岩渓谷という渓谷がある。
鳥取県立船上山少年自然の家
山腹の勝田川流域には利水目的の船上山ダムがある。船上山ダムから登る登山口には船上山万本桜公園があり、毎年4月に船上山さくら祭りが開催される。公園内には、食事や土産を販売する店舗や、社会教育施設である鳥取県立船上山少年自然の家が併設されている。』
というモノであるそうな。
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駐車場を通り過ぎて進んで行くと、ダム湖が見えてきた。
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しばし進むと舟上山ダム駐車場がありしばしの休憩
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ここから見る舟上山の展望は先ほどより眺望が素晴らしい。見応えのある佇まいである。またこのダム下に鳥居が立てられており
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1体が鳥取県立舟上山青少年自然の家公園になっているようである。
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トイレ休憩も済まして天候が気になるので先に進んでいった。しばらく走っていると
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大父木集落に到着、カーナビによれば工事中一部区間通行止めとなっていた。しかし、車止めが開けてあったので通れることだと思い大山環状道路を進んで行った。ここからは車一台が通れる道幅になり、大山環状道路とは名だけの山道であった。
しかし、ここに入ったのが失敗の巻であった。(写真なし)
入ってまもなく前方から大型ダンプ2台が連ねてむかって来ました。普通車どうしなら何とかすれ違いはできたのだが、無理に行こうとすると、なんと!!若いお姉様が顔を出して無理だとジェスチャーを、相手はダンプ!それも2台来ている事を考えれば如何するかは必然・・・・というわけで狭い山道をバックするはめに、100mもバックしたであろうか路肩の広い場所が出てきたために、そこに頭から入るも後ろのサイドが出ており、切り返すためにバックをした途端ガツンと衝撃音・・・ガァ~ン(T_T)ガードレールにリアドアをぶつけてしまった。慌てて降りて見るもガードレールの白い塗料がリアドアに付いているがあまりへこみがなさそうだッたので、気を取り直して、ダンプの運ちゃん2人に挨拶をして、我が輩もこの先工事現場があるようなので、大山一周ツーリングは諦め、ここより麓に降りて行ったところに名水を汲む予定地があったので、計画変更でそちらの方に向けて走り出した・・・・が、やはり当てたところが気になり停めてじっくり見渡すと、やはりへっこんではいる(ここで気持ち落ち込む)直すのに板金塗装でウン万円の出費、それで無くても、半年ほど前にタイヤをコンクリートに乗り上げバースト、タイヤが減っていたこともあり4本交換で20万弱、またまた出費が頭をよぎる(-_-;)・・・がそうも落ち込んでいられないので、気持ちを切り替えて、倉吉市長谷の「長谷の名水」へと
カーナビに住所を入れて走っていたのだが、長谷の地名を通り越して進もうとしていたのでこれはマズイと、バックして脇道に入り長谷の地名の方へ走っていくと、のぼり旗が立っている、雰囲気が第六感で名水の場所では無いか・・・と、近づいて見ると
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カーナビどおりに行かなくて良かったと水汲む段取り、
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湧き水といっても、ちゃんと整備がされて汲みやすいようになっており地元の方達が大切に保存されていることがうかがえる雰囲気です。
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で、我が輩は早速水を汲みに取りかかった。汲み終えてゆっくりと周りを見渡すと、
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こののぼり旗、長谷の銘水の説明がしてあるモノとばかり思っていたら、なんと違う話がかいてあった。
「豪雨災害により長谷観音堂が倒壊した為、新しく再建しますので支援寄付お願いします。
寄付箱は集落入り口の集会所に設置してあります。(一口千円)宜しくお願いします。「拝観可能」
美味  長谷名水管理者   長谷観音堂  」
という内容でしたが、我が輩は先を急いでいたので、近くにあった無人販売のお金入れになにがしのお金を入れておきました
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その近くには「長谷観音堂」謂れが書いてありました
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長谷観音堂      久米郡北ノ庄長谷村    由緒
 謹んで按ずるに、當堂の創立は今を去る事1200年余前(奈良時代724年)、聖武天皇の御宇(ぎょう)行基菩薩の開基にして、本尊十一面観世音菩薩は丈四尺の座像にして脇立ち、持国天王・増長天王と共に行基菩薩の御作なり。
 建久年間(鎌倉時代1190年)、右大將源頼朝の発願により、堂宇本坊再興せられ之が奉行として佐々木四郎高綱(因幡・伯耆・出雲の守護)大いに精励奉仕せられたり、応永年間(室町時代1394年)、領主羽衣石南条豊後守宗元公、七堂伽藍御建立あり続いて、本坊大慈寺以下12坊(大本坊・洞林坊・中山寺・大川寺・蓮花寺・熊野権現・阿彌院堂・子烏明神・法華尼寺・薬師堂・仁王門)の建物を修理し北谷の庄11ヶ村を寺領として寄付せられ年毎に秋納に至れば、貢ぎを運ぶ人馬の通り、上る人馬は下の道、下る人馬は上の道連続絶えることなく、佛徳の隆盛、赫々として参詣の善男善女は絡驛織るが如く、寳に近郷稀見る霊場たり、然るに近古兵燹に罹く灰燼(ろ)化し只礎石のみを残すに至れり、然れ共本尊及び若干の尊像は信徒諸衆の護法の信念に頼り恙無(つつがなく)遺存し五間四面の佛堂を建立し茲に奉安するに至るものなり。正保二年(江戸時代1646年)松平相模守六郎左衛門本堂御建立、元禄年間(1668~)伯耆三郎ノ助力を以て京都より大佛師を聘(へい)本尊御佛軀を彩色す、安永5年(1775年)10月18日一郡の助力を仰ぎ梵鐘鋳造し、寛政卯7年(1796年)更に本堂の再建をなし四隅の脇壇には阿弥陀如来、大日如来、薬師如来、地蔵菩薩の四佛を安置せられ、是れ現代の堂宇なり。
斯く如くして伽藍等、時に荒廃ありと雖(いえども)佛徳の鴻大なる感應利益(かんおうりえき)の顕著なること、又以って昔日異ならず、故に毎月18日等には遠近より参詣せらる、信者多く殊に春期に至れば伯耆33番第3番の御礼所として又、久米郡第16番の御礼所として遠く老若信者の巡拝を見る者ものなり。
斯く崇高なる尊尊と由緒ある御佛体なるが故に、大正11年6月文部省により審査の上、脇立に天王は国宝として指定せ茲に史實に於いても確正を得るに至れり。
昭和7年9月国宝に天王は美術院主事 新納忠之介氏の手により、破損個所の修を終え、行基菩薩御調作當時の御尊容を今日仰ぐに至れり、復た以て吾等末世の信徒として歓喜に堪えざる處なり、聊(いささ)か謹んで由緒の一端を述べる。

  昭和7年5月   長谷観音堂受寺正鷹寺住職  加藤玄雄
    一言、難しい文章でコピペするのに苦労がごとし・・・終り

長谷の銘水の独断と偏見の水評価は
軟水系に思われ、しかれどコーヒーもすがすがしい透明感を感じ取れる飲み口であり、後ほどに出てきます案内人の娘さんも此の水を持って大阪に帰られるとのこと。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は




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