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NO375:壺井八幡宮の「壺井水」

藤井寺 031
西国三十三ヶ寺巡り第五番「葛井寺」に行くついでに水を汲みに行こうと、藤井寺市を探したのですが思わしい所が無く、隣町の羽曳野市に名所「壺井水」がある事をネットで見つけ行くことにした。
「葛井寺」は称号が市名になっている藤井寺市にあり、地図で見ると近鉄駅「藤井寺駅」の近くにあるようなので、カーナビに藤井寺駅をセットして出発。
藤井寺 003
約2時間ぐらいで到着、駅前の駐車場に車を置いて行く事に、まぁ駅に近い所にある有名なお寺なので案内版が有るものと思っていたのだが、近くに見当たらず、標識も無い。近くでお寺らしき雰囲気があれば分かるだろうと、お寺の方向に向けて出発。
ところが路地に入っていくと建物が密集しているため方向がつかめず
藤井寺 004
境内らしき木立の茂ったところに行っても鳥居があるのみ、イロイロと歩き回ったところ
藤井寺 005
ヤット路地の遠くに山門をみつけヤレヤレ・・・と、でも、駅からお寺までの進路標識の一つぐらい出てても損はしないと思うのだが、まぁ我々が見つけていなかったかカもかもカモカモ(?_?)
まあ何はともあれ山門に到着
藤井寺 006
山門をくぐり境内に入ると
藤井寺 010
藤棚が出迎えてくれます・・・が春ではないので花無し藤の青々とした葉のみ、本来は春に来るのがベストなのだが来年の春まで待っていると、次の六番札所「壺坂寺」がこれまた桜の名所らしいので、チグハグすることから藤の花の件は目をつぶっていくことにしちゃのであります。
藤井寺 011
「葛井寺」の謂れとは
  西国第五番札所
真言宗  紫雲山葛井寺  沿革
 葛井寺は6~7世紀に百済王族王仁一族の葛井氏らにより創建せられ、その後、45代聖武天皇が神亀2年(725)本尊11面千手千眼観世音菩薩を奉納せられ、3月18日僧行基菩薩によって開眼法要が営まれた。
 平城天皇の大同元年(806)阿保親王が勅を奉りて再興、次いで在原業平が奥の院諸堂を造営し、ここに寓居せられた。
 永長元年(1096)大和国軽里の住人藤井安基が寺塔の荒廃を再修し伽藍の美観を旧に復したので、その苗字から藤井寺とも称す。
 後醍醐・後村上両帝の御帰衣篤く元弘3年10月7日(1333)仁王会を御修行あり、右中將楠木正成を勅使として御綸旨を賜う。しかし、南北朝藤井寺合戦や戦国の兵火にて多くの堂塔焼失す。
 65代花山法皇河内石川の里佛眼上人を御先達として西国三三所観音霊場を御巡鍚(987)の砌、當寺御本尊を御巡礼、拝跪し御叡感の余り
  参るより 頼みをかくる ふじい寺
          花のうてなに 紫の曇
  と御詠歌あそばさる。
永正7年8月8日(1510)大地震により伽藍諸堂倒壊す。仝年(とうねん)11月寺僧諸国に大勧進して諸堂坊舎を旧故の如く修築す。その後、慶長6年(1601)豊臣秀頼公及び徳川家代々の外護を受けて現在に至る。
       昭和44年5月(平成26年4月修復)
「葛井寺」の寺歴は以上の通りですが、もう少し今風の文体で書いてほしいものです。
堂内社務所で御朱印をいただいた時に、撮影の許可をお願いしたのですが×でしたので写真は無しと言うことで、いただいた御朱印です
IMG_3609.jpg
お寺の雰囲気は、山門から撮した本堂の様子
藤井寺 008
や、境内にある鐘楼
藤井寺 009
中々立派な鐘撞堂ですが、葛井寺の最大の見所といえば、月の縁日18日に御開帳される「国宝:十一面千手千眼観音菩薩」のご本尊だそうですが、我が輩は日程の都合上見ることはできませんでした(^_^;)

と言うことでお寺を後に、近くに、堺市にある「仁徳天稜といわれている大仙陵古墳」の次に大きい前方後円墳「依田御廟山古墳」があるというので行ってみることに
藤井寺 012
玄関に「宮内庁書陵部 古市陵墓監区事務所」の看板が掛けられておりましたが、人気を感じ取れず車を置いて見学へ
横に周り古墳へと
藤井寺 014
古墳の正面に着いたのですが、これ以上右も左も行けません。
藤井寺 015
かといって古墳の全体像も分からず、埋葬者の名前が石柱に書いてあったので撮して引き返す事に
藤井寺 016
誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)または誉田山古墳(こんだやまこふん)は、大阪府羽曳野市誉田にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群を構成する古墳の1つ。

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治定されている。また外濠と外堤は1978年(昭和53年)に国の史跡に指定されている[4]。

名称は「応神天皇陵(おうじんてんのうりょう)」とも呼ばれることがあり、大仙陵古墳(大阪府堺市)に次ぐ全国第2位の規模である巨大古墳。『ウィキペディア(Wikipedia)』
ということで、本来の目的?である銘水を求めに「壺井八幡宮」へと移動していった。
ソコは田園風景の集落の中にあった。
藤井寺 017
カーナビに目的地を入れて進んできたのでスムーズに到着できた。
藤井寺 022
この鳥居をくぐった右手に駐車場らしき広場が、ソコに車を停めて探しに出発・・・
藤井寺 026
鳥居から見た集落の雰囲気で~す。
探しに・・・と思ったのだが、思いのほか鳥居の内側にすぐ見つけることができました。
藤井寺 021
立派な井戸の建物でしたが中を見てビックラポン
藤井寺 019
コンクリートで井戸が塗り固めてある・・・(T_T) こりゃ何じゃ・・・と、その横に「壺井水」の謂れが書いた看板が
藤井寺 018
  清泉壺井水
 前九年の役の際、天喜五年(1057)に東北地方の戦地へ赴いていた、源頼義とその子頼家が大かんばつのため飲み水に困り果て、敗北を余儀なくされようとしていました。
 そのときに、頼義が馬から降りて着用していた鎧を脱ぎ、天を仰いで祈念し、自ら弓矢岸壁に向かって射たところ、そこから清水が湧き出して渇きをいやすことができたといいます。
 戦に勝利して、この清水を壺に入れて持ち帰り凱旋したときに、井戸を掘りその底に壺を埋めて「壺井水」と称したといわれています。
    頼義が愛用したと言われる「黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる)」重要文化財、壺井八幡宮所蔵
後ほど地図を見る中で、この近辺に源家関連のお墓がある事が記載されており、河内源家の発祥の地だそうです。

清和源氏の発祥の地は兵庫県川西市の多田神社とのこと  それ以外にも京都市の六孫王神社があるそうな?

ということはさておき、水が汲めなかったことに落ち込んでもいられないので、取りあえず壺井八幡宮には参拝に行ってこなくてはと、藤井寺 027
石段を上がりきった境内の右側にクスノキの大木が、
藤井寺 032
写真では大きさが伝わらないので、相方さんに立ってもらい撮したのがコチラ
藤井寺 034
我が輩はこの様な巨木を見ると生命力を感じ取れて好きなのであります(*^-^*)
で、コチラの本殿は
藤井寺 035
お寺のような雰囲気の神社でありました。

一応「壺井八幡宮の場所を入れときます




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