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NO366:那智大滝の「延命の水:清浄水」

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無事「恵利原の水穴」の水を汲み終えて次は那智勝浦の「休暇村南紀勝浦」へ向かうことにした。
予定どおり伊勢地域をPM1:00前後に出発することが出来、南紀勝浦にPM3:15頃着けば「青岸渡寺」へはPM5:00には間に合うだろうと思っていた。ところが、高速を走っていたときにふと頭をよぎったのが、29番札所舞鶴の「松尾寺」に行ったとき、社務所の閉門時間が5:00だったか4:00だったか有ったはず、心配になり相方サンにスマホで検索してくれと・・・するとPM4:30との事、まぁこのままで行けばなんとか行けそうなので高速道路をルンルン気分で進んで行った。ところが、休暇村那智勝浦の入り口に着いたのがPM3:30過ぎで予定より遅れてしまった。本来はホテルに寄って再度出発して行こうと予約していたチェックインPM3:30を解約してそのまま「青岸渡寺」へ直行、那智の滝に着いたのがPM4:00過ぎ
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ところが青岸渡寺の駐車場の案内版がなく、那智大社の看板は目に付いたのだが、そのままさらに奥へと上って行った。しかし行けども、どんどん寂しい雰囲気になってくるし、これはおかしいと引き返して行った。那智大社の駐車場はあるのだが・・・と思いながら少し降りていくと「青岸渡寺・駐車場」の小さな看板が目に付いた。この時すでに4:20過ぎ、なぜか料金所には誰も居なく無料で通過、急坂を駆け上り駐車場に着いたのが4:25
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取りあえず相方さんに走って行ってくれとお願いして、我が輩は後から歩いて行くことにした。
本堂の前まで行くと、相方さんが非情にも本堂の階段まで辿り着くと本堂の扉が閉められて閉まった。(T_T)で、お願いしてもダメトのこと
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しゃあない明日もう一度来ることにして、まだ明るかったので境内を散策
那智の滝の展望広場
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ここからの那智の滝の展望
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少し遠くからの展望
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那智大社が隣にある事が判り(最初から判っておれば御朱印はもらえたのだが)参拝に
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その昔は神仏習合であったのだが明治に廃止され別々に今に至っている。【青岸渡寺
この朱門をくぐって那智大社へ
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青岸渡寺の古くて「いぶし銀」的な趣と対照的な「きらびやかな朱塗り」の社である。江戸時代後期に建てられた建造物にしては維持が行き届いており、おそらく何年に一度は朱塗りの塗り替えをされてのことだと思われます。
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本殿手前にある二ノ鳥居ですが、下の駐車場からは石段と参道を歩いて上がってくる大変な場所である
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下に見えるのが一の鳥居だと思うのですが結構な石段、その下にも石段を登ってこなければなりません。
我が輩は、青岸渡寺の駐車場まで上って来れましたので、それに関しては苦労はしなくて(^_^)vでした。
那智大社の境内にある御神木の巨木「楠」は
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三木の根元に大きな空洞が開いています
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この空洞を胎内としてくぐっていく
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  楠霊社胎内くぐり
この老楠は古来楠の精にあやかって楠霊社とし、又、無病息災を祈り長寿を願って多くの人々に崇められています。根幹部分の空洞を通り抜ける「胎内くぐり」には備え付けの「護摩木」「祈願絵馬」に願意・氏名を記入し、これを奉持して胎内に入り出口の護摩木・絵馬掛けに納めて下さい。
 護摩木は毎月18日の権現講祭に焚き上げ祈願します。
護摩木初穂料:300円
祈願絵馬初穂料:500円
和歌山県指定 天然記念物
那智の樟(くす)
 この樟は樹齢約850年と推定され樹高は27メートル、幹周り約8,5メートル、枝張りは南北25メートリルもあります。
県下でも珍しい樟の大樹で、根幹部は空洞化しています。
熊野三山造営の勅使として参った平重盛の手植えの樟と伝えています。
                        熊野大社
で、時間も旅館に着く時刻が近づいて来ていたので再度「青岸渡寺」へ引き返してくると本堂の横に水が出ているのを発見(^_^)v
良~く見ると、水源:那智の大滝の水「延命の水・清浄水」と書いてある。しめしめ、これは那智の滝の水だと言うこと、どの様に引いてきているのか判らないが(焚きからはケッコウ遠い)
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あまり深くは考えず、書かれていることを信じて戴くことにした。
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知らぬ間に相方さんが水を汲んでいるところを撮していた。閉門時であったので観光客も少なく、水を汲むのには都合が良かった利点でもあった。明日の朝、開門が8時だと言うことなので朝一番に再度訪れることにして休暇村南紀勝浦に向かった。
今回の旅行では、コロナの終息?によりGoーToトラベル(全国旅行支援)により1人5000円合計1万円の支援金が頂けることになり、そのうえ和歌山県の「わかやまリフレッシュプランにより1人3000円の県内お買い物クーポン合計6000円を戴くことが出来ました。旅館のホームページには受付にTELすれば予約をしてくれるトのことであったので電話をすれば「ネットが出来る方は各自でして下さい」とのことで、申し込みをすることになった、やり方はHPに書いてあるのだが要領が今一分かり難く、四苦八苦した結果無事登録が出来万々歳であった。「わかやまリフレッシュプラン」はその日のうちに県内で使い切るということが条件である。まぁ土産もたくさん買わなければならない事情があったので大助かりであった。(*^_^*)
ということもあり、今回は豪勢に「旬を迎える活き伊勢海老料理」の宿泊にした。その料理がこちら
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大きな声では言えませんが、見た目は立派ですが食べるところが少なく、やはり貧乏所帯の我が輩にはチョイと口に合わなかった様です。むしろカニ料理の方が食べる量には満足するだろうと思いながら、しかし平らげてしまった。
朝方になり、相方さんが「日が上って来るみたい」と・・・窓の外を見れば、昨夜は暗くて何も見えなかった外の景色が一望
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低山の頂に作られた旅館だそうで、南紀の海が一望素晴らしいけしきである。この状態で太陽が昇ってくるまでには気長に待つこと××分次第に赤みが濃くなり出してきた。
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これは日本海側に住む我が輩にとっては一生に何度有るかないかの絶景である。日が昇りきるまで撮す決断をして待つこと?分
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それから?分、太陽が水平線から離れる間際です。
そうこうしてる間に
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遂に太陽は水平線から登り切った!(チョイと上りすぎの感かも)
望遠では全体の雰囲気が届けられないので
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しかし見出しに使った写真が一番かも(*^_^*)
と言うことで、今回は天候にも恵まれ良い一日になる予感(^_^)/にて、朝食を朝一番AM7:00にお願いしての出発であった。
「休暇村南紀勝浦」の玄関です。お手頃価格で一流の景色を堪能出来る場所に建てられている施設であるらしい。我が輩は偶然探してお手頃価格だと言うことで決めたのですが、普通の旅館・ホテルの様な「おもてなし」の接客は期待できませんが、それはそれで良いのではと思えます。まぁ食事も食堂で一同交いして、各部屋バスなし、お部屋まで手に持つ持参と言うこと。
そんな旅館を後に出発
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キョウの行動計画は詰まっているので急いで再度「青岸渡寺」へ
昨日訪れていたので道順はバッチリ(^_^)vところがお寺へ上がる道の料金所にはバッチリ守衛さんが待機、通行料を払い駐車場まで1分。早速本堂へ
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バッチリ本堂の扉は開門されていました。洞内は撮影禁止のためここまで、もらってきた御朱印は
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右側は、我が家の菩提寺の本山・妙心寺の御朱印
   左が西国一番札所「那智山・青岸渡寺の御朱印でござる。
青岸渡寺の境内にも「イヌグス」の古木がどっしりと構えていました
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【イヌグスは、普通タブノキと呼ばれるクスノキ科の常緑高木である。暖地の沿岸地に自生し、高さは20メートルほどになる。このイヌグスの大木は青岸渡寺(せいがんとじ)境内の本堂横に生えている。枝葉はよく茂り、イヌグスとしては全国屈指の巨木である。独立樹で、境内の景観を構成する上でも貴重な樹である。】
朝日に映える那智の滝を堪能しながら
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熊野古道を横目に見ながら那智山を後にした。
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那智山・青岸渡寺
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青岸渡寺は仏教の天台宗のお寺で、33体の観音菩薩(慈悲の仏)像にお参りする西国33所観音巡礼の1番札所でも有ります。
西国33所観音巡礼は、貴族や上皇の間でこの巡礼が人気を博した平安時代(794-1185)から行われ、日本遺産にも認定されています。
 青岸渡寺と熊野大社は、江戸時代の(1603-1867)の終りまで、那智山と総じて人々から信仰されてきました。この形態は、明治新政府が仏教と神道の厳格な分離を命じ、僧侶達が那智山から追い出されたことで終りを迎えました。
 その後1874年に、僧侶達は空になったお堂を青岸渡寺という新たな寺として使う許可を得ました。
 1933年に建てられた山門は、仏教は仏教の守護神である仁王と神社を護る狛犬という珍しい組み合わせが特徴です。
 また、三重塔は1581年に焼失しましたが、約400年の時を経て1972年に再建されました。
     鰐口
 青岸渡寺には世界最大の鰐口もあります。鰐口は仏具の一種で、その名前は文字通り「ワニの口」という意味です。青岸渡寺の鰐口はメートルメートル、重量450キロで、お寺の本堂の入り口に吊るされています。
そして次なる観光地、清流古座川の一枚岩へと車を向けた。
国道42号に戻り一路南下、潮岬の手前の古座川の上流に向けて入って行きます。約14km程で約20分ほど、川淵を通って見る川面はやはり綺麗な姿を見せてくれます。
道は少し狭いが、交通量が少ないので順調に走り到着。
先ずはこの岩山が目に入り
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さしずめ日本のエアーロックミニ版というところか・・・が、本命はコチラ
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高さ100m幅500m有るそうである・・・が、那智の滝を見た後でも有ったので、本心はそれ程でもと言うところでした。
我が輩が古座川の一枚岩を知ったのは、ファルトボートで遊びだしてからである。日本のカヤックの先駆けで組み立て式のカヌー(言い方イロイロ)フォールデン式カヤックを作る会社を設立された藤田 清氏がこのカヤックでこの一枚岩から古座川を下っていくツアーを毎年企画されていたのを知ってのことでした。藤田氏曰く、一枚岩も結構なものだが、古座川の川面も綺麗で自慢されていたことを思い出します。何時かは古座川と思いつつ行く機会がなく今日になってしまい、近くに行けば一度は行ってみたい場所でもありました。今回何十年越しの思いが実現できたことはうれしい限りでございます。
地元の物品・土産物等販売施設が一枚岩の前に作られており、そこから河原に降りることも出来、キャンプも出来るようになっています。
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遠くにも岩山が見えますが、この近辺はそのような地域のように見えます。
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長居することもなく、連れ合いが急かしてうるさい「白浜アドベンチャワールド」へと車を向けて行った。

青岸渡寺の霊水・那智大滝の「延命の水:清浄水」
の独断と偏見の水評価
ホントに那智の滝の山水かどうか判りませんが、重厚な飲み口であった、胃が重くなったので
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデス
詳しい場所は








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NO365:平成の名水百撰「恵利原の水穴」(天の岩戸)

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今回は、結婚?周年記念の紀伊半島ぐるっと二人旅「西国33ヶ所巡り」に行ってきた水紀行であります。
西国札所の一番は、那智勝浦にある、那智の滝近くの「青岸渡寺」回るなら一番から始めようと、それに以前から連れ合いがこいてこいてパンダが見たいと言うこともあり、それなら一層のこと伊勢参りから紀伊半島を巡ろうと計画を作ったのでありました。
勿論我が輩は水汲みとは切っても切れない者だから、その目的も入れての話である。
先ずは伊勢神宮外宮~内宮へと参る予定で、我が家をAM7:00出発、と言っても何時ものの遅れての出発である。伊勢市までは約260kmの距離にて約3時間半みとけば大丈夫との計画、伊勢参りで約2時間、そのうち水汲みと昼食を入れて出来ればPM1:00荷は伊勢市内を出発したい思いでの計画、コースとしては京都縦貫道~京滋バイパス~名神~新名神~伊勢自動車道と高速道路を乗り継いで、我が町から伊勢市まで高速道路でひとっ飛び・・・と言っても約3時弱弱かかりました。
先ずは外宮、正式名所は豊受大神宮、チョイと話がそれますが、神社:大社:宮:神宮と日本古来の神を奉る社の名所が大まかに言うと四つぐらいに分かれます。ネットで調べると
神社
日本古来の神をまつる一般的な施設のことで、多くは地域の神を奉る社
大社
元はといえば島根県の出雲大社(いずもたいしゃ)のみに使われる呼び名でした。大社という社号は、第二次大戦前まで使用されていた全国の神社を格付けしたもので上位に位置する神社の中でも、全国に多数ある同名の神社をとりまとめる役割を持った神社を指し、確かな歴史のある神社であることを示しています。(我が輩が聞いていたのは、皇族に対する民衆が作り上げた大きな神社だと)

一般的に神宮と同じく皇族と関係の深い神社です。こちらは親王(しんのう)と呼ばれる天皇家(てんのうけ)の男子を祭神としています。
また、歴史上の重要(じゅうよう)な人物をまつった神社にも、伝統的に「宮」がついています。有名なところでは、徳川家康(とくがわいえやす)を祀った「東照宮(とうしょうぐう)」や、菅原道真(すがわらのみちざね)を祀った「天満宮(てんまんぐう)」があります
神宮
まつられている神のことを祭神(さいじん)と呼びます。この祭神が皇室(こうしつ)の祖先であったり、皇族(こうぞく)と縁(えん)の深い神社を「神宮」と呼びます。
天照大神(あまてらすおおみかみ)がまつられる三重県の伊勢神宮(いせじんぐう)を筆頭(ひっとう)に、明治天皇(めいじてんのう)がまつられる東京の明治神宮(めいじじんぐう)などが有名です。
とのことらしいです。
で元に戻り
伊勢の外宮に着いたのが、AM10:30ごろ
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11月の飛び石連休の合間の平日であったためか、駐車場も8分がた埋まっていたが無事止めることが出来ました。
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外宮~内宮と離れているので、二ヶ所を回るためにはゆっくりと参拝することは出来ないのですが先ずは橋を渡り境内へと入ります。
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境内に入ってすぐこんなのが前から走ってきた
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土埃が立たないように配慮だと思うのだが、まさか神社の参道でェ・ェ・ェ~・・・と
さらに歩いて行くと、参道の真ん中に
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見るからに神聖な場所の様に司法を縄で囲ってある石、この様な石・岩の事を磐座(イワクラ)というのだそうです。
調べて見ると

神社でよく見る磐座(いわくら)とは?
磐座 神社
神社で大きな岩が玉垣で囲まれていたり、岩に注連縄が張られていたりしているのを見かけることがあります。これは「磐座(いわくら)」と呼ばれるもので、神道の中でも神聖視される岩なのです。
神社にある磐座について
磐座とは?
日本古来の信仰である「神道」は、開祖や教典というものがなく、日本神話の物語である「古事記」・「日本書紀」を基本とした「自然信仰」となっています。これは「自然のものには全てに神が宿る」という「八百万の神(やおろずのかみ)」の教えとなっています。

この中で特に神聖視される「岩」が磐座です。神を「依代」とした磐座に降臨させ、その神威を持って祭祀を行っていました。常に神がいるとされる神殿の建設が進むにつれ、祭祀自体は神社で行うようになっていきましたが、この磐座を元に建設された神社も多く存在し、境内に注連縄が飾られた霊石として残っている場合もあります。

信仰心の弱い我が輩などは、岩にけつまずかないように囲ってあるぐらいしか見えないのである。
さらに歩いて行くと、だだ広い敷地が見えてきました
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これは「古殿地(こでんち)」と言われ、伊勢神宮の社殿は20年に一度建て替えられます。これを遷宮といい、古い社殿があった場所です。
その横に、外宮に祀ってある豊受大神の社殿「豊受大神宮」があります
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この鳥居の中では写真撮影が禁止されており
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撮そうものなら、黒い服を着た守衛のお方が飛んできて撮影禁止と注意しておりました。
と言うわけで「豊受大神宮」の社殿は移しておりません。
ところで「豊受大神」とは、万民の食物をつかさどる神徳ありとし,ひいては農耕以下生産の守護神なる
天照大御神が伊勢に鎮座されたのが2000年前、500年後に天照大神の食事を担当するために京都の丹波国から迎えられたと言うことです。それが天橋立にある籠神社(このじんじゃ)元伊勢と言われているゆえんです。・・・が福知山市大江町にも「元伊勢外宮豊受大神社」という神社がありますが、一説には定かではないと言われております。
尚、写真の社殿は多賀宮であり、この様な石畳を上っていきます
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外宮はこの辺にして、伊勢神宮の内宮へと移動していきました。
駐車場は内宮の近くだと満車になっている可能性のためにB6駐車場へ向かうことにした。
五十鈴川の河川敷にある駐車場でした。
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河川敷を歩いて近くまで行き、おはらい町へ入って行きます
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歴史的建造物を残している町並みと言うことで
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こんなのも、伊勢の名物で有名な本店
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今では高速道路のPAでも売られているほど有名
そして宇治橋の入り口に
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内宮の境内図
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で、その横に立っている
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  皇大神宮(内宮)
御祭神:天照大御神
御鎮座:垂仁天皇26年
 天照御御神は皇室の御祖神であり、歴代天皇が厚く御崇敬になられています。また私達の総氏神でもあります。
 約二千年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり、各地を巡られたのち、この五十鈴川のほとりにお鎮まりになりました。
 20年に一度神殿をお建て替えする式年遷宮は1300年余り続けられ、平成25年10月2日に第62回式年遷宮が行われました
では参拝としますか
先ずは宇治橋から五十鈴川を展望
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ここを過ぎれば伊勢神宮の境内になります。
皇大神宮に続く参道を歩き出して右手に気持ちの良い芝生の「神苑」をみて進みます
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参道に時たま鳥居が立っています
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この鳥居を過ぎたところに五十鈴場所があります「御手洗場」と言うのだそうです
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我が輩は川淵まで降りてないので参道からの写真のみ
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さらに歩いて行く参道の雰囲気、この間建物がイロイロとありますがパス
ようやく着いたときの風景ですが、この後大失態・・・写真を撮ることが禁止されていたことをてっきり忘れていて、石段を登って正宮の正面でカメラを構えると、外宮でもおられた守衛さんに早速注意、石段の途中まで降りて撮そうとすると、またまたお叱りを受け、結局
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結果この写真が一番近いものです。
参拝をすると後は帰るのみ、詳しくはネットのHPを検索して下さいネ(^_^)/ まぁ 皆さん行かれていらっしゃるのでは・・・と
ぼろが出るので境内の説明はこの辺で
帰りには「伊勢うどん」を昼飯に食べようと「おはらい町」まで帰ってくると
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この人混み、これではうどん屋さんは皆満席で食べられないかな~とぼやきながらお店を探していると、なんと!!丁度石が開いたお店に出くわしすぐ注文、出てきた伊勢うどん
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見るからに辛そうなかけ汁、関西は「薄味」関東は「濃い味」と言いますが、見るからに関東風のうどん・・・が、食べてみるとそんなに辛いと言うこともなく、良い出汁が出ていて太くて柔らかいうどんに良くマッチしているな~と美味しく食べれました。
帰ろうとお店を出ると、何処からとなくドンドコドンと太鼓の音が聞こえてきた。音がする方へ行ってみると「おかげ横丁」の看板、我が輩はこの辺り一帯が「おかげ横丁」とばかり思っていたが、正式には本筋を中心に全体が「おはらい町」というらしい、入って行くと、お祭り騒ぎ
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賑やかしに時間を区切って実演されているようで、ラッキーな時間帯であった。帰りにこんな人とワンちゃんにも出会いました。
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伊勢での予定は残り「天の岩戸」に水汲みに行く事、時計をみても12時半になっていない、時間的にはなんとか行けそうなので予定どおり平成の名水を汲みに向かった。
志摩スペイン村に行く近道の県道32号の峠付近に近づくと
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天の岩戸1,2kmの看板を発見、ここから右の脇道に入っていき
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この様な道を1km程行くと駐車場に着きます
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ここからは車は進入禁止の作があり徒歩で行きます。ゆえにリュックに3本ペットボトルを入れて出発
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400m程歩いて行くと鳥居と石灯籠が見えてきて近づいてきたことが判ります。遠方には「禊ぎの瀧」も見えてきます
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この階段を上がっていくと、天の岩戸と言われる洞窟があります
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恵利原の水穴(天の岩戸)について
 「古事記」の中に出てくる有名な神話、天照大神が須佐之男命の悪事を戒めるため、岩戸の中に隠れてしまわれた伝説にちなんだ洞窟が、ここ「天の岩戸」と言われています。
この伝説の地は日本各地にありますが、うっそうと茂る杉木立の中、ひんやりとした霊気に包まれ、洞窟から湧き出る清水の音を聞いていると、まさに神話の物語が展開したであろう雰囲気になり、実に厳かです。
その洞窟から湧き出る清水は、高さ3m程の「禊滝」と呼ばれる滝となり、神路川を経て下流にある志摩市の重要な生活用水の水源である神路ダムへと流れ込んでいます。
この湧き水は名水百撰にも選定されています。また、この神路川は、昔”裏の五十鈴川”と呼ばれていたこともあり、伊勢皇大神宮とのゆかり深い地域として、四季を通じて訪れる人は絶えません。

石段を上がっていくと
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境内が開けてきた。鳥居をくぐって右に行けば「風穴」200m先
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ソコまではしんどいのでパス。正面の奥に「水穴」
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この水穴から湧き水が出てきています。正式名所は「恵利原の水穴」というもの、
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で、我が輩も厳かに「お水」を戴いているところでございます。ひんやりとした水温で霊気を?を感じます。
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沢ガニもチョコチョコと歩き回っている清廉な水であった。
水を入れて右上にある「天の岩戸・上社」に参拝をして引き返して行った。
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で、「襟原の水穴湧水」の独断と偏見の水評価は
喉越しの良い飲みやすい水出あった。
(^_^)/ (^_^)/ (^_^)/ (^_^)/ (^_^)/ でした
詳しい場所は




NO364:宇陀市の自動販売機「弘法大師ゆかりの岩清水」

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曽爾高原から降りてきて、元来た道を帰りそこから脇道に入って細い道を上っていくと集落の背景に「のこぎり山」の様な岩山が見えてきました。
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車がすれ違うのが怖いような山道を登り駐車場に到着
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この場所から屏風岩が眼前に迫ってくる場所までは徒歩で10分位歩いて行かなければなりませんでした。
その道すがら、休憩場所には
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壁に何か付いている物があったが、その時はなんだか解らなかった。屏風岩公園に近づいていくと
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桜の木々に誰かがぶら下げている物を発見、その木々の間から
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見上げると岩山がそそり立っていた。さらに進んでいくと
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杉や桧の枝やその辺にある草木で作った動物を形取ったオブジェ
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大地の子:西岡 潔  「大地の子と一帯になれます」と書いてあると言うことは乗っても良いということか?
どうも、この公園を利用した芸術祭のようだ。
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奥大和 心のなかの美術館
広場の中心には
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盆踊りの櫓(やぐら)のような物が置かれていた。近寄ってみると、寝そべって見上げてゆっくり過ごして下さい・・・と
お言葉に甘えて床に寝転んで見上げてみれば
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さらに
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柱状節理の巨大な岩壁が山から山へ伸びている。ひと山ぐらいなら他にもあるかもですが、高さ200mの絶壁が1500mの長さで連続している様は、国指定の天然記念物になっている。
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まさに圧巻である。時の経つのも忘れて見惚れてしまった・・・というのはチト言い過ぎかも(^_^)v
芸術祭に参加して少しうろつくことに、
コチラは寂しい森の中を賑わしていたい・・・芸術かな?・・・芸術とはこうゆうものなんだー( ^o^)ノ
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すこし離れたとこには
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木材で作った猫ちゃん、それともワンくん、イヤイヤ百獣の王ライオン君・・・かな?、後ろに回ってみると
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やっぱし、なんだか解らなかった。見る人が想像して~・・・と言うことカナ(?_?)
遠くには、行ってきた曽爾高原がくっきりと
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屏風岩公園は広いので、もっと様々な工作物が展示されていたのだろうが、我々はこの辺で切り上げ帰宅の途に、帰り際に他人の別荘に勝手に入り込んで一家でたむろしていた
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親鹿はさすが逃げ足が速く、カメラを構えたときは子鹿しか映ってイいなかった。(-_-;)
帰りは本来なら別ルートで返りたかったのだが、石清水に未練があり協議の結果同じルートで返ることに決定
着いた所が
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五台ある自動販売機には先客あり、終わるのを待って
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ワンコインで2分間水が出てくるので、我が輩は余りきるので、次の人にそのままバトンタッチ、良い事した気分で出発して行きました。
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この清水は、遠く八世紀半ば弘法大師様が高野山で修行を終え、全国行脚の第一歩として、女性を救い女性の修行道場にと大和室生山を選び、現在の高野町を起点に橋本市、奈良県の五條市、御所市大和高田市、橿原市、桜井市】と経て行脚の途中、清浄水の補給のため、この聖地で清水を掘り開き、橿原市赤埴仏隆寺(室生山の正門)を経て真言道場高野室生寺を再興しました。爾来一千百数拾年”仏法清浄水”として地元の方々は無論、伊勢詣でする旅人には真水として楽しんでいる。
 尚、仏隆寺には弘法大師様の42才の座像、又弘法大師高弟堅恵大徳の入定所(石室、重文)等古美術が多く収納されている
 大きな声では言えないけど、ネット上には地元の人の?も
しかし、ちゃんとした水質検査表も掲示されており、我が輩が行ったときには、先客その後も次から次に水を汲みに来ておられた・・・と言うことは美味しいのだろう( ^o^)ノ
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「食品衛生法の水質基準に適合する」とかいてあります。

「弘法大師ゆかりの石清水」の独断と偏見の水評価は
飲み口は良いが、コーヒーの渋みを引き立たせる水であった
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデシタ
詳しい場所は





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