NO352:甲賀市の「南井泉」

旧東海道が街並みに残り、新東街道「国道一号泉」が通っている甲賀市土山町へ、最近はそれに加えて第二名神の高速道路も建設され鈴鹿峠を超えて三重県へと進んで行く場所であります。
甲賀市は平成の大合併で大きな市へと変貌、滋賀県の南の位置に構えている。全国的に知れ渡っているのは「東海道鈴鹿峠・甲賀忍者・信楽焼き狸の街」等である。
国道1号線は使わず、我が地域から直接高速を使い、新名神:甲賀土山ICで下りるコースを設定、約2時間弱で到着しました。
予定通り旧東海道の街並みを観に行く事に、高速を下りて野州川を渡り少し行くと国道一号線の一つ手前の路地のような脇道に左折して入って行きました。

写真に写っている松の木が街道沿いに並木を作っているイメージ(情報元の写真にて)を求めていったのだが、この場所でしか松を見つけることができず、ガックし、その先の公民館前には

何やら古げな石柱二本が立っていて、横には説明の立て札が見えたので寄ってみた。ソコには

布引山
土山の西、大野の地に、布引山は東西に布を引くが如く流れる。春はたなびく春霞、夏は松映え、秋は月に冴えわたり、積もる雪すら美しい冬の朝、春夏秋冬それぞれに姿麗しく趣がある。
平安の昔より阿須波道を行き来する大宮人や、東海道を行き来する旅人たちも布引山を愛でて詩歌に詠んできた。大岡寺(だいこうじ)(水口町)で得度を受け、方丈記を著した歌人、鴨長明もまた布引山を愛し次の歌を詠んだ。
「あらしふく 曇のはたての ぬきをうすみ むらぎえ渡る 布引の山」
江戸時代の大改修により道すじは変わるものの、東海道が布引山沿いを通ることは変わらない。明治13年7月13日にこの地を通られた明治天皇に供奉(くふ)する国学者池香香穉(かわか)の詠んだ歌に次の二首がある。
「吾が袖に 通うも涼し 布引の 山より下す 夏の朝風」
「みゆきます 道のとばりと 見ゆる哉 布引はへし 山の姿は」
令和2年1月31日
土山の町並みを愛する会 甲賀市教育委員会
と、布引山はコレかも?

で、松並木を探しているときに見つけた鳥居

瀧樹神社(たぎ)の鳥居、なんか由来がありそうな神社、鳥居の先にはカーブミラーが見えるが本殿はいずこか探してみることに(?_?)
その前に、瀧樹神社の由緒について

龍樹神社の由来
この神社の由来は、約2000年前から神聖なる地として、知られている神社でアル。
倭姫の命(ヤマト)が、巡行された時、この場所に朝夕の調善の殿舎を建立された所であり、さらには斎王郡行の斎王が禊ぎをされた川が近くにある。平安時代の仁和元年(885)に伊勢国、瀧原宮の長由介(ながゆけ)の宮の御祭神、速秋津比古之命、速秋津比咩古之命の御分霊を勧請して本社の主祭神としている神社である。
室町時代の文明2年(1470)には、当時の領主であった岩室主馬頭家俊(いわむろしゅめのかみいえひと)と云う人が京都北野天満宮の御祭神で学問の神と云われている菅原道真の御分霊を勧請しそれを本社に遷宮され、並宮として祭祀されている。また延徳元年(1489)には現在国の選択無形民族文化財に指定されているケンケト踊りがはじめて奉納され今日に至っている。
また平成17年(2005)には本殿・拝殿が大改修新築され同時に境内の全面的な整備がなされ、神社の一層の荘厳さを増している。
祭礼日は、毎年5月3日で当日はケンケト踊りをはじめ花奪神事・神輿の渡御も行われ盛大なる祭で世に知られている。
との事で、看板に書いてある簡単な道順を辿って現地へ

行ってビックリ想像を超えた境内の造り(^o^)
で、新築された拝殿

奥に二つの本殿
左殿

右殿

速秋津比古之命、速秋津比咩古之命どちらがどうだ判らない(?_?)
おわびにケンケト踊りの映像を探してきました。
瀧樹神社のケンケト祭り
面白いケンケト踊りの名前の由来が見れば判ると思います。
次に東海道鈴鹿峠に行く前に道の駅に寄って

あいの土山道の駅、コロナで観光客が少ないかと思っていたが普通にきているようであった。我が輩は「団子、ソレもチョコレートがまぶしてある、みたらし団子でなくチョコレート団子」を土産に、なんと冷凍で平穏3時間後が食べ頃とのこと、家族連れも買をうとしてたが断念してお子様が泣いていたが、我が輩はちょうど帰宅後に食べれるので購入して出発。
鈴鹿峠の入り口に到着。

1号線と第二名神の高速道路の交差点、橋脚の下には

記念のモニュメントが建っていた。ソコには

『第二名神」滋賀県起工の地』
「平成七年十二月十八日に当地滋賀県土山町山中地先の土山橋下り線の下部工工事が第二名神の
滋賀県での最初の工事として着工されました。 当地が第二名神の起工の地であることを記念し、
また、古より東海道の宿場町として道と共に栄えてきた “あいの土山” の未来永劫の発展を願い、
ここに記念碑を建立します。」
と書いてあります。その近くには鈴鹿馬子唄之碑なる石碑が建っていた。その後ろには馬を引く石像も

鈴鹿馬子唄
で、鈴鹿峠を登って

すぐさまUターンして、「南井泉」がある「しょうず公園」を探しに・・・
地図上では道の駅裏、二筋あたりの街中にあるはずグーグルマップにも載っているのでカーナビに入れて走れば一発で発見(^_^)/
目安としては、大きなケヤキの大木?のソバに地蔵小屋が建っているソノ先に在る。

反対の方角から撮したのを見ればよく分かります。

写真の手前が「しょうず公園」でその先の大木が地蔵小屋の所です。

公園の全体景色で整備されている水汲み場になっていました。水は石垣の四方八方の隙間から出てきていました。

その水を水だめに導いてきて側溝へと流しています。

本来なら水溜で汲めば良いのですが、寒いのか掃除が行き届いていなかったので、石垣の元で溜っていた水を上っ面を掬う感じで汲んで入れました。この水がどの様な所を流れてきているか見るために、公園の上に

階段が整備されており、上から見た「しょうず公園」の景色、で、

手前は畑がありますが、その奥には人家が密集しており、湧き水の環境には今一の状況です。この様な場所では雑菌、その他不純物が入りやすいので100%諸手を挙げてお薦めすることは?でございます。冬の日没は早いので今日はここから帰宅することに相成りました。
「南井泉」の水評価は
コーヒーの口当たりは丁度良い感じの飲み口で、本来なら花丸を与えたいのですが環境から
(^_^)/ (^_^)/ (^_^)/ ((^_^)/ (^_^)/
詳しい場所は
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