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NO343:西国二十番札所 京都善峯寺「閼伽井・お香水」

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          土鈴「しあわせ地蔵」
何時までも見出しだけでおいておくのも不謹慎ですので、我が輩の今の現状を説明しておきます。
昨年来、姉が認知症になり我が輩が面倒を見ることに、住居が来るまで2時間掛かる遠方、正月まではどうにか一人で生活できていたのですが、今年に入り妄想・幻覚症状がきつくなり、更にものを隠す行動、隠したところを忘れる事により、財布・通帳等生活に必要なものを一日中探し続け、挙げ句の果てに電話をしてきて愚痴る事の繰り返し、はたまた人が侵入したと警察に電話をする有様、
結局1週間なんとか持ち合わせのお金で生活をしてきたのだが、底をつき泣きつきの電話で本人を引き取りに、それ以降平均して一週間に一度イロイロな用事で行かざる終えない状況になり、なんとか3月中には介護施設に入れる予定となったのが、我が家の状況です。
介護施設に入れるのに、まだそない年寄りではないので重傷の施設に入れるのはかわいそうだし、認知症の症状が悪化してしまうのは出来れば避けたい思いから、「要介護1」でも入れる施設を探すと、なんと大阪の茨城近辺(本人の居住地近く)の介護付有料老人ホ-ムで月40~50万円(居住費+介護費)の入居費が発生する仕組み。コレに頭金敷金3倍の約50~60万円、これに緊急の場合は付き添いに来てもらわなくてはいけないとの条件付、これだけ払っても至れり尽くせりでは無い現状です。結局我々も、年月が経っていくと急な付き添いにはいけないとの思いから、我が輩の近くにある介護付有料老人ホームが見つかり行く予定ですが、それでも頭金250万円を払い、姉の場合月々約20万円の費用が発生するとのことです。今までは他人事のように思ってきた老後の現状を認識しなければならない今日この頃です。その為ブログを書く余裕が無くこの様な状態になっています。

さて、「閼伽井・お香水」を戴きに云ったのは、コロナにより京都も緊急事態宣言が発令されている中で、出来れば府内の何処かで探したい事から、以前から何時かは行きたいと思っていたお寺でありました。本来は此のお水以外にも「白山名水」という水があるらしいのですが今回は工事中のため入園禁止となっていたので汲んで来ることは出来なかったですが、井戸水がありましたのでそれでも同じであろうとその閼伽水(仏教の霊泉)を無事汲むことが出来ました。
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国道から脇道のような細い道を走り山の中腹まで上ってきたバス停に境内全景図が見えてきた。車ではもう少し上にある境内の駐車場まで上ることが出来たのでソコまで車で行くことに、
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この辺りが駐車場です。ここで下車して歩き出しますが、先ずは東門へと向かいます。
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この東門をくぐり少し歩くと、本来の山門が煮えてきますが立派なたたずまいの楼門がそびえ立っていました。
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この山門を入ったところに受付が有り、入山料500円を払い観音堂という本堂へ向かいます。ここで善峯寺(よしみねでら)の沿革を

 当山は平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれる。
源算上人比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事して、47歳で当山に入り、小堂に御自作の千手観音を本尊として奉安される。
長元7年後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「善峯寺」の寺号が下賜(げし)される。長久3年(1042)後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作千手観音を当山に遷して本尊とし、先の観音像を脇本尊とされる。建久3年(1192)後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額が下賜される。また白河天皇や後花園天皇により伽藍寄進整備がなされ、後嵯峨天皇や後深草天皇など皇室の後崇敬をうけた。
 鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が住職を勤め、また西山宮道覚入道親王や青蓮院門跡より多くの親王が籠居され、他にも多数の僧の入山により、室町時代には僧坊52に及んだが、応仁の乱により大半の坊が焼失した。その後、江戸時代には徳川5代将軍綱吉公の生母である桂昌院を大檀那として、現在の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂が復興されて、幾多の貴重な汁物が寄進される。
 現在の当山は、西国三十三所観音信仰、遊龍の松、桜・あじさい・秋明菊・紅葉など季節の彩り、京都市内の眺望が特徴である。また所有地36万坪、境内地3万坪、多くの堂塔伽藍ならびに数百点にのぼる貴重な汁物を受け継いでいる。
との事です。で、石段を登ると
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観音堂(本堂)へと行きます。その手前には
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からだのいたみ  こころのいたみ  あらゆるいたみ
当病悉除  おちないお守り
入試合格・交通安全  息災安穏のご利益をお受けください
この落ちないお守りには、逸話があり・・・
皆さん覚えていらっしゃいますかネ・・・阪神淡路大震災の時阪神高速の高架橋でバスが奇跡的に宙吊りの状態で止まり、乗客運転手共々無事であった事を。
その運転手が善峯寺の「釈迦如来のお守り」を持っていたことから、入試合格や交通安全などの「おちないお守り」として評判になったそうな。
 当寺では「当病悉除(くじょ)」と別願である「息災安穏」を釈迦如来に願う信徒増加と運転手の奇跡に伴い、現在はお守りを「当病悉除」と「息災安穏」の2種類に願意を分けて授与されているということであります。
で、「閼伽井・お香水」は本堂の右手にある岩窟の中に湧き出ているのですが、居間汲むと重たい水を持って参拝しなければならないので、帰りに汲むことにして後回しにした。
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本堂回り廊下からの撮影。
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本堂内の御本尊(厨子の中)・・・実は、本堂の中は撮影禁止と書いてありましたが、撮してしまってから見つけ、後の祭りのことであったのだが、写真はアップさせて戴きます。
というわけで境内を一巡することにして、境内案内順路に沿って
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①鐘楼堂(つりがね堂)全行程30~40分  午後5時を持って自動閉門となるとのことです。
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貞享3年(1688)建立。徳川5代将軍綱吉公の厄年にあたり桂昌院寄進、「厄除けの鐘」と云われている。
志何百円以上と書いてあったので、我が輩も厄を除けるために一発ごぉぉぉ~~~と打ってきた。続いて参拝者もごぉぉぉ~・・・と。いい音のした鐘であった。その横には建立:元禄5年(1692)本尊五大明王の
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さらに進んで
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天然記念物日本一の松。石段の上に門のように頭上を這っている松なのだが、階段を上っていくまで、どんな幹の太い松なのか?・・・と思っていたのだが・・・
樹齢600年以上。五葉松、安政5年、花山前右大臣家厚公により「遊龍」と命名。現在全長37メートルの長さを誇る。



先日、姉がようやく介護施設に入所でき我が家では「ひと安心」といったところです。今後「成年後見制度」の申請とかをしていかなければなりませんが、先が見えてきましたので精神的に楽になりブログの再開をしていきます。


日本一の松といわれている「遊龍」がこちらでございます。
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こちらは幹ですが、これでは日本一とは言えない((+_+))
素晴らしいのは枝張り
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その境内には、国指定の重要文化財「多宝塔」が立っている・・・・・写真を写していたと・・・・思ったのだが
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桂昌院が植えたといわれる樹齢300年の今は枝だけの枝垂(しだ)れ桜の後方に映る手前「経堂」と「多宝塔」ちなみに桂昌院(けいしょういん)とは
「江戸幕府五代将軍徳川綱吉の生母。京都堀川西藪屋町、八百屋仁左衛門の娘。伊勢内宮慶光院住持の付女中として江戸城へ入り、徳川家光の子(綱吉)を生む。家光死後は出家し、大奥に権勢をふるう。綱吉の生類憐みの令はその勧めによるところが大きいという。京都の数々の社寺復興に寄与。1624(寛永1)~1705(宝永2)」
今頃は枝垂れ桜も見ごろとなっているだろう、さぞ美しいであろう。
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やはりつくものが付けば立派である。
次に向かったのは
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釈迦堂  明治18年建立でまだ新しいほうであるがイワクがありそうなので取り上げました。
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合掌姿のお釈迦様(おがむすがたと読むらしい)
当堂にお祀りしてありますお釈迦さまは源算上人の刻まれた仏さまで、始め此処より2km離れた釈迦岳(海抜630m)に安置してありました。
昔より多くの信仰の人々が此の険しい山を登りご利益を得られました。その後、明治13年下山され同18年にお堂が出来ました。
合掌姿のお釈迦さま(日本には例のないお姿)は恒に我々の意(こころ)、身(からだ)願いごとを叶えて下さる尊い仏さまでです
そのお姿
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内陣へ入り側面より拝んでください・・・撮影禁止とは書いてありませんでしたので・・・
もう少し詳しく説明しますと「釈迦岳のお堂は、多くの争乱でお堂は焼失し、風雨を受けてお座りになり信仰されてきた。明治に入り、釈迦如来より遷座の夢告を当時住職が受けて釈迦堂を作られたとのこと。その時、釈迦如来は玉の汗をかかれたそうで、その汗を拭いた布で体の病気の所や痛む所に当てると、不思議なことにすぐ病や痛みが癒えたという。そこから、『五体安穏や腰痛神経痛など、当病悉除(しつじょ)に霊験あらたかなお釈迦さま』として評判が広まり、現在も多くの信仰を集めているとのこと。
こちらがお堂
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釈迦堂から眼下に見下ろせる「白山・桜あじさい苑」
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本来は白山苑に湧き出ていると言われている湧き水も工事中により途切れているとか・・・
当日は工事のため進入禁止となっていた。そして
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コレを見るとさらに上を目指したくなり
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善峯寺 奥の院「出世薬師如来」の石柱、ここを上がり心臓バクバクさせながら着いたところが
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薬師堂 奥の院です
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     薬師堂由来
 たらちをの 願いをこめし寺なれば 我もわすれじ なむやくし佛
この歌は五代将軍の母桂昌院さまの献歌であります
桂昌院さまの御両親は、常に当山のご本尊さまは勿論のこと、このお薬師さまに特に祈念され子寶を授りました。
後出世されて、三代将軍の寵愛を得られ五代将軍綱吉公をお産みになりました。
其の後、元禄14年に再建され世に出世薬師として霊験あらたかなお薬師さまであります
     昭和62年12月8日善峯寺山主謹識
ここから少し上がっていくと
IMG_1515-2a.jpg聖観音青蓮院親王の御陵の参道に立つ聖観音菩薩像、あまり由緒がないらしくパンフにも載ってなく寂しく立っておられた様に見えたでござる。
御陵は飛ばして、青蓮の滝
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滝と言ってよいのか人工の滝でした((+_+))それからは一足飛びに
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下るは下る・・・本堂の観音堂へ・・・と
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帰ってきたのでござる。そして閼伽井のお香水を汲みに
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こちらが、その井戸でござる。ウヤウヤしく扉を開けさせて頂き
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ありがたい「お水」を頂戴して、中を拝見
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自然石で造られた井戸に何百年と時を経ても今もコンコンと水を溜めている、これこそ過去と現在を結ぶ一つの証でもあります。

帰り道、寄ろうと思っていた「豆腐工房・うえ田」に寄って、豆乳最中と豆乳アイスを土産にゲット!我が輩の最中は車の中で口の中にゲット、冷たくて味は分からず・・・(^o^)  が、美味かったとしておこう・・・と、帰路に就いた。

現在京都府はコロナ非常事態宣言のまっただ中(-_-;) 今の政府は国民に我慢を強いるだけの政策で、政府自らが汗水垂らしてコロナの流行を食い止める行動が見えてこない!おそらく5月11日までと言われている期間も、無事感染者数が減ったとしても、期間が終われば?再度増加傾向が始まるのではと危惧する思いであります。こんな調子でオリンピック開催が出来るのか甚だ疑問である。何はともあれこの様な雰囲気の中、県外に水汲みに行きにくい雰囲気ですので、しばらくの間休憩いたします。
再会は巷の様子をうかがいながら決めていきたいと思っていますのでご理解の程をm(_ _)m

善峯寺の「閼伽井・お香水」の水評価は
硬水ぽい水で、コーヒーを淹れると普段よりなぜか色が薄くなった。飲み口としては「まろやかっぽい」チョイと微妙な味であった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした。
詳しい場所は

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