fc2ブログ

NO321:南山城村の「野殿線の清水」(仮)

IMG_0166-1q.jpg
暖冬といわれている2月の初め、珍しく雪が舞う中、京都府の南端「南山城村」へ山中に湧き水が出ているという情報を頼りに初めて南山城村へ足を入れてきました。
高速道路、京奈自動車道の終着地木津ICで降りて木津川沿いに南山城村へと・・・・笠置町の笠置大橋の河川敷近くに来ると
IMG_0127.jpg
河原の中に大群の自動車らしき姿、大橋まで近づき眺めてみると、どうも昨日からキャンプをしていた、無料のオートキャンプ場らしい。しかし、2月の初め、それも昨日から寒気がが降りて寒くなっており、家から出てくるときも雪が舞っていた。こちらは春の陽気になっているのかと思いきや、そんなことはない。後ほど出てくるが京都府の南の端にも雪が舞う比であった。
IMG_0125-1e.jpg
感心しながら先に進んでいくと、道ばたで
IMG_0129-1r.jpg
またまた、猿のご一行様と遭遇、国道163号木津市から伊賀上野へと続く幹線道路での話。車を止めるまでは、堂々とお猿さんも車を見物していたが、写真を撮ろうと車を止めると、何かされると思い一目散で逃げる・・・・・その姿しか撮れませんでした。(。-_-。)
そのうち南山城村との道路標識、先ずは南山城村内ではないですが、近くに有名な月ヶ瀬梅林が、奈良市内だが梅の花も暖冬の今年なら見頃だろうとよってからいくことにした。国道162号線から旧道を「大河原」方面に入り「高山ダム」を目指して府道82号線を走って行くと、レンガ造りの昔の発電所らしき建物が見えてきた。
IMG_0178-1t.jpg
説明の看板には
IMG_0181-1i.jpg
大河原発電所
大正のレンガ造りとして建築学的にも珍重されている大河原発電所は、大正八年12月に京都電灯株式会社により建造されました。
それ以降、関西配電株式会社に引き継がれ、昭和26年には電力再編成のため関西電力株式会社に引き継がれました。
現在も山城、奈良方面へ電気をおくり続けています。
また、発電所本館は昭和57年に
社団法人「日本建築学会」より、全国の建物約二千棟のなかに選ばれています。
                    南山城村商工会
という値打ちのある建物で、今でも活躍しているところがスゴイ!!
上流に向けて車を走らせていくと、道縁に小さな滝が
IMG_0180-1o.jpg
上の方はなぜか人工のコンクリートになっていますが、下の方は大岩を水が伝って流れ落ちています。実物では、チョイトいい感じでしたヨォ(*^_^*)
そこから少し上流の河原には
IMG_0182-1p.jpg
カヌーで下れば楽しそうな瀬がありましたが、昔の人は「明神の滝」と言っていたらしい。
 老松ややサツキの生えた巨岩が木津川の河原にあり、地元の人は白滝明神という。この地域、滝と言っても川幅が狭くなり急流をなしているところで、雄滝・雌滝と古くからいわれている所である。
 古く奈良朝より木材供給の水運上重要な木津川の中でも、ここから笠置浜までは筏流しの最大の難所であり、南部高層が何回も笠置寺にこもって水運を開いたとの古文書も残っている。また、和州神野寺の僧も何回となくこの地を訪れ、河川の祈祷をしたと言い伝えもある。この付近の河原は薪炭のの集荷地でもあり、江戸時代には「滝の鮎」と称された鮎の群集地であった。
        南山城村教育委員会
と書いてありました。今は上流に高山ダムが造られて水量は調節さえているので少ないが、当時はもっと多かったのかも
IMG_0188-1d.jpg
上流から見た様子。以前カヤックを楽しんでいた我が輩は、こんな瀬を見るとアドレナリンが最高潮に\(^o^)/
さらに上流にも
IMG_0191-1f.jpg
昔話が残っていることが書いてありましたので、紹介しておきます。
夢絃峡
伊賀川と名張川が静かに合流する木津川のみなもと。
平安のむかし、大和の国司絃之丞名張郡司の姫・夢姫が熱烈な恋愛に落ちましたが、親に反対され許されない恋と知った二人は永遠の愛を誓ってこの谷に身を投げたという美しくも悲しい言い伝えがあります。
二人の名前にちなんで名付けられた「夢絃峡」は静寂な景勝のこの地の地名になっています。
      南山城村商工会
IMG_0197-1f.jpg
そして、高山ダムに到着。
IMG_0194-1h.jpg
高山ダム
総貯水量:5680万㎡
堤高:67m
総事業費:115億6千万円
 全国的にも珍しいアーチ重力式コンクリートダム。
 昭和37年の基本計画決定から様々な困難を克服し、昭和44年3月に・・・おける最初のダムとして完成しました。
 洪水の防止・かんがい用水・都市用水の補給・供給、発電など多目的事業が図られています。
 周辺には桜、ツツジが咲き乱れ、ハイキング、釣りも楽しめます。
                      南山城村商工会
IMG_0201-1j.jpg
で、このダム湖が月ヶ瀬湖になり、ここから辺から木津川が名張川へと名前が変わっていくようである。もうすぐ月ヶ瀬梅林があると注視しながら走っていると
IMG_0203-1g.jpg
道ばたに梅の花が咲いている通りに入ってきた。もうすぐあるぞ~・・・と思いながら走っていると、三叉路に突き当たった。
IMG_0204-1h.jpg
梅まつりと書かれたのぼり旗が立ててあり、道路標識に右に行けば「柳生・奈良公園」左に行けば「名阪国道」との字、深く考えないで、公園と名がついた方へ右折していったのであった。これが間違いの源で、すぐ公園があると思いきや
IMG_0205-1j.jpg
梅の畑ではなくお茶の畑であった。もう少し上っていくと、やはり
IMG_0206-1l.jpg
茶畑である。それも結構大々的にお茶の生産をされている様子。この辺は奈良県の月ヶ瀬、跡で分かったのですが、奈良市の範囲で、奈良公園というのは鹿のいる公園のことであった。そんなことは知らず、そのうち出てくるだろうと、どんどんと置く絵入っていったが、やっぱり
IMG_0208-1z.jpg
そのうち、高山ダムではないダムの所に出たりして、現在地が分からず、時間も過ぎていき、月ヶ瀬梅林は断念。(T_T)
これも家に帰ってから写真を調べると、高山ダムの案内地図に
IMG_0195-1c.jpg
地図を見ると、標識を右に曲がらずに、左の方へ月ヶ瀬湖沿いにいけばあったようである。我が輩の癖で、だろう運転で進むためおおにして間違えることがあるのである。お詫びに観光協会の写真を
月ヶ瀬梅林
引き返して、南山城村の道の駅へ
IMG_0209-1v.jpg
道の駅で露天商のイチゴ大福をかって、食堂「おしはら」を訪ねで、駐車場で腹ごしらえ
IMG_0210-1b.jpg
この近辺も茶畑だらけ。そして教えられた食堂へと、道を引き返し
IMG_0176-2w.jpg
木津市の方向からではわかりにくい建て方であった、今はやっていない「食堂おしはら」の横道を、この細い山道を登っていけばあるらしい。
IMG_0171-2e.jpg
山道を登り始めてふと見ると
IMG_0172-2w.jpg
山の上の方まで道が延びているガードレールが白く見えています。(見えるかな~?)とりあえず上っていきます。
IMG_0174-2e.jpg
東海自然歩道の看板を横目で見ながら上がって行くと
IMG_0139-2r.jpg
九十九折の踊り場に来ると正面に情報元の写真に出ていたものが・・・やった!!と、実際確かめるまでは確信が持てない内容だったことからホッ・・・とした。
IMG_0134-2t.jpg
何時から設置してあるのか、朽ちかけた竹を半分に割ったトユの先から水が流れ落ちている。刺してあるしてある元を見ると
IMG_0132-2u.jpg
流れてきた水を受け止めて竹のトユにながしているので山水(沢水)かな?と思って
IMG_0130-2y.jpg
上の方をみてみても、谷間にはなっているものの上の方から流れてきている様子はなかった。
おそらく伏流水ではないかと思いながら、ここまで来たのだから汲んで帰らないわけにはいけないと・・・、車からコンテナを下ろして汲み終わること15分、帰ろうとふと杉木立の中を見ると
IMG_0137-2p.jpg
コンクリートで水溜のようなものの中から水が出ているのを発見(^-^)/
やはり、こちらの水も持ち帰りたいと行ける道を探してみたが、車を止めていた広場から2mほどの深さの沢に、三本ほどの丸太が束ねて橋の代わりに架けられていた・・・・が、よ~く見ると丸太は永らく誰も通っていないのか朽ち果てかけており、そこを渡っていくべきかどうか・・・思案すること30秒ほど・・・・・渡っているときに丸太が折れて2m下の谷底へ・・・・落ちて足の骨でも折れて動けなくなれば、我が輩一人・・・・・誰も助けてくれる人もいなく・・・・・人も何時通るやら・・・・といろいろと走馬灯のように頭の中を駆け巡り・・・・で、結局無茶はやめようと決断!!
それ以外どこか上って行くところはないかと探したが、どこも高く無理して上ると、服やズボンが汚れること請け合いであろう。
ということで、泣く泣く新たに見つけた水は諦めることにした。
目的は達成したが、道はまだ上に向かって延びている。標高4~500mの山の現在地は中腹ぐらい、何時ものことだが行けるところまで行ってみようと
IMG_0140-2a.jpg
右側の道へ入っていった。九十九折の道を上っていくと
IMG_0173-2d.jpg
大分上の方まで上ってきたのか、遠くの山々が霞んで見える。標高も高そうだ、さらに上っていくと
IMG_0142-2f.jpg
雪が道ばたにうっすらと積もっている。こんな所まで来て積もった雪を見るとは・・・と思いながら行くと峠にさしかかった雰囲気
IMG_0143-2h.jpg
ところが、峠を越えた辺りから急に道が良くなり広くなった
IMG_0144-2j.jpg
これは何じゃ?・・・と、さらに先へ行くことにした。
しかし、下界では降ってなかった雪が山を上って来ると降ってると言うことは、結構高いところまで来たのだろうと思いながら進んでいくと
IMG_0146-2k.jpg
急に田んぼと民家が見えてきた。こんな高い山の上に・・・と思いながら進んでいくと
IMG_0147-2l.jpg
集落の入り口に道路標識が出ていた。
直進:信楽・童仙房 右:島ヶ原(南山城村中心街) 左:和束町  童仙房は後ほど知ったのですが、茶畑で日本遺産第一号に認定されているそうです。で、集落を抜けるとまたもや
IMG_0148-2b.jpg
雪道状態、そこに案内板
IMG_0150-2s.jpg
それを見ると、この天空の集落は「南山城村:野殿」と書いてある。その横には現地の地図
IMG_0151-2x.jpg
その脇に、高麗寺と韓国風の寺院の写真、で、こんな看板
IMG_0152-2z.jpg
ハングル文字とともに高麗寺、ここに来る前に南山城村の観光情報を見た中にそれはあった。が、その時点まで忘れていた。
これは行かなければと
IMG_0157-2v.jpg
林の中を進んでいくと三叉路に
IMG_0156-2b.jpg
高麗寺のコンクリートの案内、左に曲がり進んでいくとまたもや小さな集落が現れた。
IMG_0158-2n.jpg
高麗ハイツ下には、ハングル文字・・・・ということはこの辺一帯は朝鮮半島の出身者の集落なのか?なぜ、こんな辺境地に集落を作られているのかなと疑問を持ちながら、高麗寺の案内の細い路地へ入っていった。
IMG_0160-2m.jpg
すると、遠くに異様な風景が見えてきた。階段の下に駐車場がありそこに車を入れて
IMG_0161-3q.jpg
石段をああって行くと
IMG_0162-3w.jpg
周り一面に装飾された「高麗寺」が現れてきた。横から見れば
IMG_0165-3q.jpg
アップをすれば、軒下の宝飾が極彩色で日本では珍しいお寺です。
IMG_0164-3w.jpg
ちょっと分かりずらかったようです。説明では
「宗教法人曹渓宗高麗寺は韓国伝統仏教の教団です。在日同胞に対して精神的、宗教的な文化の向上をはかり、世界平和と韓日両国の文化交流の広場にするために、1974年11月15日、に日本国の宗教法人の認可を得て、宗教活動をしています。」
最近日韓の関係は思わしくありませんが、太古の昔から繋がりは深く友好的な繋がりにもどってほしいものです。
境内には鐘楼もあります。日本と同じですね
IMG_0163-3r.jpg
ちょいと見えにくいが、ぶら下がっている鐘はバカでっかいです。詳しくは「高麗寺」で
で、また来た山道を下界まで降りて帰宅と相成りました。

独断と偏見の「野殿線の清水」(仮)の水評価は
湧き水か、沢水かはっきりしないが、おいしく飲めました。で
(*^^)v (*^^)v (*^^)v (*^^)v (*^^)vデス
詳しい場所は






スポンサーサイト



NO320:笠形山の「クマザサの水」

笠形山のクマザサの水 017-2w
笠形山のクマザサの水 013-1w
「笠形神社の霊泉(仮)」を汲みに行った時、時間切れで行けなかった「クマザサの水」をもらいに行ってきました。見出しの写真は、その時の売り房の写真です。・・・今頃どうなったのかな~
と、言う訳で正月過ぎに行ってきました。
今回はドライブがてら行く事にして(ホントは何時もなのだが)、高速で現地市川町まで走るコースにした。
与謝野町から乗り、舞鶴道春日から無料区間で和田山まで走り、姫路へ向かう播但自動車道に入り、市川のICで降りた。
ソコから笠形山に向けて地道で進んで行った。
情報元では、「クマザサの水」が出ている林道には鎖が張ってあり、その鎖をほどくには鍵を解除しなければ行けないらしく、解除するカギは、近くにある「リフレッシュパーク市川」という公営宿泊施設に置いてあるとの事。まずはそこをめがけて行くのでしたが、前回看板を見ていた「岩戸神社」に初もうでも兼ねて寄って見ることにしていた。「岩戸」と聞けば、アマテラスオオミカミ(天照大御神)を思い出すのだが、関わりがあるのか行ってみたかったのである。
笠形山のクマザサの水 052-1w
まずは駐車場へ。それにしても三ヶ日を過ぎているのか参拝者がいない(?_?)・・・という事はあまり有名ではナイという事なのか(?_?)
駐車場へ着くと、のっけから岩との関わりがあらんとするかのような岩が
笠形山のクマザサの水 053-1r
岩の上に木が自生しているのである。偶然に岩の上に根っこが巻き付いたのか、それとも岩が土中に埋まっていた岩の上に木が自生して、その後土砂がなんかのキッカケで取り除かれたのか、とにかく珍しい光景であった。
分かりにくいのでもう一枚、
笠形山のクマザサの水 054-1e
勢い心も昂ぶり、参道へ
笠形山のクマザサの水 056-1t
鳥居の横に「岩と神社」の概要が掛かれていた
笠形山のクマザサの水 057-1y
市川町指定重要文化財
岩戸神社
 岩戸神社は正中元年(1324)この地に移され、現在の本殿は寛保元年(1741)に建てられています。
建物は本殿と拝殿、そしてその間に舞殿が付く構造となっています。
 本殿の彫刻は特にすばらしく、丹波柏原町の中井家一統 の作として有名です。
 社殿は巨木・巨岩に囲まれ、神域にふさわしい環境を作り出しています。
廷宝二年(1674)には姫路城主松平大和守自ら参拝し、県内の風致を賞賛しています。
      市川町教育委員会
という神社で、鳥居をくぐって参拝に
笠形山のクマザサの水 058-1u
凝った造りの参道を歩いて行くと
笠形山のクマザサの水 059-1i
赤い太鼓橋がかけられており、それを渡りきると左手の小屋に
笠形山のクマザサの水 060-1o
見事な動物の彫刻が出迎えてくれました。神社の彫刻も素晴らしく
笠形山のクマザサの水 062-1o
見惚れて、神社全体の写真を撮るのを忘れていたが為、全体像はお見せすることができません。
少々彫刻の彫を鑑賞してください
笠形山のクマザサの水 070-1p
チョイト映りが悪いかな(?_?)
笠形山のクマザサの水 072-1a
神社仏閣など柱に堀のあるところは多いいが、こんな社殿満ぐる環に見事な彫刻を見るのも珍しい
笠形山のクマザサの水 071-1a
・・・と、関心のある方は尋ねてみては(^_^)/
結局、岩戸の期待は裏切られたが、岩の谷間に置かれている神社でした。
笠形山のクマザサの水 078-1s
舞殿に説明されていた内容によると、近年長い事廃れていた地元の祭りで祭礼を神社で再開するようになったとか
詳しくは「岩戸神社」で
で、ここからさらに笠形山へ向けて出発
途中、天然温泉:笠形温泉「せせらぎの湯」
笠形山のクマザサの水 049-1f
を横目に見て、さらに登って行きます。この道の先に在る「船坂トンネル」方面には行かず、左に入って行きます。
笠形山のクマザサの水 048-1g
ここから数キロ走ったところに集落が出て来て、その入り口近くに「リフレッシュパーク市川」があります。
笠形山のクマザサの水 010-1h
この奥には
笠形山のクマザサの水 007-1k
「カブト・クワガタわくわく館」も併設されており子供さんも楽しめる施設の様です。
笠形山のクマザサの水 009-1j
「リフレッシュパーク市川」とは
 1982年、当村は個数63戸、山林621ヘクタール、田畑36ヘクタールという自然の冨に恵まれた村でした。しかし、時の流れに若者は村を離れ、村は過疎化が始まりました。過疎化に歯止めをかけること、都会と山村の交流を図ることを目的に創られたのがリフレッシュパーク市川です。
 ここは海抜228mで、年間平均気温18、6度という過ごしやすい気温です。そして、中国山脈の南に位置し、寒帯植物の南境、温帯植物の北境で、季節ごとに色々な植物に出会えます。また姫路より31km、大阪より110kmと近い距離です。都会の喧騒を離れ、都会の疲れをこのリフレッシュパーク市川で、癒していただければ幸いです。
 さぁ、美しい山々や植物たちをよく観察してください。都会では味わえない何かがあるはずです。
   私たちは皆様を心より歓迎いたします。   1997年 発案者 岡本 弘
と言う目的の施設です。玄関より
笠形山のクマザサの水 005-1j
入り、受付で「クマザサの水」を汲みに来たとお願いすると。すぐ理解を示してくださり鍵を渡してくれましたが、レストランで昼食を食べたいと言いますと、それでは預かっておきますと。で、レストランで「お勧めのモノを」とウエイトレスに尋ねてみると
笠形山のクマザサの水 003-1z
今回新しく考案したメニューですと渡してくれました。

[最近我が町営プロバイダーが2021年3月で終了することになり、町営のプロバイダーを変更しなければならないことになりました。
この機会に、光回線とプロバイダーを変更し、ついでに新しいパソコンに入れ替えました。OSもWindows7からWindows10になりました。しかし、使い勝手が今一慣れず四苦八苦しておりブログに写真をUPするのも苦闘しております。よって続きがすらすらと書ける日が何時になるかわかりませんが、今まで以上にスローな書き込みになりますが、誠意努力を続けて参りますのでご勘弁お願い致します]
笠形山のクマザサの水 004
試験に写真を一枚貼り付けました。
上の写真は、我が輩が頼んだ「牛コロコロ丼」です。見るからにボリュームのあるドンブリでした。しかしレストランは我が輩一人、なんか寂しく食べるのも味気ないものでそそくさと食べ終え受付に鍵を借れに、管理人さんと少々話をする中で「以前は多くの人がクマザサの水を汲みに来ておられたが、最近はめっきり少なくなった」とのこと、道順を教えてもらい出発。
笠形山のクマザサの水 011-1q
村中の道をまっすぐ行けば分かるとのことで、行ってみると行き止まり・・・と、そこにオリが仕掛けられており、何か動くものが見えるではないか、車から降りて近寄ってみると、なんと ウリボウ が動き回っているのである。
笠形山のクマザサの水 012
我が輩が近づいたのか、逃げようとしてオリにぶつかっているところである。
笠形山のクマザサの水 014-1q
まだ小さいので逃がしてやろうかな・・・と一時思ったが、イヤイヤ農家の方々が困っての仕掛け、よそ者が勝手なことをしてはダメだと思い直し、その場を離れた。ちょうど村に入ると地元の方がおられたので「ウリボウ」のことを告げて、再度道探しに戻ったのであります。
集落を上り詰めた
笠形山のクマザサの水 017-2w
ところに例の獣よけの柵がしてありました。
笠形山のクマザサの水 016-2q
ここも例のごとく留め金を開けて中に入ります。
笠形山のクマザサの水 018-2r
こんどは中から締めて車で出発。この行動は「地元の方たちの礼儀として」必ず行います。
笠形山のクマザサの水 022-2t
林道を上っていくと
笠形山のクマザサの水 020-2y
途中鎖が張ってあり、車は通れないようにしてありましたが、鎖を鍵で止めてありましたので、借れてきた鍵開けで開けて、ここはそのままおいて先へ進んでいくと、情報元の写真に出ていた石垣の中からパイプが出ている
笠形山のクマザサの水 023-2u
しかし、よく見るとパイプの中は枯れ葉が入って水は涸れていたのである。どひゃ~・・・と気持ちがへこみ、しかし、再度気持ちを取り直し、もう少し林道を攻めてみようと上っていった。
笠形山のクマザサの水 024-2a
10mも走ラナイうちに、同じような石垣が見えてきた。
笠形山のクマザサの水 025-2y
こちらは、しっかりと水が出ていました。そして、その横には説明書きも
笠形山のクマザサの水 026-2u
   名水クマザサの水
 この名水の源は笠形山(939m)の山腹に鹿ヶ原という所が有り、一面にクマザサが生い茂っています。そこを源流に河内川の水源となっています。また、一方地下に潜り込んだ水が、幾年か月日を経て水源を辿りここに出てきています。
○いくら渇水で川の水が枯れても、流出量は変わりません。
☆クマザサはイネ科の植物です。葉のの周辺が白く隈どりされるので、クマザサという。
クマザサの薬用効果
胃炎・口内炎・口臭予防、また防腐作用もあり、昔から寿司や日本料理に使用されています。
との事、期待を持って汲ましてもらいました。
笠形山のクマザサの水 028-2o
無事目的を達成(^∇^)ノ
で、来た道を反対の行動をとり(戸締まり)無事「借れてきた鍵」も返却して家路と向かったのでございます。

独断と偏見の「クマザサの水」を飲んだ評価は
我が輩的には、「以前くみに行った力水」に似た、硬水ぽい軟水の水で、おいしく飲めました。
(*^_^*) (*^_^*) (*^_^*) (*^_^*) (*^_^*)
詳しい場所は



プロフィール

水汲みマン

Author:水汲みマン
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
湧き水のおすそ分け
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR