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NO318:笠形神社の霊泉(仮)


2020年明けましておめでそうございます
 本年も皆様のご多幸を思いつつ、
   ブログを書いてまいります。
 引き続きよろしくお願い申しげます。

                 元旦笠形山神社 081-1q
  「笠形神社の夫婦杉」
「天邪鬼の力水」登山一週間後、登山の情報を検索していたら、笠形神社に兵庫県内の最大級の「大杉」が在ることを知り、巻きずしが買えなかったこととともに、再度ど押しても行きたい気持ちが抑えきれず、行く事に、それなら、近辺に湧水がないか検索すると、市川町側の笠形山に鹿ヶ原と言う場所があり、一面クマザサが生い茂り、そこを源流とする川内川が流れている。その川の水が伏流水となって中腹に「名水クマザサの水」が出て来ているという。今回も、三つの目的を以て出発したのでありました。
前回と同じコースで多可町八千代区まで走って来た。到着時間はAM10:30で早く到着
笠形山神社 002-1e
駐車場の三分の二ほど車が止まっていた。かれこれ10台ぐらい、雰囲気的にお客さんの流れがひと段落した様子で、交通整理員のおじさんも手持無沙汰の様子。
笠形山神社 001-1r
今回は入口には看板は出ていない・・・という事は、巻き寿司は残っている。店内に入ると質素な感じで、レジの前に「まつぶた」(丹後言葉カモ)に寿司が並べて置いてあった。吾輩は相方さんの注文もあり系5本買た。特徴としては具材に縦長のキュウリ二分の一切れが主に入った太巻きの「巻き寿司」であった。詳しくは「マイスター工房八千代」
我が家では、食べている最中に写真を撮って置くのを忘れ、食いかけ二切れをどうにか移すことができて・・・ホ(*^_^*)
と言う訳で、次の目的地「笠形神社」へ
笠形山林道を利用して行けば早いと思い、林道へ
笠形山神社 004-1y
以前クルミ谷の名水を汲みに行った時に道を尋ねた神社の綺麗な紅葉の下を通り過ぎて
笠形山神社 005-1f
笠形山登山道への分岐点を右に行かずに直進し
笠形山神社 006-1u
まさか二回も来るとは思っていなかった「クルミ谷の名水」汲み場所を通過
笠形山神社 007-1i
子授け地蔵「六本地蔵尊」の前も通り林道分岐点へ笠形山神社 009-1o
ソコを左へ曲がり、再度分岐点を右に入り進んで行くと、山の中に地蔵尊の祠が出現。
笠形山神社 014-1f
こんな山奥になんで立派な祠が立っているのか?下りてみてみると
笠形山神社 016-1a
「林道笠形線:船越峠」と書かれた標識。昔の峠道であったもよう。現在はこの下の方に船越トンネルが開通して市川町から可多町へ行くのには、みんなそちらを利用している。さらに林道を進んで行くと
笠形山神社 017-1s
寺家集落が出てきた。この集落も笠形山の登山口の一つである
笠形山神社 018-1d
ここから笠形寺へ向けて車で行ける予定なので、そのまま進んで行くことに。
笠形山神社 005-1f
石の鳥居が見えてきたが、笠形寺があるはずなのだが
笠形山神社 020-1h
笠形神社の境内を知らせる石柱、笠形寺までは車で行けるはずと
笠形山神社 023-1k
織の中に入り進んで行くと
笠形山神社 027-1l
笠形神社の出張祠が横に在る。本殿は笠形山の中腹、参拝するのが大変なので下まで御神体を下ろしてきているのでは?と思いつつ上がって行くと
笠形山神社 030-1x
笠形寺の庫裡らしき建物、住職がおられるかどうか定かではなかったが、車を止めてその上に登って行くと鐘が無い鐘楼が寂しくお迎え
笠形山神社 032-1v
笠形寺の立派な本堂、後すがた
笠形山神社 039-1m
表すがた
笠形山神社 034-1b
石段の看板には、
笠形寺・蔵王堂 市川町指定重要文化財
絹本箸色不動明王   木造兜跋毘沙門天像  木造不動明王   木造聖観音立像   笠形寺の鬼面
塔が指定されているのだが、ここに有るかどうかは分からない
笠形山神社 036-2q
蔵王堂の裏から笠形神社へ行くのかと歩いて行くと、杉木立の間から砂防ダムが見えてきた。これなら工事車両が通った道が有るはずと、引き返し車で探してみると
笠形山神社 028-1z
上がって来るときは意識がなかった分かれ道が出てきたので、笠形寺は右へ、砂防ダムは直進へと車を乗り入れ行けるところまで参道を登って行った、途中ハイカー2人ずれの方が下りてこられたが、地蔵さんのそばに立てて在った標識には神社まで30分、車では?
笠形山神社 102-2r
で通り過ぎ
笠形山神社 043-2t
笠形神社まで15分のところに、八角堂と言う名の休憩場所で車も終点となった。
笠形山神社 049-2u
そこからは、参道と言うより登山道の様相に道もなってきた。笠形山の登山マップ
笠形山神社 052-2p
笠形神社まで400mで15分の道のりをヒーハァー、ヒーハァーと登って行くと登山をして降りてこられた初老の夫婦、笠形神社までの道のりを尋ねてみると、もう少しとの事、心臓の鼓動が波打つのを我慢しながらさらに登って行くと、
笠形山神社 046-2l
神社まであともうすこしの案内板が出てきた。目の前が開けてきた思いで上がって行くと
笠形山神社 050-2i
杉林の間から建物が見えてきた。やったーと心の中で叫んで、一人で登る寂しさが吹っ飛んだ。
笠形山神社 053-2a
拝殿であった。
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笠形神社拝殿
五間四方 入母屋造  銅版葺き
 彫刻としては、向拝と木鼻の麒麟・松に鶴・雲に天人・雲に鳳凰など、とくに精妙華麗です。
 笠形寺の本堂を明治初期に拝殿に転用しました。

拝殿の一段後ろ上に構えていたのは
笠形山神社 056-2s
中宮
笠形山神社 065-2f
笠形神社中宮:三間二面・春日造・銅版葺き
 祭神は須佐男之大神、大年神、迩迩芸命
 彫刻としては、向拝の雲と麒麟・木鼻の獅子・脇障子の熊と天人などが見事です。
 彫刻師は中井権次橘正貞、久須真助正美、中井清次良正用です。
そして、本堂との間の境内には
笠形山神社 069-2j
姫路城心柱跡が記念に残してありました。
笠形山神社 068-2h
笠形神社の御神木が国宝姫路城を支えています
 昭和34年(1959)、御神木の大ヒノキがここから切り出され、姫路城へ運ばれていきました。
 姫路城ではぁ飽和31年(191956)に大天守の解体修理が始まり、東西2本の心柱の内西側の柱を交換することになりました。
新しい心柱は、木曾産のヒノキと笠形神社の御神木のヒノキを継いで仕上げてあり、継いだ部分は大天守の3階で見ることができます。この切り株の模型は、当時の資料に基づいてその大きさを再現したものです。
平成24年3月  制作 市川町観光協会
写真左上:笠形山の御神木であった大ヒノキの立ち姿。写っている人々がとても小さく見える。切ろうとした時、激しい雷雨に見まわれたという。神罰だったのか、それとも祝福だったのか・・・。
写真左二段目:切り倒された大ヒノキは、全長42m、周囲4mあった。下部に鬆(す)が入っていたため取り除かれ14mに玉切にして運んだ。
写真三段目:笠形神社鳥居前にて、トラックに乗せられた。
写真その右:道中、多くの人に見送られ、祝いのお酒がたくさん振りかけられたという。
写真下段三列目:旧姫路市役所へ到着し、祝い曳きが始まるのを待つ大ヒノキ。
写真右側四段目:国鉄甘地駅。姫路での祝い曳きを見るために、(列車を待つ人たち?)
写真右三段目:姫路、大手前通りでの祝い曳の様子。当日は雨だった。
写真右二段目:姫路城の大手門をくぐる、大ヒノキ。この時、雨が止んだという。
写真右一段目:三の丸広場を進む大ヒノキ。写真右手奥に、素屋根に覆われた大天守が見える。
御神木が切られたときに植えられたであろうヒノキも大きく育っています。
そして、境内中宮の奥に本殿が見えます。
笠形山神社 059-2d
こちらが正面の笠形神社本殿です
笠形山神社 060-2f
市川町指定重要文化財
  笠形神社 本殿
三間 二間 春日造 銅版葺き
祭神:大奈牟知命  磐戸別大神 菅原道真
 彫刻としては、向拝の龍、木鼻の獏、欄間の雲に鶴、脇障子の獅子の滝落しなどが見事です。
 彫刻氏は丹波柏原町の久須善兵衛政精、中井丈五郎正忠、中井丈吉です。
      市川町教育委員会
笠形山神社 063-l
そして、もうひとつ大木「笠形夫婦杉」は杉林の中にひっそりと、その巨木は包み込まれでいた。一見「オー」と言うような大きな杉には見えなかったが、近づいてみれば
笠形山神社 084-2z
市川町指定天然記念物「笠形夫婦杉」
 高さ約50m、目通し、周囲約9,5mの杉で、現在、笠形神社の御神木となっています。境内周辺の杉や檜などの大木とともに、昔ながらの面影を今に伝えています。樹齢は約850年を超えるといわれており、兵庫県内でも屈指の巨樹・古木とされています。
 大小二本の杉が寄り添い仲睦まじく佇んでいることから、いつの頃からか夫婦杉と呼ばれるようになりました。この夫婦杉に願いを込めることにより、夫婦相和しいつまでも仲良く暮らしていくことができるとされています。
空模様も心配になり、夫婦杉に「願いを込めて」後にすることにした。来るときは登ることで分からなかった大木が、帰りの余裕の中で発見しながら
笠形山神社 089-2x
名前は知らないがこんな木のこぶも、
笠形山神社 091-2c
そして、来られた登山客には
笠形山神社 096-2v
・・・と、周りを散策しながら車の所に降りて来て
笠形山神社 097-2n
何となく茂みの方を見てみると、パイプの中から水が流れ出て来ているような感じが・・・もしや・・・と、そちらの方に行ってみると
笠形山神社 098-2m
湧き水が出ているではないか!!・・・新たに発~見(^_^)v
さっそく入れ物を持ってきて
笠形山神社 100-3q
無事入れ終えて、今日の予定であった「クマザサの水」は次回に行く事にして、帰宅することにした。
笠形山神社 104-3w
ここにも「クリン草」を守る取り組みがなされている。
笠形山神社 106-3e
そうして里の村へと無事降りてこれました。この近辺にはこんな看板も
笠形山神社 107-3e
棚田の里:笠形山の麓にある棚田の風景です。澄んだ空気と、清流に恵まれたこの田は先祖から受け継いだ大切な棚田です。
たくさんの収穫は出来ませんが、一粒一粒に手間と苦労が詰まった、とてもおいしい自慢のお米がみのります。
  上牛尾区
そして、最後のとどめ
笠形山神社 108-3r

「笠形神社の霊泉」(仮)の独断と偏見の水評価は
軟水のような水で、コーヒーを淹れて飲むとのど越しが良い水であった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は

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NO317:笠形山登山道の「天邪鬼の力水」

笠形山2019,11 071-1q
以前「NO304のクルミ谷の名水」を取りに行った折、登山道の看板に出ていた湧水「力水」があるのを発見し、機会があれば行きたいと思っていたところでございます。
「白山ホワイトロード」に一人で行ってきた為、相方さんが山登りをしたいというものだから、それならと、笠形山にと即決!
行くのなら、「クルミ谷の名水」を取りに行ってから、知人が、そこには美味しい巻きずしを売っているお店があるという事を教えてもらっていたので、帰りに寄って見ることに、それと、日帰り温泉を見つけておいたので、そちらにも寄って汗を流して帰って来ることにして出発した。
本来なら、山登り大好き人間2人と計4人で行く予定が、一人は難病を発生(+o+)、もう一人は急遽仕事が入ったとの事でキャンセル((+_+))。と言う訳で、初めての山・・・心細い出発と相成りました。
笠形山2019,11 007-1w
前回登ってきた駐車場に着いてみると、1台も車が止まっていない。今日は天気は良いのだが登山者は我々だけかと会話をしながら準備をしていると。登山慣れした40代ぐらいの男性が下から歩いて先に登山道に入って行かれた。
数段の滝も
笠形山2019,11 010-1e
水量が少なく、イマイチ迫力がナイ・・・準備が整い入山届を書きいざ出発。まだ元気な時間帯に
笠形山2019,11 012-1r
沢に架かる木橋を渡り、登っていると
笠形山2019,11 013-1t
炭焼き窯跡(いつの年代だか?)を横目で見ながら徐々に急斜面へと・・・次に出てきたのが笠形山2019,11 014-1y
勝負瀧:二つの谷からの水が合流する所から名づけられたとか、
何回も見た看板
笠形山2019,11 017-1u
クリン草保護区域:この花は搭の先に付けた「九輪」のように輪上に紅色の花をたくさんつけることから名のついた草花で、サクラソウの仲間です
絶滅の恐れがあるため、保護育成を行っていますで、みんなで見守ってください。
自然と善意の町、八千代町観光協会(旧)
花は見えなかったが、踏まない様に登って行った。
その次に現れたのが優美な滝
笠形山2019,11 020-1i
龍が瀧:笠形嵐に交わり、とうとうと響く瀧音、美しい典型的な瀧である。両側の樹景を映じて美しい景観を呈している。
瀧の上の岩盤に馬の蹄跡が沢山と重箱の置いた跡がある。
これは昔坂上田村麻呂が馬に乗って笠形山を下られ、この瀧の上で休まれ馬を繋いで重箱を開いて食事をせられた跡が今にそのまま残ったとの伝説がある。
との看板が立っていた。
林道まで10分と、この看板には龍ヶ滝コースと
笠形山2019,11 026-1l
どうもこれが「馬の蹄跡」かも、はっきりは分からず((+_+))
笠形山2019,11 029-1z
熊の段:冬季でもここは由希が降ってもすぐ消えて積もらず湯気が昇り、クマもここで冬眠したといわれる。
恐るべし、恐るべし・・・と静か~に通り過ごす
この辺になると登山道も荒れだし
笠形山2019,11 030-1z
その中を進んで行ったが、どうも本来の登山コースは、笠形神社がある方のコースの様で、こちらは、ときたま色テープが括り付けてあるのを目印に進んで行った
笠形山2019,11 031-1p
そして
笠形山2019,11 033-1a
林道に到着。ここまで来るまで来て登山すれば簡単だったが、相方さんが登山にならないと却下(+o+)
で、ここからは、天邪鬼・名水コースとのこと、
笠形山2019,11 034-1x
左下の山道を再度出発(^_^)/
笠形山2019,11 039-1a
杉木立の美林の中を爽快に登って行き
笠形山2019,11 040-1s
ふと見上げると、石積みされた仏塔が見えます。近づいて見れば
笠形山2019,11 041-1d
なんと!安定の悪い石柱の上にものの見事に石灯籠が載っています。笠形山2019,11 047-1g
感心しながら先をめざして登って行くと
笠形山2019,11 047-1g
目的の一つ、「天邪鬼の力水」の出ている場所に到着。汲んで持ってあがると、「霊仙山」の二の舞になること請け合いの為、帰りも通るのでその時汲むことで、行きがけはパス、そしてようやく
笠形山2019,11 051-1h
尾根に出てきた。見晴らし、紅葉も爽快。尾根伝いに頂上までもう少し
笠形山2019,11 052-1j
龍の背:笠形山から千ヶ峰へと続く縦走路にあり、尾根道に岩が並んでいる様子から龍の背と呼ばれている。
もう少しと思いきや、
笠形山2019,11 057-1k
急斜面の岩場や
笠形山2019,11 058-1l
大岩の隙間の鎖場!相方さんが通れたので吾輩もなんとかクリア、で
笠形山2019,11 059-1z
天邪鬼の挽岩:大昔、笠形山にアマンジャクがいた。笠形山から中町の妙見さんへ、橋を架けるため橋脚を立て橋板にすべく岩を板状に切り、いよいよ橋脚にとりかかる段取りとなったとき東の空が明けかけたアマンジャクは夜だけの生物で太陽が昇ると駄目になるので残念ながらこの大架橋工事は橋脚を立て、橋板を切って準備OKというところで夜が明けてしまったという場所である。
凄く見晴、絶壁、高所恐怖症の方はご縁了た方が・・・
更に前途は難関が待ち受け
笠形山2019,11 064-1c
こののぼり階段をヒーハー、ヒーハーと上り詰めると
笠形山2019,11 066-1b
笠形山の頂上が見えてきた。やっとのことで登りきると
笠形山2019,11 067
思いのほか、登山客がワンサカ・・・とまでは・・・いなかったが・・・吾輩が帰るまでには計30人ほどは居られた。
この方向は、瀬戸内海が、もやでかすんで見えていたが、写真には写らなかった。明石海峡大橋も微かに見えた。
笠形山2019,11 068-2q
1時間ほど昼食・休憩をしてから帰途に
笠形山2019,11 080-1m
ナンドか見た、笠形山の新種の植物か
笠形山2019,11 065-1v
そして「天邪鬼の力水」の出ている場所に到着
笠形山2019,11 081-2w
周りは谷間の雨が降ると沢水の通り、おそらく伏流水の水ではなかろうか
笠形山2019,11 082-2e
多く持って帰るとバチ(途中で転んだり)が当たるので、2本にしておき下山。登るときにはあまり感じなんだが
笠形山2019,11 086-2r
大風の影響で倒木が凄い。で無事駐車場へ下山しました。
笠形山2019,11 088-2r
行き2時間半   帰り2時間の行程でした。
それから例の美味しい巻きずしを買いに
笠形山2019,11 091-2t
着いたのが4時ごろ、残念ながら売り切れ閉店でした。・・・とオーナーらしき人が出てこられて、もっと早く来ならな無くなっているで~。時には四国からも買いに来て、無くなっていて泣く泣く?帰って行かれたとか、京都は近い方だとの事、次回はもっと早く挑戦・・・と心に誓いながら、次なる目的地日帰り温泉
笠形山2019,11 094-2u
NO304の時に見つけていた、ラベンダー園の近くにある「春蘭荘」多可町社会福祉法人。介護施設の中にある日帰り温泉、PM5:00終了・・・・とまぁ普通の温泉がこれからと言うときに閉館。まぁ、5時までにはなんとかたどり着けたが、風呂に入っていたら温泉がストップ・・・なんちゃっておんせんでした。

「天邪鬼の力水」の水評価は
沢水の延長であろう伏流水と思ってあまり期待はしていなかったが、弱硬水系で思いのほかおいしく飲めました。で、独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ
詳しい場所は(大体の場所で、力水登山コース附近)



NO316:昭和の名水:弘法池の清水(釜清水)

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いよいよ最後の佳境に入って行きます。
鳩谷八幡神社の横からの道に入って行けば白山白川郷ホワイトロード(有料)に入って行きます。
昔は確か「白山スーパー林道」と言っていたと思うのだが、ハイカラな呼び名に代わっていた。
料金所に向けて走っていると下界に大きなダムが見えたので止まって写真撮影
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数日前の台風による大雨でダム湖も満杯になっているそうで、放流も大量に出しているようで美しく見えます。
「鳩谷ダム(はとがや)」と言うらしいが、またの名を「大牧ダム」ともいうらしい。
ホワイトロードの料金所を片道1600円を払い通過。登るにつれて雲の中へ、白川郷展望台駐車場は
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小雨降る霧中の中、本来なら今の時期
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「飛騨美嚢紅葉33選の地」と石碑に刻んであるところ、こんな状況です。「熊」も白川郷を見物に来るようで・・・(+o+)
ここから30分コースで、樹齢300年のブナ林と展望台があるそうですがこんな模様、あきらめて再度出発。
走っていると時より雲の間から紅葉の綺麗な姿も
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これは、カメラのモードを「極彩色」で写したもの。普通オートで撮れば
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現実はふつうモードの景色です・・・が
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岐阜県側は、新緑・紅葉の山々を楽しみ、トンネルを抜けて石川県側のホワイトロードは
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絶壁と滝の山々へと下りの道へと変わって行く。このコースのまわり方としては、石川県側から滝や渓谷美を堪能しながら白山を登って来て、岐阜県の白川郷でゆっくりと家並みを堪能するコースがベストの様だが、吾輩は反対の順路を行ったのである。
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滝かと思えば、人工砂防ダム、これも滝と言えば滝なのだが・・・更に下って行き国見展望台へ
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極彩色で撮った写真
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こちらはオートでの撮影、白山の山々が美しく見える季節なのだが、水墨画に近い景色
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「ふくべの大滝」見出しで出した大滝ですが、こちらはオートで写した景色、見た目現実的
この滝は長く一回で取りきれなかったので、二回目
国見台の断崖より86メートル直下する豪壮な蛇谷唯一の大滝で、時にはその水しぶきが道路をおおうことがある。蛇谷金襴銀襴壁と云った人もある。その絶壁が見ものである。(自然を大切に)『石川県林業公社』
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と、展望台の下まで流落ちて来ていました。水量も多く雄大な滝でした。更に下って行くと、幅の広い優雅な滝「(姥(ウバ)ヶ滝」が見えてきましたが運転中写真に収めることができず「蛇谷園駐車場」へ
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公園の絵図
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「姥ヶ滝」へ行く遊歩道がここから入って行きます
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姥ヶ滝:姥ヶ滝は落差76m幅100mの滝で、山の中腹より岸壁を数百条の細かい流すべるように落ちる。
 この様子はまるで老婆が髪を振り乱したように見えることから名前がついたとされる。
滝の下まで遊歩道が整備され、「親谷の湯」があり足湯も浸かりながら滝を見ることができるそうです。
ただし、遊歩道にはクマ、マムシに注意との事
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とまぁ、渓谷美を楽しみながら石川県側の中宮料金所を超えて、一里野温泉スキー所に到着
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更に麓に降りて来て、勝山からくるR157号との合流近くの道の駅「瀬女」により「弘法池の清水」の場所を尋ねところ、まだ先に行ってA-CooPを曲がった辺りにあるとの事、行ってみると農村の田園地帯、さっぱり分からずウロウロしていると、そこに消防署が見えた。
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尋ねてみようと、駐車場へ寄って見ると偶然
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手取川渓谷の観光地であった。とりあえずそちらへ見物に
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橋の上から写した風景。この風景もすごいが、周りは先ほども書いた田園地帯、そこをえぐるように渓谷になっていたのである。
日も落ちようとしていたのでゆっくり見ている暇もなく、消防署へ、表からは入りにくいので裏口へ、ちよウド若い隊員がタバコたいむで外におられたので、『「弘法池」がこの辺にあると聞いてきたのだが分からないので教えてほしいと』聞いてみると、チョイト中で尋ねて来ると・・・チョイト不安な気持ちに・・・待っていると、帰ってきて「そこの取手渓谷の箸の先の信仰の手前の細い道を入って行くとあるとの事」
お礼を言ってそちらの方へ
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細い路地を車で入って行くと駐車場も完備されている水汲み場で、その横には、行った時は時間が遅かったので閉店マジカだったが野菜売り場もあるほどの人気の水汲み場の様であった。
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昭和の名水百選に選ばれている場所、全体の様子
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弘法大師立像が見守る中、木の枠で囲ってあるところが、岩が湧水で掘られ器のようになり、底から今なお連綿と水が湧き出しているのである。
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その中を覗いたが、夕方で黒くて分かりにくかった。その竪穴の右端にエスロンパイプが入れてありポンプで水を吸い上げ、右の端に見えている蛇口から湧水を頂くのであった。釜清水の横には賽銭箱も設置され、何が安置されているのか、これも珍しい岩の祠も設置されています
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そして
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弘法の水のイワレを説明したシオリもおいてありました。要約するその内容は
弘法池とその周辺一帯は地元住民から「しょうず」と呼ばれて親しまれてきました。ただ、弘法池は、どこにでもあるような、ありふれた「しょうzy」ではありません。岩盤をまるく、円筒状に深くえぐり取ったお釜の形に似た「しょうず」です。他に類を見ない特異な特徴ある「しょうず」です。そのため「村名由緒書上帳」「郷村名義妙」「三州明蹟誌」「吉野紀行」「小松近郷巡見道之記」などの古い文献には『釜清水』という清水、泉があることが紹介されています。ところが『弘法池』の名は、古い文献上、ほとんど見当たりません。「弘法大師」という諡号(しごう:おくり名。朝廷が空海におくった称号)を、関係者に無断で、清水、泉、湧き水の呼び名に使用するなどということはおそれおおいことだ、もってのほかのことだ。知識人を自負する人達は、お大師様の諡号「弘法」をはばかって、無難な『釜清水』と記載して、トラブルを避けたのでしよう。

このように、古い文献には『釜清水』と記載されていることが多いのですが、住民は「弘法池」「弘法様の水」などと言い伝えてきました。加賀藩家老・横川正和は「小松近郷巡見道之記」に「昔弘法大師杖にて突玉ひしより出る水也」とこの村の伝承を書き記しています。加賀藩の重臣などで、加賀藩十村役鈴木家に宿泊されました。そして、弘法池だけでなく、伝説ゆかりの「猿鏡」(老女が旅の僧のために水を汲みに行った手取川の淵)も見て回った旨、記しています。この紀行文を藩主・前田斉泰がご覧になっています。
  「弘法池の伝説」
 昔、ある夏の暑い日、旅の僧が、のどがかわいたので、立ち寄った家の老女に「おばあさん水を1杯くださらんか。」と飲み水を所望されました。老女は、嫌な顔もせずに「御坊様、しばらくお待ちください。お水を汲んでまいります。」と言って、どこかへ水を汲みに出て行きました。旅の僧が待ちくたびれた頃に、ようやく老女は、水を汲んで戻ってきました。そして、汗をぬぐいながら「御坊様、お待たせしました。お水を汲んでまいりました。どうぞ、おあがりくださいませ」と旅の僧に水を差し上げました。
 旅の僧は、水をおしいただいておいしそうに飲んでから「おばあさん、愚僧のために、ずいぶん遠くまで水を汲みに行ってもらったようだが、どこへ水を汲みに行ってこられたのかね。」と老女にたずねました。老女はにっこり笑って「大川へ下りて、白山川(昔、手取川は白山川と呼ばれていました。)の水をくんでまいりました。それが、どうかしましたか。」と答えました。老女は険しいがけ道をおりて、白山川(手取川)から、水を汲んできたのです。旅の僧は、水汲みが難儀な苦労であることを知って、大変にありがたいと思われました。そして、老女の親切な対応ともてなしに強く心を打たれたらしく、旅の僧は「ありがたや、ありがたや」と言って、老女にお礼を言って、手を合わせました。そして、しばらく、そのあたりを鋭い目で見回わしていました。そして、何か念じていましたが、「エイッ」とひと声発して、持っていた錫杖(しゃくじょう)を地面に突き立てました。そして、錫杖を円を描くように動かし、グリグリと地面をえぐり取りました。すると不思議や不思議、まるいまるいお釜のような形の池があらわれました。そして、そのお釜の形に似た池から、冷たく、清らかな水がこんこんと湧き出してきたではありませんか。旅の僧は、老女に「子の清水は、おばあさんが親切にもてなしてくれた閼伽(水のことを仏教用語では閼伽と言う。)へのお礼でがざる。ありがとう。」と言い残して名前も告げずに、どこかへ立ち去ってしまいました。老女は、キツネに化かされたように、ポカーンとして見送るしかありませんでした。
 これを聞いた人達は、岩盤をまるく円筒状に深くえぐり取った、お釜の形に似た清水を目の前にして、ただごとではない。このおうな不思議な奇跡を起こした御坊様は、何者か。名乗らず立ち去った御坊様はいったいどこの誰か、真っ先に思い浮かんだ名前は、お大師様(弘法大師・空海)でした。詮索するまでもなく、誰もが納得しました。お大師様の巡錫のこと、そして、讃岐(香川県)の満濃池の水利事業の功績などは何度も聞いていたからです。子の清水は、お大師様の法力によるものに違いない。ありがたいことだ。人々は「何無大師遍照金剛」と御宝号を唱えて感謝の気持ちを込めて、子の清水を「弘法池」と呼ぶようになりました。
 しかし、なかには、弘法大師・空海の諡号(しごう・おくり名のこと。延喜2年【912年】朝廷が生前の功績をたたえて、空海におくった称号)を軽々しく、みだりに使うことは、おそれおおいことであるとして、「弘法」をはばかり、別の呼び名を考えた人々もありました。例えば「釜清水」と「釜池」などが、それです。釜の形に似た清水であるから、「釜清水」。釜の形に似た池だから「釜池」。「釜清水」でも「釜池」でも、どちらでもよいことのように思われるかもしれませんが、「釜池」については、熱湯がグラグラと煮えたぎっている池なんだろうなと誤解されかねません。泉や清水ならば、湧き水であることが明確だが、池の場合には、水が湧き出ない池もあれば、単なる水たまりのようなありふれた池もあり、ちょっと素人が考えただけでも、欠点が多い呼び名です。現地を知らない人には「釜池」と聞いて清水であることがわからない。そこで、泉や湧水であることを強調した呼び名の方がよい。「釜清水」と「釜池」とに、あえて優劣をつければ、「釜清水」のほうが優れています。池よりも清水の方が優れています。そこで、賢者の結論として、集落名も『釜清水』におちつきました。
   水質
水温:11,9度 PH6,0 硬度:47ppm 有機物:0,1以下 塩化物イオン:7,8ppm 鉄分:0,01 
(備考)
今回の「釜清水」の伝説と、宇治田原町NO313の「弘法大師の霊泉」の内容が、細かいところは違いがあっての大まかな内容が同じ内容の伝説でした、北陸の片田舎と京都の山奥の距離が離れている場所で、偶然にしては出来すぎな感があります。弘法大師は一説では全国に鉱物を探して回っていたという事を聞いたことがあり、湧水の出るところで「名前」を残すためにその土地に「言い残して」来たのではないでしょうか。・・・中世の七不思議かも・・・湧水も、大昔と現代を結びつける一つの「古文書」なのかも
と言う訳で、蛇口から清水を頂き、帰り際に地元産野菜売り場で『大根2本・白菜1個を買って帰りました。いつもながらの帰りの光景
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「弘法池の清水」の独断と偏見の水評価は
吾輩的には中硬度より軟水に近い微妙な水で、コーヒーももう少し硬い方が美味しいかな?と言うところでした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は


NO315:鳩谷八幡神社の清水「麝香杉の湧水」

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白川村に入り、庄川沿いに走ることウン10分白川郷駐車場に着いたが第一駐車場は満杯、第二駐車場へ行ってくれとの事で少し離れた山の上へと登り
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車はまだ少なめの第二駐車場
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第一駐車場までシャトルバスにて行きます。これがバスターミナル
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まだ車内は少な目、間もなく座席一杯になり出発
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第二駐車場に着いたところ。人が行き来しています。合掌集落には第一駐車場からは川を渡り対岸へ行かなければなりません。
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子の小高い堤防へ登り、そこからの駐車場の眺め
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観光バスがたくさん来ています。多くは外国観光客のバス。そしてつり橋を渡ろうと
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行く人帰って来る人でごった返しています。その中をぬうようにわたって行きましたが、言葉から多くは外人さん、顔だけでは分からない人が多いい。渡りきると秋葉神社が在ります。
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    秋葉神社の由来
 この地区一帯は、火災になりやすい茅葺き屋根の合掌家屋が点在する世界文化遺産も萩町合掌集落です。
 江戸時代、度重なる火災と特に天明三~七年(1783~87)の大飢餓のうえ、悪疫が流行し、萩町村(萩町合掌集落)で230人もの人々が亡くなりました。
 この苦境を乗り越えようと相談の結果、小神堂を建立し、火伏せ神を祀り平和を祈りました。
  大正時代に神殿を改修し、秋葉神社と改め現在に至っています。
      萩町区
と言う神社デス。そこから集落の中へ
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散策していると、集落の中でも大きな長瀬家が見学できるとの事
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長瀬家の案内板
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  結の心が息づく合掌造り
      長瀬家
 当家の合掌造りは五代目当主民の助により、明治23年(1890)に建造されました。白川郷の自然に育まれた樹齢150~200年の天然桧や樹齢300~350年という栃、欅、桂等の巨木が使用されています。
 五階建て合掌造りは三年の歳月と、当時のお金として800円、米百俵,酒11石8斗と白川郷民の結の心で完成したと云われております。
 平成13年からの大屋根の葺き替えに当っては、NHKがその過程を1年に渡り撮影し、放送されたドキュメント番組は今も伝えられている「結」の精神を伝え日本中に大きな反響を呼びました。
 また当家は、先祖が加賀百万石前田家の御典医を勤めていたことから前田家より拝領した品も多く伝わっております。
 揺るぎない風格と合掌屋根が作り出すなだらかな線は、白川郷の自然と相まって独特の美を創り出します。長きにわたり私たちの暮らしを守り、大家族を育て、心豊かにしてきた「結の家」を、この度数々の民具や銘品とともに、初めて皆様に公開させて頂きます。
   平成15年6月吉日  当主敬白
と家主が見学者に訴えておられます。その「結」を具現化した写真が邸内に展示してありました
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一回の囲炉裏
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日本の農家の一般的な間取り
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一番奥の仏間(表と我が地方では言いますが)お客事の部屋
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その横にある我が地方ではナンドと言います(寝室)
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漆の器も展示してありました
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一般家庭より部屋数が多いい御家です。二階へは
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階段で上がると
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倉庫となっているようですが、二階は床が張ってあります。障子戸から下界を
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三階へ上がる梯子。まだ立派です
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その三界の様子
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床も歩くと子だけが渡してあります。そして4階へ上る梯子
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ここで誤解としてあった看板から行くと、4階で終わりになったようですが、どこかで間違えたかも(?_?)
帆と通り見学終えて再度野外へ、そうそう入館料300円が必要。パンフから(一階主な生活の場:二階使用人の寝床:三・四階養蚕の作業場:五階薬草の干場)
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昼飯がどこかでありつけないか探していて、フト山を見ると
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テレビなどで良く見かける、白川郷の街並みを映す展望台の様だと、昼飯は後回しにしてそちらへ行ってみることにした。
入口が判らず、ウロウロしながら探し当て、登って行くと駐車場が少なく、だれか出るのを待って車を止めなければならなかった。
後で知ったのだが、展望台に行くシャトルバスが有料で出ている事が分かった。
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人々が群れていたのだが、少ない時を見計らって写したので、二人しか映っていない。拡大したメインロード
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それより山側の集落
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五箇山の合掌集落と比べると規模の違いが分かります。10分も見とれば十分でしたので、昼食のお店を探すため下界へ下りてきた。その前に、「麝香杉の湧水」が出ている神社を探しておいて、食堂を探そうと「鳩谷八幡神社」を探した。それは町のはずれに鎮座していた
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ちょうど神社の近くに「とんかつや」の看板が目に入り、山の中でトンカツもなんだかな~と思ったが、ソバ屋は何処も満員(+o+)仕方がないので入ることにした。
お店の構えを撮っておくのを忘れたのかなかったので、代わりにメニューを載せておきます。
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その内容も
セットメニュー(ご飯・漬物・吸い物)
{ご飯お替りについて・・セットメニューの場合大盛りはお値段変わりません。注文時お申し出ください。ご飯代お替りは150円です}
①名大(なだい)トンカツセット(豚ロース200g)・・・・・・・税込1350円
②名大ヒレカツセット(豚ヒレ150g)……税込1230円
      (トンカツのたれソースについて)
たれは、3種類付きでお出しいています(特性ドミグラスソース、赤みそたれ、大根おろし)
    1種類のご希望有ればお申し付けください。
当店は洋食屋として昭和36年創業から白川郷鳩谷にて43年間、特性ドミグラスソースをトンカツにかけておりました。
その味を召し上がりたい方は、2ドミかけ”又は”ドミどば”とお申しつけください。その場合、ドミの上に卓上にありますソースをお好みでかけてお召し上がりください。
③飛騨牛ほうば味噌セット……税込1230円
   霜降り入りの飛騨牛、白川とうふを、みそ、ねぎと一緒に、ほう葉の上で、焼きながらお召し上がりください。焼いた味噌をご飯にのっけて食べるのが、ほう葉みその食べ方です。
④白川豆腐ほう葉みそセット・・・・・税込820円
  白川とうふ、ねぎをほう葉の上で味噌焼きにする。
⑤飛騨牛多めほう葉味噌セット・・・・・・税込1900円
  霜降り入りの飛騨牛を堪能したい方にお勧めです。
  ◇飛騨牛を追加できます・・・・二切れ税込670円から

とのメニュー、どうもトンカツに自信アリの雰囲気・・・・・で、もちろん①の「ドミどば」を注文
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ソースはかけず、このままで、自信が有るだけあって衣カリカリ、豚肉ジュシーで、サクサクと美味しく平らげました。
腹も満腹、目的の水汲みへ「鳩谷八幡宮」へ移動
本殿へ参拝
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「鳩谷八幡宮」の説明石碑が設置され
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簡単に
由緒
 一、往古より此の地は、白山水分信仰に由来する水神を産土神として崇敬してまいりました。
 当神社の創建は、照蓮寺過去帳によると、鎌倉時代に後鳥羽上皇の皇子嘉念坊善俊上人が、浄土真宗布教のために此の地に道場を開き、飛騨の国における真宗教団の端緒となり、ました。時写り第九世名教の時世に真宗教団は保木脇の帰雲城主・内ヶ嶋為氏と図らずも戦となり、この争乱から無事難を逃れた明教の一子(幼名亀寿丸)が成人し、第十世明心上人として、ふたたび鳩谷に帰り永正(1504~1520)年間に当八幡神社を創建したと伝えられています。

 昭和16~40年代に、発電所ダム水没地区(内ヶ戸・野谷・尾神)と集落離村地区(加須良)に鎮座していた八幡神社、白山神社の神々が、合祀されています。
 明治4年村社に列格、昭和16年岐阜県神社庁独自社格銀幣社の指定を受けています。

 境内には次のような村指定重要文化財の史跡が残っています。
 ・嘉念坊上人お手植えと伝えられている巨大麝香杉の株跡
 ・麝香杉の湧水(岐阜県の名水に指定)
 ・冬青(ソヨゴ)に囲まれた祓所
 ・神馬の尻もち岩等

一、天下の奇祭、どぶろく祭り
  毎年秋に収穫を感謝し斉行する例祭の御神酒は、往古より氏子が仕込んだ、、どぶろくの御神酒をお供えしてきました。
 明治29年に国の酒造税法が施工されましたが、このどぶろくの御神酒は、伝統的神事の継承という特例を以て、一定の課税条 件の下で醸造が許可されました。このことにより、古来の伝統ある祭りが、引き継がれ今日に至っています。
 例祭当日は、神事の後お供えしたどぶろくの御神酒が、境内に集う多数の村人や遠来の参拝者に振る舞われ、多彩な郷土芸能も奉納されて、祭り気分が一色に賑わう「どぶろく祭り」は、天下の奇祭として世に広く知られています。

一、祭祀
 祭礼、10月16、17の二日間
 祈年祭、、4月
 新嘗祭、10月
 歳旦祭、月次祭(隔月)、参拝者御祈祷 等。
                平成26年10月吉日 調製

都の神社、「どぶろく祭り}が世に広く知れ渡っていると、書かれていますが吾輩は知らなかった((+_+))
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境内には四本の麝香杉と思われる杉が立ち並んでいた。これがどういう意味があるのか知りたいものです。
肝心な「麝香杉の湧水」は鳥居の右側の池に出ていました。
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竹の筒元にはホースが差し込んであり、たどって行けば麝香杉の切株がわかるかな?とたどって行くと
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又、ホースがエス論パイプの中に入って切株らしきものは見当たらなかった(探しようが足らなかったかも)
麝香杉の湧水のいわれが石碑に
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読みにくいので別の看板の内容から~
『この湧水は、飛鳥時代の頃(約1300年前)からより神社正殿直下より湧き出る清水を里人が飲料水と親しんできましたが、室町時代((約500年前)境内に在った嘉念坊善俊上人(飛騨浄土真宗の開祖)お手植えの麝香杉という大杉を切り倒したその根元から、さらに大量の水が湧き出今日まで大切に守り伝えられてきました。
 毎年1月末に造り込む濁酒用の真水として、当神社をはじめ近くの神社でも広く用いられ、冬には池面を湯気で包む温かさと、逆に夏の冷たさはこの庄川水系でも貴重な神水として尊び、無病息災の水として愛されてきました。
 昭和61年秋岐阜県が県下の河川や滝・湧水など、いろいろな形で存在する良好な水環境を県民に広く紹介し、水に対する関心を高める仲で更に積極的な保全対策を進めていくことをねらいに、「岐阜県の名水」として選定されたものです』
          鳩谷八幡神社
として今に続いているのです。

「鳩谷八幡神社の麝香杉の湧水」の独断と偏見の水評価
チョイト硬水がかった水かな?期待したほどの水で
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は




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