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NO300:白山平泉寺御手洗池の源流「平清水」

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越前大仏を見学?して、今日勝山に来た本命の白山平泉寺(ひらいずみでら)の白山神社に移動して行った。
大仏からは車で10分もかからない所にあり、苔の境内が名勝となっている苔寺ならず苔神社と呼ばれている。
奈良時代の717年「泰澄」(たいちょう)が白山に登ろうとして開いた一大宗教都市(施設)その開山の元となった池、「平清水・平泉」現「御手洗池」の湧水が取水出来たら・・・・・と考え予定を組んだのであった。
で、駐車場へ着きました。
白山神社2019,5,4 129-3z
吾輩が止めた駐車場P1でしたが、もう少し上にもありました。
白山神社2019,5,4 131-3x
駐車場の脇に「白山神社の由緒」が書かれた案内板
白山神社2019,5,4 125-3b
      平泉寺・白山神社
 福井・石川・岐阜の三県にまたがる白山(標高2702m)は、富士山や立山とともに古くから信仰の山とされてきました。「越の大徳」といわれた泰澄大師は、養老元年(717)この地の「林泉」(御手洗池)で神託を得て白山を開き、平泉寺を創設されました平泉寺は中宮平泉寺とも呼ばれて白山信仰の中心地となり、越前馬場として栄えるようになりました。中世には、白山神社境内を中心に48社36堂6千坊が立ち並び、また、多くの荘園を持って強大な勢力を誇っていました。源義経・弁慶らの一行も、この平泉寺へ立ち寄ったと伝えられています。ところが一乗谷の朝倉義景が滅んだ翌天正二年(1574)一向宗徒の一向一揆勢が乱入して、一山ことごとく焼失してしまいました。11年後顕海僧正が平泉寺を再興され、江戸時代には平泉寺から白山にいたる広い地域を、平泉寺の白山社領として支配しました。明治五年(1872)には白山は石川県になり、平泉寺の支配から離れることになりました。これより先の神仏分離令により、明治三年(1870)平泉寺の寺号を廃して白山神社になりました。
参道の石畳、菩提林の老杉、白山の神が現れたとされる御手洗池、大拝殿の礎石、本社前の大石垣は、全盛時代の平泉寺の面影を残しております。また、六百数十年前に建てられた楠木正成の供養塔、永平寺奉納の石灯篭、拝殿の奉納額などが歴史の古さを物語ります。社務所の「旧玄成院庭園」は室町時代末期に細川高国により造園されたといわれ、国の名勝にしていされています。
 白山国立公園の一角をなす白山神社の境内一帯は、国史跡「白山平泉寺旧境内」となっています。杉木立に囲まれ、青苔におおわれた静寂な神域は、白山信仰の聖地として、今なお多くの崇敬を集めています。
白山神社2019,5,4 130-3c
上側の駐車場に近い所に、「白山平泉寺歴史探遊館」まほろばという、資料館および綜合案内所の様なものが在ったので、簡単に見学「おもに白山信仰の説明や平泉寺近辺で発掘されたものの展示等々でした。撮影は控えたので写真は有りません。
で、案内所で湧水が出ていると聞いてきたのですが、どの辺でしょう・・・と尋ねてみると、事務所の方々そんなものは聞いた事ありませんとの返事・・・アチャ~((+_+))
まぁ、今日は有る程度水も汲めているし汲めなかってもいいか・・・と思いながら境内の方に足を進めた。
白山神社2019,5,4 133-3v
右上に見えるお寺は「顕海寺」
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白山神社社務所『玄成院』の代々の位牌所
白山神社2019,5,4 138-4w
ココが白山神社の社務所で国の名勝「枯山水の庭」があるというので入って見る事に、総て白山神社は拝観料は取っていなかった。
入ると、正面に受付があり、奥さまらしき老婆が受付をされて「御朱印やらその他の販売をされていました。チョイト無いと言われていた湧水の出ているところが境内に在るのか尋ねてみたら、な!なんと有るという!!、いわく、社務所の少し上に池が有るので、そこに注いでいる水が湧水なので行ってもらえば分ります。との事、奥さま曰く「先代の親から聞いた話ですが、近くの赤十字病院に入院されていた方が、そこの水を汲みに来て病気が治った。というのを聞いていた、良い水ですよ」との事
まずは、お庭を拝見と
白山神社2019,5,4 141-4r
     旧玄成院庭園
昭和5年10月に国の名勝に指定された本庭園は、享禄年間(約460年前)に室町幕府の菅領・細川武蔵守高国により作庭されたと伝えられ、現存する庭園としては北陸で一番古い庭である。様式は枯山水。築山の正面小高い所に一際高く立っている石が本尊石で、この石を中心に渦巻状に石が配置されている。池の左手奥は滝を模した石組で、池の右に鶴島、左に亀島を配し、亀島の近くには石橋も架けられ、池の前には宝舟に形どった一位の木があり蓬莱の趣を示している。なお庭の左隅の五重の石塔には永享6年(1434)の銘があり、沙羅双樹とともに好古の客の喜ぶところである
白山神社2019,5,4 140-4e
これカモ、
白山神社2019,5,4 143-4t
なんせ、説明書きは写真を撮るだけとって、帰って来てからじっくり読むため、写した写真とずれてしまう事が往々にしてあるのである。
で、そこを出てて池の方に
白山神社2019,5,4 145-4y
この細長い参道が拝殿まで続くのである。振り返れば
白山神社2019,5,4 147-4f
という参道を歩いて到着。ここを入るのかな
白山神社2019,5,4 148-4u
御手洗池(平泉)と表示してある。ここ、ここ・・・と入ってみる。
白山神社2019,5,4 156-4p
御手洗池であるが、光が差し込んでよく見えない(~o~)
で、正面から
白山神社2019,5,4 151-4i
鳥居が在るので正面だと思うのだが、こちらの写真もよ~くわからない。まぁ、沼の様なありふれた池でした。
白山神社2019,5,4 150-4o
御手洗池(みたらしいけ)
泰澄大師は養老元年(717)白山登拝の途中この林泉を発見され、大師の祈念に応じて泉の中の影向石(ようごういわ)に白山の大神が出現され、「神明遊止の地なり」とのお告げがあったため、当地に社を建てて白山の神を奉斎されたと伝える。当社発祥の地であり、「平泉寺」や「平清水」(平安時代の呼称の一つ)の名の由来はここにある。神泉は今もって絶えることなく湧き出ている。
池の東(御本社寄り)に聳(そびえる)三又杉はこの時大師が植えられたものと伝え、一千二百数十年を経て健在であり、幹は途中から三本に分れ白山三社をかたどる形となっている。当社のご神木であり注連縄が張られている。
白山神社2019,5,4 152-4d
残念ながら、注連縄を撮るため上部の三又は写っていなかった((+_+))
で、肝心な御手洗池の源流はその横の方にありました。
白山神社2019,5,4 153-4s
立派な御影石の石柱で囲ってアリ、その中は
白山神社2019,5,4 155-4a
綺麗な水が溜まっており、写真の上側の角の辺りから湧き出ているもようでした。水もソコから汲んできました。
尚、源流の呼び方は「林泉」「平泉」「平清水」と呼び方があるみたいで、タイトルには「平清水」を使いました。
汲んだ後、参道に戻らず、そこから獣道みたいな裏道を行く事に
白山神社2019,5,4 159-4g
階段を上ると
白山神社2019,5,4 161-4h
杉木立の中、一面に苔の大地。深閑とする幽玄の世界。パワースポットにうってつけの世界。
遠くには。青い屋根の拝殿が見え隠れ、そんな中を散策気分で拝殿方向へ
白山神社2019,5,4 167-4z
午後の陽光と杉木立の静寂なひと時、何物にも代えがたい時空をゆっくりと拝殿に向かって
参道へと
白山神社2019,5,4 168-4l
欲を言えば、もう少しカメラが高価であれば・・・と、吾輩の技術の無さをカメラのせいに・・・
何はともあれ、拝殿の右の境内
白山神社2019,5,4 169-4x
境内の左側
白山神社2019,5,4 170-4c
後ろを向いて
白山神社2019,5,4 171-4v
拝殿の前方、境内の雰囲気を分って頂きましたでしょうか(^o^)/
白山神社2019,5,4 173-4n
   拝殿  安政6年(1859)の造営
天正2年(1574)兵火にかかって焼失する以前は、正面45間という我国最大の拝殿であった。今も左右に残る巨大な礎石が規模の雄大さを物語っている。その中央部に再建された現在の拝殿は江戸時代の寄棟造り榑葺(くれぶき)の簡素な建物であるが、天平時代の風情をよく残していると言われる。
正面入り口にかかっている「中宮平泉寺」の額は一品天眞親王の筆。拝殿内の絵馬は越前藩主松平家以下の奉納にかかり、桃山以降の逸品である。
『どれもこれも撮影せず』(~_~;)
紹介される拝殿のポイントで、相方さんの記念撮影・・・・・小さめに・・・
白山神社2019,5,4 198-4m
そして、拝殿の後ろにはご本殿
白山神社2019,5,4 174-5q
石段を登り本殿で参拝
白山神社2019,5,4 175-5w
お賽銭を入れて、ふと上を見ると、なんと立派な龍の彫り物
白山神社2019,5,4 183-5t
左にも
白山神社2019,5,4 184-5y
対の龍、何か意味があるのかも
白山神社2019,5,4 176-5e
  御本社  寛政7年(1795)の造営
御祭神 イザナミノミコト。現社殿は越前藩主松平重富公による再建で総欅の入母屋造り榑葺。昇り龍・降り龍の丸彫、壁面の浮彫などの彫刻も秀逸で、奥越には珍しい華麗な建築である。
御本社を中心に右に別山社、左に越南知社を配するのは、白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っているからであり、このように白山三社の神々を勧進することは当社創建以来の姿と思われる。今は失われているが、中世から近世には、さらに金劔社と加宝社が加えられ、五社が整然と立ち並ぶさまは壮観であったと思われる。
と本殿から見た拝殿の後ろ
白山神社2019,5,4 182-5r
チョイト違いすぎると思うのは吾輩だけだろうか(?_?)
御本社の右端から今で言う奥の院への鳥居をくぐり
白山神社2019,5,4 195-5t
参道を上って行くと
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楠木正成のお墓
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説明書には
白山神社2019,5,4 194-5o
三之宮 明治22年の改築
安産の守護神として信仰が厚く、そのために当社は昔から安産の御守りと岩田帯を領布している。
楠木正成公募塔  延元年間(約650年前)の建立
当社は後醍醐天皇の建武の中興に際して、北条氏の一族を大野郡牛ヶ原に攻め滅ぼすなど、官軍との関係が密接であった。古い縁起によると楠木正成公甥恵秀律師は平泉寺の衆徒の一人で、延元元年(1336)当社三之宮に参籠していると夢に大楠公が騎馬姿でで現れ、不思議に思っていたが、やがて大楠公湊川戦死を聞き知るにおよんでそれがまさに夢見の日とわかり、その場所に五重の石塔を建てて菩提を弔った。と伝える。周囲の石柵と参道は寛文8年(1668)越前藩主松平光道公の奉納によるものです。
こちらが「三之宮」です
白山神社2019,5,4 192-5y
という事で、平泉寺白山神社の参拝は一通り終わりましたが、平泉寺が中世の一大宗教都市だった遺跡が残っているという場所を尋ねながら帰る事にした。
尚、この道を白山詣でに使用した「越前、禅定道」はここから始る。
下に向かって左に入って行き、境内の林が途切れた所からが、平成元年から発掘が始まって見つかったもの
まずは出て来たところ
白山神社2019,5,4 200-5p
誰かの怪しげな影も映っている道を登り、遺跡として発掘された「中世石畳道」
白山神社2019,5,4 205-5d
なだらかな斜面を階段状に造成した坊院跡(僧侶の住居跡)
白山神社2019,5,4 206-5f
横道も石畳道が配置され、坊院が多いい時で6千、僧兵8千もの数が生活していたとの事
白山神社2019,5,4 202-5a
当時の面影を再現した土塀、以前紹介した、近くに在る朝倉遺跡の土塀に似ている。
そしてどんどんと降りて行くと
白山神社2019,5,4 209-5g
若宮神社の大杉。岩屋観音の大杉を見た後であったので、感動も今一つというところ、しかし、こちらは一本ものの大杉「見る事一見の価値アリ」・・・で駐車場に帰ってきた写真が
白山神社2019,5,4 218-5h
マンホールの蓋であった(?_?)
昔は「平泉寺・ひらいずみでら」→いつの間にか「平泉寺・へいせんじ」となったらしい。
その他の逸話
自殺の名所で有名な東尋坊、平泉寺に平安時代いた僧の名前で、東尋坊から突き落とされたことに由来する。

「平清水」の独断と変形の水評価は
勝山出栗田多くは「軟水」であったが、ココの水は「弱い硬水」でありコーヒーもまぁまぁ美味しく飲めました
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は





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NO299:勝山市伊知地の「上清水・下清水」

白山神社2019,5,4 116-2p
「旧木下家住宅」を後に、岩屋川の下流の集落へ、そこに昔から生活用水に使われている湧水があるという。
小さな集落なのですぐ見つかると思いきや、道路が張りめぐらされているような街並みであったが為、村中を2~3回徘徊して見つかった清水でした。
白山神社2019,5,4 061-2a
道が狭く水を汲むのに車が置けないので、この「クボ」理髪店の駐車場に快く置かして下さった店主に甘えての水汲み。理髪店より手前10mの所に「下清水」があります。
白山神社2019,5,4 065-2s
集落の中に湧き出ている水の場合、飲み水に利用するより生活用水として利用しやすいようにこの様にコンクリートで貯水池を作り、この水が利用しやすいように作ってあります。この方法は全国で多く用いられているようです。
白山神社2019,5,4 063-2d
水は地蔵さんが安置してある右の奥から湧き出している模様で、石を伝って傍まで行き水を汲めるようにもしてあるようでした。そのせいか、汲んだ水はキレイな水が汲めました。
水を汲んでいると、近所から老婆がやってきて話す中で、「上清水」がこの道の理髪店から100~150m程先にある事を聞き出したのだが、理髪店の主人と老婆が言うには、この水を集落の人は飲み水には使っていない(~_~;)それよりも飲み水には、この集落より下手にある永平寺町の境に水が出ており、そこで汲まれているとの事、時間があればそちらにも回ってみますと、丁寧にお礼を言って「上清水」へと向かった。
白山神社2019,5,4 068-2h
下浄水から来た道で、その先の道の様子
白山神社2019,5,4 069-2j
集落の外れに在りました。
白山神社2019,5,4 067-2k
こちらの「上清水」の方が設備は整っていましたが
白山神社2019,5,4 066-2l
こちらも地蔵さんが安置してある右奥の門の変から出て来ていましたが、そのもとには行けず、湧き水が溜まった貯水池の水を汲まざるえなかった。そのせいか、帰ってからペットボトルを確認すると、わずかではあったが不純物(吾輩はオラオラと呼ぶ)が入っていた。でも水量は
白山神社2019,5,4 070-2z
すごい量で、右の側溝が集落を流れていた水で、左の側溝が貯水池から流れ出ている水であるが、同じぐらいの勢いで流れていた。それぐらい湧き出しているのである。
ペットボトルに含まれて入たオラオラを見ると、近くに流れている九頭竜川の伏流水ではないかと、『勝手に想像したのである』で、上清水と下清水との水源は別々かも知れません。なお、清水は「じょうすい」と呼び「かみじょうすい」「しもじょうすい」と言います。
教えてもらった湧水は、後程紹介するという事で、第三の湧水の目的地へと向かったのですが
途中、山の空遠く雪が少なかった今年でも、五月になっているのにコン盛と雪を被った山が見えていましたが、
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調べてみると白山連峰との事、勝山のすぐ奥に在ると思っていた白山だったが、結構遠い所にあるのだと再認識しました。
それで、第三の目的地「白山神社」へ行く途中見えて来た物は
白山神社2019,5,4 081-2c
「越前大仏」であった。噂では、破産状態にあると言われていたので、どうなっているのか寄ってみる事にした。
駐車場は広いが、駐車している車はまばらでどこでもOK、でもって無料!(^^)!
到着した時には、勝山の観光地を周遊しているバスも来ていた。
で、いざ出発
白山神社2019,5,4 082-2v
ここから入って行くと商店街が軒を連ねていますが、シャッター通り((+_+))
巨大な山門前で、拝観券を500円で買います
白山神社2019,5,4 084-2n
「越前大仏」作られた当初は入館料3000円もしたそうな!当初は観光寺院として宗教法人に登録せず、多大な税金を勝山市に納めていたが、観光客も思うように伸びず、税金が納めきれず破産、現在は、臨済宗・妙心寺派:大師山「清大寺」というお寺が管理している様である。拝観料も3000円→2500円→1000円→500円と遍歴して現在に至っているとの事。
白山神社2019,5,4 083-2b
境内の図面であるが、どこまで廻れ切れるかと思いながら参拝、まずは大門、料金所の後方に見える建物
白山神社2019,5,4 085-2m
大門仁王像と回廊
大門の左右に勇猛なお顔の仁王様が安置されているこの仁王像は 
中国福建省に於いて3年6ヶ月の日時を費して、漸く完成された
天津の奥地の良質な樟(くすのき)で  極めて入念に制作されたものであって見るからに頑強な  仁王様であり身の丈は26尺あります
この仁王像を遠く中国から  福井県勝山の現地まで運んできたのは  中国天津港から海路船積にして  福井県三国港に陸揚げして大型貨車ににより  漸く大門に仁王様二体を  無事安置が出来ました
回廊は、大門を通るとすぐ、越前大仏が参拝できる様に大きな回廊が二すじあって、参拝者が雪や雨の場合でも安易に大仏を参拝できるように工夫してある
 回廊に使用された木材は樹齢1500年以上の台湾桧の大木が惜しみなく使用してあり、回廊の柱は152本立っており、また柱には節一つ無く、その太さは廻り4尺以上の桧が使用されている
                 昭和62年5月
と書いてあります。その左側:仁王像・阿形(あぎょう)
白山神社2019,5,4 086-3w
右側:仁王像・吽行(うぎょう)
白山神社2019,5,4 087-3e
です。回廊は
白山神社2019,5,4 088-3q
左右に見える廊下の事。中門
白山神社2019,5,4 089-2m
からの回廊で大仏殿へ
白山神社2019,5,4 092-3r
そして、大仏殿へと
白山神社2019,5,4 090-3t
間口58m、奥行き48m、高さ52mの鉄筋コンクリート造りの重層寄棟(外観は四階建)で、東大寺大仏殿を上回る建造物です。銅版で葺いた屋根やその勾配など、随所に豪雪を考慮した設計がなされているほか、窓を多くし殿内に自然光が入るように工夫されています。木造建築の美と風格を模しつつも、現代建築の英知を極めた建物といえるでしょう。
 屋根には、巨大な一対の鴟尾が大師山を背景に金色に輝いています。(パンフから)
そして中に入ると正面に
白山神社2019,5,4 095-3t
どか~ん、と大仏さんが迫ってきます。
「大仏本尊のモデルは、仏教伝来のルーツ中国河南省洛陽市の郊外の龍門石窟の中にある昆廬遮那仏坐像で、身の丈17m。奈良大仏(文検16,2m、実測14,98m)を上回る大きさとなります。さらに光背は23mで2mの石台に3mの蓮台が重り、総高は28mにおよびます。この清大寺、越前大仏は顔や首が端正で穏やかなのが特徴。切れ長の美しい目をやや下に向け、脚下に集まる衆生に慈愛と救済の光を降り注ごうとしておられます。大仏ー昆廬遮那仏は如来や菩薩のつながりを体系づける中心仏、宇宙間の思想に基づく至高の仏ですが、越前大仏はまさにその思想の最大の表現といえるでしょう。使用された銅の量は220トン。鋳造物としても世界最大(創建当時)のものとの折り紙がつけられているほどですから、この最大・最高の越前大仏は久遠の宇宙の生命を具現して、今私達の前に姿をあらわされたのです。
 大仏左右には菩薩像(11,2m)羅漢像(10,3m)各二体が脇侍仏として配置され、大仏殿三方の壁には龕と呼ばれる棚が11段あり、あり、そこには高さ1m余りの小仏群千二百八十一体安置されており。(パンフより)
横の棚がコレ
白山神社2019,5,4 097-3y
実物を見ればこちらも圧巻である。越前大仏を横から見れば
白山神社2019,5,4 098-3u
一通り見て大仏殿から出た相方さんは、「ありがたいとチ~トモ感じとれん」・・・の一言
そして、五重塔へ行く途中九龍殿があり、中には「九龍壁」ちゅうもんがアリ
白山神社2019,5,4 106-3i
九龍壁は中国・北京市の北海公園の湖畔にあり、中国の国宝第一号に指定された由緒ある装飾壁ですが、それを中国政府の許可の元に再現したものですが、この境内の九龍壁です。七色の瑠璃瓦で造られ、両面には古代より帝王の象徴とされてきた九頭の龍が、宝玉に戯れています。この九龍壁は越前の地を流れる九頭竜川にちなんでここに設置されたのです。
白山神社2019,5,4 107-3o
現在でこそ技術の粋を集めて作れるのでしょうが、230年前、こんな鮮やかな壁を作った技術も立派なものです。
この九龍殿を通り抜け5重の塔へ
白山神社2019,5,4 108-3p
大きすぎて近くから総て入るかな~と、写真を撮りましたが、何とか全景が撮れました。それでは中に入ります
白山神社2019,5,4 110-3a
エレベーターが付いていて、五階までエレベーターで昇り、展望へ
白山神社2019,5,4 118-3d
大仏殿の前庭全景、次に勝山市街の遠望
白山神社2019,5,4 115-3s
近くには、勝山城博物館
白山神社2019,5,4 117-3f
このお城も一般人が建てたというものらしいが、実際には勝山にはこんな立派なお城は無く、架空の勝山城らしいです。
共(越前大仏・勝山城)に、勝山市に関係のある人が造ったというもの。
で、五重塔は、高さが76mで、京都市の東寺の五重塔55mを抜いて日本一の高さだそうです。一回ごとに金仏や石仏が安置されていましたが、暗くてきれいに写せませんでしたがアップしておきます。
五階仏像群
白山神社2019,5,4 114
階段で下りて四階仏像群
白山神社2019,5,4 119-3h
三階仏像群
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二階仏像群
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一階仏像群
白山神社2019,5,4 122-3l
でした。
我らは此の後越前大仏を後にしましたが、越前大仏「清大寺」のいきさつを書いておきます。
『昭和62年5月28日奥越・勝山の地に落慶した大師山清大寺は、大実業家故多田清翁が、当時成功立身出世できた恩に報いるため、財を投げうって父母祖先の眠るこの出生の地に建立されたものであります。
22ヘクタールに及ぶ境内には大仏さまをはじめとして、日本一の高さ規模を誇る五重塔や大仏殿など諸伽藍が配置され、さらに中国の国宝を再現した九龍壁や日本庭園など見どころが尽きません。
そして今、さまざまな願いをもった人たちに祈りの授けどころとして参拝されています。(パンフより)
ちなみに勝山浄博物館も多田清氏です。

伊知地の「上清水・下清水」の独断と偏見の水評価は
一本の道の上と下に湧き出ている水なのだが、下清水は綺麗な水であったが、上清水の方は帰ってからよく見ると少々浮遊物が入っていた。上清水は湧き出ているところで汲む事ができず、貯水池の中で汲んだ事が原因かも知れないが、吾輩が想像するに、下清水は山からの湧水で、上清水は近くを流れている九頭竜川の伏流水かも?と思うものである。・・・で評価は普通の軟水で系
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ。

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