NO289:岩屋観音堂の「御神水・観音水」

前回「白龍の瀧の霊水」で終わった勝山市に再び行ってきました。大型連休の後半5月4日の良い天気(^o^)/
御じぇじぇの無い我が家は、今回も日帰り旅行、予定として3ヶ所の名水を汲んでくる予定で出発。まずは天然記念物の「子持ち杉」樹齢・伝承1200年が鎮座する岩屋観音堂に美味しい「御神水」があるという。
大樹好きな吾輩は、まずは皮切りに岩屋観音堂から回る事にした。
我が家から勝山市までは約3時間、高速下りて岩屋観音堂へ続く道

勝山市は白山連峰に近い山の中ですが、結構広い田園地帯が広がる町である。その中岩屋堂へ続く道を走り集落に入ったころ

旧木下住宅の幟がパタパタとなびいていたので聞いてみると、江戸時代の庄屋の家屋を手入れをして後悔しているとの事、帰りに寄ってみようとそのまま岩屋観音へ

この地域は芝桜の産地なのか至るとこできれいな絨毯を見る事ができた。さらに山の奥へ

岩屋観音堂に併設されているのかキャンプ場の標識、その方向へ

道は広くなったり狭くなったりの山道、キャンプ場へ到着

駐車場にキャンプ場の見取り図が

大型連休の関係か、家族連れが数組は来ておられた。渓流も流れ魚釣りも7出来るようです。
我々は、キャンプが目的ではないので神社がある方へ移動

参道を上がって行き、鳥居の近くに境内の案内図が

大岩巡りの案内である、とりあえずめぐってからに水は探すことにして山道へ

そろそろ、おヘビ様も出る頃、あまりこのような場所には入りたくないが、遠くわざわざ来たのだから、意を決して登る事に
少し登ると、大岩の洞窟が見えてきた。

近づいて覗いて見ると

洞窟の中に朽ちかけた小さな祠が置いて有り、この中を潜り抜けて反対側に出て行く『胎内くぐり』という神事らしい。
どの様な御利益があるのか解りませんが、大岩の反対側の出口は

小さな穴から出て来るようです。吾輩は気持ちが悪いので「パス」その前に、胎内をくぐるのは1度でいいかな~
で、先を急ぎ、こんな所を通り

大岩を回り切ったところで整備された道へ

そこを歩いて行くと

岩屋稲荷神社と飯盛杉に着きます。境内で二番目に大きい杉だそうです。・・・が、ビックリするほどの杉では無かったので感動もせず、先へ進みます。
後は下りの様で、こちらはコンクリートの階段

どうも我らは反対から回った様子、岩屋観音堂が見える所まで下りてくると

天然記念物の「子持杉」が目の前に、しかし、一本の大きな杉ではなく、昔一本の杉の根元から枝分かれした幹が大きくなり全体として胴回りが大きくなった大樹で、幹周り17,0m・樹高39mあるそうです。
根元には

大杉を祠とみたして、小さな石地蔵がこちらを眺めていました。・・・で目的の名水は?

御神水心
観音堂裏に湧き出る観音水
咽うるほす時無の世界なり
色有りて色無し
形有りて形無し
味有りて味無し
心清め身も清め
観音堂の御前で双手を合せ
南無観世音菩薩と伏し拝む
蕪蓏渕(かぶらぶち)に映れし我が身の姿
水清く意の如く輪の如し
如意輪行なり
観音堂の拝殿がこちら

お堂の後ろから「観音水」が出ているという観音堂

吾輩が確認した限り、草が覆い繁った側溝から水は出て来ていたが、汲める水はこちらにのパイプから

それに、手水の蛇口

なぜか、観音堂に上がって来た時はパイプも蛇口からも水は出ていなかったので、大岩巡りをしてから湧水を探さなければと思っていたのだが、帰って来ると、ナゼか両方から水は出て来ていた。神の思し召しか、それとも近代的なセンサーが大岩巡りのどこかに設置されていたのか・・
それはともかく、名水「観音水」も無事頂けましたし、観音堂を後に下山して行き、例の「旧木下家住宅」へと寄り道

「旧木下家住宅」の概要をパンフから書き出します。
旧木下家は九頭竜川とその支流の岩屋川の氾濫をさけた台地上の上野区にあります。
上野区内からは、縄文時代や平安時代、室町時代の遺物も見つかっており、古くから人々の生活する空間であったようです。
木下家は代々甚右衛門を名乗り、上野においては草分け百姓5軒の内の1軒と伝えられています。
指定建物の主屋は、約700坪の敷地の北西側に建ち、東側には庭、南に土蔵跡と前庭が広がります。
間取りは、玄関を入ると4間(7,2m)四方の広い空間(ニワ・オイエ)があり、

{ニワから囲炉裏のあるオイエを見た様子。その時は老人が囲炉裏で黙々と焚き火をされ、江戸時代の雰囲気を演出されていた。おそらく木下家の現当主であろう}
玄関を入るとニワの左手にはウマヤがあり

オイエはニワの右手になります。ニワの奥に8畳の和室が4部屋、さらにその奥にブツダンノマと横にボウズベヤが配置されています。

暗くて手振れした((+_+))
こういった間取りは、福井市から勝山市や大野市にかけて分布したものです。木下家の場合は、そのウマヤとナガシが左右に突出した「両袖造」になっており発展したものです。
180年ぶりの本格的な半解体修理について
旧木下家住宅は、建築後約180年が経過していることから、建物全体が反時計回りにゆがみ、各所で沈下や雨漏りが発生していました。そこで、勝山市では文化庁や福井県の補助を受けて、平成27年度から30年度までの4か年計画で、骨組みだけを残して建物を分解して根本的な修理を行う工事を実施しました。
まず、修理工事に関しては、修理中の建物を雨や雪から守るため、最初に覆屋を設置しました。
その後、骨組みだけを残して、建物を上から順に丁寧に分解して行きます。取り外した部材には整理番号をつけ、破損状況や加工技術などを調べます。使える部材は極力使い、腐った部材は継木や埋木で補修しました。そして、修理の完了した部材を分解とは逆の順番で組み立てました。
今回の講じにあわせて、耐震診断を行い、耐震補強工事も実施しました。
修理工事でわかったこと
天保10年(1839)頃に完成して以後、2回(第1期10~20年後、第2期戦中から戦後)の大きな変遷が明らかになり、第1期の頃の間取りに復元しています。
重要文化財指定 平成22年6月29日
福井県勝山市の北西部、北郷町伊知地(上野)地区にある。江戸時代後期の庄屋の屋敷です。
この建物は建てられてから大きな増改築がなく、現地にそのまま残り創建当時の外観や間取りをよく留めていることや、建築年代のわからない古民家が多いい中にあって、建築年代や経費を記録した史料、さらには永平寺大工の関わったことを示す史料などが残ることから指定を受けました。
特に見所は、茅葺屋根で

黒い模様は特別らしいもの

三層に作られているとの事でした。
庭にはスプリンクラーも設置されていました。

しかし火災になれば、この程度の放水銃で役に立つのだろうか(?_?)
○岩屋観音堂の「御神水・観音水」の独断と偏見の評価は
エスロンパイプで導かれてきている水は、実際何処から来ているのか確認できませんでした。水道水カモ?とは思いたくない
珈琲を飲んでみると軟水の爽やかな水であった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は
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