NO286:かとうの名水「鴨川清水」

日曜日時間が出来たので、近場の・・・と言っても兵庫県三田市に近い加東市に昼ごはんを食べてからの出発になりましたが、行ってきました。やはり時間に余裕と天候が悪くなり、予定のコースがその日だけで廻れなかった為、再度行く事になり両日の内容をチャンポンしてお送りいたします。(^o^)/
篠山ICで下りて、三田方面R176号線を下り、途中からR172号線に入り「滝の社」方面へ・・・・少し走ると

60件前後の窯元が集まる、「陶の郷・丹波立杭焼」篠山市今田町へ分かれる交差点が現れます。
「丹波焼」やきもの街道は左折をして行きます。吾輩は一度ならず二回は言っていますが、今回は紹介のため寄道をする事に
走って行くと

右手に山肌を削りソーラーパネルを配置した、メガソーラー迄もは行かないようだが、異様な風景が見えてきます。
さらに進むと、ポツポツと、焼き物のお店が見え始めてきます。その中の一軒「英一窯」の看板が目に付き、

玄関の戸が少し開いていたので、中を覗かしてもらったら、誰~れもいない。

中に入って作品を見ていると

センサーが付いているのか、窯元のオーナーさんが入って来られた。何も買わずに出るのも気が引けたので

珈琲を飲むマグカップを一個ゲット(^_^)v

作品を見ていると、桁が違う、以前陶芸家の方に聞いたのだが、バブルのころは作れば何でもうr手たとの事、崩壊後はさっぱり売れなくなったとか、「このお店」はどうなのだろうかと思いながら後にした。

外に出て、お店の横の方に在る「登窯」を見学に

「英一窯」の登り窯、小ぶりの窯の様だが、使用している窯の様で。左から見た窯、手前に「まき」が置いて有り、黒い小さな穴から薪を入れて燃やすようである。

右から見た登り窯で、こちらの方は、失敗したのか、今から窯に入れるのか作品が置いて有ります。
ソコから、少し走ると「丹波焼の里」

丹波伝統工芸公園:陶(すえ)の郷と兵庫県陶芸美術館に着きますが、一度訪ねた事があるのでその日はパス。
引き返そうと来た道の方を見ると、今まできた所を見ると、今まで来た方を見上げる大木に赤い鳥居が目に入った。

行ってみると

兵庫県一の「大アベマキ」でした。
その横に、人家で隠れていた丹波焼最古の窯を修復したものがあり、「英一窯」と比べられないぐらい大きな窯であった。

その説明書きを見ると

日本六古窯の一つである「丹波焼の産地には、1895年(明治28年)に築窯され、120余年を経て現在も使い続けている登窯があります。この登り窯は、丹波焼の里のシンボルであり、現役最古の登窯で、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として築窯技術が国の選択を受けるとともに、兵庫県の「有形民俗文化財」に指定されています。
この窯は、里山の傾斜に沿って全長(水平)47メートル、焼成室9袋を備えています。
この窯を次の世紀へつないでいくために2014年から2ヶ年をかけて、丹波焼の窯元たちがサポーターな一般の方々と一緒にまくら(日干しレンガ)や割竹の道具を手作りし、伝統的な工法により大修復を成し遂げました。2015年11月に修復後の初焼成を行い、毎年春に一般公開で焼成を続けています。
あなたも参加しませんか
次の最古の登窯の焼成は、2019年5月2~4日に行います。
★作品焼成参加・・・一般の方も作品焼成に参加できます(有料)
詳しくは丹波立杭陶磁器協同組合(079-597-2034)へお問い合わせください。
★見学参加・・・焼成の期間中、昼夜を通して自由に見学できます。
丹波焼の里サポーター募集中
作業応援や、イベントの運営、口コミ広報などにご協力いただけるサポーターを募集しています。定期的に丹波焼の里情報誌をお届けします。


丹波焼
丹波焼は、その産地名に因んで立杭焼とも言われており、その起源は、平安時代末期から鎌倉時代初期(1180~1230)に溯り、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前と並び日本六古窯のひとつになっています。
丹波焼は、シンプルで穏やかな外観や典型的な集茶、黒の光沢による渋さにより、多くの人に愛好されています。
兵庫県篠山市の立杭は、東西に緑の丘や田園が広がり、南北に4斗谷川の美しい景観の村です。この辺りは鉄分を含んだ土が豊冨にあります。かまはとても特異な形をしており、丘の斜面に作られています。窯は傾いているように見えるので、登窯(傾斜窯)と呼ばれています。安定感があり、優雅で美しい外見の丹波焼はこのようなすばらしい環境と、ユニークな窯から作り出されています。
昔は、この地域の人だけに使われる壷や花瓶、鉢などを作っていました。当時は登窯ではなく、穴窯が使われていました。釉薬を使っていないにもかかわらず、窯の中の煙と灰により、自然に光沢のある作品になりました。これらの陶器は重厚で美しく、古い作品の中で今日よく見られる古丹波として世に知られています。
桃山時代の終り(1611)に釉薬を使った陶器がよく見られるようになり、穴窯の代わりに登窯が使われるようになりました。江戸時代には多くのすばらしい陶磁器が作られるようになり、質の高い作品の多くは、小堀遠州の影響を受け、主として茶会に使われました。
このようにして、陶芸の伝統はこの美しい環境の中で800年もの間受け継がれてきました。丹波焼の美しさは、日本民芸館の創設者である柳宗悦氏によって世界に紹介されました。現在多くの陶器の愛好者が丹波焼に多かい関心を示し、世界中からこの地を訪れています。イギリスの有名な陶芸家であるバーナード・リーチ氏は、何度もここを訪れて、丹波焼の芸術を鑑賞しました。アメリカの女流作家であるリリーチ夫人となったジャネット・ダーネルさんは、この地に滞在し、丹波の技法を学びました。
昭和53(1978)年「丹波立杭焼」の名称で伝統的工芸品指定を受けています。約60軒ある窯元では、ギャラリー巡りや陶芸体験を楽しむ事ができます。
5月2日(2019)行ってきました。

さぞかし群衆でごったがやしているだろうと思いきや、閑散とした雰囲気
火入れして、徐々に下から上へと炊いて行く、今は一窯で火を燃やして全体を温めて水蒸気を抜く行程をしているとの事、それから二窯、三窯へと横穴から割る木を入れて燃やして行き3日目の夜中ぐらいに全体へと火が入って行くとの事、窯に作品が全部入っていると、最後には「はちのす」というところから火が出て来るのが、今回は七分ぐらいしか作品が入っていないから、今回はそこまで行かないとの説明でありました。
チョイト早く行き過ぎたようでした。((+_+))5月3日~5日まで「春ものがたり」というイベントがあり、その辺がイイかも

しかし、若い女性が写真を撮りに来られていた。
そして、話は元に帰って、国道172号へ戻り進んで行くと

黄桜酒造の大きな建物が見えた・・・・・という事はこの辺の水は美味しいのか・・・それとも酒造りに適しているのか
ともかく、水に期待が膨らんできたのでありました。
さらに進んで行くとため池が現れ、

「加東市」の看板、そのほとりに

踊る姿の銅像。近くの上鴨川住吉神社神事舞の一つ「田楽の毎」のようです。
その横の方には、このため池で不幸があったのか

観音立像の石仏が静かに立っていました。さらに進むと

交差点、道路標識の西脇方面右へ入って行きます。すぐさま峠道に入り進んで行くと

峠の中腹辺りに三叉路、やしろ鴨川の郷と加東の清水「賀茂川清水」の看板も

三叉路を降りて行くと

ため池の縁に立っているメルヘン風建物が見えてきました。そして公園内に入って行くと

ストリートの先に名水はありました。

その小屋の中に

「鴨川の清水」がでて来ていますが、ペットボトルには直接汲む事ができず、その小屋の手前にあるバルブからも清水が汲む事ができましたので吾輩はそちらで汲ましていただきました。

その横には、「鴨川の清水」の水質検査表も貼って在りますので安全なのでしょうが、飲む場合は自己責任でお願いします・・・と
主な指標
マグネッシュウム:0,39mg/L カルシュウム27mg/L カリウム0,70mg/L との事。
汲んで帰りがけ、とある人が水汲みに

チョイト話をしてみようと、神戸から毎週来ているという、ご飯など日常的に使っているとの事でした。

アグリピアという中央管理棟

公園内は桜が満開で、1日をのんびりとグランドゴルフやゲートボールをして過ごしたいかもがわの郷でした。
この記事は「三回現地へ通い完成したものです」
「鴨川清水」の独断と偏見の評価は
飲んだ感じは、硬水系に近い美味しく飲めた水でした。毎週汲みに来られる水だけの事はあるのかも
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は
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