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NO279:岩間寺の「雷神霊泉」

2019,1、岩間寺 010-1y
つづき、受付の管理人さんいわく、「雷神霊泉」も今は出ていない。台風で山が崩れでなくなったとか、途中に在った「地蔵湧水」もそのときから出が悪くなったとの事。
入山料も払った後に聞いたので、岩間寺におまいりする事に、
2019,1、岩間寺 003-1u
この下の方に、以前出ていたという「雷神霊泉」が在るらしい、と歩きながら帰り寄ってみるかと、
2019,1、岩間寺 006-1i
本堂へ向かって歩いていると、まず目に入ったのが「ぼけ封じ観音」と鐘楼
その中に、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場めぐりの看板も
2019,1、岩間寺 004-1o
吾輩はもう少し時間の余裕がありそうなのでパス、そして、次に目に入っ多あらたかな石堂。「白姫竜神」
2019,1、岩間寺 007-1p

2019,1、岩間寺 008-1a
  白姫(白山比咩)龍神
開山泰澄大師が加賀の白山で修業中白馬に乗った美女に会って尋ねられると「余は白山妙理大権現である。」と言われありがたく感じた。大師は当岩間山に白姫龍を勧請された。
女人がこの神を崇めると美女になるという伝承されている。
      岩間山 正法寺
との事、相方さんを連れてくるのだった。と、悔やんでみたが、厚かましいと・・・聞こえて来そうであった。
そして、岩間寺には仁王門が無いので近代的な
2019,1、岩間寺 009-1s
仁王像のお出迎え、そして、岩間寺の縁起
2019,1、岩間寺 011-1d
岩間山 正法寺(通称 岩間寺)
宗派  真言宗
本尊  秘仏千手観世音菩薩立像
ご詠歌  みなかみは  いづくなるらん  いわまてら  
          きしうつなみは  まつかぜのおと
 創建は、養老6年(722)越前の生まれの泰澄大師が、時の女帝元正天皇(第44代)の三十三歳の厄年の際のご病気を自らの法力により治されたほうびに勅命により建立したことにはじまる。西国33所観音霊場第12番ぼけ封じ十楽観音霊場第4番である。
 御本尊は泰澄大師が当地の桂の木より千手陀羅尼を感得し、自らその木で千手観音を刻み、胎内佛として元正天皇より賜った千手観音を込めたという。
 現在の御本尊は、その元正天皇の御念事佛、千手観音立像で、御丈4寸8分(約15センチメートル)、三国伝来のエンブダゴン(印度エンブ川より採れる砂金)金銅佛で『通称汗かき観音』『雷除観音』『厄除け観音』と呼ばれている。
 寺伝によれば、汗かき観音とは、御本尊は日没と共に御厨子を抜けだされ、毎夜136地獄をかけめぐり、苦しむ衆生を済度し、明け方お帰りになられた時には汗びっしょりになられていることに由来する。
 また、大師が七堂伽藍建立の際、度々雷が落ち、堂宇をことごとく焼失した。困り果てた大師は、自らの法力で雷を捕らえ、佛弟子にしたところ、雷は大師に二つの約束をした。すなわち、当山へお参りする善男善女には雷の難を及ぼさないこと、岩間山に先年万古つきることのない水を湧かせることの二つである。これが、『雷除観音』と呼ばれる由来で、毎年春に行われる雷神祭には多くの参詣者で賑わう。
 境内には、雷自らの爪で掘ったという「雷神爪堀の霊泉』があり、現在も絶えることなく豊かな水をたたえており、その霊泉には元正天皇御製の
  湧き出づる 岩間の水は いつまでも
            つきせぬ法の み佛のかげ
が伝えられている。
 往昔は、後白河帝、後宇多帝、正親町帝等の歴代天皇の尊崇篤く、日本三霊場の一つとして隆盛していた。

ふむふむ、読んでみてやはり水は枯れていると言われても、古来から絶えることなく出ていた現場を見ておかなければとの思いが一層強く湧いてきた。
そう言えば、駐車場の管理人さんが本堂で霊泉を販売しているとの事であった。
さらに歩いて行くと、こんな石柱が
2019,1、岩間寺 020-1f
左 石山観音堂 38丁(約109m×38=41,42kmでマラソンで走る42、195kmに近い)、今でこそ車でスイスイと来れるが、昔の人は山道でもあり、一日仕事であったであろう(*_*;
2019,1、岩間寺 021-1g
本堂が近い雰囲気が見えてきた。右に見えるのは信者さんの集会所、その奥の左に
2019,1、岩間寺 022-1h
かっこいいお堂「大師堂」おそらく泰澄大師がまつってあるのだろう。撮影禁止の張り紙が無いので、恐るおそる
2019,1、岩間寺 023-1j
ズームでパチリと、その奥に
2019,1、岩間寺 024-1k
稲妻龍王社:稲妻龍王は当山護法善神でこの銀杏の大樹に住む、よく水を司り雷難火難を除き大魔から護り給う  岩間寺
だそうです。その後ろに見えるのが「不動堂」
2019,1、岩間寺 026-1z
こちらも、パチリと拡大。
2019,1、岩間寺 028-1c
そして、「不動堂」のイワレは
2019,1、岩間寺 027-1x
不動堂は、寛政、・文化・昭和年間に再建を繰り返しているが、虫害ひどく、現不動堂は平成5年に再建。
○不動明王・二童子(せいたか・こんから)像(平安中期・重文)
 不動明王は、大日如来の使者または、大日如来が教化し難い衆生を救うために恐ろしい姿をとる。“教令輪身”であり、二大童子は、不動明王の使者八大童子の一つで、こんから童子は慈悲の化現で小心随順する意、せいたか童子は、こんから童子と共に不動明王の化身で、方便心行を司る。
○薬師如来坐像(藤原期・市重文)
○阿弥陀如来坐像(藤原期)
との事、あまりにも達筆な文字のため間違いがあるカモ(?_?)
そして本堂がこちら
2019,1、岩間寺 029-1c
こちらも拡大
2019,1、岩間寺 031-1v
・・・と写した後で、賽銭箱の後方下の方に撮影禁止・・・と、手遅れであった。
こちらは、長年の風雪にさらされ文字がかすれ読み取りにくく、内容的には岩間寺の縁起と同じだと思うのでパスさせて頂きますネ。
御霊木の由来
養老6年(722年)泰澄大師が元正天皇の勅を奉じて霊地を求めこの地に行脚された時傍らの桂の大樹内より千手陀羅尼経が聞こえた。そこで、その霊木を以て千手勧世音 吉祥天  婆蘇仙の三尊を刻まれ、その胎内に天皇の御念持佛を納め本尊と為し当山を開創されたと伝えられる
現存するこの桂は、その子孫に当る。
夫婦桂:第二室戸台風で二代目が倒れ時に残った、ひこばえて(切りかぶから出た芽)三代目霊木
それ以外にも境内には、西国三十三所観音堂、芭蕉の池等が在りますが、カメラに映ってませんでした。((+_+))
「古池や 蛙飛び込む 水の音」は、その池で詠んだと言われている。
その本堂で買った「ご霊水」がこちらである。
柏原のめいすい 126-2q
この「ご霊水」、NO265で書いた、岩間山の麓にある桜峠にほど近い「岩深水」のミネラルウォーターを製造する会社に委託されているとの事、岩間山の麓にある事から、「雷神霊泉」と同じと考えて良いのだろう。そこの社長さん、最近頓に話題になっている「ボランティアおじさん」ではないけれど、災害あれば自社の水をトラックに詰め込み現場にいち早く持って行かれるというボランティア精神旺盛な方らしい。岩間寺もその方を応援されて、「ご霊水」を委託されているという話を、駐車場の管理人さんから聞いたのである。この水かこの水で美味しい水であるが・・・
元来た道を引き返し、白姫竜神の石碑の後ろから
2019,1、岩間寺 012-2w
「雷神霊泉」へ行く通路があり、こちらから降りて行くと
2019,1、岩間寺 013-2e
さらに進むと
2019,1、岩間寺 014-2t
そして、小屋らしきものが見えてきた
2019,1、岩間寺 015-2y
そして下の方に池も見えてきた。
2019,1、岩間寺 018-2u
お堂に近づきパチリと
2019,1、岩間寺 016-2i
やはり、山が荒れてお堂も荒れ放題の様子、が横には
2019,1、岩間寺 017-2p
雷神霊泉  元正天皇 御製
わきいづる  岩間の水は  い津までも つきせぬ法の  み佛の影

で、どこか水が漏れてないかいな~と、周りを見回してみた。
・・・と、足元の斜面から
水が出て来ている
2019,1、岩間寺 037-2a
出ているのが判るかな~・・・この写真は水を汲んでから写したもの
で、このようなときにリックに入れてくる三種の神器(片手鍋・漏斗・ペットボトル)を取出し、しょんべん程の水量を根気よく片手鍋で受け取り、ペットボトルをいっぱいにするのに5分以上、、くたびれて1本で終りにした。まあ、地蔵湧水と合わせて2本取れたので良しとした。
カメラで当てずっぽうで出ている所を写したもの
2019,1、岩間寺 038-2s
「雷神霊泉」の独断と偏見の評価は
岩間山の「地蔵清水」と同じ飲み口で、硬水ポイ水で、こちらも見た目より美味しかった。ただ、上には境内が広がっている事から大腸菌には注意するべし!
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
場所はこちら




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NO278:岩間山の地蔵湧水

2019,1、岩間寺 001-1q
年も開けて、2019年初めての水汲みへ、年末行った石山寺の近くに西国三十三番札所「岩間寺」があり、この近くに2ヶ所湧水が出ているということから、引き続き瀬田川~宇治川流域の天然水を探すシリーズ第三弾と言う事で、行ってきました。
石山寺から瀬田川の下流方面へ少し行ったところから山側へ入って行き山道を上って行きます。
情報元ではこの山道の途中に地蔵さんの辺から水が出ているという、走っているとそれらしきところが見えてきた。
2019,1、岩間寺 041-1w
停まって水の出ている所を見てみると
2019,1、岩間寺 040-1e
エスロンパイプから出て来ている量は「雀の涙」これでは汲むのに15分以上はかかる(@_@;)・・・で、その為にポリバケツが設置してあるものだと・・・・という訳で、このバケツから頂く事にした。入れる事30秒、しかし1本でやめにした。雨水やほこりもバケツの中に含まれて入る・・・かも、と思いそれだけにした。
それから走る事スグ、
2019,1、岩間寺 002-1t
岩間寺の駐車場へ到着。正式名称は「岩間山・正法寺」です。
管理人さんと話をする中で、管理人さんも地蔵湧水をよく汲みに行っとられたとか、その時はもっとたくさん出ていたらしい。

「岩間山の地蔵湧水」の独断と偏見の水評価は
ポリバケツに溜まった水ですので、正真正銘の湧水かもどうかも判らないが硬水ポイ水で、思っていたとより美味しかったので
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vしときます
詳しい場所(少々クルっているかも



NO277:立木観音の手水

石山寺、他2018,12,8 223-3h
御本尊は、弘法大師が木に彫ったと言われる観音様(秘仏)それがお寺の名前になっている厄除け寺で有名らしい。
石山寺から瀬田川を下る事約10分ほど、川幅も狭くなり今回の立木観音の縁起の基となった鹿跳(ししとび)の瀬と言う急流があり渓谷となっている辺りである。
正式名は「立木山安養寺」で、
立木山略縁起から  立木山HPよりおかれしました。
満々と水をたたえる琵琶湖から、京都、大阪へと唯一流れ出る瀬田川の南郷から大石の間にある景勝地、米かし岩や奇岩の間を流れる急流の鹿跳渓谷を望む急峻な立木山の山腹を、約800段の石段を登ったところに「立木観音 立木山安養寺」があります。
平安時代前期、山に光を放つ霊木を見つけられた弘法大師が瀬田川の急流で渡れずにいる所、白い雄鹿が現れて、大師を背中に乗せて川を跳び越えられ、霊木の前まで導き、雄鹿は観世音菩薩のお姿になられました。以来、この地は「鹿跳(ししとび)」と呼ばれています。
大師は自身が42才の大厄の年にあたっていたため、観音さまに導いていただいたのだと歓喜され、自身のみならず、未来永劫の人々の厄難・厄病を祓おうと発願し、霊木を立木のままに聖観世音菩薩を刻まれ、一宇の堂を建てて安置したと伝えられています。
大師はその後、高野山を開基されたので、立木観音は「元高野山」とも呼ばれています。
毎年、大晦日の夜から境内は参拝者でにぎわい、元旦会、初立木会等、特に一月中のお参りは多く、滋賀・京都・大阪・兵庫など関西はもとより、福井・愛知また遠くは東京・関東方面など遠方より参拝されます。節分会、新緑の季節、初夏から秋にかけて、9月5日の千日会をはさみ、小さな子供連れの家族、若い方たち、月参りの方など、日々変化する豊かな自然に親しまれながら一年を通してお参りされる方が絶えることはありません。
このように立木観音は、昔から災難除・厄除の寺として多くの参拝者が自身や家族の無事息災・家内安全・諸願成就などを願って参られています。
と、まあこの様なお寺ですが、
石山寺、他2018,12,8 195-4q
川渕に20台ぐらい止めれる駐車場に停め石段を上って行くのであるが、800段もあるとは夢にも思わず、すぐそこに本堂は在るとばかり思っていたので、何気に登り始めたのである。
石山寺、他2018,12,8 208-4w
石段を登り始めてすぐ、手水があったが、その時は何も気に留めず素道り、
石山寺、他2018,12,8 215-4e
魔の石段となった階段を上がり始めた。NO268の琵琶湖バレーの帰途足が棒状になり、年末12月ごろまで後遺症が残り、此の時はやっと正座も出来る位に回復していた時期であった。しかし、階段を上るにしたがい脚が攣るようになりながら
石山寺、他2018,12,8 229-4r
休みながらなんとか上っていると
石山寺、他2018,12,8 238-4t
まだ4丁の道しるべ、アジャ~(*_*;
石山寺、他2018,12,8 251-4y
こんな気持ちで上る事~拾分、やっと境内にたどり着き
石山寺、他2018,12,8 280-4p
本堂内撮影禁止、故に後ろへ回り本堂内の雰囲気をパチリ
石山寺、他2018,12,8 269-4o
後へ行くと石段があり
石山寺、他2018,12,8 265-4i
経典を納めた「宝篋印塔」の石碑を見ながら石段を上がると
石山寺、他2018,12,8 260-4u
「厄除けの鐘」という鐘楼が出て来た。なんでも立木観音(安養寺)にお参りする方は、心を籠めて一回大きく打つと1年の厄が落ちるとか・・・吾輩も人に言えない一年間の厄を落とすために大き~く「ごぅお~~~ん』と撞いてきた。
更に石段を登れば奥の院が在るのだが、ここでギブアップ境内広場へ
で、売り子のお姉さんに、手水の水は湧水が出ているものなのか・・・と尋ねてみると
お姉さんは「ちょっと待って下さいネ」と言って年配のオバサマへ聞いてくれた。その結果
「湧水かどうかは知らないが、水道水ではナイ」との事、ラッキーと内心思い、御本尊さんもよ~く見えなかったし退散して水を汲む事にした。
帰りはスタコラサッサ・・・と
石山寺、他2018,12,8 299-4s
言うようには下りれず、足を踏み外して転んではいけないと、一歩一歩慎重に下りて
石山寺、他2018,12,8 311-4f
瀬田川が見えてきた。
石山寺、他2018,12,8 314-4a
手水のある踊り場へ到着。一度来る前戻りペットボトル3本をリュックに詰め込んで
石山寺、他2018,12,8 315-4s
無事3ヶ所目の天然水をゲットできた1日であった。
詳しくは「立木観音」HP

独断と偏見の「立木観音の手水」の評価は
NO265の時に偶然買った、「岩清水」の水に似た、軟水系の水でコーヒーにしてもこれはこれで「爽やかな味」で美味しく飲めました。
詳しい場所は


NO276:伽藍山の湧水

2018,1,22小浜方面 171
2018年 早春の大江山連邦
          2019年・元旦
新年あけましておめでとうございます
旧年中は皆様の訪問に助けられて年を越すことが出来ました。
本年も、「美味しい水」を探して、ブログを書いていきたいと思っています。しかしながら、少しづつ遠くに水を求めて行かなければならないようになってきています。何時まで続けれるか一抹の不安がよぎりますが、諸条件の許す限り続けて行きたいと思っています。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

石山寺から戻ってきた吾輩は、瀬田川~宇治川第一弾で探していた、情報元の「伽藍山の湧水」を再挑戦する事にしました。
その水は、石山寺から京阪電鉄「石山寺駅」の間の、おそらく「伽藍山」と言う山の裾野あたりにあると標示されていました。他の情報では多くの方が汲みに行っているとの事、という二つの記事だけであった。その伽藍山というらしい山に登ってみようと前回試みたが、情報元の地図では行けれなかった。
石山寺、他2018,12,8 126-3q
今回まずは、石山寺駅から探しながら石山寺方面へ進むという形をとる事にした。
石山寺駅を出てすぐ
石山寺、他2018,12,8 111-3w
蛍谷という所に登って来たが
石山寺、他2018,12,8 112-3e
 かって、夏になると、この少し南の谷から蛍が多く出て、瀬田川を飛び交っていたことから、その名が付けられたと伝えられています。江戸時代には、下流の黒津とともに、蛍の名所として、京都・大津からたくさんの見物客を集め、にぎわっていました。
この蛍谷も上ってみましたが、現在では住宅地として面影ナシ、さらに石山寺方面を探しに・・・
石山寺、他2018,12,8 131-3r
一応、このの歩道が石山寺の参道となっております。歩いていると、谷間に大きな川が
石山寺、他2018,12,8 130-3t
その横に人工物である説明書きが
石山寺、他2018,12,8 128-3t
 大津放水路建設事業
簡単に説明すると、洪水流を流す『地下トンネル』、各河川から洪水流を取り込む『分水施設』、瀬田川へ合流させる『開削水路』の3つからなります。施設は、100年に一回程度で起こる洪水にも対応できるように設計されています。つまり、大津市内の小河川の洪水流をある程度増えるとトンネルに流し、こちらから瀬田川の下流に放流するという施設であるそうです。
この上流にも足を運んだのだが、そのような雰囲気は無く、情報元では多くの人が汲みに来る所にしては、車両の通行止めのポールが立っているので、おそらくここも違うのではと判断、さらに石山寺へ向かって歩いて行く・・・もそれらしき場所は無く、仕方なく最後の手段として食堂に入って聞いてみる事にした。
丁度昼も過ぎて腹も減っていた所、蕎麦屋と、和菓子と甘味何処「茶丈・藤村」と言うお店2軒が目に入り、蕎麦屋に入ろうかと思っていた所、前を歩いていたカップルがさっさとその店に入って行った。・・・と、そんな所に一人で入って行くのも野暮なものと、「茶丈・藤村」へ入る事と成った。メニューを見ると「本蕨・抹茶葛流し・藤野本葛切り・おぜんざい、各種・クリームあんみつ」等々、昼に食べる物ではナイ(=_=)、と、
石山寺、他2018,12,8 132-3y
「藤おこわと護摩豆腐と白みそのおつゆとちょこっとおかず」というメニュー、これなら腹の足しになるだろうと注文
待つ事30分(~ぐらいに感じた)その間に、店員さんに地元の方か確認してから「この辺に湧水が出ていると聞いてきたのだが、知っていますか」と尋ねるも、判らない、ちょうどレジの所に若いおかみさんがおられて店員さんが効いてくださった。おかみさん曰く、湧き水かどうかは判らないが、夏になると近所の畳屋さんが、ホースで玄関先で水を出しておられ、それを汲みに来ている方がいる事は知っているが、それがそうかどうかは行って聞いてみては・・・との事、お礼を言うて待つ事・・・?分、その間にメニューを何気なく読んでいると、「茶丈・藤村」のお店の名前の由来が書かれてあった。
それが、HPに書かれていましたので、抜粋させて頂きました。

                             ☆☆☆☆☆
明治26年二月 東京で女学校の先生をしていた20才の島崎藤村は、教え子との恋愛に悩み、関西漂泊の旅に出ました。その折、石山寺に立ち寄り自分の愛読する「ハムレット」を寺に奉納しました。

『石山寺へハムレットを納むるの辞』

名にしをふ瀬多の唐橋に立て湖上はるかに浮ぶ詩神を拝み、むかし紫式部が源氏の風情をうつせし石山寺に詣づ。予や旅に寝て風雅に狂する身のここに一の至友あり、今この友を笈中より取出し「ハムレット」一冊と記して個の此寺に納む、紫女が霊のとどまりたらんと覚ゆるかなたを見やりて、ひたすら今日の風雅を祈るに、雪風飄々孤身をうづめて寒山の一鴉この狂客のはらわたを断つ。

湖にうかぶ詩神よ、心あらば落ち行く鐘のこなたに聴けや、千年の冬の夜毎に、石山の寺よりひびく読経の声。
      島崎藤村『文学界』第二号


さらに京都、神戸、高知へと旅を続けた藤村は、五月に石山へ再びやってきて、今度は石山寺の元茶所であった密蔵院の一間を借りて自炊生活を始めました。

島崎藤村『文学界』第七号「茶丈記」より

そもそも石山寺といふは名にしおふものさびたる古刹にして、かの俳士芭蕉庵が元禄のむかし幻住の思ひに柴門を閉して今はその名のみをとどめたる国分山を
うしろになし、巌石峨々として石山といへる名も似つかはしきに、ちとせのむかし式部が桐壺の筆のはじめ大雅の心を名月に浮べたる源氏の間には僅にそのかたみを示して風流の愁ひをのこす。門前ちかくに破れたる茶丈の風雨のもれたるをつくろひ、ほこりをたたき塵を落して湖上に面したる一室をしきり、ここにしばらく藤の花のこぼれたるを愛す。
 

         

ここに出てくる藤の藤棚は今も石山寺表境内にあり、二カ月にわたる自炊生活をした密蔵院は寺内に移築されています。また、その二カ月の間に知り合った石山の人たちとの交流は「眼鏡」や「力餅」などの物語にも描かれています。


このように石山での生活がその後の偉大な作家、島崎藤村の執筆活動に与えた影響は少なくはありませんでした。
茶丈藤村は彼が逗留し「茶丈(さじょう)」と呼んだ坊(密蔵院)の面影を抱いて、煙出(けむだし)や三和土(たたき)南蛮漆喰の壁など物語風に設えました。
                                 ☆☆☆☆☆
その内に料理が運ばれてきました。
石山寺、他2018,12,8 139-3u
おそらく、注文してから「おこわ」を蒸されたのだと思います。暖かい美味しいおこわ、チョイト甘いかな白味噌のおつゆや程よい量のおばんざい等々、総て完食、うまかった~(*^。^*)
と言う事で、詳しくは『茶丈・藤村』のHPを見て下さい
「茶丈・藤村」を出て、聞いた畳屋さんへ
石山寺、他2018,12,8 168-3u
尋ねて行くと、80前後のお婆様が出て来られた。「かくかく云々」と思いを伝えると、満面の笑みを浮かべて、遠いい所をよく来てくれた・・・と、家の裏手にある水汲み場に案内して下さった。
石山寺、他2018,12,8 145-3a
パイプが張り巡らされ、大きなタンクには裏山からパイプを引き
石山寺、他2018,12,8 153-3s
水を溜めて蛇口に引いて来てある。水を汲んでいる間、お婆さんの連れ合いがこの水のもうりをしていたのだと、昔は二三軒両隣のお宅にも水を配っていたのだが、代が替り若い人は関心を示さなくなり、その水を夏場には家の前にホースを引き、石山寺にお参りする人達や、水を求めて来る人達に開放していたとの事、水の管理も、たまに山へ登り掃除をしたりしていたが、この秋急におじいさんは他界されたという話であった。お婆さんは、そんな水を遠方からはるばる汲みに来てくれて、おじいさんは喜んでいる事であろうと言ってくれて、吾輩も二回探しに来たことは、おじいさんが呼んでくれたのでしょうと、感謝の気持ちを伝えておきました。
水を汲んで帰りがけ、お店の入ったところに
石山寺、他2018,12,8 164-3p
天保十年創業の感謝状が飾ってあり、歴史のある畳屋さんだという事にきずいたが、その前には
石山寺、他2018,12,8 159-3o
お婆さんの手作り作品が並べて販売されていたので、巾着袋を、大島紬で作ったものを御礼に一つ買って後にした。
駐車場へ帰る途中
石山寺、他2018,12,8 189-3d
鬼の形相の石碑の庭園なるものが
石山寺、他2018,12,8 181-3f
朗澄大徳ゆかりの庭園と
石山寺、他2018,12,8 175-3f
 約八百年前、中興の祖、朗澄大徳(   ~1209年)は、石山寺屈指の名僧で、大資聡明の人であり、教学のほか図像画にも卓越し、白描図像等書写された物が大量に残こされています。又、多宝塔(国宝)内部の壁画も朗澄律師の筆によるものではないかと言われています。
  朗澄律師は没後、石山寺経蔵の○○、並びに聖教を守護し、万民の降魔招福の為、鬼の姿となる事を誓い承元3年5月14日入寂されました。
石山寺縁起絵巻・・・・・・より
 石山流の師、文泉○朗澄は死後には鬼の姿となり多くの畜生類を連れてこの○教を巡り、法に従わない人を改めさせると言っていた。
朗澄の死後、その生前に秘法を伝授された弟子の行宴は、師の居られる所はどこかと熱心に祈っていたら、ある時夢に彼の山の峰の松の梢にその姿が現れた、夢が覚めて急ぎその場所に行くと、虚空に声がして定印を○んで両眼にあて見ようという。その通りにすると、金色の鬼が四方を見渡し、厳しい表情であった。画面は山谷が連なり、松樹の上に生前に語られた通りの鬼の姿で師の朗澄が示現したのである。
   大本山  石山寺
と言うものであったが、石山寺の昔のえらいお坊さんらしい事ぐらいしか理解できませんでした。
で、予定最後の「立木観音」へと車を進めた。
 
伽藍山の湧水の、独断と偏見の評価は
畳屋のおじいさんが、長い間維持管理してきた水だけあって、美味しい水で少し硬水がかった水であった。オバアサンも煮沸して飲んで下さいと念を押されていたので、コーヒーにして飲みました。おじいさんの努力も加味して
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆にしました
詳しい場所(今もらえるかどうかわからない)ご迷惑の内容に



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