fc2ブログ

NO275:石山寺の閼伽水

石山寺、他2018,12,8 006-1q
瀬田川から宇治川への第二弾、石山寺をはじめ三ヶ所行ってきました。三ヶ所目は「立ち木観音」と言うお寺ですが、ここは、もう十年以上前、瀬田川の鹿跳(ししとび)の瀬にカヌーで遊びに行った時、どんなお寺なのか一度行ってみたいと思っていたところデス。
石山寺は、西国三十三番札所の13番札所のお寺であります。
石山寺、他2018,12,8 002-1w
石山寺の駐車場へ、そこから歩いて東大門という仁王門をくぐり
石山寺、他2018,12,8 008-1e
境内へと入って行きます。
東大門の縁起
石山寺、他2018,12,8 009-1r
重要文化財 建造物
石山寺東大門一棟(大津市石山寺一丁目)
 東大門は、三間一戸の八脚門、入母屋造り
本瓦葺の建物で、正面の左右に仁王像を置くことから仁王門とも呼ばれています。
 現存の門は、鎌倉時代の初期、建久元年(1190)の建築で、桃山時代の慶長年間(1596~1615)にかなり大規模な修理改造が加えられています。天井下の蟇股(かえるまた)や破風の懸魚などに桃山時代の特徴ががよく表れています。しかしながら、やはり建物の建ちが低く、深い軒は古寺の大門としてふさわしい姿をしています。
 明治40年(1907)八月に重要文化財指定されました。
         大津市教育委員会   平成5年(1993)3月
石山寺、他2018,12,8 012-1t
と鎌倉時代の運慶・湛慶 作
石山寺、他2018,12,8 011-1u
入山料600円を払い
石山寺、他2018,12,8 015-1i
正面のゲートで切符を確認してもらい境内へと入って行きます。
情報元では、石山寺の天然水は手水と閼伽井屋というお堂の岩陰から湧水が噴き出しているとの事。
まずは手水舎
石山寺、他2018,12,8 020-1o
ここで水が汲めると思いきや、柱に「この水は飲めません」とのお触書((+_+))。まあ、もう一ヶ所の「閼伽井屋」の湧水が有ればよいかと、あきらめもつきパス。
この手水舎の後ろに
石山寺、他2018,12,8 018-1a
「くぐり岩」なるものが
このあたりの岩は全部大理石である。奇岩・怪石の幽邃の境中天然自然に、体内くぐり状態をなすこの池は天平時代のものです。
        石山寺
と言うものらしい
石山寺、他2018,12,8 017-1p
入口は立って入れたが、出口は狭くリュクを担いでた吾輩は出て来るのに難儀をしたのでした。女性はくれぐれも男性が後ろからくる場合はスカートの方は遠慮した方が・・・
潜り抜けると願い事がかなうと言われているパワースポットの事
そこから少し行くと、本堂へ進む石段が
石山寺、他2018,12,8 021-1d
ココを上がり切ると
石山寺、他2018,12,8 022-1f
正面に石山寺の名付けの元、大岩群がそびえています。
ここで、石山寺の縁起を
石山寺、他2018,12,8 014-1g
栞から抜粋
 聖武天皇の勅願により天平勝宝元年良辨僧正によって開基され、歴朝の尊崇あつい由緒ある寺院である・西国巡礼13番の札所。
 本堂は懸下木造建築最古のもので、内陣は平安中期。外陣は淀殿の修補になるもの。
 本尊観音は勅封になっている。
 堂内「源氏の間」は紫式部が「源氏物語」を書いたところと傳え、本堂下の御堂は蓮如上人の母が石山観音の化身だといわれるので、その形見と傳える蓮如鹿の子の小袖を安置している。
なお、こちらの紫式部の説明では
石山寺、他2018,12,8 010-1h
世界最古の長編小説「源氏物語」が記載された寺院として知られています。紫式部が石山寺で観音に祈り、十五夜の月が琵琶湖に映える様子を見て、この物語の着想を得たと伝わっています。琵琶湖の水とその美しい景観が生みだした「源氏物語」は、1000年もの間、人々の暮らしを彩り、今後もなお、それは途切れるこなく受け継がれていくでしょう。
正面の岩群
石山寺、他2018,12,8 031-1j
説明版
石山寺、他2018,12,8 032-1k
天然記念物
石山寺の硅灰石(けいかいせき)大津市石山寺1丁目
 硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものです。この作用によって通常は大理石となりますが、この石山寺のように雄大な硅灰石となっているものは珍しいものです。
 石山寺の硅灰石は、20ミリメートル大の短い硅状の結晶になったものや、5ミリメートル大のものが50ミリメートル大に集合したものがあって、表面は淡黄色あるいは淡褐色をしています。
 また、この硅灰石のほか大理石、ベーブ石石灰岩からなる大岩塊は褶曲のありさまが明らかにわかるものとして貴重なものであり、石山寺の「石山」の起こりとなったものです。
 大正11年三月に国の天然記念物に指定されました。
    大津市教育委員会  昭和59年2月
この広場には、西国三十三ヶ所霊場の尊像をすべて祀った観音堂
石山寺、他2018,12,8 023-1x
蓮如上人を祀り遺品を安置する蓮如堂
石山寺、他2018,12,8 029-1c
石山寺は東寺・真言宗であり、蓮如上人は浄土真宗の中興の祖であることからなぜか(?_?)それには蓮如上人の母堂の物語が残っている。
詳しくは「気楽おっさんの蓼科偶感 」のブログを参照してください。
石山寺、他2018,12,8 030-1v
堂内の祭壇です。
石山寺、他2018,12,8 026-1n
 源頼朝の側近であった中原親能(ちかよし)は、和束で起こった反乱の討伐に向かうにあたって石山寺に詣で、観音様に勝利を祈願しました。石山寺の門を出発した時、親能の前に毘沙門天が現れ、無事反乱を鎮める事ができたと「石山寺縁起絵巻」は伝えている。
 武神であり、財宝神である毘沙門天は観音さまの33の応現神(観音様が人々を救済するために時と場所と相手に応じて変身した33の姿)のひとりでもあります。この毘沙門堂に安置されるのは兜跋(とばつ)毘沙門天立像(重文・平安時代後期)です。
(重要文化財「石山寺縁起絵巻」第6巻第1弾)
石山寺、他2018,12,8 027-1m
へたくそな写真により顔半分が・・・・((+_+))
他に、堂内に弘法対し・良弁・淳祐(しゅんにゅう)の遺影を安置する御影堂
石山寺、他2018,12,8 035-2q
があります。
その広場を左へ行くと
石山寺、他2018,12,8 036-2w
本堂が在ります。
石山寺、他2018,12,8 037-2e
国宝、建造物
   石山寺
 石山寺本堂は、桁行7間、梁間4間、寄棟造の本堂と桁行9間、梁間4間、寄棟造で懸造(舞台造)の礼堂と、その両棟を結ぶ相の間によって構成される総檜皮葺の建物です。
 石山寺の建立は古く、本堂は天平宝字5~6(761~2)にかけて造東大寺司によって拡張された事が正倉院文書に見えます。その後、承暦2年(1078)に焼失し、永長元年(1096)に再建されたのが、現在の本堂で、天平宝字頃のものとほぼ同じ規模を持つ滋賀県で最も古い建物です。礼堂と相の間は、慶長7年(1602)に淀君によって建て替えられました。
 昭和27年(1952)に国宝に指定されました。
      大津市教育委員会  平成5年(1993)3月
本堂入口
石山寺、他2018,12,8 040-2r
これ以上堂内撮影禁止のためお知らせする事ができないが、本尊如意輪観世音菩薩像は金ピカに見事に輝いていました、
石山寺、他2018,12,8 042-2t
源氏の間
石山寺、他2018,12,8 043-2u
今を去る千年の昔寛弘元年蜂勝ち十五夜紫式部この部屋に参籠し前方の金勝山よりさし昇る中秋の名月が下の湖面に映える美しい景色に打たれ構想の趣くままに筆を採られたのが有名な「源氏物語」であります。それからこの部屋を「紫式部源氏の間」と申すようになったのであります・
本堂を後にして、さらに境内を巡りましたが、重要文化財だらけで紹介するには大変でしたので、吾輩がこれぞ!と思うのを抜粋してご案内いたします。
まずは、日本最古と言われています「多宝塔」
石山寺、他2018,12,8 056-2o
瀬田川から琵琶湖を一望できた「月見亭」
石山寺、他2018,12,8 064-2a
展望、今は高いビルが乱立している
石山寺、他2018,12,8 063-2p
石山寺の遅咲きの紅葉
石山寺、他2018,12,8 076-2a
そして境内の最頂部近くには
石山寺、他2018,12,8 082-2d
光堂、本堂に似せた建物の様だが
石山寺、他2018,12,8 086-2f
大津市に工場を持つ東レが寄進したものか?
石山寺、他2018,12,8 083-2f
物故者慰霊塔  慰霊塔  東レ株式会社
ココまで登って来たのだが、吾輩が探している「閼伽井屋」が未だ見つからない、はて?
これからは水辺を中心に探して見る事に
石山寺、他2018,12,8 090-2h
八大龍王社
石山寺、他2018,12,8 089-2g
 八大龍王社は龍池の中島に建てられた社で、龍王をお祀りしています。石山寺の歴海和尚がこの池のほとりの意志に座って孔雀経をを読むと、池の中から龍王たちが現れて和尚の経を聞き、経を読み終わると、和尚を庵まで送って行ったと伝えられています。歴海和尚が座った石は「腰掛石(または尻掛石)と呼ばれ「石山寺縁起絵巻」に描かれたうっそうと木がおい茂る深い山中の様子は、現在も変わることはありません。
で、閼伽井屋がどこに在るのか池の周りを回るも
石山寺、他2018,12,8 091-2j
ナイ。東大門の方へ帰りながら探すも
無憂園にある甘露の滝の周りを探すもナイ
石山寺、他2018,12,8 093-2l
仕方なく歩いていると
石山寺、他2018,12,8 098-2z
それらしき小屋が池のほとりに立っていた。コレだ!と確信!それは本堂の真下
石山寺、他2018,12,8 101-2x
小屋にも「閼伽井屋」の名前も書いてある。しかし
石山寺、他2018,12,8 099-2c
モーターの音が・・・・・
石山寺、他2018,12,8 100-2v
黒丸の所から地下水が出ているので、ここで無事水をゲット(^_^)v
その手前には
石山寺、他2018,12,8 096-2m
     天智天皇の石切り場
 本堂ましたのこの場所は、天智天皇の御世(660年代)石切り場であったといわれ、砕石跡が残されています。近年の調査で、ここから切り出された石は、天智天皇によって建立された奈良の川原寺中金堂の礎石に使用されていることがわかりました。石材の運搬は水路を用いられ、瀬田川から淀川へ下り、大和川をさかのぼって飛鳥の地へ運ばれたと考えられています。
 「石山寺縁起絵巻」第4巻の承暦2年(1078)の本堂火災の場面には、今と変わらぬ切り出し途中の岩が描かれており、この場所が当寺から存在したことを示しています。
石山寺、他2018,12,8 097-2n

独断と偏見の「石山寺の閼伽水」の評価は
残念ながら、水色も今一、飲んでみても何かしっくりこない味。地下水を汲み上げている事から、石山寺の前は、瀬田川洗堰の内側、おそらく琵琶湖の水が浸透しているのではなかろうか思われ、手水の水を飲まないでくださいと言う注意書きも納得できるものです。
          (*_*; (*_*; (*_*; でした
現在2018年12月31日23時16分何とか年内中に書き終わる事ができました。

   皆さま良いお年をお迎えください
詳しい場
所は



つづく

続きを読む

スポンサーサイト



NO274:平成の名水百選の「地蔵滝の泉」

2018,11大山 176-3b
大山を一周するという目論見は、大山寺で敗れてしまった。しかし意地でも到達したかった所までは行けました。
朝一で探し回った平成の名水百選の「地蔵滝の泉」を、コレマタ意地でも探してやると決意のもと、鱒水高原を下山する方向へ進んで行った。
早朝の失敗を教訓に今回は、情報元の地図をよく確認すると、大平原ゴルフクラブの周りを流れる「佐陀川」の畔に在ることが分り、カーナビにインプットしておいた。
2018,11大山 145-3n
おかげでその辺りに来ると、道路標識を見つけ矢印の方向へ進むと、その道の橋の下へと続いて川縁に公園が作ってあった
2018,11大山 128-4q
先客が数台、その中の一台は大阪から定期的に汲みに来ているという。容器をたくさん置いて水を汲んでおられたので、待つ事に
、辺りを散策してみたが、滝らしいものは無く地蔵さんだけであった。
2018,11大山 132-4y
神徳寺一同の寄進で造られた台座と祠、しかしよく見ると、祠の前にはしめ縄が掛けてある。地蔵さんは仏教に関わる石像、寄進されたお寺が「神」が付いているお寺なので、神仏習合の信仰をされているお寺なのかな・・・と思いながら川を覗いて見ると
2018,11大山 135-4r
水がやけに美しい、川藻もユラユラとなびいていた。花が咲いていないので梅花藻ではなさそうだが、時期的に花が咲いていないだけかも(?_?)
2018,11大山 129-4w
平成の名水「地蔵滝の泉」
 この湧水は、「地蔵滝」と呼ばれ、平成三年「因伯の名水」にも選ばれました。かっては昼でもうす暗い森林に覆われ、5mほどの滝でしたが、昭和34年の伊勢湾台風に伴う豪雨等で崩壊し、現在の状態となっています。
 中国地方最高峰の大山は、古くから信仰の山として崇められ、5月24日の大山祭(大山さん)には、近隣近在からの参詣舎や、博労座の地名が残る大山寺では日本三大牛馬市の一つとして市が開かれるなど、大変な賑わいであったと伝えられています。
 地蔵滝は、出雲・米子方面からの道筋の要所の一つに当り、参詣舎が休息し気力回復して大山寺を目指す憩いの場として親しまれてきました。また、祀られている地蔵菩薩は大山寺の地蔵信仰とも重なり、丸山集落の水源を守る象徴だけでなく、旅の安全を守る仏でもありました。
 地蔵滝から湧き出る水は、年間を通じて11度に保たれ、日量19、4万トンにもなります。八郷水道(370世帯)に供給されるほか、約二百ヘクタールの灌漑用水としても利用され、ここで生産される八郷米は糧食味米として極めて高い評価を得ています。
 泉の周辺は別名「せり川」と呼ばれてセリが生い茂り、またこの地一帯は赤松の美林に囲まれ、「森と清流の里」として都市と農山村との交流にも「ふれあいの水辺」としての役割を果たしています。
 このたび「平成の名水百選」の認定を機に、人々の交流に加えて、水と森林の保全についての学びの場となることを願っています。
   平成20年6月    鳥取県伯耆町
という訳で、今尚名前だけは滝が付いていますが現地の取水場は
2018,11大山 134-4a
筒から水が出て来ているのでありました。その元には
2018,11大山 137-4s
八郷上水道の施設が在りましたが、その柵の根元からは湧水が湧き出ていました
2018,11大山 136-4d
順番が回ってきましたので吾輩も「地蔵滝の泉」の水を汲みました
2018,11大山 144-4g
・・・が、2本で終り、大阪の方とは雲殿の差でありました。地蔵さんの小屋の後ろには朽ちかけた
2018,11大山 141-4t
水質表もありました。
地蔵滝から湧き出る水は、年間通じて11℃に保たれ、スッキリした味わいの天然水です。
「地蔵の泉」1リットル中の栄養成分の結果(2015年6月22日)
エネルギー(0キロカロリー)  タンパク質(0,01g/100g)  脂質(0,01g/100g)  炭水化物(0,01g/100g)  
ナトリウム(12ミリグラム)   カリウム(3ミリグラム)   カルシウム(10ミリグラム)   マグネシウム(4ミリグラム)
*湧水は生水ですので煮沸して飲用してください
*水質検査(40項目検査)結果については、伯耆町ホームページをご覧ください。
水も頂き、日もだいぶ傾いて来ていましたので一周は諦め、出来ればサントリー奥大山ブナの森工場まで行ければ今回の水めぐりは終了としたい思いで出発して行きました。
桝水高原スキー場に戻り、大山環状道路に戻り進んで行くと、一の沢あたりの風景がスゴイ
一応旧跡に当る文殊堂の駐車場に止め
2018,11大山 165-4h
ソコから一の沢へ
2018,11大山 167-4h
更に車で移動し二の沢
2018,11大山 160-4j
この辺を北壁と言うらしい、その拡大
2018,11大山 164-4k
写真では伝わらない雄大な絶壁、ぜひ一度大山へ
更に環状道路を走って行くと地場産業の「江府町地域振興(株)の『奥大山の水』工場を発見・・・・・残念ながら閉店により水を買うことはできず、
2018,11大山 172-4l
ここからの大山を望み
2018,11大山 175-4z
何とか日没までには行く事ができた「奥大山ブナの森工場」へ到着
2018,11大山 178-4x
今回は営業終了のため工場内を見学する事は叶わなかったが、次回第二弾目には見学したいものと心に刻み大山を後にした。

「地蔵滝の泉」の水評価は、
ナントいっても透明度のすばらしい事!!!、めったに出会えない水の美しさである。それだけでも値打ちのある水でありました。
軟水系の水で、今回の水の中では一番美味しく飲めました。サッパリしたコーヒーの味を楽しめる水でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は


NO273:大山の「清浄泉」

2018,11大山 154-3q
湧水が出る所だったが「清浄泉」ではないのだ(?_?)

「賽の河原」から上がって、今度は大山寺の境内から
2018,11大山 095-3w
大山寺の右端に、この石仏が安置してある池があり、その横から林の中に入って行けば金門の下流側に降りて行けます。
2018,11大山 098-3e
これが下流側から見た「金門」です。上流側とあまり変わりませんが、水の流れがよく見ますと滝になって追って来ています。
欲を言えば、間から見える景色に大山の北壁が見えれば申し分ないのですが・・・
腹も減って来たので、長居せずに引き揚げ、帰りは林の中を下って行った
2018,11大山 102-3r
原生林の様な林で、広葉樹の色付きが美しく雅であった。そして、賑やかな参道へ出て来たのであった。
そんな中、朝には気づかなかった「モンベル」が土産物売り場を出店していた。
2018,11大山 105-3t
これも、モンベルの新たな商売の挑戦であるのでは、それ以外にも賽の河原に繋る赤い橋のたもとにも、モンベルの正統派である「各種登山アイテムを販売」するお店がありました。
そして、我々の腹を満たすお店は
2018,11大山 111-3u
お食事・御休憩
大山火の神岳温泉「豪円湯院」へと入って行ったのであった。
スキー客と登山客相手のお店の様で、温泉と食道が付いていて、食堂は畳の大広間に机が置いて有り、思い思いに座ってのんびりと食事ができる設定であった。ここに入ろうと思ったのは、大山そばと大山おこわがセットのランチがあり、この「おこわ」が又、食べ放題なのであった。・・・・・・記憶があいまいであった(=_=)・・おこわでは無く、セットに付いていた豆腐が食べ放題である事を思い出した。
2018,11大山 108-3y
蕎麦の左のお椀が豆腐で、好きなだけ入れてくるのである、そして先ほども思い出したお代わり自由なのである。これがまた美味しく、相方さんは2回もお代りに行くほどであった。そして、そこでお代りに来ていた人と美味しい豆腐だと意気投合していたらしい(*^_^*)。
吾輩は、一度だけお代りするも腹がいっぱいでそれ以上食べれなかった。
昼飯も無事食べ終え?、大山寺界隈で半日使ってしまい、大山一週水汲みの当てはモロクモ崩れ去ったのでございました。
とり合えず行ける所まで頑張ろうと、「清浄泉」を探す事にした。
「清浄泉」は、情報元によれば、大山寺駐車場近くの赤い橋を渡り、大きな鳥居が目印であり、近くに「三輪平太の墓」があるという、これだけ目印になるものが有ればすぐ見つかるgだろうと、車に乗り「赤い橋」を渡り、気を付けながら走って行ったがそれらしきものは無く、下界に降りる三叉路まで来てしまい、行き過ぎとる・・・と、再度Uターンして引換し
2018,11大山 124-3i
カーブの所がちょっとした橋になっており、そこが駐車スペース10台ぐらいあったのでとりあえず止めて探そうと車から降りるやいなや、目の前に墓が目に入って来た。此れだと
2018,11大山 115-3o
その横には、墓の云い伝えが書かれた立札が
2018,11大山 116-3p
三輪平太の墓:文化2年(1805)大山寺本殿(現在の大神山神社奥の宮)が再建されたが、この造営のため京都から来た宮大工の棟梁三輪平太は、地元の大工の恨みを受け、本殿の柱を短く切られた。
余儀なく設計の変更をしたが、享和二年(1802)責任を感じ、その完成を見ずにこの地で自害した。
この墓は京都の川藤作兵衛が建てたものである。
という、今の時代では考えられない悲しい出来事の遺跡である。
2018,11大山 118-3a
谷間の伏流水が水盤の筒に出て来て溜まっている水を汲み終えて、霊の大きな鳥居が在るか探して見る事に
2018,11大山 123-3s
こんな道を奥に入って行くと
2018,11大山 120-3d
階段の上の方に鳥居が見えたので上がると
2018,11大山 122-3g
この付近の遺跡の説明看板が
歴史の道百選 歩いて、ふれて、学んで感動できる道
   「歴史の道ー大山道(横手道)」
 大山道の発達は、大山信仰と大きく結びついております。大山は古代山岳仏教の聖地であり、「弥山禅定」と言った修行僧による修験の山として開かれました。
 大山寺を開いた金蓮上人が大智明権現(地蔵菩薩)を祀ったことで、地蔵信仰が生まれ、亡くなった人を供養する寺として多くの人々が訪れました。この横手道沿いにも一丁地蔵があるのはそのためです。
 また、来生の変身を願って日本六十六ヶ国を巡礼する廻国行者があるいた道でもあり、著名な社寺に大乗妙典(法華経)を書写して奉納したのです。この六十六か国のうち、山陰地方の社寺は出雲の「大社」、伯耆の「大山寺」、隠岐の「焼火(たくひ)」、因幡の「一の宮」が指定されていました。
 江戸時代になると、大山博労座で日本有数の馬牛胃市(福島県白河の馬市、広島県久井の牛市の三大牛馬市)が開かれ、各方面から牛馬を連れた多くの参拝者が大山道を通りました。現在でも大山寺境内には、宝牛の像があり牛馬信仰が残っています。
 このように大山に詣るための道として整備されたのが「大山道」です。大山道は五道(尾高道・川床道・坊領道・溝口道・横手道)あり、「横手道」はそのうちの一つです。横手道の名前の由来は「大山の西側の山腹を横切る道」ということから名付けられました。
 当時は大山寺を出発し、横手道を通って岡山県の美作を抜けて山陽方面とを結んだ道でした。
                  文化庁・鳥取教育委員会・大山町教育委員会
下段左・木ノ目山王(地蔵)
大山寺に入る西方の大山道沿いには、それぞれ山王が祀られています。「木ノ目(横手道)」「岩ノ目(尾高道)」「劔ノ目(坊領道)」「動ノ目山王(川床道)」が、大山寺境内の入口を守護したのです。木ノ目山王は「木ノ目地蔵」とも呼ばれ、今も大山寺に訪れる人々を見守っています。
下段中・六地蔵
六地蔵は、人間の死後、生前の善行・悪行の因果のより行かなければならない速界、すなわち六界(天井界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界)において、人々の苦患を救うために造って祀ったものといわれています。この六地蔵は各々の種子を刻み、容姿も一体ごとに丹念につくられています。
下段右・石の大鳥居
この石の大鳥居は、嘉永7年(1854年)に建立されたもので、願主に洞明院禅信、施主に日野郡の富豪、近藤平左衛門、梅林喜平治の修理世話人の名が刻まれています。大きさは高さ7,2m、幅9mの明神鳥居です、平成14年6月25日に国の有形文化財として登録されました。
そして次なる湧水は、大山一周道路を「桝水高原」へと移動して行きました。
スキー場のリフトのあるところ一帯ですが
2018,11大山 126-3k
ここから見る大山は、伯耆富士と言われる姿をしています。
2018,11大山 147-3l
「桝水地蔵尊の名水」見出しの公園を通り越して駐車場へ、駐車場から写した大山の姿とスキー場、観光客も多く、特に家族連れが目立っていました。スキー場の芝生にはヤギが数匹思い思いにみなさんえさやりに夢中
2018,11大山 152-3c
吾輩の目的は「桝水地蔵尊の名水」早速現場へ
2018,11大山 155-3c
              桝水
 いつのころからかしる由もないが、
この池に小さな水溜まりが出来た。年中水量が桝で計ったように変わらぬので、村人たちは桝水と呼んでいた。
 元録9年の春、、大山寺に伺候した村人は、この水が涸れているのを知り不吉の兆しとして心を痛めたが、その年から不作が相つぎ、餓死者は73人に及んだ、と伝えられている。
 享保5年、作州の行者宗信は、この水溜まりを桝形にしつらえ、地蔵菩薩を刻んで、四十八隔夜念仏を修行し、村人たちは桝で造った杓で水を献じて、慈悲の祈りをこめた。
 それ以来、この地と村落をつなぐ、薬一理に延びる二百余町歩の原野でも、桝水原と呼ぶようになった。

ところが行ってみて、水が 出 て い な い。((+_+))
横に水道の蛇口はあるのだが、天然水なのかどうかわからない(・・?
   池には水が溜まっており、花も供えてある。
この件を知るために、道を隔てた地元野菜売り場へ店員?の叔父さんに尋ねてみると、2016年(平成28年)10月21日の鳥取中部地震の日から止まってしまった。と言われていました。それから二年今までに不吉な兆候は無いようである。
大山が噴火すると島根原発が影響受けるとか(?_?)
水を汲む事は断念して次の水汲み場「地蔵滝の泉」を再度探しに

「大山の清浄泉」の水の評価は
軟水系で、今一つ特徴が見えない水でした。独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v デス

詳しい場所です


プロフィール

水汲みマン

Author:水汲みマン
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
湧き水のおすそ分け
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR