NO272:大神山神社奥宮の「御神水」

恒例「秋のレクレーション」で、大山ぐるっと一周・紅葉狩りに・・・と言っても日帰りですが行ってきました。
そのついでに「湧水」があれば戴いてくるという、いつものパターンであります。
大山の紅葉が綺麗だといわれる、10月下旬~11月上旬の11月3日文化の日に「天気予報」とにらめっこしながら決行してきました。
お友達から、山陰道で行けば自動車道も無料で2時間半で行ける。と聞いたものだから、大山寺の駐車場が満車にならないであろうAM8:00頃には到着したいとの思いからAM5時ごろ出発。大山寺に着くまでに、「平成の名水百選」に選ばれた「地蔵滝の泉」を汲んで行きたいとの思いから、3時間の余裕を持った出発となった。
山陰道方面は無料自動車道が整備されているが、全線開通ではなく、途切れ途切れの開通のため自動車道に乗ったり下りたりしながらの行程である。
地元から豊岡へ向けて出発R312号からR178号へ入り、香住の佐津ICから自動車道へ最近浜坂ICまで開通そこで下りて鳥取県の岩見ICで自動車道へ。鳥取バイパスを経てR9号へ鳥取市内からひたすら白兎海岸を通り青谷という所から青谷羽合道路に入り「一部忘れ」大山ICで下りた。この時点で聞いていた2時間半の期間は過ぎて3時間になろうとしていた。

あの大山めがけて走り、第一の目的「平成の名水百選(地蔵滝の泉)」を探す為、途中横道に入り探すも見つからず、そうしている合間にも車がどんどん上がって行く(~o~)、駐車場が満杯にならないかと心配になり、探すこともままならず途中で中止(@_@;)
そして大山寺駐車場へ

駐車場もまだ余裕がありホッ(*^。^*)それも総て無料!(^^)!で大山寺へ

米子方面の下界、天気も上々
門前町の通りを歩いて大山寺を目指します

時折お店のない所から大山の山頂を眺め

そして案内板

(左案内板)歴史と神秘の大山寺地域
春から夏の高山植物の花々や、秋の紅葉、そして冬の冬景色など四季の美しい大山。雄大な自然に抱かれた、ここには、鳥天狗伝説が伝わるなど、神秘さもあり、多くの修行僧と、山岳信仰の地として栄えた歴史を持つ。
そして大山寺地域参道内には、数多く残る石地蔵や、石碑等を見る。
更に奥には大山寺本堂、そしてさらに奥には、大神山神社奥宮が続き、時を越え受け継がれてきた神秘的な風景も広がる。
(右案内板)自然と神秘の大山
参道の突き当り、石階段を上ると大山寺本堂の姿が見える。一方脇には、大神山神社奥宮へ続く古い石畳の道がある。深い木立のトンネルのその道筋に、古い地蔵や、冷たい水の流れる水場、昔から言い伝えを残す史跡などがある。
そこには大山の、深い緑の神秘的な風景が広がる。

山門が見えて来て

この山門(仁王門)の石段の手前から左に入って行けば、石畳の参道から大神山神社奥の院へ、山門をくぐると
急斜面の階段

この石段を登り切ると、下山観音堂へ

ソコに祀ってあったのは十一面観音菩薩様

撮影禁止の札が無かったので写しましたが、白鳳期の金銅仏で重要文化財だそうです。しかし、ホンマ物は宝物館「霊宝閣」の方で展示、写真の観音菩薩様は『控仏』だそうです。どうりで写真撮影OKもうなずけたのであった。
下山観音堂の向かいには、護摩堂があり

不動明王が祀ってあります。そして本堂へ上がる石段のたもとには地蔵さんがお出迎え

地蔵さんの後ろに説明書きが、てっきりお地蔵さんの事かと思いきや、後ろにある杉の木の説明であった。
灯明杉:その昔、日本海を航行する舟が難航の折、この杉の頂から、一大尖光を発し、方向を変えたために難をのがれたといわれる霊木で、この名がある。
そして石段を上がり本堂へ

昭和三年、四度の火災に見舞われ、昭和36年に再建された建物です。(天台宗別格本山)
その境内右端にどこにでもある撫で牛

宝牛:牛の霊を慰めるために鼻ぐりの銅を持って鋳造し、岡山県吉備津の宗教団体「福田会」より寄進された像で別名「撫牛」ともいい、一つの願いだけを心に念じてこの牛を撫でると願いを叶えてもらえるという縁起の良い牛である。
相方さんも順番を待っている様である。さ~て、何を頼んだんでしょうかな(?_?)
本堂の左の方から人達が出て来られるので廻ってみると

標識があり、こちらからも大神山神社奥の院へ行けると書いてある。その道を行って見る事にした。
すぐ参道の石畳に入って行った。

石畳を上って行くと、右側に誰かの墓地の様な場所に出くわした

その奥に説明書きが立っていたので、何かな~と覗いて見ると

僧兵の力石と:大山寺の僧兵は約500年の昔その数三千人と言われ、勇猛無比その勢いは大山嵐と言われ山陰を風魔したが、平時この地から石で力を競ったと伝えられている。
吾輩も・・・と挑戦したろうと石に手を掛けたのだが、ビクともしなかったのであった^_^;
さらに歩いて行くと、自然石に大きな仏像が彫ってある珍しい地蔵さんである。

吉持地蔵:江戸中期、会見郡の長者吉持甚右衛門が経悟院住職豪堅に仲を持ってもらい寄進したもので、大山寺の数多い地蔵の中で自然石に彫られた数少ない地蔵である。
そして、神社の境内の中へ

そして、目的の手水舎が出てきたが

先客があり、ペットボトルに汲むのに時間が掛かるので帰りに汲む事にして先に進んで行った。

後ろ向き門::元大山寺本坊西楽院の表門(宮家のお成り門)であったが、明治八年寺から神社に引き渡されてこの奥宮の門に移設したが、その時そのまま移転したので後ろ向きになったと伝えられている。
それを過ぎると奥宮本殿が見えてきた。

石段を上がって行くと

大神山神社奥宮:この壮麗な建物は大神山神社奥宮です。大神山とは大山の古名で、大国主命(大黒さま)が祭ってあります。
社殿は文化二年(1805年)の建立といわれ、神仏混淆淆時代の神社の特徴である権現作りという形式で、中国地方でも大きい方の神社である。
参道の途中にある神門は、門の表裏が反対になっているので、「後ろ向き門」と言われていいます。
いずれも国の文化財に指定されており、毎年6月山開き祭はここで行われています。

全体像

神殿奥の院

参拝を終わらせ(写真撮影禁止)左の方へ行くと下山神社が

下山神社由緒略記

奉神:下山大明神(渡邊源五郎照政尊)
元徳二年(1330年)大神山神社を尊信した、備中郡司渡邊日向守一子照政公は参拝の帰路奇遇に遇い不慮の最後を遂げ人々はこれを憐れみ大山下山の地に子祠を建て下山神社と呼んだが数々の霊験あり、後、夢のお告げにより、此の地に奉遷したもので、多くの武将の神幸があり、現在の社殿は代々の信仰が篤かった石州津和野の領主亀井隠岐守矩賢公が文化二年(1805年)に再建されたもので、重要文化財に指定されています。
御神徳:勝運・除災・病気平癒
尚、大神山神社奥の院の左からは、大山頂上3,0kmの登山道が在りました

こちらが大山登山道図

奥の院周辺の境内はこのぐらいで、下山する事にした

で、手水舎の御神水を頂きに

竹筒から御神水が出て来ている(奥の院で天然水である事を宮司から確認済み)、汲んでいると自然と止まり、数秒ぐらい経つとボコボコボコとまた出て来るのである、どこかの間欠泉の様であった。参拝者が来られたので2本で切り上げ、下山して行ったのだが、途中「金門」と言う標識があり、どんな門か見に行く事にした。
小道を歩いて行くと急に開けて大山の北壁がどどど~と目の前に、

下には、賽の河原という川原に少々の水が流れている。思っていた金ぴかの門がある雰囲気ではナイ

正面の岩に説明の板が埋め込んである

僧兵荒行の岩:大山寺の僧兵は一騎○千勇猛をもって知られており、常識では想像も出来ない荒業をしたと伝えられているが、その荒業の一つとしてこの岩から飛んだと伝えられ、この名がある。
しかし、岩を見る限り吾輩でも飛べる位の岩であるが、ココの事なのか・・・・と、「賽の河原」に降りて行く事に、下に行くと「金門」が見えたのであった。

な!なんという岩だ!!まさに「門」である。以前大山の写真に出ていた岩がどこに在るのか知りたかったそのものである。

金門と大山二羽鳥
大智明大権現の殿堂を造営するに際し、大盤石が道に屹立して通行の妨げとなったので、僧徒等はこれを取り除こうとしたが、難工事のため途方に暮れて居るとき、二羽の鳥が飛んで来て手伝い、又、この工事中(孝元天皇五十二年)金剛鳥が天から飛んで来て、次のようなを偈説いたので程なく竣工したという。
大山多宝佛、 開輪御金門、 鷹化身垂跡、 釈迦両足尊
大山の名及び金門の名は、これから始まったと伝えられる。
そして「賽の河原」

賽の河原
賽の河原とは、小児が死んでから赴き、苦を受ける所です。冥途の三途の川原で、小児の霊が石を拾って、父母の供養のために塔をつくろうとすると大鬼が来て崩す。小児の霊は泣きながら、また塔をつくるが、また崩される。これを繰り返すうちに地蔵菩薩が現れて救う、と言われています。
河原には近くはもちろん遠方からも子供を亡くした親が、人知れずここに来て、わが子をしのびながら、一つ一つ河原の石を積み重ねてつくった石の塔が多くあり、また両岸には地蔵菩薩が安置されています。
自然を大切に
川原には大小さまざまな塔があったが、まさか子どもを亡くした親が作っていたとは、てっきり遊びで石を載せているものだと今の今まで思っていました・・・ガク(=_=)
金門の下流側に行ってみようと相方さんと意見が一致\(^o^)/賽の河原から引き揚げて行ったのであった。
大神山神社奥の院の「御神水」の評価は
軟水か硬水か区別がつきにくいコーヒーの味であった。で、独断と偏見の味評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は(正確な場所ではないかも)
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