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NO263:道風神社の霊水(和香水)

7月22日小沼の滝 013-2e
「雲ヶ畑」に行った時時間切れで行けなかった、雲ヶ畑から持ち越し峠を越えて降りて来た所から、京見峠(以前行った)方向へ登った所の杉坂道風地区に「その水で硯の水に用いれば書道が上達する」と昔から伝わるという湧水があるという。
再度雲ヶ畑へ行く事になった。
別に雲ヶ畑から行かなければいけない所ではないのですが、辺境地大好きな吾輩は持越し峠から行きたかったのである。
7月22日小沼の滝 003-2y
前回気になっていたモニュメント?に今回寄ってみる事に、立札には
7月22日小沼の滝 001-2u
高雲寺:九龍山と号し、臨済宗永源寺派に属す。
この地は、文徳天皇の第一子皇子惟高親王が閑居された高雲の宮址と伝えられ、貞観11年(869)、親王はここで落飾され、宮と改めて当寺を創建した言われている。
 創建当時は、真言宗の祈祷所として栄え、祈祷を行う際には、村役人はじめ里人が集まり、謡曲の「田村」を奉納したり、寺に棺を近づけないなどの風習があった
と伝えられる。
 寺宝には惟高親王が書写したといわれる大般若経(惟高般若)600巻の他、近郷の人々がこれを拝むとすぐに病が治ったと伝える大般若経説相図や貞観時代(859~877)作の薬師如来像、山越如来像などがある。
 また、当寺のある中畑町及び出谷町では、毎年8月24日に、愛宕山への献火行事として「松上げ」の行事がとりおこなわれる。
                      京都市

石段を上がり、沢の横をさらに上がって行くと
7月22日小沼の滝 006-2i
着いたところには
7月22日小沼の滝 007-3p
玄関も雨戸も締め切られた建物が、造りはあまり古く無いようだが、他にはお寺らしい建物もないので、この建物が「高雲寺」なのだろう。
引き返しさらに車で進むと、我が街にもある同じ名前の神社が見えてきた。
7月22日小沼の滝 009-2p
「淡島神社」と思っていたら、「厳島神社」でした(=_=)失礼しましたm(__)m
それでは由緒書きを
7月22日小沼の滝 008-2a
        厳島神社
 平安時代中期に編纂された律令の施行細則で『延期式』に「天津石門別稚姫神社」と記載される神社と考えられる。
 この地周辺の雲ヶ畑中畑町・中津川町は、平安時代からの集落で、平安京造営の際に用材を伐り出した地域でもあるとも言われ、当社は産土神として信仰されてきた。
 祭神の天津石門別稚姫が出現したという石門岩が本社後ろの山麓にあり、約5メートルの二つの巨岩が15メートル程離れてそびえ立っている。
 祭神天津石門別稚姫が女神のため、弁財天(知恵や音楽を司る女神)信仰が生じ、明治以降は石門別弁財天、雲ヶ畑弁財天と称したが、明示の初め廃仏毀釈の際、弁財天のままでは廃止されるため厳島神社と改称した。
 境内には、中畑町・中津川町の各所にあった宮が集められ、小宮として祀られている。
        平成21年3月    京都市
と言うものであった。時代の流れに翻弄されてきた神社であった。
本殿の後ろにある、石門岩が二つ
7月22日小沼の滝 012-2d
黒丸の中に、見出しに写っている仏像が置かれていた所で、神社なのに仏像とは?
「厳島神社」を後に、前回立ち寄った「ぜーもんカフェー」を横目で見ながら(この日も車1台が止まっていた)その先の脇道へ向きを変えて
7月22日小沼の滝 015-2f
「持越し峠」へと雲ヶ畑を後にした。
7月22日小沼の滝 014-2g
おせいじにもいい道とは言えない1車線の峠道を
7月22日小沼の滝 017-2h
対向車が来ない事を祈りながら、時折ライダーやロードバイクツーリーング御一行様との擦れ違いは在ったが、無事車には出会わず峠近くの見晴らしの開けたところに到着した。
7月22日小沼の滝 016-2j
下は雲ヶ畑集落。この「持越し峠」の名称がチョイト気になったので、ウィキペディアで調べたら
「雲ケ畑は鴨川の上流に位置するため、ここで鴨川に流したものは良いものも悪いものも、全て京都御所のある京に流れ込む。そのため、同集落で死人が出た場合、この峠を遺体を持ち越えて、隣の真弓集落で葬儀をしたという習慣があった。」
・・・と書いてあった。ところで先日「ウィキペディア」から寄付の要請のメールが入って来ていた。いつもお世話になっていると思い、数年前に寄付をしてからとゆうもの毎年メールが来るようになり、かれこれ5回以上寄付を続けている。・・・しかし無理をしない程度だが
元に戻して
峠を越えて降りて来た「真弓八幡町」の道に出て来た。
7月22日小沼の滝 019-2z
この道を左に入りさらに、周山街道(モミジの高雄へ行く道)へ出て行く道に入り、さらに下って行くと
7月22日小沼の滝 021-2x
標識に「左・京都西陣 右高雄」が出て来た。この左の道が京見峠へ行く道である。
その標識の通り左へ入って行き、水がきれいな谷川の横を走って
7月22日小沼の滝 026-2c
途中
7月22日小沼の滝 025-2v
(杉谷もみじ  名所1km)と書いた手作り標識があり、気になったのでオフロードを上って行ったが「それらしき物は見当たらず」元に戻り、さらに奥に走って行くと目的の「道風神社(どうふう)」の鳥居が
7月22日小沼の滝 030-2b
由緒ある神社らしく、京都市の由緒書きが橋のたもとに
7月22日小沼の滝 028-2n
参る前に読んでからと
  道風神社
 小野道風を祭神(894~966)とする神社で、道風武大明神ともいい、延喜20年(平安時代中期920年)の創建とされる。
書道の歴史は古いが、道風公は書道の巨擘(きょはく)、能筆家でことに草書は堪能であった。藤原佐理(すけまさ)、藤原行成とともに、平安中期の三蹟の一人として勇名である。村上、朱雀両天皇の大嘗会に悠紀主基屏風の色紙形を清書したのをはじめ、願文や門額の揮毫など、当代随一の能書として目覚ましい活躍を遂げた。
 豊麗で柔軟な筆法は、「源氏物語」の「絵合」に「今めかしう」と評されるように、独自の新様式を加味したものであった。後続の佐理、行成を経て完成された、いわゆる和様の書の基礎を築いた功績は大きい。
 道風公が杉坂、産土神和香社から湧き出る霊水で墨を磨って書の修業をし栄達した。その縁により氏神に斎い祀られた。
 遺品には、唐鏡・硯・唐筆・硯屏・卦算(文鎮)等があり、社宝とされている。
 また、境内には、禁中御修法(みしほう)(天皇家の作法や日常生活における習い事)用に献上された和香水と呼ばれる名水がある。
                 京都市
「道風神社」の由緒書きを読んで、赤い橋を渡り鳥居をくぐり境内へ
7月22日小沼の滝 029-m
入って参道の中ぐらいに「積翠池」が
7月22日小沼の滝 042-3q
水が湧いてる所を確認して、本殿へ参拝する事に
7月22日小沼の滝 039-3w
あまり大きくない鎮守の森の参道を上って本殿へ
7月22日小沼の滝 038-3e
有名な歴史ある神社にしては少々見劣りする神社だったが、その左後ろに
7月22日小沼の滝 032-3r
石碑が立っていた。その横に
7月22日小沼の滝 033-3t
            和香水碑文   解釈
 杉坂の峰より霊泉が湧き出した。これこそ、神がここに臨まれてその高い徳をほどこされたのである。これによって、ひでりをおさえ、そこで泉のうねりをうねうねと、いつまでもうねらせて千年の後にまで及んでも、その恩沢はながながと続いている。
 諸侯がこの水をくんで、うやうやしく、又ほしいままにしているか、いくらくんでもつきることがなく、万億年さらにその十倍の年までもつきることがないだろう。
と書いてあるのだが、碑文の石碑の横のそれらしき和香水はこの通り
7月22日小沼の滝 034-3u
今や万億年経たずに・・・・・空井戸となっていた。そのためか碑文の前に
7月22日小沼の滝 035-3u
蛇口から水が出しっぱなしになっていたが、「水は切らないでください」と何処からかパイプで送られてきていた。どうも敷地内からの水ではなさそうなので、「積翠池」に引き帰し
7月22日小沼の滝 043-3i
この水を汲んで硯の水に用いると書道が上達すると言われている(小野道風も用いられた)
7月22日小沼の滝 049-3o
右の奥の石組みの辺りから
7月22日小沼の滝 048-3p
湧いているのだが、池の水深が浅く片手鍋で掬う事ができず、結局水の出口で汲む事に、これでは雑菌も多く飲む気がしなく、ペットボトル1本でやめておいた。まぁ湧水を推薦できる場所でもないのでイイとする事で道風神社を後にした。
上の方でけたたましい音がするので。上を向くと
7月22日小沼の滝 053-3a
ヘリコプターが

独断と偏見の水評価は
軟水で普通の水でしたが、池を見るともみたいと思える水ではありませんでした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所

 

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NO262:小沼の滝の湧水(お不動さんの水「仮」)

7月22日小沼の滝 121-1w
今回は、順番を変えて、今日(7月22日)行ってきた「小沼の滝の湧水」を、ここ数日あまり暑いので、前回に続き涼を提供したいと思いアップいたします。そして、偶然にも今日が「小沼の滝不動尊」の祭礼の日であった。
7月22日小沼の滝 151-1q
という訳で、午前中は先日の大雨で流れてきた流木の掃除をし、昼からの出発となった。
情報元の写真で見ると、高さ4mぐらいのしょぼい滝に見えたので、近くで何かいいとこがないか考えながら出発。
豊岡市街に入る手前に「コウノトリ郷公園」の看板を発見、そこはチト遠いいので、コウノトリ飼育発祥の地がどうなっているのか寄ってみる事にした。
R178号線の円山川にかかる豊岡大橋の手前を右折、玄武洞へ行く道に入る。
しばらく走ると看板が出ているので、そこを右折すると
7月22日小沼の滝 184-1e
谷間の田園風景に、その「コウノトリ保護増殖センター」は奥まったところ在ります。
その手前に
7月22日小沼の滝 181-1r
蓮の畑が在り 看板には、コウノトリ生息地保全 ~生き物溢れる環境づくりのために~ 水田ビオトープ実施圃場
「この水田ビオトープは皆様からいただいた、コウノトリ基金を活用して管理しています」 TOYOOKA
7月22日小沼の滝 178-1y
蓮の花も、この暑さにぐったりの様子((+_+))
ところが、この暑さの中夫婦らしき人がカメラを構えて座っている。初めは蓮の花を狙ってコウノトリが来るのを待っているのかな~と思っていたら、よ~く見ると
蓮の畑の中に
7月22日小沼の滝 175-1u
鉄柱が1本、その上に巣が作ってあって
7月22日小沼の滝 176-1i
雛が二匹、写真を撮っている方に尋ねてみると、親鳥が帰って来るのを待ち構えているのだが、どうも今日は諦めなければならないようだとの事、3時間かけて来ているのでもうすぐ帰らなければならない。
それにしても、この暑さ(@_@;)雛たちは大丈夫なのだろうか、大きなお世話かもしれないが『心配したるよ』
ここが、コウノトリ保護増殖瀬センター入口で、厳重に鍵がかけてありました。扉には
7月22日小沼の滝 172-1p
当センターは、平成11年11月1日より非公開となっております。見学される方は、恐れ入りますがコウノトリ郷公園へお越しください・・・・・と書き出してあります。
と言う事でした。で、178号に戻り大橋を渡り、豊岡市街を抜けた辺りに「小沼の滝」の手書きの看板を発見!路地に入ってみると
7月22日小沼の滝 169-1a
幟旗が立ててあった。
幟の先にの「滝公民館」
7月22日小沼の滝 168-1a
ここが「小沼の滝」の指定駐車場になっています。
ここから歩き出し
7月22日小沼の滝 111-1s
小さな道案内の標識があります。
7月22日小沼の滝 112-1d
集落の路地に入って行きます。今回は、相方さんも同行です。
7月22日小沼の滝 115-1f
川沿いに上って行きます。かれこれ5分ほど歩いて行くと集落から出て、見出しの写真が貼ってあった獣除けフェンスにたどり着きます。
7月22日小沼の滝 122-1j
この碑は祭りの関係で扉は明けてあった。さらに上って行きます。
7月22日小沼の滝 125-1k
天然か植えたのか「シャガ」の群生
7月22日小沼の滝 161-1z
そして滝とお堂が見えてきた
7月22日小沼の滝 128-1z
お堂の周りには、お祭りの準備で地元の人たちが忙しげに歩き回っていました。
7月22日小沼の滝 139-1x
思っていたより立派な滝で、高さも3m程と思っていた所10m程ある様子。
祭の準備をされていた地元の方に、湧き水が出ていると聞いてきたのだけどたずねると、それは右の小さな滝の方ですと
7月22日小沼の滝 147-1c
上部にはトタン板がかぶせてあり、どんなところから出て来ているのか確認できませんでしたが、その水をこちらに引いて汲み易いようにしているとの事
7月22日小沼の滝 130-1v
昔は、こちらの小さな滝で護摩を焚いて滝行していたとの事。そのシンボルが岩に刻まれた不動明王らしいのですが、地元の人があの岩だと言われた岩を写してきた
7月22日小沼の滝 142-1b
帰ってきてから拡大してみるのだが、それらしき不動明王が刻まれた様子がナイ((+_+))
岩のかたちもどうも違っている(=_=)、と言う事で岩に刻まれた実物の不動明王を紹介する事は失敗・・・ごめん
こちらの目的は湧水。
7月22日小沼の滝 150-1n
水槽からパイプが1本立っている。これでは入れにくいのでそばに長いパイプが置いて有り
7月22日小沼の滝 151-1q
それを指すと入れやすくなり、入れていると地元の方が飲み干したペットボトルを使えと親切に差し出してくれました。リックには3本しか入らないので、計5本を汲無事ができてお礼に「お不動さん」にお賽銭を
7月22日小沼の滝 131-1m
ついでに中もパチリと、地元の方は祭りは夜行われると、みんな下山されて行った。
7月22日小沼の滝 152-2q
アップして、はいパチリ
7月22日小沼の滝 153-2w
祭のときだけ御開帳、ラキー・・・・・・てなことは無いか(^_^)v
という訳で、無事湧水を汲む事ができました。

お不動さんの水(仮)の独断と偏見の水評価は
玄武岩の間から湧き出ている水らしい?軟水でちょっと鉄分を感じる事も、喉越しはいたってよい・・・が、特徴のあまりない水でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は


NO261:幻の滝の水「長寿の水」

伊穴川町 098-3q
兵庫県の猪名川の源流近くに、長寿の滝と言う幻の滝?がありその水を飲んでいた村人が長生きをしていたという「長寿の水」と言うものが有ると聞き、尋ねて行く事にした。

今も続いている豪雨について
7月8日、三日程前から梅雨前線に沿って全国で豪雨が発生、ここ与謝野町でも三日前の夕方に「「避難指示」が発令され、応援に出かけたのですが、その時は2時間ほどで帰る事ができました。しかし、川の水も少なくなって来たかな~と思っていたのもつかの間、二日前の7月6日の夜中から最高域の雨量になり「極めて危険な大雨警報」が発令され、本流の野田川も氾濫危険水位を超え、その支流である吾輩の在住である石川地区を流れる香河川も氾濫の危険が迫って来ていたので、再度PM11時頃から土嚢積みやら見回りに出かけることになり、少し雨量が落ちつき川の水位も下がり始めた七日のAM2時ごろの帰宅となったのですが、床下浸水があったものの甚大と言える被害は少なかった様子でした。しかし全国に目を向けると、多くの方々が被害に遭われ大変な事態に発展していました。一日も早く回復を祈るばかりでございます。
香河川の取り組み
改修したところは無事でしたが、その他の所で以前と同じように氾濫は続いているのです。

目的地には篠山市から入って行く事が一番近いと判断をし、若狭舞鶴道の南丹篠山口ICを下りて一路猪名川町へ
猪名川は神崎川に入り大阪湾へと流れ込む河ですが、町名にもなっている川です。
又、猪名川の源流が指定されている山には天文台もあるという所である。
ICを下りて、国道372へ入りそこから県道12号へ、ところが地図のコピーを持って来るのを忘れ、山の中に入る為道も枝葉に分かれて行き何処へ向かえばよいのか判らなくなり
伊穴川町 127-4q
丁度「健康の里」日帰り温泉に行かれる奥さまを呼び止め「ペンション・きのこ園」に行くにはと尋ねる。
気持よく、ここから道なりに行き、何個目の(忘れた)信号を右に曲がり真直ぐに行けば在ると教えて下され、その通り進んで行きながら、こんな所にペンションが在るのか~なと思いながら田園風景を周りに見ながら山里へ進んで行くと
伊穴川町 088-4w
大きな建物が見えて、近づくと「きのこ園」と書いてあり「み~つけ」と心の中で思いながら、雲行きの事もアリとりあえず天文台へ急ぐことへ、「長寿の水」は「ペンション・どんぐり園」の対岸にあるとの事
伊穴川町 094-4e
道路標識を見つけ、智ks国付近の案内絵地図も
伊穴川町 095-4r
絵地図に「棚田王国」と書いてあるので見に行くと
伊穴川町 072-4t
パッとしない棚田・・・・・・後で再度絵地図を見るとどうも場所が違っていたようで((+_+))
でも、この付近は山百合があちこちと
伊穴川町 066-4y
ササユリと呼ぶことも・・・・・雑草の中に咲く花一輪
と言う事で、大野山山頂付近へ車を進めて行った。山中の中で
猪名川町 126-4u
鹿の親子連れに出くわし、新芽をむさぼり食べていたが車が近ずくと気づきソサクサと森の中へ、もう少し大きく写そうと思ったが一巻の終わり?
そして少し登ると、猪名川の源流と書いた立札が
伊穴川町 100-4i
上を見ると雑草の窪みから水が流れ出て来ている。マジマジとみると湧水か沢水かはっきりしなかったので、今回は汲むのをやめて山頂目指してさらに上って行きました。
山頂に近づいてくると
伊穴川町 106-4o
キャンプ場が視界に入り、その上に広い駐車場が
伊穴川町 101-4a
この山一帯を「大野アルプスランド」と呼んで一大公園になっている様子
大野山 おすすめインフォメーション
伊穴川町 107-4p
一つは、先程書いた大野アルプスランドキャンプ場
次に猪名川天文台(アストロピア)
伊穴川町 102-4d
駐車場から遊歩道を歩いて
伊穴川町 110-4f
たどり着いて見上げると思っていたよりこじんまりとした展望台。入っても写真撮影禁止だろうと思い、入らず周辺を撮影
下界には
伊穴川町 111-4g
イイか悪いかは別としてゴルフ場が
こちらには
伊穴川町 118-4j
ほんとうの大野山山頂で~す。
そして、と~くには雲に霞んで
伊穴川町 117-4k
富士山かも(?_?)
で、大野山猪名川天文台周りはこんなものでした。
おすすめインフォメーションには
伊穴川町 109-4l
紫陽花が書いてあります。天文台の裾野一面に植えてあり、時期が早かったのでツボミ程度でした。
次に、岩めぐりが書いてあります。
大野山の成り立ちが書いてあります。
伊穴川町 119-4z
  ① 大野山山頂岩石群
佐曾利カルデラ:今から約8000万年前の白亜紀にこの付近に火山がありました。
そのため大野山を含む北摂地域には、火山の噴火によって出来た岩石が各地で見られます。
天文台前・凝灰角レキ岩(溶結凝灰岩)
爆発的噴火で火砕流が発生すると、高温の火山灰が分厚く堆積します。このとき堆積した火山灰の中心部分は、高温と高圧の状態になり、再び溶けて固まります。このようにして出来た岩石を「溶結凝灰岩」といいます。この「溶結凝灰岩」は、火砕流によって取り込まれた他の「角レキ」を含んでいる事があります。ここにある岩石は、この「角レキ」をたくさん含んでいるので、特に「凝灰角レキ岩」と言います。
②は愛宕神社前にあります
③は下山道にあります
②、③は興味があれば見に行って下され
で、元に戻して岩めぐりは
伊穴川町 121-4x
岩めぐり、遊歩道 全体図
と言う事で、いろいろと大きな奇岩が在るそうですが、ここもパス
一様、看板だけは写してきました。
伊穴川町 122-4c
下山途中にも
伊穴川町 123-4v
車道の縁にも「岩めぐり遊歩道」が在りました。
再び、「ペンションきのこ園」まで下山
伊穴川町 087-4b
持続可能な地域を育てるために、地元での買い物を心掛けたい気持ち(時として忘れる事も)を大切に・・・・・と言う事で、遅昼の食事をしようとログハウス内へ
伊穴川町 091-4n
入ると受付が在り、案内されて奥の宴会場の様な食堂へ、結構有名なのか所狭しとお客さんに来られた色紙が貼って在ります。
伊穴川町 074-5w
見ても有名どころは無く、このペンションを使用された方々の記念の寄せ書き等々でした。
時間も昼をだいぶ廻っており、お客は吾輩一人、里山と言う事で定番の「そば」の中から「冷やしそば」をメニューの中からチョイス、時間を15分ほど待ってくれとの事、お客が来てから湯がくという本場仕込み、どんな美味しいそばが来るのかと期待が膨らむ・・・・・が、時間がもったいない・・・・思案の結果、その間に「長寿の水」を汲んでくることにして、注文逃げされると思われると困るので、蕎麦の代金を支払い了解のもとペンションを後にした。
大野口というバス停の前から行けばよいとの事
伊穴川町 085-5t
このバス停、後ろに在るのは待合所だと思いきや、野菜の直売所であった。その前を見渡すと
伊穴川町 086-5y
長寿の滝の標識が立っている。その方向に進んで行くと
伊穴川町 083-5u
獣除けの金網に再度標識を確認、さらに進むと今や定番の獣除けの扉
伊穴川町 082-5i
扉を開けて、中に入り扉を閉めた状態
右は猪名川、左は岩が露出している山肌
伊穴川町 081-5i
ソコには、ここはあげは蝶の自生地?です。自然の蝶を守ろう。・・・・・・と古い看板
伊穴川町 077-5o
こんな道を歩いてきましたが、この先に「幻の滝」と言われていた「長寿の滝」が在りました。
伊穴川町 076-5t
こ・・こ・・この滝・・・が、ま、ぼ、ろ、し、の・・滝・・か
な~んか、ゆめのない滝・・・・・まぁ滝が目的でないので、
伊穴川町 078-5r
ここが「長寿の水」である証拠は、どこからかホースを引き水が汲めるようになっていました。やはり、飲んでいると長生きできると言うのは本当の事だろう・・・・と思って汲む事にした。
汲んで帰ると、「冷やしソバ」は出来上がっていた
伊穴川町 092-5e
おいしく食べました。

「長寿の水」の独断と偏見の水評価は
沢水だと思いあまり期待はしていなかったが、思いの外美味しく飲めたのですが、やはり1週間も持ちませんでした。
残念
詳しい場所は


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