NO261:雲ケ畑の「土滝の水」

「ぜーもんカフェー」を出発し、一路志明院へ、途中お地蔵さんを祀る祠を発見、その傍らに歴史的価値の立札があり写すことにした。

福蔵院
帰命山無量寿寺福蔵院と号し、浄土宗に属す。寺伝によれば、延暦十一年(792年)伝教大師最澄の門弟空忍(橘軍氏)が、当地で法華三昧を修業中、雲ケ畑の山上に弥陀三尊を感得し本尊を刻み堂宇を建立して安置したのが起こりで、もと比叡山三千坊のひとつに数えられていた。山間の地ながらも人々の厚い信仰を受けていたが、文期5年(1473)将軍足利義尚の命により浄土宗に改められた。
現在の本堂は、安政元年(1854)に再建されたもので、堂内には、本尊阿弥陀如来像を祀る、また、観音堂には、もと石清水八幡宮の豊坊蔵にあった豊臣秀吉の守護仏として伝えられる十一面観音像を安置している。
境内には、南殿の桜と呼ばれる老桜がある。これは、紫宸殿の南庭にあった桜の実を後桜町天皇から下賜され育てられたものとされている。
京都市
時間の都合上境内まで登る事は諦め先を急いだ。
まもなく志明院の標識が見えた

そこを左に曲がり岩屋橋を渡ると

渡り切ったところにだるま石が鎮座していた。趣のある石なのでアップでハイ一枚

なんだろうとマジマジト見ると岩屋山と彫ってあった。志明院の山号である。いい石を使っている。

すれ違いが厳しい参道を走っていると

お寺の雰囲気が出て来出した。橋から1,4kmほど走り駐車場に到着

赤い車が台車で借れた車である。少々場違いである((+_+))
そして、ここにも京都市の文化財の説明書きが

志明院(金光峯寺)
岩屋山と号し、真言宗単立寺院(上部に所属していない)である。一般に岩屋不動と呼ばれている。寺伝によれば、白雉元年(650)に役行者が開山し、のち、天長6年(829)弘法大師が淳和天皇の命により創建した。以来皇室の勅願所として崇敬が深く、天下の平和の祈願のため諸堂開扉の詔があり、此の時「志明院」の勅願を天皇から賜りこれを寺号にしたという。度々兵火や火災に遭い、現在の主要建物は明治以降の再建でる。
本堂には、空海の開眼と伝える不動明王を安置し、奥院である根本中院には菅原道真の手彫りと伝える眼力不動明王を安置している。また、境内には歌舞伎「鳴神」で有名な鳴神上人が龍神を閉じ込めた所と伝承される護摩洞窟など修験道にちなむ伝承地が多い。また、付近一帯には京都市の天然記念物である石楠花が多く、四月下旬に開眼開花して美しい。
京都市

駐車場から境内に上がって行くと、このおばさんが受付をしていて、「机の上に、持っているものを置いてお参りしてください」と言われ・・・・・・エっとビックリ!
今まで数ある神社仏閣を参拝してきたが、手荷物をおいて行けと言われたのは初めて((+_+))
何故だと聞き返すと、山門内からは神聖な場所、濫りに俗物を持ち運んでは汚れる・・・・とまでは言われなかったが、神聖な場所により、濫りに写真を撮られると困るとの事!どうも注意書きだけでは信用ないようで、もっていたカメラをおいて預かり札をもらった。で、その前に山門までなら自由に写真を撮っても良いとの事であったので

山門までの庫裡と境内、そして山門のアップ

山門の前に手水が出ていたので、湧き水かと尋ねてみると、飛竜ノ滝から引いている沢水との事、目的の志明院の湧水(巌窟からしたたり落ちる)はこの時点であきらめるしかなかった。
そして、このお寺は、鴨川の源流の一つ、千古から京都市を水の災害から見守り続けているとの事でした。
ありがたいことである(*^_^*)
で、写真を写すことが出来なくなったので簡単に説明をやります。
山門をくぐり、見出しのしおりの写真である鐘楼を右に見て石段を上がって行くと本堂があります。
本堂には、本尊として弘法大師が開眼したという不動明王が安置されているという事。
その本堂の右には、弘法大師三密の秘法を修し一顆の玉を授けると忽ち化して竜となり滝に入る。依って一宇を建立し飛竜権現と言う。浴すれば心願成就するといわれ、鳴神上人の行場でもあったと言われる:飛竜ノ滝が沢の水を社の下から流れて来ている。
その滝の社を回り込んで進んで行くと、護摩の岩屋と言う巌窟にたどり着く。役行者、弘法大師諸大徳行法の跡で、鳴神上人が護摩行のためにたてこもった。と言われる巌窟には石像が安置されていた。
そこから再び本堂に戻り、本堂の右側の石段を登り切るとまたも巌窟が、その岩穴の中には根本中院(だと思う)という社が立っていた。その左奥の巌窟からは地下水が一滴一滴としたたり落ちていた。受付のおばさんは、耳を澄ませば水琴窟の様に水滴が響く音が聞こえるという・・・・が吾輩は、耳を澄ましても聞こえない。おそらく普段の行いが邪道なのだろう(=_=)
そう言えば、こちらに向かう石段で出会ったカップルの男性が私は聞こえなかったが、彼女は好く聞こえたとか・・・やはり
と複雑な気持ちで庫裡に帰る途中、叫ぶような声が聞こえた、山奥で僧侶が修業をしている声なのか・・・と、帰って来て受付のおばさんに尋ねてみると、猟師が鹿を追っている声の響きでしょうとの事でした。
誰が写したのかしれないが「境内全般を写し説明のついたブログ」がありましたので紹介しておきます。
本堂と根本中道の名称が違いますが、吾輩は100円で買った栞に沿って書いています。
岩屋橋まで戻り、さらに奥へ「土滝の水」を求めて・・・・・
その岩屋橋の上流に、川床料亭洛雲荘が一軒

渓流の川床と言えば貴船が有名だが、あそこは真夏に行けば市内並の人出、案外ここのヒッソリとした場所の方が趣きがあるのではと、板塀を横目で見ながら山奥へ、

渓流を見ながら

進んで行くと、山肌が濡れて水が岩を伝って滴り落ちて来ている。

ぜーもん喫茶のオバサマが言っていた距離に近く、更に奥にも走ってみたが、ここ以外に水が落ちて来ているような場所は無く、奥から引き返してきて確認すると

岩を伝って流れて来ている水滴はそれほど多くなく、しかし、岩肌を見る限り常に水が流れている様子である。山の上側を見ると杉林の斜面がV字形にくぼんでいる、しかし沢水のように水の流れは無いようだ。

どちらにしても、伏流水か湧水なのだろうと汲んで帰る事に決定!1本汲むのにかれこれ5分以上かかり、へこたれて2本で断念してしまった。
今回は、予定していた志明院の滴り水を汲む事ができなかったが、2ヶ所の水が汲めて満足の帰路についた。時刻を見れば5時前、里に下りてくると携帯が鳴り、4時ごろには修理が終わっていたとの連絡。急いでディーラーへ帰って行った。 お わ り
「土滝の水」の独断と偏見の水評価は、ちょうど貴船神社の裏山に位置する事から美味しい水(硬水系でまろやかな飲み口)ではあったが、残念ながら一週間も経たずに飲み口が悪くなってきた。やはり、雑菌が入っているのであろうか
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は(正確な場所ではないですが、行けば分ります)
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