NO255:京見峠の水「杉坂の船水」

石碑には、京都の詩人・島岡剣石(しまおかけんせき)が、辛夷(こぶし)の花の咲く頃(3月から5月にかけて)に、この地で詠んだ歌が刻まれている。(ウィキベディア)
「うつせみの 寂しさ故に おく山の こぶしは白く 鎮もりて咲く」
京見峠は、京都市内の北区から美山方面から京都市内に入って来る周山街道へ出る近道ですが、道が細く連続カーブもアリ交通量はさほど多くない街道です。まずは

街中の細い道、この道が峠につながっていた。

峠道に入って行く

遠くに京都市街、拡大しても

当日はすっきりしない黄砂日和((+_+))ドンドン上って行く

何回かのカーブを経てまずはたどり着いたところは

数年前に店じまいした京見峠茶屋

京見峠:南北朝の動乱を題材とする軍記物語「太平記」に「京中を足の下に見下」ろせる峠という記述がある。
延元元年(1336)、都を追われた後醍醐天皇方の兵が足利尊氏らとの洛中合戦にあたり、都へ攻め入るための北の要所として京見峠に陣をはったとある。北山・東山の諸峰を左右にみて、峠に立てばその名の通り、眼下に船山(『五山送り火』の『船形』が灯される)や釈迦谷山(鷹ヶ峰)を、遥か前方には京都市中が一望できる。現在は夜景もことのほか美しい。
標高446mのこの峠を通る道は現在不動31号線という名であるが、現在も京都市内から杉坂や周山街道へ抜ける車が利用している。
昔は京の七口のひとつ「長坂口」から若狭国など北国や丹波方面とを結び、室町時代には関所もおかれた古くからの要所である。また、峠の大木を山の神としてまつる庶民信仰の重要な役割を果たしたことが伝えられる。
右手には、京の詩人、島岡剣石が辛夷(こぶし)の花の咲く頃、この峠で詠んだ歌の碑がある。上記のため省略
京都市

さらに進んで行くと

分かれ道に、標識を見ると「右氷室1,5km行き止まり 左国道162号・杉坂」氷室と言えば、その昔夏場に氷りを朝廷に献上するために保存していたとか、チョイト後で覗いて見る事に。
で、左へ進んで行くと

何かの電波塔が出て来た。さらに進んで行くと山奥に

数件の集落、ここを突き抜けるとこんな看板が

やまの家はせがわ どうもレストランの様子
チーズハンバーグセット(¥1300) 手作りチーズ(¥400) 珈琲(¥400)と、奥を見てみると

大きな建物が、お客さんの車らしきものも見えた。かくれレストランの様子・・・繁盛している雰囲気ダ
さらに上って行くと

怪しげな人物が水を汲んどられた(?_?)
怪しげな人は、近くの若者だったが、週一ぐらいに汲みに来ているというお話。話の中で、大雨の後は水が薄くなるとか、でも、ここ大雨は降っていないから大丈夫と、教えてくれて帰って行かれた。

吾輩も水をいただき、写真を撮影

石碑には、正一位
国鷹大神 荒木大神 ○○大神 の三つ大神様に守られている あらたかな御神水

で吾輩も、引き返し氷室へ向かった。
今年も咲きました。上田観音の山桜

写した場所を替えて

近くの穴場から

全体の雰囲気

「杉坂の船水」(山の水とも)
の独断と偏見の水評価は、軟水で飲みやすい水であった。天が降ればどうなるのか・・・・
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は
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