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NO250:若狭姫神社の霊水「桂の井」

2018,1,22小浜方面 058-2l
で、前回の続きで水の流れを追って行きます。
2018,1,22小浜方面 046-2z
更に集落から流れて
2018,1,22小浜方面 048-2x
はずれに到着
2018,1,22小浜方面 049-2c
ここから地下水路へと。
その前に、ココの集落には
2018,1,22小浜方面 102-2n
鐘楼が集落の入口にあったのです。見ていると、お婆さんが散歩にやってきて「どうであるのか知らないけど、除夜の鐘をお寺ではなくここに着きに来ている」と説明してくれました。
銅造梵鐘と書いてあり、
小浜しの文化財
 遠敷の若狭彦神社上社の手前、約200mのところ、道端の鐘楼に梵鐘がある。竜前区が管理しており、集会の時に撞く位のものである。
 江戸時代初期、音無川の岸にあった。


上廻り 160cm
下廻り 220cm
高さ 105cm
直径 外 71cm 内 57cm
竜頭高さ 20cm
竜頭幅 20cm
竜頭から下まで 125cm
撞坐廻り 225㎝

の大きさの銅鐘である。
 銘は「若狭国鎮守一宮 暦應亖年辛巳九月廿三日丁酉大願主法眼和和尚位圓海」と刻まれている。若狭一の宮(若狭彦神社)に奉納されてあったものを、明治の神仏分離の際、神域から運び出し、以来竜前区が管理するところとなって現在に至ったものである。
 なお年号は「暦應亖年」と刻まれている。辛巳は暦應4年(1341-南北朝時代)に当る。亖年と書いて4年と読ませることは外にもあり、その一例としてまことにおもしろい。
2018,1,22小浜方面 103-2m
さて引き続き「御神水」の流れを追手行く事に、水門の様な所からは地下水路となり
2018,1,22小浜方面 050-2v
県立若狭東校、辺りでまた顔を出し
2018,1,22小浜方面 051-2b
一部が若狭姫神社周辺へ
2018,1,22小浜方面 053-2n
集落の水と若狭彦神社の「御尽瘁」が合流
2018,1,22小浜方面 057-2m
して、若狭姫神社の前を流れてきたのでした。
2018,1,22小浜方面 056-2m
若狭姫神社の
2018,1,22小浜方面 060-3w
参道、彦神社より短いと思ったら
2018,1,22小浜方面 099-3e
本来は、家並みの中に埋もれている鳥居が100m程先に、近代化により、おそらく境内の一部を道の拡張に提供された事の様である・・・・・・と吾輩は解釈したのでありました。
境内に入る前に若狭姫神社のイワレを
2018,1,22小浜方面 061-3e
由緒記
名称:若狭国一宮
    若狭彦神社下社
又は、若狭姫神社、遠敷神社とも称し上社を併せて若狭彦神社とも上下宮ともたたえる。
   延喜式名大社
祭神:若狭姫大神
    竜宮伝説で名高い豊玉姫命を若狭姫大神とたたえて奉祀する
所在地:福井県若狭国遠敷郡遠敷村遠敷
     昭和26年町村合併より小浜市遠敷となる
創建:奈良時代養老5年○酉2月10日
    昭和58年より1262年前
祭日:下社 3月十日
    上社10月十日
その下にいい言葉が
        安全運転の誓い
:自動車は、車体やタイヤの原材料である鉱物、植物、加えてガソリンという天地自然の恩恵、人間の尊い勤労とにより生みだされた「神霊の宿る生きもの」なのです
車を買ったら、浄めのお祓いを受けて、若狭路を走りましょう
との事、私事で申し訳ありませんが、先日車を購入「天橋立・籠神社」でお祓いを受けてきました。
吾輩は神は信じていませんが、「自分の中に宿」と思っていまして、自分の心に言い聞かせているのでございます。
交通安全で運転するようにと・・・・・違反もして、今までに結構納税もしていますが・・・・(~_~;)
2018,1,22小浜方面 062-3r
日本全国パワースポット
若狭の旅 入口はこちら
①二宮、下社姫社(当社)
②一宮、上社彦社(南1,5km)
を横に見ながら石橋を渡り境内に
左に、手水舎
2018,1,22小浜方面 065-3t
右にも、手水や
2018,1,22小浜方面 063-3y
右のは現在使われておらず、左の方が今の手水屋です。
前回手水舎に近づいていくと、若狭姫神社の神職さんらしき方が、今ではこの水が霊水「桂の井」とされているが、以前の井戸は境内の奥に在るとの事、水が絶えたのか、ココの水は近」12mボーリングをして汲み上げているという、その方が言われるのに、その12mほど地下には河の様な水脈が流れているとの事。水は帰りに頂く事にして、まずは神殿へ
2018,1,22小浜方面 066-3u
神門ですが、その手前の左には
2018,1,22小浜方面 067-3i
誰かが奉納した千石船の模型が展示してありました。
2018,1,22小浜方面 068-3o
弁才型模型(海幸丸) 江戸時代  若狭彦神社(小浜市)
 若狭の奉納船の中では、最も古い江戸時代後期の製作と思われ、船全体の反りの少ない優美な船形です。
装飾は、菱垣廻船を思わせますが、押回し垣立を造ることから奉納のための舟と考えられます。縮尺は、十分の一と思われ、寸法から、1,000石積級の舟と推定できます。同社は海幸山幸伝説で名高く、奉納の目的も海上安全祈願と考えられます。
そして、神門の入口には
2018,1,22小浜方面 072-3o
北陸道七か国(若狭→佐渡)の
第一番 若狭の国の総鎮守
若狭彦・若狭姫の夫婦神が開かれた
海山清き若狭湾  何時(しか)世界一の原発銀座十五基(二基増設中)
  四海平安

 安全運手
官人(つかさひと) 事業関係者 御神前へ
   と、意味深な書き物
神門を潜ると右の壁に
2018,1,22小浜方面 073-3p
上の額:遠敷神社(姫神社の一般的な呼び方)
若狭彦神社は若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社)の二社に分かれていますが当神社は下社にして上社より六年の後奈良時代の養老五年(721)年鎮座であります。
 海幸山幸の神話で有名な豊玉姫命を若狭姫神とたたえておまつりしてありますので若狭姫神社とも又遠敷の地に鎮座ましますので遠敷神社とも申します。
奈良東大寺二月堂のお水取りで名高い遠敷明神は即ち当神社の事であります。
 ここより南方1500mの龍前の里にある上社と共に上下宮とも若狭一宮とも総称しますが平安時代の延喜式にも明神大社として記載され赫々(かくかく)たる御神威は遍く(あまねく)光被じて厚く尊崇された若狭の国第一の大社であります。
 なお両社では従来一般の御祈祷(家内安全、厄除け生業繁栄、初詣交通安全その他諸諸の祈願)や神符守礼の授与その他社務一切をこの下社において執行しておりますのでご用のあります方はお申し出て下さい。

当世では、街中にある下社の方が繁栄している様で、こちらに神主さんが住まわれ上社も見ておられるようです。
2018,1,22小浜方面 075-3d
本殿の全景、その左にそびえる杉の木は
2018,1,22小浜方面 092-3s
御神木・千年杉
 瑞垣内の大樹は、若狭の国に若い息吹をこめる神、若狭一宮の神と称えられ、千古厳然と聳えるれいぼくである。
 水配りの御神徳をいただき、年々豊かに新緑の加わる様は実に神木の名にふさわしく、古来、不老長寿の象徴として篤く信仰される所似である。
   朝廷より 神馬献上の社
 絵馬の歴史を振り返るとき、古代において馬は、神の走りものとして神聖視され、とって神霊を和らげまつり、祈願のために神馬の献上が行われた。
 「続日本記によれば、宝亀元年(今より一千二百年十余年前)八月庚寅朔日、蝕ありし時、勅使を使わされて、伊勢大神宮(伊勢神宮)に赤毛馬を、若狭彦神(若狭一宮)鹿毛馬を奉るとあり。
 日蝕に対する呪術的儀礼として、太陽の衰弱を回復させるための献上であり、鹿毛の馬は赤毛(赤毛が火の色と関連する)に準じたものといわれ、世に名高い記事である。
こちらが千年杉です。
2018,1,22小浜方面 091-3d
本殿の敷地内の塀で根元が見れないのが残念ですが、立派な杉です。
まずは参拝を済まし、境内を一巡してみると
2018,1,22小浜方面 077-3j
立札に御神水と書かれてある。御神水は手水舎の水と神職さんらしき方が言われていたのだが(?_?)
近寄って観ると
2018,1,22小浜方面 079-3l
水は出ておらず、立札には
2018,1,22小浜方面 078-3k
    名水とは風土なり
 鎮守の森が、神霊の籠る場所に相応しい水源地に多く祭られているのは、生命の源の水を神々が司られ、人々がその水を農耕、飲用物として恵んでいただくという姿を示すものといわれている。
 当神社の境内には、今でも絶え間なく大気を浄化し地中深く伏流水を蓄えて、地上を潤し続けている。
 この井戸は夏のひと時を除いて、水量豊かなるが故、深さ三メートル余の浅井戸である。ポンプのバルブをひねると、一分間に18リットル、つまり一升瓶にして十本、一時間当たり六百本、一日では一万四千四百本の水を汲みだせますが、実際はその十数倍が可能であり、その折、井戸の下部の側壁の穴より清冽な水が激しく流入する様は、正に神井と呼ぶのに相応しいものである。
 神社の祭典には、この水を神饌に用いて神前にたてまつっていることは勿論、神聖な力を備えた霊水として崇拝され、病気平癒、茶道、書道上達などの神徳を人々に授けている。
 又、若水とは元旦の早朝に奉献せし御神水にして この井の水は古来若狭の若返りの水としてその名高く、これを拝載すれば邪気を払いて清朗快活延命長寿を保つと伝えられている。
と書いてあるが、この立札と井戸を見つけたのは二回目で、水か初めて来たときに汲んでいたので汲まずに終わってしまった。
でも、これだけの水量が出るのであれば、手水舎の水を掘らなくても済むのに・・・・・・と、(?_?)を思ったものである。
井戸の側には
2018,1,22小浜方面 083-3b
水の国 若狭総鎮守
  遠敷(おにゅう)大明神 霊水(桂の井)
二月堂記に出て来る当神社は、東大寺修二会の中のお水取り(若狭井)を約し、それ故、堂の右裏手には古来、遠敷社が奉祀してある
との事、確認せず
で、「桂の井」の出所は
2018,1,22小浜方面 080-3z
桂 カツラ科の落葉高木
 海幸彦に借りた釣り針を海中に失い途方にくれていた山幸彦の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)(上社祭神)が、塩椎神(しほづちのかみ)の教えにより海の宮殿に行き、門の所の井戸の傍の桂の木に登っていました。井戸には影が映っていました。海神(わたづかみ)の姫、龍宮の乙姫さまの豊玉姫命(当下社祭神)との出会いの始めと海幸山幸神話は伝えている。
 この木は、当神社に相応しい霊木であります。
とこの様に、神社の由緒が立札に書いてあり、他にも多くの札が立っています。関心のある方は「若狭姫神社」まで参拝してください。吾輩の案内はこれまでといたします。
本殿から神門(楼門)を
2018,1,22小浜方面 094-3n
そして、一回目に来た時はお水を手水舎で頂き帰り際鳥居の所には
2018,1,22小浜方面 100-4q
見返り鳥居:この鳥居の下で、後方の楼門の屋根高く聳えています  
   千年杉を
今一度、仰ぎ見られますとと共に、若狭の国鎮守下社
若狭姫の神とたたえます
竜宮の乙姫さま  豊玉姫命に、お別れいただきます。

独断と偏見の「桂の井」の評価は
場所が違っていた(吾輩の気持ちの中ではパイプで繋がれている)ため、真の見定めはアヤフヤですが(元々あやふやかも)
硬質よりの美味しい水でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は(地図上の若狭彦は誤りで、若狭姫です)


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NO249:若狭彦神社の御神水(伏水の幸)

2018,1,22小浜方面 112-1w
正月明けの初めての水汲みに行ったのが、奈良県二月堂・お水取りで有名な当地「若狭の国・遠敷」ここにある若狭彦・若狭姫神社へ相方さんと初詣がてら水汲みへ、以前、それこそお水取りの舞台となる若狭の神宮寺へ行った際この神社の前を通りがかった時に「鯖街道の御神水」の看板を見て気になっていた場所であった。

当日、地元与謝野町から高速に乗ったのは良かったが、大江山のトンネルを抜けた辺りでカメラを持って来て無い事に気づき、引き返す事もままならず、思い立ったのがガラケイで写真を撮りまくるという方法であった。しかし、これもパソコンへ写真をアップする時点で分かった事なのだが、写真が携帯に保存されていない(?_?)イロイロと思い返してみると、どうも写真を撮って保存処理しようとした時に誤って保存されない方にチックを入れたようで、慣れていないもので、写しては消し、写しては消しの連続であったようである。
結局今回の写真はその後写真を撮りに再び行った時のものです。あ し か ら ず (^o^)/
1回目行った時は日曜日だというのに休館日で行けなかった「杜の水PR館」
2018,1,22小浜方面 104-1w
本館はこちら、若狭彦神社の近くにあります。
2018,1,22小浜方面 105-1e-1r
中に入ると、地方の物産館
2018,1,22小浜方面 107-1t
奥は喫茶店になっていました。地元の名水で「竹炭で焙煎したコーヒー」が自慢の逸品だそうで、休憩に飲んでまいりました。
館内には、大木のテーブルを展示
2018,1,22小浜方面 108-1y
樹齢400年の福井県大野市に在る高於(たかお)磐倉(いわくら)神社の御神木
正面は木像 十一面観音菩薩立像 作者は 小浜在住の 村岡如伸氏(滋賀県長浜市の渡岸寺にある国宝の写しだそうです)
その奥には見出しに出した、3月2日近くに在る神宮寺から二月堂へお水送りの儀式を『若狭和紙人形作家 笠原輝子氏』が作り展示されていたものです。一見の価値ある作品でした。
珈琲を飲みながら店員さんと談笑して、まずは「若狭彦神社」から攻める事に、(若狭姫神社の方が国道に近いのですが)
2018,1,22小浜方面 002-1p
入口の横に数台止めれる駐車場があり。まずは神社の能書きから
2018,1,22小浜方面 001-1a
   由緒記
名称  若狭国一宮
        若狭彦神社上社
    (又、下社を併せて若狭彦神社とも上下宮としたたえまつる
     延喜式明神大社
祭神 若狭彦大神
    海幸山幸の神話で名高い彦火火見尊 若狭彦大神とたたえて     奉紀する

それでは参拝に行きましょう
2018,1,22小浜方面 004-1s
鳥居をくぐって行くと、鎮守の森にふさわしい林の中に参道が伸び、石灯籠が配置されています。
2018,1,22小浜方面 013-1z
本殿向かって右の灯篭
2018,1,22小浜方面 009-1d
灯籠の土台部分に彫ってある消えかけた文字を説明されています。
金殿燈彌明:りっぱな御殿をてらしいよいよおごそかであるようあがめたっとうこと
左の石灯籠の土台部分の文字
2018,1,22小浜方面 010-1f
神明仰厳徳:かみをうやまい心が正しく行い善であるようつつしむこと
その灯籠の後ろにそびえる二本の杉の大木
2018,1,22小浜方面 008-1d
神社の大木は、そんこの神社の歴史を伝えてくれます。
その根元に
2018,1,22小浜方面 012-1g
参道を挟み厳然と聳え立つこの二本の大杉は
「若狭彦神社の二の鳥居」と
考えられ、又、このような近くに相並び立つ杉を夫婦杉とたたえている神社もある
参道を進んで行くと、太鼓橋ならず石橋が出て来た
2018,1,22小浜方面 014-1v
その手前には、またも石灯籠、昼間でも薄暗い森の中に灯明を付けて参拝者を導いてくれる気遣い(*^_^*)
橋を渡ると神域・・・その正面に神門
2018,1,22小浜方面 015-1b
その門の手前には正真正銘の夫婦杉
2018,1,22小浜方面 039-1n
この杉も年代物であるようである。立派であった。
尋問の柱の横に、以前いたが貼って在ったのか、今は代わりに紙が貼り
遠敷(おにゅう)の上下宮さん (若狭彦神社は) かみのみや   と
2018,1,22小浜方面 017-2q
神門の壁に
2018,1,22小浜方面 038-2w
 若狭彦神社は若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社)の二社に分れていますが当神社は上社にじて奈良時代の霊亀元年(715)の鎮座であります  海幸山幸の神話で名高い彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を若狭彦神とたたえておまつりしてあります
 ここより北方1500M遠敷(おにゅう)の里に下社があります 当神社より6年の後養老5年の鎮座にして豊玉姫命を若狭姫神とたたえおまつりしてあります
 両社を併せて上下宮とも若狭一宮とも総称しますが平安時代の延喜式にも明神大社として記載された若狭の国きっての格式の高い古社であります
 なお当神社では従来一般の御祈祷(家内安全、厄除け、生業繁栄、初詣、交通安全、その他諸々の祈願)や神符守礼の授与その他社務一切を下社において執行しておりますのでご用のあります方は下社の若彦姫神社までお越しください

神門から境内を見渡すと左の縁に池が見え、そこには長い竹筒から水が出ているのが見えた
2018,1,22小浜方面 018-2e
情報元では、若狭彦神社の「御神水」は伏流水との事、さては竹筒から出ている水がそれかもと近寄って見ると、
2018,1,22小浜方面 020-2r
手水を兼ねた天然水の様で、参拝をしてから頂く事にしてまずは手を浄め、口も浄めて本殿へ
2018,1,22小浜方面 024-2u
神主のイナイ神社にしては、なかなか立派な構えである(^o^)/後ろに回って
2018,1,22小浜方面 033-2p
屋根を見渡せば、大社造りである。その右横に摂社が置かれ
2018,1,22小浜方面 029-2o
そのの立札に
              末社:若宮神社
 祭神:鵜が草葺不合尊(うがやふきあえすのみこと)
 祭礼:十月十日
「神名由来」
 当 上宮御祭神の大后、豊玉姫命(下宮御祭神)が安産を祈り、霊鳥といわれる鵜の羽を草(かや)として特別に産屋を建てたが、まだ屋根の葺きおえないうちに御子神をお生みになったので、御子神を「ウガヤフキアエズノミコト」と尊称したのである。
相談の神:蟻通神   大山祇神
と、面白い由来である。(*^。^*)
再び池に戻り、御神水を汲みながら立っていた支柱には
2018,1,22小浜方面 021-2y
小浜市龍前字宮山の森に降り注いだ雨水が、丁寧に地中に滲み込み、さらに浄化と味付けの時を経て、どんな日照りにも涸れることなく、今もここに湧き出ています。
伏水の幸  「甘泉」
うまいこと書いてあるもので、読むだけで「ほっぺたおちる」おもいである。もう一辺の方は
2018,1,22小浜方面 022-2t
古来、山麓に名水多しと言われ、閑雅幽スイのこの神境の霊水は崇敬礼拝の大正でもあるのです。
その上に繋っているお玉、底に書いてあるのは『銭洗い』と、小銭を持って行きこの水で清めれば何倍にもなるのかも(?_?)
水を汲み終えて、フト竹筒の根元が気になり行かねば良いものを行ってしまったのであった。
2018,1,22小浜方面 036-2a
池の奥側、竹筒の根元にたどり着くとバルブの蓋が二つ設置してあるじゃないですか・・・・・と言う事は、地下水を汲み上げての人工的に流しているのかも(?_?)あくまでもカモ?ですが(~o~)・・・・・まあ天然水には違いないと思いますが・・・
という訳で、今度は水の行方を探る事に
2018,1,22小浜方面 034-2s
水が流れ出す場所で
2018,1,22小浜方面 035-2d
細い水路から
2018,1,22小浜方面 040-2f
神門の手前の石橋を潜り
2018,1,22小浜方面 041-2g
境内の外に続く様子
2018,1,22小浜方面 043-2h
境内から流れ出てきた場所~集落方面へ
2018,1,22小浜方面 045-2j
前回正月明けに来た時に、若狭姫神社の前を清らかな水が流れていたのを思い出し、さては、若狭彦神社の御神水が流れて行っている可能性があると判断した結果なのである。

オリンピック中継を見ていたため、記事を書くのが遅れてしまいました。m(__)m
ピョンチャン冬のオリンピック、メダル取った人も取れなかった人もみんな感動「ありがとう」
平和の祭典 末永く続く事を ね が い な が ら (*^。^*)

独断と偏見の「若狭彦神社の御神水」の評価は、伏流水?と言われていることからも軟水の水質の様でマア、マアの水でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は


NO248ーB:万葉の名水「御井の清水」

北淡路島 180-4q
古事記にも登場するという名水で、仁徳天皇が「朝夕、淡路島の寒水を汲みて大御水奉りき」と詠まれた、天皇の御陵水として運ばれた『あわじの寒泉』との事、国道28号沿いに看板が出ているとの事。それを探して日暮れまでに探し当てなくてはと、必死のパッチで安全運転を心掛け気持ちは時速100kmで北上して行った。
情報元では、国道を走っていると名水の看板が出ていると書いてあった。それを目指して北上して行く事30分程、目的の看板を見つけソコから路地へ入って行った。(交通量の関係で写真は写せず)
北淡路島 175-4s
小高い所にそれは有った。
北淡路島 179-4a
正面は大阪湾、見晴らしの良い処であったが、情報がつかめるハズの喫茶店は休業であった。
北淡路島 176-4f
古事記の仁徳長記によると
『朝夕淡路島の寒泉を汲みて大御水(おおみもい)奉りき』とあります。
 御料の水とされたため、この水が、御井の清水と呼ばれるようになりました。以来茶人が好んで、この寒泉を汲みて茶会を催すこと多しとあります。
 山中の大変不便な所にあり、阪神淡路大震災の後水量も少なくなっていますので、同水系をボーリングして現地まで導水してります。
 ご利用の方は安全のため一度沸かしてお飲みください。
 容器、ペットボトルの入用の方には、当店で販売しています。
            サンスイ
北淡路島 171-4d
ココの水道から出るようにしてあります。お店が開いていたら現地まで行こうと考えていたのですが、お店は休み、仕方なくここのお水を買う事に
北淡路島 177-4h
ご利用の皆様へ
駐車場その他施設利用料として、20リッター当り100円ご協力お願い致します。
北淡路島 178-4f
との事、なにがしかのコインを入れて終了(^_^)v
遠くは茜色に染まる淡路観音像
北淡路島 174-4g
正式には、世界平和大観音像と言うらしいのですが所有者不明で地元の方たちも困惑気味(=_=)時間があれば行ってみたいところ(イイ口実)
で、予定の水汲みは無事終了(^_^)v
予定では、国道28号を北上して岩屋港まで行き明石海峡大橋を渡るつもりであったが、津名町佐野からは遠く途中で日も暮れて断念(~o~)東浦のICから高速へと・・・・・
と、こんなこともあるカモと、朝、道の駅に寄った際足を延ばして行ってきた所を写真に収めてきたので紹介しておきます。
まずは、岩屋港に在ります絵島
北淡路島 027-4j
太古、イザナギ・イザナミの二神が、国造りの時最初に生まれた国が「オノコロ島」であり、淡路島を指すとされていますが、この絵島であるという説もあります。
島の頂上にある石塔は、
北淡路島 029-4k
平清盛が大輪田の泊を修築した際に、人柱にされようとした人たちを助け、自らが人柱になった松王丸を祀ったといわれる石塔が島の頂上に建っています。
和歌を詠む名所として名高く、『平家物語』の「月見」の巻に「平家が福原の新都に移った当時(1180年)栄華の夢に耽った人々は絵島の月を見ようとして須磨から明石海峡を渡り、絵島の月を愛でながら歌会を催した」との記述が残されています(日没から21時まで)。また、西行法師は、「千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」(山家集)という歌を詠みました。(淡路観光ガイドから)
絵島から少し南下した所に「大和島」と言う島があります。
北淡路島 038-4x
こちらは柿本人麻呂(万葉集)が詠んだ歌に出て来ることで有名
北淡路島 036-4c
天離る  夷の長道ゆ  恋ひ来れば  明石の門より  大和島見ゆ
筑紫(九州)から都を恋しく思いながら、船路をやってくると、明石海峡から懐かしい、大和の山々が見える
柿本人麻呂  生没未詳
持統・文武天皇の両朝(690~707)に仕えた万葉の代表的歌人。歌聖としてあがめられた宮廷歌人である。
彼は明石の高地に居を定め、海峡より朝夕この島を眺めることを唯一の楽しみとしていた。
島の頂上にはイブキが群生し、天然記念物に指定されている。
その大和島は陸地とつながっており、正面には岩屋神社がそびえています。
北淡路島 039-4b
参拝して珍しいものを発見(@_@;)
まずは韓国風(独断の感想)に見えた神門を潜り
北淡路島 034-4v
正面の本殿に参拝して
北淡路島 040-4z
振り返ると、石灯籠の寄贈者の名前を見ると
北淡路島 042-4x
石原プロ 渡哲也 の字が彫ってある。オョョ(@_@;)どんな関係があるのか・・・・・調べてみるとこの岩屋付近が渡哲也のふる里の様でした。しかし、出生地は島根県安来市であった。・・・情報をイロイロと検索する中で、岩屋神社と書いていたが実際は石屋(いわや)神社が正式名称である。吾輩は間違えていました。
地域名称としては小学校は石屋小学校となっているのに、中学校は岩屋中学校となっています。港も地域も岩屋となっていますし(?_?)
ともあれ今回の淡路島北淡名水巡りの旅は夜景の明石海峡大橋を渡って幕を閉じた。
北淡路島 181-4h




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