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NO233:神明神社の「子宝の水」

  2017,7,9柏木街道 031-1q
滋賀県米原市の美味しい水が湧き出ている「醒ヶ井」の近くに「子宝の水」が出ているという。
   2017,7,9柏木街道 030-1w
河内  ここは清流の里
今回ここに行く事になったのはアル事情があっての事。
と、言うほどでもないのだが、高原水を取りに行った時案内してくれた知り合いが、NHKのBSで日本百名山を見ていたら山登りの途中に名水が出るとこが在り、そこへ行かないかと話を持ち掛けてきた。
どうも、彼はこの夏アルプスに登りたいようなのだが、前回書いていた腰痛がイマイチ回復せず、アルプスを登山する自信がなく近場の低い山を登り身体の調子を確かめたいとの事、その山が滋賀県の多賀町にある「霊仙山」である。
カルスト地形の山だといい、隣接する米原市からも登山道が整備されているとの事、その時点では登山ルートは決定しておらず、吾輩も気をそそられて行く事にした。しかし、名水が汲める話はイマイチあやふやで信用できなかったので、万が一汲めない時の事を考えて、美味しい水が出る米原市一帯の湧水場所を探しておいたのである。
結果、九州地方を襲った未曽有の豪雨の前線が北上して滋賀県彦根市一帯は正午前後から雨マークが出たため登山は中止となり、一日ポッカリ空白になったので一人で探しておいた場所に水汲みに行く事にした行動でありました。
出来れば探しておいた二か所に寄って来れたらの思いで出発。
米原へ行くには、我が家からでは2ルートの方法があります。①は京都縦貫で大山崎まで行き名神へ乗り換えて米原ルートと②舞鶴若狭道から北陸道をへて米原ルートが有りますが、②の方が時間も金額も早くて安く行けるのですが同じルートを往き帰り使うのも面白くないので、①から行き②から帰ってくる事にした。
見出しの写真の高速道路の下をくぐり集落へ入って行きました。
   2017,7,9柏木街道 032-1w
この集落は川に沿って細長く集落が集まっているようで、人名神社が在るであろう場所は集落の一番奥の様で車でそちらへ移動。河縁の車一台が何とか通れる道を通り
  2017,7,9柏木街道 028-1r
たどり着いたところが
   2017,7,9柏木街道 027-1u

行き止まり、神明神社らしきものは無い・・・で再度集落の方へ
   2017,7,9柏木街道 028-1r
だ~れか居ないかな~・・・・・・と集落をゆっくり走っていると、子供連れの奥様、早速尋ねてみると、「湧水の出ている所などない」と、「神明神社」という所に出ているらしい・・・と、あ!それなら伏流水が出ているよ、との事、その神社は山へ入る扉を開けてすぐの橋を渡った処の左に出ていると、という事で再度川沿いの奥まで進み、先程の扉を開け中へ・・・と50mほど進めば
   2017,7,9柏木街道 025-1u
神社側から見た橋
   2017,7,9柏木街道 024-1u
とりあえず神社へお詣りしてからと石段を上って行くと
  2017,7,9柏木街道 014-1i
階段の途中に
   2017,7,9柏木街道 015-1o
何かを祀っている場所が目に付いた
   2017,7,9柏木街道 016-1p
写真を撮ってよいモノか迷ったが、とりあえずパチリ、後ろに(正面)に立っている夫婦杉?を祀っているのかも
   2017,7,9柏木街道 019-1d
しかし、このような神聖な場所を見ると一人でいる吾輩の身体がゾクゾクと身震いしたのである。
早くお詣りして水を汲んで帰ろうと、本殿へ
   2017,7,9柏木街道 018-1s
失礼とは思いながら中を覗いて見ると
  2017,7,9柏木街道 022-1f
左側、そして右にも
   2017,7,9柏木街道 023-1g
なんと二つも祠が・・・案外夫婦杉?に因んで夫婦祠カモ・・・・・と勝手に考えたりして・・・バチが当たるかな(?_?)
で水汲み場の方へ
   2017,7,9柏木街道 013-1h
以前、醒ヶ井の湧水を汲みに行った時は無かった「米原市湧水認定」の看板が立ててあった。
   2017,7,9柏木街道 009-1j
認定:未来に伝えたい「まいばらの水」
米原市には豊かな森や山が育んだ美しい湧き水が数多く存在し、昔から地域の暮らしの中で大切に使われてきました。水道の蛇口をひねればあたり前のように水が出てくる便利な現代社会の中で、忘れられつつある水や水を育む森の大切さを改めて感じていただき、地球の美しい水環境を未来へ受け継いでいくきっかけとなる事を願っています。
NO9『子宝の水』  硬度92,2mg/L(中硬度)
昔から美しい水が湧き出ていて、地域の人々は盆になるとこの水を汲んで仏壇などに供えていました。湧水を飲用する事により子宝に恵まれたという話もあり、地域では子宝の水として参拝する人もいたと言われています。  飲用として推奨するものではありません
      米原市    2013年12月
   2017,7,9柏木街道 011-1k
パイプから漏れた水は石の下からも出て来ていました。
   2017,7,9柏木街道 012-1l
ブログを書きながら見えてきたことは、石段の脇に祀ってあったものは、何気なく写した「夫婦杉」ではなかったのか、それも神明神社の「御神体」になっているのではなかろうか、そこから、湧き水の名前も「子宝の水」となったのではないかと推理をしてみた。
夫婦杉→夫婦和合→子宝の水
尚、神明神社のいわれデス

独断と偏見の水評価
水の硬度が中硬度と書いてあるとおり、程よいコク・マイルド・喉越し共言う事なしで
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆ デス    
詳しい場所
   
      


 
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NO232:生野天神社の「湯上(ゆがみ)の泉」

  2017,7,9柏木街道 006-1q
60.小式部内侍
『大江山(おほえやま) いく野(の)の道(みち)の 遠(とほ)ければ
まだふみも見(み)ず 天(あま)の橋立(はしだて)』
小倉百人一首、地元の方ならだれでも知っている歌でありますが、その中の「いく野」の地の湧水をいただきに行ってまいりました。
というのも、前回の「ロクロ不動の観音水」が取れなかった場合に、補足として探しに行った水紀行であります。
この「いく野」の地は、福知山市内から9号線を京都方面へ走って行くと、高速の陸橋下を通り長~い直線道路が終わり急坂を上り切ったあたりの集落であります。登り切ったあたりに見出しの大きな看板が目に入るので分かります。
その集落に入った所に
   2017,7,9柏木街道 008-1w
これを読めばよ~く判るので
ようこそ  生野の里へ  お越し下さいました
 このあたりが、約千年前の平安時代から京の都と丹後の国を結ぶ京街道宿場町として栄えた「生野の里」です。江戸時代へ入っても貝原益軒の「西北紀行」にもその賑やかな様子が描かれており、丹後の宮津藩主は参勤交代のとき、この地で一泊したといわれ、今も本陣跡が残っています。
 それだけに都では、生野の印象が強く、このことは当時の和歌に、生野を詠んだものが多いことによってもうかがえれます。
なかでも、有名なのは小式部内侍が詠んだ
 「大江山生野の道の遠ければ まだふみもみず天橋立」
 小倉百人一首にも詠まれたこの歌には、次のような秘話が残っています。
 小式部は、平安時代の有名な女流歌人、和泉式部の娘であるが彼女自身は歌を詠むことは苦手だと思われていた。母(和泉式部)が再婚して丹後宮津にくだった後、都での歌合せの席で小式部は、母がいないと詠めないだろうからかわれたが、即座にその母を慕って詠い、一座の人々を驚嘆させた。この歌は、大江山や生野の道は都から遠いのに、さらに遠くの母のいる天橋立の地は、行ったこともなく(ふみもみず)、便りもなく(ふみもみず)その身を案じているという母思う切ない心を詠んだものだと言われている。
 このほかこの地を詠んだものに
大江山遥かにおくる鹿の音は、いくのをこえて妻を恋ふらむ 
                     (権中納言実盛)
大江山越えて生野の末とほみ 道ある世にも逢ひにけるかな
                     (新古今集)
 近くには六人部七天神第五代の生野天神社があり、境内には椎の大樹にまつわる「金の椎の実」の民話が残っている。
 また、式内社 生野神社が、ここから一粁程下った三保地区に鎮座する
  西方には小倉山(通称 城山と呼ぶ)があり、地元の言い伝えによると、当地方は、綾部藩の領地で、山の中腹のとりで(見張所)から、藩の命を受けた生野の庄の住民が見張りにつき、異常があれば早馬で半に通報することになっていたとか・・・
  平成八年三月       福知山市生野区
その近くの道端には
   2017,7,9柏木街道 007-2e
古道 京街道 (地域作り協議会)の道しるべが立ててあり、その道を行けばいくのであろう生野神社には、車ではチト無理なようで生活道路を使用して行ったのでありました。着いたところは
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 181-1r
生野天神社、此の石段の所に椎の木が有り
 17,6,25ろくろ観音・生野神社 183-5q
それほど大きな椎の木ではないが、これが伝説の「金の椎の実」のようである
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 182-5w
 生野の天神さんの森には椎の古木がたくさんありました。この椎は、大昔、大神宮さまが丹波から伊勢へ移られる途中、ここでお休みになりました。その時におともの者が、食用としてもっていた椎の実をまいたのがもとになり、立派な氏神さんの森になったと伝えられています。
 この生野の里にみいちゃんと呼ぶ十歳位の女の子がおりました。お父さんはなくなり、お母さんと二人暮らしの気のやさしい女の子でした。お宮さんの下にある雲田たんぼに黄金の波を打たせてみんなを喜ばせた稲がすっかり刈り取られた頃、お母さんは病気になりついに寝込んでしまわれました。
 心配なのはみいちゃんです、何とか早く元気になってもらいたいと毎朝早く起き出して天神さんへお参りしました。
 今日もお参りして帰ろうとしますと、大きな椎の木の根元に白いものがうずくまっているのが目に付きました。何だろうかとこわごわ近づいて見ますと、鉄砲で打たれたのか、あるいは木の上の巣から落ちたのか、白い羽を血染めにした、こうの鳥が傷ついていた両足でヒナ鳥をかかえてうずくまっているではありませんか、みいちゃんは「かわいそうに」といいながらだきかかえて自分の家に帰り、近所で大きなかごを借りてきてわらを敷き、その上に親子鳥を入れてやりました。水を与えたり、たにしやカエルを捕らえて来てエサにしました。親鳥は二、三日で死んでしまいましたが、小鳥は日増しに元気になり、飛び立てそうになりました。
 お母さんの看病の上、毎日鳥のえささがしに困り、仕方なく小鳥をかごから出しました。小鳥は喜んでバタバタと音をたてながら飛び立って行きました。
 それから二、三日たった静かな夜の事です。みいちゃんの枕もとで声が聞こえるので目をさますと、頭巾をかぶり紫色した衣をきた少女が、「私はお世話になったコウノトリです。そのご恩返しにお母さんのご病気をなおします。あの月が満月になったら、森の中の池のつつみに金色の椎の実をおいて置きますから、それをせんじてお母さんに飲ませなさい。お母さんはきっと元気になられます。さようなら」といってきえました。みいちゃんは、「待って下さい」と後お追いかけましたがもう姿は見えません。しかし飛び去った後に一本の黒い羽が落ちておりました。みいちゃんは夢であったかと思いながら、満月の夜、池のほとりを探しますと、金色の椎の実が落ちております。喜んでこれをひろって家へ飛ぶようにして帰り、いわれたとおりこれをせんじて母に飲ませますと、母はめきめきと元気になりました。
 女二人暮らしの家ながら、近所の人々もうらやましがるような明るい楽しい毎日を送るようになりましたが、みいちゃんの床には一本の黒い羽が飾ってあったということです。

福知山市老人クラブ連合会発行「福知山の民話」より原文のまま
この話はテレビの「マンガ日本むかし話」でも放映されたことがあります。
昭和10年頃まで椎の巨木が残っていました。
という話でした。「湯上の泉」も福知山HPでは
『湯上(ゆがみ)とは三俣の小字名である。地域内にある生野神社の森
の続きに三俣の田園が一望できる丘がある。ここに、むかし、山間か
らこんこんとお湯が湧き出る小さな泉があった、という言い伝えがあ
り、今ではお湯の代わりに水が湧いている。』
で神社の境内を散策、椎の木の写真は、物語の椎の樹ではなかった(+o+)
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 185-3t
荘厳な佇まいではないが、時代を感じさせる本殿には「由来記」が書いてあり、それによると「用明天皇の頃約1500年前、丹波の国七天神の一社として建立された」と、しかし肝心なコンコンと湧き出る泉の池は見当たらず、あきらめて車に乗り込もうとしていた所
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 188-3a
丘を切り裂いて作った直線道路、もしやと思い、その先の方へ歩いて行くと
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 180-3d
池の雰囲気が漂い、その先まで行くと
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 179-3s
祠が草にかくれて頭を覗かしている、さてはこれが伝説に書かれていた「杜の中の池」で「湯上の泉」ではと・・・
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 176-3f
泉というより蓮の沼と言ったところの池であった。
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 171-4q
池に降りて行くと、誰かが草刈りをされた後の様子
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 172-3f
この溝をたどって行くと、
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 170-3l
その奥に土管の中から水が出て来ていた
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 166-3x
結構な量の水が流れていたが、草刈と池の泥上げをされた為水も汚れていた。最近どこかの県で、小学生が湧水を課外授業で汲んできて家族と飲んだ後腹痛をおこしたという事件がありましたので、水を汲むべきか汲まざるべきかかれこれ数分思案した後、とりあえず二本汲んで帰る事にしました。
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 178-3j
で、帰ってコーヒーを沸かしたのだが、やはり泥臭さが強く、おまけに綺麗な流れ出てきた水を汲んで帰って来たのですが、一日たった時にはオラオラが目立つようになり、腹痛予防のため捨ててしまいました。
独断と偏見の水評価は
((+_+)) にしました
詳しい場所は
     
生野神社と生野天神社と思い違いをしていたかもしれません、再度本来の生野神社をたずねて『湯上の泉』がどちらの神社に在ったのか確認してきたいと思っています。   



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