NO229:「行者湧水」

今旬の大阪「金剛山」へ登ってきました。その折近くの「行者湧水」も汲みに行ってまいりました。
予定では5月6日(土)に行こうと考えていたのだが、天気予報が雨になるとのことで急遽5日に変更。当日天気は晴れ~\(^o^)/
という事で、高速で一路南阪南道路の羽曳野ICで下りて国道170号で千早赤坂村の金剛山登山口に着いたのがAM10時ごろであった。我が家から約3時間

到着したら駐車場は満車で、少し離れた所の小さなスペースを駐車場にしているトコロに

一回500円を

袋に入れて、ナンバーを書いてポイ
さあ出発

登山道へ入り

登る前にトイレに

皆様方のひとりひとりのご協力をお願いします
募金でいただいたお金はトイレットペーパー等さわやかトイレに必要な物品の購入等に使用します。
金剛山系対策協議会
コインをチャリンと入れて本格登山へ

千早赤阪村は千早村と赤坂村が合併してできた大阪唯一の「村」
金剛山の登山口には鎌倉時代後半に活躍した武将『楠木正成』の千早城があった所で国の遺跡に指定されているようです。
途中、水力発電を見ながら

今回はストライキをしている模様(+o+)
登り始めてスグ、面白い看板を発見

パワースポット千早城(千早神社)
大楠公(楠木正成)は、ここ千早城に手勢800人と籠城し、北条軍11万に対峙した。
周囲は急峻な崖、北条軍は地形を熟知した楠公軍の昼夜を問わぬゲリラ戦に悩まされ、被害の山を築く。
開戦、100日鎌倉幕府は壊滅し北条軍は千早を去った。
人は知力・体力・気力の限りを尽くせば無限の力を発揮する。
千早城跡は絶対落ちないパワースポットだ。
受験・選挙・企業業績、総てのパワーは千早城にある。

まだ10時過ぎ、こちらは上がって行くのだが、もう下りて来る人も
今旬と書いたのは、金剛山の事がテレビで何回も放映された。特にNHKの72時間テレビでの定点カメラ、その中で金剛山の頂上(実際は別の場所)ライブカメラがある事を全国へ知らせた。
そのライブカメラには、1時間ごとに停止写真をHPに配信しているのである。
中にはそれを利用して、早朝登山し親族へ今日も元気の姿を知らせていると
さらに進むと

千早城へ登る脇道、今回はパス

途中、お地蔵さん その下の板には
雨の日には、雨の日の
風の日には、風の日の
かけがえのない
大切な人生がある
おめあては
生死流転の この私
合掌 博石
と、仏教の悟りを開いた方か・・・(?_?)

登山道は階段が整備されています。この時点は、まだ階段と地道が並行で登りやすい
さらに急斜面では

九十九折れの道、
千早城めぐりコースとここで合流

左:楠公城跡 標高634m
こちらは登り口が急な階段でしんどいと言う事でやめときました。
そして階段のみへと登山道はなって行くのでした。

標高1125mまでの5合目にやっと着きました

さらに階段を上って行き

途中

奉納
金剛登山20回を迎えるに当りその記念としてここに六地蔵尊を奉納し、登山者の無事と国家の安泰を祈願する
昭和57年10月24日
四天王寺高等学校 四天王寺中学校
六地蔵尊の下の板には
『患者って心に串が刺さっていると書くんだネ
はやくその串が抜けますように』 博石

ブナの大木を見ながら、またまた地蔵尊

奉納:学園創立70周年を記念してここに地蔵尊(大定智悲)を奉納し登山者の無事と世界の平和を祈願する
平成3年11月1日 学校法人四天王寺学園
四天王寺羽曳丘高等学校 四天王寺羽曳丘中学校
地蔵尊の下には
極楽は西にあらず
東にもあらず
吾が来た(北)道の
みな身(南)にぞある
博石

最後の階段、もーちょい

あーえらかった

史跡 金剛山
説明: 金剛山は海抜1125m葛城山脈中の最高峰たり。頂上付近一帯役小角の開きし転法輪寺の社を存し法起菩薩を祀れる修験道の霊場として夙に著名なり
今絶頂に葛木神社を奉祀し、転法輪寺を再建す。
その西北方平坦にて展望よき廬
所謂国見城址なり、元弘二年
楠木正成再び義兵を起すや、その詰城千早城の背面防御の地なり。
北条氏の大軍分かれて三方より楠木城に迫るや、その大和口に当れるは蓋しこの山なるべし。
昭和9年3月13日指定 文部省
階段を上り切った広場は人達が込み合い行き交っていた

散策しながら「金剛山転法輪寺」へ

・・・と、当日は5月5日・・・「子供祭り」というイベントを山伏姿の方たちが・・・面白そうなので見て行く事に

どうも山伏が火渡りの行を行う場の様である

その山伏の姿の中に女性の方がおられた。憲法に保障された男女平等がここにも(^^)/
大峯山修業はどうされるのかな・・・・・・まぁ大峯山だけが修業の山ではないのだが・・・・・・
『懺悔懺悔(さんげさんげ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)』の掛け声で

女の子が挑戦・・・・・・焼炭の上ではなく、山伏を押して向こうまで行く修行である

あと少し

今度は男の子・・・・・・ガンバレ\(^o^)/

そして最後に階段を一緒に登って行く。

金剛山「転法輪寺」の由来(ウィキペディアから)
修験道の開祖とされる役小角が16歳のとき金剛山に登って苦修練行を重ねた結果、天智天皇4年(665年)祖神一言主大神を鎮守とし、法起大菩薩を祀る金剛山寺(転法輪寺)を建立して神仏習合の霊山としたのが開創と伝承される[1]。奈良時代より明治維新に至るまで修験道七高山の1つに数えられ、歴代天皇の勅願所として五堂七宇の殿堂輪煥の美を誇った[1]。
行基、鑑真、最澄も来山し、聖宝も修行したと記録される[2]。
鎌倉時代の末、楠木正成がわずか5百の兵で金剛山中腹に築いた山城(やまじろ)の千早城に戦陣を張って、鎌倉幕府が派遣した総勢5万といわれた関東の軍勢を寄せ付けなかったのは、金剛山寺(転法輪寺)の修験勢力の支援が大きかったと伝わる。
さらに、こどもの日イベント会場の山伏の方々は

『司講』発足
この度、金剛山転法輪寺『司講』を発足させて頂きました。
当寺『司講』は金剛山脈を中心として活動する山伏修験者を育成し、葛城修験道再興を目的とした山伏集団です。
そもそも『講』とは、各各住んでいる地域の住民や、自営業者達が集い、大峯山登拝やお伊勢さん参りなど、お参りを目的としながらも、皆で一緒に親睦を兼ねて巡礼をする集団の事です。
現在『司講』が予定しています活動内容につきましては転法輪寺の行事に参加ご修業頂く事や、大峯山修業、奥駈修業、葛城二十八宿の行場めぐり、その他日帰りで近隣の寺院に参拝させて頂く事等も考えております。(その他いろいろ)
そして何より、ご自身が山伏修験者になって、お山へお寺へとご修業頂く事で、今まで見えなかった事や、思いつかなかった事を感じて頂けると思います。
山伏修行では、難しい事や分かりにくい事がたくさんあるとは思いますが、皆で一緒にお山や自然から色々な事を学びましょう。
少しずつかも知れませんが、きっと私達にとって大きな力となる事でしょう。
『司講』と致しましては、老若男女たくさんの入魂を、お待ち申し上げます。 合掌
名称:金剛山転法輪寺『司講』(つかさこう)
講元:金剛山転法輪寺 第61代住職 葛城光龍
入講条件:男女年齢不門(2・3の質問に答えて頂きます)
会費:不要(実動費はそのその都度徴収致します)
連絡先:金剛転法輪寺 住職 葛城光龍
こどもの日のイベント主催者の山伏の方は、司講の面々でした。
そして、金剛山の頂上へ向かっていきました。

金剛山の山頂は葛城神社の神域になっており、葛城神社の裏手が山頂であり立ち入り禁止区域の様です。
とりあえず山頂によって来るという事で、人混みの中参道を歩いていると、相方さんがこれを写しておかな・・・指を指した先には

夫婦杉の大木が(@_@;)、もともと二本の杉が大きくなり根元が合体した杉の様であり、まさに夫婦スギにふさわしい\(^o^)/
それにしても多くの人で1125mの山頂とは思えない、というのもロープウェイを乗って来られる登山客もここを通り、国見城址広場へ行く通り道の様である。

ここを上がれば

葛城神社に到着!(^^)!
一言主神(ひとことぬしのおおかみ)、後醍醐天皇、楠木正成を祀っているようです。
本来の目的、国見城址広場へと歩みを進めた。
国見城址は、楠木正成の弟楠木七郎政季の根拠地で一種の砦であったそうな、金剛山系の中で一番の見晴らしの良い処である。
来た道を帰り、登山道の到着地を左の方へ行けば

大阪平野が一望です\(^o^)/

とりわけPL教団の大平和記念塔が目立ちます(^^)/
大阪平野を見ながら食事をしていると、PM12:30になろうとするとき人達が集まり出した。そういえば、5月の連休中は30分ごとに定点写真がHPにアップされるとの事

そして、誰かが12時半だぞーとの声で、ライブカメラに向かって各々のポーズを(^_^)v
こんなことが、30分毎に行われていたのでありました~(~o~)金剛山ライブカメラ情報
という訳で、山頂から来た道を下山と相成りました。後で思ったのだが、ロープウェイ側から下山すればよかったかなと、後悔千万中です。
帰り道、登っている時には目に映らなかった現代風な石像

こんなモノもまたアリかも、と思いながら登山口に到着。そこから「行者湧水」販売所に行くには別の谷に、国道310号奈良県五條市へ行く道沿いに在るという。
府道705号から府道214号へ入り、国道310号を奈良方面に走っていると

幟がはためき、それらしき建物。乗り入れてみると

水汲み場所にしては広い駐車場。それだけ「行者湧水」の愛好者が多いい事なのか・・・・まぁ地元農産物も販売している事も含んでの「行者湧水農林産物販売所」という名称
ここで一回(数量ではなく)500円支払い

学校の手洗い場のような所の蛇口からは水が出しっぱなし、それだけ湧水の量が豊富なのだろう。
これで全ての目的が達成でき、心に余裕ができ奈良県まで走ってみる事に

見ごたえのある視界であった。満足の一日も終わっていったのでした。
独断と偏見の「行者湧水」の評価は、水は軟水に思えた。案外軟水の方がコーヒー本来の味が判るのかも。喉越し良く嫌みのない飲み口であった。多くを書くとボロが出るのでこの辺まで(^_^)/
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした
詳しい場所は
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