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NO218:伏見稲荷大社の「薬力さんのご神水」

   伏見稲荷・2017・1 002-1q
2017年1月8日3年に一度の我が家の行事、伏見稲荷大社へ初詣
今までの初詣はお札を買ったら帰っていたのだが、今回は参拝が遅れ8日を予定したため正月三が日のようなラッシュアワーの人混みも落ち着いているであろうと予想して、伏見稲荷の奥の院まで登って来る事にした。
で、そこまで登るならひと山丸ごと稲荷大社の境内になっているトコロ、おそらくどこかに御神水が有るはず、調べてみると「薬力社」という摂社・末社に有るような(?_?)、情報によればその水で薬を飲めば良く効くとか・・・それなら尚の事もらってくる事にした。
正月休みの間にお詣りすることはできたのだが、1月7日から封切の中島みゆき「一会(いちえ)」2015~2016劇場版を観に行きたさもあり1月8日の日曜日に行く事になったのであった。
伏見稲荷に近い劇場という事でMOVIX京都へ行く事にした・・・と言っても府内では二か所でしか上映はされておらず選択肢はあまりなかったのが現実(~o~)
その日の上映時間は9:00~と18:00~の二回しか行われておらず、おのずとAM9:00~になった。しかし、これがタイヘン((+_+))間に合うように出発するには、AM6:30には家を出なければならない、とすると、起きるのが遅くても6時には起きなくてはならず、何時も7時前後起床している身にとって辛~い一日の始まりと相成りました。
なんとか6時には起床!食事とトイレを済まして6時半過ぎには出発(^_^)v
ノンストップで縦貫道を下りたのが7時45頃だったと思う、それから京都二条駅に着いたのが8時過ぎ、今回は相方さん中島みゆきロードショウは見たくないと(~o~)、ゆえに、冬の特別拝観を開催している二条城へ時間つぶしに行ってくることで話がまとまり、二条駅から歩いて、コレマタ時間つぶしで行くという・・・・・・という訳で寄り道をしたしだい。
その後吾輩は京都市役所前の御池通り地下駐車場へ8時半頃には着いた。ここまでくれば9時の上映には楽勝で行ける事から、気分的に余裕が出て来た。MOVIX京都までの道すがら、寺町通りの商店街を歩いていると、なんとこんなに早いのに喫茶店の前で行列の人だかり、並んでまで飲むコーヒーはさぞかし美味いのだろう(*^_^*)
で劇場に到着、通常より高い2500円でチケットを買う。何時もは相方さんが全て手配をしてくれるのだが、今回は吾輩1人券売機で買うのにああでもないこうでもない、そこらじゅうをいらいまくりヤットコサで券が出て来てやれやれ(^_^;)
朝早くて裏には誰も並んでいなかったので良かったが、並んでおられたら・・・と思うと冷や汗ものでしたヮ。
普通の映画より長めの2時間40分退屈せず観終え、再度相方さんを迎えに二条駅へ・・・そして雨の降る中伏見稲荷大社へ行きました。
   伏見稲荷・2017・1 013-1w
伏見稲荷の初詣には、国道24号に臨時駐車場が設置されそこから無料のシャトルバスが走っているのだが、今回は初詣にしては遅い8日、人出も少なくなっている事だろうから、稲荷大社付近の駐車場に止めれたらの思いで車を進めた。臨時駐車場が出来る付近へ着くと、伏見稲荷の方向へ入って行ける雰囲気、それではと進めて行くと伏見稲荷の前を走る府道201号へ入って行く事ができたものの渋滞の車列の中へ自然と巻き込まれていった。まぁここまでは予定範囲内と言ったところであわてず車をノロノロと進めて行った。途中タイムスの駐車場が出てきたが満車(摩ぁ当然)その内伏見稲荷の入口までやって来たが、このまま行くと通り過ぎて駐車場を探さなくてはいけないかもとチョイト心細くなってきた。と、入口までやってきたら伏見稲荷の駐車場へ交通係員が手招きしていてくれる(^_^)vラッキーの思いで伏見稲荷の駐車場へ、それも無料の駐車場!!で無事伏見稲荷へ到着。
駐車場のナンバーを見ていると他府県ナンバーばかり、やはり商売の神様の総本山・・・神社の場合は総本社と言うらしい・・・だけあるな~と感心。
駐車場の隣にある、宿泊と御食事処の参集殿から放送で、お食事のお越しをお待ちしていますと鳴り響いていたので、帰りに狐うどんとお稲荷さんを食べて帰る事にして、稲荷山目指して出発した。
見出しの、鳥居の後ろに見える桜門は豊臣秀吉が寄進したものらしい。
くぐって行くと外拝殿
伏見稲荷・2017・1 003-1e
伏見稲荷へ始めて来た時は、ここが本殿だと思いお賽銭を入れて、そのうしろに在る本殿にも賽銭を入れていた。
   伏見稲荷・2017・1 005-1t
本殿向かって右横に在る神楽殿では巫女さんが舞をしとられました。その様子を写そうとカメラを向けると警備員さんがプラカードのように撮影禁止の看板を高く掲げてこちらを睨みつけられ撮影はボツとなりました。
巫女さんの、白と朱の巫女装束(と言うらしい)誰が着て踊ってもお美しく見えます(踊り手の巫女さんが決して○○だというのではアリマセン)
で、その代わり本殿でのお祓い儀式前の様子をお届け
   伏見稲荷・2017・1 007-1y
お祓いするのに多くの神主さんが出て来られたのにはビックリ、天橋立の籠(この)神社では一人の神主で執り行われていますので神社変われば仕様も違うようです。
本殿の後ろにも
    伏見稲荷・2017・1 008-1u
イロイロな神さんが祀ってあります。
次の目的地、3年間我が家に掛けてあった「お札」を返納しに
   伏見稲荷・2017・1 011-1i
本殿左後ろの石段を上り詰め左に行ったところに
    伏見稲荷・2017・1 012-1o
納札所に3年間のお礼を心の中で唱えていよいよ稲荷山へ
  伏見稲荷・2017・1 016-1p
いよいよ有名な千本鳥居の前鳥居へ入って行きます。
伏見稲荷・2017・1 020-1a
雨降りで皆さん傘をさしてのお詣り、鳥居の中は一列に並んで進んで行かなければなりません。この大きな鳥居の奉納金額はなんと○○○万円するそうです。どうりで鳥居の後ろには奉納された方の名前が入っていましたが、会社の名前ばかりです。
大きな鳥居を抜けると
   伏見稲荷・2017・1 021-1s
千本鳥居と言われている鳥居群に突き当たります。右から入って左に出て来るのですが、たまに逆に進む人もおりました。
出て来ると
   伏見稲荷・2017・1 023-1d
ここで引き返す人には、上に大きな横断幕で右側通行してくれと書いてあります。我々はさらに上を目指します
   伏見稲荷・2017・1 024-1f
場所によっても鳥居のお値段は違うそうです
    伏見稲荷・2017・1 029-1g
熊鷹社のところの、稲荷山中腹にある新池に出ました。
    伏見稲荷・2017・1 030-1h
池に向かって社が建てられています
   伏見稲荷・2017・1 032-1j
その横に、ロウソクをお供えするところが有り
   伏見稲荷・2017・1 034-1l
何を思ったのか、連れ合いも一番小さいロウソクを奉納していた。・・・何の神さんか分っているのかな(?_?)
   伏見稲荷・2017・1 033-1k
この中のどこかに有るはず。『情報では、参拝後池に憲向かって2回拍手するとコダマが早いと願い事が早く叶との事
さらに石段は急になって行きます
   伏見稲荷・2017・1 037-1z
鳥居は続いておりますが、中には
   伏見稲荷・2017・1 035-1x
台座だけのとこもありましたが、立てておく期間が有るのかも、鳥居の後ろには奉納した時の年月日が書いてありましたが、古い物から新しい物までマチマチ順不同で立っていました。
     伏見稲荷・2017・1 035-1x
地名で言うと四辻という所で、ここからも右回りで一周するとここに出て来るようで、      
    伏見稲荷・2017・1 044-1c
順路通り登って行きます。数ある末社の中の一つ「三の峰・下社」白菊大神の社です
   伏見稲荷・2017・1 046-1b
祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまおおかみ)という稲荷大社の御祭神と同じらしい。
また、明治時代にこの地から変形神獣鏡が出土したそうで、古代との関係も深いとの事
神社が余りにも多く、気付いたところだけ写しました。
次に写したのが、間の峰・稲田社を通り越して(写さず)「二の峰・中社」青木大神の社です 
    伏見稲荷・2017・1 047-2q
祭神は青木大神だそうで情報では神話にも出てくる猿田彦大神(佐田彦大神)とも言われるお導きの神様らしい
そしてルートの頂上に有る「一の峰・上社」末広大神の社デス
    伏見稲荷・2017・1 049-2r
商売繁盛の神さんの様です。我が家も末広の商売繁盛を願ってロウソクのお供え
   伏見稲荷・2017・1 050-2t
こちらも
   伏見稲荷・2017・1 052-2y
これが本殿か・・・な?
   伏見稲荷・2017・1 055-2u
そして下りに入って行きます。
下りは、数ある神社をスルーして目指す「薬力社」に到着
   伏見稲荷・2017・1 061-2i
その左には、正規のルートの中で修業の滝「薬力の瀧」が有ります。鳥居をくぐって行くと
    伏見稲荷・2017・1 062-2o
石畳の周りには
    伏見稲荷・2017・1 072-2s
奉納されたものかイロイロと置いて有ります。その奥に
   伏見稲荷・2017・1 071-2a
行場が有り、この水が湧水で薬力の御神水と思い、ちょうど賽銭の回収に3人ほどの人がおられたので尋ねてみると飲めないとの事、湧き水ではなく沢水であると言われた。水源が気になったので行って見る事に
    伏見稲荷・2017・1 069-2s
裏にまわれる小道があり、進んで行くと
   伏見稲荷・2017・1 066-2d
沢水か伏流水か判らないが、水溜が作られてたまった水が滝に使われていた。御神水が無ければ『この水を御神水にしてやろうと』ペットボトル3本のうち2本に水を入れて帰る事にした。入れ終えてさらに奥へ探険へ行ってみると
    伏見稲荷・2017・1 068-2f
行き止まりで、ここにも鳥居が奉納してあった。結局この時点まででは御神水は見つからなかった(?_?)
で、本来の「薬力社」の社の方へ移動した。
   伏見稲荷・2017・1 065-2g
「薬力の瀧」の行場から一段下りた所に在り、本殿入口に
   伏見稲荷・2017・1 074-2j
薬力さんのご神水でゆがく「健康たまご」1ヶ80円  外人さん用に¥80YENと書かれてあった。その奥が
   伏見稲荷・2017・1 075-2k
「薬力さん」 が祀ってある社ですが、その横に昔ながらの「がっちゃんポンプ」(我が地域では昔この様に呼んでいた)が偶然目に付いた
   伏見稲荷・2017・1 076-2l
ご神水ご入用の方は、お店へ申しで下さい。  薬力亭   と書かれてあった。やった~ぜ、薬力社(薬力大神)はそっちのけでお店の方へ、店内に入ると「健康たまご」と並んでメニューにご神水で点てたコーヒーと書いてあった、水だけもらうのも気が引けたので、コーヒーを注文してご神水を戴きたいと申し出ると、気良く入れ物を持っていたら出してくれれば奥で入れてきますと、残り1本のペットボトルに「ご神水」を分けてもらった。そして店の前の茶店風の縁台に腰を掛けて、しばしのコーヒータイム(*^_^*)
   伏見稲荷・2017・1 078-2z
相方さんは美味しいコーヒーだったと(*^^)v目的も遂げて、後は帰るのみ、帰りは・・・
   伏見稲荷・2017・1 081-2v
大事な所は、
    伏見稲荷・2017・1 079-2x
山上の祈祷所の歴史は
   伏見稲荷・2017・1 082-2b
御膳谷神蹟:ここは稲荷山三ヶ峰の北背後にあたり、往古(むかし)はこの地に御饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があり、三ケ峰の神々に神供をしたところと伝えられています。
現在では祈祷殿において毎日朝夕お山の神々に御日供をお供えしています。
毎年一月五日の大山祭には故事にもとづいて斎土器(いみどき)に中汲酒を盛り「御饌石」(みけいし)と呼ばれる神石の上に供進されます。
         伏見稲荷大社社務所
   伏見稲荷・2017・1 083-2n
まだまだ赤い鳥居は続きます。 
ここで伏見稲荷の起原についての記述を、ウィキペディアから拾ってきたのを載せておきます。長いので関心のある方はお読みください。   
歴史[編集]

「秦氏の祖霊として創建」の縁起[編集]

「イナリ」の縁起としては『山城国風土記』にあったとされるものが有名である。


風土記に曰はく、伊奈利と稱ふは、秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)等が遠つ祖、伊侶具の秦公、稻粱(いね)を積みて富み裕(さきは)ひき。乃ち、餅を用ちて的と為ししかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山の峯に居り、伊禰奈利(いねなり)生ひき。遂に社の名と為しき。其の苗裔(すゑ)に至り、先の過ちを悔いて、社の木を抜(ねこ)じて、家に殖ゑて祷(の)み祭りき。今、其の木を殖ゑて蘇きば福(さきはひ)を得、其の木を殖ゑて枯れば福あらず。[注 2]
— 逸文『山城国風土記』
(大意)風土記にはこうある。イナリは秦中家忌寸[注 3]などの遠い祖先の秦氏族「伊侶具」は、稲作で裕福だった。ところが餅を使って的として矢を射ったところ、餅が白鳥に代わって飛び立ち、この山に降りて稲が成ったのでこれを社名とした。後になって子孫はその過ちを悔いて社の木を抜き家に植えて祭った。いまでは、木を植えて根付けば福が来て、根付かなければ福が来ないという。
この秦氏について、もともと山城国紀伊郡深草近辺に在住していたことが見え(「秦大津父」『日本書紀』欽明紀)、また、

「弘法大師が出会った竜頭太」の縁起[編集]

『稲荷大明神流記』[注 5]などにはこうある。


稲荷大明神流記 眞雅記云ゝ
弘仁七年孟夏之比。大和尚斗藪之時於紀州田邊宿遇異相老翁。其長八尺許骨高筋太内大權氣外示凡夫相。 見和尚快語曰「吾有神道聖在威徳也。方今菩薩到此所弟子幸也」。和尚曰「於霊山面拝之時、誓約未忘此主他生、形異心同。 予有秘教紹隆之願。神在仏法擁護之誓、諸共弘法利生、同遊覚台。 夫帝都坤角九條一坊、有一大伽藍、号東寺。為鎮護国家、可興密教霊場也。必々奉待々々而巳」。 化人曰「必参会」。守和尚之淘[注 6]命等云々。 同十四年正月十九日。和尚忝賜東寺。為密教道場也、因之請来法文曼荼羅道具等、悉納大経蔵畢。 其後同四月十三日、彼紀州之化人来。 臨東寺南門。荷稲提椙葉、率両女二子矣。和尚歓喜、授与法味、道俗帰敬、備飯献果。 爾後暫寄宿二階柴守、其間点当寺杣山。定利生勝地。 一七ヶ日夜之間、依淘[注 6]鎮壇法示荘厳。 額然而円現矣、為後生記綱目耳。

— 『稲荷大明神流記』
(大意)弘仁7年(816年)4月頃、紀州国の熊野で修行中の空海(弘法大師)は田辺の宿で常人とは思えない老翁に出会った。身の丈は八尺[注 7]、立派な体躯で威厳が感じられるが、それを表に出さない顔立ちだった。その老人は空海に会えたことを喜んで語った。「自分は(以前そなたに会ったことのある)神である。そなたには威徳がある。私とともに修行して弟子となるがよい」空海は答えた。「霊山であなたに会った時の約束は、たとえ見かけが変わろうと心は同じであり、まだ忘れていません。私は密教を広めたいという願いが有ります。あなたには仏法でそれを守ってくださるようお願いします。京の都の西南の方角の九条というところに東寺という大伽藍があります。ここで私は国家を護るための密教を興すのです。この寺でお待ちしておりますので、必ずお越しください」。睦まじく語らい合って約束を交わした。弘仁14年(823年)正月19日、空海は東寺を賜って道場を開くため法文や曼荼羅、道具等を運び、経蔵を納めて真言の道場とした。この年の4月13日、紀州の神が東寺の南門にやってきた。神は椙(すぎ)の葉を持ち稲を担ぎ、2人の婦人と2人の子供を連れていた。空海は大喜びで崇敬の心で一行を食事や菓子でもてなし、周りもこれに倣った。しばらく一行は八条二階の柴守(しばのかみ)の家に留まり、その間に空海は東寺の杣(すぎ)山に17日間祈祷して神に鎮まっていただいた。この事が現在まで伝わる由縁となっている。
また、東寺に伝わる『稲荷大明神縁起』[注 8]では


或記伝、古来伝伝、竜頭太は、和同年中より以来、既に百年に及ぶまで、当山麓にいほりを結て、昼は田を耕し、夜は薪をこるを業とす。其の面竜の如し。顔の上に光ありて、夜を照らす事昼に似り、人是を竜頭太と名く。其の姓を荷田氏と云ふ。稲を荷ける故なり。而に弘仁の比に哉、弘法大師此山をとして難業苦業し給けるに、彼翁来て申し曰く。我は是当所の山神也。仏法を護持すべき誓願あり。願くは大徳常に真密の口味を受け給ふべし。然者愚老忽に応化の威光を耀て、長く垂述の霊地をかざりて、鎮に弘法の練宇を守るべしと。大師服膺せしめ給ひて、深く敬を致し給ふ。是以其面顔を写して、彼の神体とす。種々の利物連々に断絶する事なし。彼の大師御作の面は当社の竃戸殿に案置せらる。
— 『稲荷大明神縁起』
(大意)ある書物では、100年の昔の和銅年間から竜頭太という者が稲荷山の麓に家を構えて住んでおり、昼は田を耕し、夜は山に入って薪を求める仕事をしていた。その顔は龍のようだった。頭の上に光放つものがあり夜でも昼のように明るかった。姓は荷田、名は竜頭太といった。これは稲を背負っていたからという。(中略)空海はその顔を面に写し神体として祀り、それからは収穫が絶えることがなくなった。この面は東寺の竃戸殿に祀ってある。
とあり、当時伏見稲荷大社の社家であった荷田氏の出自を述べていて、社家が秦氏の出身としている。社家の荷田氏は、「和銅年中、初めて伊奈利三ヶ峰の平処に顕坐してより、この神は、秦氏人等が禰宜・祝として春秋の祭りに仕えた」[7][8]。伝統的な社家には、この秦氏を出自とする荷田氏、西大路氏、大西氏、森氏などがいる。なお、東寺が空海(弘法大師)作という面を竃戸殿に置いた由来についてここでは述べられていない。

この当初の伊奈利(稲生、稲成:「いねなり」が由来とも)が「稲荷」と表記されるのはこれらの縁起からである。

帰りの道すがら写した写真は少し変わったものを撮ってみました。
古めかしい社が林立する通り
   伏見稲荷・2017・1 084-2m
麓に下りて来て、急に派手な宗教法人
    伏見稲荷・2017・1 085-3q
千仏像(百かも)の・・・
   伏見稲荷・2017・1 086-3w
この辺に来ると本殿に近づいてきたのか人通りも増えてきた。
   伏見稲荷・2017・1 087-3e
そして本殿横の社務所が見えた・・・
      伏見稲荷・2017・1 088-3t
あ~長がった\(^o^)/
最後に社務所で家内安全・商売繁盛おお札さんを二千円を奉納していただき、待ちに待った「きつねうどんと稲荷寿司」を食べに直行しましたというお話でした。ハイ、おわり
かくして我が家の工場では
    2017・130松尾神社 051-1q
商売繁盛を見守ってくれています。その下は、十日恵比須の熊手であります。こちらは毎年もらいに行っています。

独断と偏見の水評価は
現地で飲んだストレートの水はスカッーとしたのど越しの良い水でした。コーヒーにして飲んだ感想は、最後少し苦みが残る感じで、これが薬と一緒に飲むと効きが良いのでは(?_?)
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした。   
詳しい場所は


  
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NO217:脇川・教海寺の「念仏水」

   三木市地蔵水 115-1q
                【黒滝】
2017年・初湧水取に三木市の脇川という所に在る「念仏水」を探しに行ってまいりました。
正月三ヶ日も過ぎた4日、吾輩は5日まで正月休みの為暇を持て余しふらりと一人出発。
三木市のHPで「念仏水」の情報を入手、場所の地図もおおまかに記憶して現地山陽道・三木東ICで下りた。
吾輩のカーナビの住所には「脇川」の地名が入ってない(~o~)三木東ICから北へ進んで「教海寺」をカーナビの地図上に出るのを探しながら走っていると、住所には出ていなかった「脇川」の地名が画面上に出てきたので、その周りを走り「教海寺」を探すことにした。この辺りは丘陵地の様な地形で、高い山は見当たらずゴルフ場がそこかしこに有るような雰囲気の中を走っていると
   三木市地蔵水 035-1w
脇川山教海寺の案内石柱が偶然目に入った。ここに至るまで約30分ほど走り回っていたので、これで行ける!と安堵!!
左に曲がり、細い道を勘を便りに進んで行く
   三木市地蔵水 031-1e
道の分かれに差し掛かった所を、コレマタ勘を便りに人家が有る方向左に入って行った。これも「教海寺」は集落の近くにあるカモの思いで行ったのであった。
   三木市地蔵水 030-1r
人家の中をゆっくり走ってもお寺らしきものが無く走り抜けてしまった。で、さらに進んで行くとそこに
    三木市地蔵水 022-1t
どうも「念仏水」の場所のようだ、その脇には
   三木市地蔵水 020-1o
教海寺 念仏水 弘法大師ゆかりの史跡とかいた掲示板が立ててあり、とりあえず教海寺がどんなところかお参りしてから「念仏水」は汲む事にしてそちらの方へ
   三木市地蔵水 001-1u
小ぶりではあるが立派な門構えである。お参りをしようと中を覗いて見ると
   三木市地蔵水 003-1i
お寺の庫裡(家族が生活する場所)の様で賽銭を入れるとこもなかったので迷惑になると思い退散
教海寺:ウィキペディアから『峰相記』にも記述のある古刹。

寺伝では白雉2年(651年)、法道仙人によって開基された。 延暦14年(795年)、当寺で空海が三年間修行したことから、寺号を「教海寺」とした(空海は一時教海とも名乗っていた)。

中世を通して、坊舍四十八坊寺領の50石があったが、天正8年(1580年)三木合戦の時、兵火によって焼かれ、焼失した。伝承では、三木合戦で籠城中の別所長治軍に教海寺の寺僧は城内の兵を助けるために、米を詰めた竹筒を美嚢川支流の脇川に流し、羽柴秀吉軍の目を盗んで三木城に送ったが、竹筒の栓に、同寺周辺にしかないコウヤマキを使ったため送り主が発覚し、寺は焼き打ちに遭ったとされる[1]。

のち、檀家らの熱心な寄進により、徐々に再建が進み元和元年(1615年)、大師堂が建立された。
という由緒あるお寺であった(後で解った)、この場所から離れた所に本堂も在るそうな。

引き返そうとすると
   三木市地蔵水 004-1p
「大師みころもの滝道」石柱が目に付き、どんな滝が有るのか気になって、危険につき階段を下りないでください という注意書きを、自己責任と見なかったことにして下って行った。
   三木市地蔵水 005-1a
以外に階段が伸びていた
   三木市地蔵水 007-1s
怪しげな雰囲気の漂う場所である。そこには不動明王の石像が安置してあった
   三木市地蔵水 010-1f
不動明王は滝とか、池とか水回りの所に祀ってある事が多いい。どうもここが滝の場所らしい。
   三木市地蔵水 013-1g
上からは湧水の雫がポタポタと落ちているだけであった。あと、周囲を探しても本格的な滝らしいものは見当たらず引き返して行った。
三木市地蔵水 016-1h
「念仏水」のお堂のある境内の全景ですが、そこに「念仏水」のイワレの説明が掛けてあった
   三木市地蔵水 025-1j
念仏水のいわれ
 :この水は弘法大師(空海)が教海と名乗り又修行僧の頃、この地を訪れ、旅の疲れに喉を潤したいと、この地のお年寄りに水を所望した、当時、何物にもかえがたい大切に取っておいたカメの水をこころよく差し出したと言われる。
 この老婆の親切に大師はこの地に枯れる事のない清水の湧水をお礼にと考え、持っていた錫杖で山裾の凹みを突き刺しました。この地から湧き出た清水が現在においてもこんこんと湧き出ている。
 現在に至っても枯れる事のない湧水で、この地の田や畑は潤っている。
            脇川山 教海寺
それがこちらの清水であります
    三木市地蔵水 023-1k
奥の穴からこんこんと、その上には
   三木市地蔵水 026-1k
念仏井
念仏を唱えるよ・・・・
水泡立ち上がり・・・
願望成就す・・・
弘法の井戸と伝はる・・・
清水かな・・・
三木市のHPでは、「この井戸に念仏を唱え、井戸底より泡が湧きあがる者には願いが叶うとも言われている。」と書いてあります
   三木市地蔵水 029-1l
そして、いつもの癖で井戸を覗いて見た
   三木市地蔵水 028-1z
年代を感じる石垣作りの井戸であったが、念仏「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華教」のどちらを唱えれば御利益があるのか分からず両方を唱えてみたが、何の音さたもなく「今年も運が付かないものか」と諦めて、先ほどの流れて来ている湧水を汲んで帰宅の途についた。しかし、後で思ったことだが、弘法大師の真言宗に念仏と言うものが有ったのか(?_?)、「南無阿弥陀仏」は浄土系、「南無妙法蓮華教」は法華系と言われているが、どうゆうこっちゃろう?まぁいつもの日本人の宗教観なのだろう。良くも悪くも(~o~)

帰りは中国道の入口吉川ICの近くに黒滝という変わった滝が有るそうなので寄ってから帰る事に、寄って吉川ICへ向けて車を走らせていたら
   三木市地蔵水 044-1x
竹中半兵衛陣地跡」の標識が目に入った。チョイト寄ってみるかと山道へ
    三木市地蔵水 051-1c
駐車場がないので道の脇に車を置き石段を登って行った
    三木市地蔵水 061-1v
50mほど登ってもさらに続いている。着いたところが
    三木市地蔵水 067-1b
これだけのモノ。見晴らしも悪く期待外れ((+_+))
    三木市地蔵水 070-1n
(伝)竹中半兵衛陣所跡(平井村中村間ノ山付城跡)
所在地:三木市平井・細川町細川中
 幹合戦の際、秀吉本陣の北側の守備を担っていました。南西に三木城を望みます。
 城主は「播磨鑑」・「別所軍記」によると、秀吉の軍師である竹中半兵衛とされています。
 土塁に囲まれた主郭は、東西15m、南北11mの長方形を呈しており、南側には虎口(出入口)を設けています。
 主郭の北東面は、土砂崩れによって切り立った崖になっています。北西斜面には帯曲輪状(主要な曲輪の周囲に配置される細長い曲輪)の平坦地が見られます。
平成26年3月 兵庫県三木市教育委員会
 
次なる目的地「黒滝」に向かっていると乗馬をしている姿が目に入った
   三木市地蔵水 074-2q
・・・が、通り越してしまったので再度引き返して写した写真デ~ス。
ソコの乗馬クラブから
    三木市地蔵水 075-2w
全日本障害馬術2016
2名出場 田中選手6位入賞
全日本ジュニア障害馬術大会2016
3名出場      KTステーブル
そう言えば歌手の華原朋美ちゃん、馬術の国内大会「ジャパン オープン」で優勝したことを思い出した。彼女、苦労の連続の人生を乗り越えての今回の快挙、これをきっかけに人生もいい方向で歯車が回って行くように祈りたい心境です。
帰りがけ、馬小屋からは
   三木市地蔵水 085-2e
二頭の馬が見送ってくれました。
   三木市地蔵水 086-2t
着いた先は「黒滝」
この名所、近くの道を走っていても入口が判らず、グルグル舞をしてたどり着いたところが対岸の農地、よ~く見れば農地対岸には立派な公園らしき設備が、おそらく写真写りもそちら側の方がよかったのではと、
     三木市地蔵水 117-2y
この「黒滝」どこでもある「堰」の風景とさほど変わらない、まあ堰がコンクリートでできているのではなく原石でできている所に値打ちが有るもの由縁だと思う。
   三木市地蔵水 108-2i
【話そうはりま・姫路河川国道事務所HP参考】
くろたき
黒滝
■河川名
美嚢川
■所在地
吉川町 金会 ■参考文献 「ひょうごランドスケープ100景」
神戸新聞総合出版センター
発行/山崎 修
「吉川町勢要覧」吉川町
町提供資料
川、水との関わり(アピールポイント、その他)
民話が残る滝。

神姫バス「二瀬川」下車徒歩5分 概要
「黒滝」は、緑豊かな丘陵地を流れる美嚢川にかかる滝で、町内一の景勝地です。
敷石のように大きな一枚岩に、水がすだれ状に落ちるこの滝は落差4m・幅30mで、川幅いっぱいに広がる横長の珍しい姿をしています。
また、この滝には「万八狸とお万狐」という民話が残っています。キツネとタヌキの化かし合いの話で、タヌキが田植えの時期を利用して、自分の術で辺りを水田に変えたかのように自慢したところ、負けたと思い込んだキツネは、水田を荒らし村人にこらしめられてしまうというものです。万八狸は、その後も滝つぼの岩の上で美しい娘になって糸車をまわしたり、小僧になって丸木橋を渡る人の手を引いたりして、村人から感謝され、今も滝のかたわらに「万福大明神」として祭られています。
また、県道西脇三田線側から滝を望むと、いっそう素晴しい眺望が楽しめます。

近畿地方整備局のリンク・著作権、免責事項を読んだうえで使用させて頂きました。

これにて、今回の湧水探訪のドライブは終了いたしました。

「念仏水」の独断と偏見の水評価は、
日本的硬水の味がする水であった。程よいコク、まろやかさのでる水で、後味もすっきり。惜しまれるのが、我が家ではこの感覚が長持ちしなかった事ぐらい。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (*^^)vデスタ。

詳しい場所は


 

NO216:菅野の清水

   伊根の湧水 088-2t
府道57号線を戻り、
   伊根の湧水 091-2u
伊根湾側から見た標識で、左へ入って行くと・・・集落の入口に上記の滝が有ります。案外立派な滝ですが水量は小川程度
    伊根の湧水 083-2i
小川の横を進んで行くとスグ菅野集落に着きます。
   伊根の湧水 065-2o
伊根町の集落としては多いい方だと思います。この村中に入るとこに
伊根の湧水 076-2s
湧水らしき小屋が有ります
   伊根の湧水 078-2p
実は、数年前にも菅野には湧水を探しに来ていたのですが、その当時はこんな立派な小屋ではなく、さびれた小屋の中に水たまりが有り、水槽の底には泥や蜘蛛の巣が張っていてもらって帰りたい代物ではなかった所が
   伊根の湧水 081-2a
置物も整理整頓され
    伊根の湧水 080-2a
水槽もきれいに作り替えられている様子、しかし、水は相変わらず動きがなく気が進まないモノであった。また、情報元の「菅野の清水」は菅野集落から丹後縦貫林道へ抜ける林道にエスロンパイプから湧水が出ているものであったので、この場所ではないはず、そちらの方に車を向けて行く事にしたが、此の場所は、菅野集落の大事な関わりのある井戸なのだろう。
集落のはずれから道が分かれ、
   伊根の湧水 074-2d
左は集団墓地、
     伊根の湧水 075-2f
右にとりあえず進んでみるとスグ
   伊根の湧水 070-2h
情報元のパイプから水が出ているという所が出て来た。しかし
   伊根の湧水 068-2j
今ではパイプが詰まり、水も岩をつたって下の水槽に流れている。山肌はと言うと
   伊根の湧水 067-2j
竹藪も荒れ放題、その中から水は流れて来ている。沢水ではないと確認して
   伊根の湧水 066-2k
泥が堆積している水槽から、2本もらって帰る事にした。このような水は必ず煮沸してから飲むように心がけている次第です。
この先縦貫林道へ
    伊根の湧水 071-2z
行かずに帰ってきました。
京都府無形文化財「菅野の祭り」
       

独断と偏見の「菅野の清水」の水評価は
「河来見の清水」と同じく、日本的軟水の味であったが先入観からか泥の臭いのような風味がしたような、しない様な・・・という訳でー1として
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vにしました。  
詳しい場所は
  
   

NO215:伊根町の「河来見の清水」

    img132-11.jpg
ちょっとしたことから「伊根わがまち歩き」なるパンフを入手。
「ゆっくり観光の会」が出しているツアーパンフ、その中の第9回「薦池大納言と河来見の名水」を発見!
今まで知らなかった名前ではなかったが、その時は「野村の名水」と勘違いをしていたため探すことを断念(?_?)
コンセプト:「広がる、深まる」
舟屋で知られる伊根。
でも、ちょっと寄り道してみると、気になるものがあちこちに。
歩いた事のない道、見たことのない風景、聞いたことのない歴史・・・。
今年は伊根の楽しみ方が広がり、深まる、そんな旅をご用意しました。

地元の方にも遠方の方にもお楽しみいただけます。是非、ご参加ください。(2016年)

「ゆっくり観光の会」とは?
住民と、小さな事業者による住まう町を良くする、強くするまちづくり。
それが「伊根浦ゆっくり観光」です。
「ゆっくり」とは、住民が無理なく長く続ける、観光を利用したまちづくりを優先する姿勢を表します。また、ほかにない伊根の魅力に惹かれて「ゆっくり」過ごす新しい観光スタイル提案の意味を重ねます。
    img135-22.jpg
第9回「薦池(こもいけ)大納言と河来見(かわくるみ)の名水
幻の小豆を求めて、山間の集落・薦池へ。小豆の収穫後はお隣の村、河来見においしい湧水を汲みにいきます。御帰りの際は幻の小豆を1パックプレゼント。
   日  時:2016年11月12日(土)10:00~13:00
  集合場所:浦嶋公園駐車場(伊根町本庄浜111-1)
 参 加 費:3,000円(昼食代、ガイド代、お土産代)
   定  員:20名

2017年度版
  第11回*【そば打ち体験と筒川散策】2017年2月25日(土)10:30~14:00
  第12回*【布引の滝登山と浦島伝説】2017年3月25日(土)11:30~14:00
お問い合わせ:伊根浦ゆっくり観光の会【0772-32-0277】

ツアーガイドパンフの絵地図をもとに出発(^_^)/
とりあえず河来見へ湧水を探してから薦池集落へ行く事にした。
河来見集落へは府道から脇道へ、智足院をめざし
   伊根の湧水 041-1q
この門前を右へ進んで行く
  伊根の湧水 040-1w
山間の道を、時として
   伊根の湧水 001-1t
獣の檻が仕掛けてあったり
   伊根の湧水 038-1e
だいぶ走ったなぁ~と思う頃山肌に張り付くように家並みが・・・
   伊根の湧水 028-1r
中には、日本の過疎化の実態も
   伊根の湧水 035-1t
狭い道を行ったり来たりで湧水らしきものがあった(*^^)v
   伊根の湧水 027-1u
パイプから出て来ているという事は水源が有るはず、できるだけ元の水が頂きたい。で、奥の方をを見ると
   伊根の湧水 026-1i
それらしきブロック小屋が見える。ペットボトルを持ってそちらへ行くと
   伊根の湧水 024-1o
小屋の奥から水が勢いよく出て来ている。
    伊根の湧水 005-1p
周りの雰囲気から、比較的手入れが行き届いているように見受けられ、集落の上水道に利用されている模様。汚れを入れないように持ってきた片手鍋で汲んでペットボトルに入れていると、何かのはずみでボトっと水槽の中に落ちてしまった。これはヤバイとすぐ拾い上げたが、吾輩の手の汚れは内緒にしておこう(^_^;)・・・と、水槽の底に何やら動くではないか(?_?)
    伊根の湧水 004-1a
よ~く見ると沢蟹がたむろしている。おお!水の主様ダ\(^o^)/ てんぷらにして食べたら、美味しいだろうな~と思ったこともナイショにしておき。
無事汲み終え薦池集落へ、行っても別段何もないと思うが、できたら幻の大豆・薦池大納言の一辺でも触れられれば・・・と思い
伊根の湧水 060-2w
府道57号をさらに奥に進み、分岐を左へ入り
   伊根の湧水 049-1x
道なりへ進んで行くと
   伊根の湧水 047-1c
右の崖の上にお地蔵さんが迎えてくれます
   伊根の湧水 048-1v
何の意味があるのか分からないが、歓迎してくれていると勝手に思いさらに進んで行くと
   伊根の湧水 045-1b
町営バスの停留書「薦池」が出て来た。
   伊根の湧水 046-1n
河来見集落より小さめで、戸数としては10件ほどの村であった。ここも生まれて初めて足を踏み入れた所である。伊根町も奥が深い町である。
時間も少し余裕があったので、もう一ヶ所湧水をもらいに行く事にして、引き返して行った。途中
   伊根の湧水 058-2q
幻の大豆「薦池大納言」の茎かも、大豆の収穫はもっと早いのでわ~(?_?)(12月現在)遠方の山並みからは
   伊根の湧水 052-1m
一枚羽のボジレタ風力発電基が見えていました。

独断と偏見の水評価は、最近軟水と硬水の味利きが判るようになり、今後日本的軟水、硬水と書いていきます。本当の硬水は?きついとエグクなるので、(誰かが、日本には硬水はないと書かれていたような、いない様な・・・・)
河来見の清水は、水からの味の変化が少ない日本的軟水の水で、美味しく喉越しの良い水でした。このような水の方が本来のコーヒーの味が楽しめるのかも(?_?)
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v   
詳しい場所は

新春明けましておめでとうございますm(__)m

1017年初日の出-1q
      2017年:初日の出
       お年玉(私の健康法)
      歯槽膿漏の出血の対処法
昨年の冬と秋、歯槽膿漏が悪化して歯茎からの出血がひどくなり、歯磨きの時だけでなく仕事中にも出血するようになり、三大成人病を抱えている吾輩としては非常に精神的に落ち込んでしまいました。
歯磨きは以前からアセスを使用していましたが、歯磨きをしている時の出血は完全には改善されず、まぁ以前の歯磨きよりましになったか・・・くらいの使用内容でした。
ところが昨年の冬前、書きだした症状が出て来てこのままではマズイと思い、薬局で探した液体アセスを一日三回グジュグジュと口内を洗浄しだし、液体アセス二本目ぐらいで出血が止まり、その時は症状も収まったのでグジュグジュは終わりにしました。
それがこの夏過ぎ再発してしまい、今回は他メーカーのグジュグジュを試してみる事に、しかし歯茎の張れは収まりましたが二本目のボトルでも、出血は完全に止まり切らず、再度液体のアセスを使ってみる事にして、一日3回グジュグジュをする中で2本目ぐらいから症状が改善して来て、徐々に一日3回から2回へ減らしても、歯磨きするとき以外は完全に出なくなり、さらに1日一回夜寝る前の歯磨きした後にグジュグジュ続けて現在に至っていますが、歯磨きしている時も出血は少なくなり、それ以外の時は完全強調文に改善されました。以後1月以上経過していますが良好に推移しています。
尚、歯磨き粉は現在でもアセスを使用していますが、歯茎が腫れた時は、粉を指に付けて腫れた所をマッサージすることで収まりますので、今でも使用しています。

注意:人それぞれ体質が違いますので、試してみて約3か月しても症状が改善されない時は保証するものではアリマセン。

NHKの試してガッテンでは、「ガッテン口内フローラを整える」番組内で、別の方法「緑茶うがい」を紹介していました。
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