NO211:揖斐川町の二本杉親水広場の「地蔵名水」(仮)

春に行けなかった岐阜県と福井県の県境にある夜叉が池(福井県側)に行ってきました。

岐阜県側からは、こんな険しい絶壁をよじ登る風光明媚な登山でした。(天候はイマイチでしたが)
夜叉が池に行くには、福井県側からと岐阜県側から行くルートが有りますが、福井県側からは、登ってきた知り合いが「えらい山登りで二度と行きたくない、また、みるとこがないコース」という事で福井県側からは却下(^_^;)で、岐阜県側から計画をたてました。
当然近くに湧水を汲むとこがないか検索、本来なら登山コースに在るのがベストなのですが、ち~と離れた、揖斐川町日坂近辺に在るであろう「清水川」に寄る予定で出発しました。
当日は、前日夜から前線が本州を横切る雨模様(+o+)決行かどうか朝方決める事に、朝5:00起きても雨は降っていた。
しかし、天気予報の雨雲ズームレーダーでは、現地の様子では10時ごろには前線が通り過ぎて雨雲も無くなっている感じであった。
我が家から現地駐車場までは3時間の予定でしたので、AM7時30分ごろに出ればよかろうという事で出発する事になった。
滋賀県の木之本に降りたのが9時過ぎ、そこから国道303号線へ入り坂内川上地区から登山道へ向けて9時半ごろ入って行った。
まぁ、遅く行けば遅いほど天気の回復も良いだろうと、最初の寄り道

脇道へ入るや、夜叉龍神社なるモノがでてきた。ソコには

夜叉龍神社 イブ側丁坂内川上 字地蔵平
夜叉が池に最も近い人里であるここ川上の地に、池の守護 高龗神(こうらいじん)を奉斎する社である。
正保四年(1647年)に大垣藩主戸田氏鉄公により創建され、その後大垣藩領治水の鎮守として歴代藩主の崇敬篤く、時々の修復建て換えも藩の奉献に依っている。
明治28年(1896年)ナンノの大崩壊の折神霊を長昌寺に祀り 後八幡社境内に遷して高雷神社と称す。
昭和9年(1934年)揖斐川電工株式会社(現イビデン株式会社)川上発電所を開設するに際し、この地蔵平の故地に本神社を復興した。
水の恩恵に謝し村と会社の平安隆盛を祈願する意に発する夜叉姫伝説ゆかりの宮であるこの近辺にはいくつかの話題の地点がある。

立派な境内にしては、少し小さめな祠。そして、もう一つの立て看には

岐阜県十勝遊覧地投票入選(45,348票) 夜叉が池
右者 本社主催岐阜県十勝遊覧地投票に際し、前記の成績を以って入選せらるたるは畢意本県の名勝として誇り得る特色を有し汎く江湖に喧伝せられつつある結果に外ならず 仍て本社は 右土地に十勝中の一勝地たる標柱を建設し之を顕彰すると共に併せて永久に其栄誉を保持するに努められん事を望む
昭和8年5月14日 岐阜日日新聞
さらに進んで行くと

夜叉が池 入山記帳所なる公園らしきところが見えてきた。

トイレの横の方に登山届と下山届の用紙が置いて有り記入、その近くには

ナンノ谷崩れ100周年・床固工群完成 モニュメント 1995・11・3 坂内村 建設省
裏には

ナンノ谷崩れとは
1889年(明治18年)川上部落に集中豪雨が襲い、1週間に亘って空からロープを下げたような大豪雨となり、山は崩れ、川は増水し、村からは一歩も出られない状態になったと言われ、この豪雨でナンノ坂の山が大崩壊し(土石流=153万m3)川をせきどめ一時自然ダムと化した。一週間後、このダムが決壊し、ナンノ坂の出作り小屋が一瞬にして流され男女四名の尊い命が奪われました。また、下流の家や、橋、田畑など多数流され大災害となった。
その後、県、建設省で砂防工事が進められ、現在の状況に至っている。

夜叉姫伝説:その昔、美嚢の国神戸(現在の安八郡神戸町)郡司安八太夫という長者がいて、たくさんの田んぼを持っていました。ある年、大変な日照りが続き安八太夫をはじめ、多くの村人が作物が取れず途方に暮れていました。
信仰の厚い太夫は、毎日お宮へお参りして願いをかけていましたが、ある時、乾き切った田んぼで出会った小さな蛇に太夫は「おまえが雨を降らせてくれたら、どんな願いもかなえよう」と、ひとりごとを言って家へ帰りました。
すると不思議な事に間もなく、雨が降り出すではありませんか、農作物は生き返り、みんな大喜びです。
ところがこの翌日ヘビが山伏の姿になって現れ、太夫の娘の三人のうち一人を嫁にして揖斐川をのぼっていってしまいました。
こうしたことから旱が続くと村人は、龍の池、夜叉が池に祈りを捧げるならわしになったといいます。
入山届二人分を出して、さらに山奥へ車で入って行きました。しばらくして古げなダムに

さらに山奥へ、すると鳥居が

ここも「夜叉龍神社」と書いてあります

どうも御神体は「夜叉が池」ではないかと(?_?)そこを曲がり少し行くと駐車場に着きあたりました。

見た瞬間、連れ合いの口から「わ!スクナ!」雨上がりと言えども20台ほどは停まっていると思っていたのだが・・・(*_*;
予定が外れて駐車場に着いても小雨、夜叉ヶ池までの距離約3km、高低差350m、所要時間1時間30分前後との事でしたので雨が止むのを期待して、準備をゆ~くりとし始める。駐車場の端にひっそりと

飛騨、美濃紅葉33銭の地 夜叉ヶ池(33選て中途半端でわないヶ)余談だが桜33選もあるそうな
でその横に登山案内板があり

その左の登山道を登るのでなく、

下って行きます。その底に

立派な?橋が架けてあり、おー親切なところ・・・と言う思いで渡

こんな山道を上がったり下がったり・・・して徐々に登って行きます。全体を通して、最後以外歩きやすい行程でした。
時たま

この様な沢が道を横断、そこにはこんなものも

チョイト息がはずむころ、本来なら

途中で、夜叉ヶ壁が山の合間から顔を見せるのだが、今回は

雨は降っていないものの、雲にかくれてサッパリ(?_?)『上も下の写真も判りずらいが、上は帰りに望遠で写したもの』

徐々に登って行くと

幽玄の瀧が現れます

夜叉ヶ姫がこの滝の水で身を清め、て聖域に入り沼?底にくだり身をひそめたという。
滝の水は肌を若返らせ長寿が叶うとも伝わる。
仙境の地にて所在わからず幻の滝と言われていたが、遊歩道コース新設の折に不思議と出現したものである。
滝を過ぎて見上げてみると

山の斜面を九十九折れの山道に(*_*;・・・知らぬ間に相方さんがパチリと

今回から山登り用ストックを使うようになり、チョイト楽に登っていますがダウン寸前

九十九折れを登り始めて間もなく、視界が開けたかと思いきや目前に岩山、これは信州の山ではないか(@_@;)それに天空の彼方からの滝、最高のシチュエーション!ここでしばし休憩
一息ついて登りながら

風景を楽しみながら

快晴なら、さぞ絶景だろうと相方さんとダベリングしながら登っていると、

絶壁の岩場、これが噂のクサリ場か~((+_+)) その上この看板

登山ロープは補助的なものであり、過信しないで下さいとの事(^_^;)

このクサリ場を過ぎると尾根に到着!(^^)!さいわい雨にたたられる事は無かったが、山の上は雲がしぶとく居座っていらしゃる

尾根から見える夜叉ヶ池も雲の中

どうも太陽が覗きそうもなく、期待していたコバルトブルーの湖面は見れそうにない、とりあえず昼飯の場所を探しに湖面まで降りて行く事に

池を守るために木道が整備されていた。そして池の縁に到着

池の横には

以前は祠が有ったようですが、現在は石碑に変わっていました。食事を終える頃には視界も良くなり

ヤシャゲンゴロウという、夜叉ヶ池にだけ生息するという絶滅危惧種

ゲンゴロウならずイモリのお出迎え

食事も終え、少し肌寒くなってきたので帰る事に

クサリ場の写真は帰りがけに写したものです。

アッシをおいてスタコラサッサと帰りの途につく相方さん。お~い待ってくれ~と言ってもスタコラサッサ(*_*;
所要時間:行き2時間(ふつう1時間30分)帰り1時間でした。参考までに
帰って来ると駐車場には

下山途中家族連れ4人とすれ違った方の車とマイカーの二台。暗くなるまでに無事下山できたのかな~と心配しながら夜叉ヶ池の山登りは幕を閉じました。おわり・・・と行きたいとこ、登山に付き物の温泉行へ、その途中に湧水を汲む予定で道の駅「夜叉ヶ池の里さかうち」へと向かっていった。
「清水川」という湧水を汲みに行く予定でヤフーの地図をダウンロードして持って行ったのだが、地図が余りにも詳細過ぎてよそ者にはサッパリどこかわからず、道の駅の方なら判るはずと尋ねてみると「久瀬温泉の近くにある」との事、行き方も国道303号からと、近道の県道からと二通り有るが県道の方は少し道が狭いとの事、この辺の人は県道の方から行っていると言うもので我らもその道で行く事にした。ついでに近辺で湧水の出ているところが在ったら教えを乞いたいと尋ねてみると、その「清水川」に行く途中に公園がありそこにも水が出ているとの返事(^_^)v早速そちらへ出発
10分ほど走ったところに

ありましたよ~\(^o^)/

パイプから流れ出している。
この地下からか、それとも何処からか引いて来ているのか解らなかったが頂く事に

後にお地蔵さんが祀ってあったので、(仮)「地蔵名水」と付けておきました。誰か名前を知っておられたら連絡ください。
独断と偏見の水評価は、あっさりとしたコーヒーに仕上がり美味しく頂きました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は
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