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NO209:弁天岬大師堂の「湧泉水」

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天気の良い日を狙って行ってきました、福井県の三方五湖。その海側の弁天岬の洞窟に湧水が湧いている・・・との情報をもとにレインボーラインと弁天岬を目指して・・・というのも、レインボーライン9月1日~11月31日の期間通行料金半額キャンペーン、500円+消費税(普通車)と安くなっていたこともあり計画を実行したのでありました。
若狭道の若狭三方ICで下りるのですが、その手前に三方五湖パーキングエリアが有ります。
ここのPA、上りと下りが同じ三方五湖が見える方に駐車場が作られています。
上り駐車場
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下り駐車場
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で、この通路で行き来できるようになっていました。
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しかし、未だコンビニだけのお店、それも上り駐車場にしかありません。寂しい~
今から行く三方五湖
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三方五湖の周りを観光しながら走っていると、水神公園なるものの広場に着いた。チョイト寄ってみる事に
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この公園内に、おそらく水神が祀ってあるであろう立派な鳥居が
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お詣りに行くと、水神様の祠が
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思っていたより質素な祠でした。三方五湖の中でこの辺が海に近く、弁天岬が有るならこの辺だろうと、情報源に出ていた参道入口の写真を思い出し探すことにした。カーナビを見ると旧道が海側にある事が判り、そちらの方へ行ってみると
 たしかホテルらしき横を路地が走っていた筈
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雰囲気が似ている場所であった
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たしか弘法大師が見つけたとか、修業をしていた場所とか書かれていたので間違いないと思いペットボトルをリュックに入れて歩いて路地に入って行った。
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ホテルの屋敷の中に有るような道で申し訳なさそうに歩いて行くと、
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コンクリートの標識が
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ホテルの後ろはキレイな砂浜になっていた。この日は天候も最高、風景は晴天に限る(^_^)v
ホテルの関係者らしきオジサンにあいさつすると、話が弾んで、オジサンの親も難病に罹った折そこの水を飲み続け病が治ったとか、有り難い水だと説明してくれた。こちらも話を聞くと期待が膨らんできてさらに半島の先をめがけて歩いて行った。
途中参道らしく地蔵さんも
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こんなんも迎えてくれました
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そしてここを曲がると
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それらしきものが見えてきました
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ソコには
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片方がお寺らしい本堂風な建物、方や佛用語で庫裡、民家風の建物、この時はマジマジと建物を見ていなかったので、関係者の住いかと思いさらに半島へ向けて進んだ。
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海側の岩場には、小さな祠が祀ってありました
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左の地図を見れば、この半島が弁天岬、そのの神社は「宗像神社」と呼ばれています。
この神社の云われは後程に、地学的な説明が次の通りです
*海蝕洞:波の浸食作用によりできた洞窟が海面上に露出しているものです。貫通して両側に開口したものが、海蝕洞門になります
こちらです
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海蝕洞門の向こうに赤い鳥居が見えますか
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目的が湧水ですから、洞窟の中に湧き出ているという水を探しにさらに進んで行くと、
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弘法大師像が立っていた。この辺にあるはずだと後の山肌を探してみると小さな洞窟を見つけた
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覗いてみたがそれらしきものは無く、もう少し岬の方へ行くと
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扉が設置されていた大きな洞窟が見えた。近寄って扉を開けると
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暗い洞窟内は
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誰が書いたのか「岩屋山」という看板が置いて在った。気持ちの悪い中洞窟内を探すも湧き水らしきものは見当たらない(?_?)
扉を閉めてさらに御崎の先へ
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すると、御崎の反対側の集落が見えてきた
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こりゃ行き過ぎた」と思い、引き返す事にした。海では
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天気が好いのでプレジャーボートも楽しそうです。で、吾輩は途方に暮れて大師堂を訪ねた。対応して下さった老婆はこちらですよと、親切に案内してくれた。
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本堂と思われる入口には岩屋山の額が掛けてあります。こちらが本物でしょう
トコロがまさかの展開・・・・・大師堂の戸を開けると
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この場所をどう呼ぶのか、本堂?祭壇?仏壇?・・・・・何時も見ているのだが、説明しようとすると分からない(?_?)調べてみると、どうも本堂の内陣と言うようです。そして、参拝者が座る場所を外陣と言うようです。
入った所に在りました。その左側の通路を進むと
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ソコは岩屋つまり洞窟の中に入って行った。外観からは判らなかったが、本堂と洞窟が上手く合体されている様子でした。
ホテルの関係者の方が言っていた、御大師様の衣を洗ったとされる水溜が
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この手前にありました。
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残念ながら、この水は使えませんと書かれてあり、片方の木版に「お水はこの奥のを、お使いください」と書かれてありました。
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弘法大師石像が見守る下には
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やっとたどり着いた「湧泉水」有り難い水を頂きました。
本堂を後にしようとすると、三宝の上に五鈷杵
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悪いところをさすれば御利益ありと書いてあり、吾輩はそれで頭をさすって大師堂を後にした。尚、当山開祖は「徳浄上人」様です

大師堂と宗像神社の云われ
 太古の昔、久々子海岸の西端に位置している弁天岬の端の蛇洞に一頭の女蛇が棲んでいました。 一方、対岸の和田岬の蛇洞には男蛇が棲んでおり、互いに行き来していました。 その龍蛇が出て来て遊びまわるために度々海が荒れ、村人たちは困り果てていました。 延暦の頃、弘法大師が若狭を順錫されていたとき、たまたま久々子の地に錫を止められました。 その時、村人等の話しを聞き、一人で岬へ行き現在の大師堂内にある巌窟に立てこもり行を成された後、 蛇洞の巌頭まで行き女蛇に仏戒を授けられました。すると龍蛇はたちまち苦患を脱して昇天しました。 そこでこれを弁財天として祠におまつりされたと言います。現在境内の東の宗像神社がそれです。 以後、海上安泰・庶民福寿の守護として村人たちに大切にまつられ、 また大師禅定の洞窟には後年大師の徳を慕う人々により大師堂が建てられ今日まで広く信仰を集めています。
 毎年7月中旬には3日間村をあげて盛大に弁天祭が行われており、 御神体をお神輿で村の若衆がかつぎ、船にのって海を渡り村のお仮屋に安置され、 二夜おまつりされます。 3日目はそのお神輿で村中を練り歩き、再び船で海を渡り戻され祭りが終了します。 2艘の船を合わせ5色の吹流しを幾本もなびかせ御神体が海を渡るとき、 白装束に赤はちまきの若衆が、御神体を楽しませるため次々に海に飛び込む姿は勇壮で、 優美さにもあふれる風景です。


御詠歌
『空海の 法(のり)の験(しるし)は 荒磯(あらいそ)の 龍女(りゅうにょ)も和(な)ぎて 仏となりぬ』
(美浜町観光協会、若狭美浜HPより)

で、その後通行料金が半額520円となっているレインボーラインの山頂公園へ向けて出発。走る間もなく
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久々子の水が海へ出る早瀬水道が在り、そこに
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水無月神社の境内には
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放射能のモリタリングポストが設置されていました。『この装置は、この周辺の1時間当たりの放射能の量を連続で測定しています。測定データは美浜発電所に伝送され常時監視しています』現在は今稼働停止中です。原発がなければこんな心配もせずに良いのだが(~_~メ)
さらに進むと、三方五湖レイクサイト遊覧船(ジェットクルーズ)乗り場が出て来ました
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紀伊半島の瀞峡観光に乗る船と似ています。もちろんパスして
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曲がればすぐに在るかと思いきや、ちょっくら走らなければ出てこなかった料金所
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サテサテここからがレインボーライン\(^o^)/まずは
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日向湖、天気が好いと景色も気持ちいい~~~(^_^)v
日向料金所から上ると、第三駐車場となる。
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第三駐車場からの展望、
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昇るにつれて視界も開けてきました。
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            三方五湖のご案内
   名勝三方五湖国指定:昭和12年6月15日
   若狭湾国定公園指定:昭和30年6月1日
 この三方五湖は、南から若狭湾へのびる三方断層にに当る古生代の山脈が沈降して形成された陥没湖であるとされています。
この湖(水月・日向・久々子・管・三方)にまたがる”虹の架け橋”ことレインボーラインの中程にそびえる梅丈岳(海抜400メートル)山頂から見下ろす若狭湾の男性的な日本海と対照に、乙女のようなロマンチックな五胡の壮大にして優雅な風光美はまさに天下の絶景であり、若狭湾国定公園の白眉となっています。
<水月湖>
五湖の内最大の周囲18キロメートル、最大水深34メートルあり、三方五湖とは瀬戸口で菅湖を通して堀切川で結ばれ、久々子湖には浦見川により、日向湖とは嵯峨トンネルでつながっている。深い海底から強い匂いのする硫化水素がわき、海水と真水が半々の汽水湖であることが特色で、湖水にはコイ、フナ、ボラ、ハセなど淡水魚がいる。
<日向湖> 
元来、湖口が海とつながっている外は他の四つのどの湖にも自然にはつながっていなかったが、寛政11年に嵯峨疎水トンネル
開通して水月湖とつながったもので、周囲6キロメートル、水深は五胡中で一番深く四十メートルあり、クロダイ、ボラ、スズキ、カレイ、サバ
など海水漁が生息し、また、ハマチ、フグ、マダイの養殖もされています。
<菅湖>
水月湖と同じ汽水湖で五胡の内最小で周囲四キロメートル、水深14メートルで湖岸に自生する「ヒトモトススキ」は珍しい植物です。
<久々子湖>
南北に長い周囲八キロメートル、水深二メートルで、元来は砂州によって海とへだてられた潟湖で、満潮時には海水が逆流するので塩水湖であり、魚類もハゼ、ボラ、クロダイなどが生息しておる。寛文六年に偉大な治水の先覚者、行方久兵衛により切り開かれた浦見川水道によって結ばれている。
<三方湖>
完全淡水湖で周囲12キロメートル、水深25メートル、魚の生息に最適とされ、コイ、フナ、モロコ、エビ、ワカサギ、ウナギが生息し、この湖へ流入するハス川河口には鳥浜貝塚遺跡(縄文時代)があり、数多くの遺物が出土しており三方町郷土資料館に一部展示されています。
いよいよ山頂第一駐車場へ登って行きます
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山頂駐車場につきました。
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山頂公園にはリフトか簡易ケーブルで登れるようで、吾輩も登る事に
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ケーブルに乗り遅れリフトで行く事に、観光バスがちょうど着いた時であったのでこの混雑ぶり、予想では閑散としているのではと思っていたが、この盛況ぶり!リフトに乗るために10分ほど並びました。
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頂上についてまず目に入るのは、地元出身五木ひろしの五木の園、
手を置けば、五木ひろしの名曲「ふるさと」が流れてきました。
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その奥に見える展望台へ
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こちらから見た展望で~ス
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右の湖が三方湖・真ん中の大きい湖が水月湖・その奥の半島の湾内が菅湖のようです。
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手前左に見えている湖は日向湖・その奥に外海の手前小さく見えているのが区々子湖のようです。
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山の中腹にたなびく雲イイ眺めです。そして山頂(梅丈岳)に迫ってきた雲並
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海抜400mでも今回は天空の気分(*^^)v  さらに反対側の展望台にも行って見る事に
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こちらはイロイロと志向を凝らした設備が並んでいます
  和合神社
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神社前で知り合い結ばれた「仙吉とみつ」のロマンスを記念して創建、両方からお参りするそうです。
   友好の鐘
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その心は
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   縄文の響き:幸福の鐘
 この鐘は(編鐘)、幸福を呼ぶ鐘として中国古鐘研究会から友好の証しとして寄贈されました。
 編鐘は中国湖北省で1977年に初めて発掘され、紀元前五世紀にすでに楽器が演奏されていたことを示す歴史的発見として注目を集めたものです。
 その後に陰陽の思想として確立されるに至る1つの物の中に存在する2つの力を音と結う形で表す大変珍しい鐘です。
 日本における縄文時代にすでにこのような技術を有した事実に驚くと共に、2400年前の人間が社会生活に音楽を取り入れていたことに感動すら覚えます。
 その音色は思想と幸福を次々にもたらしたと言われております。
 すばらしい文化を保有した中国古代に、そして時を同じくして日本に在った縄文時代に思いを馳せつつ、21世紀に向け世界平和とこの地に訪れた方々に幸福をもたらす鐘となるよう願いを込め、ここに設置します。

       中国湖北省博物館の貴重な文化遺産を中国で複製されました
                             2000年8月吉日
  天狗堂
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  かわらけ投げ
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【かわらけの由来:その昔、梅丈岳に大きな天狗がいてこの地を支配していました。天狗は剛力の持ち主で村人から大変恐れられている反面、情け深く、弱い者や困っている人の願いを良く聞いてくれたものです。ある時、村人が天狗を尋ねるとその姿が見当たりません。どこか高いところに居るのではないかと、かわらけにお酒を注ぎ空高く投げると願いが叶ったと伝えられています。】  
かわらけは、土を乾燥させて作られていますので、かわらけは自然に帰ります。 との事です(*^_^*)

こちらからの展望、外海ススキとのコラボ
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と言いたいところだが、写真撮るのにススキが邪魔をしているダケ
他にもイロイロと有りますので、来たことのない方は天気の良い日に来園して下さいねm(__)m
帰りはケーブルカーで帰ろうとしたが、下で止まったままでしたので
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下りてくると「大名たぬき角兵ヱ」がお出迎え、地元の民話をもとに造られた「かっちゃん家族」で~す。
そうゆうことでレインボーラインともお別れ、
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海山料金所を出て行きました。・・・・・ところで、帰りの時間に余裕があったので、三方石観世音にある「観音霊水」を頂きに回る事にした。
「湧泉水」の水評価は、
海に突き出た弁天岬に湧いて出ている水ですが、塩分は感じられず「普通」に美味しく飲めました
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は
   

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NO208:氷ノ山「大段ヶ平の清水」(仮)

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またまた何を血迷ったのか、カーナビを無視したためにえらい方へ行ってしまいました。((+_+))
館長さんに聞いていたのは、氷ノ山の大段ヶ平の近くで、横行渓谷から上がってきて大段ヶ平は右、そこを左に曲がり少し行ったところにパイプから出て来ているという事であった。中瀬から行くには少し行った出合の集落から大きい道を行かずに細い道を上がって行くとの事、出合の集落には鉢伏高原に行く大きな道と集落に入って行く旧道が判れており、集落に入って行ったのが間違いの基であった。
出合の集落を走っていると左山の中に入って行く道が見えたのでそれだと思いそこに入って行ったのであった。本来は出合の集落を突き抜けると、鉢伏高原へ行かずに氷ノ山へ行く細い道が有りそこに突き当り登って行けば氷ノ山林道に行けたのであった。
しかし、脇道に入って行った段階ではその道が正しい道だとばかり思っていたので、山坂道をドンドンと登って行ったのでした。
山の中腹ぐらいと思われる所に「轟」という集落が見えてきた。
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吾輩の住んでいる所から比較するとナント山奥に!・・・・・そして、最近見かけなくなった「稲木」が
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今でこそコメの乾燥は機械化してしまい、このような風景は見る事がなくなりましたが、この近辺では未だ現役で活躍しているようです。
昔の記憶で・・・この掛けてある藁が脱穀されると稲木の下に積まれて置いて在ったので、稲木に登って飛び降りて遊んだり、台風が来て田圃一面が水浸しになった時に、台風で稲を掛けたまま倒れた稲木が水面に漂っているいやな場面を見たりしたことを思い出してしまった。
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さらに登って行くと、右:大屋町 左杉ヶ沢高原という道路標識がでてきた。この時点で「おゃ」とチョイトおかしいのではという思いが湧いてきた。しかし、とりあえず行けるとこまで行ってみようと進んで行くと
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開拓記念石碑が迎えてくれた。
拓魂:このふる里びとたちは  きびしい自然の掟をこえて   大地の恵みを轟大根に結晶させた
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杉ヶ沢高原です。山の頂上に開墾されたようですが、そこで軽トラのオジサンに出会ったので「大段ヶ平にここから行けますか」と尋ねると、行けんことはないが道が悪いでとの返事、あきらめて引き返す事に(*_*;

来るときに見た、大屋町と杉ヶ沢高原の分岐点まで帰ってきたが、元に帰るのは面白くナイ!大屋町の何処に出るのか行ってみるのも面白そうと車をそちらへ向けた。
降りて来たのは日本の滝百選に選ばれている「天滝」の登山道に出て来た。
天滝なら、以前氷ノ山へ登った時に通った「横行渓谷」から行けば行けるとの思いで、あきらめかけていた気持ちに火が着いた。
横行渓谷に入って行くと、前日、当日と雨が降っていたので小さな滝がそこかしこに
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これも
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大きい方でもこれぐらい
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また、林道の縁には大木が残してあります
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カツラの大木もありました
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前にも行ったかもしれませんが、林道を走っていると結構道路工事に邪魔になるような大木を切らずに残しておいてくれます。山を愛する工事関係者の気持ちが伝わってきます。嬉しいモノです\(^o^)/
そうこうしていると、大段ヶ平と有るであろう湧水が出ている場所の分岐点まで登って来た。
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右に行けば「大段ヶ平」左に行けば・・・という事で左へ車を進める。
少し走ったところに、ここからも氷ノ山へ登れるのか登山道らしきものが
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そこをさらに進んで行くと、それらしきものを見つけた。
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これかな~と思ったが、もう少し先に進んでみたがそれらしきものは無かったので、勝手にこれとしておいた。まぁ間違いなかろうとペットボトルに汲んでみんごと帰宅する事ができました。やれやれ(・.・;)

独断と偏見の水評価は、別宮の大カツラの清水と比べると今一評価が下がってしまった。比べるものが良すぎたのかどうかしれないが、
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vにしました
詳しい場所

林道ですので、絶対的な正確な場所ではアリマセン。あしからず
  
 

NO207:別宮(べっくう)の大カツラの清水

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NO202の記事を書いていく中聖長鉱山を調べていると、付近に日本でも第六位ぐらいの金山が有った事を知り、今でもその製錬所が稼働しているという養父市関ノ宮町中瀬に以前から行ってみたく構想を練っていた。
今回天気が好ければ、福井県の三方五湖付近にある海側の弁天岬の一角に湧水が湧いているところが在るという場所を計画していたのですが、天候が悪く三方五湖のレインボーラインに登っても意味がないとの思いから、天気が悪くても絵になる金山跡の史跡を巡り鉢伏スキー場高原に湧水が出ているという所まで足を延ばしてくることにして、今回も一人さびしく出発したのでした。
鳥取方面へ向かう9号線のループ橋手前から左折して、鉢伏高原並びに氷ノ山方面に入って行きます。まもなく中瀬地区に到着。
そこには中瀬金山関所資料館が
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入口は仰々しく関所風にこしらえてあるが、建物は現代的な公民館、その横には
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バッテリーロコとナベトロという坑道内で使っていた蓄電池式機関車と手押しのトロッコ(形状が鍋に似ているので通称ナベトロと呼ばれた)
資料館へ入ろうとしたが鍵がかかっており入れない、実はここに到着するまでに2回ほど資料館の前を素通りしていたが(もっと立派な建物だろうと思い)分からず、田圃の稲刈りをされていた若夫婦に尋ねて分かったのであるが、その人曰く「先週砂金採りの実演をする金山祭りがあったところで、普段は見れないのとチガウカ」との事であったので、やはり見る事は出来ないのか(=_=)
と諦めかかっていた所に、一人の男性(館長)が車で来られた。
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てっきり尋ねた農作業夫婦の方が連絡付けてくれたものとばかり思って、館長に尋ねてみると、偶然用事があって来たのだと、なんと今回は運がツイテいるかも(^_^)v
資料館に入っての説明
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中瀬金山:40年の歴史を持つ近畿最大の金山『兵庫県養父市にある中瀬金山は、天正元年(1533)に発見され、江戸時代前期に幕府直轄の金山として繁栄しました。昭和初期には金とアンチモンを産出する国内無二の鉱山として我が国の発展を支えました。』
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日本一美しい自然金:一般に金鉱石に含まれる金は微細で肉眼で見る事はできません。ところが中瀬金山では、鉢状・樹枝状・花弁状などの美しい結晶体の金が多く産出しました。この自然金は世界的にも知られており、アメリカのスミソニアン博物館にも展示されています。
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中瀬では、写真の「臼」により金鉱石を細かく砕き、竹で作ったトユに水と細かく砕いた金鉱石を流すことにより、金は重く竹の節で止まりそれを集めて金塊にした。
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日本一のアンチモン鉱山:中瀬金山におけるアンチモンの産出量と稼働期間は日本一でした。閉山後(昭和44年)も生産設備は現役で、日本精鉱(株)中瀬精錬所は日本一のアンチモン加工工場として活躍しています。
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近世鉱山都市の遺構に暮らす:中瀬金山町は江戸時代、金山奉行の手により城下町と同じ都市構造で整備されました。町割りや寺院などは、江戸時代の絵図と比べても大きく変わることなく残っています。また、町中のいたるところには、かって鉱石を挽いた石臼が転がっています。住民はこれを石垣や庭石、漬物石などとして今も利用しています。
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図に出ている山なみです。金鉱は露天掘りから立坑堀へと進んだが湧水により十分掘り切れず、次に横に坑道を掘り湧水を排出し易くして金鉱を掘り出していくと言う水との戦いの歴史だったそうで、明治以降ポンプの発達で産出量が飛躍的に増えたとの説明でした。水の事が出たので、あるいはと思い湧水の出ているところが近隣にないですか?と尋ねると、ペットボトルを持ってきて、「この水は氷ノ山の有るところで出ている美味しい水」と・・・・知る人ぞ知る湧水だとの事、詳しく場所を教えてもらい丁寧にお礼を言って次へと進んだ。
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日本精鉱(株)  中瀬製錬所   その工場
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金山の遺跡を見せてもらおうと事務所へ寄ってみた
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日曜日で残念ながらドアが開かず職員さんは不在であったので諦め、湧き水を取りに別宮の大ケヤキに向経て出発。
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地図で現地東鉢伏を確認・・・と、横に石碑が
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鬼塚女子挺身隊員殉難之地と彫ってあり、戦時中乗っていたバスが災害に巻き込まれて転落したようなことを館長さんが言っておられたが、記憶が薄く定かではアリマセン(?_?)
看板の地図によれば右端の三叉路が現在地で、右の道は狭く一方通行に協力してほしいとの事が書いてあったので、左の道から東八伏へ行く事になった。途中あまりにも道が良いので、カーナビの指示を無視して進んでしまったが、あまりにもカーナビが引き返せとうるさいので、道を間違えたことに気付き無事三叉路から延びて来ていた右の道と合流して無事東八伏へ向かう事ができた。
道なりに走って葛畑集落を通過しようとすると、道路標識に「葛畑農村歌舞伎舞台」国指定重要有形民俗文化財と書かれていたので寄り道をしてみる事に
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村中の車一台が通れるぐらいの道を200mほど行くと
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神社の境内に茅葺の小屋が建っていた。
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天文13年(1544)に荒御霊神社境内に建てられた舞台を、本格的な歌舞伎舞台にするため、明治25年に改修された芝居堂です。

民家型入母屋造りの茅葺きとなっており、地下で舞台を回す独楽廻式で、背景を天井から上げ下げする「ブドウ棚」、背景移動装置「田楽がえし」など、農村歌舞伎舞台で大切な7つの機構をすべて備えています。
と、養父市のHPに書いてありました。
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横から眺めてみると、近代的な防災設備が付いていました。さすが国指定重要文化財デス。
そして再び東鉢伏向けて進んでいると、手入れの行き届いた
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棚田も
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そういえば、別宮の棚田が美しいとHPに出ていたのを思い出し、早速ハイ・パチリと写しておいた・・・ところが後程分かったのだが、それはこの場所ではなかったのだ・・・(~_~;)

東鉢伏高原に着いた。入口に大きな地区の看板が立っていました。
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養父市のHPを見ていたら、別宮(べっくう)という地名の起源が出ていたので抜粋させて頂きました。

別宮という地名には「別の宮」という特別な意味があります。それは、京都府八幡市にある石清水八幡宮の別の宮という意味です。別宮の八幡神社は、熊次別宮と言いました。

石清水八幡宮は、貞観元年(858)に九州の宇佐八幡宮を勧請した神社で、朝廷から伊勢神宮に次ぐ高い崇拝を受けました。全国に広大な荘園をもち、荘園には石清水八幡神の別宮を置きました。また武家の厚い信仰を集めました。

保元3年(1158)の史料によると石清水八幡宮は、但馬国内に安良別宮、伊福別宮、室尾別宮、熊次別宮など7カ所の別宮を置いています。しかし別宮という地名を受け継いでいる集落は、熊次別宮だけなのです。

別宮の八幡神社本殿は、明治5年の建築です。祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命です。本殿は正面4.5m、側面2.4mの大きな神社建築です。境内には延宝9年(1681)建築の旧本殿が古御殿として保存されています。

阿弥陀如来座像は、平安時代後期に栄えた教海寺の本尊であったと言います。つまり別宮では、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、別宮八幡宮や教海寺を中心として、石清水八幡宮との交流によって京都文化が華開いたと思われます。

別宮という地名は、平安時代から始まった石清水八幡宮との特別な由緒を伝える歴史的にも重要な地名なのです。
その神社はこちらです
   カツラノ清水 031-2q
その本殿
  カツラノ清水 032-2w
歴史ある神社の様で、大木もそれを物語っていました。
   カツラノ清水 034-2e
大木と言えば、集落を散策しているとケヤキの大木2本にぶち当たった
     カツラノ清水 038-2r
近づいてみると
   カツラノ清水 039-1n
太い縄が垂れ下がっているではないか、どうも二本のケヤキにしめ縄のように渡っていたようでもある、後にWebで探していると、元旦の九日に、その年の豊作を祈る行事として毎年行われているそうで、詳しくは「巨樹・巨木巡礼」のブログを見てください 
で、吾輩の本来の目的である「別宮の大かつら」へ向かった。東鉢伏高原案内図の左上に黒い丸で囲ったところがそこです。
   カツラノ清水 063-2u
別宮の大かつら公園のハウスで、休憩とトイレが完備されています。このエリア内に『大かつら・大かつらの清水・別宮の棚田』が見れます。
公園に着いたとき、目の前一面に棚田が広がっていたが、あいにくの小雨により霧が出ていたため
   カツラノ清水 056-2a
まずは「別宮の大かつら」を探索へ、
   カツラノ清水 064-2s
駐車場から階段を上がって行くと
   カツラノ清水 065-2d
遠くにカツラの木が見えた。近づいていくと
    カツラノ清水 066-2d
余りに大きすぎて根元ぐらいしか写せませんでした(~_~;)
   カツラノ清水 043-2h
県指定文化財:別宮の大カツラ
指定年月日:昭和40年3月16日
所有者:別宮地区
樹高:27,32メートル 幹周り:15,50メートル 枝張り:東西約24メートル 南北約26メートル
 この大かつらは雌株で、主幹を中心に大小100本近くの幹が・・・うむ~読めねえ~
という訳で、養父市のHPの方が詳しく書いてありましたのでそちらを採用~ 

  但馬の深山には多くのカツラの木が生育し、国や兵庫県の天然記念物に指定されています。カツラの木は但馬を代表する樹木の一つです。

国指定は朝来市糸井の大カツラ、県指定は養父市別宮の大カツラ・香美町村岡区和池の大カツラ・兎和野の大カツラ、市指定は養父市轟の大カツラ・豊岡市万劫の大カツラがあります。国指定文化財になっている糸井の大カツラは、株廻りが19mもあります。

カツラは、湧水や渓流に近い水の豊富な場所に繁ります。幹は株のように増えて中心が腐っても外側に新しい幹を増やします。

別宮の大カツラは標高730mの高原に生育します。樹高27m、株の周囲は14m、枝張りは直径24mあります。昭和40年3月に兵庫県指定文化財になりました。

このカツラの根元から豊富な清水がこんこんと涌いており、下流に広がる多くの棚田を養っています。春に水をはった水田には氷ノ山の姿が逆さまに映り、本物の氷ノ山とあわせて写真撮影の名所となっています。

カツラは雌雄異株の樹木です。別宮のカツラは雌木であることから実がなり、付近には実生苗が多く育ちます。また幹にねじれをもつ「捻幹カツラ」で、幹が左巻きにねじれているのがこのカツラの特徴です。

平成16年10月の23号台風で外側の幹が1本、上の方で折れて落下しました。貴重な資料として年輪を調べたところ直径は39cmで、年輪は245年もありました。大変な古木です。株の中心にある幹は腐っていますので、この場所で千年をこえて生育していると想像しています。中心の幹がないのは、腐ったからではなくて、昔の木地師が材料として利用したからないという説もあります。

平成17年度に鉢伏高原に向かう市道にそって駐車場やトイレ、親水池やベンチをおいた別宮の大カツラ公園が整備され、気軽に立ち寄れるようになりました。清水の冷たい夏もいいですが、秋にも美しい氷ノ山がみえです。

そして後ろから撮った大カツラ
   カツラノ清水 069-2f
その下には湧水の源流が見えます(*^^)v
カツラノ清水 074-2k
水が湧いている所にタンクの様なコンクリートの水槽からパイプが出て来て雑菌が入らないように立派な設備が施されていました。
   カツラノ清水 068-2j
「大カツラの木」を取り巻くようにホースが延びて
    カツラノ清水 048-2g
水汲み場まで下りて来ていました。
    カツラノ清水 049-2h
黒いホースから水が出ていたのを汲みました。無料です\(^o^)/その付近の風景
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ここからは、「別宮の大カツラ」はどこに在るのか分かりにくかった。そして霧も晴れて正真正銘「別宮の棚田」がこちらです。
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さてさて、時間ももう少し余裕があったので、中瀬金山関所の館長さん?が言っておられた、知る人ぞ知る(アタリマエ(~o~))氷ノ山の湧水探しに行く事にした。
現在の9号線の但馬トンネルができるまでは、9号線は葛畑集落から村岡へ抜けていたのです。そのような事から昔は多くの人々がこの界隈を行き来していたものと思われます。

独断と偏見の水評価は、「耀子の清水」に似ていて、爽やかな味わい、悪く言えば水臭い味わい、しかし冷めたものを飲むとその良さを実感するという湧水であった。←少し大げさに書いた(*^_^*)
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした

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