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NO201:石龕寺の「大槽谷の水」

    丹波化石 059-1q
前篇「64」を5月に見に行き、6月に後編が上映される。それに合わして三田のイオンシネマウッディタウンに見に行く事になった。
で、何時もの事で天然水が汲める所がないか探してみると、三田の近くの街、丹波市にある石龕寺にある事が判り寄ってから劇場に行く事にした。
何時もの如くナビは行先不明になってしまった。山の中にあるお寺なもので、進入して行く道が狭いのか適当に「目的地付近に到着しました」というアナウンスが流れるだけで、見渡してもそれらしき場所には来ていない(?_?)
仕方がないので、石龕寺がある山の周辺を探して見る事に・・・なんせ16年前のナビですんでCDを使用、容量も少ないのでしゃ~ないのだが(~_~;)
でも、探していると
    -1w丹波化石 037
石龕寺への入口が見つかり入って行った。道としては、カーナビに載らないような狭い道ではなく・・・しかし登るにつれて狭くなってきはたのだが・・・駐車場が出てきたがさらに進むと仁王門にたどり着いた。ここにも十台ぐらいは止めれる駐車場があった。
このお寺は丹波紅葉三山と言われるお寺の一つで、紅葉は立派らしい。今回は雨の新緑で我慢しなければならなかった。
    丹波化石 008-1e
そして
   丹波化石 004-1r
足利氏ゆかりのお寺
    岩屋山 :石龕寺(せきがんじ)
石龕寺は用明天皇の丁羊(ひのとひつじ)の年(587年)、聖徳太子の開基と伝えられ、太子が深く帰依された毘沙門天王を本尊として古くから栄えたお寺であります。
 鎌倉時代から室町時代にかけて隆盛をきわめた。山門の仁王像(金剛力士像)は、仁治三年(1242年)、大仏師定慶の作で、日本で屈指の名作として現在国の重要文化財に指定されています。
 南北朝時代、足利尊氏が弟直義の争い(観応の擾乱)に敗れ一時京都から播磨へ逃れるとき、嫡子稔義詮(第二代将軍)に仁木頼章、義長兄弟を添え、二千騎を当山へ留めました。(その時、院主雲暁僧都は勝軍毘沙門の法を修して祈祷、足利氏は深く帰依しました。このことは「太平記」二十九巻に記されています。)
 この時、当山の僧が足利氏に名物の丹波栗を献上、義詮公はその一つの栗に爪跡をつけ、
都をば出て落ち栗の芽もあらば
         世に勝ち栗とならぬものかと
 と歌を添え、もしこの栗が芽を出せば、都に出て天下を取ったものと思ってくれ、といって植えて去って行ったといいます。首尾よくその通りとなり、今もその栗を「爪あと栗」、「ててうち栗」として伝えています。
 その後、中世末期には織田信長の丹波攻略を受け、天正7年(1579年)一山ことごとく焼失、仁王門を残すのみとなりました。
 江戸時代以後、徐々に復興。奥の院、毘沙門堂(本堂)、持仏堂、庫裡、客殿等境内の整備を見るに至っています。
 また、紅葉の名所としても今日脚光を浴び、毎年11月には、”足利氏ゆかりの石龕寺もみじ祭り”が行われます。
 なお、当山は高野山真言宗に属しています。(参照太平記29巻)
              山南町  山南町観光協会

今日こんな詐欺メールがまたも入ってきましたのでUPしておきます。
司法書士の半田です。
必要書類一覧及び御請求書を送信いたします。
よろしくお願い申し上げます。

全く身に覚えのない方です。

焼け残った仁王門の
 右の開口阿形
    丹波化石 010-1y
左の閉口吽形
    丹波化石 012-1u
門を潜り登って行くと
    丹波化石 014-1i
そして石仏石碑のお出迎え
    丹波化石 015-1o
境内の地図を見ると
丹波化石 004-1p
目的の「大槽谷の水」は地図とはチョイト違ったが、参道の横に沿って走る車道に看板が有ったので帰りに寄る事にして参道を登って行くと
    丹波化石 017-1a
水琴窟なる標識が、で石段を登って行くと何か騒がしい声が聞こえてきたが、庫裡まで行くと、どうも檀家さんたちの寄りあいみたいで、様子からしてお酒が入った宴会の様であった。・・・が、賑やかなせいで水琴窟の清爽な音色はちっ~とも聞こえなかった((+_+))そのせいか庫裡の横にある持仏堂は「もぬけの殻」
    丹波化石 019-1s
暗くて写りが悪い仏像をハイパチリと「聖観世音菩薩」の様
宴会の邪魔にならないよう、引き返し本堂へ向かって石段を登って行った
   丹波化石 021-1d
本堂の一段下に
   丹波化石 023-1f
コウヨウザンの木
   丹波化石 024-1l
郷土記念物:石龕寺のコウヨウザン
指定対象:コウヨウザン・・・1本
指定年月日:平成7年3月31日
地域の人々の暮らしを見守って来たこのコウヨウザシは、地域のシンボルとして親しまれている。コウヨウザシとしては県内最大の巨木である。
    兵庫県
そして、毘沙門天を本尊として奉る、毘沙門堂本堂
     丹波化石 025-1g
その横の方には、まだ新しい薬師堂デス
     丹波化石 028-1k
その間には大きな佛足石がありました。
    丹波化石 027-1h
丹波化石 026-1j
              佛足石
 お釈迦さん(釈尊)が入減された後、弟子たちが釈尊の徳を慕い、教えを敬うあまり、説法された霊地を訪ねその足跡を拝んだのが佛足石のはじまりです。
 佛足石の意趣は、お釈迦さんの足跡・佛教の教えを頂礼して佛徳を受け、健康を祈願するところにあります。
 お釈迦さんを礼拝するには、「帰依佛両足尊」とお唱えします。健康の基は足を鍛えることにあり、五臓六腑のツボも足の裏にあるといわれています。
 足を守ることは、身体健全・交通安全を祈願することにも通じます。
 この釈尊の足跡を礼拝して、心身ともに健康で長寿が保てるよう祈念いたしましょう。
             石龕寺奉賛会
との事、願いを念じて次へ進んで行った。
奥の院の入口があったが 
    丹波化石 030-1z
時間の関係上パスをさせて頂いた。本堂の少し下左側には
   丹波化石 032-1x
   丹波化石 031-1c
焼尾神社:この社は今から750年前、仁治2年(1241)の創建と伝えられている。(仁治3年に仁王像造立)
郡内最古の寺、石龕寺の鎮守として弁財天が祀られていましたが、明治維新のジンブツ神仏分離により、市杵島比売命を祀る事になり、ご神体の弁財天懸仏は、石龕寺に保管されています。
 しかしながら、住民は焼尾さんは弁財天でもあり弁財天ののぼりも立てています。
 美女神であることと幸運や財宝、福徳の神としてとくに作家や音楽家、歌手、俳優のあいだで人気があります。
           平成11年3月
来るときに確認しておいた「大槽谷の水」まで下りて行った。
    丹波化石 016-1v
○この谷に昔、大槽という清水をたたえた岩盤のへこみがあった。(聖徳太子が毘沙門天尊像をここで洗われたので、水はいつも黄金色に輝いていたという)
○この水でみぞやしょうゆを仕込むと腐ることがないといわれている。
             平成11年 森の径整備
と書かれてあった。撮ったはずの川の写真が行方不明(たまに写して帰ってきたはずなのに、その写真が見当たらないことが有るのだが、四次元ポケットへ入って行ったと思っているのだが)
その川は幅5mほどで丸太2本の不安定な橋が架かっていた。その端を渡ると
     丹波化石 033-1n
こんな感じの小さな谷合、ふつう大雨が降ればこの谷間に川ができるのだが、今は途中の岩場から流れ出している水(伏流水)が岩板のへこみに
     丹波化石 034-1m
水が溜まっているのが解るかなぁ~・・・でモトイ
    丹波化石 035-2q
この溜まった水を汲んで、帰りかえていると、宴会をされていた一杯機嫌のオジサン(吾輩とどちらが若いか?だが)本当の「大槽谷の水」は奥の院に近い谷の事だと言って機嫌よく帰って行かれた。
こちらはエ~~~てな具合だつたが、まぁいいか(*^。^*)・・・と汲んだ水を「大槽谷の水」にしておく事にした。(ただしナイショ)
無事水も汲めて三田のウッディタウンに向かって篠山川を篠山市街へ向けて走っていると田圃の中にジャンボ「ティタノサウルス」竜のモニュメントが目に飛び込んできた(@_@;)
    丹波化石 062-2w
そこは「丹波竜の里・かみくげ」という公園であった。

ここで下記の詐欺メールが入ってきましたのでUPしておきます。
「請求書は、商品と別送にてお送りしております。請求書がお手もとに届き次第お支払い期限を確認の上、お支払いをお願いします。

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株式会社オンリー 」

で、寄って行く事に、駐車場では
   丹波化石 060-2e
化石発掘調査 体験料 1人300円
    丹波化石 061-2r
小さな石をもらい、金槌で割って真剣に体験?されていた。吾輩は、そこから500mほど先の化石が発見された場所を見に行く為農道を歩いてそちらの方へ
    丹波化石 058-2t
向こうに見えるのが「丹波竜の里・かみくげ」で、この道を歩いて行くと
    丹波化石 042-2s
旧発電所跡があります
   丹波化石 055-2u
   丹波化石 046-2i
         旧上久下村営水力発電所跡地
当時、村一帯がランプ生活だった大正9年、上久下村になんとかして電気を引きたいと、村長 平藤徳蔵氏らが相談されて、水力発電を行う協議が整い、発電用水は上滝下滝水利組合の灌漑用水を利用して導水する事になり、子の地に建設されました。
大正9年12月に当時の予算約8万円で着工され、大正11年6月に竣工しましたが、総工事費10万9,800円を費やしての完成となりました。配線整備が行われ、大正12年1月8日から本送電を開始しました。八ヶ集落は、山林の売却等により資金をつくり大変な苦労がありましたが、当時としては近隣にその比をみない施設の完成であり、村民の喜びは格別でありました。
しかし、昭和17年電気事業統合令により、昭和18年関西配電株式会社に統合され、始業以来わずか20年で、旧上久下村営水力発電所は閉鎖されました。その後関西電力株式会社に引き継がれ昭和38年まで運転されてきましたが、電力需要の増大により大規模な発電施設が整備されたので廃止になりました。現在この川代渓谷に静かにとどめる姿は、まさに村民の文明に取り組みした歴史を物語っています。
      丹波市  丹波市観光協会
中は、化石発見の模様の展示がしてあり無料です。横の階段を
    丹波化石 047-2p
降りて行くと河原が見えます
   丹波化石 049-2a
川原のコンクリートで覆ってある場所から化石が発見された模様で、次回の発掘まで保存のためにコンクリートで覆っているのだそうです。
     丹波化石 051-2d
         丹波市恐竜化石保護条例に基づく「保護区域」
 本区域で、恐竜化石等が発見され今後も発見される可能性があることから、保護を図るとともに市民の共有の財産として継承するために、柿の区域を「保護区域」として指定します。保護区域において、化石の採取及び化石若しくは化石含有地の破壊を目的とした土地の区画形質の変更などは行ってはいけません。
■指定区域
    一級河川 篠山川   発掘現場区域から上流20m及び下流20mの河川区域
■指定年月日  平成25年3月8日
●お問い合わせ先  丹波市役所 産業経済部 恐竜を活かしたまちづくり課
丹波化石 052-2f
丹波竜化石の産出部位:産出した部位は、彩色したまたはその前後に相当すると考えられています。この骨格図は特定の竜脚類その物ではなく、オビストコエリカウディアおよびラべトサウルス形類一般に広く見られる形態を想定して描かれたものです。
産出部位の名称:1、尾椎 2、血道弓 3、腸骨 4、恥骨 5、肋骨 6、脳函・環椎 7、歯
恐竜発見
平成18年8月7日ー世紀の大発見(写真1・2)
美しい川代渓谷に夏の太陽が照りつける中を、長年、生痕化石の調査を続けてきた足立洌(きよい)さんは旧友の村上茂さん(共に丹波市在住)と2人で山南町上滝へ地質調査へ出かけ、篠山層群の泥岩層の表面から、1センチほど突き出た灰色がかったものを発見し、ハンマーやタガネを使って長さ15センチ程度の化石を彫り出しました。
8月9日ー化石確認(写真3)
2人は6時間かけて約30センチの棒状の化石2本、塊状の化石1個を掘り出し、この化石を兵庫県立人と自然の博物館に持ち込み、同定してもらいました。すぐに恐竜の化石と判断されたため、直ちに現地に向かい埋蔵状態を確認し、9月下旬に試掘調査を行うことになりました。
 その結果、白亜紀前期の泥岩層(約1億4千万年前~1億2千万年前)からティタノサウルス形類の肋骨などの化石10数点が発掘されました。
第一次発掘調査
平成19年3月6日ー連なる尾の化石発見(写真4)
 尾椎および血道弓の化石約数十点がまとまった状態で産出しました。恐竜の化石が元の位置関係が概ね保ったまま産出したのは日本では初めてのことです。
6月26日ー脳函の化石発見(写真5)
 クリーニング作業により、頭骨のうち脳が入っている部分(脳函)の化石が確認されました。恐竜の頭骨の一部が発見されたのは国内で7例目で、竜脚類としては国内初めてのものです。また、世界的にも竜脚類の頭骨の発見は少なく大変貴重なものです。
第二次発掘調査
平成20年2月7日ー肋骨などを大量に発見(写真7)
 肋骨の化石がほぼ並んだ状態で発見されました。長い物で1,5メートルほどあります。発見された部分は、胴体右側の後部にあたるとみられ、この様に肋骨が並んで発見されたのは国内では初めてのことです。また、恥骨とみられる化石も合わせて発見されました。
2月21日ー環椎(首の骨)発見(写真8)
 環椎(第1頸椎)はU字形で、縦約8センチ、横約6センチ、厚さ約3センチほどです、世界で数百十種の竜脚類が発見されていますが、環椎は小さく発見が難しいため、十数例しか発見されていません。
2月28日ー竜脚類の歯発見(写真9)
 竜脚類の生える前の歯、つまり顎(あご)の中に入っていた未崩出の歯の化石が発見されました。歯は、長さ4,5センチ、幅約1センチで、表面に摩耗した形跡がなく、顎の骨の中にあったと考えられます。国内で発見された例はなく、大変貴重な標本となります。
第三次発掘調査
平成21年3月12日-記者発表(写真10・11)
 生える前、生えた直後、使用中のすり減った歯など様々なな状態の竜脚類の歯数十点と、胴体の前半分とみられる肋骨6点が発見されました。
 また、発見直後のクリーニング作業によりティラノサウルス類の前顎の歯が産出している事が分りました。
             発掘調査の成果と今後
 第一次・第二次発掘調査が終わった時点で、推測される丹波竜の姿を形にした模型で、恐竜模型製作の第一人者である荒木一成氏の製作によるものです。
 今後の発掘調査によっては、更なる進化を遂げる可能性もある事から、「丹波竜フィギュア2007年版」としており、丹波竜化石工房で展示していますのでご覧ください。
発掘調査の成果と今後
 第三次発掘では、竜脚類の化石の発見のほか、獣脚類、鳥脚類の歯の約60点を含む2883点の化石が確認され、発掘調査を開始してから現在までに骨片を含め、約9000点もの化石が確認されています。
 多くのボランティアの協力を得ながら実施している発掘調査は、現場が河川敷にあるため、春から秋にかけての増水期を避けて実施しており、発掘調査は長期にわたる計画で、今後の調査で更なる発見が期待されます。
丹波竜化石工房も見て下さい。
尚この場所に来た時に、以前所属していました「福知山カヌークラブ」のメンバーとここを下っていいたときに、あわや重大事故になりかけた事を思い出すにはいられない場所であった。
と言っても、吾輩は陸上からレスキューメンバーとして同行していたのでした。その当時は、まさか恐竜が眠っているとはつい知らず、岩の上を駆け回っていたのでした。
その日は、上流にある川代公園から出発
   丹波化石 064-2c
一行が下り終えるのを見て、我々レスキュー組は先回りして発電小屋の河原に下りて待っていた。
   丹波化石 057-2z
小さな滝の様な落ち込みを無事通過する者、ポテージ(落込みを迂回する事)する者と各自各様の思いで発電所跡の瀬まで無事下って来た。
   丹波化石 048-2x
しかし、発電所の瀬は全員パス(@_@;) 写真の下流から再度カヤックに乗り込み下る事になった。
写真には写っていないが、流れが右から左の岸へ向かって進み、その流れが造ったであろう岸の岩場に小さな洞窟が掘られていた。このような穴を「アンダーカット」と言い、ひとたびこの穴に入るや否や水流の圧力で出て来ることが不可能に近い状態になり、最悪天国へ行かねばならない結果になるのです。と言うのも水流により掘られた穴は天井が水面ぎりぎりの場合が多く、入ると水中に持って行かれ窒息するのです。また、洞窟内は流れが入り込み渦を巻いて出にくくしている事も一因であります。
そのことをカヌーイストは認識して遊んでいますので、今回も、陸上から万が一の場合を想定して、救助用のレスキューロープを持って待機していたなかを、一番にくだって行った某会員さんが下るや否や複雑な流れに巻き込まれカヌーもろと転覆((+_+)) ロール(起き上がって再度カヌーを漕ぐ)を2~3回試すも失敗力尽きて沈脱(カヤックから脱出)・・・これをすると普通カヤックを持って泳ぎながら安全な岸へ向かって上陸するのだが、この時はカヌーもろと洞窟へ流されていたので、カヤックを離せと叫びながらレスキューロープを投げたのでした。運良くカヤックを離しレスキューロープを捕まえ無事メンバーは陸上に救助する事ができましたが、案の定カヤックは洞窟にはまり込んで水圧でもがいていた。
アンダーカットにハマり込んだカヤックウをいかに回収するか・・・協議の結果、穴から自然と出て来るのを待つ事でそれを回収する・・・しかし、一向に穴から放出される気配は無く、次に考え出したのが、カヤックオーナーのライフジャケットにレスキューロープをくくりつけ、カヤックで穴の下流から穴に向けてカヤックオーナーを引っ張って行き、カヤックオーナーがもがいているカヤックを捕まえると同時に、陸上で待機しているレスキュー部隊が頑張ってカヤックオーナーを陸地まで引き寄せる方法でやることになった。
待機組は固唾を呑んで見守っていたが思いの外うまくいき、無事回収できたという、一歩間違えばニュースになっていた事故でした。

篠山川を下っておられるYOUTUBEが有りましたので、お借れしました。
       

という事で、篠山市街に出て、一路三田のイオンシネマへ「6・4」後編を見に行きました。今回長文の記事になりましたので感想は×という事にしました。「いや~久し振りに手に汗を握る納得のサスペンスを観ました」

元に戻って、「大槽谷の水」の水の評価は、沢水、伏流水にしては美味しかったが5ランクまでにはもう一越え欲しいところでした。
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は


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NO200:垂井町の「垂井の泉」

   伊吹山 078-2l
          祝200回パンパカパ~ン
が、記念行事は何もしませ~ん・・・

「垂井の泉」は関ヶ原町の隣町垂井町に在るのだが、泉の名前が町名になったほどのスゴイトコらしい(?_?)
出発して間もなく、関ヶ原古戦場の看板が目に入る。とりあえず国道からそちらの方の脇道へ入って行った。

関ヶ原と言えば天下分け目の戦場、天下分け目と言えば今回の参議院選挙も、「護憲派」と「改憲派」との戦いであった。
「護憲派」の完敗に近い結果であった。吾輩は「護憲派」を応援していたのだが・・・((+_+))
将来を思うと
違憲と多くの学者が言っている「平和安全法制」を国会で通していく。今回国民はそれを是と判断した結果。
もう一つ
7月10日のA紙の朝刊に
自民党のHPで「学校教育における政治的中立性についての実態調査」を呼びかけている。記事が目に付いた。ホンマかいな~とHPを覗いてみると7/16現在も載せておられます。政党が偏向教育と判断するのは、誰が何をもって決めるのだろうか?関心のある方は覗いてみて下さい。
負けた者の嫉妬なのかも(^_^;)

本題に戻り
    伊吹山 081-2z
イロイロと陣跡があったが、やはり「笹尾山・石田三成陣跡」へ

駐車場から陣地へ登るところに
    伊吹山 082-2x
足軽に扮した関係者が迎えてくれた。写真を撮っても良いかと聞くと、450年前には肖像権は無かったと言ってくれた。・・・ので、ハイパチリ
まず前衛隊の陣地
    伊吹山 085-2c
島 左近(勝猛)陣跡
    伊吹山 086-2b
 三成が家禄の半分を与えてまでも仕官させたといわれる左近です。
 前日の杭瀬川の戦で中村隊を破り、本戦では石田隊の先手として布陣。黒田・田中らと奮戦後、家康本陣へ迫ろうとしましたが、銃弾を受けて討ち死にしたともいいます。
 鬼の左近称され、謎に満ちた猛将
像は諸書に様々な姿で描かれています。 関ヶ原町

笹尾山の登り口
    伊吹山 087-2n
道中の様子
    伊吹山 088-3q
この柵を
    伊吹山 089-3w
矢来:竹や丸太を粗く組んで作った臨時の囲いの事です。竹矢来・丸太矢来(馬防柵とも)、組み方によって角矢来・菱矢来などが有ります。
 これは敵の容易な侵入を防ぐのに利用したもので、三成は正面にこの柵を二重にめくらし、嶋と蒲生の指揮する弐隊を前面と中間に配し、自分自身は警固の兵と山頂に陣取りました。
                 関ヶ原町
さらに登りまもなく頂上
     伊吹山 091-3e
そして三成陣跡
    伊吹山 092-3e
多くの人達が説明を聞いていたが、女性(暦女という事も)が多かった感想です。
     伊吹山 094-3t
国史跡
  石田三成陣跡:ここ笹尾山一帯の石田隊六千余は、正面に竹矢来の柵を二重に配置し、前衛隊長の島左近らの指揮のもと、すさまじい死闘を展開しました。
 小早川らの裏切りは、戦況を一変させ、西軍の実践兵力は三万五千前後に激減し、西軍の敗色濃厚となるや、最早これまでと三成は北国街道沿いに敗退していったのでした。
                    関ヶ原町

そこから見た下界
    伊吹山 093-3y
そして東軍の徳川陣地が置かれた場所
    伊吹山 096-3u
真ん中に見える松林が最後の陣地になったそうで、そちらの方へ行って見る事に
   伊吹山 100-3t
行ってみると松林の横を立派な道路が走っていた。その横には関ヶ原町役場、その向かいが
   伊吹山 099-3y
古戦場の場所だが、先ほど行った石田三成陣地に比べひっそり、資料館ぐらいしか見えなかったのでそのままパス「垂井の泉」目指して車を進めた。
   伊吹山 101-3i
垂井の街中を走っていると「この道は中山道」の看板。しかし、街中を回るも探せず、工場入口に在った守衛事務所で尋ね、やっとの思いでたどり着いた。
   伊吹山 102-3o
玉泉禅寺の境内の池に湧き出ていて
   伊吹山 107-3d
何処から水を汲めばよいのかな~・・・と
    伊吹山 104-3d
            垂井の泉と大ケヤキ
 この泉は県指定の天然記念物である、大ケヤキの根元から湧き出し、「垂井」の地名の起こりとされている。「続日本記」天平12年(740)12月条に見える。美濃行幸中の聖武天皇が立ち寄った「曳常泉」もこの場所と考えられており、古くからの由緒がある。近隣の住民に親しまれる泉であっただけでなく、歌枕としても知られ、はやく藤原隆経は
昔見し たる井の水はかわらねど うつれる影ぞ 年をへにける  『詞花集』
と詠んでいる。のちには芭蕉も
  「葱白く 洗ひあげたる 寒さかな」
という一句を残している。岐阜県名水50選(昭和61年)に選ばれている。
 この大ケヤキは、樹齢約800年で、高さ約20メートル、目通り約8、2メートル。このようなケヤキの巨木は県下では珍しい。この木にちなんで、木が堅くて若葉の美しいケヤキを垂井の木とした。
伊吹山 105-3s

*大ケヤキは昨年の台風で倒れたとの事です。今はブルーシートで覆われています。
で、湧いていそうな所を探して、持って行っていた片手鍋で汲んでいると、どこからともなく現れたオジサンが、きれいな湧水だったらこっちに出ていると、横の路地へ連れて行ってくれた。
   伊吹山 109-3f
路地の水路で、川いと(川でいろいろなものを洗う場所)のような所で仕事をされているご婦人の後ろが
   伊吹山 110-3h
石垣で囲われて水槽が作ってあった。その上には何が祀ってあるのか解らなかったが祠が設置されていた。その水槽の奥に
   伊吹山 111-3j
お地蔵さんが安置された水たまりが、その奥側から水が湧いて出て来ていた。この玉泉禅寺のいたるところから水が湧いて大切に保存されている様で「ありがたいお水」をここで頂く事にした。横には「こころざし」を入れる賽銭箱があったが、お地蔵さんの足元にもお金が投げ入れられて、多くの方が御参りされている様子。水を汲んでいると、洗い物されていたご婦人がやって来られ、少々世間話を・・・近くに立派な神社が有るので寄って来られたら・・・と紹介してくれました。
あまり乗り気でなかったのだが、よくよく考えてみると、垂水町の紹介するものが無い(^_^;)、
で、行ってみる見る事に
   伊吹山 120-3k
見上げる大鳥居が出迎えてくれた。そして駐車上場へ入って行くと
    伊吹山 119-3l
大きな境内全体の案内図が立っていたが、こんな全部まわれねぇダ・・・と、「美濃国一宮南宮大社」本殿だけお詣りしてくることに
まず見えたのが大きな楼門
    伊吹山 113-3z
近寄って観ると大きな門である
    伊吹山 117-3c
この手前に、車で隠れて見えにくい石の橋が
   伊吹山 116-3x
神様が渡る橋で「石輪橋・そり橋」と言い、人は通れないらしい
その、下側に「石平橋」というのがあり
    伊吹山 115-3n
国重要文化財「下向橋」竣工祭並渡初め式  平成28年6月5日(日)
祭のときに、神輿が下って通る事から「下向橋」とも言われていて、こちらの橋は人様も通れるらしい。
こちらは普通の石橋だったので、写すのを忘れていましたダ~((+_+))
どちらも重要文化財らしい。そして楼門から写した
    伊吹山 118-3v
高舞殿ですが、楼門内撮影禁止の為朱色の広大な社殿は紹介できませんデス。・・・・・デ
    伊吹山 114-3m
南宮大社御由緒
御祭神:金山彦大神
御鎮座は古く人皇十代崇神天皇の御代と伝えられ、国府から南方に当る故南宮大社と称せられている。
古代金宝の守護神 破魔除災の神と御神威高く、既に千年前延喜の制に国幣大社に列せられ一宮として亦広く金之総本宮として崇敬厚い名社である。
御神殿は関ヶ原合戦の兵火に遭いて炎上の為徳川家光公旧に復して再建され、明治維新の神佛分離令に依り堂塔は他に移建され今日に至る。本殿以下18棟が国の重要文化財の建築である。
節分祭 二月節分 大的歩射神事
例大祭 5月4被・5日 御田植神事蛇山神事
           御輿渡御国指定無形文化財
金山祭 11月八日   通称ふいご祭
(どうもこの近辺は古来鋳造施設が盛んだったのではと思われる)

ところで、「垂井の泉」の評価は「玉倉部の清水」より残念ながら少し落ちたのでありました。やはり街中に湧き出る水は当世何かしらの混ざりものがあるカモです。
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所


NO199:日本武尊が飲んだ「玉倉部の清水」

     伊吹山 056-1q
『そのままよ  月もたのまし  伊吹山』 元禄2年秋 芭蕉
前回「夜叉が池」登山の折岐阜県の美味しい水を汲んでくるという計画がおじゃんになってしまったが、最近満足のいく水が飲めていなかったので、急遽伊吹山近辺の美味しい水を汲みに行く事にした。
伊吹山の麓に、ヤマトタケルノミコトが飲んで高熱が治ったと言われる湧水が鍾乳洞の近くに湧いているという。さらに時間が許せばあと数ヶ所ぐらい行ってきたいとの思いで出発した。
高速で行っても3時間ぐらいはかかり、往復で時間的ロスが多いい、とは行っても、今後我が家の近場の天然水取水場は残り少なくなってきており、次第に長距離を走らざるおえない状況である。名神の関ヶ原ICで降り、少し引き返すかっこうで伊吹山入口までやって来た。
     伊吹山 048-1w
やはり登らない訳には行かないだろうという事で
   伊吹山 049-1e
料金所へ、普通車3090円チョイト高~い・・・一瞬戻ろうかと頭をよぎったが意を決して行く事に(^o^)/
山なみドライブウェイ
    伊吹山 050-1r
中間ぐらいに展望所が有り、そこに芭蕉の石碑が立っていました。そこから伊吹山山頂の眺め
   伊吹山 053-1t
そして頂上駐車場に着いた。
    伊吹山 069-1y
本来は駐車場から歩いて頂上まで登ればよいのだが
    伊吹山 063-1o
吾輩は今回で3回目、登頂したのは前回来た時最速コース20分、のんびりコース40分とそれに下り専用コースが有るようで、登ったのが昔過ぎて忘れてしもうた(~o~)
近所の人で、最近二組の方たちから伊吹山に登って来た話を聞いた。それも麓のスキー場かららしい、吾輩は考えただけでも目が回るコースである(@_@;)  
頂上には登れなかったが、こちらの展望台から
   伊吹山 062-1p
景色を堪能しょうと覗いたところ
   伊吹山 065-1a
セメントの原料石灰石を取っている鉱山が見える。人間の力の恐ろしさを実感できるところであった。その内伊吹山は無くなるかも・・・そんなバカナ 
そして駐車場を出ようとしたところ
    伊吹山 068-1h
こんな感じで、ドライブウェイの端に3組ほどたむろしてカメラで何かを狙っている様子
   伊吹山 071-1l
こちらは丁度上空を旅客機が通るところ狙っている様子、おそらく渡り鳥か、珍しい鳥を写しておられるのではと・・・と言うのも、ある方のブログで、大阪から能登半島の先端の先に在る舳倉島へ渡り鳥を写しに行かれている方が居られる。それも海が荒れれば船が出ないというおまけ付、好きな人はそうしてまで趣味の世界を楽しんでおられるようです。まぁ、人の事ばかり言えないおいらですが・・・。
自然を満喫して下って行きました。
    伊吹山 073-1z
ここでチョイト話がそれて、先日マタマタ詐欺メールが入ってきました。下記の内容です。当方全く心当たりがありません(?_?)

ご利用いただき誠にありがとうございます。
この度は以下の内容にてご注文をいただきました。
受注番号 :99562087846329
商品名 : T99960228
数量 :1
単価 :9,220円
送料 :0円
======================================

上記記載の事項でご不明点・ご質問がございましたら下記までご連絡ください。
なお、お問い合わせの際は、受注番号・氏名・電話番号を併せてご連絡ください。
受注受付後、「納期案内メール」にて
商品のお届け予定日をご案内させていただきます。
======================================
**********************
お客様サポートデスク
連絡先 : 0120-680-234
**********************

前回、日本郵便を装っての迷惑メールをブログに載せると、数日間迷惑メールの攻撃が続きました。今回もまたあるカモですがアップしておきます。読まれた方はくれぐれも添付ホルダーをクリックすることは避けてくださいネ(~_~メ)

はなし、そのⅡ
日本の行方が問われている選挙投票日7月10日(期日前投票は続いているが)、今日7月8日タレントの石田純一氏、都知事選に野党統一なら出馬すると記者会見をしていた。おそらく参議院選挙の肩入れであろうと思う、パソコンニュースでは、特ダネの小椋氏曰く「政治活動すると仕事が減る」と言われているようですが、純一氏はおそらく承知の上だと思う。そうしてまでも今回の選挙に気持ちを入れ込んでいる石田純一氏を見直した今日であった。ガンバレ石田純一(^o^)/

で、元にもどし引き続きブログの本筋へ
伊吹山から降りて来た吾輩は関ヶ原鍾乳洞へ向かった。伊吹山ドライブウェイを下りた信号を右に曲がり数拾メートル先の信号を左に入って行き進んで行くと
   伊吹山 046-1z
案内表示板があり、その方向に進むと
    伊吹山 045-1x
駐車場があります。まずは鍾乳洞を見学、売店で入場券を700円で買って
   伊吹山 004-1v
フリーパスで勝手にどうぞ的な感じ
    伊吹山 007-1b
ここから入って行きます。入口には「鼻原洞」と書いてあるような・・・鍾乳洞の構造から察したのですが・・・最後に解ると思います。
    伊吹山 009-1n
最初はこんな所を歩いて行きます。
伊吹山 033-2s
町天然記念物(昭和43年6月22日)
岩倉山の鍾乳洞:東海の奇勝と知られる鍾乳洞。幾千万年の歳月を経った今も、生き続ける大自然が造り上げた鍾乳洞。
 夏は涼しく、冬温かい。年間通して洞内温度15度です。鍾乳石と石筍により生みだされた造形美は、正に奇岩を呈しています。
 自然と伝説の織り成す神秘な姿をとくとご覧ください。  関ヶ原町
そして出てきたのが
    伊吹山 010-2q
「不老泉」年中涸れる事無く洞奥から湧き出る霊水といわれている。
汲んで帰りたかったが金網で区切られていた。そして
屏風岩:約20mに及ぶ壁面は屏風を立てたよう。
   伊吹山 013-2i
さらに進むと
    伊吹山 015-2e
ウミユリ(海百合)1968年、本洞切削中に出土しました。植物のような名前ですが、実は動物であり現在のウニ、ヒトデの仲間です。海底に足を固着させて移動することはなく、プランクトンなどを食べていました。
その場所は明る過ぎてカメラには収まりませんでしたので説明版だけデス。
    伊吹山 017-2r
鍾乳石と石筍(せきじゅん)
空気中の二酸化炭素を含んだ水が石灰岩の割目を伝った岩を少しづつとかし、数万年かかって炭酸カルシュウムに変化して固定したもので、上から垂れ下がったものを鍾乳石といい、下から積重なった者を石筍という。鍾乳石が1cmの長さになるには、130年程かかると言われていまる。
化石
大昔この辺りは海であったが今から2億年前から2億5千万年の間に海から隆起してできたものといわれ、その当時海に住んでいた動物(虫)、ウミユリ・フズリナ、巻貝等の化石が岩倉山や洞内から多数発見されている。

またまた迷惑メール、詐欺メールと言うらしいが入ってきましたのでアップしておきます。
「■お届け予定日時
7月12日(水) 時間帯希望なし
※ゴルフ・スキー・空港宅急便(施設宛)の場合、プレー日(搭乗日)を表示し
ております。
■お届け先
(住所)添付ファイルをご確認ください。
■伝票番号:9524-0982-0501


ヤマト運輸株式会社 」

ヤマト運輸のHPを見ましたところ、
『重要なお知らせ』
「お届け予定eメール」等を装った不審メールにご注意ください」と注意喚起されていました。

はい、元に戻り
こちらが鍾乳石で~す
     伊吹山 023-2t
そして石筍
    伊吹山 024-2y
そして出口まじかになると、何処からか水が流れ出して川になっていました。
   伊吹山 027-2u
川の中には
    伊吹山 028-2u
虹鱒:ここから先、出口まで約百メートルにわたって、右手の清流には「ニジマス」が泳いでいます。
この魚はサケ科に属して、体側に虹の様な帯状の赤い線が走っているのが特徴です。水温は13度C前後(井戸水と同じ温度)で、しかも、きれいな水で絶えず流れている事が成長の条件とされています。ごゆっくりご観賞してください。
    伊吹山 031-2o
ニジマスが見えるかな~
そしてここに出て来ます。
     伊吹山 003-2o
出口と入口が、距離にして10mぐらいで、このことが鼻の穴にもじって洞窟の名称になったのだと思っています。
それにしてももう少し変化にとんだ鍾乳洞を期待してたのだが、鼻の片方の穴から入ってもう一方の穴から、あれよあれよと言うてるまに出て来てしまった感じであった。
「玉倉部の清水」の湧水はちょうどその真ん中の少しくぼんだ所に石碑が祀られていました。
    伊吹山 041-2a
おそらく以前は窪みに水も溜まっていたのだろうが、今はご覧のとおり
    伊吹山 038-2
水路が堰止めして水量が多い様ですが
    伊吹山 037-2d
この標識の下の方から出て来ていたのでそれを掬っていただきました。鍾乳洞の中を流れていた湧水がここに出て来ているのかも・・・という事は、虹鱒のエキスが含まれて入るかも(^_^)v
    伊吹山 034-2h
町史跡   玉倉部の清水(日本武尊居寤清水)
 その昔、ヤマトタケルノミコトが伊吹山の荒神のことをお聞きになりました。
そこでそれを退治しようと、山にお入りになりました。
 ところが、荒神の降らせる大氷雨のなかで、毒気にあてられ、高熱に病まれて下山されたのです。
 幸この清水を飲まれたところ、たちまち回復されました。(古事記)
                    関ヶ原町
しかしながら、「醒ヶ井の居醒めの清水」はこの他にもあるようです。醒ヶ井のとは話の内容が少し違うようです。
帰りの時間にはまだ余裕が有ったので、もう一ヶ所回る事にして出発した。

「玉倉部の清水」の独断と偏見の水評価は:やはりこの地方の湧水は美味しい!!コク・マイルド共に最高!!久し振りに満足いく水でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆
詳しい場所です



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