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NO165:朽木・栃生の湧水

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「日吉神社」を後に、国道367へ向けて走っていると気持ちの良い雰囲気の河原に出逢った。
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その下流
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そして流れて行く
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この辺の道は車がすれ違うにもお互い譲り合って走る様な道が続きます。
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朽木渓流漁センターの看板の前を素道りしてどんどん走ると一旦京都府の府道110号線に入り
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右へ(能見・広河原) 左(梅の木)
そして、また滋賀県大津市に入り、こんな渓谷を
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この区間だけ立派な道を通り
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この渓谷を過ぎると
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安曇川に出る前の川と、安曇川
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写真では分かりにくいデスが、河原で水浴やキャンプの多いい事多いい事 

「栃生の湧水」は鯖街道と呼ばれている国道367号に突き当たった所から、安曇川の下流方向に下った所に在るという事なので、キョロキョロ『安全運転』をしながら走って行けども見当たらず、思い余って鯖寿司屋に飛び込んだ
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まぁ女将の土産に買っても良いかと、入ってみると、良いか悪いか「売り切れた」とこだった。で、情報を聞く為には何か買わなくては・・・と思い
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栃かた焼(めっちや固いです)せんべいを買って、尋ねてみると、この店の上300mほどの所にお地蔵さんが有り、そこから出ているとの事、又後戻りして
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先客が・・・了解をとって後ろからハイパチリと
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ゴルフの帰りには何時も汲んで帰るとの事、冷蔵庫にいれるのに500mlのぺットボトルがいいと沢山入れておられた。吾輩も入れて帰ろうとすると、又もや車が入って来た。
この「栃生の湧水」飲んで、こんな方もおられたブログを紹介しておきます。
・・・吾輩は大丈夫でした。(^_^)v
で、最後の水汲みへと移動して行きました。

追伸:みやげに買って帰った「栃かた焼」、相方さん初めは「固くて食べられん」と言っていたのだが、職場の女子会で食べて残りの一枚・・・それも、相方さん知らぬ間に食べていた・・・女の歯おそるべし・・・吾輩前歯3本刺し歯にて口に入っていたら今頃歯抜けジジイになっていたかも・・・おわり

独断と偏見の水評価は、
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。
古くなるほど美味く思えたのは、吾輩の口がいかにイイ加減である証しかも

詳しい場所は



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NO164:生杉の日吉神社(大宮神社)の御神水

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村おこしの会だったかのHPに載っていた(帰宅後探すのだが見つからない)「ダイハタの清水」を頂きに、県道783に戻り一路奥に奥にと移動して行った。山奥という事もあり県道には上のお猿さんも迎えてくれた。
こんな道や
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こんな道の中を
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・・・という訳で、目的の生杉(おいすぎ)集落近辺に着いた。
三叉路から奥に入って行けば生杉集落に着き、さらに奥に進めば三国岳(滋賀県・福井県・京都府の県境)の峠に行く事ができる。
実は、以前由良川を源流から海まで下る計画を立てた時下見に来た事があり、峠を越えて降りて行けば京都府旧美山町芦生の京大演習林に行く事ができ、そこが由良川の源流になるのでした。その時はカヌーで下るには水量が少なすぎて、結局芦生の京大演習林入口から出発して1年かけて日本海の由良川河口まで下って行った事がありました。
その三叉路の所に当時は無かった「源流の駅:山帰来」(さんきらい)という施設ができていた。
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昼はとぉ~に過ぎて2時前、腹も減っていたのと、情報を得るために寄る事に、お店に入ると
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地元の手作り品や、物産品を中心に販売され、食事するテーブルと共に卓球台なども置いて在り、地域の寄合所的な場の様でした。
吾輩はというと、「なにかお薦めのものが有りますか」と尋ねると、もうすぐオーダーストップになるから「うどん」しかできないとの事、田舎らしい「トチ餅うどん」がどんなものか頼んでみると、な!なんと、うどんの上にトチ餅が載っているだけ、記念の写真を・・・
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忘れてました(^_^)v
・・・で、肝心な「ダイハタの清水」の場所を、館内におられた地元の人に尋ねてみると、あまり出ていないの行ってもな~と言葉を濁されてしまったが、しつこく場所を尋ねると、「集落を出たころに広場があり、そこの脇道を入って行くと鎖で道が塞がれている、それを抜けて行くと川に橋が架かっている、それを渡って行くと分かる」という事でした。
お礼を言って、早速生杉集落へ
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そして無事ここまでこれた
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この道を進んで行くと、こんな立派な橋が
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おぼつかない足取りで渡り切って周りを見渡しても、そのような(湧水の出ているような)物は見当たらない(?_?)
とりあえず溝にそって道がある様なのでそちらに行って見る事に
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蛇避けにこの長い枯枝も持って
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着いたところにこんなパイプが、おそらくこれが「ダイハタの清水」だなと
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その元を覗いて見ると
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草むらで見えにくいが、湧き水というよりも溜まり水と言う方が当たっているように、周りからしみ出してきた水が溜まったもの、気になって上に登る道があったので登ってみると
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元田圃跡の畑その横の側溝、どうもその水が浸みて落ちてきている様にも・・・という訳で水を汲んで帰る気になれず、あきらめました。
その畑の上には不気味な雰囲気の石仏群が
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幽霊の出そうなところは退散するのみ・・・と足早に車に帰って行った(@_@;)
結局、「源流の駅・山帰来」で聞いていた、三叉路を入らず直行すればある「日吉神社」またの名を「大宮神社」にある御神水を頂いて帰る事にした。話によると、神社の奥に在る沢水をろ過してパイプで引いているとの事、天然水の確証からOKと判断して寄る事に、その前に神社の名前
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左にある石柱には「日吉神社」鳥居の上に見える額には「大宮」と書いてあった。どちらが正しいのか調べてみると、どうも大宮神社が正しいらしい、ヤフー地図、グーグル地図とも大宮神社と書いてもある。
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手水舎らしい小屋の中にパイプからドウドウとみずがでていた、小屋の横には
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豊富な水があるのか池もあります。前に在る二本の柱は幟を立てる時に使う支柱であろう、そして
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こちらが本殿ですが、その参道に息づく苔が深閑とした境内をさらに神聖な雰囲気に醸し出していた。
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水も、予定の場所から代わってしまったが、二か所目の天然水も無事汲めたし次へ移動して行った。 

コーヒを沸かしての評価は、やはり沢水でした・・というトコ
(^_^)v (^_^)v (^_^)v でした  
詳しい場所は
  

NO163:旧朽木村の「麻生の清水」(仮)

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お盆になると親戚一同集まるのだが、今年は盆前に汲んできておいた天然水が底をついてしまった。
好評の湧水が無いとは、御もてなしする事ができない。これじゃイカンと
滋賀県高島市旧朽木村へ、朽木村一周湧水探しのドライブと相成った。今回も連れ合いは用事があり一人旅となった。
この辺りには趣のある旧村名がある、旧名田庄村もその一つで好きな名前です。
平成の大合併で高島市になったが、以前は朽木村であった。鯖街道と言われている国道367号線から枝分かれした県道がまた合流する。大体その一周の中に村が入っているという所である。今回はその旧名田庄村に湧き出ている水(情報の有る)をすべて頂いてくる計画を立てての出発でした。
高速若狭道でIC若狭上中まで乗り、そこから琵琶湖へ向けて国道303号走り、上の写真の所から鯖街道367号へ入り朽木へ入って行った。
情報から4ヶ所の水を頂く予定で、先ずは「地子原集会所」付近に在るとの情報(後に勘違いが判明)をもとに、県道783合へ入り「地子原集会所」を探し求めるも付近にそのような雰囲気の場所がなく、民家で尋ねる事に、お婆さんが出て来られ「そんなものは無いで、でも庭に出ている水は集落で沢水をろ過して昔から飲んでいた、ウチのお婆さんはこの水を飲んで90歳まで生きられた」と自慢して下さったが、話の中で、「来た方向へ戻り、くつきの森という河原に湧水が出ていると聞いている。少し判りにくいが」と新たな情報を教えて下さった。庭の水は丁寧にお断りして、新たな情報の方へ車を進めた。
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この道を右へ入って行きます。森林公園「 くつきの森」ゾーンに入って行きます。
左に川が流れ数家族渓流で水遊びをしていましたので、写真は遠慮しておきました。川の縁だという言葉に、車をゆっくり走らせ探してみるも見当たらず、くつきの森の部分を抜けてしまった。すると前方の土手から水が出ているのを発見
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すぐさま車をUターンさせて確認
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大きな声では言えないが・・・「実際は水を汲んでからブログの校正を考えて写真を撮るのである」これまた大変なんでござる(~_~;)
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下にタライが受けてあるという事は、飲んでも良いという事だと勝手に解釈をして地域の名前をかぶせた仮の「麻生の清水」とさせて頂いた。「くつきの森」での湧き水は最後にどんでん返しで汲む事ができた。また、地子原集会所近辺に在るであろう「広野の湧水」は吾輩が地図を見間違えていて、帰って調べた結果集会所よりまだ先の集落にあるもようであった。それはさて置き、この路は朽木一周道路ではないので、行けるとこまで行って見る事にした。
途中こんなものが
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「獣魂の碑」と書いてあり、横に牛舎の朽ちた建物があった。さらに進むと
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深い谷合を走り、着いたところが
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右の林の中に別荘もあるような所だったが、この先橋を渡ると柵が設置されていたので、引き返し次の「ダイバタの清水」なる湧水を求めに行ったであった。

独断と偏見の水評価は、ふつうの水でしたが、一週間を過ぎたころから、心なしか透明度が悪くなってきたような・・・その後オラオラも増えてきたので
(^_^)v (^_^)v (^_^)vを→(~_~;) (~_~;) にしました。
詳しい場所は


NO162:嵯峨野の隠里「水尾の里の水」

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今回は、「柚子の里」でも有名な嵯峨野の隠里、水尾の集落の近く愛宕山の中腹に湧き出る「水尾の里の水」を頂きに行ってきました。
この日は、前日京都縦貫道が北部から京都市内まで全面開通したため、調子者の吾輩は居ても経ってもいられなく、昼前から「奥方」に市内までどのくらいかかるか確かめてくるワぁ~といって家を飛び出しての一人旅(^^)/
事前に調べて、嵯峨嵐山の山奥に「柚子の里」として、たまにテレビで放映される「水尾」という集落の近くに湧水が出ているらしく、今回縦貫道試験走行がてら、亀岡市→水尾→嵯峨野を回り帰宅のコースを考えていた。「奥方」の気分が悪い時は中止も考えていたが、そのような態度は無く気分よく出発した。
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まずは京丹波パーキングエリア、上下線共通施設になっており道の駅「味夢の里」が併設され、一般道からも来る事ができるようです
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高速駐車場からコンコースを抜けると一般道からの駐車場と全天候型グランドが作ってありました。
対向車線は所どころ渋滞をしていましたが、上り方面は通常より交通量は多いいものの渋滞はなく快適に走り、与謝野町入口から亀岡篠までが、この日の走りで丁度1時間でした。
亀岡に下りて、保津川対岸の保津地区から近道を利用して行こうと
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水尾まで5kmと標識にかいてあり、道順はOK
進んで行くと
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前方にゲートが
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これは獣除けの柵ではない((+_+))
諦めて道が狭い所でのUターン難儀をしていたら、スクーターのお兄さんがやって来たので柵の事を尋ねてみると、この柵を越えてももう一つ有るので無理やでぇ~との事、お兄さんは其のスクーターで柵の脇を通り抜け
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消えて行ってしまった。吾輩はしぶしぶ引換し、旧八木町から旧京北町へ抜ける道
   ゆずの里 010-y
車一台の幅、名ばかりの国道477号を走り
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嵯峨、水尾の分岐を入って行った。この国道477号さらに京北越えて、鞍馬の花背峠から大原に抜けそこから滋賀県の琵琶湖大橋まで続いていた。この道も国道とは名ばかりで、どうも酷道のようである。
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右下の小さい案内板には
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にほんの里100選:宕陰(とういん)の棚田と書いてある。
少し期待を持ちつつ進んでくと、山奥の中急に視界が広がった。
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道の突き当りに「宕陰(とういん)の棚田」の案内板が写真入りで立ててあったが、
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稲の穂が大きくなり上から見たのではどこが棚田だか分からなかったので、写真は撮らなかった。(右京区のHPを参考にしてください)
そして、集落のはずれに
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大樽を活用した事務所の様なものが有りましたのでパチリと、その後ろの作業場の名前がまたイイ「平成10年度・きらめく農村女性活動推進事業」鎧田の里直売所(ウイキペディア:樒原の棚田は その形から「鎧田」と呼ばれ、四所神社の社の森はその形から「兜の森」と呼ばれる。)なる看板が掛けられていた。  
その横に四所神社が祀ってあった。
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(樒原集落の氏神として四所神社があり、愛宕神社の奥宮を勧請して戦国時代末期の1552年に創建された)その神社の境内端に
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大木が祀ってあった。車で走っていても見えるとこなので、この木を撮ろうと止まったところ、先ほどの大樽と四所神社がある事が分かったのである。そして、さらに先に進んで行くと。
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愛宕神社参詣道が見えてきた。愛宕神社参詣道は、表参道が清滝方面からと裏参道の宕陰側からが有ります。こちらは裏参道のようです。
水尾へ向かって進んで行くと、橋もない道の下からドウドウと水が吹き出してきている
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道は
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その上は
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スギ林で沢らしきものは無い。二日前の台風の影響でこの辺一帯大雨が降っており、見出しの保津川もあのような泥水((+_+))その影響なのだろうが、近くの斜面からも
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大雨の伏流水が出ていた。その近くの壁面の水抜きからも
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水が出ていたが、見渡してもここだけ
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おそらく、湧き水として常に出ている所と判断して、少々もらって帰る事にした(^_^)v
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しかし、今回尾目的「水尾の里の水」ではなさそうなので、ゆっくり走りながら探して進んだ。
そうこうしている間に「神明峠」まで登って来た。
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すると、厳重に鍵の掛けられた扉が
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スクーターに乗ったお兄さんが言ってた「もう一つの扉」とはコノことかと理解した。こちらには通行止めの看板が置いて在った。
峠を越えて下って行くと見晴らしの良い
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この山が愛宕山だろうか、そしてもう少し下って行くと
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水尾の集落も見えてきた。そしてここでも湧水が
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多いい所では滴るどころか、流れ落ちていた。
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その横の沢水も勢いよく
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ここは橋の下を流れ下っている
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その端の方で
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情報元のトユから流れ出ているというもの
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無事「水尾の里の水」をゲット(^_^)v「嵯峨水尾(さが みずお)は、京都府京都市右京区の地名。「柚子の里」や「清和天皇陵」などで知られている。「きれいな水が湧く所」という意味がある。古くは水ノ尾とも水雄とも書き、「みずのお」「みのお」とも呼ばれたが、集落の位置が清滝の川尻にあたることから水尾という表記になった」(ウイキペディアから)愛宕山の山肌から流れ落ちる水を見れば、納得する道すがらであった。
目的の湧水もゲットする事ができ、後は帰るのみ。水尾集落の手前で
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道の両脇一面柚子畑、集落に入ると道も狭く前から後ろから車の攻撃((+_+))よけながら進んで気づくと
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集落を通り超えていた。そのままさらに前進
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この看板チョイト正確ではない。新保津峡駅は
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この橋を渡り奥に行ったところに在る。それにしても、ここに来るまでに多くの登山ハイキンググループに出逢った。愛宕山から下りてきた人が保津峡駅から帰られるようである。そして、旧保津峡駅へ向かう途中
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新保津峡駅の駅と増水の保津川、そしてこちらは、ラフティングのお客様
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そこからまもなくトロッコ保津峡駅に着きますが、駐車スペースが少なく、すれ違いができそうな道に止めて行ってみる。
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駅の入口がこんな感じです。
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旧保津峡駅の案内図で、こちらが渡る吊り橋から写した景色
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濁流の下流側
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トロッコ列車もいなかったので帰ろうとしたらピーという音が聞こえたので振り返るとトロッコ列車が入って来た。早速引き返してハイパチリ撮った写真が中途半端
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これでご勘弁を(^_^)/~
さらに嵐山へ向けて進んで行くと、初めて見たこんなものが
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  嵯峨天皇  皇后嘉智子
嵯峨陵
                参道
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これより40m先で通行止めです。遙拝所・案内パネルあります。  宮内庁
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その横に
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通行止めのお知らせ:これより先、嵯峨陵の参道は、落石があり大変危険なため、当分の間通行止とし参拝を停止させていただきます。(期間未定)
おそれいりますが、参拝にお越しの方はこちらから遙拝願います。
 宮内庁書陵部 桃山陵墓監区事務所
 電話075-601-1863
 京都市建設局 西部土木事務所
 電話075-871-6721
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    嵯峨天皇皇后嘉智子 嵯峨陵
第52代嵯峨天皇の皇后[786~850]
御名は嘉智子
父は贈太政大臣 橘清友。 母は田口氏
嵯峨天皇が親王のとき妃となり、天皇即位御後の弘仁6(815)年皇后となlった。
仁明天皇及び淳和天王の皇后(正子内親王)の生母である。
皇后は仏法への信仰が厚く、京都嵯峨に壇林寺を建てたので、世に壇林皇后という。
(嘉祥3(850)年、崩御。新谷山に葬られたが、違令によって薄葬し、山稜は営まれなかった。明治45年宮内省によlって治定され修陵がなされた。)
  宮内庁書陵部 桃山陵墓監区事務所
其の後
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こんな道を登り
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愛宕念仏寺付近に出て「普通の道」に、この辺りも混雑の模様、故に嵐山を迂回して縦貫道へ向かった。
 終わり

今日は8月15日「終戦の日」戦後70年。「私の街も戦場だった」・「私たちに戦争を教えて下さい」等々テレビ放映がありました。
其の戦後70年の今、国会では「戦争法案」といわれる「安全保障関連法案」が衆議院を通り、参議院で審議されています。安倍内閣は「中国・北朝鮮」の脅威をあおってアメリカと共に戦える事が必要だと、武器を使用できる法案を「憲法違反」と言われる中でも「合憲」だと押し通そうとしています。このことは、安倍内閣が合憲と言えば何でも合憲となる、憲法無視、憲法の内容を国民が決める国民主権をも否定する最悪な行動であると思っています。
消費税の流れの少しずつ税率をふやしていき国民の感覚を麻痺させていく方法と、自民党政権が9条を骨抜きにするため戦後一貫して法案を作り上げてきている流れを見ていると、まさに国民をないがしろにしている思いが強まってくるのです。
(中国・北朝鮮の対応は現法律で十分対応できる中、それでも今回の法案を通して世界何処でもアメリカ軍と戦えるという事がどう言う事か)
戦後70年今一度、一人一人が今後の日本の進む道を考える時ではないでしようか。

      
独断と偏見の水評価は;すっきりとした感じのコーヒーが楽しめました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は
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