NO145:解雷ヶ清水(けらがしょうず)

   越前岬 053-a
シャトルバスからわが愛車に乗り換えて、越前海岸の観光巡りに出発した。
まずは玉川洞窟観音、玉川トンネルの手前に有りました。
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この鳥居をくぐって進むと、もう一つ鳥居が現れます。
  越前岬 070-b
なぜ二つも鳥居が有るのか疑問に思ったのですが、後程分かったのです。
ともあれ、受付で協力金1人100円を払ってお線香とロウソクを頂き堂門内へ、入口に
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     玉川洞窟観音
 玉川観世音縁起記によると「玉川十一面観世音菩薩」三国伝来の尊像で仲哀天皇が角鹿の湊から北上されこの窟の前を通られた時一天俄にかき曇り風波もの凄く今にも御船危うしと思われた時海底より龍に乗りたる尊像浮き上がり激浪を鎮められしにより天皇は此の洞窟に鎮座せしめられたと述べている。織田釼大明神記によると「仲哀天皇の皇子忍熊命 この辺の悪鬼退治の折この洞窟に身を潜められた時海底より楯岩つき立ち洞の入口を塞ぎ悪鬼の難をのがると記す」前方海中の高い大岩を楯岩と呼んでいる。漁夫は「たてんと」と称するが 楯戸の事である。
越前国名勝志など数種の江戸期編纂図書に「霊像は秦澄作」と記し、丹生郡誌は「古代唐製の青黒の金属製」と述べている。玉川浦永代記録には「古昔外国より渡り給う」閻淳檀金製にして慶応元年三月十八日と「明治十一年六月十九日の二回盗難にかかったがいづれも霊験により奪い去るを得ずして戻らる」と書いている。
閻淳檀金製は印度のエンプダーガナ河の砂金である。
 この観世音は一度観世音経を唱えれば 首を斬る刀も折れ 大波浪も収まり 水難釼難をのがる と観音経に説かれている如く海上安全の守護仏として船員猟師の尊崇が篤い。
という十一面観音菩薩像ですが洞窟の中は
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この様にコンクリートで作られていましたが、以前は洞門に安置されていたのを、危険だという事で新たに作られたようです。
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西国三十三寺の石仏が安置してあり、我が成相寺28番札所の観音石仏もありました。
洞門から出て来ると、管理人のオジサンが正面の崖をさして下記の内容を説明してくださいました。
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     玉川岩盤崩落事故(ウイキペディアから)
1989年7月16日15時30分頃、越前町玉川の国道305号で高さ40m(推定重量1,500t)にわたる大規模な岩盤崩落が発生、落石防止用の覆道(ロックシェード)を突き破って、現場を走行中のマイクロバスを押し潰した。この事故でバスに乗っていた15人全員が死亡した。事故の瞬間はバスの後方を走っていた乗用車により偶然ビデオ撮影されており、轟音とともにバスが一瞬で押しつぶされる瞬間が写っていた。

この崩落の12年前の1977年5月にも現場付近で崩落が発生した。その措置として福井県はトンネル案と海上道路案を提示したが、トンネル案は玉川観音が素通りになり、海上案も水産資源への影響による反対があり、中間となる「現道にロックシェードを設置する案」で決着した。
崩落事故の後に迂回路として現場の海側を通る仮設道路が建設された。1992年に玉川トンネルが開通して、崩落現場を含めた約1kmの区間は立入禁止になった。
事故現場には1993年に慰霊碑が設置された。玉川観音も立入禁止区間に重なったことから、玉川トンネル南越前町側坑口の近くに人工洞穴を建設し、移設した。
現在でも旧道や仮設道路の橋脚は一部を除いて残っている。

写真の矢印の下に祠が設置されていて、第一の鳥居はそのためのではないかと、また洞門も、この事故の供養も合わせてなされているのではないかと、後から思えてきた次第です。拝観料100円で「お線香とろうそく」をお供えするのは事故に遭われた方々の供養の為ではないかと・・・。
それにしても、仏像に鳥居の組み合わせとは・・・イスラム教ももっと大きな心を持って日本的になれば・・・と思う、今日この頃デス。

さて駐車場を出発し先に進もうとすると、二回目のコールが鳴り出した。帰りに敦賀で温泉に浸かり、高速で一足飛びに帰宅する予定にしているので、「もう帰ろ~ぅ」コール。なんせ食べる物は食べ、後は寝るだけ、景色には興味ナシ、こちとらはブログに書く情報を仕入れせなアカン!まだ「千枚田を水仙に転作」した所を見なくては帰れん・・・と今回は強い決意の元、「もう帰ろ~ぅ」コールは右から左の耳に聞き流すことに・・・が相手もさることなかれ、事ある毎に叫んでくる。鎮まったと思ったら今度はイビキが聞こえてきた(これはウソ)
そんな中、呼鳥門(こちょうもん)に着き見学
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以前は、越前海岸道路として使われていたようですが、崩落事故後、新たにトンネルが出来て観光資源となっているようです。千枚田に行く途中から見た呼鳥門
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そして、あちらこちらの山肌一面水仙で埋め尽くされた山道を進んで行った
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細い山道をくねりながら登って行くと、正面が開けその前方に千枚田が目に入った
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その横に案内板と説明書きが
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                  千枚田(梨子ケ平 )
越前海岸には海ばかりでなく、山の方にも豊かな自然が残されている。その山村の奥深いところに突然広がる幾何学妙が一際目を引く。今はほとんどの田が越前水仙に転作されてしまったが、冬の水仙が咲き誇る頃には自然の美しさを堪能させてくれる。また、田を開墾した先人たちの苦労が伺える。  越前町歴史探訪

写真の右手に在るお城のような建物から見ればもっと良かったのだろうが、「変えろ~ぅコール」の為にパスして帰路についた。
それにしても、こんな急傾斜によくもまあ田圃を作り米を生産していたとは!頭の下がる思いと、先人の営みが今につながっている感謝の気持ちが湧き出る風景である。
又、山道を走っていて数か所の滝を見てきたが、水が豊富な一帯である事も生産できた一因であったと思える。
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帰り、越前海岸道路から県道19号に入り、千飯トンネルを過ぎると上水道の横に見出しで出した「解雷ヶ清水」の大きな看板と、由来の書いた看板が在る所に着いた。
   越前岬 054-g
    越前岬 047-b
上の内容を書くにはへこたれるので、下の簡略した内容を写し書します。    
       解雷ヶ清水の由来
 今から1400年以前の昔、西暦570年頃朝鮮半島の百済の国、都城が、高句麗に攻められた時王女「自在女」が国の難を避ける為に、従者を従えて干飯浦「現在の米の浦」に上陸し、安住の地を求め奥地へ奥地へと志向し、峻険なる六呂師峠を越えて山干飯の里「現在の千合谷」へと向かった。途中、従者達は喉の渇きをおぼえ清水を求めたがなかなか見つからず、これを見ていた自在姫が従者達を哀れみ、静座して神仏を念じ水を求めてたところにわかに空がかき曇り、雷雨と共に落雷がありその響きとともに岩間から、たちまち清い水がこんこんと湧き出て、従者達の喉の渇きをいやす事が出来たと言われている。これが今に伝えられている解雷ヶ清水の起こりであり、それ以来、この清水は天王川の水源となり現在に至っている。
 その後、この解雷ヶ清水は、いかなる旱魃のときにでも清水は渇れることがなく、由緒深い霊地として社殿「不動明王」を建て、毎年7月7日には礼祭を行い霊水として奉っている。又、雨乞いの神としても慕われている。これが、今に残る「解雷ヶ清水自在姫伝説」の起こりであり、現在まで言い伝えられている。
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県道19号から入って車一台がやっとの道を約200mほど登ったところに社が見えてきました。
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そして、「不動明王を奉る社殿」
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着いてビックリ、玉手箱!社殿の周りから湧き水が「うんじゃか、うんじゃか」出て来ているではないか!「段田清水」の比ではない(^_^)v
社殿の右奥から湧き出る水が
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左側から湧き出てきた水が
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そして、上から出てきた水は
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おそらく先代の住人達が湧水を利用するために作ったと思われる水路
その水を我々はこちらから頂きます
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そうこうしている間にも、地元福井ナンバーと隣の県石川県ナンバーの車が上がって来ました。
こちらは汲み終えて、連れ合いが早く行きたいという温泉へ向かって行くことに。
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・・・でも、その前に、忘れた水をもらいに寄らなければならないが、PM4時になると管理人のおば様が帰られるが間に合うのか~(?_?)現3時半

解雷ヶ清水の味は、コーヒで何時もながら判断するのだが、期待に反して大味であった。大味とは何ぞや?と言われても答えられないのである
で、独断と偏見の水の味評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
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NO144:越前の「段田清水」

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「越前がに感謝祭」の特選カニ汁につられて、道の駅 越前に行ってきました。
北陸新幹線が3月14日開業するという話でもちきりのとこ、北陸方面の湧水を探しに行きたくなり、Webで探していたら上のチラシがヒットしたので、距離的にもちょうどいいし、カニ祭に参加しがてら湧水をもらってくる計画を練った。この特選カニ汁、当初早とちりの吾輩は、先着午前・午後計500名様の字につられて無料だとばかり思い、計画を進めて行った。連れ合いもその日は空いているとの事で3月15日(日)に行く事に決定。それから、越前海岸に近い湧水の出ているところを検索すると・・・
越前市には結構湧水ポイントが、それも内陸よりに有るのでどこに行こうかなぁ~と検索していると、越前町もあ~るじゃありませんか、てっきり合併して越前市になったものとばかり思っていたら、老舗の越前町も合併しての越前町、しかも南越前町までも・・・平成の大合併で名前を付けたというものの、もう少し英知を出してその土地にふさわしい名前を付けたらと思うのは吾輩だけではないと思うのだが・・・
で、話を元に戻して三ヶ所程水が汲めるところをピックアップして行く事になった。
特選カニ汁をゲットするには、午前の部引換券10時販売、午後の部13時から販売・・・販売?そう300円の有料での越前カニ感謝祭であった^_^;  
とりあえず、どちらかに間に合えばということでAM8:00時出発、舞鶴若狭道で敦賀まで1時間30分の道のりで8号線へ降りて越前海岸へ車を進めた。
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第一の水汲みポイントである「霊水山・命の水」が敦賀の市街地を抜けてチョットした峠のてっぺんに看板が見えた。ここはあるオチのため最後に書く事にしたが、一応ゲットして、八号線から越前海岸道路しおかぜラインへ入って行った。
この海岸道路、昔はたしか有料だったと思うのだが今は無料解放されている。しばらく走ると海岸に北前船が見えたので、チョイト見学御為休憩
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立ち寄ってみると、北前船主・右近家の「船主の館」の駐車場であった。
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正面に見える石の門柱「北前船主の館・右近家」の横に説明が
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     北前船歴史むら 船主の館
 右近家は江戸時代より北前船主として栄え、全盛期には千石船三十四隻を保有して大阪・敦賀・北海道の日本海わ交易に活躍した。明治中期より汽船にきりかえ海運・貿易・海上保険業に進出して、益々繁栄して郷土のためにも大きく貢献された。
 日露戦争の際ロ旅順港閉鎖のため広瀬中佐が乗り組み壮列な最後をとげた福井丸は当右近家より徴用した汽船であった。
 この度、リフレッシュふるさと推進事業、ふるさと創生事業として国、県の助成をうけて邸内並びに別荘、園地を復元し貴重な歴史、文化遺産として永く保存し広く保存し公開するものである。
  平成三年五月竣工  河野村長  清水恵二? 今は合併して南越前町
見学するとカニ汁がゲットできなくなるからという事でパス^_^;
そして、車に向かう途中、北前船の後ろから人が出てきてビックリ、てっきり木造船が展示されているとばかり思っていたので覗いてみると
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 コンクリートで作ったオブジェ、海岸を見る展望台になっていた。それにしてもよくできた船でした。 
ここを後に、一路越前海岸から「だんだん清水」のある越前市小谷町へ向かった。走っていると時たま
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田圃の畔に立っている。何の印か?何か意味が有るのだろうが・・・この近くに金華山どんぐり山の看板が
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確か、情報ではこの近辺に在るらしかったので行って見る事に、登るにつけ道が林道風になって行く
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チョイト不安になってきたが進んで行くと、ロッジ風なコテージが見えてきた。
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案内板をみてみたが、「だんだん清水」は残念ながら書いてなかった^_^; 
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それにしても結構規模の大きなレクレーション施設だこと。
キョロキョロと脇見運転をしながら車をゆっくり走らせていたら、その場所は旗が林立して呼んでくれていた。
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そして看板をよくよく見ると、「段田清水」と書かれていた。  
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ともあれ、汲む準備をしようとバックドアを開けると、来るとき汲んだはずの「霊水山・命の水」のペットボトルが見当たらない、車内を探しまくったがナイ、さては水を汲んで写真を撮りに行ったきりそのまま置いてきたのでは・・・と、帰りに寄ってみる事にして、湧水を汲む事に
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まさに自然の恵み、土中から湧き出た水を自然の竹筒で出してきている(*^^)v
が、汲む所は整備して汲み易いようにしてありました。
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福井県の水は数ヶ所は汲みに行っているが、初めて福井県が認定している美味しい水の旗を見た。県として湧水を観光資源として活用しているようです。「瓜破の名水」の所では観光バスが来たりして観光コースに入っているようですですし。
「段田清水(だんたしょうず)」 の名前の由来は判らずじまいですが、段田という地名なのでしょうかねェ~ 
汲んだ水は確実に車に運んだ事を確認して、この近くに湧き出ているであろう「解雷ヶ清水」へ向かう事に、本来はこの近辺を散策してアップするのだが時間がないので、別の道で里まで下りえ行く事に
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遠方に残雪をまとう山々がそびえ立っている、のどかな集落であった・・・が、早く「カニ汁のチケット」をゲットしなくては食べれなくなるコールが鳴り始めた。次の場所が近くだから寄ってから行くと言ってもコールは収まらない(~_~;)、根負けして道の駅に向きを変える事にした。
道の駅 越前 に着いたが駐車場は当然満車、
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整理員の方の誘導で漁連の駐車場まで行き
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シャトルバスで会場へと,・・・会場の雰囲気
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そしてここに並んで無事引換券をゲット、一人一枚の引換券、並ぶこと30分
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それから又並んで300円で買った(無料でなかった)特選カニ汁と500円のカニ味噌丼
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特選カニ汁は水蟹の片方の足の入った汁ですが、もう少し大きな器に入っていると思っていたのですが裏切られ、水カニの身も食べるトコロは少なくカニみそ丼の500円と比べると非じょ~に見劣りのする内容であった。
イベントを企画される方は、人寄せに「特選・限定・引換券・午前・午後をうまく使って宣伝すれば成功間違いナシ」
イベントの催し物を見ながら昼食タイム
   越前岬 061-a
カニ太郎君も張り切って活躍、我々は、お腹も膨れ会場を後にシャトルバスに乗り込んだ。

越前市米口町の「段田清水」の評価は、まろやかな味を出してくれる水でありましたので
独断と偏見の評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデス
詳しい場所は

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NO143:小畑隧道の「地蔵の水」

    雪庇子山 023-b
  弥彦山(新潟県)、英彦山(福岡県・大分県)と共に日本三彦山として知られる修験道の地。雪彦山(せっぴこ)に向かう途中の峠、に湧き出でる「地蔵の水」へと車を進めたのである。
前日の天気予報では晴れ、しかし、曇りと時たま小雨がぱらつく天候で気分も今一つ、山を見る場合雨になれば最悪^_^;、それだけは勘弁を!の気持ちで走って行く。とりあえずオジサンが教えてくれた場所に行くであろう林道らしき道に入って行った。
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先日降った雪が残る道を曲がると
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お地蔵さんを祀った祠と言うよりも小屋があった。タイトルに地蔵峠と書いていたのだがよく調べると小畑隧道の峠の様である。と言うことで修正をして、小畑隧道の「地蔵の水」とした。地蔵さんを曲がると
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奥の方が地蔵さん、手前の方に小畑隧道が口を開けています
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その手前、道の端に「地蔵の水」と書いた小屋風水汲み場が設置されていました
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どうも法面の水抜き穴から涸れる事無く出ていたのを地元の方がパイプを刺して水汲み場にしたのか、昔から湧水が出ていた所に、法面にコンクリートブロックを設置するときにパイプと土台のコンクリートが作られたのか?しかし、工事関係者が造ったにしては、少々雑な作り方に見えるし、ブロックをよ~く見ると水抜き穴が数か所見えるので、推理的には前者の方ではないかと思いつつ水を汲んいると、横に「この水は地蔵の与うものなれば あなたも汲んで恵み受けませ」 と、吾輩も有り難く頂きました。
「地蔵の水」を汲み終え、次なる目的地へ小畑隧道に入って行った。
麓に降りてきて、雪彦山の中腹にある賀野神社(かや)に目的地をセットしておいたカーナビが示す道に入って行くと、三叉路の正面に歴史を感じさせる神社が
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そして、ここにもイワレの書いたものが
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このお社は、正面に若宮社(馬頭観音)が、右に若年神、左に稲荷大明神がまつってあります。建立の時期はわかりませんが、神社名が馬頭観音であることから部落名も「馬頭」と言い伝えられています。かっては境内に杉の大木が生い茂っておりましたが、永年の風雪に耐えられず、現在の状態になりました。切株の年輪を見ると約250年を数えることができます。私達氏子は一願成就の神様と敬い礼拝しておりますが遠い所からもお参りがあり願い事がかなえられています。
                       馬頭自治会
写真を撮り終えて、右手の方へ進んで行くと、なっなんと、カーナビの進路矢印がひと山越えた別の谷を指しているではぁ~りませんか^_^;・・・なんせ14年前のカーナビ、今のカーナビ日進月歩の発展著しくすごいらしいが、吾輩これしかいらったことがないのでこれで満足しているのだが、時たまこの様にご主人様を困らせる事がある。まぁ、目的地には連れて行ってくれるのだが、時と場合、地図を見ているとそんな遠回りせんでも、この道を真直ぐ行けばよいんじゃないか・・・と思うことはしょっちゅうである。ともかく馬頭地区でUターンをすることで進んで行った。
村中へ入って行きUターンする広場の手前に
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ヤマタノオロチにしては、頭が三つしかない、村人がいたら聞いてやろうと探したが見当たらず諦めて引き返した。
で、再度カーナビが示す方向に進んで行くと、道端にシャガの里と書かれた立札に迎えられた。
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開花の時期外れの為ウイッツキペディアから拝借
     Iris_japonica1-e.jpg
水仙に似た感じの花の様です、それよりもこんなとこに投稿する写真は上手く見ていて気持ちがイイよ~・・・と言っておく
そのうち天候も回復、チラホラと日も射すようになってきた。
やがて、賀野神社の鳥居のとこまでやって来た。
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そして
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                   史跡・名勝「雪彦山」
 日本百景並に日本三彦山の一つである雪彦山は、洞ヶ岳、鉾立山、三辻山の三山の総称である。中でも洞ヶ岳は岩肌をあらわに見せて険しく聳え立ち、玄常上人以来の修験者の道場となっている。
 賀野神社の由緒は古く応神天皇諸国巡幸の際、夢のお告げにより鉾立山山頂に伊弉諾神、伊弉朋神、保食神を祀られたが中世に今の地に移された。明治元年(1868)神仏分離令により、雪彦山金剛鎮護寺を廃し、賀野神社に高産霊神・神産霊神・誉田天皇(応神天皇)の三神を合祀して現在に至る。慶応四年(1864)改築の本殿は実に素晴らしいものである。
 洞ヶ嶽コースの所要時間は約四時間、外山の比較的やさしい尾根伝いを経て大天井岳に到る。晴天の日は瀬戸内海も望める。下山道は渓谷を下るがその涼しさ清らかさはまた格別、渓谷の流れを渡り賀野神社廻りのコースもある。神社より洞ヶ岳を観望すれば、一層壮厳雄大の様相を見る事ができる。また洞ヶ岳はロッククライミングの絶好の場でもある。
 鉾立山一帯は落葉樹に覆われ、秋の紅葉は最高。また北方に915メートルの三辻山が聳え、この辺一帯は峰山を合せて県立自然公園に指定されている。
                    姫路市
と言うことです。
鳥居が有ると言うことは、賀野神社の参道はここからということですが、車道とは別の道で結構な道のりです。
吾輩は歩くのは苦手ですから、もちろん車で直進、しばらく行くと
   雪庇子山 056-a
車が沢山駐車していた。そばには雪彦山登山口の標識が、更にこんな道を登って行くと
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急に林が開け
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谷の遠方に岩山が目に飛び込んできた。雨上がりの靄が少々、少し遠く、写真技術上ハッキリ山肌が写せていなく
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感動が今一伝わらないので、グーグルマップのストリートビューでみて下さい

大きな地図で見る
で、ここから少し走ると賀野神社に着きます。
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先日積もった雪に
   雪庇子山 037-b
足跡を付けながら
   雪庇子山 040-d
石段を上がって行くと、ビック、なっなんと石段の中ほどに鹿が○○○○を出して死んでいるではないか^_^;
そのうえ鹿の目とバッチリ合っちゃたりして、思わず手を合わせてその場を過ごした。
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この写真の左下に少々、おそらく狐に襲われたものだと、鹿のご冥福をお祈りしたいと思います。
賀野神社からの雪彦山です。
   雪庇子山 045-c
さらに登って行くと絶景な雪彦山が見えますが、ここで引き返し高速道で地元まで帰宅、所要時間一時間三十分でした。
肝心な、水の評価は、前回の明神山水と比べてワンランク落ちる飲み口でありましたから
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v デス
詳しい場所は
   
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