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NO:130 清水寺の「音羽の滝」

清水寺・音羽の滝 050-b
我が家を午前4時半、眠気眼で一路「清水寺」を目指して出発(^^)/
開門AM6:00に間に合うように張り切って出発するも、与謝野・高速入口に着けば夜間通行止め!宮津の入口から入れるのか、警備員に聞けば和知まで全面通行止めとの事!出ばなをくじかれる!!ガク

先般貴船神社のブログを書いていて、そういえば京都には有名な水のお寺が在った事に気が付き「音羽の滝」の水を飲んでみたくなり、何時かは行きたいと思っていました。
しかし、日中に行けば人混みの中で悠長に水を汲んでいると迷惑がかかると思い、行くなら観光客の少ない時間帯に行くしかないと清水寺のHPをみて見ると、開門AM6:00から入門でき「美味しい水を早朝汲みに来る人が絶え間ない」と書かれてあったので、行くなら早朝しかないと行く計画を立てていたのです。
偶然にも、京都・西陣の取引先の会社にAM9:30頃までに行かなければならない要件が発生したため、この日に合わせて計画を実行することに相成った訳でございます。
開門AM6:00時に間に合うように出発するのには、どうしてもAM4:00時には出たいと思っていたが実際4:30分発になってしまいました。(本当は、清水の舞台から京都市内が空けてくる風景を撮影したかったのだが)
まぁ、そこへいって30分ぐらいはイイかと諦め(あきらめも早いのです)出発したのでした。
で、最初に書いた通りの予定が再度壊れてしまい、いつ着けるのかなの思いで運転して行きました。幸いにも、早朝と言うこともあり市内に入ってからもスムーズに5条通りを走る事が出来て着いたのが6:30分ごろでした。
駐車場も早朝で、乗用車も公営駐車場に止める事が出来、2時間限定の制限を切られ清水寺へ向かった。
早朝の清水坂
   清水寺・音羽の滝 009-b
まだ寝静まっている坂道を登って行くと
   清水寺・音羽の滝 010-b
路地を抜けると朱塗りの山門が正面に
   清水寺・音羽の滝 011-b
なぜか周りに溶け込んでいる不思議な空間

近くで見ると頭でっかちの仁王門   清水寺・音羽の滝 012-b
入口に狛犬さんがいるのはなぜか?石段を登って清水坂を見る
   清水寺・音羽の滝 014-b
近くの人の早朝散歩コースになっている様で、交じって観光客もチラホラ参拝に、仁王門をくぐると右に
   清水寺・音羽の滝 015-b
西門(さいもん)と三重塔が見えるのだが、三重塔は修理中
その横の石段を登って行くと鐘楼が有ります
   清水寺・音羽の滝 018-b
鐘楼の横には
   清水寺・音羽の滝 019-b
平成梵鐘寄進趣意
 観音霊場洛東清水寺の第四世梵鐘は文明十年(1487)願阿上人歓進寄進応仁大兵災の平安京復興を郷向導す
  雨来530年、朝夕の逸韻絶ゆること無く、遠近の衆聴すでに久し而して妙饗の勢い漸く旧び、雄偉の姿また老ゆ
 平成19年(2007年)清水寺門前会結成20周年を記念し第5世梵鐘寄進を発願、微志を結集しここに成就す
 冀くは此の音を聞く人皆観世音菩薩大悲、無畏福聚に預かりないし世界平和に貢献せんことを
    平成20年4月吉祥日清水寺門前会

sonouegawani
随求堂(ずいぐどう)というお堂があり
   清水寺・音羽の滝 020-b
詳しくは境内案内図を見てください
で、右の石段を登って行くと
   清水寺・音羽の滝 021-b
とか
   清水寺・音羽の滝 022-b
次から次へお堂が出てきます。清水寺へ行かれる方は、事前に境内案内図で下調べして行かれた方が見学が充実できますよ~。吾輩は素通りして肝心なものは見ず、写真を撮っただけでした。
その中に
   清水寺・音羽の滝 023-b
銅版で世界遺産『古都京都の文化財』なるものが
 清水寺はユネスコ(国際連合教育化学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」の一つとして、特に優れて普遍的価値を持っていることを国際的に認められたことになります。
 清水寺は、『清水寺縁起』によると、宝亀9年(778)に僧延鎮が音羽の滝上に観音を祀ったことに始まり、延暦17年(798)には坂上田村麻呂が仏殿を建立して桓武天皇の勅願寺となったと伝えられています。創建後何度も火災によって焼失しましたが、その都度再建され、現在は西門・三重塔・経堂・田村堂・轟門・朝倉堂・本堂・阿弥陀堂が東西に並び、そのほか周囲に仁王門・馬駐・鐘楼・北総門・釈迦堂・奥ノ院・子安塔・鎮守堂〈春日社)、そして鎮守社の地主神社神殿が建っています。大半の建物は17世紀前半に再建されたものですが、こうした景観は13世紀には成立していました。
 伽藍の中心となる本堂は寛永10年(1633)に再建された懸造の建物で、いwゆる「清水の舞台」として知られ、林立する高い束柱に貫を縦横に通して豪快な姿をみせています。また、仏堂である石敷の内陣と礼堂である板敷の外陣からなる本体に裳階、正面庇、翼廊、舞台がつくという平面や、その全体に寄棟造・檜皮葺の大屋根をかける架構は、平安時代からの形を受け継ぐものです。
 これらの建造物のほか、境内の東寄りには江戸時代初期の借景の技法を用いた成就院庭園が設けられています。なお、これらの周囲に広がる自然景観も見事です。
登録年月日 平成6年(1994)12月15日決定、17日登録       京都市

まぁ、これだけ建物が多いいと半日はかける予定で来なくっちゃ回りきれん!
拝観料300円を払って、本堂へ
   入ってすぐ
   清水寺・音羽の滝 032-b
「鉄の錫杖と高下駄」が有りました。力試しに持ち上げてみるようですがパス
そこからの本堂の様子
    清水寺・音羽の滝 033-b
本堂と清水の舞台の方へ進んで行くと、本堂内の横から
   清水寺・音羽の滝 036-b
大国さんがお迎えしてくれます。「出世大黒天」で、あやかりたい方はお賽銭を(^^)/
本堂内には自由に入る事が出来ます。その入り口に
   清水寺・音羽の滝 041-b
なぜてお願いすれば良い事がアルカモ
本堂正面からの写真撮影は気が引けたので、横からパチリ
    清水寺・音羽の滝 043-b
本堂の「清水の舞台」から奥ノ院の舞台へ行く途中に石段が
   清水寺・音羽の滝 076-b
下から見た写真ですが、降りて行けば「音羽の滝」があります。ぶれている写真は、人様の顔が分からないようにしてあるのデス(?_?)
奥ノ院からでも降りて行けれると聞いていたので、「音羽の滝」は後回し。境内には立派な神社もあります
   清水寺・音羽の滝 047-b
そこを通って奥ノ院へ
   清水寺・音羽の滝 049-b
正面に見える子安塔の朱塗りの三重塔が美しい。奥ノ院からの本堂の姿はTOPの写真です。
で子安塔まで足を延ばして
   清水寺・音羽の滝 056-b
子安観音(千手観音)が安置され
安産の守り神で多くの女性に人気だとか、三重塔も小ぶりで気品が漂ってくる塔です。そこから
   清水寺・音羽の滝 059-b
本堂の眺め
そしていよいよ「音羽の滝へ」 
    清水寺・音羽の滝 064-b
 そこらじゅうで、平成の大修理がされていて、工事関係の道具がいたるところに・・・ 降りて行くと
   清水寺・音羽の滝 065-b
清水の舞台がそびえ建っているのが、目に飛び込んできた、そして
   清水寺・音羽の滝 066-b
とぉ~いい昔、訪れたことが有るのだが、その時音羽の滝がどこに在ったのか思い出せず、テレビで見ていると舞台の横の方に在るとばかり思っていたら、こんな所にの思いが
   清水寺・音羽の滝 071-b
このおば様、東京からとの事、夏には貴船の方で床座敷で料理に舌鼓してきたとかの古都・京都ファンの様子、お茶のペットボトルに苦心して「音羽の水」をいれて、東京に帰ってコーヒーを楽しむのだと、帰ってからの楽しみができ嬉しそうでした。

最近写真を撮っていて思うのだが、近年人様が写っていると目を隠したりぼかしたりして、人物を特定できないようにされているものが多いいようです。多くの方は、無断で写して○○の侵害になるとばかりされていると思いますが、意図的に写さない限る許してもらえるのではと思うのですがねえ~(?_?)・・・と言うのも、最近思うことは、人様が写る事によってその被写体が生きてくるように感じるのです。私だけですかねェ~(?_?)

という吾輩もお水を頂戴しまして
   清水寺・音羽の滝 072-b
お賽銭を
   清水寺・音羽の滝 067-b
 入れたかどうか思い出せまシェン(?_?)不動明王を真ん中に
左手には、開基:行叡居士(ぎょうえいこじ)
   清水寺・音羽の滝 070-b
右手には、開山:延鎮上人(えんちんじょうにん)
   清水寺・音羽の滝 069-b
左右反対かもしれないので、違っていたらご勘弁をm(__)m
で、音羽の滝の云われ
   清水寺・音羽の滝 075-b
三筋の霊水は大昔より音羽山中より湧き出る清泉であり、創建以来一度も枯れる事なく、今日に至ります。観音様の功徳水である金色水とも呼ばれ、延命長寿、諸願成就のご利益があるといわれてきました。(霊水冥加料5百円)
またここは開山延鎮上人と開基行叡居士が出会った当山の起原の場であり、現在では不動明王を御本尊としてお祀りいたしております。
毎月28日の不動縁日には朝7時より山内僧侶が揃い、信者と勤行を致します。是非とも早朝の荘厳な雰囲気の中、共に御参拝頂ければ幸です。    合掌

この水は、東山断層の割れ目から噴き出してきているとか、ミネラルが豊富とか期待を持って帰りの途に
順路に沿って進んで行くと、近所のおじさんらしき人が野鳥にエサをやっていた。
   清水寺・音羽の滝 086-b
サギか   
   清水寺・音羽の滝 088-b
どアップで
   清水寺・音羽の滝 089-b
このオジサンに捕まってしまい、京都の仏教界の好いこと悪いこと、しこたま聞かされ、そんな時近くに寄ってきたカラスが鳴くもんだから、「静かにしとれ」らしきことを言い聞かすように言うと、あら不思議カラスは鳴くのをやめてしまった。飛び立とうともせず、餌をおねだりしている様子で、どうも毎朝の日課の様であった。
オジサンから解放されて、清水の仁王門の所についてみると、朝の7時半頃だというのに
   清水寺・音羽の滝 090-b
修学旅行も、た い へ ん
で、門前街もあさの息吹が・・・
   清水寺・音羽の滝 095-b
そして駐車場へ帰って来ると
   清水寺・音羽の滝 099-b
次から次にバスが上がってきて、駐車場は
   清水寺・音羽の滝 100-b
の有様でした。おわり

「音羽の水」でコーヒを沸かして飲んだ結果、5ランクに思ったり4ランクに思ったりで不思議な水であった
独断と偏見の「音羽の滝」の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vに最終的になりました・・・とさ

場所はみんな知っていると思うが入れときます

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NO129:亀岡の弁財天社の「乳の泉」

   P1010016-b.jpg
右の出が悪い「乳の泉」の湧き水でーす。
今回は久し振りにカヤックの師匠に出逢いに亀岡へ、行くなら湧水もと、亀岡の湧水を検索すると「あるわ、あるわ」京都市内も多いいと聞くが、亀岡も結構ある(^_^)v
そこで探した結果、面白い名前に誘われて「乳の泉」という湧水が出ている神社「弁財天」へ行く事にしました。
まず、メルヘンチャペルという喫茶店へ、ココのマスターの名前は聖(きよし)という。聞いた事はないが、おそらくここからメルヘンチャペルという店名を付けたのではと想像している。
   P1010044-b.jpg
これがお店ですが、中に入るとカヌーショップか喫茶店かと戸惑うお店です。
   P1010042-b.jpg
そしてこちらが師匠で、ロデオカカヤックのインストラクターでは、日本でも何本かの指に入る方ではないかと思っています。
    P1010040-b.jpg
吾輩は今では卒業しましたが、今からカヌーをしてみたいと思われる方なら、一度ドアをたたかれるのもいいと思います。
カヌー&カヤックショップ:メルヘンチャペルを覗いてみて下さい。
しこたま話をして店を後に、目指すは乳頭神社(現地に着くまで、そう思っていた^_^;)亀岡も市とはいうものの山間部が多いい街で、京都市内や大阪の衛星都市である。何時もの事で、山間部を走りまわって、やっとそれらしき場所に出くわした。
   P1010003-b.jpg
実際素通りしそうな隠れた場所であったが、ちょうど通りかかった時にプリウスからポリ容器を下しておられた御夫婦を見つけて、直感「乳の泉」ではないかと立ち寄ったのが正解でした。
   P1010004-b.jpg
その後夫婦がお水を汲んでおられるところを後ろから失敬させて頂きました。
水汲みの邪魔をせず、とりあえず神社に参拝
   P1010038-b.jpg
トップのお乳の格好をした湧水が出ているところは、この左下にあたります。
   P1010013-b.jpg
この神社の前方一面が池になっています。
   P1010023-b.jpg
そして湧水が岩の間から流れ出している処
   P1010017-b.jpg
暗くてシャッター速度が遅くブレました。出ているところをアップ
   P1010015-b.jpg
で、「乳の泉」たるイワレが書いてありました。
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  乳の泉(西別院)
弘法大師が勧請したとも伝えられる弁財天社の左脇にあるこの清水は、二つの水の出口があり、ちょうど乳房の形に似ています。これは、この清水を頂いて、乳の出ない御婦人に飲ませると、必ず乳が出るようになると言うことで、、多くの人が貰いに来ると言うことですが、この様な話が伝わっています。
その昔、嵯峨御所に心優しい皇女がおられ男子の子を出産したが乳の出が悪く、乳母も見付からないため日に日に弱って行くのを嘆き悲しんでおられました。そんなある日、庭に出て「丹波の弁天さん」という声を聞きました。その声は、かって牛車に轢き殺されそうになっていたのを助けた白蛇でした。皇女は、藁をも摑む思いで、丹波路に向かいやっとのことでこの弁天さんを見付け、引き寄せられるように湧き水をひと口、ふた口と飲む内に、たちまち両方の乳房から乳が溢れ出ました。やがて皇女の男の子は元気になり、健やかに成長したと言うことです。
この話は程無く都中に拡がり、以来この湧水は「乳の泉」として知られるようになり湧き水には乳房を型どった鉄製の枠も取り付けられました。このような乳に効験のある清水としては、余部町の走田神社境内の中に「垂乳の池」があります。
なお、この清水は、どのような干ばつの時でも涸れたことがないとも言われています。

この湧水は、自然の姿を残す為か、池を汚されない為か厳重な柵が施されているため水を汲むには、神社の一団下にある水槽に出て来る水を汲むようになっていた。
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それも一度に三組の方達が汲めるように、三ヶ所から水が出てきている。そのため足元もしっかりしたグレーチングの踏板が作られていました。
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この様にお金を掛けて水が汲めるようにしてある事は、相当美味しい水なのだろうと期待が膨らみコンテナ一個分(ペットボトル8個)を頂いた。
池には主が人間どこ吹く風かと言うように悠然と泳いでいた。
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湧き水を入れ終えたころ気づいたのだが、コンクリートの壁の小石が赤く染まっているようだ、もしや、この湧水にもベニマダラが息づいて居るのかもと嬉しい気持ちになり「乳の泉」は無事汲み終えました。
   P1010028-a.jpg
尚、神社総代からのお願いが
    P1010036-b.jpg
     お願い
1、お乳水を汲みに来られた方は自動車の駐車は通行の邪魔にならぬ様注意してください。
2、お乳水はお一人様20リッター程度にして順序よく汲み取ってください。
3、お乳水の汲み取りは、午前8時より午後8時までにお願いします。
4、沸水は地域の水源です清潔に美しくしましょう。 持参のゴミは自分で持ち帰り下さい。
*以上違反された方はお乳水の汲み取りをお断り致します
神地区辨天神社総代
との事なので、汲みに行かれる方はくれぐれもお守りください。尚、下の写真も添付しておきます。
P1010009-b.jpg P1010008-b.jpg
「乳の泉」の水質について
この湧水をかって「保健所で検査したところ、ほとんど無菌に近いという折り紙がついていた」との事ですが、その後、再度の水質検査の結果、水質基準の強化により、飲料水としては適さないとされましたが、これまでと水質そのものが変化したわけではありません
神地区  宮総代
おそらく、湧水の手前にある三つの筒で水を浄化してこちらに流しているのではと思われます。

汲み終えて、近くを散策していると「白髭神社」なる
    P1010025-b.jpg
面白い名前の神社があり
    P1010027-b.jpg
琵琶湖の高島市に「白髭神社」の総本社があると、テレビで「高島市の町おこしに」と琵琶湖の中に鳥居が建っていてそこから神社に参拝するという珍しい神社と紹介されていました。
白髭神社HPで詳しくは見てチョウダイm(__)m
全国292社あるという。

で、「乳の泉」をのんだ評価は、吾輩は男性ですので、「乳」の出具合は判りましぇん・・・、ちなみに連れ合いもとぉ~の昔に・・・と言う年齢ですので、こちらも当てにできません^_^;
結果、期待したほどの事はなく、やはりおっぱいに良いのかも(^_^)v
独断と偏見の評価です
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は

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ストリートビューで見ると、このときも誰か汲みに来ておられますよ~(^^)/

NO128:姫路市の「岩部天然名水」

   姫路岩部の清水 037-b


奥様のご要望に応え、改修された姫路城と「柘榴坂の仇討」を見がてら「岩部天然名水」を買いに行ってまいりました。
この日の行動予定は、平成の大改修を終えた姫路城の観光→「柘榴坂の仇討」→「岩部天然名水」を探しに→最後の締めくくりは温泉へ
我が家から姫路に行くには、兵庫県の和田山へ出て播但自動車道に乗り姫路へ約2時間のドライブ。和田山へ行くには、福知山へ出て9号線を走ると時間が掛かるため、山越えの道を選んで走り約10分以上は短縮します。
たかが10分されど10分、気分的な満足感(^_^)v

車を入れた駐車場が後で分かったのだが、お城の入口の反対側、その時は堀に沿って行けば入口が有るとばかり散策
姫路岩部の清水 013-b       姫路岩部の清水 008-b
後ろから見た姫路城、春は桜、秋は紅葉と楽しめれるような公園の中をつききって、
   姫路岩部の清水 016-b
武家屋敷跡の路地を抜け切り
   姫路岩部の清水 018-b
濠の周りの散策路を歩いて
   姫路岩部の清水 020-b
堀を回り込んで正面と思える所から見たお城
   姫路岩部の清水 026-b
その前の市街地
   姫路岩部の清水 022-b
そして、桜門橋を渡り
   姫路岩部の清水 025-b
大手門をくぐって入って行けば,TOPの写真の姫路城が目の前にドガ~ンと飛び込んでくるのです。この工事中の姫路城もめったに見れたものでありませ~ン(^_^)/
お城も新品真っ白です。これもスグ左の小天守のように煤けるとの!
現在姫路城の大天守閣は公開されていません(来年2015年の3月頃から公開かと)、京はスケジュールも詰まっているので、あっさりコースだけで丁度ですので400円の入場料を払って入りました。
菱の門
    姫路岩部の清水 042-b
名前の由来は、正面の冠木に木製の「花菱」が飾られている事から
重厚な門をくぐると、正面から鎧に身を包んだ鉄砲隊らしき一団がこちらに向かって
    姫路岩部の清水 045-b
ついて見に行きたかったのだが、入城口から外へ出て行ったため付いて行けず断念。我らは百閒廊下と呼ばれる長局へ
その前にここからのお城
   姫路岩部の清水 043-b
そして、百閒廊下の外壁
   姫路岩部の清水 048-b
その中
   姫路岩部の清水 054-b
千姫の人形が展示してある部屋も
   姫路岩部の清水 056-b
説明書き
   姫路岩部の清水 055-b
千姫と化粧櫓(やぐら)
 千姫は徳川二代将軍秀忠の姫君に生まれ、政略によって豊臣秀頼に嫁がしたが、大阪落城の際に救い出され、後に本田忠政の子忠刻に再婚した。
 元和三年忠政が伊勢桑名から姫路15万石の城主となったとき、忠刻も千姫の化粧料として部屋住のまま十万石を与えられ、姫路に移り住んだ。
 忠刻と千姫の居館は、西の丸内に本館として中書丸を、桐の門内に下屋敷として武蔵御殿をそれぞれ築き住んだ。
 これらの建物は多く豊臣秀吉が築いた伏見桃山城を取りこわした用材を移して建てたもので、桃山時代の立派な書院造の建物であった。
 千姫は天満天神を信仰し、姫路へ来てからは、西方の丘男山にこれを祀り、毎朝西の丸の長局の廊下から参拝した。この時、この化粧櫓を利用した。
  忠刻と千姫の夫婦仲は睦じく、姫路に来てから相次いで勝姫(のち池田光正室)、幸千代の二児をもうけ、平和な日々を送ったが、長続きせず、幸千代は三歳で早逝、忠刻も寛永三年三十一歳で世を去った。
 千姫は、同年落飾して天樹陰と号し、悲しみの内に姫路を発って徳川家に帰った。
 この化粧櫓は、中書丸や、武蔵御殿がないまま、わずかに千姫の面影を偲ぶただひとつのたてものである。
   姫路岩部の清水 051-b
どの方角から見るのが一番かな(?_?)
次に向かったのが二の丸、天守閣が在る本丸敷地内は工事中につき入場禁止。で、姫路城と言えば「播州皿屋敷のお菊井戸」天気も良く日中であるから幽霊も出ないだろうと見学に行く。
   姫路岩部の清水 074-b
これがその井戸らしい
   姫路岩部の清水 075-b
       お菊井
永正年間〈1500年頃)、城主小寺則職の執権青山鉄山が主家横領を企てているのを、忠臣衣笠元信の妾(いいなずけ)
で、青山家に住み込んでいたお菊が探知し、元信に知らせて城主の難を救いました。
 しかし、鉄山は浦上村宗の加勢によって則職を追放し、一時主家を横領しました。
 村宗等を招いた饗宴の際、お菊を恋慕していた町坪弾四朗は、家宝の十枚揃いの皿の一枚を隠し、お菊を責め殺し井戸に投げ込みました。
 その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたということです。やがて、元信らが、鉄山一族を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社の境内に祀られました。
という事らしいですが、この皿屋敷幽霊物語は全国に数話有るという。歌舞伎のネタかも
そして、その横の櫓では、黒田官兵衛展が
   姫路岩部の清水 069-b
鎧兜が、特に兜に注目
   姫路岩部の清水 071-b
兜の形がお椀なのである。各時代の鯱(しゃちほこ)も
   姫路岩部の清水 068-b
写真で見ると分かり難いですが、人間の背丈ほどあります。
もう一つ紹介するもの
    姫路岩部の清水 060-b
鬼瓦の十文字
   姫路岩部の清水 061-a
十文字の鬼瓦
 にの門櫓(右の二層櫓)唐破風屋敷に乗っている鬼瓦には、十文字が彫られています。キリシタンの名残りとか、魔除けともいわれています。日本の城では珍しい紋瓦です。
 尚、この櫓の南面と東面お鬼瓦には、波しぶきが彫ってあります。これは火除けを祈ったものと思われます。
お城を出るとき、こんなものを見つけた。
   姫路岩部の清水 064-b
その後の結果
   姫路岩部の清水 065-b
漆喰が落ちて、数年も経たずして白鷺が灰鷺になるらしい。白亜の城を見るのは今のウチですよ(^.^)/~~~
駐車場に帰るため、お城の周りを回って行くと
   姫路岩部の清水 079-b
工事現場に入り込んでしまったが、無事駐車場にたどり着いた。
で、お城の入場券とセットになっていた
   img104-b.jpg
本来500円の所、セット価格700円(城400円-100円)(ドラマ館500円ー100円)計200円のお得な価格で見学
   姫路岩部の清水 094-b
展示場での写真撮影は2ヶ所だけでしたので、内容は行ってのお楽しみに残しておきますゾ。
と言うう事で、次の目的へ
    img105-b.jpg
シネパレス山陽座で、「時代の流れの中で、二人の男が過去に行かにけじめをつけ、明日に向かって生きていくのか」
連れて行かれたににしては、のめり込んでしまった映画であった。
・・・と、かっこよく言っときますダ。
姫路市内の予定は一通り終えて、待ち望んでいた湧水汲み。こちらの方は帰り道に在るのだが場所が確定できていない。
分かっている事は、姫路市の北部香寺町内に在り近くにネッスルの大きな工場がありその裏の方にバラ園が在るという事だけ、ネッスルの工場は大きく、国道321沿いに在りすぐ分かった。この辺の路地というと、農道に家を建てて行ったのか、車一台が通るぐらいの道幅、対向車を気にしながら探し回るも見つからない、それなら「バラ園」を探してみようという事になり、来た道を帰って行くと国道沿いに小さな看板が出ていた。車で入って行くも、園自体が小さく駐車場も無い。
思い余って、例の如く尋ねてみる事に、と「もっと先の方に行けば目印の看板が出ているので、そこを右に入って行けば有るよ」との事、日も沈みかけているし、目的はまだ一つ残っている。焦る心を押さえながら進んで行くと、無事発見(^_^)v
路地を入って行くと
   姫路岩部の清水 100-b
その奥にも駐車場が
   姫路岩部の清水 103-b
100円で15リッターですので、吾輩が頂くには余るほどの水量でした。
   姫路岩部の清水 102-b
この横にも遠方から水汲みに
     姫路岩部の清水 101-b
この家族、ポリタンクを持っての水汲み、余った水を汲んで下さいと伝えて最後の目的地へ
   これが成分の様です
   姫路岩部の清水 101-a
他にも保健所で調べた結果が書いてありましたが割合いしました。
最後に、山奥の温泉地かさがた温泉
姫路岩部の清水 107-b
という訳で、長~い一日を温泉で締めくくりました・・・というお話でした。おわり
「岩部天然名水」でコーヒーを沸かして飲んだ結果、連れ合いは「スーと」入っていくとべたほめ(^_^)v吾輩は「地下から汲み上げた水は、コーヒーには今一」の思いからランク5には・・・独断と偏見のランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_
詳しい場所は

大きな地図で見る

  

NO127-B:平成の名水「雲城水」

NO127の項に動画を多く入れ過ぎて文章の入力が遅くなりすぎましたので、NO127-Bとして続けます。
   小浜、 042-b
        雲城水(うんじょう)の水
 その昔より一番町は清水湧き出る
豊水の地として知られ、
各戸の掘り抜き井戸から夏は冷たく、
冬は暖かい恵みの水が
絶え間なく流れ出ていました。
この地を育んできた母なる水は
いつしか雲城水と呼ばれ、
若狭の自然が溶け込んだ
清らかで豊潤な天然水として、
広く皆さんに愛飲されています。
 反面、水禍に襲われたことも多く、
そのためこの地に水天宮をお祀りし、
毎年7月23日、
水に対する報恩感謝と、水難除けの
祭典を行ってきました。
 現在の雲城水と水天宮は、
区内在住であった、故池野小作・光治氏
親子二代にわたる、篤志によって建立、
整備されたものです。
平成16年7月23日  一番町振興組合 
               一 番  町 区
と言う歴史のある湧水です。その地は
小浜、 045-b
図面で見る通り海岸の横にある塩分を含まない湧水です。
   小浜、 046-b
着いたところ、地元のお婆・・・モトイ「シルバーレディー」さんが水汲みの最中
   小浜、 039-b
ホントは裏姿から、「雲城水」の全体を撮影しようとシャッターを押したところに裏をむかれて顔がバッチリ・・ゴメンナサイ
・・・お婆さんが言う事には、「ここの水は美味しいけど、瓜破の水と言うのがあって美味しいらしい」と「雲城水」をほめているのか、けなしているのか、複雑な思いで聞いていると何処からともなく家族連れが水汲みに
   小浜、 044-b
なんと!大阪から来られたとか(@_@;) かく言う吾輩も京都の山奥から来たのだが・・・
整備されている水汲み場の全体像です。
   小浜、 043-b
よぉ~く見ると、カメラで撮影している人の姿が、この人もブログを書いているのかな~と思いつつ、次の目的地へ
    小浜、 017-b
この山のてっぺん(頂上)、小浜湾の右の半島「内外海半島(うちとみ)」にあるエンゼルラインへ
    小浜、 104-b
エンゼルライン、以前数十年前は有料のドライブウェイだったが今は無料になっている(^_^)v
ドライブウェイを登って行くと、しめ縄が巻いてある大岩に出くわす
   小浜、 127-b
その山肌側を見ると
   小浜、 128-b
   小浜、 126-b
大神岩(おおかみいし)
 この岩は久須夜神社の祭神・大巳貴命(おほなむち)が遊行されたと伝えられる遺跡です。
 大巳貴命は大国主命と申し上げ縁結びの神としで広く知られています。
 霊峰久須夜ヶ岳の象徴としてここに大神岩を祭祀し、参拝の皆様に良縁と福徳円満家内安全がもたらされますようにねがいっています。
【この岩が狼に似ているところから、別名大神岩とも云われています】
注:大巳貴命は大国主の別名  久須夜神社:宇久湾に臨む堅海集落の東方に鎮座
大岩から見た小浜湾
    小浜、 130-b
大巳貴命がこの岩に腰を掛けて一帯に不幸が無いように見守っているのでしょう。
そして久須夜ヶ岳の頂上へ
   小浜、 110-b
ここにも好き者が(@_@;)    
   小浜、 112-b
そしてママチャリで登って来る強者も!(^^)! 
    小浜、 120-b
外海の風景で~す。
   小浜、 116-b
   小浜、 131-b
沖の石の由来
現在地の正面向こうに見える半島(常神)の手前の黒点のような岩礁が沖の石です。
治承3年(1179)この地に流された二条天皇の女官源三位頼政の娘 二条院讃岐(さぬき)姫が、この波間に見えかくれする”沖の石”をながめ
わが袖は 潮干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかわく間もなし    と、
悲しい恋歌をうたっています。なお、この歌は小倉百人一首にでています。
   小浜、 142-b
奥の島がある半島が常神半島ですが、さてどれでしょう(?_?)
そして、真下の海岸線
   小浜、 147-b
エンゼルラインの観光が終わり帰宅するのに、同じ道からでは面白みが無いので回り道をして帰る事に、例のイベント告知板に
    小浜、 153-b
その棚田がコレです
   小浜、 152-b
そして、棚田を囲んでいる獣用柵を開けての棚田の風景
   小浜、 165-b
     小浜、 166-b
小浜、 167-b
この一角に、二条院讃岐姫が幽閉されたという屋敷跡が
    小浜、 176-b
石柱の後ろには、現地は通称「御所平」と呼び、古くから禁足地とされていたが、土地改良工事でその跡を保存する   秦家用地跡
と書いてありました。・・・・・という事で今回の小浜水汲み紀行は終了ですが、蘇洞門のビデオが見つかりましたので、これでご勘弁を
  

やっとのことで「雲城水」の報告が出来ます。やはり「平成の名水」に指定されているだけあって美味しい水です。塩分も感じられず、「瓜破の名水」に通じる味に思えたのは吾輩だけであろうか(?_?)
独断と偏見の水ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした 

詳しい場所で~ス

大きな地図で見る

  

NO127:平成の名水、小浜市の「雲城水」

引き続き、「放生祭」の祭礼を
小浜、 094-b
写真の左にいる幼い女の子が、初めに太鼓を打ち出して、写真は次に大きい女の子が太鼓を打っている様子です。「かわゆ~い」お囃子の姿でした。
   小浜、 088-b
この太鼓についている棒振りです
   
街を練り歩く不思議な集団
小浜、 049-b
獅子舞の一団でした
    
祭りを楽しんでいると時間も経つのが早く、まだまだ予定がぎっしり組んであったので、山車が帰って行くときを見計らって吾輩もPに引き返す事にした。
   小浜、 102-b
帰りの山車は何かぁ~哀愁が漂っていま~ス。で、もう一枚ギャル2人組
   小浜、 100-b
ついでに我が町の、モトイ我が村の春祭りを、前篇
   
祭礼の太刀振りを神社の前で行う「道振り」と神楽の獅子舞ですが、獅子の髪の毛が「金髪のパンチパーマ」なのです。
後編
   
この中で、3人の子供がシメ太鼓とうちわで舞う「笹囃子」眠たい踊りですが、聴くところによると天岩戸から天照大御神を誘い出す踊りとか・・・ウソカモ(?_?)
それにしも、「放生祭」と比べると、のどかなこれぞ村祭りと言ったところでしようか 。尚、橋立籠(この)神社の祭礼を受け継ぐものです。

元にもどつて、平成の名水「雲城水」を汲みに
   
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