NO119:貴船奥宮の「手水」

本宮を後に、少し本通りをの上がって行くと中宮・「結社」の参拝入口に着いた。

そこから上に鳥居をくぐり登って行くと、結社の社に着きます。


まだ新しい趣きの社で、あまり歴史を感じさせません。

という事なので、結社のイワレヲ
貴船神社 中宮
結社
御祭神:磐長姫命(いわながひめのみこと)
神武天皇〈初代の天皇)曽祖父にあたられる瓊瓊杵尊(邇邇芸命)(ににぎのみこと)が、木花咲耶姫(このはなさくやひめのみこと)を娶らんとする時、父の大山祇命(おおやまつみのみこと)が姉の磐長姫命も共におすすめしたが、瓊瓊杵尊は木花咲耶姫だけを望まれたため、磐長姫命は大いに恥じ、「吾ここに留まりて人々に良縁を授よう」といわれ、御鎮座したと伝えられています。
古くより縁結びの神、「恋を祈る神」といsての信仰が篤く、平安時代の女流歌人・和泉式部が切ない心情を歌に託して祈願したという話は有名である。(和泉式部の歌碑がこの上の境内に立っています)
昔はススキ等の細長い草を、今は「結び文」神前に結びつけて祈願する習わしがあります。男女間の縁だけでなく、人と人、会社と会社、就職、進学などあらゆる縁を結んで下さる神です。

天乃磐船と命名してあり、貴船山の山奥より出土したものを造園家の方が寄付されたものの様です。
和泉式部の歌碑

歌碑の横にある説明文には
貴船神社は、古来、恋を祈る社でもありました。
平安時代の有名な女流歌人・和泉式部は、夫との仲がうまくいかなくなって当社にお参りし、貴船川に飛ぶ蛍を見て、切ない心情を歌に託して祈願しました。すると、社殿の中から慰めの返歌が聞こえてきて、、ほどなく願いが叶えられて、夫婦仲がもとのように円満になったという事です。『後拾遺和歌集』には次のように記されています。
男に忘れられて待りけるころ貴布禰に参りてみたらし川に蛍の飛び待りけるを見てよめる。
ものおもへは沢の蛍もわが身より
あくがれいづる魂かとぞみる
(*あれこれと思い悩んでここまで来ますと、蛍が貴船川一面に飛んでいます。そのはかない光は、まるで自分の魂が体からぬけ出て飛んでいるようでございます)
御返し
おく山にたぎりて落つる滝つ瀬の
玉ちるばかり ものな思いそ
(*しぶきをあげて飛び散る奥山の滝の水玉のように<魂がぬけ出て飛び散り消えていく=死ぬかと思うほど>そんなに深く考えなさるなよ)
この歌は貴布禰の明神の御返しなり、男の声にて和泉式部が耳に聞こえけるとなむいひ伝える
とまあ、歌碑が境内に建ててあります。そのほかにも、御神木の「桂」が

樹齢約400年ほどとの事、人間の命のはかなさ、いかに生きるか・・・と、言ってみる
中宮「結社」を後にして・・・・・ 奥宮に着く手前に「相生の杉」がそびえていました。さらに樹齢千年との事


判るように写すと

しばらくで・・・奥宮の入口に


思い川
夫の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は、貴布禰詣でを思い立ちました。当時は奥宮が本社で、参拝者はこの谷川で手を洗い口をすすぎ、身を清めてから参拝しました。
この谷は禊の(みそぎ)川、物忌(ものいみ)の川だったのです。和泉式部もここで身を清めて恋の成就を祈ったのでしょう。
契の川だった「おものいみ川」が、和泉式部の恋の話と重なり、いつの頃からか、「思ひ川」と呼ばれるようになりました。
遅桜なほもたづねて奥宮
思ひ川渡ればまたも花の雨 虚子
橋を渡り参道へ

奥宮へ向かって歩いていると、つつみヶ岩と書いた立札が

貴船神社のHPから
貴船特有の貴船石。
古代の火山灰堆積の模様を表す水成岩で、紫色に輝き、色調・形状ともに秀でた名石。
大昔、貴船・鞍馬は海底火山であったことがたくさんの化石から証明されている。枕状溶岩もそれを証明するひとつで、海底火山の活動によって流れ出した溶岩が海水で冷やされ固まり、これがいくつも重なって枕状になる。庭石の名石で知られる貴船石も溶岩で、この「つつみが岩」もよく見ると枕状が確認できる。
高さ:4.5メートル 重さ:43トン
そして赤い神門が見えてきます

その手前左に家族連れが居られるところに、二つ目の湧水である貴船奥宮の「手水」が石垣の中から湧き出しています

その中をジィ~と見ると

水溜の石が赤く染まっているところがチラホラと、ここにもベニマダラが・・・おそらく・・・
ここで、貴船神社とメールのやり取りをする中で、貴船神社側の「警告」を転載しておきますので、お水を頂きに行かれる方はご注意してください
『 奥宮の湧き水についてのご質問にお答えいたします。あのお水は、たしかに貴船山からの湧き水ですが、あくまで
「手水」にお使いいただくために引いているお水であり、特に名前がついている御神水というわけではありません。
本宮の御神水については、きちんと水質調査をおこなって良質のお水であることが判明しておりますので、飲料水と
してお使いいただくことに、なんら問題はありません。
一方、奥宮のお水については水質調査はおこなっておらず、飲料水として適しているかどうかはわかりかねますので、
はっきりと申し上げられません。』
ブログ管理者から
①天然水(湧水等の、人間が手を下していない水)は、管理されている方の許可がない限り、基本的に煮沸して呑む事。
②当然、生水を飲まれる場合は各種のリスクを負います。多くの方は理解されていると思いますが、その場合のリスクは自己責任という覚悟での行為でなければなりません。
③私がコーヒーを呑んでの感想を書いているのには二つの理由があります。
A:コヒーで飲むと水の違いが実感できる。
B:コーヒを淹れるときには、水を沸かさなければならない。
④最近人間ドックを受けて知ることができたのですが、(ウィキペディアから)ピロリ菌の保菌率が日本は1992年の時点で20歳代の感染率は25%程度と低率であるが、40歳以上では7割を超えており発展途上国並に高い。日本のこの極端な二相性には、戦後急速に進んだ生活環境の改善が背景にあるものと考えられている。生活環境というのが上水道の整備らしい。という事は、生水を飲むことによりピロリ菌に感染するリスクが出て来るのでは、かくいう吾輩も「保菌者」であった。
【胃癌を発症する方の多くが(100%ではない)ピロリ菌の保菌者であるとの事】
吾輩は、ここでもペットボトル3本頂きました。ただ、水量が少なく、出て来ている水も石につたって下の水ために流れて来ているので、水溜から汲まなければならなく、水量が少ない関係上、参拝者が少ない時に汲ましてもらわなければ迷惑がかかるので、気を付けてください。

で境内の中へ参拝に、境内全景

拝殿の裏に本殿が


貴船神社 奥宮
当地は、貴船神社が当初創建されたところで、当社の祭神も本宮と同様、水や雨を司る神「たかおかみの神」である。
社伝によれば、「反正天皇の時代(五世紀初頭)に、玉依姫命(神武天皇の母)が黄舟に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼっ当地に上陸し、そこに祠を営んで水神を祀ったのが当宮の起こりである」とのことで、地名及び社名の起原をこの「黄舟」に求める説もある。
境内の本殿横には、この伝説にまつわる「船形石」があり、これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全に御利益があるとされた。
また、本殿下には巨大な龍穴があり、文久年間(1861~1863)の本殿修理の際、大工があやまってノミをこの中へ落としたところ、一天にわかにかき曇り、突風が起こり、ノミを空中へ吹き上げたという。この他、宇治の橋姫伝説や和泉式部の恋願成就など、当社にまつわる逸話は数多い。
なお、当社境内周辺には、昭和60年(1985)六月に京都市指定天然記念物に指定されたカツラをはじめ、高木が多く見られ、自然遺産の宝庫でもある。 京都市
こちらが船形石です

他にも、


連理の杉(御神木):貞明皇后御参拝の折(大正13年)称賛された連理の杉。連理とは、別々の木が重なって一つになる意で、夫婦、男女の仲睦まじいことをいう。この神木は杉と楓が和合したもので、ひじょうに珍しい。
一通り参拝と見学を終え、お水も二か所無事頂く事ができ帰宅の途に。元来た道は人通りがタイヘン!
帰らずにそのまま行けば、京北町(現京都市)に出るはず


さらに進むと

間もなく峠が来る辺りに地蔵小屋

ここの地蔵さん、夫婦地蔵か二体一緒に並んで旅人を見守っていてくれる。なので、夫婦円満をお願いしてお賽銭を
そして、峠


心細い中、麓に降りてくる。

芹生(せりょう)の里へ、そして美山へ


電飾の大文字山を見て無事帰宅!(^^)!
肝心な水の評価は、嫌みのないコクとまろやかな味で一級品の水でした。
でぇ~独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆ でした
詳し場所は
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