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NO101:成相さんの「観音水」

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101回目なので、我が郷土の名刹{願う事必ず成り合う寺・成相寺}の「観音水」をお贈りします。

上記の写真はおいおい書きます。まずは(入山料を払うと頂ける成相寺参拝ガイド)から
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   成相寺由来
 一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中深雪の為、里人の往来もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となった。
 死を予感した僧は、「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈った。すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に狼の為傷ついた猪(鹿)が倒れているのに気付いた。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して猪(鹿)の左右の腿をそいで鍋に入れて煮て食べた。
やがて雪も消え里人達が登って来て、堂内を見ると本尊の左右の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散って居た。それを知らされた僧は観音様が身代わりとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになった。此れよりこの寺を成合(相)と名付けた。
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というお寺です。このお寺に参拝するには、
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車で、このような急カーブの坂道を登って来るか
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笠松公園までケーブルカーで登って来るか、天気の良い日は
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リフトも動くので、好きな方で登ってきます。やはりリフトでしょう!
で、笠松公園のマスコットのお出迎え
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笠松公園と言えば
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そう股のぞき
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どうでしょう、天に掛かる架け橋に見えるでしょうか(?_?)  

この他、最近できたであろうと思われる
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冠島を正面に見据えての神社で、由緒板には「両島は、籠神社の奥宮です。主祭神彦火明命と后神市杵嶋姫命降臨しました彦火明命は豊受大神を祀り丹後丹波から開拓し、后神は航海安全を祈り両神とも国の発展に貢献しました。」

この笠松公園から登山バスで成相寺に行きます。
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タマニは
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歩いて登られる方もいらっしゃるようです。
山門で降りて左に行けば、展望台がありますが、たしか創建1200年祭の時に創建当時あった五重塔を復元した
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どれが一番かっこイイかな(?_?)
そして、横には底なしの池と言われている庭園があります。
 「その昔、この池には大蛇が住んでおり、寺の小僧を次々と呑み込んでいたため、和尚が藁人形で作った小僧に火薬を詰め、それを呑ませて退治したという、この池にまつわる奇怪な話が残っています。」(天橋立府中観光HPより)
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山門から正面に向かって登って行くと、最初に目につくのが撞かずの鐘
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我々幼少の頃は、成相寺といえば左甚五郎の龍より「撞かずの鐘」の方が有名でした。
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撞かずの鐘の由来
慶長14年(1609)山主賢長は、古い梵鐘に変え新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄付する金はない」と険しい目の色で断った。
 やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れきに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。
幼少のころは、この話が怖くて、この鐘楼は近寄りがたい存在でした。
それから、石段を登って行くと巡礼堂と一願一言地蔵が安置してあります
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奥のお堂には西国三十三番霊場の各御本尊が祀ってあり、御参りすることで三十三番霊場を巡回したのと同様の功徳がえられるそうです。なお、成相寺は二十八番札所です。一願一言地蔵は
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 この地蔵さんは唯一願(ひとつねがい)を一言でお願いすれば、どんな事でも必ず叶えて下さると伝えられる、大変あらたかな地蔵さんです。
 安楽ポックリの往生も叶えられると伝承されえいmす。  約620年前に創られた大変古いお地蔵さんです。
登山バスでのガイドの折、この地蔵さんはお詣りしときなはれとの事でした。

そして、最上段には本堂が有りますが、その中に
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飛騨の匠(左)甚五郎
江戸時代に雨乞いのため、龍の彫刻を成相寺に奉納することになり、宮津に滞在中の左甚五郎に彫刻を依頼。
甚五郎は快諾したものの、見たこともない龍の彫刻に思い悩む。そんな中、夢で龍が住む場所を教えられた。
早速夢で教えられた道をたどり滝壺に降り立ち、祈る事三日間。渦を巻き白く沸き返る滝壺から龍が姿を現し、見る間に空へと立ち昇り雲の中に消えて行った。
こうして完成したのが『真向いの龍』だといわれています。
その滝壺伝説を以前、NO68:御宮の谷浸透水に書いています。

そして堂内の雰囲気
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これ以上は撮影禁止^_^;

肝心な湧水は、本堂に向かって左横に手水場として重要文化財の鉄湯船の中に龍の口から流れ出ていました。
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この鉄湯船は
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鉄湯船:重要文化財(工芸品)、鎌倉時代正応三年(1290)、鋳物師山河貞清
当山の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るものではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯をするために用いられたと思われる。後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています。  成相寺
この水は聞くところによると、本堂の裏山の浸透水で「観音水」と名がつけられています。・・・しかし、重要文化財を今なお水溜めに使っているとは・・・肝っ玉の大きい貫主だこと・・・。
だいたい成相寺の主な見どころはこのぐらいでです。
水も頂いたので、本堂を後にして日本一のパノラマと銘打っている展望所に行く事に・・・

展望所には、駐車場からさらに1kmほど登りますが、登山バスも登って行く便もあるようです。私は車で登って行きました。
しばらく登って行くと室町時代まであったといわれる本堂跡地の看板が目に付いたので、写真を撮っていると
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下の方で、杉に向かって柏手か偲手かは定かではないが、合掌を大杉に向かってされている姿がカメラに映り込んでいた。
本堂跡地の看板の裏に
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逆杉の説明書きが立てられていた。
       逆スギ(市指定文化財)
 逆スギの有るところは字成相寺小字白山後である。寺伝によると、かっての成相寺はこのあたり「せんだい」と通称する地にあった。「せんだい」は白山台の謂で白山権現のあった所というのが「丹哥府志(たんか)」の説である。寺伝は、応永7年(1400)山崩れの難ののち、中郡三重の成吉越中守り一族沙弥円庵(しみ)が、同29年までかかって成相寺を現在地に移転したと伝える。逆スギの地は成相寺の故地ということになる。
 山崩れで同宇廃〇の時、杭を打って崩れを防いだ、その杭より芽を出し、逆さに枝を出したのが大樹になったというのが近世地誌類の通説であるが、「逆スギ」伝説の起源はもっとほかのところにあるかもしれない。
 樹高は約25m、地上1,5メートルの幹回りは7,1メートルの巨大な杉である。地上1,5メートルの極めて低い樹幹の部分から三本に株分かれして巨大な主幹となるが、その主幹から生じた枝もまた別の主軸となって、叢條する分枝の下部の大部分は下方に伸びているので甚だ奇観である。
 市内のスギ科の属では最大で風格・神韻性ともに抜群である。
                      宮津市教育委員会
  成相寺・観音水 079-b
で、合掌されていた方に話を聞いてみると、時間が有れば、下から展望所までジョギングに来ているとの事、その途中にこの「逆スギ」に寄って樹霊を頂いていると、・・・で、トップの写真がそれであります。
その写真はポーズを再度お願いして撮らせて頂いたもので貴重な写真ですよ~。(*^。^*)
与謝野町では、毎年秋口に大江山登山マラソンを開催していますが、それにも毎回出場しているとの事でした。

今回の大木で、京都府の大木がどうなっているのか調べてみると、な!なんとわが町与謝野町にも、自然200選に選定されている樹があった。いい機会なので、写真を撮ってきました。
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   縦貫道入口付近の集落「石田地区」に在ります。
元に戻して、登山マラソンランナー氏とお別れしてさらに進むと、
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その横に、イワレが書かれた石碑が立っていました。
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その石碑の内容が学術的?に重要な思いがしましたので、書き出しておきます。(読みにくい字はパスします)
          記
平成九年五月旧本堂下の東谷道路入口の山林道路より一段高い山裾が、少し平らに見えた。表土には雑木並びに熊笹がびっしり生い茂っており、一番かかりを掘った所、地下40、50センチの所より五輪塔、及び石仏が出土した。次々に掘り進んだ所、一段目、二段目より次々に五輪塔石仏、その下より壷(遺骨入り)が六ケ出土した。
 壷の中まで雑木の根及び熊笹の根が入り込み、すえての壷の完品はなかった。
 その他に、写経筒は完品、最上段二段目より青磁の小皿二枚出土した一枚は完品であった。
 五輪塔は、五十塔、石仏は六十体出土。永い年月土中に有った為に新造の如く見えた。おそらく、四、五百年間は土中にうづまっていたものと思われる。
 壷は古瀬戸が多く、丹波、越前、はりま地方の壷で須恵器もあった。青磁の小皿は中国北宋十一世紀から十二世紀越州窒で作られた青磁である。日本歴では、平安時代後期頃、五輪塔にはほとんど無名で〇〇坊、及び寒善坊、明徳四年十二月二十八日とだけ記入あり、納経筒には観鷹二年〇〇五月十八日と記入あり(六百六十年前)本堂が現在の所に移ってからは、旧墓地は手入れされなかったものと思われる。
 成相寺開山が、奈良時代前期、慶雲元年(千三百年前)とわ言われているので、平安時代後期までの間の三百年間は空白である。
 青磁小皿が平安後期なれば開山以来ほとんどの歴代の墓地と思われる。
 現在の墓地に移し、此の碑を立てた。
          平成九年十一月吉祥日  成相寺十五世 昭眞

で間もなく、日本一のパノラマ所に着きます。
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右の小屋は、カワラゲを売っているもので当日は置いて在りませんでした。
  成相寺・観音水 085-b
     土器盃(かわらけ)投げの伝承と妙味
全国の高山霊域では古くから行われている祈願行事です。
此の十七日間祈願した新鮮無垢のかわらけに自分の思いを込めて投げるとあたかも飛鳥か蝶々が舞う如く飛びます。
ノイローゼ、病気、災難、不幸、心の病、不和、悪い思い出、悪い因縁等、常々捨て去りたいと思っているものを捨てて、心機一転
新しい精神生活に踏み出すことができると伝えられています。
「自分の願いをこめて、かわらけを輪の内を通すよう投げてください。輪の中を通れば願いがかなうと、昔より云われています」
成相寺・観音水 086-b

・・・との事ですので、思い当る方はこちらに来て投げてみて下さい。信じる者は・・・   保証はしかねますが・・・
尚、日本一のパノラマは天気が良すぎて霞がかかり、写真が薄くて値打ちがありませんのでぜひ一度来て自分の目で見て下されm(__)m
帰りがけ
   成相寺・観音水 093-b
こんなものも上がって来たYO~。

で、肝心な「観音水」の味の方は・・・期待していたにしてはもう一つという所でしたので
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ  おしまい 

詳しい場所は
    
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100号記念:印象に残った名水

100号達成記念に、心に残った名水を書き出しておきます。
NO16:大かつらの千年水(名水百選)
 人里離れた山奥に、この湧水が在るために植物園が出来たと思える地で、他にも、近くに同じような大かつらの下から湧水が流れ出ている珍しい地域の思い出の地

NO17:離宮の水(昭和の名水100選)
 サントリーで有名な大山崎に近いところの水で、汲みに来る人も途切れなかった思い出の地

NO20:神宮寺のお水送りの「閼伽水」
 東大寺三月堂の「お水取り」に送られる水が若狭の神宮寺から湧き出ている「閼伽水」と知った地

NO44:美山名水「神田の水」
 第三セクターで「神田の水」を利用して水やお茶を作っている・・・と、美山川下りをするときにその前を何回も行き来していたのだが、湧水に関心を持って飲んだ時の美味しかった記憶が残っている

NO45:瓜破の滝「駒清水」
 いろいろな人から、「瓜破の水」という美味い湧水が在ると聞いていたのだが、「神田の水」を汲みに行った時に、何時もは瓜破に汲みに行っているのだが、今日はここに来たと、京都市内から来た人の話を聞くと飲んでみたくなり行ったところで、今ではこの水を「最高評価5ランク」の基準にしている水です。

NO47:弘法大師の泉(浜の洗濯場)
 地元の人も今では行きたくないといわれる場所を、藪をかき分け蜘蛛の巣を払い除けながらその場所にたどり着いたとのだが、不気味な感じの所だったのでペットボトル一本を汲むのがやっとの思いで逃げ帰ってきたところ、思いの外美味しかった記憶が残る・・・でも一本では真偽のほどは・・・?

NO51:夏谷(なったん)の名水
 今ではあまりにも有名になった「天空の城・竹田城」を見に行った時に寄った地、マッタケ採りの名人が自慢していた水

NO54:二見の水源「無限水」
 積雪の多いい正月に、Webでの情報をもとに水を汲みに行けど、その地図の場所が違っており見つける事が出来ず、二回目の挑戦で見つけれたイワクつきの場所です。「無限水」の命名された方は、有名な観光地「玄武洞」の名を付けた江戸時代の儒学者である柴野栗山だそうで、歴史のある湧水で水道水源にもなっている。

NO56:湯村温泉の「荒湯」
 北近畿の温泉場として、城崎温泉に次ぐ名の知れた温泉地です。特に「夢千代日記」により有名になりました。そこの源泉が飲める温泉で、ペットボトルに入れて帰ると、熱で変形していた思い出のある地

NO59:浦島伝説の里に湧く「イボ池の水」
 台湾茶を販売しているお店のブログで知り頂きに行った地で、集落の中にひっそりと湧く水です。浦嶋太郎さんも愛飲していたとか・・・これウソ

NO66:洞川湧水郡「泉の森」(昭和名水百選)
 一回目の訪問で天川村の自然に惚れ、二回目の訪問で湧水に惚れ、三回目で豆腐に惚れた地、絶滅危惧種に指定されている「ベニマダラ」(番外)を知るキッカケになった赤い石を不思議に思ったところ。

NO70:保津峡の名水「保寿泉」
 カヌーを卒業する日、何回も下っていた保津川に「保寿泉」という湧水がある事を『水の神様』が導いてくれて、急遽持っていたペットボトル500mlのお茶を捨てて「保寿泉」を頂いて帰ってきた思い出の地、500mlを味わって飲みました。

NO86:わくわく街道⑥「天神水」
 十数年前、湧水というものを初めて汲んで帰って飲んだ思い出の地、当然うまかって義理の父母にもお土産代わりに・・・安ついたyo~

NO96:高蔵寺の名水「観音水」
 情報には、山から流れ出ていると書いてあったのであまり期待してなかった水だが、期待を裏切られ思いのほか美味しかった。また、水源からパイプで引いていると書いてあったので、美味さから判断して、湧水ではなかろうかと?湧水だけでなく、山寺の雰囲気がまた最高(*^。^*)

続いていたら、次回は200回目に(^.^)/~~~

NO100:二ツ井の「柏の井」

二つ目の「柏の井」は春日神社の裏にあたります。
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この標識を降りて行くと
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「柏の井」の方は屋根が付いた水汲み場が作ってありました。こちらもコンクリートで三槽に作られていました。
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奥の方から湧き出して、近くを流れている和束川に流れて行きます。「樫の井」の湧き出し口はパイプから流れ出ていましたが、「柏の井」は石垣の奥の方から湧いている様で、神秘的な雰囲気を醸し出していました。
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水を汲む場合、パイプから直接汲んだ方が新鮮な出来立ての水という感じですが、こちらは溜まった水を汲む事になります。水汲みに行くときは、常に片手鍋と漏斗を持参して行きますので、今回も役立ちました。
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府のHPに書いてありました弘法大師ゆかりの「菜切り石」と思われる石碑では?彫ってある字が読めないもので(?_?)
 当尾からの風の便りブログにもう少し詳しく井平尾付近の事が書いてあります。
またこのような物が掛けてあり、水汲み場を地域で大切に保存されているようです。
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多くの水汲み場は、このように地域の人たちによって守り受け継がれて今に至っていると思うと、我々部外者は粗相のないよう肝に銘じてお水を汲まして頂かなければならないと思う次第であります。

水も予定通り汲み終わり、時間も、もう少し許されたので、来る道中道端に国宝五重塔の看板が建っていたので行ってみる事にしました。
カーナビで調べると、三上山の中腹に海住山寺(カイジュウせんじ)というお寺に在る様で、車一台がやっとの思いで通れる集落の道を突き抜け参道に登って行くと
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えらい急な曲がりくねった道を抜けると
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着きます。入山料100円を払います。
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これがそうです。
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立派な五重塔デスね!・・・私は奈良県の室生寺の五重塔が好きですけど(^_^)/

こちらが本堂です。
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この本堂に入るのに別途拝観料が300円入ります。本堂内では撮影禁止との事と、時間の関係でパスしましたが、平安時代の木造十一面観音菩薩立像その他重要文化財があるようです。
境内にも、こんなものが見られました。(鎌倉時代の岩風呂)
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このような物の方が、その時代を彷彿とさせてくれます。また、こんなものも
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木津川市 049-b
       ねがいを 叶える なすのこしかけ
茄子の花は一つの無駄もなく実を結び また「成す」と語呂が同じところから、努力は報われ願いは叶えられるという
縁起を含んでおります。
願いを込めてお座りいただき、
一、心に御祈念下さい
また、二人でお座りになり深く縁を結び、一人で腰掛けて良縁成熟を祈願ください。
親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない   災いを転じて福となす
   除災開運 心願成就
その後、展望台に上り家路につきました。
   木津川市 057-b
詳しく知りたい方は、海住山寺のHPを見てください(^_^)/

ところで、梅の盆栽はあ れ か ら・・・
水別れ・磯部の湧水 001-b  P3170234-b.jpg
樹勢を保つため咲き終わったは花を摘み→今は、「桜切るバカ、梅切らぬバカ」の諺通りの姿でおります。

という事で、「柏の井」の湧水で点てたコーヒーの満足度は、「樫の井」の水はパイプから出てきた水を頂き、「柏の井」の水は貯水槽に溜めてある水を頂いた関係かどうかはわかりませんが、樫の方よりワンランク下の満足度でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
で詳しい場所は

  
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NO99:二ツ井の「樫ノ井」

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中島みゆき、雛まつり  思案の末、見に行きました。それも2月22日公開で3月2日になると、全国で京都府木津川市の高の原イオンシネマだけでしか上映しておらず、それも一回のみ。仕方なく京都府の北から南まで縦断する事に相成りました。
・・・で、木津川市に湧水は無いかと探したら・・・「二ツ井」どうも近くに二つの湧水が出ているらしい。
・・・という訳で、そこに行く事に決定。

高の原のイオンモールまで、ルート検索すると我が家から2時間55分、今までの経験からもう少し短時間で着くであろうと計画を立てる。
「雛祭り」の上映は12時10分から、それも一回のみ、一応ルート検索通りの時間として、30分余裕を持ち出発をAM8:30分にした。
我が街から高速に乗る事が出来、途中「和知~周知」と久御山IC付近の二か所地道を走らなければならないが、あとは高速、サテサテ何時間で行けるか初めての道である。
チョイトスピードの出しすぎの区間もあったが、高速の半分ぐらいは対面通行なので前の車に付いて走るしか仕方がなく、それでも山田川ICに着いたのが11時、1時間の余裕が出来たので、上映終了時間PM3時という事、終わってから探しに行くには時間的余裕が無い事から、とりあえず下調べに行ってくる事にした。
情報では、木津川の近く井平尾に在るらしい。近くに着いたので散歩されている70前後のおば様に尋ねてみると「そんなものは知らない」つれない返事、もう少し走って見る事に、情報として春日神社という社が在るという事で、神社らしきものを探しながら、車一台が通れる道をうろついてみたが見当たらない、時間も迫ってきていたので引き返す決断をする事に^_^;・・・イオンモールに着いたのが11時50分、間に合うかドキドキの心境です。
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裏からの全景、このショピングモールは、建物の中に京都府と奈良県の境界線がある珍しい処であります。
しかし、イオンシネマは京都府の劇場欄に出ている。
駐車場からのニュータウンの様子
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三時間の上映時間もアッという間に過ぎ、今回はライブ映像、スタジオライブ映像等と夜会VOL17のミュージカルのプログラムで構成された内容なので満足した時間でした。しかし、欲を言えばライブに行きたくなった!というのが本音

日の暮れるのも少しは遅くなってきているというものの、暗くなりだしたら早い、早速下見してきた井平尾地区まで急いだ。
国道163号線沿いの旧道を探しながら走っていたら、ちょうどお店からお姉さんが出て来られたので、尋ねてみると「この道の行き止まりに車を置いて、下に行かれたら在ります」との事、早速そこまで行く
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ソコはトンネルが開通して、旧道の橋桁が取り去られて通行止めになっていた。そこに車を止め、
この道を降りて行くと
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右の電柱の所に朽ち果てかけた、「名水 二ツ井」の立札が・・分かりますかねぇ~ そこをもう少し行くと
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「樫の井」の案内板が・・読めますかねぇ~ あったアッタという気持ちで降りて行くと
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車を止めた所から降りて来れるように立派な階段が作ってありました。これだけ見ても、この湧水がいかに大切に守られて来ている事が分かります。
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そして、立派な貯水池が三段の仕切りで作ってありました。この仕切りは水を有効利用する為の仕掛けで、一番元は飲み水を汲む槽、二番目は食べ物等に関係するものをを洗う槽、最後は洗濯や汚い農具等を洗う場所として一般的には分けられていますが、その所により判りません。
普通は、ペットボトル8本を汲んでくるのですが、今回は二ヶ所あるという事で4本分頂きました。
その後、階段を登って車へ置きに、次のペットボトルを持ってもう一つの井戸へ・・・
その前に、ここの集落の氏神様であろう春日神社にお参りに行く事に、
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やけに、大木の多いい神社です
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鳥居の左右に、昔鳥居の代わりにしていたとか(?_?)
木津川市 025-b  木津川市 026-b
左が檜で、右がイチョウか?
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で、
   木津川市 032-b
ここの春日神社の御神体は二つの湧水ではなかろうか、これが元でこの地区の名前が井平尾という名前になったのではと想像してみた。
京都府のHPに出ていましたので、お借れしました。
所在地 木津川市加茂町井平尾

井平尾は「井ノ平」とも呼ばれ、和束川が木津川に合流する付近をさします。集落の西には流岡山があって、山紫水明の景観を呈しています。古来、京都・奈良から伊賀・伊勢方面を結ぶ街道と和束・信楽方面へ抜ける街道の分岐点としても栄えました。
地名の由来となった街道沿いの弘法大師ゆかりの、樫の木・柏の井と呼ばれる上下二つの清泉「二ツ井」をはじめ、大師が菜を切った菜切石など水とのつながりが深い地域です。泉の傍らには、アラカシの古木が生育し、付近には「茅の森」と呼ばれた春日神社の森が往時の姿を今に伝えています。

神社のお詣りも済、もう一つの「柏の井」へ・・・次項へ

という訳で、「樫の井」のお水で入れたコーヒーの満足度は
独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所

大きな地図で見る

NO98:白龍神社の「堂来清水」

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連れ合いが数年前から連れて行けとせがんでいた、滋賀県長浜市の盆梅展に行く事に、それなら、どこか湧水を頂きに・・・と探していたら、アリマシタ!ありました!平成の名水百選に選ばれた「堂来清水」 お届けします。

最近は、高速道路の整備がだいぶ進み、滋賀県の高島市回りで約2時間弱、以前は3時間以上かかりましたので、お金を掛けるか時間をかけて早く出るかの選択です。

とりあえず、盆梅展の報告からいきます。
昭和27年に始まり、今回で63回目となるそうです。最近は長浜盆梅展の評判が良いのか、滋賀の米原、大阪の天満宮と開催されているようですが、歴史・規模とも日本一と自慢しておられます(^_^)v

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このパスポートを千円で買えば、長浜盆梅展プラス4施設の入館が無料となるため、駅前の案内所で購入して行く事にしました。
  白龍神社の湧水 023-b
      慶雲館
 慶雲館は明治20年(1887)、2月21日明治天皇、昭憲皇太后の御休憩所として、長浜の豪商、浅見又蔵氏が私財を投じて建設しました。命名は同行した初代内閣総理大臣、伊藤博文です。
 約六千平米の広大な敷地内には、地元の宮大工平山久左衛門(屋号 山久)により総檜造りの秀麗な本館や茶室などが整備され、以後も長浜の迎賓館として使われてきました。
 明治45年に道営された庭園は、京都の平安神宮神苑などを手かけ、近代日本庭園の先覚者と呼ばれた7代目小川治兵衛(屋号 植治)によるもので、国の名勝に指定されています。主庭となる南庭は、地形に大きな起状をつけた立体的な構造と巨石や大灯篭を用いた豪壮な意匠が特徴です。
 また、毎年1月20日から3月10日までの間、新春の風物詩「長浜盆栽展の」会場となり、見事な枝振りの梅と純和風の建物、そして雪吊が施された庭園の美しさに多くの観光客が訪れます。

白龍神社の湧水 029-b 白龍神社の湧水 028-b
大灯篭:推定重量20トンという自然石の石灯籠。慶雲館にはこの大灯篭をはじめとして、巨石がふんだんに使われているが、これらはいずれも近江の石切り場として良材を産出してきた滋賀郡志賀町から、琵琶湖上を船で運ばれたと伝えられている。
白龍神社の湧水 031-b  白龍神社の湧水 081-b
等々
慶雲館の玄関と正面にある梅
     白龍神社の湧水 032-b
    
白龍神社の湧水 033-b
仁壽(ジンジュ)一重白梅 樹齢水底150年 論語の「仁者は壽長し」から命名
館内の様子
   白龍神社の湧水 045-b
古木
白龍神社の湧水 040-b
梅より桃の花と間違えそうな・・・
   白龍神社の湧水 036-b
寂聴の掛け軸をバックに
出口で梅の盆栽を販売していましたので2500円で買ってきました。
木津川市 002-b
書き終わるまでに花が咲きましたらUPしたいと思っています(^_^)/ 

前後しましたが、白龍神社の「堂来清水」は、朝いちばんに行って来ました。
田園地帯を走っていた時の伊吹山の雄姿
  白龍神社の湧水 137-b
新しいカメラに今一なれませんので、チョイト薄いですが・・・やはり雪山はイイ(^_^)v

長浜からいうと、山を一つ超えた谷合に在りるという事で。途中祭りをしていた集落を通り
   白龍神社の湧水 017-b
山一つ越えた姉川ダムから水を送ってきているであろう草野川発電所の前を通り
白龍神社の湧水 015-b 白龍神社の湧水 016-b
白龍神社に到着
  白龍神社の湧水 010-b
境内を見渡して見ると・・・
  白龍神社の湧水 012-b
手水舎が・・・龍の口から水が出ているのだがよく見ると水道の蛇口とホースが・・・

神社の後ろに回ってみると、
  白龍神社の湧水 004-b
ここにも小さな白龍神社の社が有りました。なぜ二つあるのか分かりませんが、全国にも数か所「白龍神社」というものが有るようです。
その横に「堂来清水」の水汲み場が有りました。
   白龍神社の湧水 008-b
白龍神社の湧水 001-b
      平成の名水
 『白竜霊水』  堂来清水の由来
・堂来清水は、永年にわたって地元高山町の水環境保全活動が認められ、1009年環境省から、平成の水百選に選定された。
・堂来清水は、遠く三国峠の夜叉ヶ池を姉池とし榧谷(かやだに)山腹の妹池に発すると伝えられている。
・堂来清水は、往古より湧出て年間水量に大きな変化はなく、道行く人々の心を癒し、渇きを満たしている接する堂来地蔵尊は、厚い信仰の対象となっている。
・堂来清水は、時代の変遷を経て地元では、神事の洗米水としても活かされて、遠方からは清澄な水を求め訪れる人は多いい。
2009年(平成21年)10月   長浜市役所  高山町自治会

この石垣の間から水が湧き出ています。
白龍神社の湧水 006-b
上記の説明書きの中に出てきている、姉池・妹池が出ているサイトがないか探していたら、「山たまごの東岳行」というサイトに詳しく出ていましたのでご案内します。
〇姉池:福井県側からの夜叉ヶ池
〇姉池:岐阜県側からの夜叉ヶ池
〇妹池:カヤ谷妹池

水を汲んでいると、長浜市内から来たというオジサンと話が出来ました。コーヒーお茶を飲むのに毎回水をもらいに来ていると、その中で「湧水の水量は結構増減があると」聞いたりしました。説明書きとチト違うような・・・
  白龍神社の湧水 013-b
という訳で、「堂来清水」をもう少し詳しく知りたい方は、滋賀文化のススメ『長浜市:堂来清水』で
白龍神社の由来も書いてありますよ~(^_^)/

水汲みを終えた次は、長浜市内へ・・・盆梅展から次へ・・・
長浜盆梅パスポートでは、入館料のサービスだけでなく飲食の割引にも適用してもらえるところがあり、当然食事はそれらのお店を利用することに、今回はここに行きました。
  白龍神社の湧水 082-b
長浜浪漫ビールです。ビールも良いのでしょうが、運転する身ではままならず×、近江牛を使ったメニューの金額もピン~キリまで、目の前に大蔵大臣の目が光っていますので、ランチ相応の金額に落ち着き無事食事も終わりました。

長浜には黒壁エリアには一度観光で来ていますので、今回は足早に見て回る事に・・・
一つは、室町時代から住んでいたといわれる豪商安藤家を
  白龍神社の湧水 085-b
大正時期、北大路魯山人が逗留(とうりゅう)していたという。大看板「篆刻(てんこく)」を残していた。
  白龍神社の湧水 095-b
目障りな人がいますが無視して下さいネ。北大路廬山人

最近旧家から出たといわれる大判小判、曳山博物館に展示してあると・・・、時間が無い事からパス・・残念

最後に行ったのは、もちろん長浜城
  白龍神社の湧水 117-b
正式な名前は、長浜市長浜城歴史博物館というだけあって、昭和58年(1983年)コンクリートで再建、秀吉が建てた城は天正3年に住みだし天正10年まで在城した。その後、天正10年の清州会議で柴田勝家に譲られ、甥の勝豊が入城。
しかし、その年の12月には勝豊を攻め、翌年4月には柴田勝家と賤ヶ岳の合戦に勝ち軍事拠点として活用した。
 天正13年から18年まで山内一豊が入城、以後次第に荒廃していったが、慶長11年(1606)徳川家康の異母弟内藤信成が城主になり、慶長17年にはその子信正が城主になったが、元和元年(1615)摂津高槻城へ移り、長浜城はその役目を終えて、石垣などは彦根城へ運ばれ完全に失われた。再建された時の名称は市立長浜城歴史博物館でしたが、今の名称には平成18年に改名されました。(シオリから抜粋)
館内は黒田官兵衛展と長浜ゆかりのひな人形展が開催されていましたが、撮影は禁止との事天守閣最上階からの見晴らしです。
山側
  白龍神社の湧水 119-b
琵琶湖側
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これで長浜観光は終わり。ところが、帰りの湖周道路では珍しい・・・鳥、コハクチョウがため池で休んでいる所をハッケーン(^_^)v。
  白龍神社の湧水 125-b
後で調べたら、湖北野鳥センター近くの湿地のようでした。
  白龍神社の湧水 131-b
予定外のものが見られて、幸せ気分で家路に就く事ができました。
   白龍神社の湧水 135-b

その後、梅の盆栽は無事開花、
木津川市 072-b
3月3日、我が家の「桃の節句」ならず『梅の節句』です。  その後すべて我が家の腹の中に(^_^)v
盆栽 001-b
その後、満開近くまで咲きました。

で、「堂来清水」の評価は、「平成の名水」に選ばれただけあって美味しくコーヒーが飲めました。
独断と偏見の評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした

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