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NO97:伊根町新井崎の「徐福の命水(仮)」

今回は。舟屋で有名な伊根湾の後ろにあたる伊根町新井崎に湧き出る「徐福の命水」を頂きに行ってきました。
伊根町と言えば、舟屋、NHK朝ドラ「ええにょぼ」で有名なところデス。
   新井崎:徐福の命水 157-b
舟屋見学には、伊根湾の入口日出という所から伊根湾巡り観光船が出ています。
   新井崎:徐福の命水 163-b
遊覧船からカモメ?ウミネコ?トンビ?にエサをやる醍醐味も(^_^)/

その伊根湾を見下ろす道の駅から半島方面に車を走らせると、新井崎の集落へ出ます。
   新井崎:徐福の命水 096-b
そして、目の前には大島小島、冠島と沓島が見えます。
新井崎:徐福の命水 076-b
手前味噌で申し訳ないのですが、十数年前この新井崎漁港から一人でシーカヤックを漕いで冠島へ、、そこで休憩をして(本来は無断で上陸してはいけない島ではあるのですが)舞鶴の大浦半島まで横断したことがあります。梅雨明け十日を利用して(この期間が夏場の海で一番安定している時期と言われてる)冒険を行ったのですが、波の事ばかり気にしていて、お天道様の事を忘れ、槽破後熱中症で3日間床に伏した事があります。何とか命は免れましたが(@_@;)

その思い出のある新井崎ですが、徐福伝説の残る地としても有名です。
  新井崎:徐福の命水 099-b
徐福伝説とは、日本各地に在るらしいのですが・・・縄文時代から弥生時代に変わろうとしていたころ、中国の秦の時代始皇帝の命により、不老長寿の薬草を探しに東方の海に出て行ったきり帰ざる人々を率いていた人が徐福とされている、その徐福が日本にたどり着いて、秦(はた)と言う性を名乗って末裔が生き延びている・・・と大ざっぱに言えば・・・詳しくは徐福の伝説見てネ。
新井崎神社は、集落へ降りて行く道に入ると間もなく見えてきます。
   新井崎:徐福の命水 102-b
鳥居をくぐるとすぐ長文の石碑が有りました。
  新井崎:徐福の命水 103-b
おそらく、徐福伝説の内容が書かれているものだと思えますが、長文なので、書き写しはパスします。
「新大明神碑口記・・・・80翁 石倉昭重」
参道を降りて行くと
  新井崎:徐福の命水 115-b
この様な標識が
新井崎:徐福の命水 117-b 新井崎:徐福の命水 116-b
         經文岩
この岩が経文岩と呼ばれる所似は、里人が経を唱えて徐福を匿ったことによると伝えられるが、これは全くの伝説である。
 記録によれば西域から中国に仏教が伝わったのは紀元前後。そして朝鮮半島百済から我が国に仏像経典がもたらされたのは538年とされる。
 徐福は天竺へおもむいて仏像を修めること7年という伝説もあるがしかし、この時代丹後半島に仏教が伝わっていたとは考えにくい。だが、古代における記録或は文献或は口伝などの整合性を追いかけること自体が問題で、こういう場合その裏にひそむものを探ることに意味があるのかも知れない。
 ここは、口碑記にいう徐福集団と原住民邑長との問答の場所であったと考えたい。
 この岩の側面にこの岩に似つかないコンクリートの壁がある。此処は大東亜戦争の遺構である。この洞窟には探照灯が格納されており、事ある時ハコ岩に引き出されて夜空を照らしたのであった。陸軍の砲台も海軍の施設も今は無い。ただ経文岩のコンクリートだけが残された。
 古代の徐福の渡来の跡と現代戦争の跡という異質のものが同居する経文岩なのである。

ハコ岩
    新井崎:徐福の命水 127-b
新井崎:徐福の命水 119-b
まれ人の来訪
 この地に住んだ先人は、海の向こうから流れて来たものを素直に受け入れ、その流れつくところを聖なる場所と考えた。その代表が徐福であり、ハコ岩であり、その沖合いの目印が冠の島であった。

そして、新崎神社は標識の有ったところを左に行けば
  新井崎:徐福の命水 108-b
新井崎神社の云われと、伝説の書いた案内板
新井崎:徐福の命水 107-b 新井崎:徐福の命水 106-a
新井崎神社
 祭神である徐福が登場するのは中国の歴史書「史記」である
 泰始皇本記28年(BC219)徐福は始皇帝に上書した「海中に三神山があります。ここに仙人がおり、不老不死の薬を練っています。身をきよめ童男童女と共にこれを求めたいと思います。」
 始皇帝は徐福と共に童男童女を海に出して仙薬を求めさせた。
 時代は人皇七代孝霊天皇の御宇徐福はこの地を易筮によって予知した。
 上陸したとこはハコ岩。求めた仙薬とは、黒茎の蓬と九節の菖蒲であった。徐福はよく邑人(むらびと)を導いたので邑長となり死後、神として祀られた。
 神社の創建は長徳四年(998)場所は今の愛宕さんの付近だったが、前を通る船に異変が続いたため、神意に逆らうとして現在のところに移し、南向きを東向きに変え建てられたという。
 御神徳は海上安全漁撈満足そして病気の平慰、特にハシカの神として有名である。
新井崎と冠島
◇黄金の桜
 新井崎神社の境内に桜の古木があり、冠島の老人島神社にも同じ種類の桜があった。その桜の間に黄金の橋がかかっていて、毎年この桜は七色に輝いて花を咲かせた。
 村の子供達が、その花を手折ると腹痛を起こすといって親たちが神社に行き、七色の桜の花を咲かせないように頼んだところ翌年から普通の花が咲くようになった。
 この花はここでいう黄金の花の裔である。
◇新崎の黒い岩
 新井崎の黒い岩はその昔、蝙〇山の噴火の際の火山岩である。
 昔、大島から新井崎へ黄金の橋がかかっていた。大島の男の神様は逢瀬を楽しんで新井崎の女神のところへこの橋を渡って通っていた。
 ある時、思いがけない男神の来訪を知った女神は化粧の最中だったが、あわてて口につけようとしていたおはぐろを落とした。それで岩が黒くなった。
◇まれびとの来訪
上記
   新井崎:徐福の命水 131-b


新井崎神社のお詣りを終え、湧水の出ている処へ向かった。
この湧水は、噂であるらしいと聞いていたのだが、今年の正月、連れ合いと初日の出を見に行こうと(いうても一月二日の早朝)画策して行ったのだが、行く前の雨雲レーダーでは晴れる予定が雨にたたられ、あきらめての帰り際、田圃らしき上の方からホースが引っ張られて水が出ていたので、その時はもしや・・・との思いで帰ってきたのであった。
その所へ、今回確認に来たのであります。
   新井崎:徐福の命水 087-b
新井崎の集落から伊根湾へ出る旧道を登って行くと
   新井崎:徐福の命水 089-b
まさにこのホースでした。やはり湧水を引いて来ているようですが、念のため水源を確認に上へ登ってみる事に!

これが上の地形です
   新井崎:徐福の命水 086-b
奥のトタンで囲んだところで水が湧いていた。
   新井崎:徐福の命水 082-b
そして、石垣の下から水は湧いていた。  
  新井崎:徐福の命水 077-b
湧いてきた水は草むらを浸して水汲み場の所へ流れていた。

しかし、ホースの根元は、水源なのか水溜まりの中に設置されいるのか確認できず少々心配でしたが、今は寒中、寒の水は雑菌が繁殖しにくいとの事、汲んで帰る事にしました。
   新井崎:徐福の命水 091-b
さて、どんな味が楽しめるか・・・しかし季節によっては汲んで帰ろうとは思えない場所です^_^;

その後、近場の見どころを写しに
海岸美
  新井崎:徐福の命水 132-b
バブルの頃、作られた別荘群
  新井崎:徐福の命水 137-b
この中には日帰り温泉が在ったのですが・・・今はどうなっている事やら・・・最近はウワサも聞こえてきません。
そして、高級旅館 橋立の奥座敷事、断崖に建つ油屋デス
  新井崎:徐福の命水 140-b

最後に、今年の幻の滝「布引滝」の水量です
新井崎:徐福の命水 151-a 新井崎:徐福の命水 152-a
写りが悪いので分かりますかねぇ~

独断と偏見の「徐福の命水(仮)」の水のランクは、思いの外美味しく頂けましたが、気のせいか腹が緩むような感じでした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ   

詳しい場所は   

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NO96:高蔵寺の名水「観音水」

  篠山:高蔵寺 066-bb
今回は、兵庫県篠山市にある「高蔵寺の観音水」を頂きに行ってきました。

我が家の、と言っても我が夫婦だけですが、山田洋二ファンにとって「小さなおうち」の新作が封切され、早速見に行く事に!
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「小さなおうち」で2010年に直木賞を受賞された中島京子氏の映画化だそうで(知らなかった^_^;)本も読まず、映画の内容も知らずの観賞でした。
感想は、私どもがこんなことを言うのはおこがましいのですが、最近の監督の映画「小津安二郎」の映画の世界を追っているように思えて・・・何か見ていて無理がある・・・最近の映画は泣けない・・・言いたいことは判るのだが・・・
時代劇の三部作は良かった!!

という訳で、今回は三田のウッデータウン「イオンシネマ」に行ったついでに湧水を頂きに「高蔵寺」に寄ってきたのです。
上の大木の写真は、その折篠山市大山地区内にある追手神社境内に息づいている先年モミの木です。

下の写真は、立山杉の写真です。これに匹敵するぐらいの大木でした。詳しくは後程(^_^)/(仙同杉:9,4m幹回り)
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高蔵寺は、篠山市街地の北側国道176号線沿いから入って行った高倉という所に在りました。
本来有名なのは、秋の紅葉が見所のとこらしく「丹波篠山:もみじ三山」の中の一ヶ寺になっているようです。
  篠山:高蔵寺 043-b
国道から高倉方面に入って行くと、冬の殺風景な田園風景の中車がすれ違うのがやっとの道を奥に向けて走って行くと、高蔵寺の山門に行きつきます。
   篠山:高蔵寺 031-b
当山開創は、人皇三十六代孝徳天皇の御宇大化二年(646)播磨国法華山を創してこの地を訪れた法道仙人が、黒頭峰の嶺にかかる金銀珠玉の雲の架橋を見て宝橋山と号したことに始まる。
 往昔、堂之尾と呼ばれる山の中腹には、七堂伽藍、二十一ヶ坊の堂宇を誇ったが天正年中明智軍の兵火に遭い、焼失した。
 その時氷上郡袖津村の人が雑兵にまぎれて守り奉ったのが、現存の本尊十一面観世音(秘佛)と伝えられ、稽文会・稽首勲両佛師の作で、大和長谷寺の観音と同木同作と伝承される。
 現在の本堂は、正徳二年(1712)の建立、本尊脇侍の龍王権現と雨法童子は、共に永禄十年(1568)の作。
 本堂のほか、仁王門・文殊堂・阿弥陀堂等を有す。
            「天台宗兵庫教区:寺院大図鑑HPより」
   篠山:高蔵寺 032-b

昔大きな寺屋敷だったのか、山門から100mほど行ったところに、現在の本堂が有ります。

   篠山:高蔵寺 038-b
お寺の門柱には、「新丹波 七福神霊場」の看板が掛かっておりました。
 真丹波七福神霊場・・・高蔵寺は弁財天が祀ってあるようです。
しかし、もみじ三山にしろ、七福神霊場にしろ、精力的に参拝客を呼び込む努力には頭の下がる思いです(^^)/
墓地には観音様石像も
篠山:高蔵寺 036-b
ココからさらに、モミジの並木道を100mほど行ったところに、観音堂(丹波新聞による)が有りました。
篠山:高蔵寺 044-b
取水場は、この石段の登り口左端に手水舎として設置されていました。
篠山:高蔵寺 045-b
ホースが見えると思いますが、ケッコウ勢いよく水は出ていました。初めは、水溜から流れ出てきた水を漏斗に受けて入れていたのですが、めんどくさくなり、ホースから直接ペットボトルに入れると早いのなんのって、あっという間に終了(^_^)v
横には「観音水」のイワレが
篠山:高蔵寺 046-b
        名水”観音水 
この水は、古えの昔より「黒頭(くろつぼ)の名水」「夏栗の冷水」として知られ”観音水”として親しまれています。
 清くせせらぐ観音水を一滴口にすれば実にその味は神秘の味わいをもたらすものであります。
 何時の時も岩間から湧きいづる真水は「長寿の水」「美貌の水」として地元では重宝がられており、実に自然の恩恵に感謝しているところであります。
 みなさんも、この”観音水”を口中にして感謝の気持ちと清らかな気分にひたって戴きたいものです。
水溜の後ろでは、石仏が睨んで見張っていますので、悪さはできません。その横に賽銭入れがきっちりと設置されていましたので志を入れておきました。
   篠山:高蔵寺 053-b
ココで一つおかしな?事を紹介
〇神戸新聞の「観音水」の紹介記事の要約
『篠山「観音水」が人気 阪神間からも訪問  ポリタンクで水をくむ住民ら=篠山市高倉

 篠山市の大山振興会が、同市高倉の黒頭峰(くろつのみね)の中腹からわき出る名水を
味わってもらおうと、下流の高蔵寺境内までパイプを引き、無料で振る舞っている。
「観音水」と名付けられた水は、阪神間などから評判を聞き付けた人たちが連日、くみに訪
れており、同振興会は「大山の豊かな自然からわき出てきた貴重な水。
町おこしにつなげていければ」と名水効果に期待している。(前川茂之)

 わき水は同地区を流れる大山川の源水で、こんこんとわき出る豊富な水量とその滑らか
な飲み口から、地元では「長寿の水」「美貌(びぼう)の水」などと呼ばれ、飲料水として親
しまれてきた。

 同振興会では、この隠れた名水スポットをより多くの人に知ってもらおうと、林野庁の助成
金を受けて昨年十月上旬、水質を検査。PH値は七・四七、濁度が〇・八二で、細菌が少な
く、飲料に問題がないと確認された。判定を受けて、住民らが源流から同寺の水くみ場まで
約七百メートルのパイプを整備した。

 水くみ場が観音堂前にあることから名水は「観音水」と命名。今後は、同振興会が進める
そば作りなどでも活用していく計画で、村上幸雄事務局長(71)は「どこの名水にも負けな
いおいしい水。コーヒーや炊飯などに使ってほしい」と話している。』

〇丹波新聞の「観音水」の紹介記事の要約
『「大山の名水」高蔵寺で無料提供
2008年01月30日
 大山振興会 (篠山市大山新) は昨年12月から、 同市高倉にある夏栗山などから水を引き、 高蔵寺 (福井邦準住職) 境内で無償提供している。 観音堂の前に水くみ場を設置していることから 「観音水」 と呼んでおり、 同会では、 「自然の水で、 水道水とは比べものにならないおいしいコーヒーやご飯ができる。 ぜひ利用して」 と話している。
 夏栗山から流れる水は大山川の源水。 もともと高倉地区住民らの間では、 「夏栗の冷水」 や 「長寿の水」 「美貌 (びぼう) の水」 など、 さまざまな呼び名で親しまれてきた。』

黒頭峰と夏栗山は高蔵寺の裏にそびえる二つの峰ですが、どちらが正しいのでしょうか(?_?)

水汲みも終わり、観音堂の境内を散策に石段を登って行くと・・・
観音堂
   篠山:高蔵寺 047-b
鐘楼
   篠山:高蔵寺 051-b
昔ながらの佇まい、静寂な中唱歌「故郷」を思い浮かべるシチュエーションです。まさに絵になります。

鐘楼の横には、幹回り5mのモミの木が・・・ココの時点では、大きなモミの木だな~と
  篠山:高蔵寺 049-b

ひと時の空間を堪能して、次の訪問地追手神社へ向かう事に・・・ここには千年モミの木が在るという!大木の観賞が好きな吾輩としては、ぜひとも行きたいところでした。しかし、この時点では、あそこまで衝撃を受けるとは・・・思いもしてなかった(@_@;)

鐘ヶ坂へ向かう176号の旧道側にその神社は有りました。
   篠山:高蔵寺 056-b
「千年モミの木」見るまでは高をくくっていたが、見ると頭の先からズド~ンと衝撃が
   篠山:高蔵寺 061-b
幹が地中からズボッと飛び出してる・・と言った表現がいいのか・・・
   篠山:高蔵寺 062-b
     国指定天然記念物:追手神社のモミ
 追手神社のモミは、頂上部を破損しているものの、樹勢は旺盛で、本種として国内で最大級の成長を遂げたものである。地元では千年モミと呼ばれ、鎮守の森のシンボルとして大切に保護されている。
指定年月日:平成6年3月23日  寸法:胸高幹廻り:7,8m 樹高:38m 枝張:東西10m 南北16m
            篠山市教育委員会
           一見の価値アリ(^_^)/
その他にも、夫婦いちょう:推定樹齢350年夫婦円満の木として親しまれ、晩秋には実を拾う人が絶えません。
   篠山:高蔵寺 060-b
エゾエノキ:樹高30m   幹廻り:4,9m
  篠山:高蔵寺 067-b
と、大きなもので、これ等が見られます。本殿です。

    篠山:高蔵寺 070-b
意外と小さい社でした。
その他にも、追手神社の近くには和泉式部のお墓とか伝説が残っている土地柄のようです。

話は変わりますが、NO90で書いた中島みゆきの舞台版(夜会VOL,17 2/2)を映画化した内容に、ライブ映像をプラスした「中島みゆき・雛まつり」がイオンシネマ系列で上映されます。NO91で感想を書いた、有名な曲のシーンが無かった不満を、今回取り入れた映像で上映されるとの事、思いは私だけではなかったようです。
   img093-b.jpg
観に行くかどうか思案中・・・

ところで、高蔵寺の「観音水」の感想は、行く前の情報として「村おこし」の一環として山水を引いて来ているという事でしたので、あまり期待はしてなかったのが本心で下が、飲んでビックリ村の人たちが自慢するだけの事は有る「美味しい水」でした。これは、湧水に違いないと思った次第です。
で、独断と偏見の水ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vー☆ です

詳しい場所は

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