NO89:赤滝長命地蔵大菩薩の「長命水」(仮名)

丹生川上神社下社で「いのちの水」を頂いて、さらに国道309号線を奥に向けて出発。未だ何が起ころうとしているか分からず、ルンルン気分で運転しておりました。

途中、丹生川(笠木川の間違い:水系は同じ)の滝を眺めながら・・・
046-b.jpg
 045-b.jpg
  044-b.jpg

紅葉が良いであろうと思われる、みたらい渓谷の入口滝があるところに車で行く事に、車一台が通れるような弥山川沿いの国道309号線(あくまでも国道デス)を通って滝が見える場所へ到着。←どんなとこ、こんなとこ:NO65を見てね(^.^)/~~~
紅葉はマダマダ色付かけもせず、さらにここから川の名前が変わる川迫川の上流・川迫ダム方面へ足を延ばして見る事へ
048-b.jpg
山肌は紅葉真っ盛り、川迫ダムに到着
052-b.jpg
ダムに溜まった水の色と、山肌の紅葉のコントラストが最高!(^^)! さらに
2015-b.jpg
そして、童心に帰って何べんも石をダム湖に落として
056-b.jpg
広がって行く水文が分かりますかねぇ~、透明度が良いため、水文が広がって行くときに水文の波で光が屈折してダム湖底がウォンウォンと曲がるのが面白くてついついやってしもた。

そして行者還トンネル方面の分岐から川迫川下流を
049-b.jpg

トンネル方面に行くと国道169号の川上村に出ていく為、ここで引き返す事に。
国道309号と言っても初めに書いた車一台分の道、たまにしか車に出会わないという事もアリ、気分よく走っていたら・・・
「お父さん危ない!!!」と絶叫の声、した時 すでに遅し 愛車の左脇腹をガードレールで引き裂く音!!!
やってしもたぁ~~~ 後のまつり
   前輪後ろ                後輪前
PB140033-b.jpg PB140036-b.jpg
道の真ん中を走っていたつもりだったのだが・・・
後程修理屋に見てもろたら、高齢者がよくやる事だよ~ との事、見積もってもらったら片側最低8万両方で16万以上((+_+))  昨年ガリバーに見積もってもらった中古車の査定20万 下取りでプラス五万であった。ゆえに修理をせずこのまま乗る事に、なんせタイヤを1ヶ月前に10万出して替えたとこだし・・・。

まぁ人様に迷惑を掛けなかっただけでも良かったと、気を取り直して、今度は湧水を汲みに黒滝村へ向かう事にした。

本来は、洞川地区から山岳道路を通って小南峠(ココのトンネルは岩盤丸出しの車一台がやっと通れるスリルあるトンネルデス)を越えて黒滝村に行く予定でしたが通行止めの看板が出ており、地元の人に聞くと2011年9月4日の紀伊大水害の時にトンネル内が崩落したまま通行止めになっているとの事、あきらめて元来た道を引き返し道の駅「吉野路・黒滝」の所から入って行く事に
写したはずの道の駅の建物が見当たらないので、代わりにこれを
034-b.jpg 035-b-b.jpg
吉野杉の産地だけあって、木工製品が多数販売されていました。ついでに
036-b.jpg
           黒滝村の紹介
 黒滝村は、奈良県の中央に位置し、吉野山地の中央を南北に走る大峯山脈の大天井ヶ岳から四寸岩山への山嶺と、その支流に囲まれた風光明媚な村です。黒滝という地名は、この地を潤す清澄な水の流れから名ずけられたといわれています。
 早くから大峯山修験道によって開かれ、14世紀半ばには、後醍醐天皇の南朝皇居の後背地として、重要な位置を占めるようになりました。南朝が没すると、この地も封建制に組み込まれることになり、江戸時代後半の約100年間は、幕府の直轄支配を受けました。
 明治新政府が誕生し、町村制が交付された明治22年、黒滝郷は丹生郷と合併して南芳野村となりましたが、明治45年には分離して、黒滝村が誕生しました。その後、昭和24年の境界変更を経て、現在に至っています。

コレから行こうとする赤滝の事を聞いてみると、赤滝は滝が有るのではなく土地の名前だとの事、滝が有るところにある湧水だとばかり思っていたのでガクリ、しかし行って見る事にしました。

黒滝村と言う存在自体山奥という思いがある中で、さらに山奥に向かって走って行った。
家もまばらになり、湧き水の雰囲気も無い事から地元の人に聞く事に「さらに奥に入った地蔵さんの所にアルヨ」と教えて下さいましたので、気を取り直してさらに奥に進む事に、周りは河川工事のトラックだけが行き交う場所まで進んでくると左手に地蔵さんらしき祠が見えてきた。やっとありつけると思い寄ってみると
2024-b.jpg 2025-b.jpg
目に付いたものは、なっなんと〇〇のシンボルが奉納されているではないか、連れ合いは車の中で居眠り中・・やれやれ
こういうのを道祖神と言うのだろうか ((+_+))
で、肝心な湧水は出ておらず、さらに奥へと進んで行った。
こんな道を走って来たのです。
  2021-b.jpg
聞けばこの辺も二年前の大水害で土石流が発生したとか、その修復工事で砂防ダムを作っている様子
  2022-b.jpg
これ以上行けねえな~と思いきや、工事現場のプレハブ小屋みたいなのがその横に・・・
2016-b.jpg
勝手な思い込みなのですが、土石流で地蔵菩薩の祠は流され、新たに工事関係者の休憩場所にも利用できるようにとこのような作りになったのでは、中を覗いて賽銭を入れた・・・・・と思う(?_?) 忘れた・・・
2018-b.jpg
このお地蔵さんは、昔から大切にされてきたのだなぁ~との思いがした。

ところで、湧水は何処だいな?と小屋の周りを一周したのだがナイ!まさかこれかぁ~
2019-b.jpg
ホースが、支流の方から引いてアリ
2020-b.jpg
コレしかそれらしきものが無い、地元の方も地蔵菩薩の湧水と言っておられたので確信を持ち、水溜からホースを引出、無事二つ目の湧水をゲットした。
吾輩が探した資料によると
『赤滝の水とは、赤滝とは閼伽(アカ=清浄な)のタギリ流れるところの水。』

次に、葛の井と言う名の水を探しに、黒滝村の中心であろう役場がある寺戸地区に、この葛の井は、「昔(江戸時代)、この清冽な湧き水をつかって、葛の根をさらし、できあがった吉野葛を、毎年、紀州・和歌山の殿様に献上していたという。
三つの葉葵の紋と「献上御葛」の文字をしるした木製の荷札がいまものこされている。
とのことで、さぞかしうまい水だと期待していた。ところが、町の中心にあったお店で聞いてみると「そんなものは聞いた事がない、湧水なら、吉野方面のトンネルを出たとこに在る」との返事、70代のおばあさんが言っているのだから間違いなかろうと、「葛の井」の水は諦めて、そのトンネルを出たとこの「地蔵の水」を汲みに向かった。
結局、そのトンネルを過ぎた所の付近を探すも見合当らず、時間も無い事から次回に楽しみを残し吉野山へ行く事に、県道267号線の車一台が通れるぐらいの道ですが、吉野山にこちらから行くには近道です。
峠越えの所には、才谷の一本杉がそびえ立っていました。
   2028-b.jpg
その近くには石碑が
   2030-b.jpg
なんでも、文明7年(1475年)蓮如上人御手植之杉らしい(蓮如上人=室町時代の浄土真宗の僧侶)
ソコを過ぎると、やがて吉野山の街並みに出て行きました。吉野山は湧水探しの機会が有ればその時にUPしたいと思います。
 2032-b.jpg

で赤滝長命地蔵菩薩の「長命水」(仮名)でコーヒーを沸かした味は、近くに「ごろごろ水」がある事から期待していたのですが、山水に似た味で、湧き水かどうか分からないところがあります。
独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vです

この場を借りて、今の日本の行くへに心配の種が・・・
『秘密保護法』が衆議院を通過してしまいました。政府のする事に「見ざる・聞かざる・言わざる」という事が現実になろうとしています。一人でも多くの方に関心を持って頂く為に。
ブログを書けば捕まってしまうかも(?_?)
下記読んでみてください。
川田龍平氏のブログより

詳しい場所は(尚、グーグルマップのストリートビューがこの付近は見れます)

大きな地図で見る
おわり
スポンサーサイト

NO88:丹生川上神社下社「いのちの水」

春「ごろごろ水」を汲みに行った時に、奈良県吉野郡下市町長谷の丹生(にぶ)川上神社の前を通った折、はためく幟に「日本最古の水の神」という字が書いてあったのを横目で見ながら走った時の事が気になっていて、この神社に行きたいが為に、連れ合いに「洞川の紅葉を見に行こう」と上手く誘って行ったのであります。苦労します。
   015-b.jpg
今回のコースは、天川村の紅葉狩→山岳道路→黒滝村→吉野山→帰宅を予定して出発した。
このコースの中で湧水がもらえる所を探して、丹生川上神社下社(水の神の神社だからあるだろう?)、黒滝村に有るであろう葛の井・赤滝の水・地蔵の水の四か所を尋ねてみる事に。

そのⅠ、丹生川上神社に寄って湧き水を探しに
   033-b.jpg
左に:太古の名水「いのちの水」丹生の御食の井(みけのい)の大書きした標識が                
011-ab.jpg
御食とは、神への供物との事、これで湧水一つゲット確実、太古の名水なる誇らしげな字に心も踊る事に
例のコンテナを持っての参拝、駐車場から入るとそこには馬が!
005-b.jpg 004-b.jpg
右の写真の右に在る小屋には白馬がおりました。
この馬には・・・このような意味合いとそれに繋がる絵馬が

水神を祀る丹生川上神社と京都の貴船神社の特徴は奉幣(お供え)とは別に馬を奉る神社で知られます。雨を祈り「黒い馬」晴れを祈り「白い馬」と定められ、これがやがて「神さまに願い事をするのに馬を奉る」そして「神さまに願い事を書く絵馬」に代わってゆきます。しかしここに日本人の思考変化が描かれています。
もともとは日本の何処かで干ばつや長雨が起こると天皇は水神に祈る為に馬を用います。
所謂「国のため」「人の為」に馬を奉ったものが現在の絵馬の用い方は個人の願い事を書き記すのが一般てきです。
全てを否定せず感謝して人のために生きる。日本人が本来もっていた心根から現代の思考までの変遷を描いた神社が丹生川上神社です。今に大切な日本の心を伝える神さまです。 (社報第七号より)

その写真に写っている石、奥の大石を牛石と呼び、手前の小さい石を蛙石と呼ぶらしい。
 003-b.jpg   
             牛石に思う 
この石は形が牛の寝ているように見えるところから、誰となく牛石と呼ぶようになった。この石は大正天皇御大典の奉祝を祈念して丹生区より奉納されたものです。当時これと言った道具もない時代に、これだけの石を人力だけで、そり台に乗せて川より引き上げ、若者の心意気と辛抱強さの象徴として此処まで持ち込んで下さった労苦に頭の下がる思いがします。
それから約一世紀に亘り辛抱強くここに座ったままの石である、だから世の移り変わりの色々を知っている、ロマンに満ちた石である。今改めて当時の人々の労苦に感謝しながら、いつの世にあっても辛抱の大切さを教えてくれているこの石を愛しく思い真心込めて優しく三回撫でてあげましょう。
思いがけない幸運に恵まれるかも。
(最後の一節に、宮司さんの心根が現れているように思えます)
「しかしどう見ても、牛には見えねェえだが。牛に見えないものは、神さんに嫌われているとか?^_^;」
004-abc-b.jpg

              蛙石
牛石の傍の石、この石が、なぜ牛石の傍に立っているのか現在の氏子中で誰も知らず不思議に思っていた。
だが、最近その理由がわかった。
この石をじっと眺めていると蛙が立ち上がった姿に見える、そこで、この石を蛙石と名付ける事にした。
牛は、じっくりと物事を見極めて粘り強く歩むことから、人世も商売も牛歩のようにあれ言われている。
一方蛙は瞬時に物を捉える瞬発力を持っている、すなわち、静と動の対照的な性格を持つ石を並べて置いたのは、人世にも物事を決めるとき、熟慮すべきか、即決すべきか、判断に迷う時がある、そんなとき、この二つの石に触れながら心静かに考えてみよう、そのとき二つの石の精がきっと良い決断を与えてくれるでしょう。
牛の粘り強さと蛙の瞬発力を兼ね備えた人生であるために何事も原点に帰る(蛙)気持ちこそが大切だとこの石が教えてくれている。
「こちらの石は、蛙石に見えるでござる。神さんもこれで救ってくれるかも(^_^)v」
009-b.jpg
丹生川上神社下社の由緒(にふ→にゅうと呼ぶらしい)
丹生川上神社には他に、丹生川上神社(中社)、丹生川上神社上社があります。各神社とも場所は離れており、関心のある方は各HPで調べてください。
御祭神:闇龗神(クラオカミノカミ)
御壮健:天武天皇白鳳四年(676)「人声の聞こえざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし、霜雨を止めむ」との御神話に因り創建された古社である
御例祭:6月1日
御神挌:延喜式の名神大社二十二社の一社 元官幣大社 明治四年列挌
御鎮座地:丹生川の川上 丹生山
     神武天皇御東征の途御親祭遊ばされた地である
朝廷の尊崇:天平宝字七年(763)弊帛の外、特に黒毛の馬を奉納される。その後、祈雨には黒馬、祈晴んは白馬を献ずる事が恒例とさえた。
      孝明天皇安政元年(1854)に、「外患惧服国家清平」の祈祷を仰付けられた。
御神徳:大気を浄化し、万物生成化育の根源たる水を主宰遊ばされ、地球上のありとあらゆる物象の上に、はかり知れない恩恵を垂れ給い、守護あらせられるいのちの神様である。
         あ~~~疲れてしもたー(~o~)
境内の上段に上がり拝殿で賽銭をお供えして降りてくると、拝殿の右手から75段上の本殿を眺めてくださいとの立札が、右に回ってみると
022-b.jpg
丹生山と言うらしい左に回ってみると、
030-b.jpg
山への出入りを見張っているかのように祠が建っていました。
当神社背後の丹生山山頂に、祭祀遺跡と思しき矩形の石群があること(ウィキペデア)
『このことから、神社の御神体は実際は山頂の雨乞いの遺跡であるのではと推理してみる』

肝心な湧水はと言えば、拝殿の左に丹生御食の井(神さんにお供えする水)御神水:いのちの水 がありました。
023-b.jpg 024-b.jpg
連れ合いも、御神水の神徳にあやかろうと労力に励んでくれています(^^)/

これで一つ目の目的はゲットできたし、帰ろうと振り向くとおかしな石がまたもや
020-b.jpg
立札には     産霊石(むすびいし)  と
産霊石には、男根と女陰のご神体が重なり合っています。この石の底には径10cm位の深い穴があいています。
いつのころか神社にお参りして子宝に恵まれた信者が禊ぎをした丹生川の底にあったものを奉納したもので、今も遠方から参詣者が集まって来ています。
産霊(むすび)は生産・生成を意味する言葉で、造化三神のうちの女神である神皇産霊神(カミムスビ)と、男神の高皇産霊神(タカムスビ)のことを言います。一対の神であり、この二神は一心同体だとする説が唱えられ、「創造」を神格化した神であり、男女の「むすび」を象徴する神でもあると考えられます。
この「むすび」の神には衰えようとする魂を奮い立たせる働き(すなわち生命力の象徴)があるとされています。
よって子宝に恵まれるよう静かに参拝してほしいものです。

石にもイロイロとあるものだなぁ~と、感心ひとしきりデス。

その、神社のまえの丹生川です
014-b.jpg 013-b.jpg
上流の工事の為か、水が汚れていたのが残念!
次に目指すは天川村へGo(^^)/

で、「いのちの水」でコーヒーを沸かしたあじ評価は、あっさりしたうま味のあるコーヒーが点てれました。
独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした

詳しい場所

大きな地図で見る

NO87:三輪神社の宮水「大井ノ元」

今回もまたまた映画を見に行ったついでに、以前水をもらいに行ったが建て替え中で水が汲めなかった、兵庫県三田市にある三輪神社の宮水「大井ノ元」へ再度行ってきました。

前に行った時、工事中の館
P2100001-1b.jpg

その前に、例の如くイオンシネマ「三田ウッディタウン」で、第66回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞「そして父になる」を見に行く事に。これは「連れ合い」のかねてからの希望で、交換条件として三輪神社の宮水「大井ノ元」に、前回汲めなかった宮水を汲みに付き合ってくれる事として協定成立の結果でした。
   img087-b.jpg
感想としては、結末は思い描いていたように終わることなく「含蓄のある」お わ り かたで「親子の行く末に思いを馳せたくなる」内容でした。

終了後三輪神社に向かった。
国道を走って三輪神社の手前200m手前で車が渋滞で止まってしまった。信号渋滞と思いきや脇道から神輿が出てきて、こりゃ祭りに巻き込まれたな!
   PA130001-b.jpg

・・・で、こんなとこで祭りをやっているという事は・・・もしや・・・三輪神社の祭礼では?
    PA130012-b.jpg
そう、もしやが的中でした^_^;
それでなくっても、この辺の界隈駐車する所がなく、神社の駐車場を充てにしていたものだからどうなる事やらと、思案に暮れたがとりあえず渋滞の緩和を待って神社へ通じる脇道に入ってみた。
駐車場へ通じる道にはこのような看板が・・・
    PA130005-b.jpg
この看板によれば、当日は午前8時~午後9時まで通行止め との事、駐車場へ入るのは諦めて(もともと無理だったのだが)さらに脇道を直進して奥に、とそこにこんな遺跡が!
   PA130002-b.jpg

車は史跡園の近くに駐車スペースのある道路端に置かしてもらい神社へ急いだ! 祭りが見たかったのだ!
行くと、山車が止めてありここから祭りの広場だ!とデモンストレーションしている様・・まぁそれが「おらが祭り」の心意気てなぐあいに
   PA130006-b.jpg
その上にある三輪神社の境内に上がりそこから見ると
   PA130009-b.jpg
山車や神輿が置いて在り、にぎやかな祭りの雰囲気。祭りの締めくくりに各地区から一堂に集まってきている模様
   PA130008-b.jpg
祭りと三田の街並みデス

        前述のポスターによると
         〇本宮祭:9時~
        〇供奉行列:10時30分~
       〇御旅所神事:12時30分~
       〇御旅所出発:14時30分
          〇宮入:16時~
         〇餅撒き:16時30分~
       〇波宇也踊り:19時~
        〇提灯行列:19時30分~
        〇神楽奉納:20時~

宮総代らしき人が、境内の広場で午後4時から山車と神輿の倉入りが始まるとの事、ポスターをしっかり見ていなかった我が二人は4時から何か始まるらしいとの事で、とりあえず水をもらいに行って来ようと、湧き水の館に行く事にした。餅撒きもあるらしい・・・
P2100004-1a.jpg
見てない人の為に、以前写した三輪神社の社

で、人をかき分けて社務所の前に在る神輿の横を右に折て細い路地を100mほど進んで行くと「大井ノ元」に着きました。着いてみると、な!なんとスゴ~~~ク立派になっているではぁ~りませんか(@_@;)。
   PA130013-b.jpg
近づいて中を覗いてみると
   PA130015-b.jpg
綺麗な水が溜まっていましたが、サテサテどうして汲むのかと思いきや、横にこのような張り紙が
   PA130017-b.jpg
張り紙には、「区民の皆様へ、大井ノ元の湧水は、水質検査の結果、飲料水に適さないことが判明しました。ご注意下さい」三和区長
という事で、今回も水を汲む事は・・・と言うよりもココの水を飲むことは諦めなければならない事と相成りました。
その上に書いて有る「大井ノ元」のイワレヲ書きだしておきます。
      三和の人々の暮らしを支えてきた水
          大井ノ元
 大井ノ元は、六甲山の名水に連なる水系で、清らかな水が常時湧き出しています。過去の旱魃(カンバツ)の時でも涸れることがありませんでした。円山の奥に吉凶の池があります。昔はこの池の水面を見て、その年の豊作を占ったそうです。この池の水は三輪神社の地下を通り、大井ノ元の水となっていると言い伝えられています。
 大井ノ元のことは、三輪神社の寺社堂記に「閼伽井は神社の西南あり水の湧出る所、泉の中高さ二尺ばかりの石あり伝えて言う影降石なり、神降りるなり」と書かれています。現在でも、正月には三和神社の宮水として神さまにお供えしています。
 明治三十四年に大井戸組が中心となり、町と地家から浄財が集められ、現在の姿となりました。昭和初期まで町民の飲料水として重宝されました。    歴史の散歩道  大井ノ元  三和区

と、悠長に書いていられない、早く神社に戻って儀式を見なくっちゃ と 来た道を急いで帰って行った。

着くと、三和神社の横の坂道から山車が神社に上がる最中であった。
   PA130019-b.jpg

そうそう、写真に写っている屋根に座布団みたいな物がのっている神輿は、座布団太鼓が正式な名前らしいデス。
こちらも急いで三和神社の境内に上り見学する事に、
PA130021-b.jpg

 PA130022-b.jpg

  PA130023-b.jpg
おそらくこの祭りの見せ所ではないか、男粋がムンムンの行動である
   PA130024-b.jpg
この盛り土の上に立ててある御幣を三回廻って倉にしまうらしい
  PA130026-b.jpg
狭い境内をこんな感じで山車を引っ張る(押す)、やっている本人達は真剣で大変だが、見ている方も砂埃で大変です^_^;
 PA130027-b.jpg
それにしても、ビデオもいいですがコマ写しの写真も、結構迫力が出ていると思いませんか(^_^)/

この砂埃に参った連れ合いは、退散しようと言い出し、吾輩はできれば「餅撒き」まで居たかったのですが、まだ次に神輿も控えているので時間の事もアリ、例の「三和明神窯史跡園」に寄って帰る事にした。

ちょうど神社の裏手にあります。
PA130028-b.jpg PA130029-b.jpg
         新工房跡
     明治時代~昭和時代の初め
 この場所は、三和明神窯跡(かま)の最も新しい時期の工房が建っていたとこです。床面は土の床で、焼き物に使う粘度が広がっていました。
 現在、大正時代の工房のようすを、地域の古老から聞き取り、学習棟の姿に反映し、当時の基礎石を周辺に再現しています。

 PA130030-b.jpg
  PA130004-b.jpg
   PA130032-b.jpg
史跡と言っても年代が新しいモノで、江戸時代の後期(1799年)から、昭和10年まで操業していたようです。作っていたものは、青磁をはじめとして、染め付け、色絵、白磁、などの製品で「三田青磁」として優れた製品を生み出していた。当寺としては広く全国へ流通し、美術的価値も高かったとの事です。

手振れが出るほど連れ合いに急がされ帰宅しました。

ゆえに、水の評価はできませんでした。(^_^)/

詳しい場所は

大きな地図で見る

おわり




プロフィール

水汲みマン

Author:水汲みマン
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
湧き水のおすそ分け
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR