NO73:山陰古道・細野峠の「観音清水」

今回は、NO67:畑地区の「観音名水」を偶然汲みに行く事になった時の、本来探していた福知山市三和町菟原中「観音清水」をお届けいたします。
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№71の時にサイトをイロイロと調べていて偶然引っ掛かった事がきっかけで、今回もお水を頂きに行く事にしました。
「轟水」の集落菟原下とは、谷を一つ隔てた京丹波町寄りの集落菟原中に在ります。どちらも谷を進んで行くと兵庫県篠山市で合流する道です。
現地に行ってみると、山陰道細野峠越えという京都・歴史の道百選にあたるらしい立派な看板が有りました。
その近くには、菟原小学校平成20年度卒業記念作品として、山陰道細野峠案内図が設置されていました。
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先ほど歴史の道・百選で調べてみると、京都の百選ではなく、文化庁が認定している立派な古道でした。それも、偶然に50番目のいい番号です。
恒例の写真下の説明書きを・・・
 細野峠は三和町菟原中から大身に越える、全長約2kmの峠を指し、「ほうの嶺「朴の峠」などの呼び名があります。山陰道の要衝として数多くの通行者が有り小式部内侍の「大江山生野の道のとおければまだふみもみず天橋立」にも詠まれているように、大江山生野道にあたります。
 江戸時代には参勤交代の要路ともなっており、福知山藩や宮津藩、出石藩他が通行しました。元禄2年(1689)にこの地方を旅した儒者貝原益軒は著書「西北紀行」に「是よりはほうその嶺(おおいなる坂にて険し)を越、菟原村を過ぎ、千束に至る、日既に薄暮なればココに宿りぬ」と記述を残し、文化11年(1814)に第二次丹波測量をおこなった伊能忠敬測量隊の分隊一行もこの峠を越えています。
 峠の頂上付近には、多くの通行人の信仰を集めた宝祚山(ほうそざん)百観音堂円通庵の跡地が残っています。百観音堂は弘化元年(1844)菟原中村龍源寺20世良英和尚と地元の有志によって建立され、西国・秩父・坂東の100ヶ所百体の観音像が道行く人の安全を祈りました。堂のカネノオの下には、100ヶ所のほかに四国八十八ヶ所その他札所の名所の砂が納められ、ここにお参りしただけで多くのご利益があったと言います。百観音堂は、のちに無住となり、お堂と観音像は大正年間に龍源寺に移転しました。
 明治以降は国道整備が進み、鉄道など交通網の発達に伴い、峠を歩く人も次第に減少しました。しかい、現代も峠には、百観音堂跡や茶屋跡、さらに万延元年(1860)に起こった大身騒動の首謀者の首が晒(さら)されたといわれる地や、旅人の喉をうるおした湧水が出てる中田の地蔵跡などが残っており、古(いにしえ)の姿を今なお色濃く伝えています。

写真の道と、説明書きの絵から想像すると車で現地まで行けそうなので、気分よく峠に向けて車を進めました。
人家が終わると思しきあたりで、盆を迎える家の付近の草刈りを家族でしておられたオヤジさんに尋ねてみると、「湧水は出てるかどうか判らないし、車を置いて800mは歩かんなんで」との返事。
チョイト気分がへこむも、とりあえず行ってみますと、返事をして前進。
少し行ったところに標識が
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さらに進むと、道が二股に、当然広い方へ進む。
最近林道を走るとこのような鉄版を埋め込んだものをよく見かけるように・・・何の意味が有るのだろう?タイヤが切れないか心配しながらの運転。
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そして、オヤジさんが言っておられた場所、まだ行けるので車で前進する。 
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ココで、道幅が狭くなり、車で行く事を断念!まだ、400mも登って行かなければ・・・  
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心細さもあったが、ここまで来たので体力・気力?の持つとこまで行く事に・・
山陰古道も荒れかけている様子
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さらに登ると
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ところどころこのような状態、しかし、「観音清水」に近づくと石畳に変わってきた。
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けっこうな坂道で、湧水の関係か濡れており滑るので要注意である。吾輩も、水を入れている時に不覚にも滑ってしまいズボンが汚れ、後で嫌味のお言葉が待っていた ^_^;

で、歩いて約15分ほどで「観音名水」に到着 !(^^)!
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水が出ているか心配だったが、その方は一安心しかし水量が少ない!結局ペットボトル三本だけにした。これでも約10分ぐらい入れるのに掛かった。まぁ持って帰るのも大変だし・・・

云われの立札が
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      観音清水  -細野峠ー
観音山は往古より観音の霊場なり、古くより観音屋敷あり、観音のおわす山なりと伝え聞く観音山にこの観音清水
あり
 百観音堂円通庵跡の古井戸より湧出るこの清水は、山陰道の要衝として行き交う多くの旅人の喉を潤し、観音に参詣する一時の安らぎを与えていた。
 向かい側にあった峠の茶屋では、菟原産の銘茶を清水で点てた煎茶が振舞われ、峠を越す力を得たことでしょう。
 先人の残した貴重な遺産として、この清水を細野峠を、そしてふるさとの自然をいつまでも大切に守り伝えていきます。
       細野峠を守る会
       福知山環境会議
               平成十九年十二月

お水も頂いたし、チョイト周辺を散策
まずは「観音清水」の源流である古井戸を・・
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水を導いて来ているパイプは、埋めてありその先がどこに行っているのか分からず。

次に、円通庵の跡地
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  百観音堂 円通庵
弘化元年(1844)龍源寺良英和尚と地元有志の発起でかっての観音屋敷由縁により、ここに建立された。
 百観音堂には、西国・秩父・坂東合せて百カ所の百体観音像が安置され、四国八十八カ所や全国各地の名所の砂が収められ、京街道を行き来する人々を見守った。
 のちに円通庵は無住となったため、観音堂と観音像は龍源寺に移転した。

そして峠の頂上まで散策へ
 こちらが来た峠道        越えて下る峠道
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実は、初めの部分に出ている小学生の卒業記念作品(細野峠の案内図)は細野峠の帰り道で見つけたもので、このような説明書きが書いて有りました。
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この峠を降りて行けば大身騒動晒(さらし)場跡が有るそうですが、そんなことを来るまでに読んでいたら幽霊が怖い吾輩はここまで(観音清水)たどり着いていなかったことでしょう。

そして峠を降りた出口は9号線に当たり、そちらも注意して走っていればこのような看板を見る事が出来ます。
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無事一人で何事もなく車まで帰ってくる事ができホッとした「観音清水」の水汲み行程でした。
帰りには、来るときに道案内をしてくれたオヤジさんが、吾輩が帰って来るのを見届けようと家の前におられたのでお礼と報告をして、百体観音像が移されて祀ってあるという龍源寺に向かった。

龍源寺は9号線(福知山→京都)から菟原中の集落方面を見ると、山の中腹に少し古い本堂が大きな構えで見えます(わき見運転で事故に注意)。
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  こちらが本堂        右 新円通庵百体観音堂
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そして
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百体の観音様がいるのでしょう・・あまりにも黄金色に輝いているので尋ねてみると、阪神淡路大震災の揺れで仏像が倒れ、これを機会に修復されたとか
堂内に移築した円通庵の写真が飾ってありました。写真の写りが悪く見えにくいデス^_^;
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百体観音堂の云われが書いたしおりを頂きましたので、書き出しておきます。
     円通庵百体観音堂の由来
観音堂は、その昔京街道菟原中村の細野峠頂上近くに建立されていました。観音堂再興の趣意書によれば、細野峠は、往古から観世音の霊場であり、今も観音山、観音屋敷の地番、名称があるので、峠にも観音の由緒が、あったと思われます。
観音堂は、江戸時代の末期、弘化元年(1844年)10月に当時の龍源寺第二十世住職円通良英和尚様や地元の人々の発願いよって建立されることになりました。その頃の世相は大変暗く、人々の生活は苦しかったゆです。そえ故に、この世の中を少しでも明るくしたいと願う良英和尚様の観音に帰依される熱い思いが、人々を動かしました。最初は、西国三十三ヶ所の観音様を納める予定で志を募りましたが、街道を通る丹後、但馬、京近隣の人たちが多く、思いの外浄財が集まったので、秩父三十四ヶ所、坂東三十三ヶ所の観音様も合わせ、百体の観音像を安置されました。さらに、村の山内善四郎さんが、四国八十八ヶ所霊場を巡拝し、土石を拝請したので、これらの霊場お砂を踏石の下に納めました。それ故にこの踏み石に立ち観音様に手を合わせお参りすると、これらの霊場へ詣でたのと同じ霊験があると伝えられています。
その後、国道9号線が開通して峠を通る人も少なくなり、大正9年頃に龍源寺境内に移築され、檀家や観音講の皆様によって守られて来たのですが、峠に建立されてから既に約160年経過しており、観音像の損傷も大きくなり、平成6年12月より修復に掛かり、平成8年6月に多くの人々の寄進によって、観音様は往時の姿に復元完納されました
   そうして平成12年3月27日地鎮祭を行い、5月11日に上棟式の法要を修め平成12年10月22日新築建立なった観音堂で落慶入仏法要を厳修し、百体の観音様と開山円通良英和尚様の御尊像を奉安することが出来ました。
 多くの十方信心の方々に観音妙智力の功徳を授かって頂けると思います。
  
 この世にて  まいれ細野の観世音  西国 秩父 坂東の阿弥陀

神仏習合のお寺なのか、横には立派な鳥居のある八幡宮が有ります
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鳥居とのギャップが大きい、だいぶ古そうな神社でした。
その石段から菟原の街並みを写したものですが、見晴らしの良い景色でこんな所に住んでみたいと思いながら龍源寺を後にしました。
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で、観音清水の水評価は、3本しか持ち帰る事が出来ませんでしたので十分な吟味することはできませんでしたが、なぜか飲むと疲れが取れるような気がしたお水でした。しかし、コーヒーを飲んでみると・・
独断と偏見の味評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ
細野峠「観音清水」の場所は

山陰古道の道が載っていませんので、大体の場所です。
   ーおわりー


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NO72:上山地区の「飲料水」

NO69:野間地区水源水「ガラシアの清水」(仮)、スイス村からの続きパートⅡをお送りします。
丹後半島の風景も案内しながら書いていきます。

スイス村を後に、「父の日」の愛妻?からの贈り物、碇高原ステーキハウスでのステーキお食事会。
NO26:野村の清水でも、少しカジリましたが、ステーキハウスです
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その店内は
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早かったので、お客様は二組でした。それで撮影をさせて頂きました。

早速、注文を!
特選和牛ヒレ・ステーキ(160g):4200円
特選和牛サーロインステーキ(180g):4200円
オージービーフ:ヒレ・ステーキ定食(160g):2950円

予算はステーキ定食の2950円と決めていたのだが、いざメニューを見るとオージービーフが・・・方や特選4200円コースは和牛と書いて有る。  愛妻と2950円を4200円にランクアップの交渉するも一蹴^_^;粘るも結果差額は吾輩持ち、ナンタルチーチの日か
まずは前菜のサラダ             続いてスープ
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 こちらが吾輩        こちらがオージービーフ定食
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吾輩にはライスはついていませんでしたが、腹いっぱいで満足の食事会デスタ(^^)/
碇高原の四季もいかがですか(^.^)/~~~

碇高原の下に位置する上山地区に湧き水があると出ていたサイト を手掛かりに上山地区に行って見る事に、その道は碇高原の端から車一台が通れるくらいの道を降りて行けば着く予定で進みました。
集落の入口に、パート1で書いた金剛童子山の説明書きの中に出てきた上山寺が建っていました。
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その説明書き
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今日はビールを飲んで酔っていますので、次回書き出します。
     上山寺
市指定文化財:木造十一面観音菩薩像
市指定文化財:石造宝篋印塔 二基
市指定文化財:石造五輪塔
市 史 跡 :上山寺歴史環境地区
 上山寺は、丹後で最も古い由緒を誇る古寺の一つである。
伝えられる縁起によれば、開山は、隠岐国の佐々木隠岐守で、夜ごと十一面観音が夢に現れ、「東州へ行き仏閣を建て仏像を安置せよ」とのお告げがあり、名を明法上人と改め、海上に出て丹後国袖志浦に漂着の後、谷内村を越えて深山に入り、一堂を建て観音像を安置したのが始まりと伝えられる。時に天応元年(781年)のことという。
 当時に残る文化財には、木造十一面観音菩薩像、石造篋印塔、五輪塔があり、市指定文化財となっている。この他にも多数の石塔・石仏が伝えられている。
●木造 十一面観音菩薩像は内刳の全くない一本造で、その彫は素朴で平安時代後期の製作と思われる。
●石造 宝篋印塔二基も造形的に優美なもので、「永徳元(1381)大願主結集十三人」「永禄九(1567)八月日敬白」と刻銘があり、時代的にも明確である。
●石造 五輪塔も、上山寺に数多いい石塔の中でも優美なもんである。台座に「奉書写 大乗妙典 一字一石一部 当山開白天応元 開山明法上人 願主 寺尾 舜盛 永禄八年(1565)迄785年」と刻銘がある。
 このように 指定の優美ですぐれた文化財のみならず、多数の石塔・石仏が伝えられており、上山寺は丹後町における仏教文化を代表する古寺であり、上山寺歴史環境地区として地域全域を市の史跡として保全につとめている。
                   京丹後市教区員会
という事は、上山地区自体が丹後町の史跡となっている珍しい集落のようである。
後程聞いた話ですが、上山地区には現在5世帯の住民が住んでおられるとの事、週末には古民家を別荘代わりに使っている人や、別荘を建てて遊びに来る人が数世帯いらっしゃるとの事です。
その集落の様子        
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で、肝心な湧水を探し求めるも分からず、例によって地元の方に尋ねる事に、ちょうど炭焼き製造販売の幟が立っていたのでお邪魔して聞くことに、
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集落に溶け込んだログハウスの粋な建物、尋ねてみると上山地区にはそんなものは無い!でも集落で飲料水に使っている水は、山水をろ過したもので、塩素は使用していないとの事、よろしければと言う事で頂いて帰る事にしました。家の中では失礼にあたるので外に設置してある蛇口から頂いてきました。
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ホントは炭の話などもっとしたかったのですが、先を急いでいたので親切な心配りにお礼を言って山を降りて行きました。
丹後半島一周道路に出る手前に、吉野の里宇川温泉が有ります。
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ココの地名を「吉野の里」と言われているのは、推促ですが役行者が開山した「金剛童子山」と役行者ゆかりの地「奈良の吉野山」を重ねて昔から言われているのではないかな~と思えるのです。
写真写りが悪いので、詳しくは宇川温泉「吉野の里」で見てください。

今回行きたいと思っていた。航空自衛隊 経ヶ岬分屯基地を一目見るため・・・と言うのも最近になってこの周辺に「Xバンドレーダー」米軍専用基地を作る話が持ち上がってきているのです。この話は、北朝鮮がロットの実験を言いだしてから出てきた話で、日本の為と言うよりかアメリカ本国でミサイルを迎撃するための必要なレーダーという事らしい。

丹後半島一周道路に出て、経ヶ岬方面へ少し走ったところに見えてきました。
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そして、山の上には
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ドーム型のレーダーが見えるかな~
噂では、近辺の田んぼに米軍基地を作るとか・・・これ以上植民地の様に好き勝手させて良いものだろうか(?_?)
基地の正面入口は、さすが吾輩でも撮りにくかったのでパス。その基地に入って行く道をそれると、基地の横にはこの辺では有名な穴文殊のお寺さんが、
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その云われは
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       穴文殊(清涼山九品寺)
 文化11年(1810)に、当地を巡礼した修験者野田泉光院は、「本堂末向(ひつじむき)、桜門あり、前に松並木二丁ばかり、本堂後ろにくどの如き大石、双方より海中に出ず」と記してるが、本尊文殊菩薩の足下には海から続く大洞穴があるところから、穴文殊と呼び親しまれている。
 本尊文殊菩薩は、足利時代の作と言われ元は経ヶ岬の海蝕洞(海心洞)に安置されていたが、慶長14年(1609)この地に遷仏したと伝えられる。
 また、本堂及び山門は、江戸時代中期の建築である。  文殊大祭典 八月二十四・二十五日

穴文殊さんの境内一帯は基地のフェンスが張り巡らされていて洞穴には行けそうにありませんでした。
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で、経ヶ岬まではすぐそこなので、久し振りに寄って来ることに・・・向けて出発
駐車場に着いて分かったのですが、初めて来たときは、丹後半島一周道路から歩いて、一度海岸まで下りてそこから山道を登り約1時間ほど(記憶が定かではないでーす)かかった思い出が残っていましたが、今では車で半島の出っ張りの付け根の駐車場まで行けば、遊歩道を歩いて約10分ぐらいで行けます。
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山道になれない者にとっては結構しんどい10分です。
この日は暑い日でしたので、でっぱりの山頂に在る展望台には心臓の鼓動の関係上ドクターストップがかかり断念!
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入口を入った広場は一段高く、灯台のレンズがまる見えです。
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灯台から見た景色
左の方向(海だけ)       右の方
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経ヶ岬燈台の概略
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     ~日本初の水銀槽式回転機械~
 近畿地方最北の地に位置するこの燈台は、明治政府による富国強兵に伴う海運動成政策の一環として、明治三十一年(1898年)12月25日に設置されました。この燈台及び付属機械は、140メートル下の海岸で切り出した角閃石安山岩を加工、運搬して、約2年余りの歳月をかけ苦難の末に完成しました。また、近畿地方では唯一の第一等フレネル式レンズを使用し、レンズの回転をスムーズにするため、フランス人考案の水銀槽式回転機械を輸入使用した第一号の燈台でもあります。

    位置:北緯35度46分38秒   東経135度13分24秒
   光り方:群閃白光 毎20秒に3閃光
  光の強さ:28,0万カンデラ
光の届く距離:22、0海里(約40,7キロメートル)
    高さ:地上から燈台頂部約12メートル
       水面から灯火 約148メートル
  
 管理事務所:舞鶴海上保安部
       電話0773-76-4120
    海上保安庁  橙光会  日本財団

さらに
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現地では、燈台の全体像を収める事が出来ず、この掲示板の写真が全体像です。
その横の説明書きは
 経ヶ岬は丹後半島の先端に突き出した近畿最北端の岬です。
 この岬の海岸には、規則的な縦の割れ目をもち、何本もの柱が積み重なった様に見える岩石が露出しています。この割れ目は噴出した熱い溶岩が冷え固まる時にできた柱状節理と呼ばれる割れ目です。
 この柱上節理のようすが、いくうもの経巻を立ち並べたように見える事から、「経ヶ岬」の名がついたと言われています。
 経ヶ岬には海抜140mの位置に燈台があり、ここから見える景色は京都百景に選ばれています。

この説明書きの内容は初めて知ったもので、吾輩は、岬の近辺の海は海流の流れが激しく、海が荒れやすいので航海の安全を祈って、お経が岩に彫ってあるところから「経ヶ岬」と名前がつけられた。と聞いていた。

日も傾いてきたので帰路につく事に、
景色の良い処を・・・丹後松島と呼ばれている景色
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屏風岩と呼ばれている景色
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天気が良かったので海の色もバッチリ(^_^)v
シーカヤックで丹後半島一周漕覇をしている時、吾輩の知り合いが雨が降らず、台風が来なければ、経ヶ岬周辺は沖縄の海より透明度が良いと言ってたのを思い出した。

ところで、上山地区の「飲料水」は飲み始めは美味しく頂けましたが、他の湧水から比べると日持ちが悪いようでしたので
独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v しておきます

詳しい場所は、上山地区を入れておきます。







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