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NO71:三和町の「轟水」

本来は丹後半島の続きを書かなければならないのですが、
先日ミステリアスな湧水探しとなった、三和町菟原下に在る「轟水(とどろきみず)」の記事を書いていきます。
大モミの木の元から湧く「轟の水」
ここのHPを見て、水をもらいに行こうと思い立ったのでした。


その日は大阪方面に行かなければならない事になり、帰宅の時間に余裕が出来れば寄り道をしてお水を頂戴して来ようと出発しました。
用事も終わり、帰りに寄り道をして福知山市三和町菟原下に四時ごろには着くと計算して、夏場なので6時ごろまでには何とか探せるとの思いから寄り道をする事に。
鹿倉山の麓に到着した時刻が四時前で日も高い。
篠山方面から行くと、箱部峠を越すと到着します。
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峠を降りてくると地蔵小屋があり、中のお地蔵さんの足元にかわゆいカエルの瀬戸物が置いてあったのでツイ撮りました。
兵庫県と京都府の県境を越えた辺りから、ゆっくりとそれらしきものがないか車を進めて行きましたが、ちょうど鹿倉山に入って行く深山林道という標識を見つけたので、その付近で畑の作業をしていた年恰好40代半ばぐらいの「おねえさま」に「轟の水」を尋ねてみると、来た道の方を指して「そちらの道縁に出ている水を多くの人が汲みに来とられる」と教えてくださったので引き返してみると有りました!
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急傾斜の工事コンクリートを利用して、エスロンパイプでうまく水を引いて汲み易く作ってありました。
何時ものスケベ根性が顔を出し、エスロンパイプの先がどのようになっているか見たくなり、土手を上がって行くと
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で、パイプの元は
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湧き出してきている水を、トユで引いてパイプに導いてきている様子でした。

私は、てっきり轟水満宮から湧き水を汲み易いようにパイプで道端まで引いて来ているものだと思っていましたが、どうも急傾斜の工事で湧水が出て来たのか、もともと湧水が湧いていたのか、とりあえず写真で分かるように神社からの水ではない事が分かった。
水汲み場の道を隔てたところで建築工事をされていた大工さんにそのことを尋ねてみると、本当の「轟の水」は深山林道を登って行くと左手にパイプから水が出てきているので、それが本当の「轟の水」だよ。と教えてくれました。
まだ、コンテナボックス一つ水を入れる事が出来たので、その深山林道へ行く事に
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で、写真では車は下りて来た状態ですが、この道を登って行きました。
途中、堰堤とその近くにパイプから水が出てきて汲めれるようにして在りましたが、ここは右手になりますのでパスすることに
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さらに左を注視しながら奥に登って行ったのですが、林道終点には熊野神社という祠が鎮座しているだけでした。
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その左横にはこのようなものがもありました。
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石碑には、   遷宮の磐
神気漂う鹿倉の深山に万古より鎮座する熊野神社再建の偉業を称? 御神体仮遷座の岩を「御遷宮の磐」と名づけ玆に記念碑を建立する   平成十二年十月吉日   喜寿 藤田隼甫

HPには鹿倉山の頂上近くと書いて有ったが、これ以上車では行けなく、周りを見渡しても水が出てきているような雰囲気もなく、一人という事もアリ、気味が悪くなって退散することに、帰りにパイプから水が出ていた処で「この水の事」だろうと汲んで帰る事にしました。
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麓に降りてきて、先ほどの大工さんにそのことを話たら「おかしいな~、そんなことないのだが」そして、
その堰堤のところで、以前自殺した人がおり、気持ち悪がって人が行かないのだ。オレも最近登ってないのでハッキリしたことが分からないと、はぐらかされ・・・・その日は薄暗くなってきたのでとりあえず帰る事とにした。

二回目挑戦
帰って、デジカメの写真を整理しながらゆっくり見てみると、熊野神社に参拝する石段の横に鹿倉山の全体図を書いた看板が有り、その中に轟水満宮の場所もバッチリ書いて有りました。
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この図で見ると、熊野神社より大分下に在る様で、この案内板には
         鹿倉山について
鹿倉山は、海抜548米で三和町最高峰の山、歴史と観光の山として町民に愛されている。
標高548米  釣鐘地蔵  熊野神社(熊野三権現の一つ)  轟水満宮  
中腹にある熊野神社の近くには、「とどろきの泉」湧く水源もアリ、約350年前(西暦1634年)に発見されたいう、近郷稀なる清水として有名である。
伝説によれば、その昔末期の水として遠くからこの水を求めて来た者もあったと云う。
今は水道組合の管理下にあり、菟原下住民の貴重な飲料水となっている。

といった内容で、この鹿倉山のどこかに「轟水満宮」は有るはずであり、その入り口(進入路)もどこかに在るはずである。  と確信を持てた。

本来なら、「轟の水」と言われていた湧水も、湧水か沢水か判らないが山水も汲んで帰ってきてるので、記事を書こうと思えば書けるのだが、自称『湧水評論家?』としては心に引っ掛かるものが有り、再度「轟水満宮」を探しに行く事にした。
イロイロとサイトを物色して、「轟水満宮」に行くには、参道が有るが廃道になっていて判り辛いとの事、とりあえず今回も深山林道をゆっくり走り探してみる事に、
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林道を登って行くと見晴らしの良い場所も
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 地元の人の憩いの山か?登山コースの標識が・・ きれいに植林された間を林道が走る森林浴に気持ち良さげ
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林道行き止まり  帰りに脇道へ・・江戸時代に開かれたという上井根(うわいね)水路コースの標識が有りこの水源が「轟水満宮」か?
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ともかく深山林道を往復したが参道は判らず・・・で、林道入り口右に作業小屋があり、ちょうど家主が居られたので尋ねてみると「オレも地元の人間でないのでよく判らない。いちど探しに行ったが判らず山水を利用しておる」との事、参道入り口もそこより少し上の左の草むらから行くらしいと教えてくれたが、そこに行ってみてもそのような雰囲気もナイ。
思い余って、一回目に水を汲んだ府道沿いに入口が有るか確かめる事に。
しかし、雑木が生えているだけで山に入って行くような道もない。マタマタ近くに居られた方に尋ねる事に、
すると、南丹市八木町から来ているが生まれはここの山奥だとの事、子供の頃に遊びに行ったで、今から家に帰るついでに教えてやるから待ってろとの有り難いご返事!シメタこれで行けると待つ事に!(^^)!
で、待つ事30分(多い目に書いているかも)親父さんの軽トラの後について再度深山林道に、親父さん曰く、林道から少し下りたとこに在る!車から二度ほど見渡すも無い、終点の熊野神社へ到着(?_?)
おかしいな、入口が判らない!「以前、湧き水に悪さをしたものが居り、地元の人間もハッキリ教えてくれないところがある」とボソッと・・・
しかし、親父さん集落で友達に聞いてやると心強いお言葉、引き続き軽トラの後ろから付いていく事に・・・
集落に入るや否や、田んぼの草刈りをしておられた40代の兄ちゃんに聞いてくれたが「知らない」の一言
再度車に乗ろうとしていた所に、例の友達らしきオヤジさんが通りかかり、呼び止めて「このひとが轟の水を探しているのだが、林道に登って行ったが判らずで、どう行くのだったか教えてくれないか」と尋ねてくださいました。
そのオヤジさん「行っても水を汲む事が出来んで行ってもアカン!やめときなはれ」と話もうやむやにされ、案内してくれた親父さんも・・・という事なのであきらめナ ちゅうことで今回も「轟水満宮」には行けずバツ、夕方になったので帰宅する事に^_^;

三回目挑戦
このまま終わる事は気持ちの上で納得できず、必ずや探してみると決意!
前回の「保寿泉」で書いた、最後の保津川下りの計画もこの時点で入っていた(7/7)ので、一週間遅らしての日曜日(7/14)の行動となってしまった。
前回案内してくれた親父さんが、林道から少し下りて行った所に在ると言っておられたので、確かサイトの中に登山用の山道を記載した図面があったはずと確認してみると、轟水満宮の印と点線の山道が載っている図面が有りましたので、三回目の鹿倉山へ行く事にした。

図面から察すると、どうも林道から徒歩で行く事になる。そうなると、ヘビと幽霊が苦手な吾輩にとぅて心細い行動となる。その上熊も出没するかもしれない。そう思うと、益々不安が増幅して行く事に躊躇するようになった。
・・・で、親戚の義兄にお願いして水汲みに行ってもらう事に、実は、義兄も吾輩の影響で最近湧水にはまっているのである。そういう事もあり二つ返事でOKしてくれました。

林道に着き、図面からここであろう所に車を止め、その下の方を覗いてみる・・・
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下の方へ山道が延びている。シメタこの道だ!と確信、しかし、どのくらい歩いて行かなければよいのか分からない。
義兄が持ってきたペットボトルは置いて、吾輩のコンテナだけを持って行く事に、近ければ再度水を汲みに行くといことで出発した。

こんな山道を下って行くと・・・
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かすかに
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鳥居が見えた。

その鳥居が目の前に
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その奥には
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そう「轟水満宮」とモミの木
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そして、鉄柵には看板が
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三和町指定有形文化財 天然記念物第一号
轟水満宮のモミ 一点
指定年月日 平成15年2月10日 
管理者 轟水道組合
幹回り 483,5cm
府内のモミでは最大の幹周りを持つ
京都自然200選に選ばれている。また、民話「轟水」の舞台にもなっている。
              三和町教育委員会
轟簡易水道水源地
●許可無く立ち入りを禁止します
●この水は、未処理のため飲めません
●ゴミは持ち帰りましょう。タバコの吸い殻も、持ち帰りましょう
               福知山市ガス水道部
と書いて有ります。

湧き水の取出し口
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バルブのレバーを捻れば活きよい良く出てきます。 その横には
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轟水の云われを彫った石碑が・・・書いてみると

記念碑
昔此処にモミの木が二本あり、その一本の根元から湧き出る水の音が地鳴りのように響き遠くまで聞こえたことから誰云うとなく轟水と呼ぶうようになったと云う。また、このきれいな水の話を聞いて時には末期の水として病人に与えたとも伝えられる。今より350年前この村に住む水口次郎左衛門翁が中心となり水不足に悩む村人と共に苦心の末鹿倉山中腹にこの水源を発見二キロメートルに及ぶ用水路を引いたという記録も残されている。
第二次世界大戦後昭和三十七年永年に亘って〇〇〇戸水に依存してきた兎原下区民の願望を実現するため〇水道組合を結成此の霊地に水満宮を祀り現在百五拾戸がこの水の恩恵に浴している。
この神水の由来と自然の恵みの歴史をいつまでも後世に語り伝えるため轟水道組合結成二十周年の年にこの地にこの碑を建立 先人の労苦を偲び
  昭和五十七年八月    轟水道組合

以上、字がかすれ読みにくく、吾輩の『創造』の部分が有ります。水道組合に失礼な事が有れば、この場を借れて「お許し下さいますよう」申し上げます。
轟の水・民話
以上で、ミステリアスな「轟の水」の水汲みは無事終了しました。
尚、鳥の手前参道の様子は
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荒れて歩けたものではない様子です。


義兄の水は、再度取りに帰るのは大変でしたので、北近畿で一番美味しいと思っている、福井の「瓜破の水」を頂きに行く事にした。少し遠いいがお礼方々・・・

独断と偏見の、「轟の水」の水評価は、三つ平均して
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした

詳しい場所は、地元の意向を尊重して府道沿いの取水地を入れておきます。


    
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NO70:保津峡の名水「保寿泉」

野間地区水源水「ガラシャの清水」(仮)第一部を終えて第二部「上山の飲料水」に続くところ、先日保津川をカヌーで下った際、教えてもらった保津峡の名水「保寿泉」を急遽書いていきます。注(写真は先日写したものと、以前写したものを使用していきます)
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昨年の春組み立て式のカヌー「ファルトボート」という舟で保津川を下りましたが、リバーカヤックいわゆる通常カヌーと言われている船で下ったのは二年ぶりの保津川ダウンリバーでした。
リバーカヤックで下るには少々の不安がありましたが、カヌー仲間の神戸のKさんが最後の思い出に保津川を一緒に下ろうと打診され、ついつい下る事に・・・と言うのも、このKサンにカヌーを譲ってハードなカヌー遊びから引退しようと考えていました。
と言っても、Kサンの方が2年年上なのですが元気な人なのです。という訳でカヌーの引き渡し式と最後のダウンリバーの記念すべき日と相成ったのです。

おそらく、私の保津川ダウンリバーも今回で最後になると思いますので、保津川のイロイロな雰囲気を案内しながら進めて行こうと思っております。

まず出発地です。
保津川と言えば遊船やトロッコ列車が有名ですが、最近ではラフティングも活発に営業されています。そのラフティングの出発地、トロッコ馬堀駅から保津川へ出たところの広場からカヌー仲間達も下って行きます。
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下りかけているカヌーが三艇見えるかな~

カヌーの話になると本題を忘れてしまうところでしたが、今回保津峡の名水「保寿泉」を教えてくれたのは、K氏でした。
私は二年ぶりの保津川ダウンリバーとなる事から、早めに漕いで練習をしていたので後から下って来られたK氏が、下る前に下ろうとしていたカヌー仲間から、左岸に有名な湧水が出ていて、なんでも御所へ献上されていた美味しい水が有るとの情報を聞いて来てくれたことがきっかけでした。
場所が何処だか分からず、今まで何回も下っていて湧水が出ているような場所が思い当らなかったので、とりあず探しながら下って行こうという事になりました。

広場を出艇してすぐ、「宮ノ下の瀬」が有ります。
上の写真で、ちょうどカヌーが下って行こうとしているところで、瀬の名前がついている中でも一番小さな瀬です。
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瀬の下流からの写真で、荒々しさが有りません。
「宮ノ下の瀬」とは、保津川の氏神さまをお祀りしている「請田神社」(うけた)というお宮さんの下に在るところから付いた名前です。請田神社のお話
宮ノ下の瀬を過ぎると少しトロ場(波のない流れの場所)が続きます。
私は誰もいないここで体を慣らしてから下ります。なんせロールの練習で沈脱(ロールを失敗してカヌーから脱出する事)するので人様がいれば恥ずかしいのである。
これから迫りくる金岐の瀬(かなぎ)に突入する心の準備も兼ねて^_^;
金岐の瀬の入口
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波が高くなりだす中間部
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ラフティングの人たちも楽しそうです。
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落ち込みで最大の波をかぶる瀬の出口
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これが金岐の瀬の風景です。
保津川でこの瀬が一番遊べるところです。ここだけ遊びに来て左岸に並行している道を担いで元の出艇場所へ帰る人もいます。
瀬の出口に入ったラフティングの様子
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次に来るのは、遊船です
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そして出口では・・・船がジャンボなため波を潰して行きよる
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通るものが通った後で、裏に下る船がいないことを確認してから私のダウンリバーです
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出口の落ち込みに入る手前の姿で、残念な事に波にもまれたところが写っていませんでした。
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そして、連れのK氏がサーフィンしているトコロ、私がバッチリ写しました。
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そして余分にもう一枚・・・この後二人がボートから投げ出されていましたyo^_^;
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どうです!雰囲気が伝わりましたか(^_^)/
今回は水量が多く、この瀬では遊びにくいこともあってカヌー連中は下って行きましたが、多いい時はこのような人だかり、もといカヌーだかりで遊んでいます。
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「金岐の瀬」で沈脱すれば、ここで切り上げて帰る事が一番、そうしなければ以後、瀬をポテージ(瀬を下らず岸を担いで下る)か、カヤッカーが一番恐れている丸太(胴木)に捕まる恐れアリ。つまり、保津峡を下る試金石の場でもあると認識しています。
(丸太は、減水の時遊船の底を岩から守るために、瀬の水底に丸太の両サイドをワイヤーでつないで入れてあるもの)
金岐の瀬のおもろい話

「金岐の瀬」を後にし、ここからK氏と一緒に保津峡新駅へ向けて下り始めました。
次に来る大きな瀬は「小鮎の滝」と言う名前がついた約2mの高さが有る落ち込みです。この「小鮎の滝」の名は、小鮎ではこの落ち込みを遡上できないことからついたと言われています。
近づいてくると、先ほどの「胴木」注意の標識が立ててあります。
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写真の写りが悪く読めませんが、そのように理解お願いしま~す(^_^)/

ココを回り込むと小鮎の滝の水路が見えてきます。
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この瀬の特徴は、上流部が波の低い瀬 中流部がなだらかな流れ 下流部が約2mの落ち込みと続きます。
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で、中流部の穏やかな流れの中で、次に来る激流と対峙する心構えを付けていく区間
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そして、保津峡最大の落込み「小鮎の滝」です
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「小鮎の滝」を下から見た様子
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写真ではあまり迫力が伝わってきませんが、無事下れたら爽快そのもの!ところが、落ち込みに入る手前に丸太が見えると、そのまま下るか、あきらめてポテージ(降りて歩いて下る)するかの思案どころ  (?_?)・・・というのも、本来の丸太は水中に設置してあるのだが、たまに、丸太が水面に浮いている事が有るのです。
そうすると、チョットした拍子にカヌーが丸太の下にもぐり込み、人間の胴体が引っ掛かり抜けきれなくなり、悪くいくと天国に召される事になるのです。
保津峡の川遊びではイロイロな形での水難事故が毎年起こっています。遊びに来られるときは、くれぐれも安全第一に御遊び下さい。
  「小鮎の滝」おもしろ話
今回水量が適度に有り丸太は入っていませんでした。
二人とも無事通過して、次なる瀬が「大高瀬」、数ある瀬の中で一番の急流で最後まで気が抜けない瀬です。
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瀬に入りすぐに出てくる大波
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出口の大波
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「大高瀬」とは波が高いことからついた名前かどうかは知らねど、保津峡で遊船に乗りスリルを感じれる瀬はこの三つぐらいだと思います。
「大高瀬」関連話
まぁこちらも緊張する瀬を無事通過でき、湧き水探しの件をK氏が思い出したように言ってくれたので、ダウンリバーの緊張で全く忘れていましたが左岸を注意しながら下って行きました。
のんびりと下って行くと、亀岡の殿様が魚釣りをして遊んだ所にやって来ました。
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写真左には「殿の釣場」と遊船用に書いてあるのですが見えにくいデス。湧水のそれらしきものも見当たらず。
右の写真のトロ場を回り込めば四つ目の大きな瀬「獅子ヶ口の瀬」が待っています。
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獅子ヶ口の瀬は水路が前・後に分かれていて、前半は難なくクリアーしても、束の間後半が現れチョイト高い波に目が覚める場所です、
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瀬が終わった所にウェーブが出来て少々遊んで行けるとこです。
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こんなブログを見つけました    
60年ぶり曳船再現
獅子ヶ口の瀬の名前は、獅子が牙をむいて待ち構えている様に見える事からきたらしい(?_?)

我々はここに上陸して昼飯を、その間遊船やらラフティングが通り過ぎて行きますが、そのお客さんには手を振って愛想をするのです。これによって持ちつ持たれつで遊船・ラフティング・カヤッカーのイイ関係が築けるのです。
もう一つ言うと、トロッコ列車のお客サンにも手を振ったりしているのです。これにより保津川観光が良くなって行ければ万々歳です。
で、昼飯も終わり出発。しばらくすると二股の瀬が来ます。ココは広い瀬が中州に溜まった石ころで二つに分けられた瀬で、いわゆるザラ瀬と言うたぐいの流れです。
  左側の瀬                右側の瀬
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通常右側の瀬を通りますが、増水すれば左もOKです。
しかい、湧水のそれらしき物がないな~と言いながら「曲がり淵」のトロ場に入ってきました。ここでは、ラフティングツアー御一行の方々が4~5mの高さの岩から飛び込んで、ひと時をエンジョイする処でもあります。今日も遊んでいました。
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中には保育所ぐらいの子も
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飛び込みを見取れていると、K氏がアレではないか!と指を指した先には・・・
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まわりに同化して余り目立った石碑ではなく、何回も通っている場所なのだが、今日の今日までこんな物があったなんて・・・、近くに寄らなくては石に字が彫ってある事も分からない様な自然の中の川の土手である。
しかし、反面指を指されたところに字の書いた石が設置されている事は場所からして不自然で誰でもピィ~ンと来るものである。
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近寄って、カヌーから降りて水に浸りながら石碑に近づいてみると
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幾筋もの水の流れている溝が、長い年月で彫られ歴史を感じるたたずまいである。
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早速スポーツドリンクの中味を捨てて、ありがたい御水を頂く事にした。
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しかし、たかが湧水の為にこのような大工事をするとは・・・「保寿泉」の云われ
ココを過ぎると大きな瀬は「朝日の瀬」で終わりになります。
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この瀬は、獅子ヶ口の瀬に良く似たコースですが、さいごの大波が待ち受けている手前に丸太が常に入っており、結構ヤバイ瀬だと言われていますが、私は危険を感じた事はなかったデス。
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この大岩前後の流れが、波有り複雑な流れ有で気の抜けない場所です。ここまでが「朝日の瀬」です。
「朝日の瀬」の云われは、保津峡で朝日が一番早く当たるところから名づけられたとか・・・
亀岡のカヌーショップのオナー 友人でもありカヌーの師匠でもあるオヤジさんのブログです。熱血オヤジのブログ

のんびり下って行くと、新保津峡駅のプラットホームが見えてきます。
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その鉄橋の下にチョットした瀬が有りますが、この瀬の名前が、なんと「ビキニの瀬」と名がついています。
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ペットボトルの奥の白い波が「ビキニの瀬」で今でこそ、死亡事故が多発したため遊泳禁止になっていますが、以前は、市内から交通の便が良かったことから、多くの人が泳ぎに来ていたのです。その時岩に「ビキニのお姉さまが登って見ていた」とかで付いた瀬の名前らしい(真偽のほどは定かでナイ)
我々の保津川下りはここが終着地になります。保津川遊船は、さらに嵐山まで下りますが、もうスリルな流れは有りません。でも、風光明媚な景色はここからが最高ですよ(^.^)/~~~
我々は、この鉄橋の新保津川駅までカヌーを担いで登って行きます。これがまた大変!下ってきて疲れている体に鞭打って登らなければならないのです。そこで、川べりで十分休憩をして登ります。
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今回でもってK氏に譲る私のカヌーでロールの練習風景、上手いものです(^_^)v
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この後、新保津駅まで登り
プラットホームで待つ様子
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下には、ラフティングが次から次へ到着してきます
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最後に電車に乗って馬堀駅まで帰る様子です。
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なが~い記事になりましたが、今回で保津川下りも最後になりました。
保津川下りで「五つの大きな瀬」の写真を載せたい思いが以前からありました。今回偶然に「保寿泉」の記事を書く機会が与えられ、この機会に保津川の瀬の様子も書かせて頂きました。初めて保津川を下られる方に参考になれば幸いと思っています。

最後に、初めて下る方へ
各瀬のコース取りも書いておきます。尚、瀬は水量によってその姿は激変いたします。また記事の中にも何回も書いています胴木(丸太)が入っています。各瀬を下見(スカウティング)をする、リーダーの指示には従う、自分が下るのはヤバイと思ったら誰が何と言ってもポーテージ(瀬をキャンセルして歩いて下る)をする事を守ってください。参考程度に読んでください。

金岐の瀬(水路の中心を下ります)
水路の中心を下ります。中ほどに右岸から入ってくる水量にもよりますが、右から左から波が襲ってきます。右からくると左のパドルで、左からくると右のパドルで負けないように漕いでくださ。最後の落込みの手前で正面から大波が襲ってきますが前傾で漕いで突破、そして最後の大波も前傾で波が終わるまでしっかり漕いで行きます。

小鮎の瀬(丸太が入っているかどうか下見をする事、特に入っている丸太が水面を浮いていたらポーテージをしてください)
水路に入ってすぐ瀬が出てきます。時に丸太が入っていますが沈んでおれば心配する事はありません。中間は静かな流れですが、できたら小鮎の滝の手前でエディーに入ってから小鮎の滝の真ん中目指して下って行きましょう。
特に前傾姿勢で最後までしっかり漕いでください。

大高瀬
水路の入ったすぐと、終わりの大岩の手前に右側に落ち込みが有りますので、水路に入る時は真ん中より少し左寄りに岸壁に当らない程度のコースを取り最後の大岩も冷静に右側に行かないように流れに沿ってしっかり漕いで行く。水路が終わってもチョイトした瀬が続くので波が立っていないところを探しながら落ち着くまで下っていきます。

獅子ヶ口の瀬
二つの水路が続いています。初めの水路は左に曲がり前方が見えませんが、あまり心配することは有りません。一つ目の水路の出口から二つ目の水路の中の瀬の方が高い波が出ていますが、しっかり漕いで行けば無事抜けれます。

二股の瀬
のんびり下ってください

朝日の瀬
獅子ヶ口の瀬に似ていますが、水路が終わった辺りに丸太が入っています。注意を要する所
水路を出てから大きな波が襲ってきます。流れも複雑な動きをしていますので気を緩めず最後まで漕いでください。

ビキニの瀬
瀬の手前に来ると、大きな岩が前方をふさぎ水路が見えにくいですが、遊船でも岩の間をすり抜けて行きますので、カヌーも流れに乗って波に負けないよう漕いで突破してください。(ちなみに私は右岸側から入ってきます)

全ての瀬の終わりはトロ場(穏やかな流れ)が有りますので、沈脱しても焦らず対処してください。水路に入る前には必ず後ろから遊船・ラフトが来ていないか確認してから下ってください。(万が一丸太に捕まれば、オモイッキリ丸太を持ち上げて下をすり抜けると良いらしいデス。なった事がないので聞いた話です)

ところで、「保寿泉」の水評価はペットボトル一本(マグカップ二杯分)ですので自信持ってと言う訳にはまいりませんが、独断と偏見で「洞川のごろごろ水」に近いように思ったので

(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした。

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