NO65:洞川湧水群の「ごろごろ水」

五月の連休のひと時、ハイキングとお水をもらいに行ってきました。
今回は奈良県の大峯山の麓、天川村洞川に在る昭和の名水百選にも選ばれた洞川湧水群の一つ「ごろごろ水」です。
洞川湧水群とは、天川村洞川地区に在る三つの湧水(神泉洞・ごろごろ水・泉の森)の総称で、神泉洞の鍾乳洞は湧水を採取している会社が管理をしており立ち入り禁止となっており、水を汲めるのは「ごろごろ水」と「泉の森」の二か所のようです。其の二か所のうちの「ごろごろ水」からご案内して行きたいと思います。
今回の目的は、第一にみたらい渓谷のハイキング、ついでに名水百選の湧水を汲んでくるというものでした。
みたらい渓谷のハイキングは出発地とゴールが離れており、その区間を移動するにはバスかタクシーを利用するしかありません、バスの場合ハイキング出発地まで余分に1,2k 時間にして20分ほど歩かなければなりません、それよりバスの時刻が思うようになく×、タクシーを利用することにしました。しかし、タクシーは天川村では一台しか運航しておらず、それも大峰山系の登山客を乗せて出るといつ帰って来るかわからないとの事、予約も聞かないとの事なので、早く行ってタクシーを確保するという作戦にしました。
その為、我が家を夜中の3時に出発、高速で奈良県橿原市まで行き下市口から天川村に入って行きました。予定ではタクシーも8時なら動いてくれるであろうという事から8時着にしました。
話はそれますが、私は目的地までの所要時間を調べるのに、MapFan'Webの検索ルートを使わしてもらっています。これが結構時間が合うのである。先日も東京に行く用事が有り、このルート検索で調べて行った時間がマアマアあっているのである。今回もこの検索で調べました。
8時予定が、7時半に観音峰登山口駐車場に着いてしまいました。途中休憩も道に迷う事もなくきた結果カモ


とりあえず、タクシー会社に電話を入れて確保しておこうとちょいと早いが7時半過ぎに電話を入れたら「今からでも行きますよ」との返事、それならハイキングの到着地になっている洞川温泉センターへ行ってもらう事に、我らもそちらに車で移動する事にしました。

この写真は、洞川温泉センター駐車場です。ハイキングでゴールした時の写真で車も多いいです。
洞川地区最大の駐車場です(^.^)/~~~
このタクシーと運転手様です。快く撮影に協力してくださいました。合掌m(__)m

ハイキングコースの終点がこの洞川温泉になっており、我々もゴールしたら温泉に入って汗を流したいと思っていたので、車はこの駐車場に止めてタクシーでみたらい渓谷ハイキングコースの出発地まで乗せて行ってもらいました。

ここがハイキングコースの始まりゲートです。
この赤い橋が架かっている川は弥山川と言う川で、洞川地区から山上川という川がみたらい渓谷を経てこの上流で合流します。この弥山川が天の川に合流し十津川へそして吉野川から太平洋へと流れて行きます。

もう渓谷の様相を見せてくれます。
ハイキングコースは、弥山川の左岸を歩いて弥山川と山上川の合流地点まで行き、そこからみたらい渓谷に入り山上川の左岸を登って行き、写真に写っている観音峰登山口に着きます。
弥山川の水の美しさを堪能してきました。

このような水の美しい川は、カヌーでいろいろな川に漕ぎに行ったがめったに出会えません!
遊歩道を歩いていくとカツラの大木が道を遮っていました。


入口の様子 出たあとの様子
さらに進んで行くと天保橋と言う吊り橋が現れます。見えにくいですが、昨年の紀伊半島を襲った大洪水の跡らしきゴミが未だに引っ掛かった状態で進入禁止に!

こんな所もありました

そして、ココがみたらい渓谷入口付近です。弥山川(川迫川)上流

みたらい休憩所全景で、ここから「みたらい渓谷」へ入って行きます。

ここまでのハイキングコース 1,6kで約30分でした。

例によって写真では読みにくいので書きだします。
ようこそ天上の国天川村「みたらい渓谷」へ
MITARAIcanyon
みたらい渓谷とは、近畿の屋根霊峰大峯山山上ヶ岳を源とする山上川と、近畿最高峰弥山・八経ヶ岳を源とする川迫川(こうせがわ)の合流地点をさし、エメラルドグリーンに輝く神秘的な淵や大小様々な滝と巨岩を縫い底まで透けて見える清流が流れ、まさに絶景!
川沿いに遊歩道が整備され、天川川合バス停から洞川温泉までの全長7,4キロの遊歩道を歩けば、「大きな岩と清流に滝満喫。」関西屈指の名ハイキングコースとして有名です。
新緑がきらきら輝く春(5月中下旬頃)、水しぶきに川サツキが美しい夏(7月初旬頃)、木々が色とりどりに冴える錦秋(11月上中旬頃)、山水画の冬と四季折々の景観は見事です。
「もみじっていろいろあるんですわ!」
寺社仏閣などの紅葉は一般に「いろはもみじ」という種類のものが多いいのですが、ここ天川村では、標高が高くまた自然に恵まれた土地であることから木々の種類が多く、葉の形や大きさの違うたくさんの紅葉を見る事が出来ます。
この木々種類の豊富な大自然の景観が、みごとな赤や黄色の「錦秋」を生み出すのです。天から降り下りてくるような視界いっぱいの全山紅葉は必見です。
また、毎年11月上旬には、「天の川もみじまつり」が開催されます。
「なぜ天川村の紅葉はきれいなの」
天川村は紀伊半島中央部にあり、標高が高く内陸型気候であるため、寒暖の差が激しく、鮮やかな赤色やまばゆい黄色などきれいな色が出ると有名です。
また、木々のきれいな紅葉だけでなく、なかなか見る事の出来ない大きな岩や絶壁、川底まで澄んだ清流も一緒に楽しめる場所はそうありません。
もちろん、空気は澄み、おいしく感じますし、森のフイトンチッドに滝のマイナスイオンと相まって、せせらぎの音が、都会の喧騒を離れ心身ともにリフレッシュ!どうぞ、大自然をご満喫下さい。
あなたも守って下さいますね
天川村の山河を・・・
あなたのゴミは
あなたがお持ち帰りください。
この橋を渡って

我々は、写真に写っている左の「みたらい食堂」に寄り、湧水で沸かしたコーヒーを頂いてしばし休憩を楽しみました。その入り口にはこんな水槽が置いてありました。

コーヒー代千円にもならない金額ですが、田舎で暮らす人々が少しでも元気になり守り育ててくれる手助けとして、なるべく行った先でお金を使うようにしています。湧水を頂きに行った時も、志の箱が置いてある時はナニガシカノお金を入れるようにしています。
という事で、今日のメインコース「みたらい渓谷」にここから入って行きました。

「みたらい渓谷」の云われの説明版が

でここの説明も書きだしておきます・・・と言うのは体裁が良いのですが、実は次の湧水がまだ汲みに行けてないので、時間稼ぎが本音ですねん^_^;
天川村南朝物語
天川村には、仮の御所が置かれるなど、数々の南朝の歴史や伝説が残っております。
ここ「みたらい」は、感じでは「御手洗」と書き、今から約600年あまり前の南北朝時代に南朝帝が勝利祈願のためにお手を清められた場所ということから、この一帯をこう呼ぶようになりました。
全国には同じような意味でみたらい」や「みたらし」という地名がたくさんあります。
京都の下鴨神社も同様で、「みたらしだんご」の由来もここからきているようです。
また、この渓谷の尾根伝いにある「観音峯」には、数々の南朝のいわれが残っており、観音峯登山口休憩所には、これらの展示解説板があります。
このように、人里から少し離れ静かな「みたらい渓谷・天川村」ですが、今なお数々の伝承や史跡が残り、この変わらぬ景色には深い歴史が隠されているのです。
*地名には「三つのたらい」といういわれや、昔話も残っています。
みたらい渓谷に入って行くには、階段を上り左岸に渡る吊り橋を通ります。ちょうど滝の上にかけて在ります。


左の写真は吊り橋から写したものです。
さらに登って行くと、次なる大滝が待ち構えています。

遠くにベッピンに写してくれとポーズをとっている人がいます。
ハイキングコースは、全体的によく整備されていて、森林浴や滝のマイナスイオンで気分爽快になるとこですが、私は、足の速い方についていくのにヒィコラと大変でした。


大小さまざまな滝がコースの三分の一ぐらいに集中しており、中でも大きいと思われる滝は三つほどでした。
みたらい休憩所~観音峯登山口までが1,5kmで40分ぐらい掛かりました。
観音峯登山口の河原です

少し早かったですが、この河原で昼飯にしました。水も空気もキ レ イ (^_^)v
残りの約3kmを大トチの木がある代聖大権現社に立ち寄り、思っていたより小さな木でしたので写真は撮らず

代わりに社のいわれを写してきました。

「洞川の伝承 ダイジョウゴンゲンサン 江戸時代よりある大きなトチノキの下に赤い祠がある。地元ではダイジョウゴンゲンサンと呼ばれ、大聖大権現をお祀りしている。そこがちょうど洞川の鬼門に当たり、この祠を祀ることで、災を集落に入れないと言う先人の願いが伺える。」
普通の林の中を森林浴しながら、約1時間ぐらいで洞川温泉センターに到着。早速温泉に直行、大人600円 子供200円 村民割安値段忘れた。
泉質は、無色透明で嫁さん曰く「普通の風呂に入っているのと同じ感じだった」との事、でも露天風呂も有りました。景色何も見えず
温泉前の村営駐車場は入浴すれば一時間分無料、誰も30分までは無料、1時間ごとに100円の駐車料金でした。
疲れも癒し、次に向かったのは「ごろごろ水」を汲みに。
大峯山信仰で栄えた洞川温泉街を通り過ぎ


昔の面影の残る旅館 洞川発祥の地と言われる胃腸薬「陀羅尼助」のお店も
集落のはずれに「ごろごろ水」取水場が有りました。

この写真はモニュメントで、お水を汲んではあきませんと書いてありました。
実際に水を汲むのはこちらの駐車場内で汲みます。

30台ぐらい止めれる駐車場が大方満車になるぐらい大入りで盛況のようでした。写真に撮るのを忘れたのですが、水を汲む処は、駐車枠毎に一個蛇口が付けて在り便利にしてありました。面白いことに、水汲み代とちがい、駐車料金一台300円を払います。駐車料金なので、車を置いて近くを散策しようと料金所の係りの方に尋ねると、今日は次から次に車が入って来るので「水が汲めたら出してほしい」との事、一言言いたい気持ちを押さえて素直に車を出すことに、(生水にお金を取るの事に保健所がうるさいのか、はたまた万が一腹痛でも起こしたら厄介になるのか・・・でもうまく考えた料金システムだと感心しています)
で、「ごろごろ水」の云われは下の写真です

名水ごろごろ水
古くは「仏水秘水」と呼ばれ、大峯参りの行者たちが、この水でのどを潤したと言う。
この道を通ると、一瞬の涼しさを感じるとともに、岩の間より「ごろごろ」という音が聞こえた。いつしか地元の人々は、この水の事を「ごろごろ水」と呼ぶようになり、今日まで大切に守ってきた。
今では、すばらしい名水として、多くの人たちに利用されている。
これが源流ではないか

近くには、五大松鍾乳洞が有りますが、時間の都合上キャンセル さらに奥に在る「女人禁制」の母公堂まで行く事に



母公堂
役の行者神変大菩薩の母公をお祀りしています。
この地は、今から千三百年余年の昔 大峯山で修業中の役の行者(小角)を尋ねて来られた母公(白專女)と面会なされた場所で、最近までここからは女人禁制で女性の入山を禁止していました。
大峯山中の重要な霊跡です

母公堂は大峯山の歴史以来の入口でした。修験道の始祖である役小角(エンノオズヌ)の母親である白專女(シラトウメ)を祀っています。
大峰山寺のある山上ヶ岳(1719m)まで3~4時間。
近畿の屋根と言われる雄大な大峯山系がここから始まるのです。
英文略
(注)今では、母公堂の前の道が、この奥五番関トンネルを経て川上村の道の駅まで車で行けるようになり、女人結界も大峯大橋(清浄大橋)約1,5k奥からにされているようです。

チョイト長くなりますがー ^_^;
登山者へお願い
山上ヶ岳(大峯山)は一千参百年の昔、開祖役行者神変大菩薩が開山された霊山で、修験道の根本道場として、日本国民に尊崇され今日もなお多くの方々の崇敬を集めつづけています。
山上ヶ岳では、往古より仏教各宗の開祖や高僧をを始め、多くの先徳や在家の先達衆が命を賭して修業され、自利利他円満の菩薩行を心とされて、天下泰平、万民安楽、五穀豊穣を祈願されてきました。今日もその心と修業の法は脈々と伝えられ、厳格な修行が行われております。
また、当山は永い歴史の中で幾多の流転を重ね、明治初期には国家権力による修験道廃止という法難にもみまわれましたが、ご本尊の思し召しと信徒の皆様の熱烈な信仰心や修験道を心の支えとされた方々のお力により、その法灯は守られ修験道の仏寺として今日に至っております。
そして、その歴史の中で、当山は女人結界を持つ聖地としての姿を守り伝えております。この女人結界は決して、わたくし達修行者のみによって形作られたものではありません。この霊山を仰ぎ見ながら、ここに心のよりどころを見出した無数の先人達が、壱千年余りの時をかけて、宗教的伝統として作り上げてきたものであります。また、結界維持については、信徒や地元の人々と共に信仰を守り伝えてきた女性達によっても伝承されてきました。
私どもは、今日においても、山上ヶ岳の女人結界を男女を問わず修験道で修業し、信仰する者の信仰心としての戒律上の結界としてとらえ、あくまでも信仰者の立場をもって議論を加えつつ、且つ結界を護持いたしております。
登山者の皆様には、この一千参百年の歴史を持つ当山の信仰に深いご理解をいただき、信仰者の声を尊重いただいて、女人結界の維持にご協力を賜りますようお願いいたします。
当山は、今なお信仰が息ずいている聖地山上ヶ岳(大峯山)が日本固有の宗教文化を伝承する地として、ユネスコの世界遺産に登録されたことを誇りに思うと共に、開祖神変大菩薩やこれまで修業を積まれた千徳に対し感謝の赤誠を捧げるものであります。
南無山上大権現
南無神変大権現
平成一六年五月吉祥日
大峯山寺 敬白
私たちは、母公堂から次なる水汲み場「泉の森」を目指して引き返しました。
「ごろごろ水」の水評価は、うまい!の一言
独断と偏見の味指数は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v ☆星ひとつおまけ
詳しい場所は
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