NO51:夏谷の名水
平成 天空のお城:日本のマチュ・ピチュ竹田城跡の近くに在る湧水デス

まさに雲に乗った感覚が味わえる場所です。必ず、雲海が城郭近くまで上がっている時に行ってください。日本一の雲海です
昨年の11月に大江山の鬼嶽稲荷神社の御神水を汲みに行ったとき見た雲海が忘れられず、今年はもっと良い所の雲海が見たいと思っていたところ、映画「あなたに」の中に出てきた竹田城跡の雲海を見て、これだ!と、雲海の出る時期を待っての水汲みでした。
仕事の関係もあり、日曜日しか行く事が出来ず「その日」を待っていたのであります。とりあえず、「その日」が前日から晴天で、夜雲のない放射冷却現象が起こる日が一番良いのですが、噂によると、日本海に高気圧が張り出している時が一番良いらしいという事です。今回は西日本をすっぽり高気圧が覆っており少し噂とはずれるので心配でしたが行く事に決定しました。行くのなら、近所に湧水が出てないか探してみると、有りました!後ろの竹田城跡が見える峠「藤和峠」付近にあるという事でしたので、そこにもよって水を汲んでくる計画を立てました。
写真撮影は、日の出1時間前からシャッターチャンスを狙うのが良いとの事、写真撮影に適した場所は三ヶ所、一つは先ほど書いた「藤和峠」二つ目に「立雲峡」で三つ目には「竹田城跡」です、雲海に浮かぶ竹田城を写すには「立雲峡」が無難だという事から、とりあえずそこに行って見る事にしました。
「立雲峡」は丸山川を挟んだ竹田城の対岸(山)?に位置し、山の中腹が公園になっています。しかし、噂によれば駐車場からさらに山を登って行かなければ最高の撮影場所がないとの事、歩いて上がる時間を30分とみて、我が家から「立雲峡」に行くのを約1時間として、日の出が7時ごろなので逆算すると、7時前に待ち時間ー1時間+行く時間ー1時間+上る時間ー30分で合計ー2時間30分となり遅くともAM4時30分には家を出発しなければならない!マタマタ夜夜中起きをしなくてはならない^_^; ・・・という事でAM4時に出る事が出来ました。
国道から脇道に入り、「立雲峡」に行く山道をを探すのだが、カーホテル立雲峡の出口と一緒になっていて解りにくい場所でした。よくよく見るとカーホテルの看板でなく、「立雲峡」公園の案内看板でややこしい事この上ない
所にホテルが在るもんだと思いながら、山道を登って行くと駐車場が出てきました。が早満車のようで、結局路上駐車してしまいました。しかしまだ駐車場に近く、帰りに見たのですが、多くの方がホテル付近の道端に止めて歩いて上がっておられるようでした。
駐車場から息を切らせながら急坂をよじ登って行ったのですが、後からも次から次へ見物人が来ているようでした。
で上から一番展望地二番展望地三番展望地とあるうち、一番展望地に着いた時の人混みの様子と、竹田城です。


まだ薄暗く竹田城跡ははっきり見えません。それでもアマチュアカメラマンは場所取りに早く登って来とられるようで、早三脚も立てて準備万端の方たちが白方向を凝視しておられました。私はブログの写真を撮るぐらいでバカチョンカメラですからある程度の雰囲気が取れればそれで満足なのです。
次第に明るさが白見出してきましたので、その雰囲気を↓


さらに↓

さらに↓

さらに↓


このころになると、さらに上に登って見だしました。その近くで撮影をしていたオジサンと話しをすると、近所にお住まいという、なんでも雲海が出るようなときは日参して良い場面を狙っているらしい。今日の雲海の出来はと尋ねてみると60点だという^_^; これで60点なら100点満点はどんな時なのかと尋ねると、雲海がかすかに竹田城を隠す時だという、寒いと雲海が下の方で上に上がってこない、ある程度の寒さの日の方が雲海は竹田城近くまで上がってきて最高のシーンが撮れるとの事、今年は10月3日ごろが良かったと言っておられました。

さらに↓

で、そのオジサンいわく、この辺の雲海は少し先に在る三つのダムから出てくるとの事、そういえば生野ダム・黒川ダム・多々良木ダムが在る、近くに三つもダムがある所はまれにはないだろう、ダムの水から寒い夜に水蒸気として上り霧が立ち込める事によって雲海が発生するらしい、雲海を見ているとそのダム方向から流れている様子が見えた。
太陽も顔を出し切ったので次の目的地、竹田城跡へ向かうために山を降りる事にした。
途中まで降りてきたら、竹田城は雲海で隠れていた↓


駐車場に降りてくると、遠方から来ている車も結構止まっていました。この時間になると、日曜日という事もあって家族連れの人たちが次から次へと登って来られていました。
早速竹田城の登り口へ、国道から見る竹田城を表側とすると混雑するときだけか?裏側の登り口から表側の降り口と一方通行に規制されていた。
まだ、そう注目されていないゥン十年前に行った時は表側から城跡入口まで車で行けたが、今回は県道から登り口に入るところ付近の道端に車が止めてあった。おそらく車の渋滞で歩いて上がったのだろう、行った時はそこまで渋滞はしていなかったので中腹に在る駐車場へ向けて登って行った。少し走って行くと40分待ちという看板が倒してあった。それを横目で見てさらに上がって行くと渋滞のどん尻の車に追いついた。
これはたまらんと思い車を反対車線の道端に置くことに、どうも交通規制をしていて、中腹の駐車場が満車なので、そこが空いた分だけ車を入れている模様であった。
山城の里という物産店前で警備員が交通整理していたので、歩いていくとどのくらいかかるか尋ねてみると、駐車場まで20分、そこから城まで20分との事、実は立雲峡を登ったことで足腰がつかれていたが再度気を取り直して登ることに!!

やっとのことでお城の入口に、そこには竹田城の成り立ちの説明が書かれた看板が立てて在りましたので何時もの通り書き出しをします。

史跡 竹田城跡
ー遺構についてー
竹田城は別名「虎臥(とらふす)城」という。嘉吉年間、山名持豊(宗全)が播磨・丹波から但馬への侵入路に位置する要衝の地に13か年を費やして築いたものと伝えられていきた。
築城当時の城には石垣はなく、曲輪を連ねただけのものであった。それが現在の完成された城郭に整備されたのは、天正~慶長初期と推定される。
石垣は近江穴太(あのう)衆の手による穴太石積の技法を用いた”野面(のづら)積み”である。石材は現地のほか山麓付近から集めたものであろう。
遺構は最高所の天守台をほぼ中央に置き、本丸以下南方に南二の丸、南千畳、北方に二の丸、三の丸、北千畳を築いている。さらに、天守台の北西部には花屋敷と称する一郭があり、主郭のなかでも最も低い位置に在るため、南北には向かい合った塁状石垣列を築いている。
規模は南北約400m、東西100mで今なお当時の威容を誇っており、山城として全国でも数少ない現存する遺構である。
国史跡(昭和18年9月8日指定)
所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169番地

さらに↓

ー城主についてー
城は築城後、山名の家臣太田垣光景が初代城主となったと伝えられ以後太田垣氏は七代にわたりこれを守り継いだ。応仁の乱では二代城主影近が京都へ出陣した際、夜久野へ来襲した細川軍を影近の二男宗近が打ち破ったという。
永禄12年(1569)羽柴秀吉は但馬へ攻め入り竹田城を攻略した。天正5年(1577)再び秀吉軍の攻撃をうけ、竹田城はついに落城した。このあと秀吉は弟小一郎を城代として城内の整備を命じている。同8年(1580)桑山重晴が城主となり、13年には四国征伐等で戦功のあった赤松広秀を竹田城主として入れた。広秀は九州征討、朝鮮の役等に出役したほか、文化人としても儒学者藤原惶穴との親交も厚く、領民には産業を奨めて深く敬慕された。
関ヶ原の役には西軍に属した。関ヶ原敗戦後、徳川方として鳥取城を攻め、戦功をあげたにもかかわらず、城下に火を放ったことで徳川家康の忌避にふれ、鳥取真教寺において自刃して果てた。享年39歳、慶長5年10月28日のことである。
朝来市教育委員会

さらに↓

写真で見たように、天空の竹田城を写真に収めるなら立雲峡へ、天空の城の気分を味わうなら竹田城跡に行かれることをお勧めいたします。どちらも日の出前に行きその幻想的な世界を味わってください。
という訳で、次の目的地にへ・・・ 下は帰り道で写した一コマです。

この時分(10時過ぎ)には霧は晴れてしまっていた。
ようやく下界に降りてきて腹が減ったので山城の里で何か食べようという事になり寄ってみたのだが、開店したばかりで食事はまだできないとの事、早朝からこんなに観光客が来ているのに、それも早朝の寒い中、温かい物を土日だけでも売ればそれなりに売れると思うのだが、まして駐車場を開放しているようなのでもっと商売気を出しても良いのじゃないかな~と思いながら、残念ながら次の目的地、夏谷の名水を汲みに藤和峠向けて出発した。

藤和峠の分かれ道にこのような標識が立てて在り、地元の町おこしの気持ちが伝わってくるようでした。
で、右にハンドルを回して進んで行ったのだが、汲む処が出て来ず「ホンマにあるんかいな?」と言いながら登って行くと中腹あたりに看板が見えてきた。先客が入れているようだったので、竹田城第三の写真スポット藤和峠頂上へ行って見る事に。

余にも遠いくて、私のバカチョンカメラではズームにしてもこんな感じでした。
これではゆっくり見ている値打ちがないと「夏谷の名水」場所へ引き返した。

すぐ引き返してきたものだからまだ水を汲んでおられたので待ちながら世間話を・・
なんでも、お住まいは姫路の方だとか、出身は和田山町で今日は松茸を探しに来たついでに水も汲みに来たとの事、松茸採りはこの辺は入山料を払って採りに入るようで、今年の出来は悪いとの事、なぜ悪いのかと尋ねると今年は雨が少ないとの事、大きな雨を降らす台風の襲来がないと山の掃除をしてくれないようです。そういえば、昔は薪や植林に山に入り掃除のようなことをしていたから松茸もたくさん取れたというようなことを聞いた事があった。オジサン曰く「平成16年の23号台風の丸山川が大氾濫した年はたくさん松茸が取れた」と言っていた。
そのうち連れのオジサンも合流されて湧水談義になり、結構いろいろと湧水を汲みに行っている様子で、あそこがどうのこちらの方が美味しいとか情報の交換をし、ここの水は一口飲めば美味しいと判ると自慢をしておられました。
ココの「夏谷(なったん というらしい)の名水」は岩間から湧き出しており、それが岩の窪みに貯めたやつを二本のエスロンパイプで導いて来ており、その窪みに沢蟹が居ついており時々砂利をパイプの中に入れているようだと面白い話をしておられ、最後にこの水はパイプに青粉がつかないので良いのだとの事、その辺は青粉がつく方が良いのか、つかない方が良いのかわからないが、私は着いたほうが生物(人間)には為が良いように思うのだが?
まあ、そのような世間話をしながら、水を汲んでお別れした。


地元の御好意で、お茶碗と漏斗が置いてありました。
尚、「夏谷の名水」の云われは、朝来市和田山町山波字夏谷(なつたに)の地名から来ているそうですが、
地元の方は「なったん」と呼ばれているそうです。なにか ほほえましい気分を感じますネ
情報元は:但馬情報特急の管理人さんからデス(^_^)/
長くなりましたが、「なったんの名水」の味ランクは、帰って三週間なくなるまで美味しく飲めました。
デェ~独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした
詳しい場所は
大きな地図で見る
津波の防災グッズにライフジャケットを!

まさに雲に乗った感覚が味わえる場所です。必ず、雲海が城郭近くまで上がっている時に行ってください。日本一の雲海です
昨年の11月に大江山の鬼嶽稲荷神社の御神水を汲みに行ったとき見た雲海が忘れられず、今年はもっと良い所の雲海が見たいと思っていたところ、映画「あなたに」の中に出てきた竹田城跡の雲海を見て、これだ!と、雲海の出る時期を待っての水汲みでした。
仕事の関係もあり、日曜日しか行く事が出来ず「その日」を待っていたのであります。とりあえず、「その日」が前日から晴天で、夜雲のない放射冷却現象が起こる日が一番良いのですが、噂によると、日本海に高気圧が張り出している時が一番良いらしいという事です。今回は西日本をすっぽり高気圧が覆っており少し噂とはずれるので心配でしたが行く事に決定しました。行くのなら、近所に湧水が出てないか探してみると、有りました!後ろの竹田城跡が見える峠「藤和峠」付近にあるという事でしたので、そこにもよって水を汲んでくる計画を立てました。
写真撮影は、日の出1時間前からシャッターチャンスを狙うのが良いとの事、写真撮影に適した場所は三ヶ所、一つは先ほど書いた「藤和峠」二つ目に「立雲峡」で三つ目には「竹田城跡」です、雲海に浮かぶ竹田城を写すには「立雲峡」が無難だという事から、とりあえずそこに行って見る事にしました。
「立雲峡」は丸山川を挟んだ竹田城の対岸(山)?に位置し、山の中腹が公園になっています。しかし、噂によれば駐車場からさらに山を登って行かなければ最高の撮影場所がないとの事、歩いて上がる時間を30分とみて、我が家から「立雲峡」に行くのを約1時間として、日の出が7時ごろなので逆算すると、7時前に待ち時間ー1時間+行く時間ー1時間+上る時間ー30分で合計ー2時間30分となり遅くともAM4時30分には家を出発しなければならない!マタマタ夜夜中起きをしなくてはならない^_^; ・・・という事でAM4時に出る事が出来ました。
国道から脇道に入り、「立雲峡」に行く山道をを探すのだが、カーホテル立雲峡の出口と一緒になっていて解りにくい場所でした。よくよく見るとカーホテルの看板でなく、「立雲峡」公園の案内看板でややこしい事この上ない
所にホテルが在るもんだと思いながら、山道を登って行くと駐車場が出てきました。が早満車のようで、結局路上駐車してしまいました。しかしまだ駐車場に近く、帰りに見たのですが、多くの方がホテル付近の道端に止めて歩いて上がっておられるようでした。
駐車場から息を切らせながら急坂をよじ登って行ったのですが、後からも次から次へ見物人が来ているようでした。
で上から一番展望地二番展望地三番展望地とあるうち、一番展望地に着いた時の人混みの様子と、竹田城です。


まだ薄暗く竹田城跡ははっきり見えません。それでもアマチュアカメラマンは場所取りに早く登って来とられるようで、早三脚も立てて準備万端の方たちが白方向を凝視しておられました。私はブログの写真を撮るぐらいでバカチョンカメラですからある程度の雰囲気が取れればそれで満足なのです。
次第に明るさが白見出してきましたので、その雰囲気を↓


さらに↓

さらに↓

さらに↓


このころになると、さらに上に登って見だしました。その近くで撮影をしていたオジサンと話しをすると、近所にお住まいという、なんでも雲海が出るようなときは日参して良い場面を狙っているらしい。今日の雲海の出来はと尋ねてみると60点だという^_^; これで60点なら100点満点はどんな時なのかと尋ねると、雲海がかすかに竹田城を隠す時だという、寒いと雲海が下の方で上に上がってこない、ある程度の寒さの日の方が雲海は竹田城近くまで上がってきて最高のシーンが撮れるとの事、今年は10月3日ごろが良かったと言っておられました。

さらに↓

で、そのオジサンいわく、この辺の雲海は少し先に在る三つのダムから出てくるとの事、そういえば生野ダム・黒川ダム・多々良木ダムが在る、近くに三つもダムがある所はまれにはないだろう、ダムの水から寒い夜に水蒸気として上り霧が立ち込める事によって雲海が発生するらしい、雲海を見ているとそのダム方向から流れている様子が見えた。
太陽も顔を出し切ったので次の目的地、竹田城跡へ向かうために山を降りる事にした。
途中まで降りてきたら、竹田城は雲海で隠れていた↓


駐車場に降りてくると、遠方から来ている車も結構止まっていました。この時間になると、日曜日という事もあって家族連れの人たちが次から次へと登って来られていました。
早速竹田城の登り口へ、国道から見る竹田城を表側とすると混雑するときだけか?裏側の登り口から表側の降り口と一方通行に規制されていた。
まだ、そう注目されていないゥン十年前に行った時は表側から城跡入口まで車で行けたが、今回は県道から登り口に入るところ付近の道端に車が止めてあった。おそらく車の渋滞で歩いて上がったのだろう、行った時はそこまで渋滞はしていなかったので中腹に在る駐車場へ向けて登って行った。少し走って行くと40分待ちという看板が倒してあった。それを横目で見てさらに上がって行くと渋滞のどん尻の車に追いついた。
これはたまらんと思い車を反対車線の道端に置くことに、どうも交通規制をしていて、中腹の駐車場が満車なので、そこが空いた分だけ車を入れている模様であった。
山城の里という物産店前で警備員が交通整理していたので、歩いていくとどのくらいかかるか尋ねてみると、駐車場まで20分、そこから城まで20分との事、実は立雲峡を登ったことで足腰がつかれていたが再度気を取り直して登ることに!!


やっとのことでお城の入口に、そこには竹田城の成り立ちの説明が書かれた看板が立てて在りましたので何時もの通り書き出しをします。

史跡 竹田城跡
ー遺構についてー
竹田城は別名「虎臥(とらふす)城」という。嘉吉年間、山名持豊(宗全)が播磨・丹波から但馬への侵入路に位置する要衝の地に13か年を費やして築いたものと伝えられていきた。
築城当時の城には石垣はなく、曲輪を連ねただけのものであった。それが現在の完成された城郭に整備されたのは、天正~慶長初期と推定される。
石垣は近江穴太(あのう)衆の手による穴太石積の技法を用いた”野面(のづら)積み”である。石材は現地のほか山麓付近から集めたものであろう。
遺構は最高所の天守台をほぼ中央に置き、本丸以下南方に南二の丸、南千畳、北方に二の丸、三の丸、北千畳を築いている。さらに、天守台の北西部には花屋敷と称する一郭があり、主郭のなかでも最も低い位置に在るため、南北には向かい合った塁状石垣列を築いている。
規模は南北約400m、東西100mで今なお当時の威容を誇っており、山城として全国でも数少ない現存する遺構である。
国史跡(昭和18年9月8日指定)
所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169番地

さらに↓

ー城主についてー
城は築城後、山名の家臣太田垣光景が初代城主となったと伝えられ以後太田垣氏は七代にわたりこれを守り継いだ。応仁の乱では二代城主影近が京都へ出陣した際、夜久野へ来襲した細川軍を影近の二男宗近が打ち破ったという。
永禄12年(1569)羽柴秀吉は但馬へ攻め入り竹田城を攻略した。天正5年(1577)再び秀吉軍の攻撃をうけ、竹田城はついに落城した。このあと秀吉は弟小一郎を城代として城内の整備を命じている。同8年(1580)桑山重晴が城主となり、13年には四国征伐等で戦功のあった赤松広秀を竹田城主として入れた。広秀は九州征討、朝鮮の役等に出役したほか、文化人としても儒学者藤原惶穴との親交も厚く、領民には産業を奨めて深く敬慕された。
関ヶ原の役には西軍に属した。関ヶ原敗戦後、徳川方として鳥取城を攻め、戦功をあげたにもかかわらず、城下に火を放ったことで徳川家康の忌避にふれ、鳥取真教寺において自刃して果てた。享年39歳、慶長5年10月28日のことである。
朝来市教育委員会

さらに↓

写真で見たように、天空の竹田城を写真に収めるなら立雲峡へ、天空の城の気分を味わうなら竹田城跡に行かれることをお勧めいたします。どちらも日の出前に行きその幻想的な世界を味わってください。
という訳で、次の目的地にへ・・・ 下は帰り道で写した一コマです。

この時分(10時過ぎ)には霧は晴れてしまっていた。
ようやく下界に降りてきて腹が減ったので山城の里で何か食べようという事になり寄ってみたのだが、開店したばかりで食事はまだできないとの事、早朝からこんなに観光客が来ているのに、それも早朝の寒い中、温かい物を土日だけでも売ればそれなりに売れると思うのだが、まして駐車場を開放しているようなのでもっと商売気を出しても良いのじゃないかな~と思いながら、残念ながら次の目的地、夏谷の名水を汲みに藤和峠向けて出発した。

藤和峠の分かれ道にこのような標識が立てて在り、地元の町おこしの気持ちが伝わってくるようでした。
で、右にハンドルを回して進んで行ったのだが、汲む処が出て来ず「ホンマにあるんかいな?」と言いながら登って行くと中腹あたりに看板が見えてきた。先客が入れているようだったので、竹田城第三の写真スポット藤和峠頂上へ行って見る事に。

余にも遠いくて、私のバカチョンカメラではズームにしてもこんな感じでした。
これではゆっくり見ている値打ちがないと「夏谷の名水」場所へ引き返した。

すぐ引き返してきたものだからまだ水を汲んでおられたので待ちながら世間話を・・
なんでも、お住まいは姫路の方だとか、出身は和田山町で今日は松茸を探しに来たついでに水も汲みに来たとの事、松茸採りはこの辺は入山料を払って採りに入るようで、今年の出来は悪いとの事、なぜ悪いのかと尋ねると今年は雨が少ないとの事、大きな雨を降らす台風の襲来がないと山の掃除をしてくれないようです。そういえば、昔は薪や植林に山に入り掃除のようなことをしていたから松茸もたくさん取れたというようなことを聞いた事があった。オジサン曰く「平成16年の23号台風の丸山川が大氾濫した年はたくさん松茸が取れた」と言っていた。
そのうち連れのオジサンも合流されて湧水談義になり、結構いろいろと湧水を汲みに行っている様子で、あそこがどうのこちらの方が美味しいとか情報の交換をし、ここの水は一口飲めば美味しいと判ると自慢をしておられました。
ココの「夏谷(なったん というらしい)の名水」は岩間から湧き出しており、それが岩の窪みに貯めたやつを二本のエスロンパイプで導いて来ており、その窪みに沢蟹が居ついており時々砂利をパイプの中に入れているようだと面白い話をしておられ、最後にこの水はパイプに青粉がつかないので良いのだとの事、その辺は青粉がつく方が良いのか、つかない方が良いのかわからないが、私は着いたほうが生物(人間)には為が良いように思うのだが?
まあ、そのような世間話をしながら、水を汲んでお別れした。


地元の御好意で、お茶碗と漏斗が置いてありました。
尚、「夏谷の名水」の云われは、朝来市和田山町山波字夏谷(なつたに)の地名から来ているそうですが、
地元の方は「なったん」と呼ばれているそうです。なにか ほほえましい気分を感じますネ

情報元は:但馬情報特急の管理人さんからデス(^_^)/
長くなりましたが、「なったんの名水」の味ランクは、帰って三週間なくなるまで美味しく飲めました。
デェ~独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした
詳しい場所は
大きな地図で見る
津波の防災グッズにライフジャケットを!
スポンサーサイト