NO48:杜清水(大森神社)
神崎の「弘法大師の泉:浜の洗濯場」から大森神社の所在地東舞鶴へ
地図では西舞鶴から東舞鶴に行く街道二つのうち、白鳥街道の方から行けばすぐ脇に在る様子なのでそちらから行く事に、走っていると大きな鳥居が道から入ったところに立っていたのを見落としてしまい通り過ぎるはめに、結局神社の周辺の路地から入って行くことに、できるだけ水汲み場に近いところに車を止めたいので、後から思えばこれが正解だった。

車を置いた脇道から入って写した正面の参道の様子
大森神社の神殿の手前に感じのいい手水舎がありその前に、民話「蛇切岩伝説」のいわれが書いた看板が立っていた。

左が神殿、右が手水舎


「蛇切岩伝説」読めるかと思い写真を大きくしたのですが読みにくいので下記に書いておきます。
(じゃきりいわ伝説)
昔、倉梯村多門院の黒部に「おまつ」「おしも」という美しい姉妹がいた。ある日、姉の「おまつ」は、草刈りに出かけた与保呂の奥山にある池のほとりで、美しい若者に出逢った。
互いにひかれた二人は末のちぎりを交わした。
それとは知らぬ親から、縁談を迫られる、「おまつ」
やがて二人の間を妹の「おしも」に知られていまい、行く末をはかなんだ「おまつ」は、池の中に身を投げ、大蛇に姿を変えた。
何日かたつと、池の主の大蛇が、村人達に危害を加える事が多くなった。そこで村を守るため大蛇を退治する相談をした。
この時、ひとりの男が大蛇退治に名乗りを上げモグサで大きな牛の形を作り、火をつけて池の中に投げ込んだ。
これを火と飲みにした大蛇は、おなかの中で燃え広がるモグサに苦しみ、のたうちまわった。
大蛇は、にわかに降り出した大雨で、洪水となった池の水に流された。そして、下流にあった大きな岩に激突し、たちまち体が三つに切れてしまった。
祟(タタリ)りをおそれた村人は、三つに切れた「おまつ」の化身である大蛇の頭を与保呂の「日尾池姫神社」、胴を行永の「どうたの宮」、尻尾をここ「大森神社(弥加宣神社)」に祀った。
そして、大蛇が三つに切れた岩を「蛇切岩」と名付けた。
古来より語り伝えられてきた川に対する畏敬(イケイ)と五穀豊穣を祈る貴重な民話である。
平成二十三年三月二十九日
じゃきりいわの会
とまぁこんなところでございます。私は、できたら退治に名乗りを上げた若者が、「おまつ」とちぎりを交わした若者で、退治をしたときにその大蛇が「おまつ」であったことに気づき、それを深く悲しんで三つの神社に祀って、手厚くとむらった。と終わる方が日本流の民話らしく思うのだが・・・・・邪道であるか~
それはさておき、神殿を回ってみると左横の塀の内側から三つの竹筒が出ておりそこから常に水が流されていた。
このやり方は、春に行った伏見の御香宮神社のそれによく似た方法であるなーと思いながら、早速御霊水「杜清水」を頂きました。

そして「杜清水」のいわれがこれです。

水を汲み終えてから、本殿に対して広い境内であったので散策してみると、本殿の右手に水量も豊富な池が在り水の神社らしい雰囲気を醸し出していました。少し残念な事に手入れの方は今一の感じがする様子でした。

池は二か所あり、右手の池が手前に在るのですが、その縁に紙垂(しで)が巻かれた御神木が鎮座していた。おそらくこの大木が水を導いて来ているのであろう。

予定を過ぎた時間になったので、地域を散策することはあきらめて帰宅の途に就いた。
で肝心な水の味は、頂いて来てから三週間は美味しく飲めましたので
独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。
詳しい場所
津波の防災グッズにライフジャケットを!
地図では西舞鶴から東舞鶴に行く街道二つのうち、白鳥街道の方から行けばすぐ脇に在る様子なのでそちらから行く事に、走っていると大きな鳥居が道から入ったところに立っていたのを見落としてしまい通り過ぎるはめに、結局神社の周辺の路地から入って行くことに、できるだけ水汲み場に近いところに車を止めたいので、後から思えばこれが正解だった。

車を置いた脇道から入って写した正面の参道の様子
大森神社の神殿の手前に感じのいい手水舎がありその前に、民話「蛇切岩伝説」のいわれが書いた看板が立っていた。

左が神殿、右が手水舎


「蛇切岩伝説」読めるかと思い写真を大きくしたのですが読みにくいので下記に書いておきます。
(じゃきりいわ伝説)
昔、倉梯村多門院の黒部に「おまつ」「おしも」という美しい姉妹がいた。ある日、姉の「おまつ」は、草刈りに出かけた与保呂の奥山にある池のほとりで、美しい若者に出逢った。
互いにひかれた二人は末のちぎりを交わした。
それとは知らぬ親から、縁談を迫られる、「おまつ」
やがて二人の間を妹の「おしも」に知られていまい、行く末をはかなんだ「おまつ」は、池の中に身を投げ、大蛇に姿を変えた。
何日かたつと、池の主の大蛇が、村人達に危害を加える事が多くなった。そこで村を守るため大蛇を退治する相談をした。
この時、ひとりの男が大蛇退治に名乗りを上げモグサで大きな牛の形を作り、火をつけて池の中に投げ込んだ。
これを火と飲みにした大蛇は、おなかの中で燃え広がるモグサに苦しみ、のたうちまわった。
大蛇は、にわかに降り出した大雨で、洪水となった池の水に流された。そして、下流にあった大きな岩に激突し、たちまち体が三つに切れてしまった。
祟(タタリ)りをおそれた村人は、三つに切れた「おまつ」の化身である大蛇の頭を与保呂の「日尾池姫神社」、胴を行永の「どうたの宮」、尻尾をここ「大森神社(弥加宣神社)」に祀った。
そして、大蛇が三つに切れた岩を「蛇切岩」と名付けた。
古来より語り伝えられてきた川に対する畏敬(イケイ)と五穀豊穣を祈る貴重な民話である。
平成二十三年三月二十九日
じゃきりいわの会
とまぁこんなところでございます。私は、できたら退治に名乗りを上げた若者が、「おまつ」とちぎりを交わした若者で、退治をしたときにその大蛇が「おまつ」であったことに気づき、それを深く悲しんで三つの神社に祀って、手厚くとむらった。と終わる方が日本流の民話らしく思うのだが・・・・・邪道であるか~
それはさておき、神殿を回ってみると左横の塀の内側から三つの竹筒が出ておりそこから常に水が流されていた。
このやり方は、春に行った伏見の御香宮神社のそれによく似た方法であるなーと思いながら、早速御霊水「杜清水」を頂きました。


そして「杜清水」のいわれがこれです。

水を汲み終えてから、本殿に対して広い境内であったので散策してみると、本殿の右手に水量も豊富な池が在り水の神社らしい雰囲気を醸し出していました。少し残念な事に手入れの方は今一の感じがする様子でした。


池は二か所あり、右手の池が手前に在るのですが、その縁に紙垂(しで)が巻かれた御神木が鎮座していた。おそらくこの大木が水を導いて来ているのであろう。

予定を過ぎた時間になったので、地域を散策することはあきらめて帰宅の途に就いた。
で肝心な水の味は、頂いて来てから三週間は美味しく飲めましたので
独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。
詳しい場所
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