NO20:天橋立 磯清水
今回は「昭和の名水」と「平成の名水」に取り上げられた由緒ある井戸水です。
天橋立は皆様も知っての通り、阿蘇海(内海)と宮津湾(外海)を仕切る砂州であり、わが地方から野田川に流されて行った砂が海流によって作られたと聞いています。
その海の中の砂浜に真水が湧いてくる井戸が、悠久の昔から親しまれている「磯清水」です。
橋立は小天橋と大天橋の二つからなっており、「磯清水」は大天橋の方にあります。橋立駅のある文殊の方から行くと回転橋の橋を渡りさらに小天橋から大天橋に入る二つ目の橋を渡って約5~10分ほど歩いた大天橋の三分の一程行った道の左に入った所にある橋立明神の横に整備して在ります。
水汲みに行くには良いのですが、なんせ車で行くことができませんので、何時ものようにラックに入れて持って帰ることができません、なのでリュックにペットボトルを3本入れてもらいに行くことにしました。
磯清水に着いた時は誰もいなかったのですが、水をペットボトルに入れていると観光客がどこともなくよってきて結構賑やかになってきました。

水を入れていると、時たまスイッチが入るとウィ~ンという音が聞こえてくるので、出てくる水はおそらくモーターで汲み上げているようです。また、小屋の柱には「この水は手水に使用して飲まないようにしてくださいというお触書が書いてありましたが、沸かして飲むので「マァイイか・・との思い出3本分もらってきました。
観光客が去っていく間小屋の周りを散策していると、小屋の後ろに生えている木々を柵で囲ってありました。
おそらくこのなかの大きめの木が水を呼んでいる為、荒らされないように大切に保護されているのではないかと勝手に納得していました。少なくない場所で大木が水を呼ぶが如くのようで・・・
橋立神社の詳しいHP橋立三社パワースポット

近代の立て看板と江戸時代のものだと思われる石碑(後に活字を彫り直してあるかも)の「磯清水」の云われ記デス

左が木々を保存する為に柵で囲った物で右は天橋立に昔からひっそりと道端に置いてある大砲です。

今回は、この様な珍しい物を紹介したいと思います。その②岩見重太郎のあだ討ちの場所と試し切りしたとされる石が橋立明神手前向かって右側にあります。

右がその石ですが、あだ討ちの50m手前に分かりにくいですが在ります。
詳しくは天橋立HPで見てください。さらにHPでは載っていない物を紹介していきます。
という事で、帰り道に寄り道をして写真を写してきました。手前味噌ではありませんが、次の事からは私の地元に関係した物です。
その一:文殊山(知恩寺)の後ろになる場所に旅館:文殊荘の別館(松露亭)が在ります。その玄関先に神鞭知常先生の追慕碑があります。明治の第1回国会議員選挙で当選し以後6回当選したとか・・・

右の写真はその前から見た二番目の橋ですが紅葉が美しかったのでつい写してしまいました。

その二:次に写してきたものは松並木ゾーンから少し離れ、橋立の街中から宮津の街中へ向かう大きくカーブした道の右側に分かりにくいですが、文政百姓一揆の石碑があります。江戸時代の後期、丹後一円を巻き込み烽火を上げて民衆の怒りを轟かせた一大デモンストレーション!日本全国で起こっていた流れの一つであります。

下右が百介の墓が石碑の傍に小さく佇んでありました。

というわが地方の自慢話でした。・・・もう一つかの有名な大泥棒、石川五右衛門もかくいう当地の出身ということらしいのですが、こちらの方はあまり自慢にはできないかも(~_~;)
ということはさておき、磯清水の味の方は、少しは塩分が混ざっているかと思いきや、全くの真水で持って帰ってきたぺットボトル三本を飲んだのですが塩気は全く感じませんでした。しかし、口の中になぜかざらつき感が残りました。
というわけで、「磯清水」の水の味ランクは、独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v デスタ
詳しい場所は
津波の防災グッズにライフジャケットを!!
天橋立は皆様も知っての通り、阿蘇海(内海)と宮津湾(外海)を仕切る砂州であり、わが地方から野田川に流されて行った砂が海流によって作られたと聞いています。
その海の中の砂浜に真水が湧いてくる井戸が、悠久の昔から親しまれている「磯清水」です。
橋立は小天橋と大天橋の二つからなっており、「磯清水」は大天橋の方にあります。橋立駅のある文殊の方から行くと回転橋の橋を渡りさらに小天橋から大天橋に入る二つ目の橋を渡って約5~10分ほど歩いた大天橋の三分の一程行った道の左に入った所にある橋立明神の横に整備して在ります。
水汲みに行くには良いのですが、なんせ車で行くことができませんので、何時ものようにラックに入れて持って帰ることができません、なのでリュックにペットボトルを3本入れてもらいに行くことにしました。
磯清水に着いた時は誰もいなかったのですが、水をペットボトルに入れていると観光客がどこともなくよってきて結構賑やかになってきました。


水を入れていると、時たまスイッチが入るとウィ~ンという音が聞こえてくるので、出てくる水はおそらくモーターで汲み上げているようです。また、小屋の柱には「この水は手水に使用して飲まないようにしてくださいというお触書が書いてありましたが、沸かして飲むので「マァイイか・・との思い出3本分もらってきました。
観光客が去っていく間小屋の周りを散策していると、小屋の後ろに生えている木々を柵で囲ってありました。
おそらくこのなかの大きめの木が水を呼んでいる為、荒らされないように大切に保護されているのではないかと勝手に納得していました。少なくない場所で大木が水を呼ぶが如くのようで・・・
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左が木々を保存する為に柵で囲った物で右は天橋立に昔からひっそりと道端に置いてある大砲です。

今回は、この様な珍しい物を紹介したいと思います。その②岩見重太郎のあだ討ちの場所と試し切りしたとされる石が橋立明神手前向かって右側にあります。


右がその石ですが、あだ討ちの50m手前に分かりにくいですが在ります。
詳しくは天橋立HPで見てください。さらにHPでは載っていない物を紹介していきます。
という事で、帰り道に寄り道をして写真を写してきました。手前味噌ではありませんが、次の事からは私の地元に関係した物です。
その一:文殊山(知恩寺)の後ろになる場所に旅館:文殊荘の別館(松露亭)が在ります。その玄関先に神鞭知常先生の追慕碑があります。明治の第1回国会議員選挙で当選し以後6回当選したとか・・・

右の写真はその前から見た二番目の橋ですが紅葉が美しかったのでつい写してしまいました。


その二:次に写してきたものは松並木ゾーンから少し離れ、橋立の街中から宮津の街中へ向かう大きくカーブした道の右側に分かりにくいですが、文政百姓一揆の石碑があります。江戸時代の後期、丹後一円を巻き込み烽火を上げて民衆の怒りを轟かせた一大デモンストレーション!日本全国で起こっていた流れの一つであります。

下右が百介の墓が石碑の傍に小さく佇んでありました。


というわが地方の自慢話でした。・・・もう一つかの有名な大泥棒、石川五右衛門もかくいう当地の出身ということらしいのですが、こちらの方はあまり自慢にはできないかも(~_~;)
ということはさておき、磯清水の味の方は、少しは塩分が混ざっているかと思いきや、全くの真水で持って帰ってきたぺットボトル三本を飲んだのですが塩気は全く感じませんでした。しかし、口の中になぜかざらつき感が残りました。
というわけで、「磯清水」の水の味ランクは、独断と偏見の
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